大内家の野望   作:一ノ一

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君の名は。四回観た。
端的に感動したし、ところどころ笑えてよかった。

瀧君に入った三葉が「通天閣どころやない、スカイツリーや」って驚いてたとこが特に印象的だった。



その四十五

 隆房は西島城の物見台に登り、龍造寺軍の様子を眺めていた。

 湿り気を帯びた風が頬にかかり、ふわりと衣服を浮かせる。西日が背後の山の影を大きく引き伸ばしている。もう少しで太陽は山の向こうに消えて、夜の闇が押し寄せてくる事になる。

 これまで、幾度となく刃を交わした敵軍は、ここ数日静かに自陣の内部に篭り動く様子を見せていない。原因は明白だ。

「若を警戒してるってのは、まあ当たり前か」

 当初の予定通りではある。

 二方面から龍造寺軍を叩く。そのため囮として、隆房率いる大内軍が相手の矢面に立つ。

 しかし、それは隆房を捨て駒にするような策ではない。相手の状況によれば、隆房の軍が本隊として敵を叩けるだけの戦力はあったのだ。状況次第で晴持ではなく隆房を総大将としても十分に機能する。

 敵の総数はいまやこちらの二倍を上回るほどになった。一応は城の体裁を保っている西島城ではあるが、長期の篭城戦ができるほどの頑強な作りではない。この時代にはまだ後世の城に見られるはっきりとした石垣はなく、土を盛り上げ、柵や塀を作っただけの簡素な平城が多い。隆房がどれだけの人員を動員しても、城の構造を一から作り直す事はまず不可能であり、まして時代を先取りするような工法を取り入れられるはずもない――――そもそも石垣を作ろうにも、十分な石材が用意できない。結果的に近くの山から切り出した木々を使った柵や塀で城塞化しているのが現状である。それでも防御力はなかなかのものであり、陣を何段にも構えていたり、長屋を設けて兵を休ませつつ簡易的な城壁として利用したりと、彼女なりの工夫は凝らしており、その結果として龍造寺家の攻撃を幾たびも凌いできた。

 とはいえ、完璧な出来ではないだろう。龍造寺家の諸将が大内家の陣を突破できないように、大内家の将兵もまた龍造寺家の守りを乗り越えられないでいる。

 一進一退の攻防が続き、互いに手詰まりになった今に至るのが現状である。

 晴持があの盆地に現れたのと龍造寺家に増援が到着したのは、両者がほぼ同時に最後の一手を打ったようなものだろう。

 遠く見える晴持の陣は昼夜を問わぬ突貫工事の真っ最中と見えて、篝火を大きく焚いてとても明るく見える。まるで地上に現れた星のように、暖かい光を放っている。これが戦ではなく祭であれば、何とも美しい光景だと胸を躍らせる事もあっただろうか。

 ふう、と息を吐き、空を見上げる。

 東から徐々に色を濃くしていく群青が空を支配していくに連れて、夜空には鏤められた星の海が現れる。

「日暮るれば、山のは出づる夕づつの、星とは見れどはるけきやなぞ……ってね」

 小さく唇に歌を乗せ、それからさっと頬に朱が混じる。

「まったく、あたしらしくない」

 ぶんぶんと頭を振って、隆房は気の迷いを振り払う。

 歌は隆豊の領分だ。武辺者を自負する隆房は、教養としてある程度の知識はあるものの積極的に歌う事はない。夜空を見上げてふと歌を口ずさむなど、普段の隆房にはない行動だと自分でも思ってしまったのだ。

 物見台にほかの人がいなくて助かった。こんなところを他人に見られるものではない。物見台の下には何人かの兵がいるにしてもだ。

 隆房は視線を感じて下を見る。

 じっと、隆房を見上げている二つの瞳と視線が交わった。

「何してるんです?」

「そっちこそ、こんなとこで何してんのさ」

 平静を取り繕い、隆房は妹に問い返す。

「わたしは手持ち無沙汰なのでぶらぶらと……ところで大将が率先して見張りというのは」

「ん? ああ、隆信。あんた、怪我は?」

 物見台の下から見上げてくる妹の額には晒が巻いてあり薄らと血が滲んでいる。先の戦いで矢が掠めたのだ。

「ええ? 掠り傷ですよ、こんなのは怪我に入りません」

「そう? 左肩、外れてたでしょ。槍が持てないなら、戦場には出せないよ」

「う、いや、もう大丈夫ですよ」

 ばつが悪そうにしながらも、隆信は左腕を軽く回して治癒をアピールする。

 そんな隆信にため息をつき、隆房は彼女を手招きした。

 物見台に上ってきた妹の額を隆房は軽く小突いた。

「ん、何」

「馬鹿、変なとこで無理するからそうなるの。いい加減突っ込んでばかりの戦い方は止めなさい」

「…………」

「何、そのお化けにあったみたいな目は」

「いや、だって、姉さんにそんな事言われるとは思わなかったから。何か、変わりましたね」

「そんな事ないでしょ」

 変わったと言えば確かに変わったのだろう。以前の自分ならば、ここまで防戦に徹するような戦い方は絶対にしなかった。兵を失っても、敵に打撃を与える戦い方を選んだはずだ。それでも、龍造寺家に負けるとは思わないのが彼女の才覚の証左であった。

 変化は学習の積み重ねだ。

 経験を積めば変化があるのは当たり前で、それを殊更に強調する必要はない。

 よい方向に変われたのなら、それはよい経験をしたという事だろう。

「晴持様のおかげ?」

「かもね」

 からかうような口調の妹をさらりと受け流した隆房に当の妹が意外そうな表情を浮かべる。

 隆房は視線を敵陣に移した。

「敵、増えましたね」

「うん。ざっと、こっちの倍ってとこだってね」

「どうするんです? これから」

「今まで通り。あたしたちから動く必要はない。動くかどうかの選択権は向こうにあるからね」

 一丸となって西島城を攻めるか、それとも兵を二つに分けて晴持に半分をけしかけるか。それは龍造寺隆信の判断にかかっている。

 二〇〇〇〇の兵に攻められたところで、西島城はそう簡単には陥落しない。守っている間に晴持の軍勢が敵の後背を突く事もできるだろう。だから、現実的に考えて、決戦を挑むのであれば龍造寺家は兵を分けるしかない。そうでなければ、兵を大きく下げて大内・大友連合軍に挟まれない位置に陣を敷きなおさなければならない。が、龍造寺家はこの選択を執らないだろうとは思っていた。長期戦は彼女達にとっても不利益となるからだ。決戦を挑む以外に彼女達にはもう選択肢がないのだ。

「じゃあ、隆信。交代ね」

「え? え、姉さん!?」

 隆房は隆信の方を叩いて、笑いかけ、そのまま梯子を降りていってしまう。

「ちょ、ちょっと!」

 隆信は慌てて姉の背中を物見台から見下ろした。

「ない、ないよ、姉さん! 姉さーーーーん!」

 隆信は、去っていく姉に呼びかける。

 しかし、姉は振り返ったものの笑って踵を返してしまった。

 そんなあ、と隆信はぐったりと柱に寄りかかる。

 総大将に命じられれば冗談でも従うのが武士の定めか。隆信は内心で遺憾の意を表明しつつ、物見台から平野を見渡すのだった。

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 鎧を着たまま座って眠る生活が七日続いた朝の事だった。

 床板を踏み鳴らす音が耳に届いて、晴持は目を開けた。

「晴持様!」

 飛び込んできたのは光秀だった。

「どうした?」

 彼女の顔を見れば、いよいよ事態が動いたのだという事が明白だったが、努めて冷静に問いかけた。

「は……龍造寺、動きました。案の定、凡そ半数の兵でこちらに向かってきております」

「そうか。やっとか」

 晴持はすっくと立ち上がった。

 眠気は一瞬にして吹き飛んでいた。

 この時を待っていたと身体中が叫んでいる。

「誰が率いている?」

「龍造寺の当主自ら率いているものと思われます」

「へえ、それはまた」

 あっちもあっちで必死だな、と晴持は内心の苦笑を唇を引き締めて覆い隠した。

 晴持は光秀と共に軍議の間に上がる。控える諸将の中に数人の欠員がある。事態急変を受けて、対応に出ているのだろう。

 晴持は上座に座り、居並ぶ諸将の顔を見る。緊張に顔を引き締める者が多数。道雪はやや余裕の笑みを隠したポーカーフェイスモドキだ。落ち着き払っているのは場数の違いかそれとも才覚の違いか。

「それでは現在分かっている状況をお伝えします」

 光秀が緊張感のある声で切り出した。

「敵の総大将は龍造寺隆信殿。四天王からは信常殿、円城寺殿、百武殿がおられるのを確認しております。総数は一〇〇〇〇ほど。我々とほぼ同規模の軍勢と言ってもよいでしょう」

「こちらの想定通り、という事ですね」

「はい」

 道雪の問いに光秀は頷いた。

「ならば、後は力を尽くすだけですね。龍造寺家の皆様は覚悟を決めておられます。当主自ら指揮を執るからには生半可なものではないでしょう」

 本来ならば、大将が後ろに控えて兵を送り込むだけでもよかった。

 当たり前の事だが、家の長が戦場で屍を曝すというのはそれだけで領国の滅亡に繋がる大惨事である。史実に於ける今川家が没落したのも、信長に当主を討ち取られ、その混乱を収束できないまま時が過ぎたからである。

 その危険を冒してでも、隆信自ら指揮を執る。

 これは、彼女達にとっても大きな賭けであろう。そうしなければならないほど士気が落ちていると考えたいところであるが、楽観は敗北に繋がる。むしろ、そうする事が龍造寺家の勝利に繋がると考えての事だと捉えたほうが、自然ではないか。

「隆信らしいといえばらしいか」

「おや、晴持様は隆信殿をご存知で?」

「まさか」

 と、晴持は言う。

「会った事もない。けど、これまでの彼女の戦歴なら、直接出てくる可能性も皆無ではないだろう。龍造寺隆信という女性は、決して臆病者ではないし、血気盛んな女傑でもあるはずだからな」

 龍造寺隆信の人物像は、隆房に似た性質の武人。

 戦場に於いて後方から士気を執るのではなく、自ら率先して切り込み、兵を鼓舞する類の武将だ。

 最前線に出るのだから戦死の危険は高まるが、主を守るべく周囲の兵の士気は否応なく跳ね上がる。我が身を危険に曝した時、最大戦力を発揮する事になる捨て身の戦法であるとも言えよう。

 もちろん士気を執るからといって、敵陣に自ら斬り込む事までしなくてもいい。晴持がそうしているように、後ろから戦況を見ている事もできるだろう。

 晴持は諸将を見回して、静かに宣言する。

「ここでけりを付けよう。龍造寺を、筑後平野から追い払うぞ」

「応ッ」

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 龍造寺隆信の前半生は苦難と苦渋に満ちたものだったと言っても過言ではないだろう。

 家督相続とは無縁の出家生活で幼少期を送り、曽祖父と共に主君少弐家から逃げるように筑後国へ遁走、その後の家督相続から龍造寺家の再興を果たし、少弐家を滅ぼして下克上を達成、戦を重ねて肥前国の統一し九州でも指折りの勢力に急成長させたのは隆信の生来の天才的な戦の才能が為せる技ではあったのだろう。その過程で多くの離反や反発があったが、それもすべて打ち破ってここまできた。

 そう、隆信は泥水をすすってここまで勝ちあがってきた。邪魔する者はすべて蹴落として、恨みつらみを跳ね除けて、自分の力で龍造寺家を大きく育ててきた。

 隆信は常に危険と隣り合わせの中で生を拾ってきた。これからもそうするだろう。龍造寺家に停滞は許されないのだ。

 たくさんの血を流し、多くの怨嗟を受けて広がった領地。これを維持するには、隆信自身に人をひきつけるだけの魅力と力と実績がなければならない。歯向かえば殺される。従えば生きられる。厳しい生存競争に常に曝される状態を維持する事で軍団の指揮と忠誠心は保たれる。

 よって、より多くの怨嗟を積み重ねて領国を維持するしかなかった。

 急激な領土の拡大に、人員がついていかなかった事もある。実質、龍造寺家という枠組みは隆信一人の肩に圧し掛かっているようなものだ。隆信が決断しなくても機能するような権力の分化と調整が追いついていないのが現状であった。

 それを、隆信自身がよく理解している。

 四天王と直茂の協力があったとしても、五人の手が及ぶ範囲には限度がある。その他有能な武将を登用したとしても、隆信は信用しきれない。

 隆信の独裁状態は、彼女の果断な決断を即座に実行するだけの「速さ」を武器に変える事に成功していた。それは長所というべきであろう。

「ほんとに二箇所を塞いでんのね」

 ざっと敵陣を眺めてみる。

 盆地の入口に鎮座する丘が邪魔で全貌ははっきりとは掴めない。丘の両脇を通る川の両岸に柵と長屋を設けて城壁としている。

「なるほど、天然の城ってわけ」

 報告の通りではあった。

 大内・大友連合は筑後平野内に巨大な城を作っていると。近付いてみれば、確かに陣というよりも城と表現するほうがいい。

「ですが、まだ未完成です。直茂殿が警戒しておりましたが、あれと一戦交えるのであれば、やはり攻める以外にはない、ですね」

「そうよね、信胤」

 うん、と隆信は頷いた。

 筑後平野を完全に手中に収めるには盆地に巣食う敵勢を討ち果たすよりほかにない。

 隆信には大きく三つの選択肢があった。

 一つ、兵を二つに分けて敵陣を同時に攻める事。

 利点は早期決着を見込める事。欠点は敵の迎撃にあい被害を大きくしてしまう事。

 二つ、兵を分けずにどちらか一方の敵から順に叩いていく事。

 利点は一度に相手にする敵が少なくて済む事。欠点は背後を敵のもう一方の部隊に突かれて挟まれる危険性があるという事。

 三つ、兵を退き、陣を立て直す事。

 利点は敵に挟まれる事なく仕切り直せる事。欠点は長期戦に持ち込まれやすく、敵の陣地がより強固になる事と島津家の北進に対処できない事。

 隆信の性格的にも、今後の筑後経営のためにも、そして九州での覇権を争う上でも第一の選択肢を選ぶしかなかった。

 直茂などは御家の安定をこそ第一として第三の選択肢を主張したものの、最後は隆信の一声で方針が決まった。

 これまで戦って結果を勝ち取ってきた隆信にとって、消極的な策ほど成功が見込めないものはない。それは逃げの一手と変わらない。直茂の策は安全策ではあって、確かに大内家との決着を長期的な視点では付けられるかもしれないが、それでは龍造寺家の成長を止めてしまうものだと感じたのである。

 勝算がないわけでもない。

「相手はあたしたちが来るのを想定してる。だから、これは敵の罠にかかりにいくようなもの」

 それは自覚している。

 直茂に言われるまでもない事だった。柵も長屋も守るためのもの。城壁もその内側を敵から守護するのが役割であり、迂闊に突っかかった敵兵は骸に成り果てるのが相場である。

「でも、今ならまだ野戦に持ち込める」

 確信があった。

 一里四方の盆地を城として扱ったとしても、完成には途方もない時間が必要だ、

 丘と長屋で視界を遮り、こちらから詳しい情報を与えないようにしていても、必要な資材や人員を考えれば一朝一夕に十分な防衛施設が作れるとは思えない。

 現時点で、大要塞は完成していない。

 あくまでも壁を作っただけの見せ掛けである。

 これは推測ではなく、物見が持ち帰った情報からでもはっきりしている。盆地の中に堀を掘ったり、柵を立てたりしているようだが、決して十分ではないのだ。

 居並ぶ兵を後ろから眺めて壮観だな、と隆信は思う。

「まずは柵と長屋を壊して盆地の中になだれ込む。一気に野戦に持ち込んで、大内晴持の首を上げる!」

 城攻めならば直茂に負けるが、野戦でなら誰にも負けはしない。

「信胤あんたはエリと一緒に右手の陣を、賢兼は予定通り左手から攻め立てて打ち壊せ。首は討ち捨て、ただ道を作りなさい!」

 大きく轟く命であった。

 これがこの戦で最大の決戦となる事を誰もが予感していた。

 敵の急造の城壁を突破して盆地の中に押し入れば、広い盆地を利用した得意の野戦で殲滅できる。

 貴族趣味の大内と大友が、たたき上げの龍造寺と殴り合って無事で済むとは思わない事だ、と隆信はいよいよ意気を高めたのだった。

 


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