大内家の野望   作:一ノ一

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その三十二

 宗麟にとって、まさに人生最大の危機を迎えていると言っても過言ではない。

 田原親宏の挙兵を抑える事ができなかった宗麟の責任を問う声が家臣団からも噴出し、内憂外患にまったく対処できないという機能不全を露呈するに至った。もはや、宗麟が単独で事を為すのは事実上不可能であり、かといって頼れる重臣の多くは島津家に討ち果たされてこの場にはいない。頼みの道雪や紹運は、筑前国に孤立し、挙兵した秋月家や高橋家に進路を遮られて府内に近づく事もできない。

 結果として、宗麟は親宏の主張をしぶしぶ受け容れ、その所領を返還するしかなかった。そして、日向国での失態に続き、所領を親宏に奪われる形となった田原親賢は、収入も絶たれて失意に沈む事となった。

 万事、田原親宏の思うとおりに事が進んでいた。

 親宏は宗麟から所領を取り戻したが、かといってその支配下に戻る気はまったくなく、鉾を収める様子を見せなかった。

 ここまで強硬な態度を取った以上は、どこで謀殺されるかも分からない。宗麟が折れたのは、偏に彼女にはそうする以外に選択肢がなかっただけで必然であったが、それほどまでに追い込まれているからこそ、約束を反故にしても成敗されない――――要するに宗麟は敵に領地をただで返還しただけで、それはつまり親宏の動員兵力を増大させる結果しか生み出さなかったのである。

 もともと筋違いをしたのは宗麟のほう。それ故に弓を引いても不義には当たらない。

 親宏はそう信じて疑わず、龍造寺家からの使者を大友家からの使者以上の待遇で持て成した。

「宗麟は自らの財物を家臣に与えてご機嫌取りをしているらしい。まったく、嘆かわしい事だ」

 話に聞く宗麟の惨状は、かつての主君というだけに胸に来るものはある。当然の報いだという思いももちろん事だが、諸行無情を感じずにはいられない。

 だからこそ、田原家の将来のためにも泥舟からは早々に退去しなければならないのである。

 親宏は酒を煽ってから、目の前の使者の杯にも酒を注いだ。

「では、先の話信じるぞ。よいな?」

「御意。我が主もまた大友のお屋形には思うところがあると常々申しておりました故」

「ふん、田北殿にまで背かれたとあっては、大友もいよいよ終わりか」

 使者は田北紹鉄からの内通の誘いであった。

 先日、親宏と志賀親守が口論になった時、落ち着いた口調で諭した裏で密かに謀議を進めていたのである。

「さすがよ。田北殿」

 親宏は勝利を確信した。

 田北紹鉄は、大友家の中でもとりわけ強力な国人として名を馳せている。ロレンソ・メシア神父の書簡に記されるところでは「豊後の領主の中で最も強く、策略に秀でた人」とされている事からも窺える。その実力の高さと独立心から宗麟から警戒されて、要職には縁がなかった。

 大友家の形勢が不利になっていくにつれて、紹鉄もまた次を見据えた行動を取っていたのであった。

「田北殿がお味方してくだされば、我々に敗北はありえない。龍造寺が九国の覇権を握った暁には、十万石以上の大名となる事も夢ではないぞ」

 酒で顔を紅くして、気分よく酒宴を催す。

 しかし、どうやら物事はそう上手く運ばないようだ。

 このまま行けば、そう遠からず大友家を滅ぼす事ができただろう。それは誰の目から見ても明らかである。

 しかし、この時ばかりは宗麟は天に助けられた。まさに、この二日後、突如として親宏は卒倒し、帰らぬ人となったのである。

 

 

 

 □

 

 

 

 城を取り囲む黒い群れを見て、道雪はため息をつく。

 完全に後手に回った。

 宗麟の近況に目を配るあまりに足元を疎かにしたのは、大きな失策であった。

 どうやら、筑前国の諸将の多くが龍造寺家の手を取ったらしい。秋月種実のみならず、筑紫広門、原田隆種らが筑前国を蚕食し始めたのである。立花山城は、秋月家を主体とする敵軍の攻城に曝されて、危機的状況を迎えていた。

「城兵の様子は?」

 道雪が尋ねると、伝令兵が肩で息をしながら答える。

「およそ一二〇〇が戦闘可能でございます」

「そうですか」

 まだ一〇〇〇人いたと安堵すべきか、それともすでに一五〇〇人を割っていると不安視すべきか。

 敵勢は、立花勢の五倍以上。血気に逸って殴りかかってもなぶり殺しになるだけである。

 場合によっては和睦をして、城を明け渡すか、最期まで意地を通すかという二択を選ばねばならない事にもなりかねない。

「紹運の様子も定かではありませんし。二進も三進もいかないというのはこの事ですね」

 端整な顔を曇らせて、道雪は呟く。

 桜色の形の整った唇から漏れるのはため息ばかり。これではいけないと思いながらも、得意ではない篭城戦に追い込まれ、友人の安否は分からず、こうしている間にも府内を窺う裏切り者共がどのような行動に出るかと気が気でない。

「とにかく、今は我が身の心配をしなければなりませんか」

 下半身の自由がない道雪は、いざという時に逃げる事ができない。輿に乗ったり、馬に乗ったりして初めて移動ができる。機動力がないので、守りに回ると不利となるのだ。

 普段は攻めてばかりで、受けに徹する機会がなかったので、これはこれでいい機会かもしれないが、あまり、繰り返したくない経験だ。

「喉下に刃を突きつけられているかのようですね」

 大変、大変と、呟く声には緊張感がない。

 いつの間にか、口元には笑みさえ浮かんでいる。

 心配事は多々あれど、目前の戦に集中しなければ勝てる戦も勝てなくなる。

「道雪様!」

「戦況に変化がありましたか?」

「いえ。大きな変化というわけではありませんが、敵陣の篝火が常ならぬ様子でして、ご報告に上がりました」

「篝火が?」

 道雪は怪訝な様子で眉根を寄せ、しばし考え込んだ。

 それから、手近な者を呼び、己が足として敵陣が見えるところまで運んでもらった。

 狭間から覗き見る敵陣は、確かにここ数日にはない明るさの篝火が焚かれている。

「妙」

「何かの前兆でしょうか。あるいは……」

「鎮幸、兵を纏めてください」

 道雪は小野鎮幸に端的に命じた。

「はッ」

 傍に控えていた鎮幸は、二の句なく走り去っていく。道雪の考えを読み解き、指示される前に動いたのである。

「心配無用です」

 道雪は、何事かと不安げな表情をする周囲の家臣に微笑みかけた。

「あの篝火は撤退の証。敵方に何かしらの不都合があったのでしょう」

 道雪はそう判断した。

 夜襲を仕掛けてくるという割には、それ以前から動きがなかったのが気にかかる。唐突に敵方の事情が変わって、立花山城にかかりきりになっているわけにはいかなくなったというのが考えられる。

 賭けではあった。

 読み間違えれば、大軍の中にむざむざと突撃する事になる。

 しかし、道雪は形勢を逆転し、これからさらに勝ち続けるために、大きな勝利を得る必要があると思っていたし、撤退してくれるのであれば、その隙を突く以外に道はなかった。

 

 

 かくして、立花山城の城下は死屍累々の地獄絵図と化した。

 一陣の雷光と化した道雪の軍勢は敵勢に大きく劣る寡兵ではあったが、相手の油断と撤退という致命的な隙を見事に突いて秋月勢を大混乱に陥れた。

 運悪く、敵本隊、即ち秋月種実はすでに撤退してしまっていて取り逃がしたが、敵の中に立花道雪への恐怖心を徹底的に刷り込む形となった。

「撤退の理由は田原親宏の死去にあるようですね」

 捕虜を嬲って得た情報によれば、種実と同盟関係にあった親宏が急死した事で戦略を見直さなければならなくなったのだという。

 大友家の犯す毒の一つが、自然に抜き取られた形になったわけで、道雪にしても宗麟にしても、一旦は命拾いしたという事であろう。

「しかし、立花山城の状況が多少改善されただけで、実質的には何も変わっていませんね」

 撤退の理由は知れたが、それで大友家が救われるわけではなく、未だに筑前国の諸将による街道の封鎖は続いている。秋月勢が一度コテンパンにされた程度でこの城の攻略を諦めるはずもなく、次の戦に備えて英気を養う以外に道雪には為す術がないのであった。

 

 

 

 □

 

 

 

 道雪が秋月勢を追い払ったのと同じ頃。

 岩屋城に篭る紹運は、道雪ほど幸運に恵まれてはいなかった。

 家臣に矢傷の手当をしてもらいながら、薄い酒で身体を温める。紹運が任された城は岩屋城と宝満城の二つであり、この二つの城は比較的近距離にある。

 当初は宝満城に詰めていた紹運であったが、内部からの裏切りによって宝満城が陥落し、命からがら岩屋城へ辿り着いたのである。

 それから数日。

 篭城戦は懸命に行っているが、何分、準備が足りなすぎる。

 内部からの裏切りによって受けた損害は、紹運が緊急時のために蓄えてた物資をほとんど敵の手に渡してしまうという最悪のものであった。

「おまけに城まで奪われたか。宗麟様に合わせる顔がないな」

 自嘲しながらも、絵図を眺める。

 相手は自分と同じ高橋家の跡取りを自称する高橋元種という人物である。

 これは、大友家を憎む旧高橋家の家臣達が、秋月家から養子を引き取り、高橋家の家督を継がせたものである。正式には、紹運が家督を継いだのであるが、それに納得していない者が水面下で動いていたのである。

「やはり、裏には龍造寺か。厄介な事をしてくれる」

 苦々しく思う。

 道雪からも言われていたというのに。

 当主として、厳しい対応ができなかった事も、紹運を追い詰めた一因になってしまった。

 このようなところで、足止めを受けている場合ではないというのに、自らの力で解決するには、あまりに敵が巨大すぎる。

 従う兵は一〇〇〇に満たない少数である。

 城に拠って戦う限り、早々負ける事はないが、勝つ事もできない。

 備えも少なく、限界は近い。

 あるいは城を枕に討ち死にする事になるかもしれない。

 紹運はそんな悲壮な覚悟を胸に抱いて、奥歯を噛み締めるのであった。

 

 

 

 

 □

 

 

 

 晴持が山口に戻ったのは、義隆に大友家との同盟を前向きに考えてもらうためであった。

 しかし、義隆はその件に関しては一切触れず、晴持の日向国への渡航すらも禁じるまでになってしまったのである。

 晴持に対して下された命は戦の準備をする事であった。

 ただし、戦の目的や対象までは知らされず、兵糧や兵の工面を担当するのが彼の仕事となった。

 もちろん不満はあるが、口にしては家中を割る事になりかねない。

 今の大内家は日向国の問題について難しい時期を迎えており、晴持が余計な口出しをする事で家中の指揮系統を乱す可能性もあると判断したのであろう。

 それは、義隆の厳命であったので、晴持にはどうする事もできないのであった。

 漫然と一月あまりの時を過ごし、桜の蕾が膨らむ季節が近付いてきた。

 季節は緩やかに移ろい、風に温もりを感じる頃、九国からさらなる凶報が伝えられる事となった。

「相良が落ちたか」

 光秀から聞いた話である。

 肥後国南部に根を張る有力国人の相良義陽(さがらよしひ)が島津家に城を攻められ、抵抗も空しく居城を落とされたというのである。

 相良家は対島津戦線の最前線であると当時に南肥後国の要。これが屈した事で、島津家は一気に肥後国を北上できるようになる。

 義陽は、何とか逃げ延びて阿蘇家を頼ったらしい。そうなると、次の標的は間違いなく阿蘇家であろう。龍造寺家からの圧迫も受けている阿蘇家は、もはや島津家と戦う余力は残していない。

 相良武任にも、義隆と仲介し兵を出してもらえないかと打診が来ているという。武任は義陽の相良家とは同族関係であるから、相良家との窓口として武任は幾度か義陽と連絡を取っていたのだ。

 しかし、それでも義隆は動きを見せない。日向国に残した兵だけで援軍とするわけにもいかず、じれったい事この上ない。

「ちくしょう」

 自室に篭り、延々と情報を精査する作業に没頭する。

 それらが、どれも大内家にとって好ましくない展開となる事を予想させるものであるので、鬱々とした気持ちになってしまう。

 義隆が緊急の軍議を行うので顔を出せと、諸将に触れを出したのは、相良家陥落の報が入ってから十日余後のことであった。

 重臣達がずらりと揃った軍議の間。

 麗らかな陽光も、この場に立ち込める空気までは温めてくれない。厳しい状況にあるという事を、諸将は理解していたからである。

「此度、わざわざあなた達に集まってもらったのは、大友家との同盟を皆に確認してもらうためよ」

「あ、義姉上!? それはッ!?」

 晴持は驚愕に目を見開いて、身を乗り出した。

「大友からの使者、志賀親守殿が直接書状を持って来られたわ。今は別室に待機させているけれどね」

「志賀親守殿。あの、大友家の重臣中の重臣」

「そう。その親守殿。実を言うと、彼とは興盛(おきもり)を通して以前から接触を図っていてね、それで、大友家の家中を上手く取り纏めてもらったってわけ」

 以前から、接触していた。

 そう聞いて、晴持は脱力感に襲われた。

 要するに、義隆は大友家とはじめから同盟を結ぶつもりでいたのだ。思い返してみれば、義隆はただの一度として、大友家と同盟は結ばないとは言わなかった。自分に一任しろと言っていただけだった。

 姉を信じ切れなかった晴持が一人で突っ走っていただけだったという事か。

 自らの行いを恥じずにいられなかった。

「大友家は、宗麟を廃して新たな当主に晴英を担ぎ上げたわ」

「宗麟殿の妹君ですか」

「わたしにとっては姪に当たる。まあ、宗麟もそうなんだけどね」

 義隆には歳の離れた姉がいる。

 一人は土佐一条家に嫁ぎ、晴持を産んだ。もう一人は大友家に嫁ぎ、宗麟と晴英を産んだ。晴持にとっても、宗麟や晴英は従姉妹に当たるのである。

「義姉上。宗麟殿は、どうされたのでしょうか? 廃されたと仰いましたが、首になられたのでしょうか?」

「いいえ。宗麟は当主を退き、そのまま南蛮寺に入ったそうよ」

「まさか……」

 ありえない、とは言えない。

 宗麟はもともと政務に憂い、信仰の道を模索する求道的性格の持ち主だ。しかし、そこまで無責任な行動を取ったというのは驚きだ。

 大内家の諸将の間にも、ざわつきが起こっている。

「さて、同盟に当たっての条件は、筑前国をわたし達に割譲する事。他にもあるけど、それは置いとくにしても、筑前はわたし達自身が動かないとどうにもならない状況だし、やるわよ」

「それを、もう大友家は飲んだのですか?」

 晴持が尋ねると、義隆は頷いた。

「ええ。だから、筑前はもうこっちのものってわけ」

「では、戦の準備というのは」

「そりゃ、自分達の土地で暴れてるヤツがいたら追っ払わないといけないでしょ。秋月の阿呆もこれが年貢の納め時よ」

 義隆は気分よさそうに笑った。 

 大友家はもはや手がつけられなくなった筑前国を捨てて、豊後一国を管理しようという方針にしたようだ。そうなれば、立花道雪や高橋紹運は完全に斬り捨てられた形になるが、政治的判断をしたという事なのだろう。

「道雪や紹運を失うのは、大友にとっても痛手。だから、わたし達にあの二人の援軍を頼みたいって言ってきたわ」

「面の皮の厚い事で」

「でも、こっちとしても都合がいい。でしょ?」

「そうですね。確かに」

 理由はどうあれ、筑前国に兵を進める事ができるのであれば、道雪や紹運を救援する事に繋がる。ならば、あの二人に恩を売る事ができる救援という体裁を取ったほうが好都合であろう。

「という事で、筑前に兵を送るわ。晴持、隆房。指揮はあなた達に任せる」

「承知しました」

 晴持と隆房が同時に受命し、一礼する。

「日向はまた別に兵を送るとして、まずは大友の周辺を落ち着けないとね」

 義隆はそう言って、笑うのであった。

 

 

 軍議が終わってから、義隆の部屋を訪れた晴持は、大友家との同盟について教えてくれなかったのは何故かと質問を投げかけた。

「そりゃ、あなたに知らせないほうが、都合がよかったからね」

「都合がいい?」

「あなたは、大友家との同盟を画策していた。それは島津家や龍造寺家に対するには絶対条件だからと思ったからでしょうけど、そうしたあなたの行動は、当然大友にも見えるし、他の連中にも伝わる。現状、大友が頼れるのはわたし達だけだけど、実際に頼れるかどうかは分からないしね。でもこっちが大友との同盟を考えていると思わせれば、その不安は少なからず解消されるでしょ」

「俺を泳がせて、大友家の重臣達に同盟しやすいと思わせたわけですか」

「うん」

 義隆はしてやったりとにやついていた。

「教えてくれてもよかったのでは?」

「どこから情報が漏れるか分からないし、島津を危険視しているあなたなら、自然に大友との同盟を模索してくれると思ったのよ」

 確かに、その通りである。

 反論の余地はない。

「しかし、それは俺が勝手な事をしたら、その時点でご破算になっていたようなものです。危険すぎませんか?」

「晴持は絶対に勝手はしない。こういった件に関しては、必ずわたしの裁可を仰ぐ。そう信じてた」

 晴持はもう返す言葉がなかった。

 今回の策謀は、すべて義隆の手の平の上で行われたというのである。しかも、指示がなかった場合に晴持がどのような行動をするのかという点も考慮に入れて実行に移したと言うのだから恐ろしい。

 義隆の言動には晴持への絶対的な信頼が見て取れた。

「で、どうよ。晴持。やっぱり、こっちからお願いするより、相手からお願いされたほうが後々優位に立てると思うのだけど」

「御見それしました。ひたすら恥じ入るばかりです」

 と、心底義隆に感心して頭を下げる他なかった。

 

 

 

 


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