大内家の野望   作:一ノ一

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その三十一

 九国の動揺は、不用意に九国に踏み込んでしまった大内家にとって早期に対策すべき喫緊の課題であった。

 島津家と龍造寺家が同盟を結んだ事はもはや疑いようもない事実となり、ただその一事を以て九国の大半は敵方になってしまうという極めて厳しい状況である。

 こうした事態に加えて日向国が飛び地となっているという点が大内家の悩みどころで、この問題を解決するのに、どうしても大友家と協調路線を取らねばならないのであった。

 ところが、そうした現場の状況を知る晴持の焦りとは裏腹に、本国の動きは鈍重であった。

 義隆に大友家との同盟を提案しても、どうにも色よい返事が来ない。

 義隆とて、現状の不利を知っているだろうに。

 晴持の中に焦りが積もりつつあったのは、龍造寺家がさらに肥前国の統一に向けて大規模な遠征に出たという情報を受けたからでもあった。

「このままでは後手に回り続ける事になる」

 大友家の内情も不安定だ。

 前線の兵を見捨てて遁走した宗麟の行動が、先の敗戦に加えて非難の対象となっており、それ故に宗麟の立場そのものが危うくなっているのである。

 幸いなのは、日向国の経営は上手く進んでいるという事だ。

 大内家の領土となった北日向の南側は伊東家に任せているので、大内家が深入りする事なく島津家への防衛線として機能しているし、長曾我部家や大内家の直轄地となった地にも人が戻り始めている。

 大内家の評判が助けになったのである。

 大友家のように宗教に厳しい制限を加えない。ただそれだけで、領民は心安く安住できる。それは、おそらくは錯覚なのだが、大友家の侵攻自体があまりに酷かったために、比較的大内家の支配は恵まれていると思われているのであろう。

 家も蓄えも、大友家に奪われた領民達であったが、宗麟が逃亡した際に残していった大量の兵糧を利用して領民を慰撫し、家屋の再建にも優先的に力を注いだ。城の工事がさらに遅れる事になったが、人が定住しなければ翌年の税収にも悪影響が出るから、これはどうしようもない事だった。

 結局、晴持は義隆への新年の挨拶を使者を送る事で済ませなければならないほどに多忙な日々を送る羽目になった。

 忙しさの余に時が過ぎる事すらも忘れそうになるが、それと同時に日に日に時を無為にしているような錯覚に陥っていく。

 一度島津家に攻め込まれれば、現有戦力でどこまで戦えるのだろうか。

 あの強大な敵に、さらに龍造寺家が足並みを揃えて二方面から攻撃してきた時、晴持に防ぐ手立てはないのである。

 そういった不安もあって、晴持は山口に戻り、義隆に直談判する機会を探っていたのだが、結局新年が明けてからさらに一月ほどが経って、ようやく帰国する事ができたのであった。

 山口に到着した時、すでに日は没しかけていた。

 吐く息は白く、風は冷たい。

 空からは小さな雪の粒が音もなく降り、薄らと視界を白く染めていた。

「今年は暖冬だと思っていたんだけどな」

「やはり冬は冬という事でしょう。最近はめっきり冷え込んでいますからね」

 光秀が、跨る愛馬の首を撫でながら言う。

 馬も返事をするように唸り声を上げた。

「この子も寒いと言っています」

「なら、早いとこ行ってしまおう。日が暮れる前には、館に入りたいからな」

 冬の静けさは身体の芯に響く。

 農村にはほとんど人気がなく、皆家の中に篭っているようだった。その一方で、山口の街は活気付いていた。一万戸を越えるまでになった大都市であるから、それだけ人の出入りも激しい。冬だからといって、商業が滞る事はないのである。

 商人達は、ここぞとばかりに冬物の商品を売りに来るし、鍛冶は年中無休である。故に、農村と異なり、館に向かう道々は人の気配に溢れていた。

 しばらく見ない間に、また人が増えているように思えた。

「発展、しているみたいだな」

「義隆様と晴持様のご尽力の賜物です」

「そうだとしたら、多少は自慢の種にもなるかな」

 などと、軽口を叩く。

 人が多くとも、武装した武士の一団が通るのだから、人は左右に避ける。そのため、これといって進路が妨げられる事もなく、久方ぶりの我が家へ向かう事ができた。

 

 

 

 義隆の部屋は香の香りに満たされていた。

 蝋燭の淡い赤が、義隆と晴持の影を揺らす。

「お帰りー、晴持。長旅ご苦労様」

「ただいま戻りました、義姉上」

 義隆は文机に向かって書状を認めているところであったらしく、先の濡れた筆が筆置に置いてある。

「お仕事中、すみません」

「大丈夫よ。別に仕事ってわけでもないからね」

 微笑みながら義隆は姿勢を崩した。

「京の冷泉殿と文のやり取りをしているの」

「冷泉殿と。すると、和歌ですか」

「そ。まあ、その中に東の情報が混じってたりするのだけどね。尼子の東進に、畿内は警戒感を強めているみたい」

「尼子は確か、播磨に手を焼いていたように思いましたが」

 晴持の情報では、宇喜多直家と尼子晴久との間に抗争が起こっていたはずだ。尼子家の東進は、途中までは順調だったものの、播磨国に手を出したあたりで動きを鈍化させている。

 播磨国は守護代の浦上家が最大勢力ではあるが、その下に複数の国人が自立的な活動をしている複雑な土地だ。そこに、尼子家が侵入したというので、国人達は所領を奪われまいと手を組み、激しい抵抗を続けていた。

「うん。播磨の国人衆は強烈みたいね。あの尼子も手を出しかねている……けれど、それも時間の問題じゃないかしら。地力が違うもの」

「所詮は烏合の衆。ということですか」

「利害の一致で結びついた国人衆は逆に外交から攻めれば脆かったりするのよね。尼子がどう出るか分からないけど、一度崩れれば播磨は尼子の手に落ちるでしょうね」

 そうなれば、京は目と鼻の先になる。管領細川家やその下で勢力を伸ばす三好家を相手にどのような手に出るか見物である。

 しかし、上洛を企図し京に上った後はどうするのであろうか。

 尼子晴久は、野心溢れる青年のようだが、晴持の知る織田信長のように現体制を破壊するほどの気概はないだろう。どうあっても、将軍や管領という旧態依然とした立場に叛旗を翻すという発想は出てこないはずだ。すると、管領の下に甘んじるか、あるいは将軍を擁立して管領の影響を廃するかという流れになるだろう。そこまでくれば、間違いなく京は戦場となる。中央の貴族が不安視するのも頷ける。

「義姉上。此度はお願いしたい事がありまして」

 尼子家が播磨国に進出しつつあるという情報を聞いて、晴持は尚一層、大友家との早期の同盟締結の必要性を感じた。尼子家が中央に軍を進めるか、諦めるかは未知数ながら、尼子家の強大化は大内家にとってよいことではない。

 九国に騒動を抱えながらあの大国を相手に回すのは、自殺行為である。

「書状にも認めましたが、大友家との同盟を前向きに検討していただきたいのです」

「それは、返事を書いたでしょ。大友家との事はわたしに一任しなさいって」

「はい。しかしながら、島津家と龍造寺家が手を結び九国を蚕食せんとしております。この二国を相手に単独で挑むのはあまりに不利です」

 島津家は自軍に倍する兵力の大友家を一戦で壊滅させてしまった。恐ろしい事に、大内家の宿敵でもあった大友家がただ一度の敗戦で瓦解の危機を迎えているのである。さらに、島津家は今年中に肥後国に攻め入るであろう。彼女達はすでにその準備に入っているはずであり、その動きに合わせるように龍造寺家が北九州を席巻するに違いない。

「こちらも島津家や龍造寺家に負けぬよう、足並みを揃える必要があります」

 義隆により前向きに大友家との関係を見つめてもらうために、晴持は九国の状況を具体的に語った。大友家が崩壊すれば、大内家単独で九国の二強に当たらねばならず、肥後国やその他地域の国人を引き入れても限界が生じるのだと。

「晴持。大友は仏法を敬わず、神域を軽々しく破壊した。これは許されるべき事ではないの。それだけじゃない。すでに宗麟は家臣達からの信望を失い、当主として大友家を率いるには値しない。その彼女を相手に、同盟を申し込むわけにはいかないの」

「しかし……ッ」

「くどい」

 ぴしゃり、と義隆は晴持の言葉を遮った。

「この話はこれまでよ。何度も言うように大友との事はわたしに一任して、あなたはあなたの仕事をしなさい。あまり当主の責務に口出しするものじゃないわ」

「…………承知しました」

 納得はできないが、ここは引き下がるしかない。

 義隆が大友家との関係をどのように考えているのか、その一端すらも垣間見る事ができなかったのが無念でならない。

 しかし、当主として義隆が判断を下すというのなら、晴持が逆らってはならないのである。

 食い下がっても結果は変わらないと見て、晴持は義隆の部屋を辞した。

 

 

 晴持が出て行った部屋で、義隆は一人ため息をついた。

「まったく、何を焦ってんだか」

 晴持に言われるまでもなく、九国の状況は理解できている。場合によっては一刻を争う事態に陥りかねないという事も。だが、だからといって焦ってはならないし、今はまだ焦る時期でもない。それが、義隆の判断であった。

「無茶振り、しすぎたか」

 日向国への強襲作戦は、義隆が周囲の反対を押し切って命じた事であった。よって、そのために晴持が窮地に陥るのであれば、彼女自身が兵を率いて救援に駆けつける所存でもあった。

 しかし、それは最後の最後。

 今はまだ、外交の時である。

「失礼します。夜分遅くに申し訳ありません」

 そこにやってきたのは隆豊であった。

 返事をして、室内に迎え入れる。

「どうかした?」

「はい。例の目録が完成しましたので、今日のうちにお届けしようかと思いまして」

「お、さすがは隆豊。仕事が速いじゃないの」

 義隆は嬉々として隆豊から巻物を受け取った。

 慣れた手つきで義隆は巻物を広げ、蝋燭の灯りを用いて内容を確認する。

「うん、これでいいわ。ご苦労様。これは、もう用意できているのね?」

「はい。すでに荷車にも乗せてあります」

「よし。じゃあ、明朝に出発させて」

「承知しました」

 義隆に命じられて、隆豊が作成したのは、幕府への貢物の目録である。

 朝廷と幕府。

 二つの権威が存在する戦国の世では、このどちらとも上手く付き合っていく必要がある。

 とりわけ、将軍の足利義輝は諸大名の戦に手を伸ばし、その仲を取り持つ事で自らの権威を引き上げようとする傾向がある。戦国期に入って以降の時代の流れのままに滅亡を迎えつつあった幕府が息を吹き返しつつあるのは、義輝の精力的な活動の賜物であった。

 そして、その幕府をうまく使う事で、政敵に対して有利に立ち回る事ができる。幕府と戦国大名は、実はWIN-WINの関係を築いているのである。

 今回の貢物は、ただのご機嫌取り。しかし、同時に幕府の役人と更に深く結び付くためのものでもある。義輝周囲の武将と蜜月の仲になる事で、義輝の威光を利用しやすくする。これはいわばロビー活動とでもいうべきものである。

「あの、義隆様」

「ん?」

「先ほど、若様をお見かけしました。日向からお帰りになられているのですか?」

 晴持の帰還は、突然の事であったし、隆豊は仕事に忙殺されていたから知らなかったのだ。

「ええ。久しぶりに帰ってきて、仕事の話ばかりよ」

「若様らしいです」

「まったく、もっと落ち着けばいいのにね。大友と至急結ぶべき、なんて言うんだもの」

「義隆様。それは……」

「晴持もまだまだね。戦上手ではあるのかもしれないけれど」

 義隆は目録の巻物を丁寧に巻く。

「晴持様は、よくできたお方です」

「分かってるわ。じゃなきゃ跡継ぎになんてしてない。父上もわたしも」

 晴持が義隆とは異なる思想を有している事くらい、彼女はとうに知っている。伊達に長いこと家族をしていない。彼の奇抜な発想も、神仏や朝廷への考え方も、自分とは異なり現実的な観点に立脚している。初めのうちはそれが気に食わなかったが、それももはや昔の話だ。

「父上は、大内家を男系にしたかった。晴持を引き取ったのは、そういう考えもあったからよね。わたしにも家を継がせるつもりはなかったみたいだし」

 しかしながら、時代の流れはどうにもならない。男系という思想そのものが古くなる中で、保守的な大内家の当主が男系に拘ろうとするのは当たり前だったのだろうが、世に姫武将が現れていく中では、義隆や彼女の姉にも家督継承の権利が自然と認められるようになってしまう。すると、たとえ晴持を義興の跡取りとしても、誰かが義隆を擁立しかねず、そうなれば、養子よりも実子である義隆に正当性があるという事になる。

 晴持が歳の近い義隆の養子となったのは、義興が思想と現実の狭間で見出した奇抜な発想だったのであった。

 そうして、家督を継承した義隆は晴持を自らの子として、また義理の弟として扱った。

 義隆自身が大内家を発展させるのに晴持の力を有用と判断しての事であり、晴持もまたこの家で生きていくために義隆の指示に服し続ける道を選んだ。

 反目しては家が割れる。

 二人がその事実に気付くのに、そう時は必要なかったし、それは幼心に自らよりも家を選んだ義隆と、自らのために大内を選んだ晴持の利害が一致した瞬間でもあった。

 初め、二人は互いに利用しあう事で自らの身を守っていたのである。

「若様と何かありましたか?」

「なんで?」

「お顔に書いてあります」

 隆豊は心配そうにしつつも微笑ましいものを見るような視線を向ける。

「別に。ただ、ちょっと強く言い過ぎちゃったかなって」

 恥ずかしそうに義隆は頬を掻いた。

「それだけ若様を心配されているという事でしょう。若様も義隆様のお気持ちはご理解くださいますよ」

「……危なっかしいのよ。頭が回るけど、あの子は今表に出すぎている」

「名が広まるのはよい事ではありませんか?」

「それだけならいいの。けど、当主の仕事にまで強く口出しするのは間違いよ。あの子の身を危うくするわ」

 義隆は晴持に軍権を預けている。大内家の中では単独で一〇〇〇〇人を招集する事も可能な家臣が幾人かいるが、晴持もその一人である。しかも、正式に跡取りに認められている以上は義隆との間に亀裂が生じてはならないし、そのように見える行動も慎まねばならない。それは、敵に付け入られる隙となるからだ。

「晴持の言っている事は正しい。けれど、今じゃない。待つのも外交なの。晴持は苦手みたいだけどね」

 晴持は今すぐにでも大友家と同盟すべきだと説いたが、義隆の目から見て今はまだその時ではない。何れ、大友家と和睦なり同盟なりをするにしても、時期を見計らう必要がある。少しでも大内家が有利な状況に持ち込まなければ、九国での優位性を確立できないからだ。

「晴持は戦が前にあると強いんだけどねー」

 村上水軍から河野家の掌握。自分の実家を利用しての土佐国侵攻などは晴持の手柄である。しかし、それは外交を織り交ぜたとはいえ戦という力に頼ったものでもあった。

 晴持は、目前の戦に勝利するための戦略を描いたに過ぎず、未だに戦がどのように起きるか分からない状況で絵図を描く力はまだまだといったところであろう。

「もしかしたら、晴持は落ち込んでるかも。隆豊、ちょっと元気付けてあげなさいな」

「え……?」

 隆豊は、義隆の言葉を聞いて固まった。

「あ、あの、何を?」

「ん? 晴持の様子見て来いって言っただけよ。何も、聞き返すようなことじゃないわよ」

 義隆はさも当然の事のように言う。

 しかしながら、その目にはあからさまに隆豊の反応を楽しんでいる邪悪な光が映っている。

「んんー? なーに紅くなってんの? た、か、と、よー。ちょっと、お姉さんに教えてちょうだいな」

 すす、と義隆は隆豊の背後に移動する。

 文の武将とは思えぬ軽快で隙のない動きであった。

 隆豊の肩を揉むように、その両肩に手を置いた義隆は隆豊を抱きかかえるようにする。

「よ、義隆様。わたし、別に紅くなんてなってません」

「わたしの見間違いだって言うの?」

「え、と。見間違いとまでは……」

 主君の言葉を否定するのに抵抗のある隆豊は、義隆に強く言われるとしどろもどろに肯定してしまう。真面目であるが故に嘘がつけないし、軽口であっても否定できないのである。

「あらまー、この娘ったらヤラシイ事」

 義隆は指で隆豊の頬をつつく。

「そ、そのような事は」

 焦ったように隆豊が声を上げる。義隆にからかわれた隆豊は、蝋燭の薄灯りの下でもそれと分かるほどに顔を上気させていた。今にも煙を吹きそうである。

 義隆はクスクスと笑った。

「ほんと、弄り甲斐があるんだから」

 そう言って、隆豊を解放した義隆は、

「もう遅いし、寝るわ。あなたも、休みなさい」

「……はい。一日、お疲れ様でした。義隆様」

 義隆に振り回された隆豊はほっとしつつ、義隆に頭を下げた。

「ねえねえ、隆豊」

「はい」

「あの、光秀って娘。なかなか美人だし有能だしで、侮れないわよね」

 などと言って、義隆は最後まで隆豊を困らせるのであった。

 

 

 

 □

 

 

 

 大友家にとって、今が我慢のしどころであると誰もが理解していた。

 日向国での敗戦以降、大友家中にはただならぬ気配が漂っていた。

 死の気配である。

 没落の気配とも言い換えられよう。

 それは主家に拠って立つ家臣達にとっても他人事ではない一大事である。必然、生き残りを模索するようになる。

「宗麟様は?」

 発言したのは、宿老の一人である志賀親守である。

 上座には本来居るべき当主の姿がない。

 評定を行うにしても、当主がいないのでは始まらない。

「某が聞いたところでは南蛮寺にて礼拝だとか。使いを遣わしたので、直にいらっしゃるでしょう」

「左様ですか」

 親守は宗麟が信頼する重臣の一人である。

 宗麟を当主に擁立した張本人でもあり、大友家庶流の志賀家の当主でもある事から家中での発言力も強い。

 彼個人は極めて保守的な人柄で、宗麟の南蛮神教への傾倒を苦々しく思っている者達の筆頭でもあった。

「南蛮寺に篭っておられる、か。危機感が足らんのではないか」

 当主がいないのをいい事に、ふてぶてしい態度で悪態をついたのは、田原親宏である。

 日向討ち入りの際に最高指揮官として全軍を指揮した田原親賢の同族であり、本家筋に当たる人物だ。大友氏の一族であり、代々大友家とは内側で暗闘を繰り返してきたという歴史があり、宗麟の代に至って所領の大半を没収されている。

 親宏から没収した所領は、分家筋の親賢に与えられた。

 宗麟がこの二人を反目させようとしているのは明白であり、この件が決定的となって親宏は宗麟に対して深い恨みを抱くようになったのである。

 しかし、力があるのはまた事実。討伐するのは容易な事ではなく、明確に翻意があるという証拠もないのでは宗麟も討伐できない。

 実は大友家の当主の発言力は、それほど強いものではないのだ。

 これまでは強い重臣達が上手く利害調整をしてくれていたが、その重臣達の多くが島津家に討ち取られた今、大友家を回す人材は圧倒的に不足している。

「評定をされるおつもりがないのであれば、ワシは館に帰らせてもらう」

 親宏は堂々と宣言して立ち上がる。

「待たれよ、親宏殿。大友家は今一丸となって事に当るべき場ではありませんか。身勝手は我が身を亡ぼしますぞ」

「志賀殿。お言葉を返すようではあるが、身勝手をされているのはお屋形様のほうではないか?」

「なんと申される」

「言葉のままよ。南蛮神教に絆されて、万の死者を出して改めぬ。頼みの臣も多くが死に絶え、生き残った者も沈鬱な顔を並べて何もできぬ。しかし、そうと知って尚、あのお方は南蛮寺に礼拝などと訳の分からぬ事をする」

 重厚な親宏の言葉には、宗麟への深い憎悪が篭っていた。そして、その威があまりにも強く、誰もが息を呑んだ。

「そなたとて不快だろう、志賀殿。嫡孫が南蛮神教に入信されたのはな」

「ぬ、ぐ……!」

 ビキ、と親守のこめかみが動く。

 奥歯を噛み締め、言葉を堪える様はあまりにも痛々しい。

 親守にとって、最大の悪夢は大友家の敗戦ではなく、むしろ孫の親次(ちかよし)が南蛮神教に入信した事であった。

 不躾にもそれを指摘した親宏は、してやったりと挑発的な笑みを深くする。

「そこまでにされよ、お二方。子どもの口論になっておりますぞ」

 そこに割り込んだのは田北紹鉄であった。

 落ち着いた風貌の細身の老人で、刈り上げた頭髪に白髪が混じっている。

「田北殿。失礼しました」

「ふん……」

 親守は感情的になった事を恥じて引き下がり、親宏は不愉快とばかりに鼻を鳴らしたがそれ以上言葉を荒げる事はなかった。

「田北殿のお顔を立てて引くとするが、評定には出ぬ」

 そう言い残して、足音を荒げて親宏は出て行ってしまった。

 なんとも言いようのない暗い空気が立ち込める。

「田北殿。先ほどは申し訳ありませんでした」

 そのような中で親守は割って入ってくれた紹鉄に頭を下げた。

「お顔をお上げください。このような状況です。誰しもお屋形様の行動すべてに賛同するという事はありませぬ。ただ粛々と御家を盛り上げて行くのが大事と心得まする」

「如何にも仰るとおり。いやはやお恥ずかしい限りです」

 昭鉄の言葉に感銘を受けたのか、親守は再び深く頭を下げて自らの席へ戻っていった。

 

 

 

 

 □

 

 

 

 

 事はそう上手くは運ばない。

 評定で露呈した家臣間の不和は、そのまま宗麟への不信となって深まっていく。最も頼りにできる道雪や紹運は国外に追いやられ、今や中央は火種を抱えた火薬庫という非常に危険な状態にまで陥っていたのである。

 宗麟は自室で聖書に目を通していた。

 最近は暇さえあれば、このようにしており、その一節を諳んじては神の加護を願っている。

 その生活は敬虔な信徒のそれであり、頑として信仰を守る姿は本場の信徒ですら舌を巻く事であろう。

 太平の世であれば、その生き方も悪くはない。

 しかし、戦国の世にあって当主の職責を果たさず信仰の道を行くのは愚挙もいいところであろう。こうした態度は、家臣の結束を揺るがす元凶であり、現にこうして災厄をもたらす事となったのだから。

「宗麟様!」

 慌しくやって来た志賀親守は、部屋の外で声を張り上げた。

「何事ですか、騒々しい」

「火急の用件にて、失礼致します」

 そう言って、親守は障子戸を開けて室内に入った。

「田原殿が、府内を抜け出し城に戻ったとの報が入りました」

「田原……親賢ですか? あの者ならば、屋敷に蟄居させているはずですよ」

 親賢は大内家に捕縛された捕虜の中にいた事が分かり、家中から批判と嘲笑を受けた。敗戦の責任もあり、宗麟の命で屋敷に蟄居しているのである。

 しかし、親賢はそれでも宗麟との仲を重視している風であり、謀反を起こすとは思えない。何かの間違いではないかと思っていたところで、親守が否と口にした。

「府内を出たのは田原親宏です。すでに兵を集めこちらを窺う動きがあるとの事です。何があるか分かりませんので、戦の準備を!」

「ち、親宏が……!?」

 さすがの宗麟も、それが意味するところを察して絶句した。

 親宏の力は依然として強い。

 今の大友家では、彼に相対するだけの準備が整っておらず、攻め込まれれば府内が陥落する可能性すらあった。

「ど、どうしましょう。宣教師の皆様にも連絡を差し上げなければ。それに、南蛮寺の守りも」

「宗麟様。今はそのような瑣事に感けている場合ではありません。南蛮寺も大切かもしれませんが、まずは親宏への対処をしなければなりません!」

 怒鳴りつけるような親守の言葉に、宗麟は言葉が詰まったような苦しげな表情をする。

「では、どのようにすればいいのです?」

「……親宏からの書状です。これに、まずは目を通していただきたいと思います」

 宗麟に手渡した書状は簡素なものであったが、親宏の花押が入った紛れもない本物であった。

 宗麟は書状を広げて視線を走らせる。

「所領の返還。それが親宏の望みだというのですね」

「親賢殿の失態もあります。訴えとしては正当なものかと思いますが、武を以て主家を威すのは明確な悪。退けられるべきでしょう」

 親宏の要求はあくまでも旧領の返還であり、国東郡と安岐郡の二郡を速やかに返還すれば、鉾を収めると書状には書いてあった。

 しかし、その要求は確かに正当なものではあるが、方法があまりにも乱暴で目に余る。ここは、上手く時間を稼ぎ、兵力を整えて討伐するのが良策ではないか。

「御注進!」

 そこに、さらに凶報が飛び込んできた。

「秋月種実。兵を挙げましてございます!!」

「秋月だと!?」

 親守は目を見開いて驚いた。

 秋月種実は、大内家と大友家の間を渡り歩いてきた国人であり、筑前国の古処山城を拠点として活動している。

 大内義隆と反りが合わず、大友家に鞍替えしたのだが、かつて戦をした間柄でもあるので大内家と大友家の双方に対して一物を抱えている困った男であった。

 それが、この期に及んで決起したのである。もちろん、田原親宏と繋がっていないはずがない。

「まずい。道雪殿との連絡が絶たれた……ッ」

 最悪だったのは、古処山城の位置であろう。

 大友家の最後の楯であり最強の剣である立花道雪の拠点である立花山城と府内を遮断する位置に古処山城はある。また、高橋紹運とも不通となった。これで、大友家の本丸は丸裸にされたも同然であった。

 どこかで敵勢と妥協せざるを得ないのか。

 現実的な解決策を模索せねば、明日にも大友家が消滅しかねないほどに、追い込まれてしまったのを宗麟も親守も自覚するのであった。

 


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