大内家の野望   作:一ノ一

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その二十六

 神屋寿禎は博多の豪商である。

 貿易業で頭角を現し、大内家の庇護の下で勘合貿易に深く関わった。

 そんな彼は、大内家という強大な出資者を頼みとして一つの歴史に名を残す偉業を成し遂げた事がある。

 石見銀山を世界屈指の鉱山へ成長させたという事である。

 貿易業によって外国の技術者に触れる機会の多かった寿禎は、石見銀山に灰吹法をもたらし、銀の生産性を飛躍的向上させたのである。

 石見銀山に灰吹法がもたらされたのは、大内義興の時代である。それから今に至るまで、銀山経営は安定していたわけではなく、度々小笠原家や尼子家による襲撃を経験してきた。

「先主様はよき跡取りを持たれたようですな」

 山口を訪れた寿禎は、先代からの縁によって義隆との面会を許され、茶を喫しながら談笑した。

 寿禎の力は大内家にとってなくてはならないものであり、同時に寿禎にとっても大内家は最大のパトロンだ。両者が両者の利益のために力を尽くす関係にあるのだから、関係は常に良好でなくてはならない。

 寿禎からの多数の贈物を受け取った義隆は、気前よく彼にも様々な逸品を下賜する。

「石見も経営も安定して行えるようになりました」

「小笠原がいなくなったのだから、しばらくは安泰でしょう。尼子も、今は東に目を向けている事だしね」

 今の状況は、大内家にとって非常に都合のよいものとなっている。

 石見国内に燻っていた独立性の強い国人達は大方一掃され、宿敵である尼子家は大内家の領内に目を向けていない。その機に乗じて伊予国と土佐国を平定するに至った義隆の政治手腕を、寿禎は高く評価している。

 若くして義隆が跡を継いだ時は、果たしてどうなる事かと不安にもなったものだが、今ではその心配も杞憂に終わってくれたようで安心できた。

 先代があまりにも偉大だった上に、義隆をどうにも頼りなく見える部分もあったのだから、不安を抱くのも仕方なかったかもしれないが。

「今更ですが、九国が、少々きな臭い事になっておりますな」

「本当に今更ね」

 義隆は苦笑する。

 九国の問題は、島津家の台頭の一言に表される。

 日向国をあっさりと落とした意外性。寡兵を以て大兵を討つ凄まじい戦術。島津家の四姉妹がそれぞれの得意分野を活かして大進撃を続けた結果である。

「今は、大友様が防波堤となっておりますが、はてさてどうなる事か」

「大友が負けるとでも? さすがに、相手は南端の勢力でしかないのよ?」

 大友家は古くからの宿敵の一つだ。北九州の少弐家を没落させた今、大内家にとっての敵は東の尼子家と西の大友家の二つである。

「その南端の勢力が、瞬く間に九国のうちの三カ国を奪い、さらに肥後にまで食指を伸ばしておるのです。島津家の結束は固く、しかし大友家は……」

「南蛮神教にかぶれて家中の和が乱れているらしいわね」

「如何にも」

 頷く寿禎の前で義隆は腕を組んだ。

 頭ごなしに南蛮神教を否定する義隆ではない。布教を認めた事もあるし、今でも山口の一画には南蛮寺が建立されており、信徒を増やしている。

「大友様の傾倒ぶりは常軌を逸しております。領内の寺社仏閣を破却し、多くの者を異教徒と見なして処罰されました。博多にも、危難を逃れてきた者が多数おります」

「そう。分かったわ。重矩に博多の警備を増強するよう伝えるわ」

「ありがとう存じます」

 重矩は、大内家の重臣であり筑前国で守護代を務めている杉重矩の事である。

 大友家が逃れてきた仏僧などに兵を差し向けるというのであれば、大内家としてもこれを撃滅する必要がある。

「まあ、博多は九国でも最大の貿易都市だし、いくら大友でも手出しはしないだろうけど」

 商人との協力は戦国大名にとって必要不可欠だ。貿易都市を焼き払うなどという事になれば、その後の収入に大きく関わってしまうし、その後の領国経営に大きな支障となる。

「博多はわたし達にとっても最重要都市。大友だろうが龍造寺だろうが、手出しはさせないわ」

「心強い限りです。義隆様のお言葉だけで、我々は日々を健やかに過ごせます」

「大げさよ」

「四国にまで手を伸ばす大内家は、かつてないほどに身代が大きくなられました。御身のお言葉だけでも、多くの勢力は戦う気概を失いましょう」

「わたしの力だけじゃないわ。隆房や隆豊、それに晴持。その他多くの家臣に支えられて大内家は成長してる」

 義隆の言葉に、寿禎は僅かに表情を変えた。意外そうな、それでいて面白そうな顔である。義隆はそうと気付かなかったのか、それとも敢えて無視したのか何も言うことはなかった。

 歳若く、優れた血筋に生まれると、他者を侮る心を育ててしまう事が往々にしてある。自分を世界の中心に据えて周囲を省みない気質は英傑が持つ特質であるが、それ故に己を破滅に導く可能性を大いに秘めたものともいえる。

 なるほど、義隆は戦場には出ないし、槍も振るわない。

 英雄豪傑と呼ぶには、聊か以上に武勲がない。だが、その一方で優れた名君であるらしい。

 この戦国の時代、尊王賎覇は夢のまた夢。王道を行く者は、覇道を行く者によって淘汰されるのが世の定めであるが。

 己は王道を体現しながら、家臣を以て覇道を示す。

 意識的に文武を使い分けている。それが、大内家の強みという事であろうか。

 覇の中核を為すのは、間違いなく大内晴持であろう。

 四国を征伐する手際といい、なかなかの名将だが、この人物も大内家の今後を左右する要注意人物だ。例えば、これから先義隆に子どもができたとして、大内家の家督を継ぐのは果たして晴持かまだ生まれていない子のほうか。

 義興から義隆へは、それまでの家督継承争いの歴史が嘘のように実に穏便に家督が継承されたが、年若くして他家から養子を取った選択が、果たして吉と出るか凶と出るか。

 京の細川家の内訌を見ても、養子というのは家の安泰を約束するものではない。まして、これから先に子どもが生まれる可能性のある人物が養子を取るのは、愚策としかいえない。何を思って晴持を養子入りさせたのか、理解に苦しむところだ。

「晴持様は、お元気ですか? 四国での戦振りは拝聴しましたが、なかなかに手強い相手だったようですな」

「そうね。晴持もそろそろちゃんと休みを取らせないといけないわね。まあ、その話もこれからしようかと思っているのだけど、あの子に倒れられるわけにはいかないものね」

「ずいぶんと気にかけておられるようですね」

「当然、なんたってわたしは母であり姉でもあるからね」

 何一つ気負う事のない返答に、当面は心配する事もないかと寿禎は判断する。

 姉と弟の仲は頗る良好なようだ。

 一族で相食む世の中にあって、そのあり方は眩しく見える。

 それこそ大友家のように、一族と重臣が二つに分かれて殺しあうような凄惨な悲劇を迎えるような家は、協力関係を結びにくい。

 ならば家の内にも外にも問題のない、上がり調子の大内家とは、まだまだこれからも付き合いを続けていくべきであろう。

 それから、さらにしばらく会話を楽しんだ後で、寿禎は屋敷を辞す事にした。

「本日は、非常に有意義な時間を過ごせました」

「こちらこそ。あなたからの情報は大いに役に立つわ」

「そう言っていただけるのは望外の喜びです。私は、この足で博多に戻りますが、対馬の件も含めて、大友と龍造寺の動きを探っておきましょう」

 九国が荒れている間に、大内家は対馬に船団を送った。対馬は銀山を有するとはいえ、その産出量は微々たるもので、朝鮮との窓口という点からも宗家を亡ぼすのは悪手だ。しかし、同時に倭寇の根城にもなっている事から貿易への悪影響を避けるために、本腰を入れて倭寇の殲滅に乗り出したのである。

 水軍を外に向かわせた以上、それが戻ってくるまでは大規模な戦はできない。九国の荒れ様は、大内家の隙を突けるほどの余裕を失わせているが、万が一もある。博多を守るためにも、大内家には大友家と龍造寺家の情報を流しておく必要があった。

「ああ、少し待って」

 立ち上がる寿禎を義隆が呼び止める。

「護衛を就けるわ。あなたに何かあっては困るもの」

「義隆様の領内で何かあるとは思いませぬが、そうしていただけると安心です」

 頬に刻まれた皺をさらに深くして、寿禎は微笑んだ。

 この少女が、父の偉業をさらに輝かせるのかと思うと、幼い頃から知っているだけに、感慨深いものがあった。

 寿禎は義隆が呼び出した護衛に伴われて山口を去り、博多への帰路についたのだった。

 

 

 

 □

 

 

 

 振り返ってみれば、大内晴持の功績は大内家中に於いても比類ないものであろう。

 安芸国の安定に始まり、伊予国の制圧と土佐国長曾我部家の屈服。大内家は、これまでにも山陽山陰における最大勢力として室町時代を通して君臨してきたが、四国にまで手を伸ばした事はなかった。それを思えば、急速に版図を広げた晴持の力は評価するに値する。

 無論、そこには後方で様々根回しを進める義隆の人脈と政治的感覚や最前線で戦う多数の家臣に支えられたものであるものの、軍事面に関しては晴持の存在が、大内家にとって極めて重要な位置付けになっているというのは無視できない。

 そのようにして、三カ国を転戦してきた晴持は、指揮官としての日々に加えて産業振興や農業生産力向上といった領国の地力を底上げする政策にも関わっており多忙な日々を過ごしていた。

「……重要なのは、最後まできちんと発酵させる事で、そうしなかったり、そもそも発酵させないで直播きすると、最悪根腐れを起こす要因にもなってしまうので、注意が必要だ」

 紅葉が目に眩しい秋晴れのある日、晴持は土佐国からやってきた中島可之助とその家臣達に対して講釈をしていた。主に、堆肥の作り方と利用法、そして実践した結果についてであった。

 『西の京』とまで呼ばれる山口も、一歩外に出れば山野や田園が広がる風景に切り替わる。収穫の季節を向かえ、たわわに実った黄金色に輝く稲穂が頭を垂れている。

 ここは、晴持が領主として治める村である。ここは実験施設を兼ねており、年貢の一部軽減と引き換えに、晴持が取り入れた堆肥や外来の野菜などを育成し、その結果を小まめに纏める職務を担う。身分としては半士半農で、戦時には兵として優先的に晴持の部隊に動員されるという側面も持っている。

 このような実験村落を晴持は山口の近郊にいくつか所有しており、少ない面積で多くの収入を得るために、堆肥や農具の研究と普及に力を入れていた。

 そもそも肥料の利用自体は、古くから行われている。

 草木を梳きこむのは古代から、人糞尿の利用も室町時代にはある程度行なわれていたという。しかし、堆肥として使用するというのは、正史では江戸時代を待たねばならなかった。

 晴持が僅かに先取りした事で、大内家の領内では堆肥作りが各農村で行われるようになっていた。

「もちろん、肥料として使うだけでなく、衛生管理にも寄与している。汚い状態を放置しておくと、伝染病の温床にもなるからね」

 晴持は説明をしながら、肥溜めから歩を進め、倉庫の扉を開ける。

「なるほど。と、……これが噂の」

 可之助が興味深そうに見つめる先にあるのは、大きな木製の箱であった。

「知っているのか?」

「はい。噂程度ですが……」

 それは、所謂唐箕と呼ばれる代物である。かつて、冷泉隆豊と初めて出会ったときに試作していたものの完成形であり、山口の近郊にはすでに普及している晴持考案――――という事になっている農具の一つであった。

 脱穀した後に、籾殻や藁屑を風を起こして吹き飛ばし、残った穀物だけを回収するための農具であり、それ以前の塵取りのような形状の箕に比べて必要な労力は格段に減っている。

 この農具が開発されるのは、本来であれば、明の末期であり、日本に紹介されるのはさらに後、十七世紀の後半になってからである。今は本場の明にも存在しない農具のために唐箕などという名前で呼ぶ者もおらず、周防国発祥という事から自然と『周防箕』あるいは『大内箕』などという呼び名が定着つつあった。

「晴持様がお考えになられたと聞きましたが?」

「先達の教えを自分なりに再現した結果だ」

「『温故知新』を実践されているという事ではありませんか。すばらしい事だと思います」

 可之助は視線を周防箕に向ける。

 農家が最も忙しいのは、田植えの時期と収穫の時期の二つだ。特に、戦国武将の多くが農民から兵を徴用しているので、農繁期は戦をする事ができないという恒常的な問題を抱えていた。それに対処しようという試みの一つが、長曾我部家が取り入れた一領具足の制度なのだが、それでも兵達が完全に農作業から切り離されているわけではない。

 結局、一領具足では、戦における戦力の底上げと動員速度の向上は果たせても、農繁期の動員力低下を解決することはできなかった。

 戦国武将の戦力が農民の動員数に因るところが大きいというのなら、農作業の効率を飛躍的に上昇させる農具の発達は、そのまま御家の地力向上に直結するといえる。

 可之助は山口にやってきてその繁栄ぶりに度肝を抜かれたが、それでも公家に傾倒しているといわれる大内家に武門の意地を見せてやろうという気概は持っていた。

 が、しかし、公家文化のみならず、こうした足元を固める努力の一つひとつが長曾我部家の先を行っているのだと思うと、愕然としてしまう。

 そもそも、一条家の血を引き、大内家で育った人物が、農具の開発や堆肥作りに力を注いでいるというのに違和感を覚える。

 血脈と育ちの割りに、思考が平民よりなのだ。発想は奇抜ながら、千歯扱きや周防箕、そして堆肥とこれまでに見せ付けられたものはどれも合理的で農民の生活に即したものとなっている。とても、公家的な生活の中で浮かぶ発想ではない。一体全体、どこからこのような知識や発想を得ているのだろうか。

 気になった可之助であったが、あまり深入りすべきではないと割り切って言及する事はなかった。

 その代わり、

「何故に、わたし達にこれほどのモノを教えていただけたのでしょうか?」

 と尋ねた。

「何故に?」

「我々長曾我部は、つい先日まで大内様に対して槍を向けていた家です。これらの技術は、いずれ広まるにしても、他家に伝わるのは極力避けるべき技術ではありませんか?」

 太平の時代ならばまだしも、戦乱の時代において農業生産力はそれだけで戦力の向上に繋がるのだから降ったとはいえ新参者の長曾我部家にここまでの情報開示がされるという点に違和感を覚える。

 大内家が長曾我部家にどのような感情を抱いているのか、それを探るのも可之助の役割であった。

 問われた晴持は、少し悩んでから口を開いた。

「長曾我部家には土佐の押さえの役割を期待している」

「一条家ではなく、長曾我部家が、ですか」

 晴持の答えは簡単ではあったが意外なものであった。

 可之助が尋ねた通り、土佐国には大内家と縁深い一条家がある。先の戦でも一条家を救援する名目で土佐国内に軍を進めたのではなかったか。

「一条家には戦から遠ざかってもらわねばならないからな。彼らには国司の仕事に専念していただく。それに、武略では長曾我部家のほうが優れているのは明白だしな。いざという時に頼みとすべきがどちらか、言わずとも明らかだろう」

 これは、晴持の偽らざる本心であった。長曾我部家は時の運に見捨てられなければ、四国を統一して天下を窺うだけの力のある家である。味方に取り入れ、適う事ならば完全に臣従していてもらいたい。

「そう、ですか」

 晴持の言葉を額面通りに受け取る可之助ではなかったが、少なくとも大内家が長曾我部家に対して騙し討ちなどを仕掛けて土佐国の完全制圧を望むなどといった野心があるわけではないと分かっただけでも安心できると判断した。

 大内家は長曾我部家に利用価値を見出しており、それを遂行させるために土佐国を可能な限り豊かにしようとしてくれている。

 度重なる戦に疲弊した国土を回復するにはやはり大内家の支援が必要なのであった。

「近く、伊予では魚油の生産をする予定だ。そしたら、その搾り滓からまた別種の肥料を作れる。まあ、土佐は山がちな地形だし、それを使うよりも落ち葉を利用したほうがいいかもしれないけどね」

「はあ……」

 可之助は生返事しかできなかった。文化水準というのか、前提とすべき知識を共有していないがために、話に付いていく事ができないでいたのだ。ただ、分かっている事は、大内家の知恵を利用すれば土佐国の生産性が上昇するであろうという事だ。

 晴持は周防箕を軽く叩く。内部が空洞になっているので、思いの他よく音が響いた。

「長曾我部家にもコイツを送ろう。土佐の生産性が上がってくれるのであれば、こちらとしても助かるからな」

「本当ですか!? ありがとうございます!!」

 晴持の言うとおり、長曾我部家の農業効率が高まれば一領具足が真価を発揮する機会も増える。秋期の徴兵も多少はしやすくなるというものだ。

「もしも、次に戦が起これば、場合によっては長曾我部家にも出てもらう。その覚悟はしておいて欲しい」

「はい。それは、もちろん心得ております」

 可之助は大きく頷いた。

 大内家に従属している以上は、長曾我部家は大内家の先陣を切る覚悟を持ち続けなければならない。農業面でも、多大な支援をしてもらえるというのだから、これに対してもきちんとした誠意を見せる必要がある。

 長曾我部家を再び土佐国の雄とするには、大内家の中で手柄を立てるのが現実的な選択肢。ならば、先陣くらい喜んで切らねばなるまい。

 ともあれ、収穫はあった。

 次の年からは、大内家から送られる農具の自家生産と堆肥などの推進を提言することとしよう。もちろん、それが土佐国の土にあるのか否かも確認しながらではあるのでそれなりに時間を要するのだろうが。

 

 

 

 

 □

 

 

 

 農繁期を迎えて、全国各地で戦が小康状態となったある日の事である。

 山々は色づき、紅と黄のコントラストが空の青と世界を二分する。うろこ状の雲がゆっくりと空を漂う中で、晴持は大内家の菩提寺である凌雲寺にやってきていた。

 山口の街から北西に登った山間の地で、周囲は開けているものの、東西には川が流れており、その上流から延びる台地の上に建っているので、それだけでも堅牢な砦としての役割を果たせる。

 先代大内義興が、建立した寺で義興の墓もきちんと立っている。

 石垣は、大きな石を積み上げてその隙間を小石で塞いだもので、朝鮮的な構造となっているのが特徴である。

 台地の下には田が広がっているものの、この盆地は狭く周囲は山に囲まれている。山口方面に向かって、開けていくというような地形である。

「若様も、しばらく見ないうちにずいぶんと立派になられましたな」

 客殿で碁盤を挟んで向かい合い、碁を打つ。

 陽光を反射する頭部が眩しい、老僧である。

「そうだろう。最近、よく言われる」

 言葉とは裏腹に、渋い表情を浮かべながら黒の石を置く。

「それでも、こちらはまだまだですな」

「む……」

 住職の老僧は、手加減という言葉を知らないらしい。

 会うたびに碁の勝負を挑むも、未だに一度も勝てていない。この時代は娯楽に乏しい上に、囲碁もまた頭を使ういい練習になるという事で、暇を見つけてはやっているのだか、彼と一戦に及ぶとその努力がまだまだ足りていないという事を思い知らされる。

「相変わらず、えげつないやり方ですね」

「それを仰るのなら、若殿こそ。最近は方々に名を売っているようで。英雄色を好むとは言いますが、羽目を外してはなりませんな」

「好色ジジイに言われたくないな。仏法だけは破らないでくださいね、ほんと」

「何を言う。乙女を愛でるのもまた修行。煩悩を追い払うためには、煩悩に気付かねばならんのです。乙女を遠ざけて、如何にして煩悩の何たるかを悟るというのか」

「その発想がすでに煩悩に塗れてるっつってんだよ」

 晴持は呆れながら石を置く。

 ここまで来たのだから勝利はできないまでも、一矢報いるくらいはしなければ。

「そう仰る若殿の周りにも、見目麗しい乙女が増えているではありませんか。あの烏の組頭。明智殿でしたか。絵に描いたような仕事人という感じですが、それがまた熟れる前の果実を思わせて高評価ですな」

「とりあえず、射殺されないように気をつけてください。鉄砲の間合いならばどこからでも撃ち抜けますので」

「鉄砲のう。あの胡散臭い鉄棒がそこまでのものですか」

「胡散臭さが服を着たような御老体にそう言われるとは、鉄砲が可哀想です」

「言うようになりましたな、と」

「む……」

 老僧が追い込まれていた晴持に止めを刺して、対局は終了した。

「お手柔らかにとの願いは届かずか」

「『柔能く剛を制す』とも申しますな。若殿はまだまだ真っ直ぐに過ぎるのですよ」

「屁理屈を。上手く言ったつもりですか」

 人好きのする、子どものような笑みを浮かべる老僧は、してやったりと満足げだ。

 老僧と晴持との対局が終わるのを見越していたかのように光秀がやってきた。珍しく、衣服の色を黒で纏めている。『烏』の部隊を率いる者というイメージを形にしたのであろう。

「晴持様。こちらは準備が整いました。いつでも、狩りに出る事ができます」

「あ、そうか。分かった。すぐに行く」

 このような好色ジジイに感けている場合ではなかった。

 鉄砲による狩猟を通して、これまでの訓練の成果を確認するのが最大の目的であった。秋は実りの季節であると同時に、農作物を食い荒らす害獣との戦いの季節でもある。狩猟は、最近報告が多くなった害獣を駆除しつつ訓練を施す事ができるという二重の目的を設定した上で行う事になっているのだ。

「おう、お嬢さん、その仕事が終わったら一緒に遊ぼうじゃないか」

「坊主。あんたは黙っとれ」

 背後から光秀に声をかける老僧に、晴持はすげなく言い放つ。

 客殿から退出した晴持に隣を歩く光秀が話しかけた。

「よろしかったのですか?」

「何が?」

「お坊様にあのような事を仰って」

 光秀が気にしているのは、晴持の去り際の言葉が坊主に使うには乱暴だったのではないかという事なのだが、晴持はあの老僧、というよりも怪僧に近い男に対しては容赦がない。かつては尊敬していたような気もするが、ニョ色に惑いすぎるエセ坊主だという認識を抱いてからは、比較的雑な扱いをしていた。

 もちろん、その根底にあるのはある種の信頼関係である。気心が知れているからこそ、気楽に話ができるのだ。

 そのような事を説明しつつ、

「光秀もあの坊さんには気をつけてくれ。何をされるか分からないからな」

「はあ……」

「隆房の尻を触って、きつい一撃を貰ったのに、まったく懲りない。彼を前にして隙を見せるとどこに手が伸びるか」

「気をつけます」

 光秀は表情を引き締めて言った。

「しかし、そのような不真面目な方なのに、どうしてここの住職を?」

「ああ、そりゃ、あれで優秀だからなぁ。欠点も、あそこまで突き抜けると愛嬌になる」

 あの老僧は、仏典のみならず四書五経にも秀でており、漢詩もできる。それだけ学があるから、大内家の家臣に対して講釈をする事もある。

 仏僧の質が低下し、仏教と神道の区別もつかないような者が横行する世の中にあって、基礎を充実し、正しい知識を積み重ねた仏僧はとても貴重なのだ。

「日暮れまでにどれだけの害獣を駆除できるかだ」

「仕留めた後はどうしましょうか?」

「もちろん今夜の食事にする。あまりに多くの肉が余るような事があれば、干し肉にしてこの辺りの家に配ればいいんじゃないか」

 対象となるのは、主に鹿と猪と熊。猿の肉を食べるという発想がないし、鉄砲の音で十分に威嚇効果があるだろう。

 晴持は改めて誤射に注意するように言い含め、鉄砲を標準装備とした新設部隊として再編した『烏』を送り出したのであった。

 

 

 

 

 □

 

 

 

 

 現在の九国は、主に三つの勢力によって分割されている状況である。

 一つは、大友家。

 九国でも最大の繁栄を誇る名門であり、鎌倉時代に初代当主の大友能直が豊後国及び筑前国の守護に任じられた事で九国との縁を結び、三代目当主大友頼康の代になって、九州に下向したという。

 二つ目は、龍造寺家。

 出自は明らかではないが平安時代の公家である藤原道隆の流れを汲むという。

 肥前国佐賀郡の国人として、千葉家に仕えていたものの、後に少弐家に仕えるようになり、大内家との戦いを征した事で自立を始めた。少弐家が勢力を後退させると、これを討ち、戦国大名の階段を上り始めたのである。

 三つ目は島津家。

 大友家と同じく鎌倉時代から続く九国の名門であり、最南端の薩摩国を拠点とする勢力だ。

 初代では薩摩国の他にも大隅国、日向国の三カ国の守護を兼ねた一大勢力であった。三代目が元寇を機に下向したという点や源頼朝の末裔であるという伝承がある点は、大友家と同様だ。

 

 この三つの家が、九国で一国以上を治めている大勢力である。

 とはいえ、戦力が拮抗しているとは言い難い。

 保有する国の数では島津家が最大数である。大友家や龍造寺家は、それぞれ豊後国と肥前国を治めているに過ぎず、近隣国への影響力を有していながらも、正しくその全体を統治しているとはいえない状況だ。

 当然、国境に位置する国人は、二つ以上の勢力の間で困惑する事になる。

 こうした現状を考えると、最も強大な勢力へと成長したのは最南端にいたはずの島津家と言えるのではないだろうか。

 

 それでも、戸次道雪は、大友家が劣勢であるとは思っていない。

 島津家は潜在的には大友家を凌駕する力があるだろう。だが、大友家には豊後国という豊かな土壌があり、周辺諸勢力を繋げる交渉力がある。

 島津家の急速な台頭は、脅威の一言でしかないが、その結果北九州の諸勢力の団結を促し、大友家の発言力を上昇させたという面もあったのである。

 龍造寺家との関係も一言では表せないくらいに複雑ではあるが、島津家を脅威とする方向性は一致しており、肥後国の相良家や阿蘇家などは、すでに大友家と馬首を揃えて対島津戦線の構築を強めている。

 島津家も、新たに獲得した日向国を完全に掌握しているわけではあるまい。

 今のうちに、諸々の勢力と繋がりを深めて大友家を盟主とする島津包囲網を構築する事が、大友家の九国制覇への近道だと考えている。

 

 そのためには、まず、島津家と繋がり謀反を企てた国人を掃討し、足場を固めなければならないのだが。

「難儀な事です」

 道雪は、ため息をつく。

 目前に聳える立花山は、大友家と大内家が激戦を繰り広げてきた最前線。博多を見下ろす要衝である。幸いにして、大内家から守り続けてこられたが、博多の支配権は未だに大内家にあり、かといって博多を無理矢理奪還しようとすれば、商人達が挙って大内家に就く事になるという難しい状況を象徴する山である。

「道雪様。大内家に動きはありません。博多の周囲に一軍を配置しているようですが、こちらに向かう様子はありません。どうやら、静観する構えのようです」

「そうですか。ありがとうございます」

 差し向けた物見が戻ってきて報告した。

 大内家との国境に位置するだけに、彼らの動向は道雪の進退を左右する重大事。あるいは、立花山城と好を通じていたのではとも疑ったがその様子はない。

 彼らにとって、この城は博多の安全を保証する上で重要な意味をもつはずだ。それを、敢えて無視するというのは、果たしてどのような意味があるのか。

 道雪は一抹の不安を覚えながらも、着々と立花山城への圧力を強めていった。

 

 

 

 □

 

 

 

 ひんやりとした空気が漂う、薄暗い室内。ガラス窓から入り込む光は、十字型の影を床に映し、舞い上がる僅かな埃が光を反射して粉雪のように輝く。

 そこは、教会であった。

 近年急速に信者を増やしている南蛮神教が、最も隆盛しているのが大友家が支配する豊後国であろう。何せ、当代の当主である大友宗麟は、根っからの南蛮神教の信者であり、その権力を利用して国内の寺社仏閣を破却して回るという前代未聞の暴挙にでたくらいである。

 これにより、豊後国内の知識人は挙って大内家に庇護を求めて散っていくという事態となった。

 金色の髪と日本人離れした美貌が目を引く。

 大友宗麟。

 豊後国の支配者にして、南蛮神教最大のパトロンである。

 

 一家の当主としては、なるほど宗麟も一廉のものがある。

 武力は並以下であるが、その頭脳は大友家の家中でも上位に位置するであろう。政治的感覚にも秀でている。

 動乱こそあれ、先代から肥沃な領土を継いだ宗麟は、大友家の地盤を固め、他国に軍を差し向けるなど精力的な活動を見せている。

 そのような中で、彼女がであったのが南蛮神教であった。

 戦乱に荒れ果てた世の中。親兄弟で相争ったかつての自分。既存の宗教に救いを見出せなかったのか、宗麟は瞬く間に南蛮渡来の神教宗教に魅入られた。

 この風潮は、大友家の領内に小さからぬ波風を立てる事となった。

 

 大友家の繁栄の兆しだと、喜ぶ者と、

 大友家の破滅の予兆だと、恐れる者と、

  

 二つに割れた領内は、今前者の意見に傾きつつあった。

 対立する意見に耳を傾ける事が、宗麟にはできなかったのだ。

 旧来の宗教を排斥し、自分の色で領内を染め上げる。少なくとも、領内に関してはある程度の成功を見たといっていい。

 それだけの力を発揮できた事が、皮肉にも宗麟が未だに強い権力を握っているという証拠になってしまった。

 彼女は胸に十字を切り、厳かに礼拝する。

「よろしかったのですか?」

 礼拝堂は恐ろしく静かだ。声もよく響く。背後から宗麟に問う声は、彼女の耳にもはっきりと聞こえたであろう。

「なんの事でしょう」

 宗麟は、伏していた顔を上げ、振り返る。

 そこにいたのは、彼女の側近の一人、志賀親守であった。

 『二階崩れ』と呼ばれるお家騒動の後に、宗麟の家督相続に尽力した人物の一人である。

 無精髭を生やした様は、いかにもだらしなく見えるが、こう見えて真面目な男である。この髭も手入れを怠っているのではく、常軌を逸した多忙に原因があった。

「此度の日向入り。道雪殿は反対しておられました。道雪様がいらっしゃらないうちに、島津と雌雄を決するのは……」

「もう決めた事です。すでに、聖戦の用意も完了しているのですから、今更撤回などできません」

 日向国に兵を差し向けるのは、時期尚早だとして反対する者も多い。宗麟に意見する事のできる戸次道雪はその筆頭でもあるが、今は立花山城の制圧に赴いているため不在だ。

「道雪には苦労をかけます。足が不自由になって間もないというのに、立花山城の攻略という大事を任せてしまいました」

「道雪様でなければ、あの要害の地を攻略する事は難しいでしょう。それに、大内家への牽制も必要です。そのご判断自体は、間違いではないかと」

 道雪が雷に打たれて歩けない身体になったというのは、大友家にとって大打撃となるはずだったが、蓋を開けてみれば、道雪は驚くべき早さで職務に復帰し、戦にまで出るようになった。依然として足が動かないが、指揮官にとってはさして重要な事でもないと、彼女は割り切っているようだった。

「主が道雪に光をもたらしてくだされたのでしょう。わたしも時間を見つけてはこうしてお祈りを捧げていた甲斐がありました」

「…………せめて、道雪様が立花山城を落としてからでも、遅くはないのでは在りませんか?」

 大友家の動員兵力は、五〇〇〇〇に達する。しかし、それは緊急時に農民まで掻き集めた場合の数で、通常の戦に連れて行けるのは、二〇〇〇〇人ほどだ。それでも、大国である事に変わりはないが、今回の島津討伐戦に掻き集められた兵数は四〇〇〇〇人にもなる。この戦に宗麟が並々ならぬ意欲を見せている証左であるが、同時に大きな危険を孕む行為でもある。本拠地の守りが手薄になったり、多額の金を流出したりする事で、今後の大友家の経営に影を落としかねないのである。

「心配はいりません。島津家は日向を押さえ切れておらず、薩摩大隅の国力は低い。動員兵力はこちらが上です。伊東家を救援し、聖都を築くという大義もあります。何も恐れる必要はありません」

 宗麟の決意は固い。

 日向国は、宗麟が排斥する旧来の宗教がのさばる地である。島津家の追い出された伊東義祐が仏教へ深く傾倒していた事もあって、仏教の影響力が強く、また神代から続く高千穂信仰もあって南蛮神教は苦戦続きである。

 宗麟がなんとしても日向国を手中に収めたいと願っているのも、こうした宗教的な事情が背景にあった。

 主への忠節と南蛮神教への不信感の狭間に揺れる家臣団を尻目に、宗麟は我が道を行く。

 『賽は投げられた』

 さらに、問答を続けたのなら、宗麟は南蛮の故事を引き合いにして話を打ち切ったであろう。

 本当に今更だ。

 これ以上の問答に意味などなく、親守自身も解決になるとは思っていない。ただ、どうしても口にしなければ収まりがつかなかったのである。

 日向国を手に入れたとして、その後そこに南蛮神教の拠点が建設されてしまえば、大友家を頼った伊東家の面子は丸つぶれだ。島津家ではなく、伊東家が仏教勢力の庇護者として反乱に加わる事となろう。高千穂を中心とする神道も後を追うように大友家に反抗するのは目に見えている。

 かといって、今、大友家が攻め込める領土は日向国以外にないのが現状だ。北九州は対島津で固まっており、兵を向けるなど言語道断。その上には大内家がいて、手を出せば島津家と挟まれる。大友家が勢力を広げていくには日向国に兵を向けるしかないのである。

 故に、日向国の攻略という戦略目標は間違いではない。

 ただ、時期と目的が現状にそぐわないというだけで、方向性だけは正しいのである。

 いったい、どうすればいいのだろうか。

 親守が欲する答えは、暗闇の中に埋もれて見える事はない。けれども、大友家が今までにない試練に直面しているという事実だけは、ひしひしと感じられたのであった。

 

 




でかい研究発表が終わって燃え尽き症候群もどきでした。もっとも、これから卒論をどうにかしなけりゃならんのですが。

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