大内家の野望 作:一ノ一
――――むごい戦だ。
いたるところに死者がいる。烏に死肉を啄ばまれ、野犬に臓腑を食い荒らされる者たち。戦とは少なからずこのような光景を生み出すものではあるが、しかし今回の戦は下々の者たちの心によくないものを植えつけた。
柳川城攻めは、もっと穏便なやり方をすべきだった。いずれ攻めるにしてもだ。これは、流した血が多すぎる。多少の時間をかけてでも謀略を駆使して奪い取るべきだったのだ。
鍋島直茂は流麗な顔を曇らせる。
柳川城を攻めたのは龍造寺家の武将たちではあったが、つい先日まで共に轡を並べた相手であった。蒲池家は旧大友家臣の家であり、攻め落とすよう命じられた諸将――――田尻家などもまた耳川の戦い以降龍造寺家に就いた一族であった。顔見知りだったのだ。彼らの配下には、親族が敵味方になってしまった者たちも数多い。上に命じられて父母や兄弟を斬り捨てねばならなかった者たちの事を思うと胸が痛い。
ふと顔を上げると、同じように戦場を俯き加減で歩く男の姿を見つけた。
直茂はそっと、その男の傍に歩み寄る。
「田尻殿、共も連れずにどうかされましたか」
それは、柳川城攻略の要として隆信に命を受けていた田尻鑑種であった。
薄着だからか、鍛え抜かれた筋肉が盛り上がっていて屈強な武将である事を如実に表していた。
「これは、鍋島様」
直茂もまた共を連れていない。その事に鑑種は驚いたようだった。直茂は龍造寺家の重鎮であり、鑑種よりも位が高い。鑑種自身もまた一家の長ではあるが、大勢力の軍師であり唯一隆信に諫言できるともされる人物が一人でいる事に比べれば、まだ常識の範疇で行動している。
直茂はざっと、辺りを見回す。
両軍入り乱れての乱戦だった。死んだ者が多く、供養もまだできていない。
「戦であると素直に割り切れればよかったのですがな」
と、鑑種は自嘲気味に言った。
「某が招いたようなもの。叔父上には不孝を致しました」
すでに首となった柳川城主蒲池鎮漣と田尻鑑種は叔父と甥の関係にあった。攻める側と守る側が致し方ない事情とはいえ血縁で結ばれていたというのは戦国の無情さをこれでもかと突き付けてくる。
「せめて講和の道を探れればとも思ったのですが、中々叔父上も強情でした」
「そうですね」
瞼を閉じて、直茂はかつての鎮漣を思う。
有能な将であった。志高く、信義に厚い男であった。失ったのは、大きな痛手だと思うくらいには。しかし、それを口にすれば主への批判に繋がる。最終的に龍造寺家の総攻撃を止められなかったのは、傍にいた直茂の落ち度である。
失った兵力は補充できなくはない。だが、失った名声はそう簡単には取り戻せないだろう。直茂は龍造寺家の屋台骨の一人である以上、鑑種のように死者を悼む余裕はないのだ。
今回の戦。
最もよい結果は、柳川城を攻め落とさず、交渉で膝下に降ってもらう事だった。
兵も名声も落とさずに筑後国最大の所領を持つ蒲池本家を下せば、それだけ龍造寺家の力を見せ付ける事になっただろうから。
力攻めを選んでしまったのは、あまりにも急速に大友家が力を安定を取り戻しつつある事が要因だろう。一日でも早く、柳川城を攻略しなければ筑後国の制圧ができなくなってしまうと隆信は踏んだのだ。
それが総て間違いとは言い切れない。
結果論ではあるが、龍造寺家は要害たる柳川城と広大な領土を獲得し、筑後国に楔を打ち込む事に成功したのだから。
失ってしまったものは仕方がないとして、後はこの戦を無駄にしないように立ち振る舞う必要があろう。
少なくとも、戦を主導する立場にあった者として、この戦そのものの価値を否定するような発言は死した者たちへの侮辱となってしまう。
その死を悼む資格すらも、直茂にはないのかもしれない。
「隆信様は蒲池家を完全に滅ぼすおつもりでしょうな」
「はい」
「次は山下城の鑑広を攻められますか」
「それは、今後の方針次第です」
極力、感情を排して直茂は言った。
山下城に篭る蒲池鑑広は、耳川の戦い以後筑後国の国人たちが大友家を離れていく中で大友家への忠義を貫き、未だに龍造寺家に通じていない数少ない国人の一人である。
柳川城の蒲池家とは親戚筋であり、下蒲池家と上蒲池家に分かれている。鑑広は上蒲池家に連なる家系であり、龍造寺家に滅ぼされた下蒲池家と合わせると二〇万石に達する大勢力となる。
その内の半分以上――――およそ一二万石が、すでに龍造寺家の手に落ちた。統治するとなると、しばらくの時間がかかるとはいえ、数字の上でこれならば大きな稼ぎだ。
「鑑広は未だ龍造寺の殿に信服しておりません」
「ええ。すでに、大友方に早馬を走らせているようです」
「いずれにしても討たねばなりませんな」
その言葉に、直茂は返す言葉がなかった。
叔父とその家族を皆殺しにしたばかりだ。その上、さらにその一族まで手に掛けよとは、戦国の非情な世界にあっても憚られる。何も彼に手を汚させる必要などないのだから。
「大友家や大内家との戦いも、そう遠い事ではありません。その時は、我々も全力を傾ける必要があります」
「山下城の救援に、彼らは動きますか」
「それも不明ですが……どのように進んでも我々は島津よりも先に大友家と激突する事になるでしょう」
正直に言えば避けたい展開ではあって、隆信にもそれとなく進言はしているのだが、目だった効果は出ていない。
可能ならば、もうしばらく筑後国の根回しに時間を割きたいところなのだ。足元が不安定な状態で大国との決戦は避けるべきだ。まして、その後に無傷の島津家との戦いを控えているのならば、一つひとつの戦に万全を整えなければとても持たない。
だが、隆信は攻め急いでいる。情勢が落ち着く事を許さない。攻めなければ、領土拡大の好機を失う事となる。その一点が龍造寺家を戦に駆り立てている。
それ自体は正しい。
――――儘ならぬ。
と、直茂は沈鬱な気分になる。
正しい判断と悪い判断が渾然一体となっている。如何なる選択をしても、必ず有利不利な面が内包されるのだから、より危険の少ない道を選びたいところだ。
ともあれ、まずは大友家と大内家の出方を見なければならない。こちらとしては、この勢いに乗じてその他の勢力を降していき、叶う限り早期に筑後国全域を支配したいところだが、そうは問屋が卸さないだろう。
想定よりも早く、大友家との決戦を迎えるかもしれない。
その不安が、直茂の胸に寒風を呼び込んでいた。
■
大内家から派遣されてきた大軍は戦のためにいるのではあるが、戦が連日連夜行われるはずもない。当初の予定では春先から初夏にかけて動員するべきではあろう。田植えを考慮するのであれば、初夏がいいか。それまでの間は情報収集と国境警備が主な仕事となる。大友家の内情を察すれば、向こう数年は戦をしたくはないのだろうが、龍造寺家と島津家がそれを許してはくれないだろう。
目下、島津家よりも龍造寺家の動きが活発だ。
それに対処していくには、筑後国にいる親大友派の国人との連絡を密にする必要があろう。
年が明けても、大友家と大内家の臨戦態勢に変わりはなかった。むしろ、ここからが本番というようにピリピリとした雰囲気が立ち込めている。軍議の場であれば、その空気はますます強くなる。
「すでに柳川城陥落以降、龍造寺家は大軍を筑後に止めています。このまま、大友方に就いた方々の所領を食い荒らす心積もりでありましょう」
赤髪の女性が晴英の前で報告した。長い髪を後ろで纏めた凛とした雰囲気の女性だ。
甲斐宗運――――評判は聞いている。阿蘇家に仕える名将で、相良家の当主相良義陽とは親友同士であるとか。
「このまま筑後が龍造寺家の思うままにされては、肥後の後背を突かれる事にもなります」
今の時点で、肥後国の北部を押さえてはいるものの、島津家との戦いに戦力を割かねばならない以上龍造寺家と二方面作戦を取る力はない。肥後国の国人たちは、島津家への防衛ラインを堅持してもらわなければならないのだ。
「そうだな」
と、晴英が頷く。
「報告ご苦労。筑後への援軍は必ず送ろう」
「お待ちください、安請け合いをされても送るべき兵の数が足りませぬぞ」
志賀親守が異を唱える。
援軍と簡単には言うが、龍造寺家は大軍である。援軍を送るにしても、耳川の戦いでの敗戦とお家騒動による国力と求心力の低下は否めない。
「兄上、どうだ?」
「大内としても、援軍を送るほかないと思う。隆房と隆豊を行かせよう」
晴持は端的に答えた。
現在国境警備に当たっている大内家が誇る二将を前線に移動させるのである。後詰としてはこの上ない戦力であろう。
そして、こういうときのために大内家がここにいるのだ。
「大内家が動くのに、大友家が動かんというわけにはいかないだろう。龍造寺が強くなるほど、こちらは不利になる。熊が想定を上回る速度で進軍しているのならば、こちらは想定通りに対処しては間に合わん」
道理ではある。
当初、柳川城で敵の足が止まるものと考えていたのだ。まさか、隆信が味方の生死を度外視して戦に臨むとは思わなかった。
龍造寺家の所領は急速に広がっている。大友家に就いた諸将も、危険に晒されている。こちらが援軍を出さないとなれば、一気に筑後国の国人たちは龍造寺家に臣従する道を選ぶだろう。
「こちらから、誰が行くかだが」
と、晴英はざっと周りを見回した。
耳川の戦いによる消耗は、重臣格にも目に見えて現れている。戦で名を馳せた者の多くが、日向国で屍を曝した。
少ない兵を安心して預けられる者は、必然的に絞られる。
「紹運、頼めるか」
「はい」
二言なく、紹運は頷いて頭を下げる。
大友家が誇る二強の一角にまで昇りつめた彼女は、大友家の楯であり鋒である。その人選に否を唱える者はいなかった。
「肥前の熊殿が、果たして戦場に出てくるかは分からんが……できれば討ち取ってしまいたいものだな」
扇で口元を隠した晴英が気だるそうに言った。
大友家に仕えていたのは龍造寺家も同じ。滅亡間際からたった一代で大勢力にまで成長した実力は折紙つきで油断ならぬモノではあるが、だからこそ早々に退場してもらいたい。
「まずは欲を出さずお味方の救援が第一とすべきでしょう」
「分かっている。親守は頭が固い」
辟易したとばかりに晴英は顔を歪める。
次いで、晴英は宗運に話しかける。
「宗運殿」
「はい」
「こちらも準備が整い次第、筑後に兵を送る事になるが、それまでの間は情報の収集に余念なく努めてほしい。無論、島津についても」
「承知しております。些細な変化も見逃さず、詳らかに報告しましょう」
微笑み、頭を下げる。
宗運がここに来たのは援軍を請うためだ。その目的が果たされて、肩の荷が下りたのだろう。
その後の軍議は今までと同じだ。龍造寺家と島津家の二大勢力と相対するために準備を進める事や、大友家の国力回復のために、商業を振興し、大内家の協力の下で交易を行う事など大きな視点から協議した。
戦の時期を早めるというのは、致し方ないことだろう。龍造寺家も春を過ぎれば活発に動き出す。島津家も同じく動くだろう。同時に二方面を相手にするよりも、一方を潰してからもう一方に当たるほうがいい。
仮に龍造寺家と島津家が共同作戦を執ってきたら、さすがに苦戦は免れないだろう。
けれど、両者にその動きはない。
信長包囲網が機能不全を起こしていたのと同じ理由ではないか。
広大な領土を持ち、互いに対等、或いは自分が上であると意識している戦国大名同士が共同作戦を執るのは難しいのだ。連絡手段も限られていて、情報が正しく伝わる保証もない。相互に干渉しないという約束はできても、長期に渡って戦略的な作戦を合同で練るのは難しいのだ。
いつかはぶつかる敵であるという意識はどうしても消せない。
「まずは、敵と味方を分けるところから、かな」
と、晴持は広げた九州の地図を覗き込む。
小さな部屋に、晴英、光秀、道雪、紹運、そして肥後国からやってきた宗運が集っている。
これから龍造寺家と対峙するに当たって、大友家に組してくれる筑後国の国人たちと龍造寺家に就いた国人たちを振り分ける。
「まあ、耳川以降多くが離反してしまったが……それでも筋を通してくれている馬鹿もいる」
と、晴英は口元を綻ばせて地図を指差した。
「まずは山下城の蒲池鑑広。親戚筋が龍造寺に降っても、こいつは終始一貫して大友派を貫いてくれている。山下城も天然の要害で、そう容易く墜ちることはないはずだ」
そして、今最も命の危険に晒されている人物でもある。
龍造寺家に就いたはずの親族が、無残な仕打ちを受けたのだ。同族である以上、龍造寺家に狙われないはずがない。
道雪が、晴英の言葉に続けて言った。
「後は、矢部山城の五条家、今川城の三池家、長岩城の問註所家、戸原城の戸原家、犬尾城の河崎家がこちら側に就いてくださっています。敵方には、発心城の草野家、猫尾城の黒木家、西牟田城の西牟田家、鷹尾城の田尻家、久留米城の丹波家……丹波家については、二つに分かれているので、敵と言い切るわけにもいきませんが」
大まかに分けてみると、思いのほか大友方にまだ残っている者がいるという印象ではある。
それぞれの国人たちの所領はおのおの一万石から二万石程度。蒲池家だけが群を抜いて突出している。
「この勢力図も、時が経つに連れて変わっていきます。龍造寺の勢いが強まれば、旗色は早々に変わるかと」
宗運が冷徹な意見を言う。
もともと筑後国の国人たちは大友家に臣従していたわけではない。その軍事力の下に従っていただけで、家臣だったわけではないのだ。領土の安堵などを通して恩義があると思っているものもいれば、大内家が背後にいるのだから大友家が優位にあるはずと打算的に考えている者もいるだろう。
「強きに靡くは戦国の倣いでもあります。否定的に見る必要もないでしょうし、ならばこちらの威を見せればいいのです」
光秀が言う。
「それで心変わりをする者もいるかもしれない。軍を発すのは確定だが、できる限り龍造寺の内側を崩したいところだな」
晴持は光秀の意見に加えて言った。
「此度の柳川城への仕打ちで、すでに筑後衆の間で龍造寺家に対する不信感が生まれているようです。そこを突けばあるいは」
――――龍造寺家の進撃を遅らせ、こちらの戦力を高める事に繋がるかもしれない。
宗運のもたらす情報は有益だ。
混迷を極める筑後国に情勢は一様には判じ難い。しかし、総合的に見て大友家が優位に立っているように見える。国人の心が離れれば、統治に時間と資金を費やす事となろう。それは、こちらからすれば大きな隙となる。
「柳川城を力攻めにした時点で、こうなる事は向こうも分かっていたはずです。であれば、反攻を許さず一気呵成に軍を進める可能性もあります」
「明智殿の言うとおり、龍造寺家は背水の陣に近い状態にあり、遮二無二戦を仕掛けてくるかもしれん。そういう手合いであれば、やりようはある」
「あっちも猛将揃いだ。油断はできない」
「分かっている。油断などしないよ。手痛い敗北の直後だからな」
「なら、いいけど」
晴持の指摘を晴英は笑って受け止める。
島津家を軽んじたが故に、大きな敗北を喫した。敵を侮り、情報収集を怠れば、待っているのは滅亡あるのみだ。
「筑後での勝敗は、国人衆をどう味方につけるかで変わってくるな」
「その点では、龍造寺家は戦略を誤りましたね。今の段階では、戦わずして切り崩せるだけの足場があります」
晴持の言葉に頷いた道雪が晴英を見る。
「晴英様。ここは、龍造寺方の国人たちに帰順を求められてはどうでしょうか。元は大友家と共に歩んできた者たちです。あちらに利がないとなれば、こちらに就くでしょう」
「そうだな。そうしよう」
蒲池家への処遇の影響は少なからずあるはずだ。
兵を集めて筑後国に本格的に攻め入る前の下準備としては、基本的ながらも高い効果を期待できる。
とりあえずは晴英の名で敵方に就いた国人たちに帰順を勧める書状を出し、様子を見ようという事で、この話し合いは終わった。