大内家の野望   作:一ノ一

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その二十九

 前哨戦で勝利を収めた島津家は、高城の安全を確保する事に成功し、切原川を挟んで大友勢と対陣した。

 高城に詰めていた家久や有信は、戦死した仲間を弔うと共に、島津勢の見事な敵中突破を褒め称え、戦死者に見せてやれなかった事を惜しんだ。

 また、後方から指揮を執っていた、当主である島津義久率いる本陣も戦場に到着した。今は、相変わらず後方にいるが、根白坂と呼ばれる丘陵地帯に陣を構えている。

 事実上、島津家がこの戦に動員したすべての兵がこの地に集っている事になる。

 これは、島津家と大友家の全面戦争の一歩手前といった状態になっているのである。

 そのような状況下ではあるが、高城の城内では笑い声が上がっていた。

 敵が目の前にいるということで、気を抜くわけにはいかないが、その晩、家久はささやかな酒宴を催した。

 飲み食い騒ぐ中、

「大変です、家久様!」

 唐突に、一人の伝令が駆け込んできたのである。

「ど、どうしたの、いきなり。敵?」

 飛び込んできた伝令の様子に家久は若干引きながら尋ねた。

「い、いえ。そうではないのですが、そうとも言えるようなもので」

「はっきりしなさい」

「は、はい。先ほど、城下に大友の使者が参られました」

 家久はそれを聞いて、思わず有信と視線を交わした。事ここに至って、使者とは。以前は降伏勧告が度々出されてきたが、完全に島津家が高城以南を取った今、家久達には降伏する理由がない。では、どのような用件であろうか。

「その使者は、なんという方かな?」

「その者が申すには、田原親賢と……」

「たッ、田原親賢!?」 

 伝令の口から出た名は、大友勢の総大将の名であった。

 さしもの家久も、これには驚愕の色を隠せなかった。

 

 

 

 

 敵の総大将を城内に引き入れるわけには行かない。

 高城の麓にボロボロの畳を敷いた簡易的な陣所を作り、家久はそこで親賢と面会した。

「直接会うのは初めてですね。島津家久です」

「若いとは聞いておりましたが、想像以上にお若い。某、大友家臣田原親賢と申す。単刀直入に申し上げて、此度は和平の使者として参った次第、義久公にお取次ぎ願えまいか?」

 家久はにこやかな表情のままに、相手を仔細に観察する。

 和平の使者は親賢だけではなかった。代々の重臣である臼杵(うすき)家の若き当主統景(むねかげ)や佐伯宗天の弟である佐伯新介なども同行している事から、密約の類ではなく正式な使者という扱いに違いない。

「和平の取り次ぎ役を承る事は光栄です。すぐにでも義久様の陣所にご案内いたしたいところですが、護衛が多いのでとても案内できません。せめて、二〇人ほどにしてくだされば、この足でご案内いたします」

 この時、親賢を守っていたのは五〇人近い精鋭であった。

 本陣に、それだけの大人数を連れ込むわけにはいかない。

 家久の言葉に親賢は大きく頷いて、納得の意を伝えた。

「ところで、どうしていきなり和平なんか?」

「無益な戦を長引かせても、得る物がない、というのでは不満ですかな」

「ううん。納得」

 家久は人好きのする笑みで飛び跳ねるような軽い足取りで親賢を本陣にまで案内する。

 家臣からはここで討ち果たしてもいいのではないかという意見も、密かに家久の耳に入れられたが、それは断固として禁じた。

 和平交渉の使者を斬るなど、島津の誇りが許さないからである。

 

 

 

 □

 

 

 

 総大将である田原親賢と島津義久との間に和議が結ばれたが、大友陣営の中ではそれを快く思っているものばかりではなかった。

 元々親賢に対して好意を抱いている者が少なかった事もあるが、それ以上に血気に逸る武将が少なからずいたという事に問題があった。

 その晩はうなじが軋むような寒さだった。

 どんよりとした雨雲が棚引き、今にも雪が降ってきそうな天候だった。

 大友勢の諸将は、佐伯宗天の陣に集まって、軍議を開いていた。

 パチパチと篝火が弾ける中で、敗戦を喫した直後だからか空気が重い。

 まず、宗天が口を開いた。

「島津は強い。島津家久一人に手を焼いていたところに、さらに義弘と歳久が駆けつけて陣を一つ失ってしまった。この上義久が後詰として布陣している。今、決戦を挑んでも敗北は必至。ここは、宗麟様に事情を説明し、援軍を請うのがよいのではないか」

 宗天の言葉は、田原親賢の和平交渉と近い結論に達していたから出てくるものであった。

 島津家との戦いが怖いのではない。

 そもそも、この戦そのものに意義を見出せていないから出てくる言葉である。

 大友家が南蛮神教に汚染されていく。そのように感じている諸将にとって、南蛮神教の理想郷を建造するという宗麟の姿勢は誉められたものではない上に、伊東家の復興が大義名分となっているからには、獲得できる領地も日向一国とはいかないだろう。徴発された者にとっては対岸の火事であり、まったく関わりのない戦に狩り出されて辟易している者が大勢いたのである。

 が、その宗天の言葉に対して激高したのが田北鎮周(しげかね)であった。

 鎮周は、立ち上がるなり叫んだ。

「何をバカなことを申すか、宗天! この期に及んで宗麟様に援軍を頼むなど、恥知らずにも程がある! ここにおわす諸将がどうお考えかは知らぬが、わしは断固として援軍の要請には反対だ!」

 鎮周にしてみれば、大軍を発して攻め込んでおきながら、島津家との戦いでは黒星しかないというのが気に入らない。時の運や戦術と戦略が噛み合わないなどの問題が重なった結果でもあったが、目の前の戦にすら勝てないのでは恥ずかしくて主君に顔向けができない。

「故に、わしは明日島津に決戦を挑み、義久の首を討つ所存だ! もしも武運拙く敵わなければ、我が首が落ちるのみだ!」

 このように言って聞かない。ギロリと宗天を睨み付ける鎮周を、宗天は負けじと睨み返す。

「まあまあ、お二人とも島津と睨み合っている時に、味方で睨み合ってどうなさる」

 一触即発の二人の間に、穏やかな口調で割って入ったのは軍師の角隈石宗であった。

「石宗殿」

「鎮周殿のお覚悟、真に天晴れながら、冷静になっていただきたい。この一戦、我らの誇りを守るのが目的ならば、それもよろしいでしょう。しかし、島津との一戦は御家の大事。血気に逸って死ぬなどと申されるべきではなかろう。それこそ、宗麟様への奉公を忘れておるのではないか」

 諭すように石宗は言う。

 が、頭に血が上った鎮周には届かなかった。

「石宗殿はもとよりこの戦には反対であったから、そのように言えるのだろう。だが、わしはこの考えを改めるつもりはない。これが、皆々様との今生の別れとなろう!」

 そう言うや否や鎮周は床机を蹴って自陣に戻ってしまった。

「なんだ、あの態度は。ヤツは俺を侮辱しているのか!」

 宗天もまた、鎮周の物言いに激怒してしまったいた。

「御家のために戦をしようというこの俺を、臆病者とでも言いたげな。あのような頭のおかしいヤツとは思わなかった。斯くなる上は勝敗を捨て置き、明日の戦にて俺が臆病者などではないという事を証明する以外にない!」

「何故にお主までそのようなバカな事を言うのだ。そのような事をしては、日向攻めが失敗に終わるだけでなく、御家の名誉にまで傷が付く。悪い事は言わない。頭を冷やし、田原と相談して明日を迎えようじゃないか」

「相談など必要ない。石宗殿。あなたには申し訳ないが、これ以上は何も言わないでくれ。俺は明日一戦に及び、臆病者かそうでないかを世に示さねば、腹の虫が治まらぬ!」

 宗天も怒りが収まらず軍議は散々な結果となってしまった。折りしも、島津家との和平交渉が成立した頃の事で、彼らの行動は結果として和平という名の策略となってしまうのだが、そのような事は怒り心頭の二人にとっては関わりがなかった。そもそも、和平自体が、彼らにとっては承服していない珍事だったのだから。

 面子を潰された形になった石宗は、しかし穏やか表情のまま、ため息をついた。

 この戦は時期尚早である、と幾度も宗麟に説いたが主を心変わりさせる事ができなかった。その時点で、彼は死を覚悟していたのだ。

 宗天でもなければ、鎮周でもない。

 敗北し、異国の地で死ぬ事を覚悟して宗麟に尽くす石宗こそが真に勇気ある者と言えるのではないか。

 

 

 

 □

 

 

 

 和平がなったからと言って、義久は油断しなかった。

 密かに大友家の陣中に忍ばせた逆瀬川豊前(さかせがわぶぜん)からの情報で、敵陣中の口論と翌日の開戦を事前に察知していた。

 よって、島津勢は和平を一方的に破棄する形となった大友勢に対して大義名分を得たと喜ぶと同時に夜陰に紛れて配置に就き、翌日の開戦を待った。

 この時、すでに島津勢と大友勢との間に数の差はほとんどなくなっていた。

 根白坂に陣取った本陣には義久と歳久が入り、総勢一〇〇〇〇人となり、さらに義弘は五〇〇〇人の兵と共に小丸川下流域南岸の丘陵地に布陣する。また先鋒として北郷久盛ら二〇〇〇人が敵陣正面に進出し、伏兵八〇〇〇人が上流と下流に分かれて身を伏せていた。

 夜明け間際、東の空が曙光に濡れたまさにその時、大友勢本陣から勇ましく駆け出てきた田北鎮周(しげかね)の部隊三〇〇〇が小丸川の中心で島津勢先鋒と激突した事を皮切りに、最後の戦いが幕を開けた。

 北郷久盛は二〇〇〇人の兵を必死に指揮して応戦するも、鎮周はもとより死を覚悟しているため勢いが凄まじい。さらに、鎮周に負けじと佐伯宗天も押し出てきたため、島津勢先鋒は瞬く間に飲み込まれて壊滅した。

 この緒戦で、先鋒を指揮していた北郷久盛を初めとする多くの将兵が川底に沈み、大友勢にしても斎藤鎮実ら重臣が討ち死にを遂げるという壮絶なものとなった。

「久盛。……死んだの」

 義弘は唇を噛み締めて、戦場を俯瞰する。

 彼らが壊滅する事は当初から想定されていた。久盛らには、死の危険を伝えた上で送り出したのだから、義弘には悲しむ資格はない。自らを奮い立たせて槍を振るうのみだ。

「義弘様。敵勢、雪崩を打って攻め寄せて参ります!」

「そうね。作戦通り」

 大友勢は、全軍を挙げて小丸川を渡り、島津本陣を目掛けて進軍していた。

 統率が取れておらず、一部の部隊が勝手に動いたために、それに巻き込まれる形でなし崩し的に本陣までが移動しなければならなくなったのである。こうした大友勢の自滅は、島津勢にとっては非常に好都合なものであった。

「いくわよ、みんな。この一戦で、大友勢を叩き潰す。敵は我らの先鋒を崩して勝利に酔っている。この隙を逃すな!!」

 叫ぶや否や、義弘は自ら馬の腹を蹴って丘陵地から駆け下る。

 大友勢にとっては、唐突に五〇〇〇もの大軍が目の前に現れたように見えただろう。

 大波同士が激突するかのように、両者は正面からぶつかった。一瞬の停止の後、島津勢が大友勢を押し込んだ。

「首は討ち捨て! 一兵でも多く叩き切れ!」

 義弘の叱咤が飛び、島津勢は戦意を高揚させて大友勢を斬り伏せていく。

 さらに、義弘の突撃を呼び水として義久が本陣を前進させる。

 また、右翼と左翼に展開していた部隊が姿を現し、二キロに渡る鶴翼の陣は、その本来の役割を忠実にこなして中央突破を図った大友勢を左右から包み込む。

 敵味方の区別もつかぬほどの乱戦の中で、遂に大友勢の先鋒が崩れた。

「佐伯宗天、討ち取ったり!」

 島津勢の誰かが叫び、宗天の身体は人の山に埋もれた。鎮周も、戦場のどこかで果てた。指揮官を失ったそれぞれの部隊は、壊走するも、後方の大友勢と押し問答となって退くに退けず大混乱となった。

「撤退だ! 退け、退け!」

 撤退の指示が出るとすぐに、大友勢は我先にと逃げ散っていく。

 高城の城門が開かれて、突出した家久が側面から逃げていく大友勢を斬り捨てる。

 ここに勝敗は決した。

 大友勢は壊乱したまま、指揮系統も崩れ、ひたすら豊後方面へ走り去っていく。

「追撃します」

 歳久が静かに告げた。

 大友家の力をそぎ落とす好機である。ここで、一兵でも多く討ち取れば、大友家は一気に衰退するであろうし、そうでなくとも、力を取り戻すのに多大な資金と時間を浪費する事になろう。

 

 

 島津勢の追撃は執拗を極めた。

 親の仇であるかのように、逃げ惑う大友勢の背後を脅かし続ける。主戦場となった小丸川は血で紅く染まったが、そこからさらに二五キロも北上した耳川に至るまでに万を超える大友兵が討ち死にして屍を曝した。島津勢は、丸一日かけて、平野中に屍山血河を築き上げたのであった。

 この時、耳川は、連日の雨で川が増水し、それなりの用意がなくては渡れないほどになっていた。比較的川幅の広い耳川を渡るには、舟を用意するか浅瀬を探るしかない。

 逃げてきた大友勢に川を渡る用意があるはずもなく、途方にくれて川岸に広がるのみであったが、背後から迫り来る死神の群れから逃れるには、どうにかして川を渡らねばならない。意を決して飛び込むという手もあるが、彼らがそれをしないのは、対岸に築かれた陣城の影響も大きいだろう。

 小丸川から耳川にかけては日向国でも最大の平野が続いている。しかし、それも北上するにつれて西から山々が押し迫り、耳川に至って海と山の距離が非常に近くなる。耳川を渡った先にも山が続いていて、急に見晴らしが悪くなるのである。

 そんな地形を利用して、山を背後に背負った陣城は、急造ではあるが簡素な砦として機能している。

 これが大友家の陣であれば、喜んで逃亡兵も川に飛び込んだであろうが、問題は風に靡く旗に描かれた家紋であった。

 見る者が見れば、それが大内家の家紋であると気付くだろう。

 この報を聞いた歳久は、それ以上の進軍を危険と判断せざるを得なかった。

 そして、その判断が歳久の命を救う事となる。

 歳久が進軍を止めると、その背後に続く他の島津勢も追撃を止めた。それを見て取ったのか、耳川の南側にある美三ヶ辻という山に一斉に旗が翻り、鬨の声が上がった。

 そして、降ってきた一軍が大友勢と島津勢を分断する。

 一目で強壮な兵だというのが分かる。

 足並みを揃えた黒い集団の中から、白い衣を身に纏った少女が馬に跨り進み出てくる。

「わたしは長曾我部元親。我が主家である大内家と伊東家との縁は深くそれによって、日向まで兵を進めた。大友殿との戦、実に見事と言う他ありませんが、この地はあなた方の土地にあらず。早々に兵を退かれよ」

 突然の事に、島津勢は一瞬完全に忘我した。それから、激しい怒りが沸き起こった。

 それを制して、歳久が前に出た。

「お初にお目にかかります。島津貴久が三女島津歳久です。長曾我部元親殿。一代で土佐一国を手中に収めんとした猛将の噂はかねがね窺っています。お会いできて光栄です」

「あなたが歳久殿ですか。なるほど、確かに聡明そうなお顔立ちだ」

 それを言うなら、と歳久は元親を仔細に観察して相手もまた学に長じていると察した。

 もともと、調査は行っていたので、ただの脳筋ではないという事は知っていたが、正面から対峙すれば弁舌はさわやかで兵の統率はすばらしい。付け入る隙は、今のところ皆無だ。これは、突撃しか脳のない者には決してできない芸当であり、無策に戦ったのでは大きな被害を受けるに違いない。

「兵を退けと仰ったが、はいそうですかと退けるものではないという事くらいご存知でしょう。漁夫の利を狙うような真似をして、恥ずかしいとは思わないのですか」

「撤退の理由が必要というのなら、一戦に及ぶのも構わない。もちろん、その時は相応の覚悟をしていただきたい。敗軍を追い立てる際の危険性は、あなた方の方がご存知のはずだ」

 意味ありげな元親の言葉に、歳久は背筋に氷塊が滑り落ちる気持ちになった。

「まさか……」

 歳久は視線を素早く周囲に向ける。右手は海だからいいとしても、左手には山が迫ってきている。直前まで長曾我部家の存在に気付かなかったように、他の手勢が控えている可能性も否定できない。

 敗走する大友勢を追い立てているうちに、大内勢の囲いに飛び込んでしまったとしたら。

小丸川以南(・・・・・)まで兵をお退きください、島津殿」

「く……」

 歳久だけでなく、島津勢は皆小丸川から耳川までの二五キロを一昼夜かけて走ってきたのだ。途中でそれぞれが休息を取ったが、それでも疲労は溜まりに溜まっている。陣も満足に敷けていないこの状況で、長曾我部家に突っかかれるものではなく、しかも、自分達のお家芸とも言える「釣り野伏せ」を相手に使用されている可能性が提示されたために、味方の士気は挫かれた。

 一旦可能性を疑ってしまえば、動くに動けなくなる。

 この戦術が、これまで島津家にどれほどの恩恵をもたらしてきたか理解しているが故に、自分達に仕掛けられた時の被害が容易に想像できてしまうのである。

 姉や妹と協議するまでもなく、答えは一つだけだった。

 

 

 

 □

 

 

 

 

 大内家が日向国に入ったのは、海路からであった。

 四国を取った大内家にとっては、混乱して海上防衛が満足にできない日向国に討ち入るのは大して難しい事ではなかった。

「倭寇退治に時間がかかったのが痛かったな」

 宗麟が建造半ばに放置したムジカに、新たに築いた陣城の中で戦勝の報告を聞いた晴持は、改めて時期の悪さを毒づいた。

 海を渡るために対馬に向かわせた水軍が戻ってくるのを待つ必要があった。長曾我部家や河野家からもいくらか船を出させていたので、大規模輸送を行うのに必要な数がなかなか揃わなかったのである。

 しかし、それにしても大内家の行動は迅速だった。

 支配者が二転三転した北日向国は統治者不在の混乱状態にあり、さらに大友家による寺社仏閣破壊によって反大友の気運が高まっていた。それも、大内家の討ち入りを助けてくれた。

 とはいえ、このような出兵を晴持は望んだわけではなかった。島津家と大友家の共食いの結果を知っていたので、大友家を滅亡の淵に追い込んだ上で、大友家が大内家に屈する形での同盟を結ぼうと思っていたのだ。

 ところが、日向国での大友家の蛮行に業を煮やした義隆は日向国討ち入りを決意、なんとしてでも日向国に入り、寺社仏閣を守れと命じたのであった。

「いきなり、島津勢の相手などという大変な仕事を任せてすまなかったな、元親」

 晴持は、耳川から戻ってきた元親に酒を振舞い、その苦労を労った。

「大丈夫、相手は疲弊していたし、不意を突いたからこちらの被害はほとんどないよ。ただ、……」

「ただ?」

「全力でぶつかるとなれば、わたし達もかなりの覚悟をしなくちゃいけない相手だ」

「だろうな。そうでなければ、ここまで大友がやられるとは思わないからな」

 結果や大まかな展開を知っていた晴持であっても、絶句するほどなのだ。事前にこの展開を予想できなかった他の者達にとっては島津勢の強さを再認識させられた戦いであったろう。

「それにしても、ここはすごいね」

 元親は周囲に視線を巡らす。

 見た事のない道具が並べられていて、中には宝石や金銀で飾られた物まであった。地球儀やガラス製のグラスなど、南蛮渡来の品がほとんどであり、聖書や油差しも置いてあった。

 そこは、建造半ばの礼拝堂であった。屋根も完成し、聖母像や十字架が飾られた簡素な教会で、内装はほとんど手付かずの状態だった。

 大内勢は、本陣をこの教会に敷いたのである。

「宗麟が宣教師と共に持ち込んだものだろう。大友は、俺達が港に入ったと知るや否や一目散に逃げたって言うからな、置き忘れたんだろう」

「逃げたって話は聞いたけど、まさか、そこまで」

 元親は大友家の慌てぶりを聞いて、苦笑する。

 大内勢は、上陸と共にムジカを目指す部隊と南下して耳川付近に陣取る部隊とに分かれた。南下部隊を率いていた元親は、大友勢の撤退について聞いたのは、陣城を構築している時であった。

「俺達、大友とは一戦も交えなかったからな」

「何の抵抗もなかった?」

「ああ。どうやら、大内家の舟が港に現れた時点で逃げ帰ったらしい。大友は、いろいろと庶民の恨みを買ってるからな。道中、何もなければいいのだが」

「何かあったら困るの? 付け入る隙が大きくなるんじゃない?」

「隙が大きいのは、それはそれで困るんだ。日向の北半分を押さえるには、大友とは友好関係になければならないからな」

 大内家が有する日向国との交通手段は、今のところは海路のみだ。

 陸路で行こうにも、間には大友家の領土が横たわっている。何かあった時に迅速に動けないから、統治は難しいのである。

 よって、制海権を確立し、大友水軍の機能を停止させ、近隣諸国を繋ぐ海上交通を大内家で独占する必要があった。

 加えて、宗麟が生きているからこそ、大友家の内部の亀裂は深まっていく。

 大々的な混乱をされては困るが、同時に結束されても困る。宗麟が生きている限り、大友家が即座に瓦解するようなことにはならないし、家臣達が結束する事もない。

「島津の恨み。相当買っただろうな……」

「それは、たぶん、そうだろうね。目の前で、目標を掠め取られたのだから、忸怩たるモノはあるはずだよ」

「元親もか?」

 かつて、長曾我部家の土佐国統一の夢を横から妨害し、長曾我部家を屈服させたのは、他ならぬ大内家であり、主導したのは晴持であった。

 問われた元親は、晴持に歩み寄る。それから、晴持を覗きこむように、顔を寄せて囁いた。

「……どう思う?」

「さあ、どうだろうな」

 挑発的な元親の視線に、晴持は表情を変えずに応じた。

 五、六秒、視線を絡めた後、元親は笑みを浮かべて引き下がった。

「勝負事に勝敗は付き物だ。いちいち恨んでいても仕方ないよ」

「あっさりしてるな」

「そうでもないよ」

 と、元親は言う。

「でも、うだうだ言っても格好がつかないからね。わたしは、家を纏めていかなくちゃいけない立場だから」

「そうか」

 元親なりに考えて、納得のいく結論を導き出したのであろう。

 自分を破った相手に仕える事例は、戦国の世では当たり前のように存在するが、それでもすぐに切り替える事ができるかというとそうではない。

「そんな長曾我部に、日向の領地を与えたいんだがどうだ?」

「え……?」

「何を驚く」

「いや、突然だったから。でも、いいの? 伊東家の事は」

「もちろん、伊東家にも領地は与える。だが、すべてじゃない。要所はこちらで押さえる。その一部を長曾我部に任せるというのだ」

 元親の土佐国から日向国に至るのが一番近い。治めるのであれば、何かあった時にすぐに向かえる人材に任せておくのがいい。代官を置くなり好きにすればいいだろう。

「そう、晴持さんがそう言うのなら、わたしはありがたく頂戴するよ。ところで、これからの事はどうするの?」

「これからか」

「そう。今回の戦で島津は完全に敵になったはずだし、大友は衰退するのは明らかだ。けれど、九州に大内が参入するのは……」

「ああ、時期尚早だった。義姉上が断固たる決意で命じてきたからな。それは、それで仕方ない」

 島津脅威論から北九州の諸勢力を糾合する事で、大内家への依存度を高める作戦は、これで半ば頓挫した。それでも、大友家を撃滅した島津家の力は九国中に響き渡っただろうし、これからも島津家が北上するのは確実なのだから、連合盟主の大友家の衰退の後には頼るべき別勢力が必要となる。

「大内脅威論が出ないといいがな……」

 問題は、こちらが半ば自発的に九州に入ってしまった事で、大内家が島津家と同等に危険な存在であると思われる事だ。そうなれば、連合は中々構築できなくなるし、島津家の付け入る隙となってしまう。

「とにかく、今は伊東家の再興に力を注いで、印象をよくしておかないと」

「姫君は?」

「大友のところにいるようだから、今回捕虜にした大友勢と引き換えだな。さっき、光秀を豊後に向かわせた」

 元親の言う姫君とは、晴持の実兄一条房基の娘であり、晴持からすれば姪に当たる。政略結婚で伊藤家当主伊東義祐の息子の伊東義益に嫁いだのである。義益は病弱で、若年にして卒したが、嫁いだ姪はこの地に留まっていた。それを利用し、幼い彼女を救援するという大義名分を掲げて、大内家は日向国に介入したのだ。

 大友家からすれば、危ないところを助けられた反面、面子を潰された形にもなり、この直後から良好な関係というわけにはいかないだろう。

 場合によっては、大友家を除外した北九州の新秩序の構築を急ぐ必要があるかもしれない。

 

 

 

 

 □

 

 

 

 

 大友家との戦から数日後、島津四姉妹は鹿児島の本拠地である内城に集まっていた。

 大友家四〇〇〇〇の大軍を智謀と勇気で迎えうち、壊滅に追い込んだ大勝利に浮かれるまもなく、介入してきた大内家によって小丸川以北を牛耳られたために、戦勝の喜びに泥を塗られる形となってしまった。

 大友家を利用した広大な大内家の罠に嵌められた、という取り方もできる敗戦であり、四姉妹にとっても初めてとなる大敗北であった。

「まあ、歳ちゃんが悪いわけじゃないよね。あれは」

「むしろ、歳ねえが迅速に兵を退かなかったら、全滅してたかもしれないし」

 義弘と家久が口々に言うのは、歳久が最終的に撤退の判断をした件についての是非であった。

 しかし、これに関しては仕方がないとしか言いようがなく、大内家の不躾な介入への批判の方が強かった。

「結果として、小丸川以南は島津のものとなりましたが……わたし達が退いた事で、敵に北部の領有を認めたような形になってしまいました」

「それはそれでいいんじゃない。南日向を手に入れた事で今はよしとしないと。欲張りだと足元を掬われちゃうわ」

 義久の言葉に歳久はさらにしゅんとする。

 深追いしすぎたのを、暗に指摘されてしまったからだ。義久にその気がなくとも、歳久には響く言葉遣いだった。

「と、とりあえずこれからの事を考えようよ。大内家が出てきた以上、今まで通りにはいかないんだし」

 と、義弘が慌てて話題を変える。

「そうねぇ。どうしようかしら。日向にまた攻め込むわけにもいかないしねぇ」

 困ったように義久が頬に手を当ててため息をつく。

 日向国にはすでに伊東義祐が戻されたという。旧領の全回復とはいかないまでも、伊東家の旧臣を集めて勢力の建て直しに動いているし、大内家の傘下に入るのは明白であった。大内家を後ろ盾にした伊東家は、日向国の旧領主家という事もあって迅速に建て直しを図っている。

「進むんなら肥後しかないよね。でも、また連合ができちゃうのは面倒だなー」

 家久が言う連合とは、伊東家、相良家、阿蘇家の対島津戦線である。伊東家を潰した結果、それらは大友家を背景に結束したが、その大友家も今回の戦で大打撃を被り勢力を減衰した。しかし、その一方で大内家が介入し、伊東家を復帰させた事で、連合は息を吹き返し始めたのである。

「大友と大内がどう関わるか分かりませんが、伊東家と大内家が結ぶ以上は、相良家や阿蘇家とも繋がるでしょう」

「大友家を相手にするよりも厄介よね」

「じゃあさ、こっちも連合作っちゃえばいいんじゃない? どうせ大友さんは内部から混乱が広がるだろうから他と足並みは揃えられないだろうし、今のうちにね」

「そうですね。では、今後大内と敵対する可能性があるのは……」

「肥前の熊さんかな。平戸の松浦家は三代前から大内家と仲いいし、平戸を欲しがってる熊さんなら、大内家と敵対するかもしれないよ」

 家久の意見に、他の三人も頷く。

 龍造寺家は、今のところ島津家と大きくぶつかった事はない。肥後国の国人のように、こちらの膨張にもそれほど危機感を抱いていないだろうし、何よりも龍造寺隆信は、大内義隆から一字を貰っていながら離反し、大友家に就き、さらにその大友家を今山の戦いで破って以降は、大友家からも半ば独立した状態にある。

「大内家に対する危機感を煽って、敵の連合を遅らせ、同時にこちらは龍造寺と結んで九国の統一を目指す。うん、そんな流れでいいじゃないかな」

 当主である義久が、方針を認めた事で以後の島津家の動きが決まった。

「よし、じゃあ打倒大内さんでがんばろー!」

「大内って言ったら、陶隆房とか大内晴持とかいるんでしょ。うわー、一戦交えてみたいな!」

「大内つぶし。大賛成です。特にわたしを釣り野伏せで嵌めた人には、たっぷり仕返ししてあげます。ええ、もうたっぷりとね」

「歳ねえ、顔怖い。誰が発案者か分かんないけど、大変だこれ」

 数日後、島津家を発った密使が龍造寺家に到着。その後、龍造寺家との間に同盟が結ばれる事となった。

 


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