大内家の野望   作:一ノ一

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その三十

 九国に大内家が本格的に参入した事で、情勢は一気に動き始めた。

 島津脅威に色めき立っていた九国の諸勢力は新たな勢力の出現に警戒の色を濃くし、果たしてどちらに就くべきかを決めかねる状態となった。

 大内家の九国における版図は、日向国北部、豊前国、筑前国北部となっている。

 経済の要衝を押さえているので、他勢力に対する優位性となっているが、問題は、日向国が飛び地となっている点だ。

 海路での輸送が可能とはいっても、事変に対して即座に動けるわけではない。

 仮に島津家や大友家に攻め込まれた場合、その地の将兵が決死の覚悟で守らねばならなくなるし、下手をすれば大内家から独立しようという動きを出しかねない。

 そのような意味では、明らかな失策である。

「肥後近くを取れた事をプラスに考えるしかない、か」

 晴持は現状をそのように考えて、前向きに捉える事にした。

 日向国に関しては、小丸川以北を取った大内家ではあるが、一部を伊東家に返還している。彼らには島津家に対する押さえとして、頑張ってもらわないといけない。

 晴持が日向国での活動の中心と定めたのは、大友家に亡ぼされた土持家の所領であったムジカの周辺だ。

 ここは、複数の川が流れる水運の地で、延岡港という良港に恵まれている。この地を中心にして、四万石ほどの石高を期待できる範囲を所領と定めて日向国の運営拠点とした。

 本当は、一から築城したいのだが、そういうわけにもいかない。時間と資金の問題がある。よって、ここは五ヶ瀬側上流に位置する松尾城を改修して利用する事とした。

 川の北岸にある小さな丘陵の上に建つ城は、大友家に亡ぼされた土持家の最後の城であった。

 そのため、大友家からの攻撃を受け、落城した折の傷がそのまま残っており、使いまわすには修復する箇所が多い。

 これから冬に入り、気温は一段と下がってくる。

 降雪量が少ないのを幸いとすべきか、それとも攻められやすいので不幸とすべきか判断が付きかねるが、とにもかくにも冬であっても作業を続行できるのは嬉しい。

「門の上は多聞櫓にしよう。コの字形の」

 戦国時代後期に出現する多聞櫓は、松永久秀の居城であった多聞城に由来するという。

 簡単に言うと長屋のように兵が常駐できる建物を、そのまま城壁上に築く事で櫓としての機能を持たせられるというものだ。

 兵が建物の中にいるので、攻めにくく、防御力は極めて高い。

 コの字型に配置すれば、敵を引き寄せた上で三方向から挟み撃ちにできる。

 城の縄張りは初めからあるものを使うので、建物そのものにしか手を加えることができない。小山の上にあるというのも自由度を下げる要因だ。

 とはいえ、実際に造るのは晴持ではなく大工だ。

 彼らの技術で、これが造れるのかどうかが問題となってくる。

「はあ、長屋風の櫓ですか……」

 棟梁に尋ねると、興味深そうな視線を向けてくる。

 五〇の大台に入るくらいの、細身の男性だ。額に鉢巻を巻き、一見すれば寒そうな薄手の着物を着ている。しかし、作業をしていたからなのだろう。彼の頬を汗の雫が伝っていた。

「可能ですか?」

「可能か不可能かって事なら、可能としか言えませんな。俺達にも矜持がありますんでね」

「それは心強い」

 職人気質の棟梁の事だから、必ずそう言うと思っていた。

「何、長屋一つ建てるのと大差ないんで、それ自体は難しくねえのよ。ただし、問題もありましてねえ」

「問題……?」

「ぶっちゃけ人手不足なんですわ。大友さんがいろいろとしてくれたおかげで、皆方々に散っちまってなぁ」

 棟梁は恨めしそうな顔をする。

 大友家が日向国に入ってした事は島津家との決戦ではなく、とにもかくにも宗教弾圧であった。

 多くの寺院が破却され、南蛮寺へ造り変えられた。

 その際に、地元民は皆逃げ出してしまい、大友勢は人手不足の深刻化によって南蛮寺の創建に宣教師が自ら木材を運ばねばならない状況だったという。

「なるほど。人手に関しては、何とか呼び戻せるように努力しよう」

 木材を運ぶにしても人手は必要だ。

 今は城の改修に力を注いでいるが、そのうち寺院の再建も行わねばならない。そうなると、人手不足は益々深刻化するだろう。

「こっちでも、何とかやり繰りしますわ。後で図面見てもらいてぇんですが」

「是非とも見せていただきたいですね」

 敵の間者が入り込む可能性を考えると、人手は安易に増やすわけにもいかないし、難しい問題だ。

 地元民を徴発できれば、その危険性は格段に減るので都合がいい。

 敵との戦いもそうだが、戦災を恐れて逃げてしまった人々を呼び戻すために、治安の回復と商業の活性化は必要不可欠な課題なのであった。

 

 

 城下の屋敷に戻った晴持を待っていたのは光秀であった。

 色素の薄い髪。

 出会った頃は、肩よりも上で切り揃えていたのが、最近は切る暇がないのか肩にかかるくらいにまで伸びていた。

 こうして見ると、目鼻立ちが整っている事もあって、姫武将というよりも深窓の令嬢といった風だ。

 大友家に捕虜と伊東家旧臣の交換を交渉しに行くなど、晴持の右腕として十二分に力を発揮してくれており、ここ数日も肥後国の国人阿蘇家に出向いて協力を要請しに行っていたのである。

「お帰り、光秀」

「ただ今戻りました、晴持様」

 光秀はきりりとした表情を崩して、柔和な笑みを浮かべた。

「帰ってきたその足で来たのか?」

「はい。身だしなみだけは整える時間をいただきましたが、極力早くお目にかかりたいと思いましたので」

「そうか。わざわざすまなかったな。疲れているだろうに」

 初めて逢った時から、それなりに長い時間を共有したとはいえ、外見が大きく変わるような月日ではないのだが、光秀の印象も、ずいぶんと柔らかくなったような気がした。

 気心が知れてきたということだろうか。

 光秀を暖かい茶を出して、光秀の苦労を労う。

「こちらは、活気が戻ってきたようですね」

 茶碗を置いた光秀が、そのように言った。

 大友家に破壊された街並の復旧は、最優先事項として進めた。その効果もあるだろうが、それでも棟梁が言ったとおり、以前の水準には遠く及ばない。久しぶりに帰ってきた光秀にとっては、変わったように見えているのかもしれないが、まだまだ、道のりは険しい。

「人手不足が甚だしくてな。城の補修もままならないくらいだ」

「また、奇特な事を仰ったのでしょう」

「奇、特? いや、そこまでではないんだがなぁ」

 そもそも、光秀に奇特と言われるほどおかしな事をしているわけではない。

「しかし、何かしら難題を申しつけられたのではないのですか?」

「まあ、そうかもしれない」

 多聞櫓は、まだ一般に知られている構造ではないし、松永久秀が果たしてこの構造を取り入れた城を建てたかどうかも定かではない。

 まったく新しい構造の櫓という点では、試行錯誤が必要なところも多いだろう。

「だが、必要だ。日向は、いつ死地になるか分からないからな。少しでも、城の守りを強くしなければ」

 多聞櫓の特徴は、これといった弱点がない事だ。

 中の敵を狙撃するのも難しく、上って乗り越えるのはほぼ不可能である。

 よって、構造を相手に知られたとしても、攻め寄せる敵は距離を置くか力押しをするかしかなくなる。ミサイルでもあれば、話は別だが。

「ところで、阿蘇のほうはどうだった?」

 阿蘇家は古代から連綿と続く名家であり、肥後国内でも有力な国人である。

 当主は阿蘇惟将という人物だという。

 光秀を使者に立て、阿蘇家に向かわせたのである。無論、対島津戦線を構築するためだ。

「島津家の北上に対して、阿蘇家の方々は非常に強い関心を示しておいででした。ただ、大友家が島津家に大敗を喫した事から、家中が揺れているのは確かなようで」

 元々は大友家を盟主とした連合であった。

 南肥後国の相良家も含め、一丸となって島津家に対抗しようとしていたのだが、小丸川で大友家が島津家に撃破され、大打撃を被った事で、連合による島津打倒という構想が大きく後退した。

「こちらとの同盟は、上手くできそうか?」

「はい。大友家との同盟よりも、新たな秩序を模索しているご様子でした。わたし達の提案にも、非常に強く関心を示しておいででしたので、後は詳細を詰めていけば問題なく話は進むかと思われます」

「そうか。それはよかった。少なくとも、島津家に就くつもりはないと言う事か」

「そのようです」

 日向国での戦が一応の決着を見た以上、島津家が次に狙うのは肥後国であろう。真っ先に狙われるであろう相良家とも連携を深め、肥後国で島津家の北上を食い止めたいところである。

「晴持様、大友家はどのようにされていますか?」

「大友か」

 光秀に問われて、晴持は唸るように言った。

 大内家にとっては仇敵の一つである。しかし、現状の大友家は最盛期にくらべて陰りが見え始めている。元々、内部に火種は多く燻っていたが、それが島津家との戦いによって大きく燃え上がったような状態である。

 まだ、明確にとは言えないが、大友家が弱体化していくのは火を見るよりも明らかであった。

「実は、阿蘇家に赴いた時に、気になる噂を耳にしました」

「気になる噂?」

「はい」

 と、光秀は真剣そうな視線を晴持に向ける。

「島津家が龍造寺家と結ぼうとしているとか」

「……は?」

 島津家が龍造寺家と結ぼうとしている?

 一瞬、光秀が何を言っているのか分からなかった。

「それ、本当の話か?」

「まだ、噂話の段階ですが」

 確かに、噂と前置きはされていたが。

「それなりの確度はあると見ているのか?」

「島津家にとっては、単独で大内家と戦うよりは他の勢力と連合するほうが都合がいいと思います。龍造寺家は少なくとも肥後を押さえる上では島津の邪魔にはなりませんから、結んでも不思議ではないのではないでしょうか」

「島津と龍造寺が結んだら、これまで以上に厄介な事になるじゃないか」

 島津家の北上に加えて、龍造寺家の侵攻にも注意を払わねばならないという事になる。

 すると、肥後国はまさしく草刈場となろう。

 早いうちに何処の勢力に属するのかを決めておかなければ、あっという間に征服されてしまう。

 このような噂が出るという事は、果たしてどういう事なのだろうか。

 あえて島津側が情報を流している可能性もある。慎重に判断しなければならないところだ。

「その噂が本当なら、ますます大友ともめている場合じゃなくなるな」

 大友家の影響力が激減しているのだから、今まで大友家に就いていた筑後国や肥後国の国人達が龍造寺家に取り込まれていくかもしれない。

 かといって、大友家を取り除こうとすれば、九国に味方が完全にいなくなり圧倒的に不利な立場に立たされる。

「ですので、大友家の内情を確認しておく必要があるかと。場合によっては、早期に同盟を結ぶのも已む無しではないか思います。差し出がましいようですが、一つの策として検討していただければ幸いです」

「そうだな。龍造寺の噂の確認も必要だが、大友と結ぶのも今の段階では重要か。大友家が内訌に揺れてくれているなら、こちらと戦わないという方針を示してくれるかもしれない」

 内憂外患が、大友家の課題だ。

 内憂を放置していては内側から崩れるのは必至。しかし、外患を放置していても、外側から食い破られるのは確実という二進も三進もいかない状態なのである。

「義姉上に書状を認める。大友との同盟を前向きに考えていただけるのなら、日向も守りやすくなるからな」

 加えて、対島津戦線を構築しやすくなる。

 大友家のネームバリューはまだまだ強い。そこに大内家が加われば、安心感を増すことだろう。

 戦というよりも、どのように味方を増やしていくかという点にこそ、重点をおかねばならないのであった。

 

 

 

 □

 

 

 

 味方の大敗の報は風のように素早く道雪の下に届けられた。

 当初は、宗麟の安否すらも判然とせず、眠れない夜を過ごしたものであった。

 筆を置いて、ため息をつく。

 宗麟が命からがら府内に逃げ戻ってきたのは幸いであった。

 困った事に、宗麟は大内家が側面から現れた際に、前線で島津家と戦っている本隊を置いて、一戦もせずに逃げ帰ったという。

 大将のする事ではない。

 とはいえ、宗麟には軍才がない。

 大友家はこれまでに大きな敗戦をする事なく領土を拡大してきたが、それは外交で味方としたり、道雪のような優れた軍略家が前線で指揮を執ってきたからであり、宗麟自身が勝利に貢献した事はほぼ皆無と言ってよかった。

 故に、宗麟が側面を強襲した大内家に対して有効な反撃を加えるのは不可能であり、素早く兵を退いたのは英断とも言えるのだが、最前線で戦ってきた兵達はそれで納得はしないだろう。

 島津家に追撃され、命の危機を乗り越えた彼らは大内家の捕虜としてしばらくの間敵陣に留め置かれ、最近になってようやく帰国の途についた。

 結果として、大友家は何も得るものがなく、失うものはあまりに大きかった。

 

 すっかり冷たくなった風が、心にまで吹き込んでくるかのようであった。

 日向国への介入を、道雪は時期尚早と宗麟に申し入れていた。

 島津家の勢いは侮りがたく、大内家や龍造寺家といった近隣の勢力の動静も不明瞭なままで大軍を南下させれば、本拠地を守る者がいなくなる。

 折りしも、宗麟と南蛮神教に反感を抱いていた立花家と高橋家が叛旗を翻した事もあって、大友家は窮地に立たされていたはずだったのだ。

 しかし、その危機は戸次道雪や吉弘鎮理(しげまさ)の活躍によって事なきを得る。

 立花、高橋は共に大友家にとって大切な家柄であり、それが潰える事はただでさえ内部の統率に難のある現状では好ましいことではない。 

 ましてや、宗麟自身が日向国で大きな敗戦を経験した直後とあっては、なおさらの事。

 そこで、宗麟は立花家を道雪に、高橋家を鎮理に継がせる事としたのである。

 道雪は姓を立花として立花道雪と改め、鎮理は高橋家を継いだのを継起として高橋紹運と名乗る事となった。

 道雪が居城とする立花山城は、博多を見下ろす経済の要衝である。

 ただし、博多の支配権は大友家にはない。

 大内家が守りを固め、大友家の干渉を排除している。

 つまり、立花山城は大友家と大内家の領土が接する地にある最前線という事だ。それ故に気苦労も多いのだが、それ以上に主家の現状が気になる。

 道雪は、立花家を継いだ事で、中央から遠ざけられてしまった。

 大友家を守るためとはいえ、見方を変えれば政治的に敗れたとも取れる。

 宗麟が、今回の敗戦を受けてどのような政治路線を行くかまだ分からないが、問題の根幹にある南蛮神教への耽溺を改めるとは思えない。

 道雪は動かぬ足に鞭を打って立花山城を落とし、居城としたが、できるのならばこれまでと同様に宗麟の傍で彼女を見守っていたかった。

 しかし、時勢がそれを許さなかった。

 未曾有の危機にあって、道雪のような軍才を持つ者を政治に徴用するわけにはいかない。

 今の道雪は軍事に力を注ぐべきであったし、足が不自由になったために移動の自由も制限を受けている。とても、領国と府内を往復して政を行える状態ではなかった。

「義姉上。あまり無理をなさると、お身体に障りますよ」

 そこに、やってきたのは長い紅の髪を頭の後ろで結い纏めた女性であった。

 背は高く、すらりとした細身だが、その歩みにブレがなく、一本の筋が真っ直ぐ背骨に通っているかのようであった。

 よほど、身体を鍛えてきたのであろう。

 彼女の名は高橋紹運。

 道雪とならび、忠誠心に溢れる豪傑である。

「鎮理。そちらこそ、今は大変な時期でしょう。このようなところで油を売っている場合ではないのではありませんか?」

「兄様の件なら、もう大丈夫です。初七日は終えましたので、これからは政務に軍事に粉骨砕身していきます」

 紹運の兄は、吉弘鎮信(しげのぶ)といい、この度の島津家との戦いで壮絶な討ち死にを遂げた。

 伝え聞く小丸川の戦いは、紹運の予想を遥かに超えた激戦だったようで、万を超える兵が屍を曝した事もあって、遺体は帰ってこなかった。

「そうですか。吉弘家の家督は、どなたが?」

「兄の子の統運(むねつら)が、元服しまして、立派に当主を継ぎました」

 兄の子がいる以上は、吉弘家を紹運が継ぐ事はない。

 道雪にはまだ後継者がいなかったため、親類から養子を取り、その養子に戸次家を継がせてから立花家の跡を継いだが、もとより紹運には実家に何かしらの配慮をする必要はなかったのである。

「むしろ、あなたのほうは実家よりも高橋家のほう。こちらも、不穏当な事になっているようですね」

「お耳が早い」

 と、紹運は苦笑する。

「確かに高橋家の旧臣の方々は、宗麟様に命じられて跡を継いだわたしを快く思っていません。まだまだ、家中の引き締めができていないのが、気がかりではあります」

「それもまた、仕方がないとは思いますが」

 高橋家を亡ぼした大友家に、旧臣が好からぬ思いを抱くのは当然の事である。まして、その大友家から跡継ぎが送り込まれたとなっては、反発は必至である。

 旧臣達からも温かく迎えられた道雪とは異なり、紹運は高橋家でも活動に難があるのである。

「すでに家を離れた者も多く、伝手を頼って人を集めているのが現状ですね」

「しかし、そうなれば尚の事旧臣の方々は反発を強められるでしょう。今の時期に高橋家が揺れるのは、あまりよい事ではありません。事と次第によっては……」 

 そこで、道雪は言葉を切った。

 これ以上は、内政干渉に当たる。

「覚悟はできております」

 紹運は、端的にそう答えた。

「それに、高橋家も大事ですが、それ以上に主家の安寧が脅かされているところです。そちらにも意識を払わねばなりません」

「そう。そうなのですよね」

 憂いを帯びた表情で、道雪は再びため息をつく。

「先日、府内の宗麟様の下に挨拶に出向いたのですが、皆右往左往して纏りに欠けておりました。民の中からも、南蛮神教に傾倒しすぎた余に神仏の不興を買ったと専らの噂となっておりまして、家中にもそのように吹聴する者がいるようです」

「その者達は、この機に南蛮神教の影響力を引き下げようとしているのでしょう。ですが、それでも宗麟様はお変わりになられない」

「家中の不満が日に日に増しているように感じられました。これでは……」

「家中の動揺は最小限にしなければなりません。わたしも、宗麟様に書状を認めますが、これから先、苦しい立ち回りになりそうですね」

 道雪と紹運は共に暗雲の立ち込める大友家を支えていく苦難を思わずにはいられなかった。

 しかしながら、両者は共に宗麟を支えていくという方針に変わりはない。

 茨の道も、一歩一歩着実に歩みを進めていく覚悟は、とうの昔にできているのだから。

 

 

 

 □

 

 

 

 大内家、島津家、大友家が日向国で鎬を削っている間に、龍造寺家は肥前国平戸を制圧していた。

 平戸を治めていた松浦隆信は、一時は南蛮貿易にも手を出しており、その財政は潤っていた。そして、莫大な財力を背景に兵力を整え、周囲に兵を繰り出すなど領土の拡大に努めていた強敵であった。

 大内家との繋がりも深いため、迂闊に手を出せば大内家が介入してくる可能性があったのだが、日向国に手を出した大内家は、しばらくの間肥前国に感ける余裕がない。

 時期としては、まさしく攻め時なのであった。

 平戸攻めを任されたのは、信常エリ。

 煌く金色の髪を短く刈った、男勝りの女傑である。スレンダーで女性らしい体形ながら、武勇に秀でサバサバとした性格から男女両方から人望を集める武将でもあった。

「おーす、エリ。平戸の攻略、実に見事だったよ!」

 平戸攻めでも前線で指揮を取り、松浦家を追い落とした活躍は兵の語り草となっている。それだけの活躍をしたのだから、主君である隆信も手放しで喜ぶのは当然であった。

「はい。お褒めに預かり、光栄です!」

「論功行賞の前だけど、一先ずはこれを与えるわ」

 そう言って、諸将の前で隆信がエリに差し出したのは、一振りの太刀であった。

「それを、功の証として持っていなさい」

「はッ。ありがたき幸せにございます!」

 エリは太刀を受け取って、平伏する。

 功を立てた家臣には、惜しみない賞賛を与える。これは、隆信の美点であろう。

 自らの席にエリが戻ったのを確かめて、隆信は諸将を見回した。

「さて、エリのおかげで平戸を手に入れる事ができた。次は島原の有馬を狙うわ。有馬さえ降してしまえば、肥前一国はわたし達のものとなる。皆、心してかかるように」

 次なる標的が明言されて、諸将の間に緊張が走る。

「有馬を攻めるに異存はありませんが、どのようにして攻めるのです?」

 尋ねたのは円城寺胤。

 エリと並ぶ実力を持つ姫武将だ。弓をよくし、智恵も回る。エリが前線で槍を振るうのなら、胤は後方で全軍の動きを操る軍師的な立ち回りを得意とする。

「まずは内側から崩す。すでに、内応の確約も取れているから、大丈夫」

「西郷純堯(すみたか)がこちらに就きたいと内々に書状を送ってきました。必要ならば人質も出すとの事です」

 隆信の答えを裏付けるように、鍋島直茂が答えた。

「その弟の深堀純賢も同じくこちらに就く姿勢を見せていますね」

「確か、その兄弟は南蛮神教を毛嫌いしておりましたね。南蛮神教を深く信仰する有馬の従属下にあるのが我慢ならなかったという事でしょうか……」

「いずれにしても、敵は瓦解する一歩手前。彼らが考えを改める、あるいは造反が有馬に悟られる前に、一気呵成に攻めかかるべきかと」

 直茂がここに来て、改めて有馬攻めの提案をする。

 隆信が勢いで言ったわけではない。

 右腕である直茂もまた、この戦に勝算があるとしている。

 ならば、拒否する理由も見当たらない。

「島津も肥前の事には口出ししない。よって、有馬が島津に助けを求める事はありえない」

 隆信は自信を持って断言する。

「島津との約定は、信頼できるのでしょうか?」

「ああ」

 隆信は頷いた。

 疑う事を知らない子どものように無邪気な笑みではあるが、その裏には綿密な島津家とのやり取りがあった。

「島津はしばらく肥後にかかりきりになる。大友と大内の両方から睨まれているから、わたし達まで手が回らないのさ」

 島津家が北上するには、肥後国か肥前国を狙うしかないが、肥前国を狙うとなれば龍造寺家と激突する事になる。大友家や大内家という大敵を抱えたまま、龍造寺家まで敵に回すのは、明らかに失策であり、島津家としては龍造寺家と同盟、ないし不戦の約定を結ぶ以外に選択肢がなかった。

「島津が肥後を落とすまでに肥前、筑後を攻略し、大友から所領を奪う。これは、早いもの勝ちの競争なのよ」

 屋台骨が朽ち果てつつある大友家とは結べない。大内家とは、以前に仲違いしたのでどうにもならない。そして、大内家は日向国の所領を守るために、とりあえずは大友家との仲を維持せねばならないだろう。隆信からすれば、この二者と結ぶ事に意義はなく、多くの所領を手に入れる事ができるのは、島津家を味方とした時だけだと判断した。

「大友はもう終わりだろうね。筑前の大友派が、少しずつこちらに靡いている。そのうち、内側から瓦解するだろうし、そうなれば、筑後にも入りやすくなる。ね、胤」

「はい。その件に関しては手を伸ばしておりますわ。高橋、秋月が好意的に応じてくださいました」

 筑前国への介入は胤が秘密裏に進めているものなので、そちらについてはよく知っていた。

 高橋家は紹運が継いだが、それに反発する勢力は一定数存在しており、秋月家は大友家に属しているものの、大友家に対しては恨みを抱いており、また、大内家に対しても好意的ではない。この機に独立しようと、両者共に後ろ盾を密かに探しているのであり、そこに龍造寺家が目を付けていたのであった。

「というわけで、肥前の統一を急ぐわ。島津が北上する前に、筑後に兵を向けられるようにね」

「はッ」

 諸将が一斉に返事をする。

 飛ぶ鳥を落とす勢いで、龍造寺家は兵を興すのであった。


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