大内家の野望   作:一ノ一

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その四十三

 龍造寺家から奪い返した犬尾城も今は黒焦げの瓦礫と化し、その支城の鷹尾城も尾根伝いに進軍した紹運の部隊が制圧した。守りに入れば、非常に厄介な山城ではあったが、構造を熟知した河崎家の兵にとっては自分の家に帰るようなもの。道雪の屈強な兵と共にあれば、攻め落とせないはずがない。

 そもそも敵兵の数が少ない事や、事前の工作が奏功したという点も見過ごせない。決して、城が脆弱だったというわけではないのだ。

 立花道雪を相手にしては、守りを固めようとも少数では長くは持たない。よほど士気が高くなければ、戦闘を継続する気も続くまい。

 龍造寺家から派遣された城代は城を破却して死を選んだ。城に残されたのは、この城を守るために掻き集められた地元の小さな国人達。彼らは皆、降服を選択した。龍造寺家の侵攻に抗いきれず、仕方なく従っていただけなのだと主張したのだ。

「彼らはどうしたものでしょう」

 戦の後、戦場を検分する道雪に付き従った紹運がポツリと漏らした。

 投降した敵兵は多くはない。

 紹運としては信用ならない一方で、龍造寺家に従わされたという言い分も理解できる。豪族、国人とはいえ、多くは数人から十数人の部下を雇うのが限界の小さな村のまとめ役でしかない。

 軍を進める大勢力を相手に抵抗など無意味。彼らにとって、攻めてきた相手に従うのは自然の摂理でもあったし、本来は大友家が彼らを庇護するべき立場だったのだ。それが機能しなくなったからこそ、この地の国人達は龍造寺家と大友家を天秤にかける事になった。

 極端な言い方をすれば、この戦そのものが大友家の不手際からなるものであり、国人達が龍造寺家に取り込まれたのも大友家の屋台骨が揺らいだ事に原因があった。

 この戦を指揮したのは道雪。捕虜の扱いも彼女に一任されている。総大将である晴持に指示を仰ぐ必要はないし、晴持からも好きにしていいとの言質を取っている。

 晴持自身も心得ているのだ。

 戦に於いて立花道雪の言動に口出しできるほど、晴持は優れた将ではないという事くらいは。素直に自らが劣る事を認めて、道雪に現場の一切を任せたというのは貴族的な性格の大内家で育った人間とは思えない柔軟な思考と言えるだろう。

 道雪が晴持を評価するとすれば、まずはそこだ。

 全体的には中の上から上の下に食らいつけるかという程度。雑兵には勝っても、各国に数人いるかどうかの超一流の将には及ばない。だが、彼は劣る部分を他者で埋めるのが上手い。いや、他者が進んで晴持に欠けた部分を補おうとしている。そういう人物を惹き付けるのが上手いのだ。彼は。戦場における武力も知力も将にとっては重要だろう。だが、大将に必要なのは武力でも知力でもなく、自らを支える「人」である。それさえあれば、足りない部分は家臣達で補える。晴持はどうやら、この「人」に恵まれているようだ。

「彼らの命を無為に奪うのは、今後の筑後運営に支障を来たします。今回は無罪放免、とまでは行かずとも所領の安堵と以後の忠誠を誓わせる形で収めます」

「首を斬る必要はないという事ですね」

「龍造寺家はそれで人心を失いました。力による支配も否定しませんが、暴力には反発心が生まれますし、緩いほうに人は流れます」

 時に優しく、時に厳しく。状況に合わせて接し方を変えるのも統治者の能力であろう。龍造寺隆信の差配も選択肢としては当然存在する。ここは戦場であり、今は領地獲得競争の真っ只中だ。順当に勝ち進める要素があり、その後の領地経営に支障を来たさなければ、敵方の殲滅もやむを得ない場合もありえる。事実、過去の戦では反対勢力を徹底的に駆逐して安定した政権運営を果たした勢力も皆無ではない。とりわけ、大陸では顕著な例ではある。日本にも前例がないわけではない。

 だが、時期というものはある。

 対象となる地域を完全に制圧した後の弾圧ならばまだしも、他国と取り合っている中での殺戮行為は多くの支持を失う要因となるため慎重に考える必要があるのだ。隆信はその舵取りを誤ったと言えるだろう。少なくとも、柳川城の一件で筑後国人は大内・大友連合に心を寄せ始めている。すでに彼女達に従っている者の中にも、こちらに就こうと動き始めている勢力が皆無ではないくらいには。

「一つでも多くの戦力をこちらの味方にできれば、それに越したことはありません。島津の動きも気になります。あの島津が、この状況下で動かないはずがありませんからね」

 大内・大友連合軍にとっての懸念事項であり、龍造寺家にとっての懸念事項こそが南方の強国島津家の動向である。

 島津四姉妹の固い結束により急速に力を伸ばしたかの家は、大友家を耳川に破り天下に名声を轟かせた。大内家の介入により大友家は辛うじて命脈を保ったが、もしも大内家が現れなければ大友家は今以上に苦しい状況に曝されていた事だろう。

 島津家が龍造寺家と不可侵条約を結んだ事はすでに掴んでいる。となれば、ここで二大勢力が激突してる今こそが島津家にとって好機である。

 島津家が北上する前に、龍造寺家に対して一定の成果を上げる必要がある。現状、時間は島津家に利するばかりだ。

「さて……」

 扇で口元を隠し、道雪は背後を振り返る。

 見晴らしのよい犬尾城跡は筑後平野を一望できる。

 数里離れた場所に、黒々とした人の塊がいくつも見えた。

 龍造寺家と大内家が、平野部のど真ん中でにらみ合っているのだ。兵力はほぼ互角。守りに入った陶隆房の軍勢を龍造寺家は切り崩せないでいる。

 確かに犬尾城をさっさと奪い返したのは正しい判断だった。

 これだけ見晴らしがよければ、平野部での敵の動きはすべて丸見えだ。奇襲される心配はほぼ皆無と言っていいだろう。

 龍造寺隆信が果たしてどう出るか。

 道雪達は次の一手に向けて行動を開始している。

 それに対して、あの肥前の熊がどのような反応を示すかで戦局は変わる事となるだろう。

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 日が没しても、黒木郷に休まる時はなかった。

 煌々と焚かれた篝火が、一里四方の盆地のあちらこちらに灯っている。多くの人達が木材を運び、土を掘り起こして土木作業に当たっていた。

 蒸し暑い夏の夜、人々の掛け声が響き渡る。金槌の音、木材を切る音、失敗した某かを叱責する声などなど、これまでの黒木郷には存在しなかった新しい音の数々が至るところで上がっている。

 晴持の目的は、誰の目から見ても明らかだった。

 黒木郷そのものを、一つの要塞として作り変えようとしているのだ。

 黒木郷は興味深い形状をした盆地だ。三方を山に囲まれた形状であり、平野に続く道の中央にも小高い丘がある。そのため、実質的に四方が山に塞がれている状態だ。平野に出るには、丘の両脇を流れる川沿いの道を行くしかない。つまり、この川沿いの道を封鎖すれば、黒木郷そのものが一つの城になり得るのだ。

 龍造寺家を迎え撃つための大改造を、晴持は施している。

 陣城としては空前絶後の規模の巨大要塞である。

 その構想を絵図に描き出した張本人は、猫尾城南麓の黒木氏の居館を宿とし軍議に勤しんでいた。

 晴持の目の前に座るのは、この館の主人であり黒木郷の支配者である黒木家永その人だ。髪は白く、顔には無数の皺が走っている。齢六十に近く、第一線を退いてもよいくらいの年齢だろうが、その眼光は鋭く肉体には覇気がこれでもかというくらいに溢れている。一目で、豪胆な性格であると理解できる。

「黒木殿。此度の戦、我々に協力してくれた事をありがたく思う」

「こちらこそ、我ら一門だけでは龍造寺の暴虐には抗えませんでした。援兵、心より感謝いたします」

 家永は背筋を伸ばし、野太い声で礼を言った。

 その姿からは質実剛健という印象を受けた。これはかなりの頑固者だ、と内心で思いながら彼の前に一つの木箱を持ってこさせた。

「これは?」

 家永は疑問を呈する。

 当然だろう、いきなり木箱を差し出されては。前後の脈絡がまったくない。

 家永の前に置かれた木箱は黒漆で磨かれており、艶やかな光を放っている。ずっしりとした重みに持ってきた家臣も苦労していた。

「開けて、中を検めてくれ」

「……は」

 家永は不審そうにしながら木箱の蓋を取る。

 そして、直後に息を飲んだ。

「こ、これは……」

 中から溢れたのは黄金の輝き。

 純度の高い金塊そのものだった。

「いったい……!?」

「此度の戦、黒木郷を主戦場に据えているが、知ってのとおり土地全体に陣を敷く形になっている。田畑も踏み荒らす事になるからな、戦の後の土地の修繕に役立ててくれればと思って用意させた」

「な、んと」

 家永は絶句して固まった。

 家永はどちらかと言えば晴持に助けを求めた側である。黒木郷の要塞化も話を聞いた際には決してよい感情は抱かなかったが、それも大勢力に就いた者の定めとして受け入れてはいたのだ。

 戦が終わった後、残されるのはその土地に住む者達だ。家永は晴持らと違い戦後の事にまで頭を悩ませなければならない立場にある以上は、領民が餓える可能性のある土地そのものの改造には内心で反対する。

 だが、晴持が用意した金を使えば、土地の修繕は可能であり収穫が期待できずとも他所から購入する事は可能となる。

 復旧には多少の時間はかかるが、金があれば大幅に戦後処理が楽になる。

「何ゆえに、ここまで?」

「当たり前の事だが、普通はここまではしない。だが、此度の戦は大内家にとっても大友家にとっても重要すぎる戦だ。確実に結果を出さねばならない」

 龍造寺家に勝利する。

 そうでなければ、大内家と大友家は龍造寺家と島津家の二つの勢力を同時に相手にする事になる。本拠地の遠い大内家にしてみれば、二方面作戦にかける時間は少ない方がいい。龍造寺家が島津家と連携していない今が、最大の好機なのであった。

「黒木殿にはそれを受け取ってもらわないと。所領全域を戦場にする事に同意してくれたのだ。それくらいの礼はさせてもらいたい」

 晴持はこの遠征で与えられた金銀について、ある程度自由に使っていいと義隆に言われている。戦場での金銀はかなり大きな力になる。敵方に対しては寝返り工作に、味方に対しては即興の恩賞にと使い道は他方面に渡る。大内家の豊かな財力が、この軍事遠征の核となっているのは言うまでもなかった。

 家永とて、武勇と豪胆さで知られた武将だ。金に目が眩む事はありえないが、しかし戦後復興まで視野に入れた財政支援と聞かされては、無碍にできない。

 断われば、家永は戦後処理に大きな負債を抱える事になるだろう。それはあまりにも愚かな選択であり、何より晴持の顔に泥を塗る事になってしまう。大内家から睨まれれば、たとえ龍造寺家を退けたとしても黒木家は長くは続くまい。

「は、ありがたく頂戴いたします。大内様のお心遣いに、言葉が出てまいりませぬ」

 家永は木箱を家臣に持たせて自分の席に戻った。

 筑後国の国人も何人かこの場にはいる。今は失われた犬尾城の主であった川崎鎮堯も、恨めしそうに家永を見つめている。が、これは同時に戦果を上げれば、恩賞が約束されている事の表れでもある。鎮堯もまた打倒龍造寺に燃える男だ。結果さえ出せば、相応の見返りは期待できる――――そう思わせる事はできただろう。今は、それで十分だ。

 改めて諸将の顔ぶれを確認する。

 大内家からは明智光秀、内藤隆春、杉重輔、大友家からは立花道雪、高橋紹運、地元国人からは猫尾城の黒木家永、犬尾城の川崎鎮堯が顔を出している。黒木家と川崎家は同族関係なので、実質地元の国人は一勢力のみだが、隆房の方にいくらか就いているので、問題ではないだろう。

「それでは、まずは戦況を確認しよう」

 目配せした光秀が小さく頷いて前に出る。

「それではわたしから簡単に説明します。こちらをご覧ください」

 光秀が絵地図を諸将の前に広げる。もちろん、筑後平野の地図である。

「すでに皆様ご存知の通り、絵図中央の筑後川近くにて、陶隆房殿率いる七〇〇〇と龍造寺家一〇〇〇〇が交戦中です。陶殿は西島城を中心に周囲に三段の陣を設けて龍造寺軍を寄せ付けておらず、戦況は一進一退と言ったところです。この戦の指揮を執っているのが、龍造寺家で軍師と呼ばれる鍋島直茂殿です」

 鍋島直茂の名前が出て、諸将に緊張が走った。

 鍋島直茂は龍造寺家を纏める龍造寺隆信の義理の妹に当たる。何でも、隆信の父が謀殺された後、隆信の母を娶ったのが直茂の父であるらしい。複雑な家庭事情だが、要するに直茂の父は隆信の母の再婚相手だったのだ。この婚姻によって、肥前国の国人だった鍋島家の地位は一気に浮上する事となった。

 そうして隆信の義妹となった直茂だが、彼女は決して地位に胡坐をかくような人間ではなかった。隆信の信頼を得た直茂は瞬く間に頭角を現し、龍造寺家の勢力拡大に大きな働きを為したという。

「鍋島殿がいなければ、龍造寺家もここまで大きくなる事はなかったでしょう。たとえ四天王がいたとしても

それを取りまとめる頭はあの方以外にはありえませんし」

 道雪は感慨深そうに呟いた。

 龍造寺四天王はそれぞれに得意不得意がありながらも、高水準の能力を有する武将達である。まさしく龍造寺家を代表する武将であると言っていい。だが、四天王は横並びの武将である。その動きを逐一纏めて運用するだけの頭脳が必要だった。鍋島直茂は、まさにその頭脳の役割を帯びていた。

「仮に彼女を討ち取る事ができれば、龍造寺は脆くも崩れ去るでしょうね。彼女は要石も同然です」

 紹運が道雪に続いて言うと光秀がさらに情報を追加する。

「彼女のみならず、この戦には四天王が全員参加しているようです。龍造寺家も形振り構わず攻めてきていますね」

「ですが、兵力ではこちらが上ではありませんか? 今ならば陶殿の兵とこちら側の兵で龍造寺を挟む事もできましょう。如何な龍造寺四天王とはいえ、倍の兵力を相手に平野での戦となれば崩壊は必至……」

 鎮堯が勢いよく発言したので、晴持は手で彼を制した。

「兵数については、新たな情報が入ったばかりだ。我らの動きも敵に知られている。すでに肥前から八〇〇〇ほどの増援が来ているようだ。やはり、兵力は互角だ」

「ぬ……」

「龍造寺は侮れない相手だ。とりわけ、野戦での爆発力は目を見張るものがあると聞いている」

 智謀を駆使した戦いも、武力に頼った戦いも龍造寺家はこなす事ができる。が、しかし当主隆信が軍を率いた時、その戦は数と力にモノを言わせた猛攻に次ぐ猛攻が特徴だった。城攻めも野戦も構わずに突撃し蹂躙する。異様なまでの士気と怒涛のような力の奔流こそが龍造寺軍の本領であった。

 同時に、隆信が最高司令官として出てきた以上は最終的には力に頼った戦いになるだろうと踏んでいた。突破口を探るとすれば、そこにあるだろう。

「敵の増援はもうすぐに到着する。今から攻めかかっても、攻め崩すのは難しいだろう。何せ、相手にも城がある。時間稼ぎに徹すれば、増援の到着を待つ余裕はあるだろう」

 そうなれば、逆にこちら側が不利になる。城方と、多数の増援の両方を相手にするハメになるのだから。

 だが、鎮堯は納得いかないとばかりに押し黙った。彼からすれば龍造寺隆信は家族と家臣の命を奪った憎い敵である。一秒でも早くこの借りを返さなければ気が済まないのだろう。

 道雪は小さく笑みを浮かべて血気に逸る鎮堯を嗜めた。

「まあ、そう逸る事もありません。どの道、この戦はそう長くは続きませんよ」

「……何ゆえにそのように仰る?」

「こちらにもあちらにも、長陣が不利になる理由があるではありませんか。必然、そう遠くないうちに本格的な戦端が開かれることになるでしょう」

 多くは語らず、しかし誰もが自明のものとして道雪の意見を受け入れていた。

 この戦をする上で、常に気にかけていなければならないのは南方の島津家である。大友家はもとより、龍造寺家もまた島津家の動きは細心の注意を払っているはずだ。

「島津は龍造寺の同盟相手でしょう。ならば、彼女達が動く前に片付ける必要があるというのならば、やはり守りを固めるだけではいけないのではありませんか?」

「確かに、それもいいでしょう。しかし、その意見には一つ訂正をするところがあります」

「訂正とは?」

「島津は決して龍造寺の同盟相手ではないという事です。わたくし達を共通の敵としているだけの別勢力です。細やかな連携などできるはずがありませんし、できて申し合わせて戦端を開くくらいのもの。ですが、狙う領地が同じである以上、仲良しこよしは不可能です。互いに出し抜こうとあの手この手を使っているはずですよ」

「島津が攻め寄せるのは明白として、だからこそ龍造寺とは早期の決着が望ましいのでは? だからこそ、打って出るべきではないかと思うのですが?」

「現状、島津との戦を想定するのであれば兵力の損耗は少なく抑えなければなりません。晴持様が仰ったように、龍造寺家の野戦での爆発力は危険です。正面からの対峙は可能な限り避けるべきでしょう。それに、先ほど申しましたが、あちらにも戦を急ぐ理由はあります。龍造寺家としても島津家が北上する前に多くの領地を獲得したいのですよ。筑後平野に攻め入ってからの隆信殿の戦ぶりが苛烈を極めたのも、少しでも早く筑後を併呑したいという思いの表れでしょう。最終的には肥後や豊後まで視野に入れるのならば、島津家がいない今こそ九国北部を飲み込む好機です――――よって、隆信殿は援軍が到着し次第、こちらにも兵を差し向けます。ただでさえ犬尾城を失って士気に悪影響が出ている状況です。事態を打開するには、ここで一戦交えなければ退くに退けないのです」

 ほかに質問はありますか? と道雪は朗らかに鎮堯に尋ねた。

 それこそ、龍造寺家が筑後国内を一気呵成に攻め荒らした時にような怒涛の口撃で鎮堯の反論を封殺してしまった道雪に、改めて何か言うような者は誰もいなかった。

「んん、まあ、他ならぬ立花殿がそのように仰るのでしたら、某に異存はありませぬ。ですが、晴持様に一つ聞き届けていただきたき儀がございます」

「何だ、改まって」

「龍造寺の軍に切り込む役、何卒某にお申しつけいただきたい」

 しっかりとした口調で、鎮堯は晴持に告げた。

 反論は許さない。必ず龍造寺家に痛い目を見せてやるという覚悟を感じる瞳である。

「分かった」

 晴持は頷いた。

 もとより、こういった戦ではその地の国人が先陣を切るのが倣いではあった。自ら進んで危険な役回りを担うというのならば、晴持に異論はなかった。

「だが、独断専行は許さない。どれだけ憎い敵であったとしてもだ。我らは確実に勝利する事を念頭にしている。それを乱す事はあってはならないからな」

「承知しております」

 さっと、鎮堯は頭を下げた。

 晴持は再び光秀に視線を投げかける。

「それでは、具体的に龍造寺家と如何に対峙するか、と言うところを詰めていきましょう。絵図の上では形ができておりますが……」

 光秀を進行役として軍議は明朝まで続いた。

 その間にも黒木郷の要塞化は着々と進んでいる。朝の時点で、平野部から盆地にいたる二つの道には柵が設けられ、敵味方の出入りを著しく規制していた。

 その動きを、龍造寺側も当然のように把握していた。

 そして、もう一つ。大内・大友連合の動きを観察していた勢力があった。

 

 

 

 ■

 

 

 

 遠くに白い入道雲が見える。

 夏の風物詩で、時に強い雷雨を運ぶ白い塔。手を伸ばせば届くのではないか。そう思えるほど、空に浮かぶ雲はひたすら大きかった。

 位置と流れからして、自分達の頭上を入道雲が通る事はないだろう。しばらくは太陽が頭上に煌めき続けるという事だ。

「縁起がいいと言えばいいんだけど、この暑さは何とかならないのかな」

 呆れるほどに夏は暑い。ジメジメとして不快指数がうなぎのぼりだ。鎧の内側が蒸れて仕方ない。城を出て一刻ばかり。もう身体中汗でずぶ濡れだ。どこかに休める温泉でもあってくれれば、今すぐにでも湯浴みをして汗を流したいところだが、そんな我が侭は戦場には持っていけない。

 兵を纏めて城を出た時点で、馬上の彼女――――島津義弘は戦場に立つ一人の武将である。町娘のように身なりを気にしているわけにはいかないのだ。

 緑の黒髪が風に靡く。程よく日に焼けた健康的な肌に、表情豊かな面貌はおよそあらゆる人間に好意的に受け取られるだろう。人柄も領民を慈しみ、部下を大切にする姿から多くの支持を集めているところである。そんな義弘も一度戦場に立てば八面六臂の活躍で数え切れない敵を撃ち滅ぼしてきた。島津家における武を象徴する武将であり、戦略眼も図抜けたものがある。あまりの強さに付けられたあだ名は鬼島津。もちろん、基本的な部分で少女的な義弘からすればあんまりな二つ名である。その名で呼んだ者は例外なくぶち殺す――――とまでは行かないものの、それなりの報復は覚悟せねばなるまい。

 さて、そんな義弘ではあるが今は一軍を率いて肥後国の攻略に乗り出したところであった。

 龍造寺家と大内・大友連合が筑後国でぶつかっている今が好機とばかりに兵を進めている。相良家はすでに攻略済み。当主は逃がしてしまい、今は阿蘇家に匿われて頑強な抵抗を見せているところだ。

 失敗した、と思う。

 相良義陽とは領地接する間柄。決して仲良くはなく、常に互いの首下に刀を突きつけあう仲ではあった。恨みはなくとも、対立すれば厄介な将であると分かっていただけに、水俣城を攻め落とした際に討ち取ったり捕縛したりできなかったのは失態であった。

「一息に肥後攻略とはいかないか」

 小さく口の中だけで呟いた。

 誰かに聞かせるような独り言でもない。

 日向国は土佐国から渡ってきた長曾我部家を中心に纏りつつあって、手を出しにくくなっている。混沌とした情勢に肥後国に狙いを定めるのは定石である。その際は日向国からの横槍に注意しなければならないが、どこから始めても同じ事だろう。

 別働隊を率いる歳久と家久、そして最奥で構える義久の姉妹により本格的な肥後国の攻略を始めた。広く肥沃な国だ。生産能力の低い薩摩国や大隅国とは比較にならない豊かさである。

 ここを龍造寺家か大内家のどちらかとぶつかるまでにどこまで切り取れるか。

 島津家の明日を左右する戦いが、ここに始まったのであった。

 




wikipedia鍋島清房より引用
天文17年(1548年)8月11日に家純の娘である正室が死去するが[2]、弘治2年(1556年)に隆信の母・慶誾尼が押し掛ける形で後室に入っている。

直茂的にこれは想定できたんだろうか。
隆信の母親アクティブ過ぎんよ。実状は色々あったんだろうが……

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