大内家の野望   作:一ノ一

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その三十六

 曙光が東の空から昇る頃、古処山の麓は漆黒の大群がひしめき合い、物々しい空気に支配されていた。

 隆房が定めた期限が到来し、敵方からの使者はなし。交渉する気がないのなら、一戦交えて討ち死にする覚悟をしたという事だろう。

 隆房は槍の石突で地面を突いて、敵地に乗り込んでいく自軍を眺めた。

 可能なら、敵には降服してもらいたかったところだが、厳しい条件だったこともあり説得には応じてくれなかった。

 もっと頭のいい人間であれば見事に開城に導く事もできたのかもしれないが、そのための奇策を隆房は練れなかった。

 結局、隆房がしたことといえば屏山に軍事拠点を築き、敵に心理的圧迫を与えた事くらいである。

 それはそれで意味のある策なのだが、どうしても降伏開城ではなく城攻めに利する形での利用になってしまう。それはもう才能とか性格とかの話になってしまうのであろう。

 相手の精神を完全に屈服させるには時が足りなかった。

 そして、隆房にも「秋月を殲滅せよ」との命が上から与えられていた事もあり、秋月家の存続を出しにしての交渉を進めるという選択肢が取れなかったのである。

「お嬢、いよいよですな」

「勝ち戦で勝つだけよ。気張る必要もないでしょ。まあ、力を抜きつつ、油断だけはしないように」

「御意」

 陶家の家老に相槌を打つも、隆房は内心で無念を抱いていた。

 策を弄して最後はこれだ。

 力攻めに頼るのなら、もっと早く戦を終える事もできたであろうに。

 もっとも、隆房の策が有効に機能しているという点も多数ある。

 古処山城のような山城は、天然の要害であると同時に人の手を加えた軍事拠点でもある。当たり前の事だが、城を攻めるにしても、山道には数多くの郭や堀が張り巡らされていて、本丸に辿り着けずに撤退するというのも日常茶飯事である。

 しかし、隆房が尾根で繋がる隣山の山頂に拠点を設け、軍道を整備した事で古処山に配された郭の大半は意味を失った。

 郭を無視して、隆房の軍は隣山から敵の本丸付近に乗り込む事ができるからである。

 よって、あくまでもこの麓から攻め上がる部隊は囮でしかない。敵の注意をこちらに引きつけ本丸を手薄にするための陽動なのである。

「さらに言えば、それすらも陽動なんだけど、どこまで上手くいくかなぁ」

 期待半分、不安半分といったところか。

 大将なので、見ている事しかできないから歯がゆいのである。

 隣に立つ光秀はそんな隆房に微笑みかける。

「大丈夫ですよ、陶殿。例え敵の上層部が如何に団結していようとも、その末端まで意思統一できているかといえばそうではないでしょう」

「そうだよね、やっぱり」

「はい。陶殿の狙い通りに事が運べば、一刻と経たずに勝敗を決する事も不可能ではありません」

 隆房の狙いは敵の末端。

 本丸や二の丸などの重要拠点ではなく、小さな郭に詰める将兵達を対象に脅しをかけたのである。

 内容は、種実に送り届けたのとほぼ同じ文面であるが、多少脚色して送りつけている。

 攻城の日時を伝え、郭そのものの意味がほぼ喪失している事も教えた。わざわざ屏山の頂上から鬨の声を上げさせたりもした。

 そうして恐怖を煽り、上層部がいよいよ決戦を覚悟した頃には最下層の農民出身者達は明日をも知れぬ我が身を嘆き、生を欲して震えるばかりとなったのである。

 この時点で真っ先に大内家の刃に曝される事になる最前線の郭からは内応の書状が届いていたりもする。

 よって、この書状の通りに内応してくれるのであれば、大内勢は本丸への行程の半分を無血で進む事ができるのである。もちろん、そう上手く事が運ばないという場面もあるだろうが、そこは圧倒的な武力で潰すだけである。

 もとより、何の策もなく攻めかかって落とせるだけの戦力差があるのだから、そこに疑問はない。

 頑強で落とせそうにない城を策を積み上げて開城に持ち込むというのではなく、少しでも楽に、そして流血を少なくして勝利するために策を弄したのがこの戦なのであった。

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 そして、隆房の策は目に見える形で古処山城を追い詰めていた。

 戦が始まって半刻と経たず、二の丸が陥落したのである。原因は、想像以上の大内勢の進軍速度にあった。郭のいくつかが、あっさりと防衛を諦めて門を開いた事で敵勢は勢い付き、こちらは大いに戦意を衰えさせた。どれほど、種実が声を荒げて檄を飛ばしても、それは末端の兵卒には届かない。種実は当主に就任してから日が浅く、指下々からの信頼を得ていない。それどころか、大友家に叛旗を翻した判断の誤りは目に見えて明らかとなっては、求心力が低下するのも無理はない。

 どこかで兵を引き連れて大内勢と一戦に及び、小さくとも戦果を上げて凱旋していれば士気も上がっていたのであろうが、その判断をせずに城の守りを恃みとしての防衛線に終始した事が士気の低下を招いていた。

 そして、隆房が構築した屏山の陣地の存在は秋月家の家臣達の心に言い知れぬ圧迫感を常に与え続けており、そして彼らが案じていた通り、守りが薄い古処山城の側面を尾根を伝って現れた大内勢に強襲される事となった。

 来ると分かっていても、現在の秋月家の動員力では防衛線を再構築する事など不可能であった。どうあっても、敵の接近は防げない。しかし、尾根伝いにやってくるのなら一度に大量の兵力を動員する事はできまい。たとえ、山麓から攻めかかられても、途中の郭が凌いでいるうちに山頂に現れる敵兵を蹴散らし、その余勢で山麓まで駆け下りる――――という皮算用は空しく崩壊した。

 戦の趨勢は芳しくないを通り越して絶望的である。

恵利暢武(えりのぶたけ)様、お討ち死に!」

 次々と重臣格の敗報が飛び込んでくる。

 種実はちらりと恵利暢堯(えりのぶたか)の表情を窺った。弟の戦死の報に触れても、厳しい表情を浮かべているだけだが、内心どれほどの苦しみを抱いているか。

板波忠成(いたなみただなり)様、手勢五十を率いて出陣されました!」

 種実は頷く事しかできない。

 家老が自ら兵を率いて出なければないほどに状況は逼迫している。

 今となっては、兵を小出しにして時間を稼ぐ事しか打つ手がないのが現状である。 

「殿」

 小さく、暢堯が種実に声をかける。

 それ以上は言わない。

 だが、その瞳には種実に覚悟を迫る力が篭っていた。

「ああ」

 種実もここまで来て命乞いをしようとは思わない。ただ、申し訳なかったのは自分の拘りと判断ミスに家臣達を付き合わせてしまった事である。

「もはやここまでか」

 呟くとその場に残った家臣達が一様に苦しげな表情を浮かべた。

 分かっていた事ではある。

 前日に、陶隆房から宣告を受けた時に覚悟はできていた。

 この城で、枕を並べて討ち死にするものと。

「皆、よくぞここまで戦ってくれた」

 搾り出すように種実は口を開いた。

 心なしか声が震えているようにも思う。

「どうやら、我々は悲願に届かなかったらしい。だが、せめてもの足掻きはして逝こうと思う。腹を切るなら昨日できた。それをしなかった以上は、敵を一兵でも多く道連れにして死に花を咲かせたい」

 歳若い当主の悲壮な覚悟に、家老達は涙し来世での再会を誓う。

 隆房の要求を受け入れていれば、あるいは彼らは生かせたかもしれない。

 しかし、彼らは自分と運命を共にすると宣言してくれた。それが嬉しくて、つい甘えてしまったのである。なんと甘ったれで手前勝手な当主だった事か。それでも、ここまでついてきてくれた家臣達のためにも無駄死にだけはできない。せめて、秋月の名を天下に知らしめるような壮絶な討ち死にで最期を迎えなければ、申し訳なくて死んでも死にきれない。

「それでは、行くぞ」

「応!」

 鎧を着込み、槍を抱えて種実を部屋を出た。

 自ら死を選び、一兵卒と共に戦場の華と散る。そう思えば、幾分か気持ちが楽になる。

 秋月家の当主らしく華々しくと思うと同時に、一人の武者として戦場で槍を振るえる事に今更ながらに高揚感を覚えているのであろう。

 大将では前線には中々出られない。

 種実は武勇に秀でているわけではない。むしろ、その才覚は一流には程遠く、二流にも届かない程度であろう。万全の状態であっても打ち合えば、一兵卒にすら討ち取られる。その程度の弱兵であり、仮に大名家に生まれなければ戦場で功を立てる事もなく一生を終えていたに違いない。

 それが、人生の最後に自ら槍を振るう機会を得たのである。

 すでに敵兵は城門に取り付き、本丸を犯そうとしている。

 城兵達がギョッとしてこちらを見てくる視線を感じて、どこか可笑しくなる。

 彼らからすれば、守るべき対象が敵に姿を曝す形になるのだから笑い事ではないのだが。

「死にたくない者は武器を捨てて下がっていろ。この戦はもう終わりだ。ただし、降服はしない。あの門を破ってくる敵にこれから最期の突撃を敢行する。ついてきたい者だけが、僕に続け」

 静かな主君の言葉に、戦場でありながらも小波を打ったかのように静まり返る。

 種実はそんな彼らの一人一人に視線を向けた。

 見覚えのある者もいれば、いない者もいる。当然であろう。当主が直接関わる者は、身近な極一部の者だけなのだから。

 そんな中で、ある一人の武士が種実の膝下に馳せ参じた。

「死出の旅にお供をされるのが御老体ばかりでは心もとないかと。よろしければ、働き盛りの某を殿の水先案内人としていただきたく存じまする」

「面白い事を言う。お前、名は?」

「芥田悪六兵衛にございます」

「その名前、しかと覚えたぞ。存分に働いてくれ」

「御意」

 死を目前にしても堂々たる振る舞いに心を動かされたのか、次々と守備兵達が追従の意を示す。

 戦場特有の興奮が場を包んでいる事もあるだろう。日常から切り離された事で、ハイになっているのは否めない。それでも、自らの意思で運命を選択したのだという強い確信を全員が共有していた。

「皆と戦える事、心から感謝する!」

 種実は槍を突き上げて怒鳴った。

 万感の思いを込めて。

 今、ここにいる自分こそが、秋月家の当主であるという絶対の誇りを胸に。

 睨み付ける先で遂に門扉が砕け散った。

 黒一色の死神の群れが城内になだれ込んでくる。

「苦労をかけたな、暢堯(のぶたか)

「殿……」

 最後に、隣に立つ老臣に小さく感謝の意を伝える。

「なんの、実に楽しい人生でございました」

 にやりと、秋月家に身命を賭して仕えた老臣は笑う。

「最後に殿にお一つ助言をさせていただきましょう」

「なんだ」

「存分に、楽しみなされ」

 どうせ、これが最後となる。

 最後くらいは楽しく終わろうではないか。

 陽気な老臣の言葉に種実は口角を吊り上げて笑みを浮かべた。

「遠からん者は音に聞け! 近くば寄って目にも見よ!」

 種実の鎧は見事な装飾の施された大鎧。

 戦うには向いていないが、総大将である事を明確に示す役割は果たしている。そんな馬上の将が怒鳴り声を上げたのであるから、攻め寄せた大内兵もぎょっとして動きを緩めた。

 ――――ヤツは命を賭して自分達と相打つつもりでいる。

 突入した雑兵達が種実の真意を悟るのは、そう難しい事ではなかった。

「我こそは秋月家十六代当主、秋月筑前守種実なるぞ! 我と思わんものはいざ組まん!」

 古風な名乗り。 

 しかし、威風堂々とした名乗りであった。

「突撃!」

 種実を戦闘にして、心を一つにした秋月の兵がまっしぐらに大内勢に突撃を開始する。

 門を乗り越えてきたばかりの大内勢は、体勢が整っていない。隊列は乱れ、各個人がばらばらに城内に入り込んでいる状態であり、そして門の周辺は非常に混雑している。そんな状況で、大人数の突撃を受け止められるはずもなく、大内勢の最前列は一撃で崩れ、押し出される。

「おお、何と見事な大将か。もの共臆するな! あれは希代の大将ぞ! 討ち取って名を上げよ!」

 叫んだのは、大内勢の侍大将だろうか。

 一撃を加えた後はジリ貧になるだけである。

 種実は槍を振るい、家臣達と共に山を転がるように駆け下りていく。最初の突撃は思いのほか上手くいったが、それは不意を突いた事と斜面を駆け下るほうが遙かに有利だという地の利を生かしてのものであった。となれば、僅かでも平らな場所に出ればその優位性は消失する。または、どこかで勢いを殺された瞬間に、なぶり殺しとなるであろう。

 いつの間にか、暢堯(のぶたか)がいなくなった。背後についてくる家臣の数も激減しているのが感じられる。

「ぐ、う」

 突き出された槍を避ける技量など、種実に求めても意味がない。

 腹に深々と刺さった槍を力任せに引き抜き、自らの槍を振り回す。

「うあああああああ!」

 喉を割いて出る叫び声に血が混じる。

 背中から腹から刃が突き出て、目の前が真っ赤に染まる。

 そのまま、目を見開いて秋月種実は壮絶な最期を遂げた。

「殿に続け!」

「後れを取るな!」

「命を惜しむな、名を惜しめ!」

 種実の最期を見届けた家臣達が、一人また一人と大内勢に挑みかかっては命を散らしていく。

 種実の渾身の特攻は、大内勢の最前列を突き崩し、思いもよらない被害を出したものの戦いの趨勢を変える事は終ぞできなかった。

 

 

 

 ■

 

 

 

 思わぬ反撃に僅かなりとも被害を受けた隆房はむっとした表情で畳床机に座り込む。

 戦には勝利した。

 古処山城は開城し、秋月家は滅びた。すべて、上からの指示通りに事を進めた。

 ――――もう少し、上手くできたようにも思うが。

 日が暮れて、篝火が焚かれると戦場には戦勝に浮かれた将士の影が躍った。

「光秀は、混ざらなくてもいいの?」

 隆房は隣に座る光秀に尋ねた。

「わたしの関わる戦ではありませんので」

 光秀は微笑みながら答えた。

「そう。真面目だなぁ」

「それだけが取り柄ですので、大目に見てください」

「それは大仰じゃないの。鉄砲で光秀に勝てるヤツはそういないし、学問にも精通しているのだから、謙遜しすぎよ」

 光秀は隆房の言葉を持ち上げすぎだと感じるかもしれない。この堅物の性格なら、そう受け取っても仕方がない。しかし、隆房から見ても光秀の活躍は目覚しい。保守的な体制の大内家に新人が馴染むのは非常に難しい。ましてや貴族趣味の当主がいるので、学問にも通じている必要があるくらいだ。その中で光秀が様々な機会に恵まれているのは、義隆ではなくより柔軟な考え方をする晴持に引き抜かれた事や鉄砲の腕前、そして頭のよさなどが総合して彼女の評価を上げているからであろう。

 源氏の血筋という事も大きい。

 もしも、農民出身のような名もなき者であれば、よほどの活躍をしなければここまで成り上がる事はできない。

 光秀は、それだけの力と血統に恵まれながらも戦乱で故郷を失い流浪の旅に出なければならなかった不幸を経験している。

 隆房にはそれがない。

 隆房には持ち得ないものを、光秀はすでに持っているのである。

「若のところにはいつ行くの?」

「明朝にはここを発つつもりです。本来ならば、もっと早く行動するべきなのですが……」

「今は戦が終わったばかりで落ち武者狩りもあるから、止めといたほうがいいでしょ。若が困ってるならまだしも、ここが墜ちた以上、筑前に逆らう勢力はほぼないよ」

「後は、高橋殿ですか」

 秋月家が滅びた事で、筑前国の中で大内家に歯向かう勢力は高橋元種だけとなった。

「あれは、そう持ち堪えられないよ。まだ、物心付くか付かないかの子どもでしょ」

「秋月殿のご子息だったとか」

「若より若いのに、子宝には恵まれたらしい。嫁を娶るのが早かったからね、種実は」

 種実の妻は、この戦いで夫の死を知り失意の中で自害して果てたという。

 幼い息子もその後を追った。

 そして、その弟である高橋元種は当然ながら思慮分別ができる歳ではない。秋月家と高橋家の同盟のためのもので、そこに将としての判断能力は求められなかったのであろうが、追い詰められた状況下では、当主が頼りなければ急速に求心力を失うのが関の山である。

 筑前国はこれで抑えた。

 後は、龍造寺家並びに島津家といよいよ干戈を交えるのみとなったのである。


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