大内家の野望   作:一ノ一

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その三十三

 

 道雪と紹運が敵中に孤立して、救援を求める事すらも満足にできない状況である、という点で、筑前国の戦況は絶望的と判断する他ない。

 しかしながら、こうした筑前国に兵を差し向けるほどの余裕が大友家にはなく、それは府内にあっても筑前国と似たり寄ったりといった危機的状況に置かれているからであった。

 もちろん、未だに府内は直接戦火に曝されていないだけまだましではあるが、そのような事は些細な違いに過ぎない。

 田原親宏の急死は、一旦は大友家に安堵の時間を与えたが、それも長くは続かない。数日後には親宏の息子の親貫が父の遺志を継いで宗麟により厳しく対峙する姿勢を見せてきたのである。

 それに加えて、重臣であった田北紹鉄も反意を明確にした事で、いよいよ宗麟は進退窮する事となった。

「このままでは大友家そのものが消えてなくなってしまう。そうなれば、我々も含めて皆路頭に迷う事となるでしょう」

「なんという事だ。よもや、ただの一敗ですべてが無に帰すなど……」

「お屋形様には何か打開案はないのか!?」

「それもこれも、すべて南蛮神教のせいじゃッ」

「おうとも。奴等のせいですべて台無しじゃないか」

 若い。

 感情任せに叫ぶだけで、具体的な対処法への議論がまったくない。

 長年重臣として大友家に尽くしてきた志賀親守は、日向国での敗戦によって一新された面々を見て、苦々しく思わずにはいられなかった。

 これから、大友家を支えていかねばならないというのに、屋台骨でもある重臣格が経験の浅い若者で構成されるというのは、再生の兆しというにはあまりにも頼りない。同じ若者でも、道雪や紹運ほどの人材であれば、このように頭を悩ませる事もなかっただろうに。そのような事を思いながらも、あの二人ほどの逸材がそう何人も現れるはずがないのは当たり前の事であり、考えても仕方がないというのは理解しているのだが、ついついそう思わずにはいられなかった。

「田北殿まで翻意されたとなれば、もはや一刻の猶予もありません。皆々様、南蛮神教へのあてつけは一先ず置いておき、現状を打開する策を探ろうではありませんか」

 現状、この場を纏める事ができるのは親守だけである。

 宗麟が不在なのは、彼女がいると議論が前に進まないからであり、同時にこのような状況下で家臣に舵取りを任せている時点で、大友家の将来は暗すぎる。

 それを理解した上で、改めるための方策を探るのだ。

「志賀様。そうは申されましても……」

「田北殿や田原殿は、名族中の名族。兵力も比較になりませぬぞ」

「何とか交渉して、鉾を収めていただく他ないのではありませんか」

 ため息をつきたくなるような有様である。

 誰一人として、武門の意地を見せようとは思わないらしい。日向国で戦って散っていった先達に申し訳ないとは思わないのか。

 とはいえ、それは自分も同じ事。むざむざを生を貪っている時点で、彼らに合わせる顔はないのかもしれないが、ならば、尚の事大友家が生き残る道を模索しなければならない。

「鉾を収めるとは言いましても、彼らの本来の要求である旧領の返還はすでに行われており、それに輪をかけてとなりますと、こちらに提示できる材料がありません」

 交渉の余地が、初めから存在しないというのが、この問題をさらに難しくしていた。

 こちらにある程度の兵力があれば、旧領を返還せずに、それを楯にして交渉を進めるという手も取れたのだが、今の大友家は反乱を起こした家臣を誅殺する事も満足にできないのであった。

 ため息をつきたくなる気持ちを堪えて、親守は口を開いた。

「一つ、提案があります」

 必要なのは、覚悟だ。

 かつて、先代に反抗してでも宗麟を押し立てた時以上の気概がなければこの策を実行する事は不可能である。

 志賀親守、一世一代の大博打である。

「提案とは?」

 温厚な口調が常の親守が言葉の中に込めた気概は血気に逸る若者も含めて生唾を飲んでしまうほどのものであり、場は完全に親守の次の言葉を待つために静まり返ってしまった。

「大友家単独では、もはや滅亡は必至。どう足掻いたところで、龍造寺家や島津家には及びません。皆様に選んでいただきたいのは、大友家と共に滅亡するか、あるいは大友家の名を残し、他家の庇護を受けるかの二択です」

 ざわ、と評定の場に小波が立った。

「それは、つまり。いずれかの勢力の下に就く、と?」

「如何にも」

 重臣の筆頭格の親守から出た信じがたい発言に、一気に場は氷り付き、それから各々が口々に意見を述べ合う事となってしまった。

「バカな。それでは、鎌倉の世から続く大友の名に傷が付く!」

 特に大きかったのは、やはり反対意見だ。

 大友家の歴史は長く、鎌倉時代にまで遡る名家である。それが、独立性を失ってしまうという事に反発するのは自然な事であった。

 無論、そのような意見が出るのは想定済みであった。よって、親守はゆっくりと誠意を込めて言葉を選ぶ。

「もはや、そうも言っていられないのですよ。今は、その大友の名自体が消えようとしているのです。あまつさえ武門の意地一つ見せぬままにです。こちらのほうがよほど恥ではありませんか?」

 じろり、と見回す親守に、誰一人として口答えする事ができなかった。

 親守の言う事は実に正しい。

 大友家が亡んだ後は、どうなるというのか。妻子を連れて諸国を放浪する事になるか、あるいは首となるか。運よく他の勢力に拾われても、これまで貪ってきた利権はすべてなくなるのである。打算で考えても、大友家が存続してくれたほうが、ずっといいに決まっている。また、意地を張るにしても、主家を亡ぼすような一大事だ。もはや、個人の武勇のための突撃など、自棄になった無駄死にと後世に語られるだけであろう。

 親守は大友家を残すために最良にして唯一の手段であると語った。その具体的な方法も提示し、後はこの場で承認を受ければすぐにでも取り掛かれると説明したのである。

「仮に、貴殿の仰るとおりの道を選んだとする。お屋形様はどうなさるおつもりか? 我らが勝手に動くわけにも参らぬだろう」

 この質問に対して、親守は大きく頷いて、

「この場にいる全員で連署し、お屋形様を説く。後は、皆様のお覚悟次第」

 

 

 その晩、宗麟の寝所に親守以下一〇人の重臣達が押しかけた。

 皆一様に深刻そうな顔をしている。

「何事ですか、このような夜更けに」

「お屋形様に折り入ってお願いしたき儀がございます」

 蝋燭の灯りが怪しく揺れる中、親守は懐から一通の書状を取り出し、宗麟の前に広げて見せた。

 そこに書かれていたのは、名前であった。

 評定の場に昇る事を許された者が自らの血を以て書いた決意の連署である。

「重臣一同より、お願い申し上げます。お屋形様。何卒、今宵限りでご隠居くださいませ」

 親守が深く頭を垂れると、それに続いて他の重臣達も一斉に頭を下げた。

「な……」

 宗麟は言葉を失い、顔色を変えた。

「そ、れは。……何故、……大友の当主は誰が継ぐのです」

「お屋形様の妹君の晴英様でございます」

「八郎が……!?」

 八郎とは、晴英の幼名である。

 宗麟の異母妹である晴英は、大友家に生まれた者として、幼い頃から書を嗜み、様々な学問に長じていた。加えて、大友家に生まれた事を誇りに思っており、近年は宗麟の行動に眉を顰める事も多かった。

 宗麟にとっては唯一の肉親である彼女は、宗麟に何かあった時のために大友家の領内に留め置かれ、しかし、家督相続争いを起こさないように厳重に監視される生活を送っていたのだった。

「晴英様はすでに快諾してくださいました。お屋形様。いえ、宗麟様。手荒な事はしたくありません」

「そ、……んな」

 失意か失望か。宗麟は瞳を揺らして身体を震わせた。親守に退位を迫られるという状況も、彼女に追い討ちを仕掛けた。かつて、宗麟が亡き父と末の弟を手に掛けなければならなかった時、身を挺して宗麟を守ってくれたのが親守であった。

 それが、今度は退位して妹に当主の座を渡せと言ってくるのだ。

「宗麟様は以後、政務を離れ、信仰の道を行かれるといいでしょう」

「信仰の道を?」

「はい。個人的には、南蛮神教に対してよい印象は持っておりません。ですので、当主という責任ある立場であられた宗麟様の信仰にも苦言を呈して参りましたが、一線を引かれるというのであれば、話は別ですので」

「当主の道を捨て、一信徒として生きる。……しかし、本当に、それでよいのでしょうか」

 宗麟は親守の言葉に、未だ懐疑的であった。

 そして、その事には、親守もまた驚いていた。表情にこそ出さないものの、宗麟が当主という立場に思い入れと、多少なりとも責任を感じていた事に改めて気付いたからである。

 故に惜しい。

 実のところ、宗麟は当主の才があったのだ。学問に長じ、品格を持ち、それでいて政策も適切に行えた。その力があったからこそ、親守はじめ多くの家臣が、彼女を見限らずにここまで仕えてきたのである。

 叶う事ならば、かつての宗麟に戻り、現実に正面から目を向けて欲しかった。

 それでも、その願いが故に時節を誤った。

 もっと早く決断していれば、ここまで致命的な事態に陥らなかっただろうに。

「人には適材適所がございます。信仰の道を宗麟様。当主の道を晴英様がそれぞれ担われれば、万事上手くいきます」

「適材適所、ですか」

「晴英様のため、宗麟様のため。そして、大友を守るために、もはやこの道しかありません。何卒、ご決断のほどを!」

 必死の嘆願。

 宗麟は、目を瞑り、じっと考え込んだ。

 信仰の道に生きる。それは、政務への意欲を失っていた宗麟がひたすらに夢見ていた生き方ではあった。心のどこかに、このままではいけないという思いが引っかかりとなって、当主の座に甘んじていたのだが、妹が跡を継ぎ、家臣達が大友をしっかりと纏めていくというのであれば、思い残す事はない。

 宗麟が身を引く事で大友が纏るのであれば、それに越した事はない。

 世俗の責任から逃れ、残る人生を神に仕えるという魅力にも抗い難い。

 結果として、宗麟は重臣達の申し出を受ける形で屋敷を辞し、府内の南蛮寺に身を寄せる選択をしたのであった。

 

 

 

 そうして恙無く当主の交代は行われた。

 大友宗麟から禅譲という形で受け継がれた当主の座は、歳若いながらも才気ある大友晴英のものとなり、新当主の下で大友家は再興を目指す事となる。

 まずは内乱の鎮圧。

 次いで外圧の除去。

 これらが喫緊の課題であり、特に前者は田原親貫や田北紹鉄が未だに反抗の機運を盛り上げている事から素早く事にあたる必要があった。

「とにもかくにも兵が足らんか」

 声は若干低めで落ち着きがある。肩口で切り揃えた金色の髪は、稲穂の輝きを思わせ、蒼穹のような碧い瞳が不満と苛立ちに歪む。

 年の頃は十代の中頃から後半くらいにも見える。

 可愛らしい外見ながらも、その言葉遣いにはどこか捻くれたような印象が篭っていた。

 その生い立ちからすれば、未来を儚み、鬱屈した姿勢になるのは理解できるが、それだけでもなく、生来の捻くれ者なのであろう。

 自室に篭って肘掛に肘を突き、力を抜いてはいても、頭の中は政務の事でいっぱいだ。

「まったく、姉さんもとんだ失態をしてくれたものだ。金もなければ兵もないでは、戦の仕様がない」

 まさしく泥舟。

 大友を守らねばとの一心で当主の交代に応じたものの、実際に当主になってみればその負担の大きさに目を見張る。

 これが、真っ当な当主から跡を受け継いだのであれば、まだましであったのだろうが、残念ながら大友家は往年の輝きを失ってしまっている。

「親守」

 正面に平伏する重臣に声をかける。

「はッ」

「大丈夫なのだろうな?」

「もちろんです。すでに、話は付けてありますので」

「道雪や紹運に救援を出してもらえると?」

「すでに、筑前に大内勢が押し寄せている頃合でしょう」

「ふぅん、そうか。ならばいい」

 晴英はほっと安堵したように吐息を吐いた。

 大内家との同盟の話は、親守を中心に進めさせていたのだが、それが確かなものになったと聞いて、一安心したのである。 

 道雪も紹運も失うには惜しい人材だ。可能ならば、こちらから助けに行きたいところだが、状況がそれを許さない。大内家に頼るしかない、というのが悔しいところだが、仕方がない。

「話が付いてなかったら、わたしはこの話、今からでも降りていただろうな」

「恐ろしい事をお考えで」

「大友を売ったお前に言われたくはないな。いつからだ?」

 晴英は視線を尖らせ、責め立てる様に親守に言った。言葉には棘がある。虚言を許さぬという明確な意思が篭っていた。

「……いつから、というのは?」

 息をする事すらも憚られる緊張感の中で、親守は質問で答えた。

「どの時点で、お前は大内と繋がっていた?」

「何の事か」

「わたしを馬鹿にするなよ。あの大内との同盟が、こんなにも順当に進むものか。こちらが、かなり譲歩し、あちらの利を多分に匂わせたところで、それでも疑ってかかるのが道理だ。そのような気配もなく、さくさくと事を運んだ時点で、事前に粗方条件の刷り合わせがあったと見るべきだろう。姉さんの引退とわたしの担ぎ上げ、そして大内との同盟。すべてに関わっているのはお前だけだ」

 九国内で急速に力を失った大友家はすでに単独で存続するのが難しい状況だ。どうしても、他者からの庇護が必要である。

 しかし、大友家を庇護できる勢力は島津家、龍造寺家、大内家の三つしかなく、その島津家と龍造寺家は手を結んで大友家を蚕食している。よって、選択肢は初めから大内家以外にはないのであった。

 その程度の事は誰もが理解している。

 問題は、大友家の中で大内家に屈するのをよしとしない者がいたという点と、それ以上に大内家が大友家との同盟を認めてくれるかという点であった。

 長年、敵対してきた過去がある。

 無論、常に敵対していたわけではなく利害から時に不戦の約を交わした事もある。その結果生まれたのが大内家と大友家の血を引く宗麟であり、晴英である。

「わたしを祀り上げれば、伯母上の心象もよくなるだろうな。よくできた話だ」

 晴英は、義隆の姪に当たり、晴持の従妹である。

 血縁者が大友家の当主であるのなら、義隆にとっても好都合であろう。

「お言葉を返すようではありますが、断じて大友を売ったなどという事実はありません」

「しかし、そのように受け取られてもおかしくはないだろう。事実、お前は大内家からの密使と幾度かやり取りしていただろうが」

 晴英の言葉に、さすがに観念したのか親守は脱力し、そして口元を吊り上げた。

「そこまでご存知でありながら、何故私を生かしているのです?」

「お前の行動は結果として大友に利する形になったからな。最良とはいかずとも、これ以外に手はなかった。それを考えれば、お前を罰するというわけにもいかんだろう」

「影で他家と繋がった人間ですが」

「その他家はすでにわたしの上に位置している。ならば、問題にはならない。できない。癪に障るがな」

 何よりも、同じ飼い犬に親子二代に亘って噛まれているというのが情けない。父も姉も、この好々爺然とした腹黒家臣にしてやられたのである。

「やはりお前もあの敗戦から姉さんを見限ったか」

 大友家のすべてが崩壊した、日向国での一戦。

 多数の重臣が屍をさらし、家中は大混乱に陥った。

「見限ったわけではありません。ただ、このままではいかんとは思いました。大内様、……より正確には、内藤様から密使がやってきたのはそんな折でした」

「内藤……内藤興盛(おきもり)。長門国守護代か」

「如何にも」

 親守はもはや隠し立ての意味はないと思ってか、素直に頷き、認めた。

 無論、大友家が大敗を喫し、そこに大内家からの使者が来たからといってすぐに蜜月の仲になるような事はない。その当時は、まだ宗麟がこの敗戦をきっかけにして目覚めてくれるかと期待していたのである。しかし、そのような兆候はなく、島津家や龍造寺家の動きが活発化し、領国内やその近辺の動きが不穏になってくるに及んでいよいよ、大内家と結ぶ事を考えるようになった。

 幸い、その時点で大内家は島津家の追撃から大友家の将兵を救ったという事から比較的好印象を持たれていたし、状況から考えても大内家を頼るしかなかった。そうして、水面下で、内藤家とのやり取りが始まったのである。

 それでも、彼が明確に大友家を裏切ったかというとそうではないのだ。

 大内家の動向を探りながら、同盟にこぎつける事こそが親守の目的であり、そのために家中を纏める必要があった。

 大内家から内々に伝えられた条件は、宗麟から晴英への世代交代。

 それを成し遂げるためには、それ以外の選択肢がないのだと重臣達を思考停止状態に陥らせる状況を作る必要があった。田原親宏や田北紹鉄の反乱は、ちょうどいいスパイスであった。

 危機感を意図的に煽り、大内晴持の行動から大内家も大友家との同盟を模索している可能性があると重臣達に説明して期待感を持たせ、その上で当主交代の案を出すという大博打を仕掛けた。

 また、大内家に筑前国を割譲する事で大友家は豊後国内に兵力を集中する事ができるという利点もあった。もはや統治が行き届かない筑前国を領有していても管理できない。

 あちらの問題は、大内家に投げ渡したほうが利になるのである。

「大友を生き残らせるには、これ以外に思いつきませんでした」

「お前の忠義は見事だ。家を守るために当主すらも挿げ替える怜悧さも、わたしの好むところだ」

「お褒めに預かり光栄です」

 家への忠義と当主個人への忠義は別物。保守的な親守からすれば、大友という家を腐らせたのは間違いなく宗麟であった。宗麟を立てたかつての自分がいて、そして、南蛮神教に傾く以前の宗麟を知っていたからこそ、今まで行動に出なかったのだが、それも大友家が亡びる寸前になった段階で我慢の限界になったのであろう。

 恐ろしい男だ。

 あるいは、不要と判断すれば、彼は晴英ですら、大友のために斬り捨てるであろう。

「お前ほど苛烈な思想を有する男が、よく姉さんを生かしておいたな。忌み嫌う南蛮寺に入らせるなどという迂遠なやり方までして。それも大内の指示か?」

「禅譲という形を取ったほうが、領国内の混乱は少なくすみます。それに、番犬にはそれに相応しい首輪がなければなりません」

「ふん、なるほどな。まあ、そこは嘘でも姉さんを殺すのは惜しいであるとか言って欲しかったがな」

 親守のように主家を守るために当主を挿げ替える忠義者がいる一方で、主家と対峙してでも当主を守ろうという忠義者もいる。そういった者にとっては宗麟を力ずくで排除した新当主は敵としか認識されない。そのような者は往々にして頑強だ。押さえるために、少なからず、世代交代に当主の同意が必要だったという事だ。

「まあいい。そこまでして大友を再興しようというのだ。これから先も馬車馬の如く働いてくれるのだろうな」

「無論。この身体が用を成さなくなるまでは」 

「それが分かっているのならばいい。では、早速、伯母上との三つ目の契約を履行するとしよう」

 

 

 親守を退出させた後、一人になった晴英は大きくため息をついた。

 日向国での敗戦の後で残った古株の重臣は、僅かだった。それだけでも危ういのに、そのうち二人は明確に反乱を引き起こし、親守は大内家と繋がって当主交代の機を窺っていた。

 大友という大樹が内側から腐っていたという何よりの好例であろう。

「伯母上にしてやられたというところか」

 大内家の迅速な行動。また、それを表に出さずに水面下で活動し続けてきた事からして、日向国への侵攻からすでにこの状況となるのを見越していたに違いない。

 大友家と島津家を分断したというのは偶然だろうが、日向国に侵攻した大友家が敗れれば未来は決定する。島津家に敗れるか、あるいは背後を取った大内家に敗れるかの違いでしかない。

「姉さんも簡単に当主の座を明け渡すんじゃないと」

 怒ってやりたい気持ちになる。

 半ば軟禁されて育った晴英は、そのために僅かな情報から外部の状況を理解するように努めてきた。その能力が、親守とその背後の大内家の存在を嗅ぎ付けた要因だった。

 そうして、親守を問い質せば、案の定であった。

 しかし、親守がどれだけ重臣を説き伏せたところで、宗麟が是としなければ禅譲という目的は果たせない。最悪、武力に訴えるつもりだったにしても、博打に過ぎる。宗麟に認めさせる一手があった、と考えるべきであろう。

 宗麟の性格や思考を思う。

 彼女は意外にも頑固で、早々自分の考えを曲げたりはしない。南蛮神教を決して棄教せず、大友家の看板以上に重視してしまったのも、その影響であろう。

 そして、その宗麟を降ろすために、以後の人生を信仰に捧げるという信徒としての利を説いた。

 そうして、やっと宗麟は屋敷を出て、府内の南蛮寺に身を寄せるに至った。

 南蛮寺の神父は、実に鷹揚に宗麟の判断を受け容れたという。

「解せんな」

 頬杖を突く晴英は、心中にこびり付く不快感に眉を顰める。

 神父は何故に宗麟の判断を認めたのだ。

 宗麟という最大の庇護者を失う事に抵抗がなかったのか。当主の座を明け渡した宗麟には、もはや政治的な価値はほとんどない。あるいは、大友家を捨てて信仰に生きる宗麟は、旗頭として使えなくもないかもしれないが、家を捨てた宗麟への風当たりは強まると考えるべきであろう。

 晴英は、神父がただ純粋に信仰の道に生きているとは思っていない。

 無論、故郷を離れて日本にまでやってきたのだから、信仰は第一なのであろうが、それでも彼らは人間だ。自身に、更に言えば信仰を広めるために都合のよい展開を望むはずであり、宗麟が大友家の当主を降りるという事は府内での庇護者を失うという事である。それは、彼らにとってあまり好ましいものではないはずだ。

「大友が、彼らにとってすでに用を成さないものになったか……」

 見限られた。

 そう思えなくもない。しかし、宣教師の職務を思えば、軽々しくその地の人間を見限るという事はあるまい。

 そうなれば、考えられるのは一つしかない。

「ハッ。よもや、南蛮人共にまで手を伸ばしていたか。なるほど、それならば姉さんがあっさりと身を引いた事も頷ける」

 この一連のクーデター。

 裏で糸を引いていたのは、内藤興盛であった。

 この人物は、大内義隆と宣教師ザビエルを結びつけた人物であり、大内家の中でとりわけ南蛮神教に理解を示している人物である。彼自身は信徒ではないが、彼の身内からは信徒が出たという。南蛮人と独自の繋がりがあってもおかしくはない。

 宣教師の言葉なら、宗麟も納得するはずだ。

 親守の説得の後に、南蛮寺に駆け込んだ宗麟を優しく諭した神父は、その実大友家の当主に宗麟が返り咲く事がないように枷を嵌める役目を果たしていたわけだ。

 おそらくは親守も知らなかったのだろう。

 親守は南蛮神教を毛嫌いしている。間違っても共同戦線は張らない。となれば、別口で宣教師達に取り入ったのだろう。

 ただの可能性。

 しかし、調べればすぐに分かる事でもある。

 十重二十重に包囲網を構築した上で、大友家から大内家を頼るように仕向けたのである。

「勝ち目は端からないか。まったく、とんだ連中に目を付けられたもんだ」

 とはいえ、滅亡不可避のところから、未来を掴んだのである。

 大友家を再興する時間は、大いに稼げた。これから先も苦労が続くが、苦労できるだけまだ状況は改善したと思ってやっていくしかない。

 

 

 

 

 □

 

 

 

 夜闇を劈く物音に、目を覚ます。

「な、何事だッ」

 眠りが浅かった事もあって、頭は働いている。

 今の物音は、間違いなく門が突き破られた音である。

 次いで、男女の悲鳴が屋敷内に響いた。魂を切り刻むかのような絶叫であった。

 床板を踏み鳴らして突き進んでくる何者か。

 夜襲であるのは明白だ。

 枕元の刀を取り、鞘を打ち捨て立ち上がる。障子戸が乱暴に開け放たれたのは、ちょうどその時であった。

「おられたぞッ」

「囲めッ」

 室内に押し入ってきたのは屈強な武士達であった。鎧兜に身を包んだ武士達は、差し込む月光に刃を残酷に光らせている。

「な、何者だ、己らはッ」

「大内輝弘様。御首頂戴仕る」

 名乗りを上げる事もなく。

 襲撃者は凶刃を振り下ろす。

 刀一つで何ができようか。不意を打たれた輝弘は、己が寝巻きを死に装束とし、鮮血の海に沈んだ。

 

 

 夜襲によって討ち果たされたのは、大内輝弘とその子息である武弘。そして、彼の妻と傍仕え十数名である。

 首になった輝弘と武弘を検分し、間違いないと判断した親守は、暗殺の成功を晴英に伝えるために使者を送った。

「これも、宿命か」

 大内家と敵対した時のために生かしておいた大内家の血筋。

 半世紀ほども昔、大内義興の弟の高弘が謀反を起こそうとして失敗し、大友家を頼ってきた事を縁とし、その息子をこの日まで食客として養ってきた。

 それも、ここまでだ。

 大内家の庇護を得るためには、義隆が提示した三つの条件を履行する必要があった。

 一つは当主の挿げ替え。

 二つは筑前国の割譲。

 そして、三つ目が大内輝弘とその血脈の殲滅。

 義隆からすれば、謀反人の子と孫であり、大友家が大内家とぶつかった際に旗頭にできる人物であったから、これをむざむざを放置するわけにはいかなかったのである。

 獅子身中の虫として、活動してきた親守からすれば、自分こそがこうなるべきであると思えてならないが、それでも、大義に則った生き方をしていると今でも確信している。

 主家の安泰のために、斬り捨てるべきを斬り捨てる。

 二度も当主を挿げ替えたのだ。

 裏切る形になったとはいえ、輝弘を斬り捨てる事に迷いはない。

「桶を持て」

 短く、親守は指示を出す。

 輝弘と武弘の首が入った桶を、晴英の下に運ばせるのである。

 こうして、大内家との間に燻る火種を掃除して、後は挙兵した謀反人を成敗すれば、建て直す時間は稼げるであろう。

 親守は、両肩にずっしりと業が圧し掛かるのを感じながら、重い足取りで鮮血に染まった屋敷に背を向けたのであった。


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