大内家の野望   作:一ノ一

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その三

 大内家とて安泰とは言い難い。

 中国に覇を唱える大勢力ではあるが、かといって無敵の軍団というわけでもなく周囲には敵を抱えている。

 大内義隆にとって幸いだったのは、彼女が家督を継いだときに大きな混乱がなかったことであろう。どういうわけか、大内家は代々家督相続に際して混乱が見られた。流血沙汰、合戦沙汰になることもあった。しかし、義隆の場合は、父が安定した基盤を築いた上で黄泉路に旅立ったので、国力を維持したまま後を継ぐことができたのである。

 仮に大内家の内部に亀裂が走ったとき、真っ先に介入してくるのは、おそらくは尼子家であろう。

 大内家とは犬猿の仲でもある尼子家は、石見銀山の領有権をはじめ、安芸国への干渉などで大内家と敵対している。現在の状況は、石見銀山も安芸国も共に大内家の影響下にあるが、完全とは言えない。安芸国の国人は独立意識が強く、毛利家のように尼子家と大内家を秤にかけている家が大半なのである。

 そのため、大内家としては、安芸国の国人の心証をよくするために諸々の便宜を図る必要があるし、尼子家が攻め寄せてくれば援兵を寄越さねばならない。対する尼子家もまた、安芸国に兵を進めるとなれば、必然的に大内家という大敵を相手にせねばならないので迂闊に手が出せない。

 安芸国が大内家と尼子家の間に挟まれながらも、未だに国人領主が跋扈する状態にあるのは、大家同士の緩衝地帯として機能しているからでもあった。

 その安芸国内に於いて、特に影響力を発揮する国人が毛利家、吉川家、武田家などである。この内、大内家に従うのは毛利家であり、武田家は尼子方、そして吉川家は去就を明らかにせず形勢次第という態度である。このような状況なので、安芸国内全体で見ても、どっちつかずの国人が多く、大内家にとっても尼子家にとっても頭を悩ませるところであった。

 そのような情勢なので、大内家に就くか尼子家に就くかは安芸国の国人にとって非常に重要な選択であった。毛利元就が尼子家から鞍替えし、己の嫡子を大内家に人質として差し出したのは、彼女なりの戦略があってのことだが、それは同時に大いなる危険を孕む行為でもあったのだ。

 このとき、尼子家を指揮していたのは、若き当主尼子詮久であった。

 詮久は血気に逸る若者で、上洛を目指して度々美作国、備後国、播磨国など東へ出兵していた。元就が大内方に就くことを鮮明にしたころには、播磨国の別所家に手をつけており、そこから怒涛の勢いで京を目指す心積もりであったのだ。

 それが、元就の裏切りによって頓挫した。

 毛利家が大内家に就くとなれば、安芸国内は大内方に流れることになり得る。そうなれば、上洛どころではない。背後を脅かされた状態で、京に派兵などできるはずもない。

 何よりも、この裏切りを放置しては尼子家の沽券に関わる。そういうこともあって、詮久は大いに憤った。

「おのれ、毛利め。小癪な小豪族の分際で、尼子を敵に回すかッ」

 詮久としては、上洛の夢を半ばに邪魔してくれたわけなので、毛利家を叩き潰さないことには腹の虫が収まりそうになかった。

「元就の子は、大内義隆より隆の字を与えられ、毛利隆元と名を改めたようですな」

「おまけに、元就めは大内の斡旋で従五位下右馬守に任じられたとの由。ますます、大内との仲を深めております」

 次々と入ってくる毛利家と大内家の仲睦まじさを示す報告に、ますます詮久は敵愾心を刺激されてしまった。

「断固、毛利討つべし」

 と、目を怒らせて言う。

 家臣達も、元就の所業には腹を立てていたし、主君の勇ましい態度に感服して追従の意を示した。

 議論が毛利討伐に傾きつつある中で、唯一冷静に情勢を分析していた尼子久幸だけが反対の立場を表明した。

 久幸は、詮久の祖父である前当主経久の弟に当たる。もうかなりの高齢であるが、発言力はかなり強く積み上げた経験から全体のまとめ役を担っているのである。その久幸が反戦を唱えるのだから、会議の方向性は様子見というところにまで流れ始めた。

 しかし、それを快く思わない者がいた。

 他ならぬ詮久である。

「臆病野州が。毛利など高々一国人ではないか。何を恐れる」

 そう言って、老臣を嘲笑うばかりであった。

「毛利だけならば、まだなんとでもなりましょう。ですが、その背後には大内が居ります。大内と決戦をするのであれば、我等も多大な出血を覚悟する必要がありましょう」

「そのようなことは分かっておるわ。故に、毛利をだしにして大内をおびき出し、手痛い打撃を与えれば我等の道を邪魔する者もいなくなろう。安芸には大内に属する国人だけではない。武田も吉川もおる」

 結局、久幸が何を言っても結論は変わらなかった。

 詮久は毛利家を討伐し、大内家に打撃を与えることで後顧の憂いを絶とうと考えているのだ。そして、それが実現できるという自負がある。こうなってしまっては、もう誰も彼を止めることはできなかった。

 

 

 

 

 □

 

 

 

 

 元就を引き抜いたのは晴持が主導した謀略の一つであり、その目的は安芸国の支配権の確立である。しかし、安芸国に表立って手を出すとなれば、必ず尼子家が出てくる。毛利家を引き込む事による利益と不利益を秤にかけて、大内家一同は毛利家を引き抜くのを決めた。

 そうして、引き抜いた結果、毛利元就は跡取りである毛利隆元を大内家に人質として寄越してきたのであった。

 その隆元は、時折晴持の部屋を訪れて談笑したり、茶を飲んだり、またあるいは仕事を一緒にしたりしている。

 当初は、人質という立場があったのだが、商人との交渉に力を発揮することが分かって以来、多方面にその力を発揮しているのである。

「それにしても隆元は有能だな。あっという間に商談を取り付けるとは」

「え、そうですか? きちんとお話を聞いてあげれば大体何とかなりますよ」

 栗毛の髪を腰まで伸ばした少女は、茶器を玩びながらなんでもないように言う。

 しかし、それがどれだけ有用な技術かこの娘は分かっていないのだ。商人との繋がりは、特に大内家にとっては必要不可欠である。商談というのも、また然り。武将の中には、商人を軽んじる者もいて、隆元のように、誰ともきちんと話をして、正しく商談を纏める能力を持っている者は、意外と少ない。

「何を言っているんだ。大内は商業で持ってる家だぞ。商人との繋がりは重要だよ。隆元の力は、もうなくてはならないものになっている」

「本当ですか? えへへ、じゃあ、わたしもっと頑張ります」

「ああ、期待している」

 ふわふわとした印象を抱かせる彼女は、やはり武将としてはまだまだなのだろう。覇気が感じられないところなどは、まさに文化人といったところで、義隆と気が合うのも頷ける。

「若様」

 そこに声がかけられた。

「武任か。どうした」

「緊急の軍議を行うとのことです」

「尼子が動いたか?」

「はい。どうやら、そのようで。尼子の狙いは、恐らくは毛利かと」

「分かった。すぐに行こう」

 隆元が不安そうな顔をしている。その隆元に晴持は声をかけた。

「隆元も来い。郡山が戦場となれば、地の利に明るい君の知識が必要だ」

「は、はい!」

 隆元は、勢い勇んで返事をして、飛び上がった。

 

 

 軍議には、それほど重い空気が流れているわけではなかった。

 尼子家と大内家の力は、どちらかといえば大内側が優勢である。その上、攻め込まれるのは毛利家である、大内家の本領が侵されるわけではないという他人任せな楽天的考えがあった。

 もっとも、最大の理由は尼子家が毛利家を襲うことなど、はじめから分かっていたということであろう。

「武任、尼子はいつ頃動きそう?」

 義隆に問われた武任は、平伏しつつ、

「来年の秋頃と思われます」

 と答えた。

「そのような情報が入っているのね?」

「はい。それに、尼子は今播磨に進出しておりますので、そちらとの折衝に時間がかかるものと思われます」

「そう。じゃあ、隆豊。安芸の様子は?」

「今の段階では毛利元就殿の他、平賀弘保殿、小早川興景殿がこちらに就くと表明しております。また、ですが、沼田小早川家はこちらに就くか判然としておりません」

 平賀弘保は安芸平賀家の前当主であるが、彼の息子は尼子方に属している。今の安芸平賀家は大内家と尼子家の二つに割れて相争っているのだ。そして、小早川興景は二流ある小早川家のうちの竹原小早川家の当主だ。竹原小早川家は、早くから大内家に従う大内方の安芸国人である。

「じゃあ、隆包。武田の動きは?」

 弘中隆包は、ほわほわとした雰囲気をそのままに、間延びした口調で報告した。

「はいー、特に変わった動きはないようですー」

「つまり、武田は今内紛状態にあるままね」

「そうですー。たぶん、信実さんが尼子さん達に援軍を要請したんじゃないかと思いますー」

「ふん、安芸守護も傍迷惑極まりないわね」

 安芸武田家は、安芸国の分郡守護を務める家系だ。若狭武田家が安芸国の分郡守護を務めているので、実際は守護代のような立場だが、若狭武田家も力を衰えさせている時代にあって、実質的な守護として活動していた。 

 それでも、安芸武田家は、名家であるが、近年はその勢いが急速に衰えてきていたのだ。それは、安芸国の国人達が独立心の強い者達だったということと、大内家や尼子家の干渉があったからであるが、最大の要因は毛利元就だろう。

 先先代の安芸武田家当主武田元繁は、当初は大内家の下に就いていた。ところが、安芸国内の平定を任された元繁は、大内家から尼子家に乗り換え独立してしまった。元繁は項羽にも並ぶ武勇の持ち主と恐れられた武将である。その手綱を手放してしまった大内家としては、その衝撃はいかほどのものだっただろうか。

 その元繁を有田中井手の戦いで討ち取ったのが、家督を継ぐ前の毛利元就である。

 安芸武田家はここから一挙に衰退し、遂にその血は先代武田光和で絶えてしまった。

 現当主の信実は若狭武田家からの養子だが、家臣達の争いを纏めきれず、城を捨てて実家に逃亡している。それが、尼子家の裏でなにやら動いているという。

「じゃあ、次。予想される尼子の侵攻に対する対策。晴持何か案はある?」

 問われた晴持は、腕を組む。それから、

「幕府からの尼子退治の命を取り付けるのがいいかと」

「詳しく」

「尼子家の目的は、そもそも上洛です。ですが、幕府はそれを快く思っているわけではありません。今の畿内は木沢長政の反抗に対処するので手一杯ですので、尼子の進出は事態を混乱させかねません」

「なるほど。それを利用して、尼子家の後背をわたし達が突く正当性を貰うわけね」

「はい」

「よし、ならば早々に使者を立てるわ。元就殿には、こちらから最大限の助力をするので、心安く居られよと伝令を遣わす。これでいいわね。隆元。あなたはいつでも兵糧を準備できるように商人達と話を付けておきなさい。隆房。尼子が出てきたら、あなたの力が必要よ。戦の仕度を怠ることがないように」

「は、はい!」

「了解!」

「では、これで解散。各々、尼子とあと西の少弐の動きは特に注意しておくように」

 大内家の敵は東の尼子家と西の少弐家である。この内、少弐家はすでに没落の兆しが見えているのだが、度々の遠征の甲斐もなく、未だに南肥前国を拠点に頑強な抵抗をしている。彼らがいる限り博多を安定して抑えることができないので、これも取り除くべき脅威だ。

 とはいえ、今のところは少弐家に対しては監視で十分であろう。南肥前で暗躍しているものの、大内家に対抗するほどの勢力には至っていないのが実状だ。

 やはり、尼子家との戦いをどうにかしなければ、大内家の危難は去らない。毛利家を介した戦いは、その実大内家と尼子家の熾烈な勢力伸展競争であり、勝つか負けるかで、その後の興亡に大きな影響を与える。

 少なくとも、負けたほうは安芸国内の勢力基盤を失うと考えていい。

「あの、晴持様」

「どうした、隆元」

 自室に下がる途中、隆元が後ろから声をかけてきた。

「その、大丈夫でしょうか。おか、母上は」

 お母さんと言おうとしたのを、慌てて固い言い回しに改めた隆元の顔には不安の色が張り付いていた。

「大丈夫だろう」

 晴持は、その不安を取り去るように笑いながら断言した。

「元就殿は、俺が知る中で最も策略に秀でた方だ。そう易々と敗れることはありえない」

「そうでしょうか」

「策略家と言われるのは、娘としては嫌か」

「そういうことではないのですが。家での母と世間の評が異なっているので、少々」

「武将としての顔、か」

「はい」

 隆元にとって、母の元就はよほどいい母親なのだろう。その一方で、世間では毛利元就と言えば油断ならぬ武将として畏怖を集めている。有象無象の寝返りならばまだしも、毛利元就となれば、敵に回すにはあまりに危険すぎる。それも、尼子家が出兵を急ぐ理由の一つだろう。

「この一年が勝負だな」

「はい。精一杯、頑張ります」

 隆元は、決意を新たにして小さな拳を固く握り締めた。

 その様子を見て、隆元の武将としての決意、あるいは覚悟が、固まりつつあるのを感じながら、晴持は自室へ戻っていった。

 

 

 

 □

 

 

 

 戦に備える一年というのは、瞬く間に過ぎ去った。

 尼子側から毛利家が領する吉田へ軍を進める際に通る道は、二通り考えられる。 

 石見路と備後路である。

 この二つの街道は、赤名というところで分かれる。備後路は、三吉から志和地を通って吉田に出る。石見路のほうが道としては平坦で歩きやすいのだが、尼子詮久の命を受けた尼子国久は備後路を選択した。

 国久に課せられた命は、いわば露払いである。

 夏も盛りという頃に、尼子軍は国久を大将とする先発隊を組織して、進軍を開始した。

 三〇〇〇名の兵を率いて、毛利家に臣従する宍戸氏の祝屋城や五龍城を陥れ、吉田に進出するのが狙いであった。

 作戦に参加した将は、尼子家中でも勇猛な新宮党の武将達。国久のほか、その子誠久、そして詮久に臆病者と蔑まれた幸久といった猛者達だった。

「毛利元就は、何を仕掛けてくるか分からない」

 というのは、依然として幸久の心中にはあった。しかし、それを口に出してしまえばまたしても臆病者と揶揄されてしまう。かくなる上は、己の手で毛利元就の首を獲るしかない。

 しかし、それだけ用心深く元就を警戒していた幸久ですら、この時点ですでに元就の手の平の上であった。

 険しい備後路を選んでしまったことで、兵の体力は削られている。ましてや、今は炎天下。山道を進むだけで、脱落者が出てもおかしくはないという気候なのだ。

 そこに、五龍城の宍戸元源とその孫の宍戸隆家などが襲い掛かった。そもそも、よそ者の尼子勢に対して、宍戸家は地の利に明るい。兵数に劣りながらも神出鬼没の戦法で大いに尼子勢を苦しめた。

 結局、尼子勢は、犬飼平や可愛河岸の石見堂の渡しを中心に構築された宍戸勢の防衛線を突破することができず、退却することとなった。

 

 

 

 戦勝の報告と援軍要請が大内義隆に届けられたのは、そのすぐ後のことであった。

 さすがは毛利元就と大内家中は一気に盛り上がった。

「晴持。援軍、行けるわね?」

「無論です」

 晴持は義隆に言われるまでもなく、兵の準備を整えていた。

 尼子詮久が、毛利家を討つのに三〇〇〇しか用意しないというのがおかしい。元就が座す吉田郡山城は、元就の手で強固な要塞に造りかえられている。控えめに見ても、正攻法では一〇〇〇〇は落とすのに必要な堅城だ。

 だとするのなら、今回の尼子家の動きはあくまでも先鋒であって本隊ではないと考えるべきで、先鋒が崩されたからには、巻き返しを図るべく、より数を増した尼子勢が押し寄せてくることは想像に難くない。

「総大将は晴持。副将は隆房。それに隆豊も加わりなさい。それで、一〇〇〇〇の軍で安芸に向かうの」

「はッ」

 義隆は即決した。

 幕府から尼子退治の命を取り付けたこともあって、俄然やる気になっているのだ。義隆は保守的な性格なので、幕府のお墨付きなど、権威あるものには弱い。それは、幕府の威光に逆らえないということもあるが、同時に幕府を味方につけるのが上手いということでもあった。

 元就からの援軍要請からしばらくして、遂に尼子詮久が動いたとの知らせが入った。

 その数は実に三〇〇〇〇。出雲国、石見国、伯耆国、因幡国、備前国、備中国、備後国、美作国、安芸国から集めた兵を以て、一息に毛利家を押し潰さんとしているのだ。詮久も本気になったということだろう。

 対する大内家も迅速に準備を整えていた。

 尼子家の安芸国侵攻に備えて毛利隆元が奔走した結果、十分な兵糧も集まり、晴持は総大将として軍を率いて安芸国に向かった。

 晴持率いる一〇〇〇〇の兵の中には、隆房、隆豊、そして隆元の他、杉隆相なども参加し、これもまた大内勢の先鋒としては実に華やかな面子であった。

 この背後に、さらに大内義隆が率いる本隊がいるのだから、尼子勢の数の利は事実上なくなったと言えるだろう。

 

 

 集めた情報によると、元就は一族だけでなく領内の農民達も一緒になって城に篭ったらしい。城に篭ったのは、およそ八〇〇〇人。その内、戦えるのは二五〇〇人ほどだという。さすがの毛利元就も十倍以上の戦力差を前にしてはまともにやり合おうとは思わない。守りをしっかりと固めて、敵の隙を窺うゲリラ戦で尼子勢の消耗を狙うという戦い方をしているらしい。

 今回は前回と同じ轍を踏まぬよう、石見路を通って吉田に流れ込んだようだ。

 とはいえ、堅牢な毛利の城を前に梃子摺るのは目に見えている。峻険な山の上に築かれた郡山城は、城に至る山道がとても狭く、よくて三列ほどにしかなれない。尼子勢は、三〇〇〇〇人というの数の利をまったくと言っていいほど活かせないのである。

「あっというまに落とされてしまうということはないと思うよ」

 というのが隆房の意見であったし、他の者達もそのような意見が大勢を占めていた。

「だが、不安もある。隆相に国人衆の一部を割くから、元就殿の応援に行ってくれ」

「御意」

 隆相には小早川興景をはじめとする国人達を加えた一軍を以て先行させる。後詰として尼子勢の背後を脅かすのだ。その上で、晴持達は、厳島神社に向かった。

 

 

 

 □

 

 

 

 厳島神社は、島そのものが神として崇められた神聖な神社である。平清盛が海上に建つ社殿を建て、平家納経を納めたことで有名だ。

 それでも、時代の流れは恐ろしいものだ。

 晴持は平成の写真やテレビで見るような美しい厳島神社を予想していただけに、すっかり寂れてしまった神社の姿を見せつけられて、胸に寒風が吹き込んだかのような気がしてしまった。

「どうか、されましたか?」

 どうやら、傍にいた隆豊に心配をかけたらしい。

「いや、なんでもない。ただ、思っていたのと違ったから」

「厳島神社が、ですか?」

「ああ。もう少し、綺麗なものだと思っていたよ」

「そうですね。……この神社は、水上に社殿がありますから、野分などで被害を受けやすいんです。しかし、修復にはお金がかかってしまいますから」

「毎年のように修復していられない、ってことか」

「はい」

 厳しい懐事情はどこも同じらしい。大内家が他に比べて豊かだからか、その感覚がどうしても狂ってしまう。少なくとも、本城の周囲に、みすぼらしい寺社はない。義隆が、多額の寄進をしているからだ。

「安芸国は、結局国人による連合で成り立っていますので、この地の豪族は厳島神社の管理に費やせるほどの資金を持っていないのだと思います」

「もったいないな」

 寂れてしまった神社を眺める。文化財などという概念が、まだない時代だし、戦と領内の発展に力を尽くさねば生きていけない時代でもある。大内家のように、懐に余裕のある大名だけが、寺社仏閣の管理に多額の資産を投入できるのだ。

 それでも厳島神社の権威は未だ強い。安芸国に於いて信心を集める神社を、わざわざ戦の最中に訪れたのは、戦勝祈願をするためである。

 やはり、呪術的信仰の強い時代だ。神の加護を得るというのは、兵の士気を高めるのに重要で不可欠の儀式である。

「戦勝祈願も兼ねて、厳島の神々に大内家の大義をご理解いただこう」

 軍議で、晴持はそういう提案をした。

「尼子の不当性と大内の正当性を書き記した願文を奉納する。幕府からだけでなく、神々からもお墨付きを得るんだ」

「なるほど。そうすれば、兵の士気も一気にあがるね」

 隆房が頷いて、早速願文の準備を始める。

 そして、願文を神社に納め、戦勝祈願をした。

 

 そこまでは良かったのだが、吉田に軍を進めるに当たって、ある問題が発生した。

 厳島神社から、毛利元就の居城である吉田郡山城に向かう途上には、尼子家に加担する国人がいる。その代表とも言うべき者が武田信実である。

 戦勝祈願を終えて、吉田に向かおうというときに、信実の情報が入ってきた。

「信実殿が、銀山城にお戻りになっているようです」

 隆豊が報告を入れてくれた。

「信実殿が銀山城に居られるので、陸路で吉田に向かうならば背後を襲われる恐れが」

「ならば、海路で迂回して吉田に向かうというのはどうだ?」

「しかし、そうすると退路を絶たれるかもしれん」

「面倒なところに陣取りおって、敗残の守護め」

 と、将兵は憎憎しげに呻きたてる。

 武田信実は、尼子勢の毛利侵攻に対して吉田の後背を突くつもりでいたのだが、晴持率いる来援の兵が予想以上に速く進出してきたために城を空けることができず、篭城の仕度をしているという。

「迂回もできんのでは、することは一つだ。武田は大内家にとっても積年の恨みがある相手。銀山城を叩き潰して先に進む」

 晴持は、そう言って今後の軍の進路を決定した。

 安芸武田家が支配する佐東郡は、広島湾を押さえる格好の位置にあり、大内家にとっても無視できない要衝の地である。さすがに守護家が陣取るだけあって、安芸国内の重要地域となる。晴持が陣取る厳島神社からもそう距離が離れていないので、晴持達の動きは山頂から見えていることだろう。

 

 

 銀山城は、大内義隆の初陣の城であるなど、何かと縁のある城で、今までにも何度か攻めている。しかし、一度として大内家がこれを攻略できたことはないという天然の要害なのである。

 武田山に築かれた銀山城は、五〇近い郭を配し、周囲に支城や寺社を設けて強固な防衛網を築いていた。城の中には、武田信実と尼子家家臣の牛尾幸清らが三〇〇〇人の兵で篭っている。

 見上げる城は、標高四〇〇メートルほどのところに築かれていて、そこに至るまでが非常に険しい。

「どのように攻めましょう」

 いかに銀山城を攻めるといっても、そこが問題になってくる。この城を攻め落とすのが困難であるということは、大内家の者であれば、皆嫌というほど知っているからだ。

 前当主大内義興が落とせなかった、というのが、大内勢のこの城に対する苦手意識の源泉でもある。

「若、行けといってくれればあたしがパパッとやって見せるよ!」

「隆房、それは蛮勇って言うんだよ」

 こうしている間にも、元就の居城は攻められているのだろう。杉隆相が迂回して吉田に向かったが、それだけでは牽制程度にしかなるまい。

 だが、焦ったところでどうにかなるわけでもない。

「御注進! 先鋒小早川殿、敵勢の抵抗激しく撤退!」

「そうか。分かった」

 様子見に当たらせた小早川の軍勢も、跳ね返されたか。敵は鬨の声を上げてこちらを挑発してくる。戦力差はおよそ三倍。兵法書に於いて城を落とせるとされる数のギリギリだ。後に尼子家との戦いが控えているから、無理に攻めることもできない。

「守りを固めて、夜襲に備えろ。敵の挑発には決して乗らないように。勝手な行動は厳罰に処す」

 そう指示して、隆房や隆豊と思案を重ねる。

 力攻めには恐らくは屈しない。できたとしても、こちらにも多大な損害が発生する。尼子家との戦いを控えてそれはよくない。そして、こちらの事情を、武田側も熟知しているだろう。

 勝利条件は、味方の出血を抑えて城を獲る。この際、信実の首は不要だ。そして、敗北条件は郡山城の開城。郡山城が落ちてしまえば、大内勢は途端に形勢不利に陥る。

 とすると、一刻も早くここを抜かなければならないのだが、力攻めもできず、手の打ちようがない。

「若ぁ……!」

「焦る必要はない。焦って功を急げば台無しだ」

 隆房の焦れたような声を封殺し、隆元に視線を向ける。

「隆元」

「はい」

「郡山城には、八〇〇〇人が篭り、二五〇〇人の兵がいると聞く。この人数でどれだけ持つと思う?」

 元就が用意した兵糧の数や将兵の質などは、毛利家のものではない晴持達ではどうしても調べきれない。状況が刻一刻と変わっていく戦場に於いて、それらの分析がより正確にできるのは隆元以外にいない。

「母上の策にもよりますが、篭城に徹しても半年は持ち堪えられるはずです」

「半年か……」

「若様。銀山城もまたそのくらいは持ち堪える可能性があります。降伏開城もまた難しいかと」

 隆豊が調べたところによれば、信実は周囲の村から米を買い叩いていたらしい。

 兵糧米は豊富にあるということだ。それならば、尼子家と毛利家の戦いの趨勢がどうあれ、銀山城は守りを固めて門を閉じ、息を潜めてその時を待つだろう。

 その時とは、毛利家が崩れ尼子勢が一挙にこの戦場になだれ込んでくるときだ。

 武田信実の確実な勝利方法は、その時をじっと待ち続けることだ。

「そっちがその気なら、こっちもそのつもりでやってやればいい」

 城攻めは焦れたほうが負けるものだ。

 晴持はそう心して、この地に腰を据えて銀山城に当たることにした。


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