大内家の野望   作:一ノ一

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その四十八

 大内・大友連合と激突してからさらに二刻。さすがに攻め続ける事もできず龍造寺家の兵卒は疲労と一向に戦局が好転しない状態に厭戦気分が高まっていた。

 左翼を任された賢兼も、兵達の気持ちが十分に理解できている。正直に言えば、この状況を打破する術を賢兼は見出せていない。いや、あるにはあるが決定打を与えられるか不透明であり、そしてあまりにも危険が大きく――――すでに、その策は実行済みだった。

 即ち、敵の抵抗を上回る波状攻撃にこそ、敵陣を突破する光がある。主君である隆信が命じた正面突破はあながち戦術として無意味なものではない。そう思うからこそ、賢兼も苦言を呈さなかった。

 とはいえ、野戦築城というものを賢兼は見たことも聞いた事もないのだから、手探り状態ではあった。そして、手探りのままに突撃を敢行した結果が多大な損害という結末ではあった。

 敵は受身に徹している。こちらから猛攻を受け続けているにも関わらず、頑強な守りは崩せず、矢弾を浴びて龍造寺軍は全体的に看過しがたい損害を受けているはずだ。

 敵に対して与えた損害と自分達が被った損害を比較すれば、この戦が龍造寺軍の今後に悪影響を及ぼすのは言うまでもない。島津軍と雌雄を決するだけの体力までもつぎ込むのは、愚の骨頂ではないか……

「いや、ダメだな」

 この戦場を去るには、少なくとも大内家とは手打ちにしなければならない。交渉の必要はあるが、その際はどうあっても、筑紫平野からの撤退を迫られる事だろう。隆信がそんな条件を飲むとは思えないし、飲んでしまえば二度と龍造寺家は立ち上がれなくなる。

 見れば、敵の前衛も一応混乱はしている様子である。厄介な鉄砲の弾幕も、第二陣を突破された時点で散り散りになっており再構築は難しいはず。となれば、今の内に今まで以上に一気呵成に攻め立てるべきではないか。陣を取り払えば、野戦となる。野戦となれば、勢いがある方に形勢は傾くものだ。被害は大きいが致命的ではなく、勝機がないわけでもなかった。

「ご報告します! 成富様、敵右翼第三陣を突破したとの由!」

「成富殿か、さすがだな。よし、土肥殿に成富殿の援護をするように伝えてくれ」

 武勇逞しい味方の勇戦に元気付けられ、賢兼は久方ぶりに笑みを浮かべた。

 開いた穴から味方を押し込み、穴を広げて敵を追いやる。しっかりと固められた土手が鼠の巣穴から崩壊するように、強固な守りの敵陣も一箇所を破れば瓦解させる事も難しくはない。

 厳しい戦ではあるが、幸いにして負け戦ではない。

「押しているように見えて、決定打は与えられず。しかし、まだ勝機がないと断ずるには早すぎるか」

 ならば、勝機を明確に引きずり出すまで。

 こっちは疲弊しているが、相手もまた度重なる龍造寺家の猛攻に崩れかけている。

 せめて乱戦にでも持ち込めれば、十分に大内晴持の首に槍が届く。左翼を任された自分は、龍造寺軍の左翼全体を安定させる役目があるが、武士の面目というのか、槍を振るい敵陣で暴れたいという思いはふつふつとして消える事はない。徴発されただけの農民達とは考え方が根本的に異なるが、やはり賢兼は武勇で成り上がった生粋の武人なのだ。

 その上で冷静さも併せ持っている希代の将帥でもある。

「全体を前に進める。馬を曳け!」

 前線が前のめりになっている。一度落ち着けるのもいいかとは思ったが、今を於いて好機はない。前と後ろが分断される危険を避けるため、賢兼は左翼を前進させた。

 

 

 龍造寺軍の左翼全体が前に進み出てくるのを輿の上から眺める道雪は、口元を扇で隠しつつ、小さなため息をついた。

「さすがに機微を心得ていらっしゃる」

「四天王とはよく言ったもの。こちらが嫌がる場所を率先して狙ってきますね」

 小野鎮幸は夜の気配を纏う風に靡く黒髪を抑えながら、道雪の言葉を拾った。

「頼めますか?」

「承知」

 何を、とは聞かない。

 鎮幸はそこまで説明されなければ分からない愚将ではないのだ。

 立花道雪の懐刀であり、ここぞという重要な局面を幾度も乗り越えてきた猛将は、馬首を巡らせて直属の配下一二〇人を従えて戦場を迂回。混乱しつつある第三陣に側面から援護に入った。

「逃げるな馬鹿者ども! 臆せば死ぬぞ! 前を向け! 中野、そっちは任せるぞ!」

「ハッ!」

 騎兵が敵に血飛沫を強いながら返答する。戦場に乱入した小野隊は、寡兵ながら縦横に暴れ回り味方の体勢を立て直す時間を稼いだ。

「あれは小野和泉! 立花家中の小野和泉に他ならぬ! 手柄首ぞ!」

 どこかの誰かが声を上げた。

「おう、上等だ。かかって来い! だがな、雑兵風情にくれてやるほど、この首は安くねえ!」

 突っかかってくる敵兵を槍の一閃でたたき返す。鞭のように撓る槍は強烈な打撃武器。馬上からの一撃は鉄製の強固な鎧をへこませて人体に甚大な傷を与えるのだ。

 この世界に時折現れる驚異的な怪力、戦闘センスを持った武将の一人に間違いなく数えられるだろう。

 龍造寺兵を五人ほど手ずから討ち果たした鎮幸は、不意に襲い掛かってきた槍を背を逸らして避け、反撃とばかりに横に槍を薙いだ。常人ならば、この一撃で撃ち殺せるはずの一閃は、獲物を討ち取るには及ばず空を切る。

「てめ」

「相変わらずの剛勇ぶり。心胆が震え上がるようじゃわ」

 鎮幸が目を吊り上げた。

「成富のジジイか」

「戦場での口の悪さも相変わらずか」

 鎮幸に槍を向けたのは、白髪の目立つ男だった。

 成富信種。

 龍造寺家の家臣であり、かつて道雪と戦場で相見えた事のある人物であった。その際に、信種は武勇ではなく言葉を操り道雪の足止めに成功したほどの策略家でもあった。

「爺さんがこんな戦場のど真ん中で何してんだよ。隠居したって聞いたんだが?」

「御家の大事となれば歳など関係あるまいよ。我が身がいまだに役に立つのなら、使い潰しても構わぬ。お主の首一つでも上げられれば、この凡骨にも意味があろうよ」

「何が凡骨だ、死にぞこないが」

 苛立ち混じりに鎮幸は槍を合わせた。

 別に相手が老人だからといって手を緩めるわけもない。戦場に情けは不要であると、心得ている。源平合戦の時代とは価値観が違うのだ。そういう綺麗な戦は上の人間がやればよいこと。戦国の世に生まれた一介の武人は、手柄ほしさに犬のように敵首に食らい付けばいい。

 だが、老齢で体力も筋力も衰えただろうに、信種の武技は若い頃よりも冴えているのではないかと思えるほどだ。

 鎮幸であっても老人だからと甘く見て打ち合えば命の保証のない相手である。

 三合ほど打ち合って、互いに傷はない。その間にも敵味方の怒号と悲鳴が入り混じり、大地が新鮮な血を啜った。

 鎮幸と信種の一騎打ちは、そう長くは続かなかった。

 道雪が送り込んだ第二の援軍が功を奏し、第三陣に深く入り込んだ敵勢の多くが討ち果たされ、龍造寺軍は退却しなければならなくなったからである。

 道雪の下に戻った鎮幸は道雪に謝罪した。

「敵将をむざむざと取り逃がしてしまいました。申し訳ございません」

「相手は成富の御老体。老いてなお衰える事を知らぬ武技に感服こそすれど、彼と互角以上の戦いに持ち込んだあなたを責めはしません。よく働いてくれましたね」

「は、はい。ありがたき幸せ」

 一武人として敵を討ち取れなかった事は恥じるべきではあろう。しかし、将としては命じられた仕事は最低限こなせた。道雪は後者にこそ重きを置く。鎮幸が敵を散らさなければ、右翼第三陣は崩されていたかもしれない。片側が崩れれば、それはもう片側にも伝播する。鎮幸の活躍は、戦全体を左右する重要なものだった。

「鎮幸、怪我はありませんか?」

「問題ありません」

「それでは、いつでもいける準備をしてください。日が暮れる前に、この戦を終えてしまいましょう」

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 道雪が戦の仕上げに取り掛かった頃、龍造寺本陣では隆信が腕を組んで戦の趨勢を見守っていた。

 度重なる突撃命令で前線の兵が疲弊している――――というのは、隆信も重々承知している。戦が始まった当初は最前線を筑後国の国人達に任せていたが、大内家のお家芸とも言うべき鉄砲の釣瓶打ちにたまらず瓦解したのを見るや、隆信は後方から全体を押し上げるように兵を繰り出して筑後国人衆の崩壊を防ぎ、波状攻撃を仕掛けて敵陣の突破を目指した。

 隆信の攻撃は極めて正攻法。肉弾肉壁で矢弾を防ぎ、屍を乗り越えて敵陣を攻略する。死を恐れない兵卒による怒涛の攻撃こそが、大内晴持の首を取る最善策であると承知していた。

 隆信の威は弱卒を死兵に変える。たとえ死しても家族に恩賞が約束されるとなれば、命を賭すのがこの時代の弱者達の在り方であり常識だ。前線の兵にとっては前も後ろも死地なのである。

 そうして送り出した兵の大半が、戦の序盤で討ち死にした。第一陣があった場所の近辺は、すっかり龍造寺兵の屍で埋もれている。

 ここまでやって、まだ第三陣に梃子摺っている。それは、隆信にとって苛立ちの温床ともなる事実であった。

 負け戦は許されないが、現実的には厳しい場面である事も理解している。敵が予想以上に防御を固めていた。日が暮れれば、戦は続けられなくなる。下手をすれば、攻略した敵陣が再構築される恐れもあった。決着を急ぎたいところだが、かといって全力で敵陣にぶつかっていっても無為に命を散らすのみ。

 何かしらの手を打たなければ、隆信が不利になっていく一方だというのは分かっていた。

「御屋形様」

 そこに伝令兵がやって来る。

「怪しき者がおりましたので、ひっ捕らえましたところ斯様な文を隠しておりました」

「何……?」

 隆信は伝令兵が差し出した書状を受け取り、中身を確認した。

「あん? 西牟田が?」

 隆信は眉ねを寄せて、いかにも不機嫌な顔をした。

「御屋形様、如何されましたか?」

「ふん、見てなさい」

 隆信は書状を陣内にいた将達に回覧した。

 書状を見た者は顔色を変えたり、怒気を発したりする者も珍しくなかった。

「御屋形様、これは」

「西牟田に内応の誘い。大内側からの文書でしょうね」

 つまらなそうに隆信は言った。

「ねえ、これを持っていたヤツはどうした?」

「は、それが口の中に毒を含んでいたらしくその場で」

 伝令兵は深く頭を下げた。生かしておけば、事の真相もすぐに分かっただろうに。捕らえた敵兵に死なれたのは、大きな失態であったと言うほかない。

「如何されますか?」

「何もしない。西牟田からは人質も取ってるし、勝利の暁には所領の安堵も加増も約束してる。くだらない離間の計に乗って相手の手の平の上で転がされるのは嫌よ」

 西牟田家は筑後国の国人の中でも有力者である。それを内通を匂わせる書状一枚で手打ちにしたとあっては、いよいよ筑後国人からの支持を失ってしまう事となろう。厳しい戦の最中にそこまではできない。何よりもあからさま過ぎて大内家の言いように動いたと思われるのが癪だった。

 離間の計は戦の常套手段。大内家がこちらに仕掛けてきたのと同じように、こちらも大内家に対して工作を行っている。もっとも、その結果は芳しいものではないのが現状だが。

「これ以外にも出回っているはずよ。手元に届いている者がいれば、即時提出させなさい。噂だけでも立場を悪くする事もあるでしょうよ」

 後になって書状の存在が分かれば死罪もあり得る。そういう脅しは隆信の得意とするところだ。彼女の一言一句が、将兵の生死に関わる。それだけ強い権限を隆信は行使できる立場にあり、実際に行使してきた実績があった。この「強さ」が龍造寺家大躍進の原動力と言っても過言ではないだろう。

「御屋形様、あれを」

 不意に、将の一人が空を見て言った。

 陣幕の中からでも分かる、立ち上る煙。

「狼煙? ――――ッ」

 隆信は床机を跳ね飛ばすように立ち上がり、陣の外に飛び出した。

 煙は西方の山の頂上から立ち上っているようだ。ずいぶんと風が強いのか、斜めに角度をつけている。

 風向きを調べるために煙を上げる事も時にはあるが、あれがそのような意味だとは思えない。

 狼煙は伝達手段だ。文を届けるよりも早く、声を届けるよりも遠く情報を伝達できる。扱いは難しいが、うまく使えば万軍を助ける事にも繋がるだろう。

 問題はあれが隆信の指示によるものではなく、敵方が上げた狼煙だという事だ。戦が膠着状態に陥った今、狼煙を上げたとすれば間違いなく戦局を一変させる奇策に出たという事だろう。

「戦闘準備だ! 大内方が攻勢に出てくるぞ! 気を引き締めろ!」

 隆信は自分でも驚くくらいに大声を発した。彼女の覇気に触発されて、居並ぶ諸将が奮い立ち、自分の持ち場に戻っていく。隆信自身も愛馬に跨り、隣の槍持ちからすぐに槍を受け取れるように準備をした。

 

 

 

 ■ 

 

 

 

 太陽はすでに山の影に入りつつある。

 筑紫平野は明るい橙色に染め上げられ、涼やかな風が木の葉を揺らす。

「風が出てきたか」

 戦が始まってから丸一日、晴持はじっと座ったままだった。ここまでのお膳立ては晴持を中心に進めたが、実際に戦を動かすのは前線の武将である。その中でも突出した才覚と実績を持つ道雪に晴持は最後の一手を任せていた。

 やるべき事は明確で関わる武将達全員が意思を統一している。

 が、成功するかしないかは五分五分だ。奇策は所詮奇策に過ぎず、正攻法の前に敗れ去るのが道理である。

 全十段を数える陣の内、敵は第三陣まで手をかけた。味方の猛反撃により追い返したが、敵もやるもの。やはり鉄砲や矢を撃ち掛けているだけで勝負を決するほど甘くはなかったか。

 戦にはすでに慣れた。この戦いが終わった後には、敵と味方の死体がうずたかく積みあがっているのだろう。その姿は見るも無残なものに相違ない。これまではそうだった。これからもそうだろう。

 ならば、晴持がすべき事はその死体の山に可能な限り味方を入れない事である。野戦築城もそのための手段に過ぎない。臆病風に吹かれたと罵る者もいるだろう。気にするものか。一人でも多くを生かして先に進む事が大内家の躍進に繋がるのだ。

 さわさわと戦場を吹く風は、冷たい追い風だった。

 運が向いてきた兆しであろうか。追い風は矢弾を遠くへ運ぶ。耐え難い死臭も嗅がずに済む。

 戦場にあって追い風は吉兆である。そんな晴持の思いが通じたのであろうか。山の稜線から濛々と狼煙が上がったのである。

「晴持様、狼煙が上がりました!」

 光秀が叫んだ。

 戦いの趨勢を見守るばかりだった黒衣の臣も、いよいよこの時が来たのかと顔を紅潮させている。

「ああ、そうだな」

 努めて冷静に、晴持は答えた。

 タイミングは道雪に任せていた。晴持はただ、彼女の判断を信じて行動するだけだ。

 大きく息を吸って、吐き出した。肺腑の底からすべての空気を抜いてしまったのではないかとすら思えた。

 居並ぶ諸将は言わずもがな、晴持以上にこの時を待ち続けた者達だ。龍造寺何するものぞと意気巻いていた筑後国人。煮え湯を度々飲まされてきた大友家中。そういった面々である。大内家から来た将の方が少ないくらいである。

「立花殿から文字通り決戦の狼煙が上げられた。準備は良いか、などと聞くのは無粋か?」

「無論の事」

「待ち侘びすぎて身体が鈍ってしまいそうでしたがな」

「座っているのは性に合わぬゆえ、早々に出立したいと存ずる」

 等など、頼もしい発言が飛び出してくる。

 晴持は軍配を握り締めて、

「では、決戦と行こう。狙うは龍造寺隆信の首唯一つ。矢弾を撃ち掛け、槍で突き、刃で以て首級を挙げよ。一切の情け容赦なく、日が没するまでに戦場を敵の血で染め上げるのだ!」

「応ッ」

 声という声が重なった。

 武将達が本陣を足早に出て行き、然る後にほら貝が吹き鳴らされた。それは全軍突撃の合図であった。

 柵の後ろに隠れていた連合軍の将兵達が先を争って戦場に踊り出て行く。

 それまで攻撃をするばかりだった龍造寺家の前線は、突然の反転攻勢を受け止められずに散らされてしまった。

 度重なる突撃により陣形も隊列も崩れていた龍造寺家の前線部隊が、波のように押し寄せる大内・大友連合を相手にできるはずがなかったのだ。

 左翼からとりわけ華やかな威を背負った部隊が龍造寺家に襲い掛かった。朱色の総髪を靡かせた高橋紹運とその家臣達である。猛烈な突撃はさながら暴走列車のようだと晴持は思った。彼女の槍の前に敵はなく、彼女の馬が駆け抜けた後には屍だけが残った。

 

 

 

 突進する紹運は味方を鼓舞するべく派手に槍を振るった。目に映る赤は生臭く鉄錆の匂いがする。これが紹運の知る戦場だ。硝煙の臭気が立ち込める戦場ではなく、命と命がぶつかり合い、血の花が咲く戦場こそが彼女がもっとも輝く場所である。

「だあッ」

 ごん、と振るった槍が逃げ惑う敵兵の後頭部を打った。手ごたえからして頭蓋骨が砕けただろう。首を取る必要はなかった。紹運は雑兵の首をいくつ挙げようが手柄とは思わない。取るのであれば、名高い武将の首であるべきだ。そう、例えば紹運の前に立ちはだかる精悍な顔立ちの姫武将など、好敵手と呼ぶに相応しい立ち振る舞いであると見える。

「名のある将と見た! お相手願いたい!」

「もとよりそのつもり。ここから先は通さないよ!」

 紹運の刺突を敵将は辛くも避けた。それと同時に鋭い槍の一撃が斜め下から振り上げられる。

 身を引いて躱すと、紹運は二撃目を牽制とし三撃目で首を狙った。紹運の必殺を敵将は見事な槍捌きで受け流す。馬と馬が絡み合うように戦場を駆け、付き従う互いの家臣達も主人を守ろうと激突した。

「素晴らしい槍捌き。感服したぞ」

「そっちこそ、ここまでとは思わなかった。さすがは音に聞く高橋紹運だね」

「む、わたしをご存知か。名乗りの機を逸してしまうとは恥ずかしい限りだ」

「名乗る必要はなかっただろう。あんたを知らない人間は、もうこの戦場にはいないだろうからね」

 高橋紹運は九国全域に鳴り響く大友家の勇将である。道雪か紹運が戦場にいれば、相対する敵は必ず警戒する。武名を轟かせようとする者は、愚かにも首を狙う事だろう。それだけ、紹運の名は広く知られているのだ。

「わたしも有名になったものだ。が、名乗りがいらんというのならば、そちらも同じ。龍造寺四天王の一人、信常エリ殿と見受けるが如何に」

「正解。雑兵に知られたところで嬉しくはないが、あんたに知られているとなるとさすがに嬉しいね」

 龍造寺家が紹運を警戒するのと同じく、大内・大友連合もまたエリを警戒していた。当然である。龍造寺四天王などと内外から呼び称えられる武将の一人である。ともあれ、エリが身を挺して紹運の前に立ちはだかった事で、高橋隊の進軍は止まった。時を同じくして、後続部隊の援護で体勢を立て直した龍造寺軍は、戦場の至る所で大内・大友連合軍に牙を向き始めた。

 恐らくは、いや間違いなくこの戦に於いて最も多くの血が流れたであろう夕暮れの決戦。この時、道雪が上げた狼煙の意味を龍造寺軍は敵方の総攻撃の合図であると理解した。その理解は大筋としては正しい。道雪は確かに総攻撃のために狼煙を上げたのだから。しかし、理解の仕方を誤った。龍造寺軍が何とか体勢を整えて、敵軍に当たった時、彼等の後方から大地を鳴らす馬蹄の音が響き渡ってきたのだ。

 

 

 

 ■

 

 

 

 男の名は由布惟信。立花家中にあって豪傑の名を欲しい侭にする猛将の中の猛将である。小野鎮幸と並び道雪の信任が厚く、これまでに幾度となく一番槍、一番首の誉れを手に入れてきた。

 そんな男にとって、今回の作戦は余り心地の良いものではなかったというのが正直なところである。

 惟信に与えられたのは一〇〇〇の兵と伏せ兵の指揮官という立場。

 一番槍は疎か、まともに戦場に出る事すらも叶わない状況は相当に鬱憤が溜まるものではあった。

 戦場を囲む山の奥に身を潜め、敵に悟られてはならぬと満足に物見も出せず、銃火と喊声を遠くに聞く。戦が始まってから丸一日。この場に身を伏せて三日は経っている。龍造寺家が攻め立ててこなければ、さらに長い時間を山の中で過ごしていたかもしれない。とはいえ、大いに不満ではあったが、彼の忠誠心も中々のものだ。道雪にやれと命じられれば、最期の最期までその命に従うだけの胆力があったし、だからこそ道雪は彼にこの役目を与えたのである。

 大内晴持が計画した小賢しい策も、嵌ってしまえば確かに効果的。龍造寺隆信は長屋を制した勢いを頼みに盆地の内部深くに入り込んだ。そうしなければ、陣を構える大内・大友連合を相手に満足な戦いなどできないからだ。地の利を大いに活かした味方は、血気盛んな龍造寺軍に上手く立ち回り、守りに徹しながら敵に流血を強いた。そして、今、ほどほどに厭戦気分と苛立ちを高めた龍造寺家を相手に大内・大友連合軍は初めて攻勢に出た。龍造寺軍が逃げ出すのならばよし、立ち向かうのならばそれもよし。盆地の中に入り込んだ時点で策はほぼ完成していた。隆信が敵陣を突破するために、突撃を繰り返したために龍造寺軍は縦に間延びし、兵馬は疲弊している。

「こんだけお膳立てされちゃあ、やるしかないってんだ!」

 戦場から見て南側の山の小道に身を伏せていた惟信の部隊が狼煙を見て走り出す。山を迂回し、龍造寺家の後背を突く。それが惟信達の役割だった。戦場まではかなりの距離があるが、狼煙が上がってから惟信達が戦場に現れるまでの時間調整は道雪達が上手くやってくれる。――――龍造寺家が逃げ腰になり、戦場を離脱してくれれば、惟信達は走る距離が短くなるのでそれはそれで楽でいい。

 どちらにしても、惟信達襲撃部隊にとっては、只管走り、敵の喉笛を噛み千切る事以外に考える事はないのだ。

 戦場が山の影に覆われた頃に、彼等は盆地の入口から現れた。龍造寺家にしてみれば背後に敵勢が現れたに等しい状況である。

「あっ」

 と、惟信は声を漏らす。

 反対側の入口から惟信と同じように盆地に飛び込んできた部隊があった。その部隊は大内家の武将が率いているらしいが、彼の方が惟信よりも先に敵勢に接触しそうなのである。

「うぬ、許せぬ! 負けてなるものかよ! 大内侍に先を越されたとあっては道雪様に合わせる顔がない! 者ども全力で走れ、声を上げろ! 由布惟信ここに有り! 龍造寺の兵卒めが、恐れずしてかかってくるがいい!」

 戦場を山の上から俯瞰する物見には、惟信の突撃は錐のように見えただろう。

 本陣を守るべく惟信に向かっていく龍造寺軍に彼は恐れず突撃し、穴を開けるように敵陣を抉っているのだ。

 同じように背後を取った大内方の武将も勇戦しているが、彼ほど貫通力のある戦振りは見られない。さすが、立花家随一の武将であると言った所であろうか。

 

 

 そして、龍造寺軍はよく持ち堪えていた。

 三方から攻めかかられていても、それぞれにそれぞれの武将がぶつかって上手く凌いでいる。押し込まれている部分もあるが、局地的なものであり大局的には互角の戦いではあっただろう。

 敵の策に嵌りはしても、その策ごと叩き潰すのもまた龍造寺家の攻撃的な戦振りの本領である。

 四天王の中から三人がこの戦場に出ていて、隆信自身もまた後方に控えているとなれば、そう易々とは食い破られない。四天王には及ばずとも名将と言うべき武将も多数いるのだ。

 が、その統率もまた限界があるのは言うまでもない。

 戦況が互角であると分かっているのは、戦場を俯瞰できる立場にある者だけだ。それは後方に控える隆信やその供回りの者か、戦場を離れた物見の兵くらいであろう。実際に刃を交える前線の兵達はただ必死になって敵と「思われる」者を打ち倒すばかりである。西の空から群青が伸びてきたこの黄昏時とも呼ばれる時間帯は、まず以て視界が悪い。昼間ならば敵味方の見分けがついても、混乱した兵卒にそこまでの冷静さは望むべくもない。あちらこちらで同士討ちが散見された。

「西牟田殿が裏切ったぞッ」

 どこからか、そんな流言が飛んだ。もちろん、嘘である。叫んだのは大内家の者だ。だが、真贋を見極める時間も余裕もない。嘘だと分かっているのは、やはり上の者だけだ。そして、時には嘘が真になる事もある。この大内方の攻勢で龍造寺不利と察した筑後国人の一部が本当に裏切ったのである。

「後ろからも敵が来た! 三〇〇〇人を越えているぞ!」

「挟まれちまった! もうダメだ、川の方に逃げるんだ!」

 龍造寺家のものなのか、大内家のものなのか、それとも大友家のものなのか。もはや検討もつかない流言が戦場を飛び交っている。

「下がって立て直します! 妙な事を口走る輩は斬り捨てなさい!」

 馬上で信胤が叫ぶ。高い女性の声は、戦場にあってもよく通る。的確に周囲の兵を落ち着けて、攻め寄せる敵兵をいなしながら下がっていく。自ら前線に立ち、馬上から弓を射放ち敵兵の喉を刺し貫いた。

「信胤様! 信胤様もお早く!」

「分かっています。けれど、一先ずはここを押さえなくてはなりません。このような時こそ地に足をつけなければ混乱を全体に伝えるだけです」

 己が焦っても仕方がない。そう言い聞かせても、龍造寺軍は瓦解しつつある。一度、大きく戦場を離れなければ、この混乱は終息しないだろう。敗走だ。なんとしてでも隆信を戦場から離脱させる。龍造寺家の勝機は潰えた。信胤の目に勝利はもはや見えないのだ。

 立て直すには後方から援軍を呼ぶしかない。しかし、その後方もまた敵の強襲により右往左往している。

「く……こうなれば――――」

 兵を纏めて一点突破を図る。自分の逃げ道はなくなるかもしれないが、敵勢の勢いを大きくそぎ落とし攻撃力を低下させるくらいにはなるだろう。

 信胤が唐突に何者かに突き飛ばされたのはその直後の事だった。味方に囲まれた中であったのに、彼女の視界はひっくり返り、背中から地面に落下した。

「ぐ、くは……ッ」

 喉が熱く、舌に苦味が広がった。

 じわりと痛みが胸から登ってきた。

「信胤様ッ!?」

 家臣が悲鳴のような声を上げた。すぐに撃たれたのだと気付いたが、もう手遅れだった。胸の真ん中を貫いた銃弾は、致命的な傷を信胤に与えていた。

(隆信様……)

 声を出そうとしても出せず、小さく血の塊を吐き出しただけだった。家臣の声も戦場の狂騒もすぐに遠のき、信胤の意識は闇に落ちていった。

 

 銃口から立ち上る薄い煙を振り払うように光秀は銃を家臣に渡した。彼女のさえ渡る一射が最前線で指揮を取る敵将の胸に吸い込まれたのを目の当たりにして、周囲が一瞬静まり返ったほどだった。神憑かっていたとさえ思える一射は、ただそれだけで拮抗を崩すに足る働きをした。

「円城寺信胤殿、明智光秀が撃ち取った!」

 わっと味方が沸いた。

 光秀の武功に続こうと、味方の進撃が激しくなった。四天王の一画を崩された龍造寺軍は、前線を維持できずにずるずると後退していくが、後方の兵も引くに引けず団子状態になって混乱が助長されていく。

 龍造寺軍はすでに軍としての秩序が取れていない。逃げ惑う龍造寺軍と追い散らし、首を取る大内・大友連合という構図が成立してしまったのだ。

 負け戦となった時点で兵卒は戦えない。戦って敵の首を取っても、恩賞がもらえない可能性が高いからだ。ならば、身一つでも戦場を抜け出して故郷に帰りたいと思うのが当然である。主家に尽くそうなどと考えるのは、それこそ武門に生まれた上の者達だけである。

「逃げるな、逃げれば死ぬぞ!」

 必死に声を上げる百武賢兼は突き出される槍をむんずと掴んで、持ち主の首を刎ね飛ばす。すでにいくつの首を挙げたのか分からない。戦功にもならない首を地面に打ち捨て、味方を鼓舞する。

「成富信種、立花家中小野鎮幸が討ち取ったァ!」

 どっと敵兵が喊声を上げた。

 どこでどのように死んだのか賢兼には分からない。

 味方の討ち死にの報も、敵が叫ぶ声を聞くだけで真実の所がまったく不明。この状況だ。真実である可能性が高いが確かめる術はない。

 ただ、彼にあるのは敵を押し留めなければという強い思いだけだった。

 ここで賢兼が退けば龍造寺家の左翼は完全に崩壊する。将が撤退するという事は、将に従うすべての兵力が撤退するという事である。よって迂闊に馬印を動かす事はできないのだ。その行動が軍に致命的な傷を与える事になりかねない。

「ぬおッ」

 賢兼は折れた槍を捨てて刀を振るった。

 雑兵にくれてやる命はないと自身に言い聞かせる。

「ぐ……」

 膝裏に激痛が走った。敵兵に槍で突かれたのだと分かったが、どうでもよかった。槍を突き出してきた者は尽く斬った。右足の膝から下には力が入らないが、馬の腹を締める太ももも、武技を披露する両手も健在だ。また戦える。少しずつ兵を下げながら賢兼は戦った。敵の勢いが味方の退却に勝り、取り囲まれてからも奮戦した。賢兼の供回りは全滅する瞬間まで主人に従い続け、賢兼もまた彼等の死を無駄にするまいと最期の瞬間に至るまで戦い続けた。

 龍造寺軍の、特に前衛は端的に言って疲れていたのだ。

 度重なる突撃で、重い鎧を身につけて敵陣まで駆けていく。銃火が轟く中で、次の一瞬で自分は死ぬかもしれないという恐怖は体力を異常なまでに消費させる。

 それが繰り返された。疲れ果てた前衛は、守りに徹して体力を温存した大内・大友連合に対応できるはずもない。重たい足では逃げる事もままならない。そうして前衛は崩れ落ち、後方もまた挟撃に曝されて龍造寺軍は中央に圧縮されるように押し込まれた。押し込まれたらどうなるか。余計な力は力のかからない方へと逃げていく。戦意を失った龍造寺兵は、逃げ道として西と東の川に向かって逃げ散った。前と後ろから敵が来るのならば、横に活路を見出すほかにないからだ。

 隆信は瓦解した自軍に呆然とする事も許されず、槍持ちから槍を奪い取って自ら構えた。彼女自身が剛勇の将である。

 味方の悲鳴と怒号を踏み砕いて本陣を強襲したのは、いつか戦場で相対した人形のように美しい女だった。

「輿に乗って登場とは、ほんとふざけたヤツ」

 立花道雪。

 大友家と争っていた時には、常に隆信を邪魔していた姫武将だった。

 彼女にとっては輿は鞍であり、輿を操る家臣は愛馬であった。

「これでも、足が動いていた時よりも調子が良かったりするのですよ、龍造寺殿」

「ハッ、言ってろ」

 隆信は獰猛に顔を歪めた。

「降服してください、龍造寺殿。もはや、これまでです。あなたの軍勢は完全に崩壊しました。勝機はなく、降れば悪いようには扱いません」

「ふん」

 隆信は道雪の言葉は鼻で笑った。

「生憎と、もう生き恥を曝すつもりはないんでね」

 今までに散々な苦渋を舐めてきた。幾度も裏切られ、幾度も裏切ってきた。その結末がここに結実するのならば、望むところであった。立花道雪の首を取れば、味方を奮い立たせる事にも繋がるだろう。捕縛されて生き恥を曝すよりも、万に一つの可能性に賭けたかった。龍造寺隆信にも意地がある。

「そうですか」

 道雪の目には何の感情も浮かんでいない。敵意もないし殺意もない。憐憫もなければ興奮もない。その瞳に見据えられて、隆信はぞくぞくとした。道雪は隆信を炉端の石と同じくくらいにしか思っていないのかもしれない。敵と見定めた者は尽く討ち果たす気概をそこに感じた。

 自分がどのような叫び声を上げたのかは分からない。

 隆信は生涯で最高の一刺しを道雪に仕掛けた。その手応えを感じ、直後の雷光を思わせる道雪の一閃でもってその人生に幕を引いた。


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