大内家の野望   作:一ノ一

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その四十一

 大内・大友連合軍は、歴史と権威のある家の連合軍である。長年相争ってきた二家が力を合わせて事に当たるなど、先代までならば決して夢想だにしなかっただろうが、激動の時代の中で大内家の傘下に入るという形で連合が完成した。この奇跡と言っても過言ではない新たな形に対して、九州に覇を唱える二大勢力、龍造寺家と島津家が同盟を結び対抗勢力へと名乗りを上げた。現在、九州で行われている戦は、ほぼすべてが、この二つの巨大勢力による影響を受けた戦である。小規模な合戦すらも、大内・大友連合派と龍造寺・島津同盟派の対立の代理戦争の側面を大なり小なり抱えているというほどであった。

 これまでは散発的な小競り合いに終始していたものの、暖かな日差しが顔を出し始めた季節を迎えて風向きが変わり始めた。

 龍造寺家の筑後国侵攻の本格化とそれに合わせた大内軍の筑紫平野への進出である。

 龍造寺家の快進撃による筑紫平野の蚕食に待ったをかけた大内軍はさすがの働きだったと言えるだろう。あと数ヶ月遅ければ、筑紫平野の支配権は完全に龍造寺家の手に墜ちていた。それでなくとも、山下城を制圧した時点で、筑後国内に龍造寺家に面と向かって逆らえる勢力は皆無となる。大内家さえ動かなければ、自然と龍造寺家の旗の下に諸国人達は参集せざるを得なかったであろう。

 だが、それを博多方面から入り込んだ大内軍が阻んだ。元々、隆信の苛烈な戦いと恩を仇で返す振る舞いに疑いと不審の視線を投げかける者が多数現れ始めた時期でもあり、大内家の内応工作と権威、そして多数の国を従える国力差への信頼が筑紫平野北部の国人達の取り込みに上手く働いたのである。

 とはいえ、ここまでは両者にとって想定通りの展開であった。

 龍造寺家からすれば、大内家が手出ししてくるのは当たり前のことである。大友家に縁の有る国人が多数いる筑後国は、大友家の影響力が今なお残っている国でもあるため、支配を広げやすい。そこを奪われるのは後々面倒があるので、決して静観する事はないだろう。そして、攻めてくるとすれば本拠地である博多と平野部分が繋がっている北部か肥後国を経由した南部のどちらかであろうとは予測していた。第一候補は大軍を同時に移動させやすく、龍造寺家の活動範囲である筑紫平野南部から離れた博多方面であり、その通り大内家は国人衆を取り込みつつ現れた。

 対する大内家としては、龍造寺家の支配の浅い北部は、退路の確保もしやすく安定した進軍路であるため使わない手はない。龍造寺家との決戦も大軍同士の野戦になるだろうと端から分かっていた。北部の国人衆の取り込みについても、龍造寺家の行いが非道であると受け止められているところを突いて行くことで容易に行えた。いずれにしても、筑紫平野の中心で睨み合いとなることは、必然的な展開であった。

 兵数はほぼ互角。龍造寺家がやや優位にある状況だが、海津城とその傍を流れる筑後川を挟んだ対陣のため、両者共に軽々しく手出しはできない。

 これは、どちらが先にしびれを切らすか、という戦いでもある。

 対峙して二十日が経ち、未だに一滴の血も流れていない。不気味に旗が風に揺れるのみである。

「さて、今日も敵に動きはなし。どうしたもんかね」

 さらさらと小雨の振る中、筑後川の川岸に築かれた砦――――中野城に在陣する隆房は暇そうに呟いた。

 一時は西島城まで退いた隆房であったが、龍造寺軍が本格的に海津城の救援に現れるに当たって兵を率いて出陣していた。手元の兵は七〇〇〇人ほどで、一〇〇〇人を西島城に残している。残りの二〇〇〇人は、大隅城を守っており、ここにはいない。

 川は雨の影響か僅かに増水している。筑後川は九州でも最大級の暴れ川で有名だ。今は梅雨時でないのでそれほどでもないが、仮に大雨が続けば非常に危険である。当然、川の流れに細工する、などという戦術が通用する川ではない。下手をすれば、自軍も押し流される憂き目にあうであろう。

「うーん、こうも広い場所で戦うとなると、突っ込む以外に手がないんだけどねぇ」

「止めてくださいね、そういう無謀は」

 冗談めかして言う隆房に真剣に隆豊が注意する。隆房はぺろりと舌を出して笑う。

「分かってるわよ。そもそも、今の時点じゃ先に手を出したほうが負けるわ。何とか、敵を引きずり出さないと」

「そうですね。ですが、挑発しようにも相手には鍋島殿がいますし」

「うん、あの軍師がいる限りは敵も迂闊な行動は取らないでしょ。それに、四天王もそろい踏みだしね」

 噂に聞く龍造寺四天王。

 今はまだ顔を見たわけではないが、敵の士気、整然とした隊列を見れば非常に優れた指揮官が統率しているのだと分かる。

 直接戦ったらどうなるか。

 不謹慎ながら、確かめてみたいという思いも強い。

「隆房、隆房ー。なんか、ここでじっとしてんのもつまんないよねー」

 明るい髪の少女が気安く隆房に話しかけてくる。

 名を吉川元春。

 毛利元就の娘で、姉妹随一の剛の者である。

 以前までは晴持と共に行動していたが、この戦のために隆房の軍に合流していた。二人は武芸を志す者同士で気が合い、その実力を認め合う親友でもある。

「まあね。でも、待つのも仕事のうちだから」

「うん、そりゃ分かってるけど」

「とにかく、今は我慢のしどころよ。しっかり守って、隙を探すの。ところで、隆豊。あっちの軍って、敵の本隊でいいのよね?」

 隆房は隆豊に尋ねる。

 敵軍の情報収集は隆豊に依頼してあり、対陣前から隆豊は敵軍の情報を探っていた。

「はい。それは間違いありません。龍造寺隆信殿御自ら指揮する、文字通りの本隊です」

 隆豊は断言した。

「隆豊がそこまで言い切るなら間違いないね。うん」

 隆房は満足げに頷いた。

 その上で、

「徹底的に守りを固めるわ。川沿いに柵を設けて、城塞化する。明朝から、さっそく取り掛かるよ」

 何を思ったのだろうか。その決定に、好戦的な元春などは不満げではあるが、決して異を唱えはしない。事実、守りを固めるというのは、現時点でする事のない大内軍にとってはちょうどよい暇つぶしではある。柵を作る材木も、背後の丘陵地に都合よく使えるものが多数ある。隆房らしからぬ戦術ではあるが、これも彼女が成長した証なのだろうか。

 長期戦になると見据えて、大内軍はさらなる守りに入ったのであった。

 

 

 

 ■

 

 

 

 隆房が防備を固める判断を下したとき、龍造寺側にも動きがあった。

 龍造寺家が誇る至高の軍師たる鍋島直茂は、鬼のような仮面に隠れた顔に憂いを隠しつつ、小雨がぱらつく筑後川を眺めている。

 もうじき、日が暮れる。

 しかし、西日はまったく見えず、さらに重くどんよりとした雲が西から流れてくるのが見て取れる。

 ――――天気は下り坂。誰の目から見ても明らかである。

 川はますます増水し、濁りを増していくだろう。

 直茂は踵を返して海津城に戻る。軍議の間には隆信がいて、四人の家臣と話をしているところであった。

 隆信は直茂に視線を向ける。

「どうだった?」

 端的に問う。

 何が、などという事を直茂が確認する事はない。

「敵方に大きな動きはありません。雨については、西より色濃い雨雲が迫ってきておりますので、間違いなく今よりも強くなるでしょう」

「そう。分かったわ」

 隆信は満足げに頷いた。

「隆信様。よろしいのですか?」

 直茂は、静かに尋ねる。

「もう決まった事でしょ。予定通り雨が降るんなら、敵だって油断するわ」

「しかし、川の水流は非常に速く、渡るとなれば大きな危険を伴います。加えて撤退にも影響が出ましょう。将士の命を徒に危うくするのは控えるべきかと思います」

「ああ、うるさいわね。今更説教なんて聞きたくないわ」

 隆信は苦々しげに直茂に言い放つ。

「直茂。あんたが考える事は、この作戦をどう成功させるかよ。いつまでも睨みあってるわけにはいかないでしょうが」

「しかし……」

「日の出と共に決行するわ。いい?」

 有無を言わさぬ隆信の言葉に、直茂は頷かざるを得なかった。そうしなければ、隆信はさらに意固地になるだろう。作戦は非常に危険を伴うものではあったが、成功する可能性が皆無ではない。ならば、その可能性を限界まで引き上げる以外にない。

 退出した直茂は、その足で城の広場に向かう。雨の中、百人近い男達が木を削り、組み合わせる作業を続けている。

 小船を作っているのだ。

 もちろん、筑後川を渡り、敵陣に攻め入るためのものだ。

 川を天然の防壁として用いる敵に対して攻撃を仕掛けるためには、川を渡る必要がある。どうあっても、小船の調達は必要不可欠なのだ。

「お疲れ様です。進捗についてお聞きしても?」

 直茂は、大工の棟梁に尋ねた。

「これは鍋島様。雨に濡れてしまいますよ」

「構いません。皆さんも雨に打たれているのですから。それで、作業の進み具合は?」

「ご要望の最低限は揃えられそうですが、それ以上となると朝のまでには厳しいですね。現状、向こう岸まで渡れる程度の完成度は十五隻程度です。これを、朝までに三十まで増やします」

「二倍にできるのですか? この短時間で」

「材料はあります。後は組み上げるだけですので、何とかなります。しかし、何分突貫で作っておりますし、何よりこの雨です。渡るとなれば、かなり危険を伴いますよ」

「そうですね。ですが、やるしかありません」

 そう言うと棟梁は頷いて、鉢巻を巻きなおす。

「その通りです、やるしかありません。ここがわしらの戦場ですので」

「よろしくお願いします」

「大船に乗ったつもりでいてくださいよ。まあ、作っているのは小船ですがね」

 川を渡っての奇襲攻撃。

 それが、龍造寺家の手である。無論、大内側も警戒はしているだろう。しかし、雨によって川の水は、直茂の予想通りならば、明け方にかけて益々増える。この筑後川を渡ってくるとは思わないだろう。その油断を突くのが龍造寺側の戦略だった。

「上手く行けば御の字ですね」

 しかし、隆信に度々進言しているように直茂はこの作戦には否定的だ。

 成功率が低く、失敗した際の危険があまりにも大きいからである。ただし、隆信の言うとおり、どこかで攻めねばならないのは変わりない。長期戦は不利になる一方だというのは、直茂も理解しているところではあり、隆信の攻め込むべきという判断そのものを否定する事もできないのだが、しかしもっと確実性のある方法を探るべきで、対陣二十日にして賭けに出る必要性はないはずであった。

 とはいえ、この戦場の他にも気になる事はある。例えば、大友家の動き。筑紫平野に侵入してきたのは、大内家の軍勢である。二十日間注視していたが、大友家の家臣が混じっている様子はなかった。つまり、大内・大友連合軍ではないという事であり、大友家の動きが見えてこないのである。

「こちらも手は打っていますが、果たしてどうなるか」

 やるからには勝利しなければならない。

 陶隆房率いる大内軍は強壮だ。一度や二度の強襲で崩れる事はないだろう。だが、上手く混乱させる事ができれば、撤退に追いやる事も不可能ではないはずである。それだけの攻撃力が、龍造寺家にはあるのだ。

「相変わらず、不景気な顔をしているなぁ、直茂」

「信忠」

 話しかけてきたの石井信忠であった。

 赤茶けた棘々とした髪の女性で、直茂が心を許す数少ない人間である。

「わたしはそれほど不景気な顔をしていますか?」

「さてどうかね。君はいつでも顔を隠しているからな見えないんだがね。まあ、勘だよ。というか、今の状況なら普通は不景気な顔になっても仕方ないだろうね」

「そう、でしょうか」

「あたしからすれば、よくやってるよ。軍師殿」

「此度の作戦。あなたも先陣を勤めるのですね」

「ねえ。まいったね、殴り合いは得意じゃないんだ。兄貴なら、そりゃ喜んで突っ込んだだろうけどな」

 頭を掻いて心底困ったというように信忠は言った。

「あなたも兄上に勝るとも劣らない猛将でしょう。嘘も休み休み言ってください」

 直茂は呆れたとばかりに言って、しかし口元には笑みが浮かぶ。

 信忠の兄は、すでに亡くなっている。

 かつて、肥前国中野城主馬場鑑周(あきちか)を攻めた折に戦死している。当時から隆信に近侍してその身辺を守護する役目を与えられるほどの信頼を得ており、生きていれば今頃は龍造寺四天王にも並ぶ猛将として名を馳せたのは間違いない。

 そして、信忠は確かに彼女が言うとおり武に於いては兄に一歩譲りはしても、総合的に見て決して劣っているというわけではないのだ。

「此度の作戦。あなただからこそ、任せられる。よろしくお願いします」

「やだね、そんな重い頼まれ方するのは。気楽に死ねやしないじゃないか。あんたは使う立場の人間だ。不景気な顔しないで死んで来いの一言で送り出してくれればいいのさ。後は現場の努力次第よ」

 などと言って、信忠は去っていく。

 どこまで本気なのか分からないが、彼女は彼女なりの覚悟を持って戦いの場に臨むのだろう。ならば、軍師たる直茂がするべき事は何か。彼女達現場に出る武士達が、一人でも多く役目を終えて戻ってこられるように地固めをする事である。

 

 

 

 ■

 

 

 

 ひんやりとした夜明けを斬り裂いたのは、血反吐を吐くような叫び声であった。

「何事!」

 隆房は浅い眠りを覚まして飛び起きる。常在戦場。目を開けて三秒で刀を抜き放ち、敵を斬り捨てられる体勢を整える。

「龍造寺の朝駆けです、姉さん!」

 報告に飛び込んできたのは、陶隆信。隆房の実の妹であり、中野城では夜警を担当していた。

「被害状況は!?」

「混乱があるのではっきりしませんが、未だ城内への侵入はされていません。わたしが確認したのは第一陣と龍造寺の先鋒がぶつかったところで……」

 城門が破られたわけではないという事で一応の安心をした隆房は、状況を整理するべく室外に出る。

「隆信、来なさい」

「は、はい……」

 妹を伴い隆房は城内を歩き回る。

 女中から武士に至るまで右往左往しているではないか。何と言う体たらくか。いや、これはこちらの油断であろう。警戒せよと命じていたにも拘らず、いざとなれば対応が後手に回るのでは何の意味もない。

「何をしているの! さっさと持ち場に向かいなさい! 今、前線で戦っている同士の背中を守るのも、城兵の務めでしょう!」

 怒鳴るわけではない。ただ、強い口調で諭すように言う。隆房の声は戦場でもよく通る。敵のいない城内ならば直の事である。冷や水を浴びせられたかのように、城兵達は冷静さを取り戻した。

「隆豊、いる!?」

「冷泉殿は一軍を率いて、城外に出られました!」

 誰かが叫ぶ。隆房はすぐに頭を切り替えて、

「そう、隆信。隆豊の援護に向かいなさい。くれぐれも無茶はしないように」

「はい、姉さん!」

 隆信は駆け足でその場を立ち去る。戦装束のまま、素早く動けるのは日頃の訓練の賜物であろう。

「第一陣破られました。小幡義実殿ご負傷の由!」

「早いわね」

 想像以上の速度で敵が城に迫っているようだ。

 川の下流側から、筑後川を渡ってきたのだろう。小幡義実が一〇〇〇人で固める第一陣をこれほど素早く破れるとはどのような魔法を使ったのだろうか。それだけの大軍で夜陰に紛れて川を渡ったというのか。この雨で。

 隆房は舌打ちをする。

 月のない夜に、夜半から激しくなった雨の二重苦で偵察能力は大きく低下した。平野部なので視界がいいとはいえ、天気の悪い夜ともなれば、視界など無に等しい。日が昇り視界が回復する直前に、雨と夜の名残に紛れて筑後川を渡ったのであろう。恐ろしい事ではある。増水し、流れの激しい川を視界の乏しい状況で渡るなど自殺行為だろうに。

「それが、狙いか」

 ふむ、と隆房は頤に手を当てて頭を働かせる。眠気などすでに去った。龍造寺家にはしてやられたが、決して致命的な敗北を喫したわけではない。小競り合いで、一杯食わされただけだ。

 

 

 

 ■

 

 

 

 第一陣を突破したとの報は、攻めかかる龍造寺家の士気を大いに盛り上げた。

 ほっと一息ついた石井信忠は、喊声の上がる前線に視線を向ける。突撃しているのは信常エリと木下昌直の二将を中心とした二五〇〇人の精鋭である。背後に後詰として信忠の一〇〇〇人が控えているが、合計三五〇〇の兵で城を一つ落とすのは中々に難しい。まして、敵の総数は倍以上である。

「難しい戦だな」

 最終的な攻略対象となる川岸の敵城まではおよそ半里。夜と雨に紛れて素早く川を渡った龍造寺家の精鋭達は夜明けと共に敵の第一陣と交戦し、これを打ち破った。この速攻を実現できたのは、鍋島直茂の尽力によるところが大きい。

 直茂は、川を渡るのに必要な舟が限られている事を憂慮して、迅速に兵の輸送ができるように舟の組分けを行い、船頭を競争させた。多く人を運んだ者にそれだけ多くの手当金が現物支給されるようにしたのである。また、それでも時間が足りないとなれば、対岸まで太り綱を通し、その綱にしがみ付きながら対岸に渡るという強攻策まで取り入れた。これにより、夜明けには三五〇〇人の将兵が敵陣の半里南に布陣する事となり、闇が晴れると共に突撃を敢行できたのである。

 これにより、策の第一段階は達成された。

 最前線で将兵が戦っているうちに、信忠は任された仕事をする。

 簡易的な陣城の構築である。

 今回の筑紫平野討ち入りに於いて抵抗した国人の屋敷を解体し、砦として利用できる木材をそのまま移送する。この二十日はそのための準備期間でもあった。いずれ、川を渡り、敵側に兵を留め置くための拠点が必要だと分かっていたからである。

「棟梁、頼むよ」

 自ら足を伸ばして作業現場を確認する。

 信忠の部下も駆り出され、総出で工事が行われている。手元の材木と時間が限られるため、そう大きなものは作れない。まずは柵の設置、次いで堀。建物本体は後々設ければよい。敵の攻撃を防げるだけの防衛施設を設けるのが目的なのだ。そうしなければ、撤退してくるエリ達先手の将兵を見殺しにする事になる。

 今も工兵を舟で次々とこちら側に運び入れている。人手をできる限り増やす事で、作業の速度を跳ね上げるのである。

「石井殿、お疲れ様です! 犬塚鎮家お手伝いに上がりました!」

「助かるよ、犬塚殿。では、早速手伝いを、と言いたいところだが、是非やって欲しい事がある」

「如何様にも」

「西島城からくる大内兵の警戒に当たってほしい。数の上ではこちらが不利だ。下手をすると命を捨てる覚悟もしてもらわねばならないが」

「二言不要。西島城の警戒ですね。では、失礼します」

 言うや否や鎮家は自ら連れてた三〇〇の兵を共に西の警備に出た。遭遇戦もありうる中での迅速な行動である。

 元々国人級の将が暮らしていた屋敷を移築するようなものである。零から建てるよりも遙かに早く陣地を構築できるはずである。が、しかし、それを敵方がみすみす見ているだけというのはありえない。信忠が心配する事は、敵が本気でここを襲撃してきた時に守りきれるのかという事である。守りきらねばならないだろう。勝利のための、一手となるのだから失敗できはしない。

 

 雄叫びと共に槍が舞う。流麗にして豪壮なる槍の舞が一人、また一人と大内家の兵卒の命を散らしていく。

 黄金の短髪が涼やかな信常エリは、鬼とも見紛う戦ぶりで敵兵を押し込んでいく。第一陣を突破し、追撃。さらに第二陣の攻略に乗り出す。野戦陣地に挑みかかるのは命がいくつあっても足りない危険な仕事であるが、エリはこれまでに幾度も修羅場を潜り抜けてきた猛者である。尻込みせず、しかして油断なく敵の隙を突いて突き崩す。

「そこまで!」

 そこにひらりと赤い線が横切った。

 それが、部下の流した血であると脳が認識する前に背筋を振るわせる怖気に腕を動く。振り上げる槍と振り下ろされる槍が激突して、甲高い音楽を奏でる。

「あんたは……!」

「毛利元就が二女、吉川元春。名のある武士をお見受けする。名乗られよ!」

「信常エリ。あんたの噂は聞いてるよ。相手にとって不足ないね!」

 にやりと笑ったのは両者同時である。

 共に武芸に誇りを持つ者同士の戦いだ。重臣格の一騎打ちという希な戦いではあるが、だからこそ誰も手出しはしてこない。

 元春もエリも、敵対する姫武将が危険な存在だと認め合っていた。部下に任せるのではなく、自分が相手をしなければ、とても抑える事のできない強敵であると理解して槍を合わせたのである。

 エリを元春が受け持っている時、別のところでも大きくぶつかる将兵がいた。

 木下昌直率いる五〇〇人の兵と冷泉隆豊率いる六〇〇人が正面衝突したのである。隆豊はよく退いて守りを固め、弓矢と長槍で昌直の兵達を寄せ付けない。決定力はないが、時間をかければジリ貧になるのは龍造寺側である。勢いに乗ってこちらの陣地を切り崩しそうになっていたエリを相手にはこちら側も危険を承知で斬り合いに望むべきだが、昌直に対しては真綿で首を絞めるように対処する事で押さえ込む事に成功していた。

「ああ、面倒な戦い方するな、あの女!」

 自分と同じくらいの身長の隆豊を相手に昌直は苛立たしげに言った。昌直も小柄な少女には違いない。直茂に仕えて、頭角を現し、次世代を担う新星として注目される姫武将の一人ではあるのだ。

 槍は弾かれ、矢合戦では埒が明かない。鉄砲も、この雨では使い物にならない。だが、それは龍造寺家にとっては救いだったかもしれない。大内家は逸早く鉄砲を戦術に取り入れ、大量生産を始めた火力大国である。当然、隆房率いる部隊にも、相当数が配備されている。

 隆豊は、昌直が苛立っているのを見ても、大きくは動かなかった。

 元春とエリの戦いも気になるところで、全体の戦絵図を脳裏に浮かべて適切に対応する必要があるからである。昌直一人のために、自分が突出する事は控えるべきであった。

 城の大軍で纏めて彼らを飲み込むのがいいだろうか。その場合は隆房に伝令を送らなければならないが。

「冷泉さん!」

 馬に乗って隆房の妹隆信が現れたのは、その時であった。

 二〇〇人の兵がその後ろに控えている。

「隆信さん!? ありがとうございます、助かります!」

「わたしは何をすればいいですか? 突撃ですか!?」

「いえ、まだその段階ではないので抑えてください。突撃してくる相手を押し返せばいいのです。柵から出ることのないようにお願いします」

 こちらは防御側。敢て外に出る必要もない。柵は矢玉は防げないが馬と人は防げるのだ。こちらは近付いてくる敵兵に矢と槍を浴びせかければいい。

「しかし、敵にも増援がありますか。さすがに、この人数でどこまで食らい付くか……」

 隆豊の目に、敵兵の背後から迫る敵の増援が見えた。戦力の逐次投入は愚策ではあるが、大内家の第二陣を破るという目的のためだけで見れば兵数は互角かそれ以上になり得る。総兵力で比較すれば、川の西側にいる兵は大内家のほうが多いが、第二陣という局地戦で見ればほぼ同数になるのである。となれば、迂闊に兵を動かせない。大内家は完全に動きを縫い止められた。

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 龍造寺家が大内家に対して奇襲を仕掛ける事ができたのは、先に筑紫平野の支配者として力を広げられた事が大きかった。

 直茂は金に物を言わせて、支配下に置いた筑後川沿いの村々から渡し守達を掻き集めていたのである。大内家が筑後川の対岸に布陣したその時から、川を如何にして渡るのかという点を考えた。その解答の一つではある。

 もはや姿を隠す事もないと、直茂は川岸に自ら近付き、直接川渡りの指揮を取っている。

 対岸に築かれる野戦陣地は、まだ未完成だ。強襲されては一溜まりもない。そんな人命と資材を無駄にする事だけは許されないと、直茂は懸命に対岸に兵卒を送り込み続けている。

 あれから、さらに二〇〇〇人を送り込み、対岸の陣城でも三〇〇〇人の軍を編成するまでになっている。その人数で、野戦陣地の構築に当たっているので、かなりの速度で外枠はできてきている。

 折を見て狼煙を上げ、エリ達に撤退の合図を出さなければならない。

 陣城を築いているのは、中野城と西島城のちょうど中間地点である。挟まれる危険はあるが、二つの城の間に楔を打つ事にも繋がる。

 眺めている間にも着々と兵の移動は進んでいる。

「軍師様! 敵襲です!」

「来ましたか」

 静かに直茂は頷いた。

 今度は大内家がこちらの本丸を狙ってくる番である。大隅城から出た大内軍一五〇〇は、龍造寺家本陣となる海津城の北方半里のところに陣を敷き、威嚇を始めている。

「気にせず、作業を続けます。彼らを蹴散らす必要は現段階ではありません」

「よろしいのですか?」

「少数に過ぎます。海津城を陥れるほどの数でもなく、我々を打ち負かせるほどの数でもありません。むしろ、引きずり出されるほうが危険です」

 休みない移送によってすでに、海津城側の人員は六〇〇〇人ほどに減っており、半数が対岸に移動している事になる。ここまで来れば、大内側も迂闊に手出しはできなくなるだろう。そして、海津城側の人員は、それでも大隅城に篭る大内家の総数よりも遙かに多いのである。

「承知しました。こちら側は守りを固め、対岸への移動と連絡を急務とします」

「ええ、そうしてください」

 一度、あちら側に陣地を築いたとしても、川を挟むために撤退などの必要性が生じた場合に厳しい判断を迫られる。

 それが直茂にとっては不愉快な事ではあった。

 が、それについてもあちらできちんとした拠点を確保できればいいのである。

 対岸で石井信忠が旗を振っているのが見えた。

「出てきましたね。陶隆房」

 どうやら、敵も重い腰を上げたようである。もっとも、龍造寺家も第二陣を突破するには至っておらず、一進一退の状況である。

 初撃は成功。しかし、陣城の完成までは決して気が抜けない。相手も本腰を入れて妨害に出てくるだろう。


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