大内家の野望   作:一ノ一

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その二十二

 長曾我部元親は、腰まで伸びる黒髪を後頭部で結った白皙の美少女である。幼い頃は、姫和子などと呼ばれ、武将というよりも奥に控える姫といった扱いを受けていたが、初陣を期にその隠れた武将としての才覚を発揮し、今では土佐一条家の混乱に付け込んで長曾我部家を土佐でも一、二を争う一大勢力にまで成長させていた。

 土佐全体でおよそ二〇万石の石高が試算される。長曾我部家だけで、その半分は獲得している事になるので、大名を名乗るには十分であろう。とはいえ、それでも土佐国の中で勢力を維持するには十分とはいえない。隣国である伊予国の大名である河野家は、すでに三五万石に手が届くだろうし、その上には大内家がいる。経済力は、長曾我部家と比較にならないほど巨大だ。近く、この大内家と激突する事も視野に入れておかねばならない。

 家を保つためにどうするか。

 元親は、勢力拡大の先にある、逃れようのない戦いを見据えて頭を使わねばならない状況にある。

 宿敵であった本山家を討った元親にとって無視できない存在が、安芸郡を中心に勢力を伸ばしていた安芸国虎である。本山家を征伐した際にも、その隙を突いて長曾我部家の本領に攻め込んでくるなど油断ならぬ大敵であった。

 元親は八流という地にて、この安芸勢を討ち、その勢いで城攻めを敢行、国虎の自害を以て安芸家は滅亡した。本山家、安芸家を続けて亡ぼした長曾我部家は、飛ぶ鳥を落とす勢いで躍進し、国虎に組していた安田城主惟宗鑑信(これむねしげのぶ)を妹の香宗我部親泰(こうそかべちかやす)に攻めさせて降伏に追い込み、さらに奈半利(なはり)城の安岡虎頼を阿波国に落とし、北川城の北川玄蕃の首を刎ね、有井城の伊尾木権左衛門を始末した。

 さらに、親泰は元親の許可を得てから家臣を安芸郡の各城に配置し、自ら国虎に代わって安芸城主となる事で安芸郡を固める事に成功する。

 安芸郡を制圧した事で、長曾我部家は土佐国の中央部と東部を支配下に収めた事になる。

 そうなると、必然的に次に見据えるのは西部の一条家だ。

「一条家を攻めるとなると、大内家が出てくる絶好の口実になっちゃいますけど」

 親友である中島可之助(べくのすけ)が不安の色を浮かべて言う。無理もない。大大名である大内家と縁が深い一条家を敵にしようというのだから。

「確かに、その可能性は高い。けれど、わたしも一条家を亡ぼすつもりはないから、そこを妥協点として相手と交渉に及びたい」

 戦国武将化した一条家を公家に戻す。それは、奇しくも大内家の戦略とまったく同じ結論であり、これは、どちらがより早く、迅速に一条家の当主を手中に収め、傀儡と化すかの一点にかかっていた。

 大友家が一条家の内部に大内家がその領地を狙っているという悪評を刷り込んでいる今が独立の好機だ。

「とりあえず、大内家にわたし達の力を見せ付ける必要があるからね。話はそこからだ」

 攻め込んでくるであろう大内家に対して、長曾我部家は油断ならぬと思わせなければならない。単独で戦っても、大内家に競り負けるのは必定で、だからこそ大友家という後ろ盾が必要。しかし、それは最後の最後であって欲しい。あまり、大国に近付きすぎても取り込まれる危険性が増すばかりだからだ。

 可之助と今後の方針について改めて話している時にも、続々と報告が飛び込んでくる。

 一条家に従っていた津野家の重臣達を抱き込む事に成功したという報せが、その中では一番重要だった。

「よし、これで一条家の弱体化は確実だ」

 津野家は、かつては土佐七雄の一つにも数えられた名家である。しかし、一条家の先代房基の侵攻によってあえなく吸収され、独立勢力としての津野家は滅びた。

 戦ばかりでは兵が消耗する。

 元親は、武によって本山家や安芸家といった強大な敵を下しつつも、調略の手も方々に伸ばしていたのだ。

 これによって津野家は落ちたも同然となった。幼い一条家の当主を傀儡に据えれば、大内家と雖も軽々しく侵攻はできまい。

「西園寺家は、どれくらい持ちそうかな」

「それほど、長くは。篭城戦に徹すれば数月は持つかもしれませんが」

「大友の援軍もまだ来ないとなれば、彼らの事だからすぐに手の平を翻すかもね」

 可之助は神妙に頷く。

 西園寺家を唆したのは、他でもない元親だ。大友家とも結ぶ事で、再び独立勢力になる事ができる。戸次道雪は、大内家の前に敗退したものの、それでも海を渡った先の大国の影響は未だに四国に根付いているのだ。

「津野家を落とした後からだ、本番だ」

 元親は己の手に視線を落として呟いた。

 

 

 

 □

 

 

 

「津野まで落ちたか」

 晴持は報告を受けて、眉根を寄せて頬杖を突いた。

 津野家は特別武勇を誇る家ではない。一条家に圧倒され、吸収された事からも分かる。ただ、それによって、長曾我部家は一条家の支配領域の四割近くを奪い取った事になってしまうという点が問題であった。

「津野家が落ちたというのは、亡ぼされたという事ですか?」

「いいや。どうやら、当主を挿げ替えたようだな。血と命脈は保ったようだ」

 光秀に尋ねられたので、そのように答えた。

 元親はただ力のみで土佐国を制圧しようとしているわけではないらしい。

 国内最大勢力は、力で潰して威を見せつけ、弱小勢力はアメとムチで切り従えている。さらに西園寺家との間に書状のやり取りがあるらしく、大友家とも繋がっているとなれば、元親を放置するわけにもいかなくなる。

 が、しかし、土佐国に押し入るとなれば大友家の動きに警戒をする必要が生じる。伊予国に上陸されれば、また土佐国に入った部隊の後方を突かれるかもしれないからだ。

 そのため、大内家は軍備を整えつつも、慎重すぎるくらいに大友家の動向を監視していた。

「ところで、明智殿。山口での暮らしは慣れた?」

 光秀がこの地にやってきて、早一月が経過した。もともと、在野の人間だった彼女は、譜代の家臣が多い大内家では何かと息苦しいと思い、気にかけてはいたのだ。

 晴持の家臣であり、大内に仕える家臣ではないものの、晴持が跡取りである事を考えれば、光秀の立ち位置は流動的なものとなってしまう。

 在野の将兵を登用するのは、晴持の奇癖と見られている側面もある。伝統が息づく大内家の家中にあっては、そういった名もない武将の登用は覚悟が必要になる。

「おかげ様で不自由なく暮らしております。冷泉殿や陶殿とも最近は親しくしていただいておりますし」

「そうか、それはよかった」

 大内家では武を示すよりも文を示すほうが手っ取り早く信頼を得る事ができる。義隆が開催した歌会に、光秀を無理矢理放り込み、頭の回転の速さを見せ付けた事があった。それ以来、光秀は重臣達にも顔を知られるようになったのである。

「あの時は、どうなる事かと思いました」

「でも、結果的に打ち解けられたのだからいいだろう」

「そうですが、無茶苦茶な話でもありました」

 話を受けた時の光秀は目が点になっていた。重臣が参加する歌会に、新参者が放り込まれるのだから当然であろう。事前に光秀の和歌の知識を確認していたから、晴持もこのような無茶を行ったのだが、それでも光秀からしたら堪ったものではない。

「まあ、光秀なら何とかなると思ったからこそだ。あれで、君にとやかく言う人は減っただろう。妬みはあるだろうけど、それは今後の働きで力を示せばいい」

「はい。返す返すもありがとうございます」

「こっちから、来てくれと頼んだんだ。これくらいはしないとな」

 せっかく手に入れた有能な家臣を、つまらぬいざこざで失っては、人材活用など夢のまた夢だ。これから先、大内家が版図を広げていくためにも、新たな人材を登用していく体制は整えていかねばならない。

「それで、烏は何とかなりそうか?」

 鉄砲を装備した親衛隊。烏と名付けられた特殊部隊は、光秀を新たな頭として再編成の真っ只中である。

「そうですね。部隊としては整いつつあります。晴持様が考案された鉄砲戦術を叩き込んでいるところです」

 名高い三段討ちなどは、連射性を維持するための戦術だ。人数が少なくとも、狭い道で使えばその制圧力は桁外れに高いものとなるが、その一方で高い錬度を必要とする。兵農分離が未発達の大内家では、親衛隊のような側近集団でなければ実現できない戦術であった。

「そうか。ならいいんだ。できれば、長曾我部との戦いで活躍して欲しいところだが、それまでに間に合うかだな」

 戦の時がいつになるか分からないので、間に合うかどうかの判断もできない。

「光秀は百発百中の腕だからな、鉄砲」

「わたしも、何故あそこまで上手くいくのか分からないのですが」

 光秀は、ここに来るまで鉄砲に触れた事もなかったという。しかし、それでも物は試しと鉄砲を撃たせたら、脅威の的中率を誇る怪物だった。烏の面々が光秀に大人しく従っているのも、この鉄砲に愛された人というべきその実力があるからだった。

「わたしは、鉄砲に会うために生まれてきたのかもしれません……」

「それは言い過ぎだろう」

 鉄砲を得た光秀はまさに水を得た魚であった。

 彼女自身も、鉄砲にのめりこみつつあり、積極的に火薬の精製方法の研究をするなど余念がない。

「硝石は今は輸入頼りだけど、今後は自家生産したいもんだ」

「何かお考えでも?」

 硝石は、火薬には必須だが、日本では取れない。そのため、大内家のような貿易国家でなければ鉄砲の大量運用は難しい。

「今、実験的に進めているのがあるんだ。まあ、ある程度の成果が出たら報せるよ」

「そうですか。分かりました。その時を楽しみにしております」

 光秀は少し残念そうにしながらも、深く追求してこなかった。

 硝石を自家生産できるとなれば、戦力が圧倒的に増強される。当然、秘匿事項に該当するはずだ。深入りしてせっかくの仕官先から追い出されるような真似はできない。首だけにされる可能性すらある。

 そんな光秀の物分りのよさも、晴持が彼女を評価するところであった。

「晴持様。御屋形様がお呼びです」

 光秀と話をしていると、義隆の小間使いに呼び出された。

「む、義姉上が?」

「火急の用事との事です」

 障子越しにそのように言われた。晴持は頭を掻いて立ち上がる。火急の用事と言われて、じっくり準備をするわけにもいかない。

「すまんな、光秀。少し早いが、いつもの調練に向かってくれ」

「承知しました、晴持様」

 光秀は一礼して晴持の部屋を辞した。本当に無駄口を利かない女性だ。話しやすいが少し淡白なところもある。気疲れしなくていい。

 晴持は、光秀に僅かに遅れて部屋を出ると、そのまま義隆の下に向かった。

 

 

 義隆の部屋には、義隆の他に相良武任もいた。

「晴持いらっしゃーい。お茶いる?」

「いただきます」

 そう言って、義隆の前に座る。

 義隆は手早く茶を点てると、晴持の前に茶碗を置いた。晴持の好む、喉の渇きを潤すための茶ではなく、風流人の茶道の茶であった。義隆の点てた茶を喫してから、晴持は義隆に尋ねた。

「火急の用件と聞きましたが、何事です?」

「ふむ、それなんだけど、武任が詳しいから彼女から聞いて」

 と、義隆が武任を視線で指す。

「それじゃ、武任。何があったんだ?」

「はい、若様。それでは、ご説明いたします」

 武任は、晴持に向き直って、口を開く。

「九国から入った情報なのですが、どうやら日向が島津の手に落ちたようです。伊東義祐(よしすけ)は大友を頼って落ち延びたとか」

「なんだと? 早すぎる……!?」

 さすがに、晴持も絶句してしまう。島津家が大隅国を支配下に収めた後、さらに北上の構えを見せていた事は知っている。が、しかし日向国を押さえているのは鎌倉以来の名門伊東家だ。兵力でも伊東家のほうが上回っていたはずで、島津家が北上するのはもっと先だと見ていたのだが、予想を遥かに上回る拡張速度だ。

「ねぇ、まさか端っこの小勢力が九国の三割を押さえちゃうなんてね」

 義隆はそのように言うがまだ余裕はありそうだ。

 いや、晴持は義隆と異なり、島津家が九州の覇者になりつつある事に驚いているわけではない。島津家といえば九州最強の家柄ではないか。大友家も最近名前が挙がるようになった龍造寺家も強敵には違いないが、それでも島津家に比べれば霞む。歴史知識を通して視た色眼鏡であるが、島津家に関して言えば、それ以上の力があると見えた。

「島津家の北上を抑えていた一角が崩れたか……」

「伊東家がいなくなったからには、遠からず肥後の相良家や阿蘇家、そして豊後の大友家と激突するでしょう」

「大友と島津が結ぶ可能性は?」

「大友家は伊東家の当主を匿っていますし、その可能性は少ないでしょう。大友としても、大内家を敵に回さずに勢力を拡大するには南下するしかありませんし」

「共に進路がぶつかっている以上は戦は不可避か」

 北九州は大内家の領土だ。大国同士がぶつかるよりは小国を併呑したほうが確実に勢力を広げる事ができる。大友家にとっても今の段階で大内家と戦に及ぶのは百害あって一利なしだ。ならば、大友家が進むのは日向国か肥後国となるが、肥後国の阿蘇家や相良家とは同盟関係にある。よって、大友家の次なる標的は島津家が取り込んだ日向国となろう。

「大友が倒れてくれると嬉しいんだけどなー。宗麟のド阿呆、さっさと死なないかな」

「義姉上。この後どうなるか分からないのですから、あまり滅多な事は言わないでくださいね」

 と、晴持は義姉を諌める。

 へいへい、と義隆は鉾を納めるも内心では大友宗麟を軽蔑して止まないといった表情は隠しきれていない。

「大友のご当主は仏教や神道の排除に忙しくしておられますからね。義隆様がそのように仰るのも分かります」

 武任はそのように義隆を擁護する。

 大友家の当主である大友宗麟は、どうやら史実通りに南蛮神教へ傾倒し始めたようだ。同時に、義隆のほうが徐々に南蛮神教から心を離れさせつつあった。どうやら在来の教えと上手くかみ合わない南蛮神教は真新しい学問であっても、宗教として崇拝する気にはならないらしい。

 仏教寺院などを破却しているのも、伝統を好む大内義隆の目には敵対行動に等しい悪行に映っている。

「しかし、島津の台頭は予想以上の速さではありましたが、大友の身動きが取れなくなったのは好都合ですね」

「ええ、そうね。大友の軍神様も、今は雷に打たれて療養中ともなれば、尚の事。この期に土佐を呑むわ」

「というと、戸次道雪が?」

「そ、雷を切ったなんて喧伝しているけど、どうだかね」

 本当に雷に打たれたのか。あの戸次道雪がこの時期に動けないとなれば、島津家もこれ幸いと動きを活発化させるだろうし、大友家も日向国内の旧伊東勢を糾合できる早いうちに動きたいだろう。道雪が動けないからこそ、付けこまれないように外征に力を入れるかもしれない。

 島津家と大友家の激突は、思っているよりも早いかもしれないのだ。

「長曾我部、詰んだか」

「はい。天地人、どれも当家に味方しております」

 関白からの許可も貰っているし、大友家が四国に意識を向ける余裕もない。なるほど確かに、大内家にとって、これほど都合のいい展開もないだろう。

「わたしは大友家に迫害された僧侶や神職の方々をお迎えして豊後の様子を聞くわ。晴持、あなたはこの機に乗じて土佐を呑み込みなさい」

「長曾我部の扱いは、どうしましょうか?」

「それは、追々ね。まずは、一条家の敵を蹴散らし、関白殿下との約束を履行するのが第一よ」

「了解です。では、早々に戦と行きましょう」

 




島津も光秀も天極姫でないんだよね。というか、天極姫めんどくせぇ。挫折しそうだじぇ……戻してください

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