大内家の野望 作:一ノ一
柳川城を攻め落とした龍造寺隆信は、自ら奪取した柳川城を筑後国攻略の拠点と定めて筑紫平野の攻略を最優先目標に掲げた。
筑紫平野は有明湾と山々に囲まれた広大な平野であり、山がちの地形である九州北部に生きる龍造寺家にとっては筑紫平野の生産能力や海に面しているという利点は決して見過ごせない。筑後国の要とも言える柳川城を無理矢理にでも奪い取ったのも、筑紫平野を早々に固めて地盤を強化し、本格的に大友家との一戦に備えるためであった。
柳川城の攻略によって、強大な武威を示した隆信ではあったが、内心は事が上手く運ばない苛立ちを募らせていた。積年の仇敵である大友家と大友家を庇護する大内家の影響は、彼女の想像を上回るほどに強かった。
「権威に阿る馬鹿ばかり。嫌になるわ」
「権威を蔑ろにしては政治は儘なりませんよ、隆信様」
「ふん、分かってるわよ。分かってる」
隆信は
腹心である鍋島直茂の怜悧な表情とは対照的に、隆信は感情的な表情を浮かべている。
隆信は直情的な姫武将だ。
泣く事はないにせよ、怒りやすく、我慢が足りない性格である。柳川城を攻め落とした一件にしても、その短気な性格が随所に現れる戦いだった。とはいえ、それは短所であると同時に長所でもある。城攻めについて言えば、失う兵の多さが目立ったが、難攻不落の城を短期間で攻め落としたのは紛れもない彼女の実力である。
「で、結局アイツはどうしたのよ」
「アイツ?」
「蒲池」
「山下城の蒲池殿であれば、依然として応じる様子を見せません」
隆信は不機嫌そうな顔を隠しもせずに脇息に頬杖をついた。
「大内の動きは?」
「すでに不穏な動きがあります。筑後の国人に帰参を呼びかける書状を送っているようです。わたしたちと戦う前に、可能な限り筑後国内の味方を増やそうとしているようですね」
「こっちもやってるでしょ」
「はい。今の段階ですと、およそ七割ほどは当方に靡いているようです」
七割と聞いて、隆信は気をよくしたのか相好を崩した。
だが、七割という数字は言葉だけの国人も合わせた数だ。実際に龍造寺家と大友・大内連合が激突したわけではなく、開戦まで時間があるために日和見を決めている勢力も多々ある。柳川城を無理矢理陥落させた事で、龍造寺家側が本気で筑後国を侵すつもりであると知らしめる形となり、そういった日和見勢力は決断を迫られている。良くも悪くも、隆信の決定が状況を動かしている。この流れに上手く乗れれば、龍造寺家が筑後国の主導権を握ることができる。
「間違いなく、筑紫平野が大友方とぶつかる戦場となるでしょう」
「そうだね。地固めを急がせなさい。山下城を何が何でも攻略するのよ」
「はい」
直茂は静かに頭を垂れる。
蒲池鑑広は未だに意地を通して龍造寺家への敵対を続けている。
柳川城の蒲池家が無残な最期を遂げた事も影響しているに違いない。これについては、隆信の行動が裏目に出た形ではあるが、都合よく解釈すれば筑後国内の反龍造寺家の象徴になってくれたとも言える。国力も単独の国人で見れば秀でているほうなので、山下城を落とせば反龍造寺家の勢いが大きく削がれるのは明白だった。天秤が傾けば、自ずと日和見勢力も味方にできるだろう。
隆信が命じた地固めの第一歩こそが、鑑広が篭る山下城とその支城の攻略なのだ。
山下城の攻略を正式に命じられたのは、龍造寺家の中でも猛将と名高い姫武将信常エリだった。
副将として武勇の誉れ高い重臣の
山下城が一揉みに押し潰せるような城ではない事は、歴戦の猛者であるエリと賢兼は理解していた。実際に目で見なければ最終判断はできないとはいえ、事前情報だけでも攻略の難しい城だと感じられた。そもそも山下城は山城である。目を見張るほど大きな山の上に立っているというわけでもないが、それでも山城というのはそれだけで自ずと攻めにくく守りやすい構造になってしまうものである。
となれば、まずは山下城を丸裸にする必要がある。
具体的には支城を潰し、取り囲む。
幸いな事に蒲池家の近隣の国人達は龍造寺家に好意的である。進軍を阻む事もなく、むしろ率先して道案内までしてくれた。
目的地である山下城は、筑紫平野の南東部に位置する山に築かれた典型的な山城である。筑肥山地の外れにあり、平野部を見下ろす事ができた。
故にこそ、平野部に建つ支城が攻撃を受ければ、すぐに分かるだろう。
エリが命じて攻撃を加えさせたのは、蒲池家の支城に当たる知徳城である。城を任されているのは、蒲池家家臣一条和泉守なる人物だ。人に知られている人物でもなく、エリも賢兼もこの男についての事前情報はほとんどないが、二度に渡る攻撃を凌いだところから一廉の武士であると分かった。
夜。
篝火を焚いた陣の中でエリと賢兼は身体を温めるために酒を酌み交わす。あまりいい酒ではないのか、酔いも回ってこないが、それはそれでありがたい。戦場で酔い潰れるわけにもいかないからこのほうが都合がいい。
「出てこなかったな、蒲池は」
賢兼は紅く上気した顔を渋く歪めて言った。
「そうだね。まあ、出てくれたら儲けモノ程度ではあったけどね」
肩を竦めるのはエリだ。
同僚として、共に戦場を渡り歩いてきた二人は互いに実力を認め合う仲である。酒を酌み交わし、忌憚のない意見を言い合うのも珍しい事ではなかった。
「支城を攻撃されているのを目の当たりにして、出て来ないとなると徹底的に篭城するつもりだろう。まさか、見えていないということもあるまいしな」
知徳城は山下城から数里離れた平野の真ん中に建つ城である。より具体的には、平野部の中にある丘陵を利用して作られた城だ。よって、丘城の一種と言えるだろう。山城ほどではないにしても、丘を使用した城は攻め難い。大軍を動員しているものの、一斉に攻めかかれるわけではないからだ。負ける事はないにしても、真っ当にやっていけば時間はかかる。
「上妻郡八万石は伊達じゃないか」
「戦に備えてはいたんだろう。だが、多勢に無勢だ。蒲池に勝利はありえない」
「百武殿、油断は……」
「心配するな、信常。決して敵を侮っているわけではない。あまり上の者が悩んだ顔を見せていると下の者は不安がる。心の余裕は油断ではないぞ」
筋骨隆々の豪胆な男でありながら、意外にも繊細に物事を見る。百武賢兼という男は、猪武者ではない。知恵者でもあり、戦場で槍を振るう事しか脳のない――――と思っているエリにとっては好敵手であると同時に尊敬すべき先達でもあった。
その賢兼がそう言うのだ。油断ではなく、心の余裕だというのならばそうなのだろう。
「ともあれだ。山下城から救援に出て来ないというのならば、知徳城はありがたくいただくまでだ」
「ああ。あまり時間をかけても、殿にどやされるからね。できれば、近日中に陥落させて本命に攻め込みたいところだ」
エリは笑みを浮かべて頷く。
知徳城に篭る兵の数は、少数である。死兵となっても脅威にならない程度のものでしかない。
「明朝に二方面作戦に出よう。小規模な知徳城に一〇〇〇〇もいらない」
エリは決断した。
もとより知徳城を攻めたのは、山下城を攻める時に背後から攻撃される可能性を消すためであり、もののついでとして山下城から敵を誘き寄せるのにも使ったのである。後者は今日の攻撃によってまったくの無駄骨に終わってしまったので、知徳城を落とすのに必要な人数だけ残して残りを山下城の攻略に当てたい。
知徳城の兵力がそう多くなく、近日中に落とせるのならば、エリが判断したように一〇〇〇〇人もの兵で囲む意味がない。
■
龍造寺家の勢いは、大内・大友連合の予想を遙かに超えた速度で拡大していた。
山下城陥落の報が府内に届いたときには、すでに更なる戦が大友方の国人に仕掛けられているところであった。
今や筑紫平野の大半を龍造寺家が席巻している状態だ。
事態は一刻を争うとして、大内・大友連合もいよいよ龍造寺家との一戦を覚悟した。
水がぬるみ始める三月の初めに陶隆房を総大将とする一〇〇〇〇人の軍が博多を経て、北西方面から筑紫平野へと乗りいれた。
事前の内応工作が功を奏した部分もあり、多勢に無勢ということもあった。隆房が率いる軍はほとんど抵抗を受ける事なく筑紫平野の北西部を制圧し、平野部の中央に建つ海津城の攻略に取り掛かった。
海津城は安武家の代々の城であるが、龍造寺家の筑紫侵攻の際に陥落している。今は龍造寺家の城代が城に篭って応戦している形となる。降服の気配を見せず、懸命に凌いでおり、早期決着を望むのであれば強攻策に出るしかないのが現状ではあるが。
「さすがに無理かな」
「はい」
隆房の呟きに隆豊が頷いた。
城一つ陥落させる事は不可能ではない。力攻めができるだけの兵力は揃えている。しかし、龍造寺家の本隊との激突を想定するのならば、ここで消耗するのは得策ではない。
ここはすでに龍造寺家の勢力圏内である。敵の援軍はすぐさまやって来る。
「龍造寺家はわたし達と事を構えるために兵を集結させています。聞くところによれば、すでに一〇〇〇〇もの兵が集っているとの事ですから」
「思ったよりも動きが遅いわね」
「寝返りを恐れての事かと。近隣の国人衆には、わたし達に与力するよう書状を出しています。龍造寺家は、人質を出させるなどして忠誠を求めているようですが、それに時間をかけたのだと思います」
「国境をあたし達と接している人達にとっては、どっちに就くかで真っ先に攻められるかどうか決まるしね。まあ、それに時間をかけたのは当然か」
それはこちらも同じ事ではある。すでに大友家に人質を出した勢力もある。忠誠の証にと、戦の際には最前線で戦うと誓う者達がいる。だが、改めて人質を出すような国人は、一度、大友家から離れた勢力が多いのだ。そういった事もあり、大友家が自分達をどのように扱うのかまったく見えず、尻込みしてもいるのだろう。故に、決して無碍にしないという事を実際に見せる事が重要であり、戦はそれを示す場でもあった。
「ご報告!」
陣に飛び込んできた伝令は肩膝をついて隆房に敵の情報を伝える。
龍造寺家の本隊に動きがあった。龍造寺隆信率いる約五〇〇〇の兵が柳川城を出立。途中で、犬尾城を奪取した信常エリ率いる約七〇〇〇と合流して知徳城に集結し始めたという。
「この後、どうくると思う?」
隆房は隆豊に尋ねる。
「さて、どうでしょう。海津城の救援が目的でしょうから、このまま北進するのは明白ですが……」
「ここに一番近い龍造寺の城は、確か田川城か」
絵地図を見下ろした隆房の視線は、現在地である海津城から南に下ったところにある田川城にあった。
つい先日、城主が龍造寺家の伏兵によって討ち取られたばかりの城である。龍造寺家の城代が、兵を入れて軍備を整えているのは確認できている。
隆房は伝令兵に伝える。
「田川城にも物見を放って。大人数を受け入れる用意があるのなら、そうと分かるはずだからね。動きがあり次第、あたしに報せて」
「承知しました」
伝令兵が隆房に命じられるままに陣を出て行く。
戦には金がかかり、多くの物資が消費される。もしも田川城を拠点とするつもりならば、一二〇〇〇人もの人数を受け入れるための準備を進めなければならない。
「いざ、戦となれば……ここは一旦放棄するしかないね」
「そうですね。海津城を無理に攻め取る必要も、囲み続ける必要もありませんからね」
「むしろ、城の中と外から挟まれるのが辛い。こっちはこっちで、迎え撃つ準備をするべきだし」
海津城を目掛けて敵が来るのであれば、一時撤退を視野に入れる。
城と敵本隊を同時に相手取るのは不利益が大きいからである。
兵数はほぼ互角。平野部での戦いとなれば、小手先の技よりも兵力で強弱が凡そ決まるものだが、兵力そのものが拮抗している場合はどのような結末になるか予想できないという危険はあるのだ。
こういった場合、晴持ならば安全策を取る。良くも悪くも冒険しない性格だからだ。守りを固め、敵よりも多くの味方を集め、外堀を埋めて必勝を期すのが彼のやり方だ。
隆房はどうか。
戦いの規模が大きくなるにつれて、猪武者では生き残れない事をすでに理解している。魂の奥底には、確かに敵地に飛び込み、槍を振り回したいという思いがあるのは否定できないが、今の隆房は一〇〇〇〇人の兵を預かる総大将である。さすがに、突撃する事は不可能である。
「攻囲を解いて、兵を退こう。本隊は川を渡って西島城に入る。それから、一部は大隈城と中野城に入って龍造寺家の強襲に備えよう」
隆房はそう決定した。
本隊が入り西島城は、筑後川の向こうにある城だ。海津城からは一里も離れていない。
龍造寺家が攻め寄せてきても、川を境にして陣を敷く事ができる。
中野城は、海津城と西島城の間に位置している砦で、これも筑後川を渡ったところにあり、前線基地として使用できるだろう。そして、大隈城は海津城から北に向かったところにあり、一里ほど離れている。拠点を整備して、主戦場になるであろう海津城に睨みを利かせるのが目的だ。
直接対陣するまで、まだ数日の猶予はあるだろう。
実際に刃を交わすのであれば、さらに数日。場合によっては数ヶ月の睨み合いもあり得る。万単位の軍が激突するのだ。簡単に勝敗が決する事はまずないと言える。
■
「戦だ、戦! もたもたすんな!」
威勢のいい声が響き渡る。
龍造寺家の軍勢が勝利の勢いをそのままに猛々しく吼える。
未だ出陣前の準備段階にありながら、戦意は非常に高い。
筑後国内に入ってからというもの連戦連勝を重ねているのだ。筑後国人は別として、肥前国からやって来た国人や重臣達の自信と意欲は非常に高まっている。
当初からの懸念であった大内・大友連合軍との初戦がすぐそこに近付いているという事もあって、並々ならぬ緊張感に満ちている。
隆信は自ら集まった将兵を見て回っている。
大軍を引き連れて、海津城の救援をするのが目的であり、さらに筑紫平野から大内家の軍勢を追い払うためでもある。
侵攻してきた大内兵は、今まで龍造寺家が相手にしてきたあらゆる勢力よりも強大だ。一国人を相手にするよりも遙かに険しい戦いになるだろう事は容易に予想できる。
「おう、エリ。あんたんとこは、行けそうかい?」
隆信は馬の様子を見ていたエリに話しかけた。
「隆信様。いつでも行けるよう、準備はさせております」
「ああ。明後日には出陣の予定だ。犬尾城攻めに参加した兵は疲れが溜まってるだろうからね。しっかりと今のうちに休ませてやってくれ」
「ありがとうございます。お心遣い、感謝します」
敵には厳しい隆信ではあるが、味方にはきちんと気を回す女性だ。
筑後国の国人からは肥前の熊として恐れられている彼女だが、その人となりを知るほどの重臣達は決して残酷なだけが龍造寺隆信ではないと知っている。
そのため、隆信が冷酷で残酷な人物だと思われているのは心苦しいのである。
確かに、勝利のために苛烈な策を執った事もあるし裏切り者と罵られても仕方のない策略を駆使した事もある。だが、それだけで隆信を判断するのは、腹立たしく思えるのだ。
それは、隆信を知るエリだからこそ思える事ではあって、真実を世に広めるのは非常に難しいものではある。実際に攻め滅ぼされた勢力からすれば、普段の人となりなど一切関係がないのだから。そして、その反抗心に大内家と大友家が上手く付けこんでいるという情報もすでに入っている。
隆信が去った後、残されたエリの元にやって来たのは華やかな着物を着た姫武将である。
「信常さん。山下城に続き犬尾城まで攻略されるとは、さすがです」
円城寺信胤。それが、彼女の名だ。可愛らしい顔立ちと淑やかな仕草は公家の姫と言われても疑うまい。どこまでも男勝りなエリは、内心で信胤を羨ましく思っていたりもするのだ。自分もこのように乙女らしくあれればと。気恥ずかしくて、決してそのような事は言えないが。
「円城寺殿こそ、国人衆の取り込みに骨身を砕かれておいでです。犬尾城が開いたのも、円城寺殿の計略があったからです」
「ふふふ、そのように仰っても何も出ませんよ」
「そうですか。それは、残念」
クスクスと笑いながら、軽口を叩きあう。
龍造寺四天王などと最初に誰が言い始めたのか分からないが、どうやらエリと信胤はそこに加えられているらしい。同じ姫武将ということもあって、気が合うのだ。意外ではある。他ならぬエリ自身がそう感じる。このような淑やかな女性と自分が共に語らうなど、一昔前には想像もしていなかったからだ。とはいえ、信胤は戦場に出れば、苛烈にして果断な戦振りを示す猛者でもある。外見と言動からは想像もできないほどの、頼りになる武将なのだ。
「大内との戦いには久方ぶりに四天王がそろい踏みするようですね」
「それだけの大敵ということです。大内兵を、信胤殿はどう見ますか?」
エリが信胤に尋ねると、信胤は悩ましいといった表情で口を開く。
「中々判断に迷います。決して、強壮な兵というわけでもなさそうですが」
「確かに、わたしもそう感じていたところです。しかし……」
「実際に彼らは、この数年の間に領国を著しく広げています。直接戦でぶつかって撃破するというよりも、策を弄して勝てる状況を作り出すのが彼らの手法。そのための財力と兵力を持っています。が、実際に同規模の兵をぶつけ合った場合にどうなるかは分かりません。貴族被れと侮る声もありますが……」
「四国では立花道雪と一戦交えている事からも、そう簡単にはいかないでしょう」
信胤は頷く。
大内家も大友家も財力で名を知られた名族であり、特に大内家は非常に貴族的な傾向のある家柄として有名だ。長らく九州北部に影響力を与え続け、龍造寺家もまた大内家の傘の下にいた時期もあった。その名残は今も当主である隆信の名に現れている。
この戦は、龍造寺家が真に大内家から独立するための独立戦争でもある。
必要なのは妥協ではなく明確な勝利であり、北九州に於ける龍造寺家の利権の確立であった。