大内家の野望 作:一ノ一
長曾我部元親が降伏を申し出てきたのは、日が没してからの事であった。家中の状態を確かめ、それから悩んだ後で苦渋の決断を下したのであろう。
元親からの使者は、元親の命を差し出す代わりに城兵の命を救って欲しいという元親の切実な願いを伝えてきた。また、元親亡き後は大内家の指図にすべて従う旨も添えられていた。
「どうする、若」
さっそく軍議を開いて長曾我部家の取り扱いについて議論する。この場には大内家の家臣しかいない。一条家を外したのは、もとより一条家の領土外の問題を彼らに扱わせるつもりがなかった事もあるが、この戦の最中で隆房が戦の主導権を大内家にあると認めさせた事も大きかった。
「どうもこうも、無益な戦を繰り返しても仕方がないからな。降伏は受け入れるのが一番だろう」
「では、この条件で?」
隆豊に尋ねられて、晴持は唸る。
当主の首と引き換えに降伏するというのは、通常の戦でもよくある話だ。降伏した家は、当主を挿げ替えて新体制の下で生き残りを図るのである。
とはいえ、元親の影響力が土佐国内にかなり広がっていたのも事実。本拠地を攻め亡ぼしたわけではなく、うまい事相手を追い詰めたのであって、長曾我部家の本拠地には、まだ彼女に従う勢力が生き残っている。それに、一領具足という半士半農の者達が思いのほか厄介だ。
正史では、長曾我部家が滅んだ後も、数度彼らによって大規模な反乱が起こされているなど、土佐国は、統治の難しい土地となっている。
「土佐はもともと実りのよくない土地だしな。反乱の討伐に時間を割くのも割に合わない」
これが、高い石高を期待できるような肥沃な地形であれば、力任せに大内家の領地に組み込んでもいいのだが、土佐国は山なりの地形で、農作業に不向きである。交易には期待ができるが、それも瀬戸内を押さえているので、それほど目新しいものでもない。
「元親を討っても、大内家に反発する勢力を駆逐できるわけじゃない」
「むしろ統率者が消えた事で散発的な反抗が長期化するおそれもあるわけですか」
「いつまでも土佐にかかずらっているわけにもいきませんね」
晴持の指摘に、隆豊と光秀がそれぞれ補足を加える。
土佐国は反抗されると地理的に厄介な場所にあるが、直轄地にして治める必要があるほど豊かでもない。できる限り平穏無事に終えたいところであるので、長曾我部家に関しては穏健なやり方で手を打つ事にした。
「元親も含めて全員助命。その代わり大内家に臣下の礼を取り、人質なりなんなりを送ってもらうという事で手を打つか」
元親は土佐国内に勢力を広める際に、城兵を全員助命するなど、比較的穏当な方法で味方を増やしてきた経緯もある。その元親に対して、大内家が苛烈な処遇を降すのは、地元民からの評価を下げる事にも繋がりかねない。
少なくとも、元親を生かしておくほうが、後々大内家にとっても都合のいい結果になるだろう。
「それでは、その方向で調整しましょう」
隆豊が頷き、隆房と共に岡本城に向かった。
□
大内家から使者が来たと聞いて、元親は緊張に顔を引き締めた。
城内は沈鬱な空気が立ち込めていて、皆これまでにないほどに覇気がない。大内家の采配次第では、明日の朝日も拝めないというのだから当然であろう。
護衛を引き連れてやってきたのは、二人の少女であった。年の頃は元親と同じくらいだ。どちらも小柄で可愛らしい顔立ちをしているが、共に大内家に仕える将の中では代表格だ。
陶隆房と冷泉隆豊。
とりわけ、隆房は筆頭家老を務めており、この戦を指揮していたのも彼女であった。
「まさか、お二人がいらっしゃるとは思っていませんでした。わたしが、長曾我部家当主の元親です」
元親の左右には中島可之助と久武親信が控えている。当主の言葉に口を挟む様子もなく、ただ静かに流れを見守ろうという立場でいる。
「大内家筆頭家老の陶隆房です。戦場では、すでにお目にかかっておりますが、改めましてご挨拶申し上げます」
「大内家中冷泉隆豊です。以後お見知りおきください」
今回、正使は筆頭家老の隆房。そして副使として隆豊が長曾我部家に送り込まれたのである。二人は、礼に適った正しい姿勢で、決して元親達を侮るような仕草を見せる事なく挨拶を済ませた。
「今一度、確認しますが、長曾我部家は全面的に大内家に降伏するという事でよろしいですね?」
隆房が尋ねると、元親が頷いた。
「はい。長曾我部家は大内家に降伏します。以後は大内様の指図に従う所存。城内の兵の命だけは何卒、お助けくださいますようお願いいたします」
平伏した元親が、隆房に懇願した。
平坦な声色は平静を装っているからである。元親とて死ぬのは怖い。だが、一家の主として戦に敗れ、追い詰められたからには、最期を覚悟せねばならぬ時がある。
元親の言葉を確かめるように、隆房は一拍の時を置き、口を開いた。
「城兵のために自ら命を絶とうというのは真、天晴れなお覚悟。この隆房、感激いたしました。しかし、残念ながら、その要望にはお応えできません」
「ッ」
一瞬にして、元親の表情が険しくなった。
元親の命だけでは足りぬというのなら一戦に及んで華々しく討ち死にするまで。それは、事前に皆で確認していた事である。
「元親殿が腹を召される必要はございません。長曾我部家が、以後大内家への臣従を確約してくだされば、それで城内の兵の命お助けしましょう。もちろん、元親殿の存命が第一条件です」
「な……」
元親は絶句する。
死ななくてもいい、という事に安堵した自分を隠しながら、隆房に尋ねた。
「なぜ、そのような寛大な……」
「希代の将器をこのようなところで無に帰すのは惜しい、という事ではいけませんか?」
そう言われてしまうと、元親としてはなんとも言い返す事ができない。
うまく誤魔化されているようだが、大内側にも元親を失うと困る理由があるらしい。それが分かっただけでも、今後の身の振り方を考える事ができるようになる。
大内家の使者が帰った後、元親は思わずため息をついて肩の力を抜いた。
命の危機を脱した事で緊張の糸が切れたのである。
「元親、やったな! 一時はどうなる事かと思ったが、大内家に力を認められたって事だな!」
と、親信は手放しで元親の生存を喜んでくれた。
彼が言っている事も一理ある。元親が、何が何でも戦う気概を、一度は見せ付けたからこそ、今後の反抗を鎮圧する面倒を大内家が嫌ってくれたのであろう。
「それでも、領地は大幅に削られちゃったけどね」
「だが、本山を攻める前よりは大きい。長曾我部家歴代では最大版図だ」
大内家は元親が広げた領土の大半を削り取ってしまった。交渉の中で、なんとか長岡郡と土佐郡の二郡、香美郡宗我・深淵郷を安堵してもらったが、東の安芸郡、香美郡の大半、西の吾川郡、高岡郡は召し上げられる事となった。
長曾我部家は、領土を大幅削減される事になったが、それでも小大名を名乗れる程度には石高が残った。ざっと二〇〇〇〇石もあるのだから、領内経営は十分にできる。
「城内の兵達にも、この事は伝えないと。国許に残してきた者達にもちゃんと説明しないといけないし、気が重いよ」
「まあ、でも大内様に割譲した土地は、わたし達の支配に入ったばかりの地域ですし、支配が行き届いていなかった事も含めれば、打撃としては少ないほうだったのではないですか」
「確かに、国替えになるよりもずっとよかった」
不幸中の幸いだったのは、元親が地元を離れなくて済んだという事だ。それだけでも、立て直しにかかる労力は大きく変わる。
元親が長曾我部家を継いだ時は、長岡郡の中の一豪族でしかなく、石高も五〇〇〇石に届かない程度だったので、成長のすべてが無に帰したわけではない。
「それに、大内家の中で手柄を立てれば加増もありうるし、前向きに考えるしかないよね」
「その意気だ元親!」
「がんばりましょうね! 元親ちゃん!」
長曾我部家の新たな歴史はここから始まるのである。
一旦、躓きはしたものの、なんとか命脈は保った。これから、どれだけ前を向いて飛翔できるか。それこそ、元親に課された真の試練なのであろう。
□
元親が降伏した事で、長曾我部家の本拠地も大人しく開城した。
長曾我部家内部の戦後処理は、元親に一任するとして、問題になるのは長曾我部家から奪い取った所領の扱いである。
割譲させた土地には、大内家の家臣を郡代として派遣するなどして治める事になるのだが、高岡郡に関しては中々難しい。
というのは、この土地に生きる国人の多くは旧一条家の家臣達なのである。長曾我部家に最後まで従った者はどうにでもなるが、寝返ってきた者に関しては扱いが厄介だった。
「自分達は大内家に従っているわけではない、ね」
「申し訳ありません」
頭を下げるのは、隆豊であった。戦後処理で領地の扱いを決めた際に、高岡郡の国人達がごねだしたのである。隆豊が責任者として事に当たっていたのだが、一部の者が連合して城に兵を集め始めたという。
「盟主格だった津野家も滅んでしまったし、押さえが利かないと面倒だ」
津野家は隆房の別働隊が攻め落としてしまっていた。
生き残っていれば、説得に使えたかもしれないのにと少し後悔するも遅い。
しかし、実のところこれもまた予想の範囲内ではあったのだ。帰参した将兵が大内家ではなく一条家に帰参したのだという意識なのは百も承知であった。大内家が一条家の所領を幡多郡の中の一〇〇〇〇石に限ってしまえば、高岡郡の彼らは所領を失う事になる。大内家に従わないのであれば、敵対者として処理せねばならない。
ここまでが、晴持の計算であった。
「ならば、仕方ない。高岡郡の反抗勢力は鎮圧せねばならない。一条家にも使者を遣わし、彼らを義絶していただき、その上で一気呵成に攻め立てる」
元親との戦いで、兵力をすり減らした高岡郡の国人達が大内家に攻められて抗する事などできるはずがない。
そして、大内家の傘の下に入る事でなんとか所領を維持できている一条家が晴持の使者を無碍にする事もまた不可能である。
結果として高岡郡の国人達は、頼みとしていた一条家から縁を切られて孤立してしまい、瞬く間に大内勢に呑み込まれて消滅していった。
そして、この晴持の決断は、長曾我部家を許したのだから大内家は甘い、という土佐国に広がりつつあった風潮を吹き消すには十分であった。
これは安芸郡や香美郡のような東側にある郡に対しても抑止力としては十分な効果を発揮した。
大内家は実質、元親を討伐した一戦に全力を費やしただけで、土佐国の大部分を難なく制圧したのであった。
一月ほどで、土佐国内に漂っていた不穏な空気は消え去り、大内家の支配下に入る事となった。
「予定通りではあったか」
帰国して、義隆への報告を済ませた晴持は内心でほくそ笑んだ。
伊予国を落とした時、そして安芸国を落とした時。振り返ってみれば共に在野の国人達に慮って大内家の新たな所領は少なかった。伊予国に関しては河野家にすべてを任せているので、実質大内家の所領に変化はなかった。
土佐国で、最低でも一五〇〇〇〇石の増加があった事になる。これで、大内家の家臣達に少なからぬ加増をさせてあげる事ができる。
今回は長曾我部家を味方にし、大内家自身も土地を手に入れたという点では得るものの大きな戦だったのだろう。
惜しむらくは土地が痩せているという点だが、それには目を瞑るしかない。
久しぶりの屋敷は、少々手狭に思えた。戦場と違って、様々な物が室内に置かれているからであろうか。
日常の風景は、戦場での興奮を冷ますにはちょうどいい。
そんな中で山口の街に出ようと思い立ったのは、本当に偶々であった。
西の京とも称される山口の街を整備したのは、二〇〇年ほど前の当主である大内弘世であるという。そして、それをさらに加速させたのが応仁の乱当時の当主である政弘であり、その流れを継承しつつ、さらに発展させているのが現当主の義隆である。
こうして見ると、少なくとも大内家の京かぶれは二〇〇年にも渡って続いてきた事になり、ある種の執念すらも感じる。街並は碁盤の目のように区画整備され、治安を乱す輩は出て来ない。戦国の世にあって、平穏な日常が長期間に渡って確保されている珍しい例であろう。
特徴の一つとして、城がないのも上げられる。
大内家の本拠地でありながら、屋敷はあっても城が建てられていないのである。その強大さ故に、他国に攻め込まれた事のない大内家は、山口が闘争の場になるという機会が非常に少ない。内乱もここ数十年起きておらずそのため、防衛力よりも景観に主眼を置いた街づくりになっているのだ。
向かう先は、山口のはずれにある刀鍛冶のところだ。山陰は古代から製鉄業が盛んで、確かな技術を持つ職人が多い。
大内家はそういった職人達を雇い、技術の発展と伝承に努めている。
鉄砲は、晴持が全国に先駆けて秘密裏に導入し、大内家で実用化した近代兵器。今では種子島から堺に伝わってしまったが、大量生産体制が整うには時間がかかるようだ。
諸大名に先んじて鉄砲を導入した大内家が、他の大名に比べて鉄砲の保有量が少ないというのは問題になるので、諸大名が鉄砲を揃える前には、全国一の鉄砲保有国になってしまいたい。
「おや?」
人込みを掻き分けてある鉄砲鍛冶の下に辿り着いたら店先に長身の大男が立っているではないか。
「珍しい。こんなところで何をしているんだ、通康」
そこにいたのは、村上通康であった。西洋風のこてこての海賊衣装が、あまりにも場違いで目立っている。村上水軍のユニフォームと化しつつあるようで、次第にセーラーに近いモノに変わっていくのだろう。
女子なら許すが男は……などと考えていると、
「大内の若旦那。土佐遠征以来じゃねえか」
と、実に気軽に話しかけてくる。
「で、街中で何してんだ?」
「それはこちらの台詞だぞ。海の男が、瀬戸内渡って何をしている」
「そりゃあ、鉄砲をさ。見に来たんだよ」
鉄砲鍛冶のところにいればそれはそうなるだろう。特にこの店は完成品を扱うところだ。
「村上水軍も鉄砲を導入するんだな」
「ああ。それで、御屋形様にも許可は取ってあるぜ。そんで、あんたんとこのお嬢ちゃんに鉄砲の何たるかを教えてもらってたってわけさ」
通康が笑った時、店から出てきたのは光秀であった。
「通康殿。晴持様に対してその口の利き方はなんですか」
真面目な光秀らしい、咎めるような言葉だった。
「おう、相変わらずお堅いなぁ、嬢ちゃん」
「わたしには光秀という名があります。嬢ちゃんなどと言う呼ばれ方は好みません」
ツン、と突き放す光秀は、晴持に向き合って頭を下げる。
「お疲れ様です、晴持様」
「ああ、お疲れ光秀。通康はこういうヤツだから、目くじらを立てないでくれ。これで、いいヤツなんだよ」
「晴持様がそう仰るのでしたら」
光秀はしぶしぶという様子でこの件は不問にしたらしく引き下がった。
「この店は完成品しか扱っていないんだな。見れば、刀は作っているみたいだが」
「部品の組み立てが専門なのさ」
「ほう、組み立て。鉄砲に関しちゃ、それだけって事か?」
「ああ」
晴持は頷いた。
「従来の刀鍛冶は、自分の腕によりをかけて一本の刀を作ってきた。だから、それぞれの刀にはある程度の独自性が現れたもんだが、鉄砲はそうもいかない。細かい部品が多く、銃口と弾の大きさの関係もあるから、独自性を追及されても量が用意できないだろう。だから、それぞれの部品を別々の鉄砲鍛冶が作り、最終的に組み立てて商品として取り扱うようにしたんだ。銃口の大きさも規格を統一してしまったから弾も作りやすくなった」
それは、
「ところで、鉄砲を大量購入って事は、次の戦を見据えての事だな」
「おう。鉄砲は、弓に比べて使い勝手のいい武器だ。特に海の上では、固定できる鉄砲のほうが都合がいい」
揺れる船の上では、弓矢による狙撃も難しい。鉄砲であれば、道具を使うなりして銃身を固定する事もできるだろうし、あるだけで戦術の幅は広がる。
「海戦を想定した編制もありか。土佐も落ち着いたし、そろそろ海をどうにかしないとって頃だからな」
「そういうわけだ」
他国に攻め入るのはしばし小休止だ。予てからの懸案事項であった、倭寇をどうにかしなければ貿易に差し障るというので、大内家は頭を悩ませていた。
土佐国の仕置きが済んで、周辺諸国の動きも大内家に向かうものではないので、この機に海賊共の大掃除に乗り出そうというのだ。
「明や朝鮮との関係にも影響する重要な仕事だ。抜かりなく進めてくれよ」
「俺にも意地があるからな。海での戦で、海賊風情に負ける事はねえぜ」
お前も海賊だろう、というツッコミを晴持は封印した。
「場合によっては対馬を攻めねばならんかもしれんが」
「倭寇を匿うのなら仕方ないだろうな。宗家は朝鮮との窓口だから、極力敵に回したくはないが、まあ、そうなったらそうなったでどうとでもなる」
すでに大内家は単独で朝鮮との独自交易を行えるのだ。宗家は重要な家だが、戦力は弱小勢力も同然であり、討ち果たすのは容易だ。ただ、本州から距離が離れているので、敵として認識されなかったから生き残れただけの事だ。
「光秀、烏の調練は進んでいるか?」
「はい。そろそろ、鉄砲を用いた狩りでもしようかと思っているところです」
「なるほど。農作物に害を為す動物なら、如何様にもしてくれていい。あ、そうだ。その狩り、俺も見に行こう」
「え、晴持様がですか?」
「ああ、俺が指示してやらせているわけだしな、どの程度になったか、実際に見ない事には何も始まらん」
猪肉とか食べたくなったという思いも、多分に含まれている申し出だったが、光秀は戸惑いながらも了承してくれた。
「なんだ、俺達が倭寇を討ってる間に若旦那は狩りかよ」
「知らなかったか? 俺は、実は結構良い御身分なんだぞ」
晴持と通康は尚も軽口を叩きあい、光秀は時折口を挟む。そんなやり取りを続けて、晴持は、日暮れまで街中を散策したのであった。
光秀は友だち集団の後ろのほうを歩きつつ、人の会話に相槌を打っていくタイプだと思った。
だけど会話の中心には入れない、みたいな
伊予の石高でご意見をいただきましたが、ここでは戦国末期の太閤検地で三六万石ほどが試算されていたので、切りよく三五万石とした次第です。それ以前の伊予の石高は、手元に資料がないので分からなかったです。