大内家の野望   作:一ノ一

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その二十八

 龍造寺隆信は肥前国に根を張る龍造寺家の当主である。

 武勇に秀でるものの、驕りやすく、血気盛んで短気と性格的に難があるのが欠点だ。

 顔立ちは美しい女性ながら、その戦振りから「肥前の熊」とまで呼ばれるほどなのである。

 龍造寺家は、九国三強の一つに数えられる家だが、他の二家と異なり下克上によって成り上がってきた新参者であり、肥前国内に未だ、多くの敵対勢力が蠢いているのが目下の悩みであった。

 龍造寺家のかつての主家は少弐家であった。

 しかし、隆信の曽祖父が勢力を増すと共に少弐資元を裏切り、大内義隆と好を通じて独立を図った事で龍造寺家の命運は分かれた。

 主君殺しに反発した少弐家の重臣によって追放されるなどの艱難辛苦を乗り切り、隆信の代で龍造寺家は独り立ちするに至った。

 天気がよかったので、隆信は政務の合間に広場に出て槍の稽古をしていた。

 もはや身体に染み付いた技の数々は並の兵卒では歯が立たないほどであり、護身術というよりも、彼女の好戦的な性格が反映された殺人術であった。

 空気を斬り裂く小気味よい音が繰り返される中に割って入ったのは、静かでとても落ち着いた女性の声だった。

「殿、大友が耳川を渡ったとの事です」

 声の主は、鍋島直茂。隆信の従妹であり、義姉妹の契りを結ぶ仲である。頭脳明晰で、龍造寺家では軍師の立場でもある。諸国の動静を見極めるのも、彼女の仕事であった。

「ふぅん、そう。近く、決戦って事」

「大友の動きに奇妙なところがあるので、何とも言えませんが、双方共に激突せずに退く事はありえないでしょう。日向の地は、両者にとってそれだけ重要な土地ですから」

「どっちが勝つと思ってる?」

「兵数、国力では大友に分がありますが、大友の兵卒は士気が低く、大将の器のある者が戦に出ておりません。一方の島津は兵数では劣りますが結束が強く、強兵です。実際に戦となれば、おそらくは島津優位に進むかと」

「戦は数で決まる。それは基本だろ」

「はい。しかし、それだけではありません。『孫子』の言うところでは、「君主の賢明さ」「将軍の能力」「天地の利」「軍法の徹底」「兵数」「兵の錬度」「賞罰の明確さ」の七計を開戦前から分析する事を説いておりますが、これに照らしてみると大友家が島津家に勝るのは「兵数」のみです」

 君主は南蛮神教に傾倒しすぎて、領民のみならず重臣達にも蟠りが広がっている。九国でも最高峰の将器を持つ戸次道雪や吉弘鎮理(しげまさ)は北方で生じた立花家や高橋家の反乱に手を焼いていて参戦していない。島津家の調略があったものと思われるが、そのような状況下で南下する事自体、大きな誤りだと直茂は考えていた。

 また、島津家の軍法の厳しさやそれによる強い絆はあまりにも有名だ。地の利も守勢に回っている島津家にある。

「まあ、島津が勝つというのならそれはそれでいいんだ。あたし達にとっては、領土を広げる好機ってだけ」

「では、静観と」

「今のうちに足場を固めるわ。近いうちにエリを松浦半島に向かわせる。平戸を押さえれば、あたし達も経済的に大きく成長できるはずでしょ」

「では、信常殿にはそのようにお伝えします」

 直茂は主君の判断に異を唱えず、その場を辞した。

 大まかな戦略としては、この二人が脳裏に描いている絵図は同じであった。

 大国同士が喰らい合っているうちに、龍造寺家は力を付ける。どちらにしても、大友家とも島津家ともいつかは戦わなければならないのであるから、共食いにわざわざ手を出す必要はない。

 直茂の見立てでは大友家が敗北するという。

 今まで、龍造寺家は独立した大名でありながら、間接的には大友家の指図を受ける関係にあった。完全に独立して勢力を拡大するには、大友家が負けてくれたほうが都合がいい。

 隆信は日向国での戦の様子を観察すると共に、軍を動かし、肥前国の統一に大きく動き始めるのであった。

 

 

 

 

 □

 

 

 

 

 大友宗麟は、北日向国を流れる北川の南岸沿いにある街に牟志賀(ムジカ)と名前をつけて南蛮神教の布教拠点とした。その名はスペイン語で音楽を意味する「musica」に由来するという。

 縦に長い日向国で、戦場となっているのは南側である。宗麟は、総大将なのだから本来は兵を率いてさらに南進しなければならないのだが、彼女は兵の指揮を田原親賢に任せて南進させるだけで、当人はムジカから動こうとはせず、日々を鷹狩りや能楽、教会でのミサに費やしていた。

 しかしながら、宗麟の余裕も決して実状を反映していないというわけでもない。

 なぜならば、現段階では大友家が圧倒的に優位に立っているからだ。

 兵の多寡で言えば、島津家など一蹴できるほどの差があり、伊東家の旧臣達の蜂起もあって、あっという間に島津家は日向国の南にまで追い込まれる形となった。

 結果、宗麟の目の前には未だに敵は現れず、大兵力は一切の邪魔を受ける事なく悠々と南下する事ができていた。

「今更何を心配すると言うのです」

 と宗麟は側近に嘯く。

「ムジカ近隣の異教の悪魔はすべて根絶やしにしています。神もお喜びになるでしょう」

 宗麟の目には島津家の姿が映っていないのであろう。

 こうした宗麟の態度は、周囲の者達を少なからず困惑せしめ、南蛮神教に入信している者から見てもいっそ異様とすら思えるほどに深い信仰は、宗麟と他者の心との間に断崖の如く立ちはだかるに至った。

 本格的な島津家との激突を前にして、宗麟の姿勢は聊か軽率であったが、人間は「その時」が目の前に来なければ、なかなか自らを振り返らないものである。

 宗麟もまた、戦をしているというのにその当事者意識が乏しく、南蛮神教の庇護者という肩書きのために日向国に降ってきたという考えでいるのかもしれない。

「宗麟様。仏閣の件は置いておきまして、長倉祐政様に関してはどのようにされますか?」

 小姓が尋ねてきたので、宗麟は淡く笑んて言った。

「彼はすでに島津家の領内に潜伏し、伊東家旧臣達と蜂起の準備をしています。複数個所での同時蜂起に合せて水軍を動かし、島津勢の後方を撹乱する手はずになっています」

 長倉祐政は、石ノ城に篭っていた伊東家の旧臣だ。島津家に攻められて、石ノ城は落城したが、彼は和睦を結んで宗麟の下に逃れていた。

「そうなのですか」

 と、小姓は感心しながら呟いた。

 遊び惚けているように見える宗麟が、戦に関して策を巡らせていた事や祐政の不屈の精神に対して、幼い少女は憧憬の念を抱くだけであった。

「あの方にも神のお導きがありますように。わたしは、日々、教会でそのように願っているのですよ」

 宗麟は手を組んで目を瞑るのだった。

 

 

 

 □

 

 

 

 義弘の陣に、伊東家旧臣の一斉蜂起計画が実行前にもたらされたのは、島津家にとって不幸中の幸いであった。

 計画に参与する者の中に、島津家の武威を恐れて裏切る者がいて、そこから計画の仔細が島津家に伝えられたのである。

「即刻、名前の挙がっている者を捕縛しなさい。あるいは斬り捨て!」

 義弘は顔色を変えて配下に指示を飛ばした。

 情報によれば、伊東四十八城の城下に一斉に放火し、都於郡城(とのこおりじょう)に攻め込むというものであった。それに呼応して大友家の水軍が側面から上陸し、島津勢に大打撃を与えるという恐るべき計画だ。

 大友勢が南下し、高城を包囲せんとする今、その背後で騒ぎを起こされては堪ったものではない。

 義弘の命を受けた家臣達は、大急ぎで方々に散り、内通者の助けを受けて加担者の大半を討ち取り、計画を頓挫させた。

 が、しかし、それでも諦めない男がいた。

 長倉祐政である。

 祐政は島津家の迅速な対応と裏切りに歯軋りしながらも、自分のすべき事を全力でこなした。

 首謀者でありながらも島津家の追及から逃れ、潜伏先の三納村でついに蜂起、村々に火を放ちながら一〇〇〇余人という人数を集めて八代、本荘、綾といった地域を陥れ、当初の予定通りに都於郡城を目指した。

 この祐政の暴虐に、島津勢は終始劣勢を強いられた。

 不意を突かれた事に加えて街道を押さえられたので連絡が寸断され、伊東勢の反乱の規模が掴めなくなったのである。

 これに、逸早く対応したのは折りしも高城へ援軍に向かっていた島津家久であった。

 家久は北郷時久やその息子の北郷相久(すけひさ)に命じてこれに当たらせ、鎮圧した。

 祐政はまたしても逃亡し、再起を図って高城を攻撃しようとしていた大友勢と合流したのであった。

「しつこいというか剛毅というか。嫌いじゃないけどねー」

 家久はその報を聞いて呆れたように笑った。

 伊東家の旧臣達の反乱に手を焼く事になったのは、島津家が彼らの主君を追い落とした後に、彼らの勢力をほとんど潰さないまま日向国の支配に入ったからであろう。大友家が攻めてきたのも、日向国の支配が完成する前だったために、伊東家の残党が力を持ったまま敵対しやすい状態になったのである。

「宗麟さんは、それをうまく使えてなかったから助かったけど、そうじゃなかったら大変だったかな」

 冷静に考えて見れば、この戦は島津家が強いというよりも、大友家に過失が多すぎるからこそ、ここまで互角に渡り合えているのだ。

 噂に聞く戸次道雪が出てきたらあるいはどうなるか分からない。

 歳久の計略によって、北九州で反乱を引き起こせたから分断できたものの、綱渡りであった。

 とにもかくにも、窮地を脱した島津家はそのまま家久に一五〇〇人の兵を率いさせて高城への援軍とした。

 これによって、高城を守る兵は二〇〇〇人ほどとなった。

 高城の城主山田有信はこの来援に感謝し、城兵ともども大いに士気を上げた。

「家久様、よくぞお越しくださいました!」

 肩甲骨程度にまで伸ばした黒髪を一本結びにした、面長の少女であった。家久よりもいくらか年上とはいえ、年齢が近い同性なので話しやすい。

「有信さん、お疲れ! これからはわたし達も一緒に戦うからね!」

「はい。真、心強い限りです」

 家久は多くの家臣から信頼されている。

 戦術面に秀でるのみならず、長女譲りの明るい性格と次女譲りの勇猛さ、そして三女譲りの聡明さと家久は三人の優れた姉の長所を濃縮したような天才型だ。常ににこやかで愛嬌を振りまいているが、それは同時に感情の起伏が少ないという事であり、策謀を巡らせる歳久が実のところ感情的なのに対して家久は恐ろしく怜悧な頭脳を持っている。

 こうして、有信と話をしている間にも、家久は自軍と相手との戦力差を考え、城を守る上で必要な兵の配置を脳内に構築する。

 高城は北側を切原川、南側を小丸川に囲まれた岩戸原という平原に突き出るように存在する台地の端に築城されている。

 西側以外はすべて絶壁となっており、また、西側には七重の空堀が掘られている。それだけでも、制圧するには相当の兵力と時間がかかる。有信がこの城に五〇〇人という少勢で孤立した状態で篭城しながら守りぬけたのは、この城が天然の要害だからだ。

「じゃあ、兵数も増えた事だし、それぞれの堀と堀の間にも兵を配置しよう」

 この城と地形ならば、直接敵が攻め寄せるのは、台地と接続する西側だけである。そこに徒歩の兵を配置し、その他三方には弓と鉄砲で武装した兵を多めに配置するという形で守りに入った。

「ここが我慢のしどころだよ、有信さん。本隊の来援まで持ちこたえれば、後はどうとでもなるからね。むしろ、わたし達の役目は……」

「はい。敵勢を一兵でも多く引き付ける事ですね」

「うん。苦しい戦いになると思うけど、相手を引き込めればこっちのものだよ」

 家久は城兵を元気付ける意図もあって、大きい声で前向きな発言を繰り返した。

 

 

 それからしばらくして、攻め寄せた大友勢は、瞬く間に高城を取り囲んだ。

 城兵の一〇倍に達する大軍であり、綺羅星のように陽光を受けて輝く黒塗りの鎧の数に、さしもの家久も生唾を飲んだ。

 生死を賭けた戦いの緊張感が戦場を満たす中で、大友勢の攻撃が始まった。

 大友勢は崖下にまで攻め寄せると高城に向けて鉄砲や矢を浴びせかける。城兵は、三つの城門をしっかりと閉めた上で、矢玉を四方に撃ち掛ける。

 上に矢玉を飛ばさねばならない大友勢と異なり、島津勢は上から下を狙えばいいので、楽々と攻め寄せる雑兵を撃ち殺していった。

 こうした戦闘が三回、断続的に行われた。

 激しい戦闘で城下の村は焼き払われ、島津勢にも負傷者が出た。とりわけ、西側から攻め寄せた大友勢に対応した部隊の損耗が激しい。

 地形を頼みとして優位に事を運んでいるが、根本的に敵を打ち倒せるだけの戦力があるわけではないので、家久は如何に損害を抑えて敵を弾き返すかを、考え続けなければならなかった。

 その時、家久の思考を崩す轟音が響き渡った。

「うきゃッ」

 思わず、首を顰める。

 快晴に似つかわしくない雷のような音は、ほぼ同時に高城の倉庫に何かが着弾した。

「今のは……?」

 家久が外を見ると、大友勢の陣の一つに巨大な鉄砲のようなものを発見した。国崩しと呼称される大砲であった。

「南蛮から買いあさった武器の一つかな」

「家久様、お怪我は!?」

「大丈夫」

 家久は心配する有信にそう言いながら、兵の混乱を鎮めるために城内の兵に声をかけて回る事にした。

 未知の武器はその威力以上に「未知」という事実そのものが恐怖を煽る。大砲は結局大きな鉄砲でしかなく、命中精度も低い。木造の日本の城には壁を崩したところで、崩落が全体に広がることは、早々ない。とどのつまりは、あの武器には過度に警戒するほどのものはないのである。

 家久は冷静にそれを見極めて、さらなる激戦に向けた士気高揚に努めるのであった。

 

 

 

 □

 

 

 

 家久が高城に入って数日が経ち、戦局は膠着状態を迎えていた。

 頑強な城を頼みに抵抗を続ける島津勢を切り崩せない大友勢という構図は開戦当初から変わらない。大友勢は水の手を切って家久に降伏を促したが、運よく古い垣根から水が湧き出しているのが発見され窮地を凌いだ。結果、高城は城門を二つ突破されたものの、それ以上の侵攻は頑として拒み続け、大友勢も力攻めを諦めて包囲戦へと戦略を転換したのであった。

 局地戦では家久が勝利を続けている。

 しかし、城を囲まれた状態ではいつまでも抵抗を続ける事はできない。矢玉が尽きれば、刀と槍で戦わねばならず、食べる物がなくなれば、餓死が待っている。

 家久の苦境を報せる密使が戦場の南方にある財部城(たからべじょう)を拠点とした義弘の下に届いたこの日は、激しい雨が大地に降り注いでいた。

「高城は現在、城に篭れるだけの兵が篭っており守りは万全。士気高く、大友を寄せ付けておりませぬ。しかし、何分、戦が長引いておりまする。兵糧にも限りがあり、このままでは餓えて死ぬか討って出るかを選ばねばならなくなりまする」

「分かってる。何とかして、兵を送るから、もうしばらく持ち堪えるように伝えて。必ず、助けに行くからって」

「ありがとう存じます」

 家久からの使者はその後、義弘の書状を携えた使者と連れ立って高城に戻って行った。

 それから、義弘は歳久と協議する事とした。

 急いで援軍を派遣しなければならないという点では一致したが、ではどのようにとなると難しい。

「敵は切原川の北岸に、四つの陣を敷いています。上流から野久尾の陣、本陣、川原の陣、松原の陣として、さらに高城城を囲むように、小丸川沿いにも敵先陣が布陣しています。高城を支援するにしても、この陣をどうにかしなければなりません」

 歳久は絵図を広げて敵陣を黒い碁石で表現する。

 敵将は総大将の田原親賢他、重臣田北鎮周(しげかね)、佐伯宗天、軍師角隈石宗などなど大友家の中核を為す面々が揃っている。

 正面からぶつかっても、おそらくは弾き返されるか、手痛い被害を被るであろう。

「まず、敵陣を側面から崩す。方法は……」

「釣りますか」

「そうだね。そうしよう」

 標的は敵陣の中央、川原の陣。ここを崩せば、敵陣は東西に分断される事になり、戦局は一気に島津側に有利になる。

 そうと決まれば戦の準備だ。

 作戦を後方で指揮を執る義久に伝えるべく伝令を飛ばし、義弘と歳久は各々最終的に詰めの協議に入った。

 

 

 二日後、雨が上がるのを待って島津勢は密かに進軍を開始した。

 土砂降りで足元はぬかるみ、川の水量は増加していて氾濫の一歩手前であった。この状態ならば、川に囲まれた高城への攻撃はできなかっただろう。

 自然の猛威によって進軍を遅らせてしまった義弘にとっては、それがせめてもの救いであった。

 この二日の間に、地形に詳しい者を召しだして策を再検討し、標的を川原の陣から最下流に位置する松原の陣へと移していた。

 義弘の部隊は小丸川を渡らずに南岸に陣を構えた上で、歳久と一五〇〇の兵に川を渡らせて、山中に隠した。

 

 

 

 □

 

 

 

「この戦いは時間との勝負です」

 歳久が声を潜めて諸将に言った。

 将の中には新納忠元の娘である新納忠堯(にいろただたか)もいた。陽動部隊の一つを彼女に任せているのだ。

「松原の陣を絶対に突破しなければなりませんが、戦となれば敵本陣も動くでしょう。敵の援軍が来る前に如何に敵陣を突破できるかが分かれ目となります」

 それから、もう一度この戦の趣旨とこれが決戦に続く大切な戦である事を再確認した。

「それでは、各々の役目に全力を尽くしてください」

 極力、音を隠して諸将は散開する。

 歳久を陽動部隊の本陣とし、左右に別働隊を潜ませる。

 歳久達は松原の陣の後方の山中にやってきていた。秋の風物詩たる紅葉に彩られた木々が、歳久の頭上を真紅に染めている。

 じっと息を潜めて歳久は五〇〇人の兵と共に茂みに隠れ、様子を窺った。ジリジリとした緊張感が胸を焦がし、心臓の音が耳の奥に聞こえるほどであったが、頭は今までにないほどに冴えているような気がした。

 ちょうど、そこに大友家の小荷駄隊が通りかかった。護衛の兵は三〇〇人ほどであった。

 喉が渇いて生唾を飲み、自ら弓を引いて小荷駄隊の真ん中に矢を射込んだ。

「突撃!」

 歳久の号令を受けて、五〇〇人の島津勢が鬨の声を上げて小荷駄隊に突っ込んだ。

 歳久自身も、弓兵二〇人と鉄砲隊一〇人を直接指揮し、近距離から矢玉を撃ち掛けた。

「し、島津ッ」

「どうして、いきなり!」

「ぎゃあッ」

 不意を突かれた大友勢は壊乱状態に陥って、我先にと逃亡する。

「ついでに荷駄を壊してしまいましょう。この米、一粒たりとも相手に渡さぬように!」

 轟音と硝煙の匂いが立ち込める戦場に、新たに喊声が響き渡る。

 騒ぎを聞きつけた松原の陣の兵が馬に飛び乗り、槍を手にとって向かってきたのである。さらに、その東側の各陣も島津家の強襲を聞きつけて動き出した。

「一当てして退きます。山中に引きずり込みますよ」

 歳久は矢を放って敵を牽制しながら、山道を駆け上がる。彼女に従う兵卒が敵とぶつかりながら山中に消えていった。

 歳久は気丈に矢を放ち、味方を叱咤しながらも、高城の方に注意を払っていた。

 松原の陣だけならばいいが、他の陣まで釣れたのでは敵が多すぎて伏兵が機能しなくなるからだ。その不安を払拭するように、高城の城門が開け放たれ、家久が手勢を率いて城の外に出た。

「あの娘は」

 歳久の意図を汲んだのは明白だが、多勢に無勢だ。

 家久が出てきた事で、上流に陣取った敵はそちらの相手をする事になる。これで、歳久の策はなったも同然であった。

 歳久の部隊を追って山中に引き込まれた松原の陣の将兵の上方から、新納勢が突っ込んだ。上から下へ降りる勢いは凄まじく、敵勢を一息に突き崩すのではないかという勢いだ。さらに、それに続いて下方から攻め上る一隊があり、歳久はそれを確認してから反転を指示する。

「な、に、上からだとッ」

「下からも、……挟まれたッ!?」

「うぬ、おのれ島津。謀ったか!!」

「引け、引けーーーーーーーッ!!」

 上下に挟まれた大友勢の正面を、歳久の部隊が強襲する。

「引け、ですか。残念ですが、それは無理です」

 歳久は壊乱する敵勢を憐れむでもなく、ただただ静かに事実を口ずさむ。

「すでに袋の鼠。逃がしてあげる道理もないのです」

 轟音が鳴り響く。

 退路に先回りさせた鉄砲隊が木の陰から逃げ惑う敵兵を狙撃しているのである。悲鳴と怒号が入り混じり、赤い紅葉が飛び散った血で赤黒く変色した。

「皆さん。隊列を整えて、敵陣に突っ込みますよ。松原の陣を陥落させた後は、川原の陣の後方を抜けて高城を目指します」

 松原の陣を壊滅させた歳久は、そのまま少数の利を生かして素早く移動し、松原の陣の上流に陣取る川原の陣の後方の山中を抜けてから、大友家本陣と川原の陣の間を通って切原川を渡河し、高城の城下に達した。

 また、松原の陣が陥落すると同時に、下流の義弘は上流へ移動を開始、歳久の進路を開くために、川原の陣の正面に攻めかかり、さらに別働隊が最上流に陣取る野久尾の陣と激しく戦っていた家久の部隊と合流し、形勢逆転となった。


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