大内家の野望   作:一ノ一

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その四十九

 如何なる兵すらも相手にできる自信はあった。肥前国に発し、苦難という苦難をその腕っ節で平らげてきた隆信にとって、敵は自分の前に討ち果たされるだけの存在だった。油断はしていない。ただ厳然たる事実として、彼女を上回る剛の者はいなかった。四天王のように、隆信に匹敵、あるいはある分野に於いて凌駕する者の存在を認知しないでもなかったが、ここ一番という時の勝負強さは、隆信が突出していたのは事実であった。

 どれほどの逆境であっても、覆せると自負していた。得意とする野戦に持ち込み、勢いのままに大内・大友連合軍を蹂躙するのだと、信じていた。彼女のその絶対の自信は、眼前に現れた死神によって打ち砕かれた。

 一合と打ち合う事もなかった。

 常の隆信であれば、あるいは道雪を討ち取る事もできただろう。だが、道雪は「乗って」いた。勝勢に乗り、勝利を確信した雷神は万軍をも屠る怪物となる。足の不自由も、輿に乗っている事も何一つ彼女を弱者たらしめる要素にはならない。隆信の槍を、道雪は物ともせずに白刃の一閃で首を刎ねた。

「龍造寺隆信、討ち取ったり!」

 高らかに宣言する道雪に、戦場が湧いた。

 龍造寺軍は失意と落胆、そして恐慌によって千々に乱れ、蟻の子を散らすようにバラバラになっていく。

 戦場で一国の主が戦死するという事はほとんどない。よほど前に出ていない限りはうっかり死ぬ事を家臣達が許さない。敗色濃厚となれば、真っ先に撤退する必要がある立場である。

 だが、この戦は本陣すらも混乱してしまい、さらに背後を押さえられた事で逃げ道が限られてしまった。敵味方が入り乱れた戦場では、迂闊に動く事もまた死に直結するのだが、どちらを選ぶべきか判断が付かないうちに本陣深くまで攻め込まれたのは隆信の一世一代の失態だったのだろう。

 とにもかくにも肥前の熊と恐れられた龍造寺隆信は、一昼夜にして戦国史から消え去った。残されたのはただ戦場を逃げ惑う龍造寺軍の雑兵だけである。こうなっては、いかな名将であろうと軍を立て直して、仇討ちの一戦に及ぶなどという事は不可能だ。

「龍造寺の大将が討たれたぁ」

「もうダメだ! 龍造寺はもうダメだ!」

「討て、討て! とにかく討ち取れ!」

「追い散らせ! 龍造寺の者どもを一兵残らず討ち滅ぼすのだ!」

 悲鳴と怒号。喊声と奇声。あらゆる声という声があちらこちらで上がっている。今となっては戦場は命を賭けて相争う場ではなく、一方が他方を蹂躙する狩場となってしまっていた。

 隆信の首が挙がったという朗報は、すぐに晴持の下に届いた。情報が情報なので、最初は疑った晴持であったが、戦場の盛り上がり――――龍造寺軍が一挙に崩れていく様を見て、正しい情報であると確信した。

「本当に隆信の首が挙がったのか……」

 これにはさすがの晴持も驚くばかりだった。

 龍造寺軍を壊滅させるつもりで、この会戦に臨んだのは確かだ。しかし、まさか総大将の首を獲れるとは思ってもいなかった。龍造寺軍に壊滅的打撃を与えるという当初目標を達成するだけでなく、その先まで駒を進めてしまえるとは。

 逃げる龍造寺軍はもはや軍としての規律を失い、組織的な行動ができなくなっている。こうなってしまえば、どれほど数がいたところで敵にはならない。龍造寺兵は一人で万の敵を相手にしなければならないのと同じ状況に置かれている。大内の刃にかかるか、大友の槍に突かれるか、はたまた筑後国人の報復の剣に貫かれるか。残された道は少なく、そして過酷だった。

「晴持様、御下知を!」

「ああ」

 促された晴持は僅かばかり言葉を飲み込む。

 戦場から聞こえてくる、ありとあらゆる声が交じり合った雑音に耳を傾けて、

「逃げる者は追うな。まずはこの狂乱を鎮めて、隊伍を整えよ」

「晴持様!? しかし、この機に敵を討つべきでは!?」

「討つべき敵は雑兵共ではない。まだ、隆房達と睨み合っている龍造寺兵一〇〇〇〇がいるのを忘れたか。ここで逃げ散った敗残兵を追い回すより、敗報を聞いて浮き足立った鍋島勢を討ち減らす方が今後のためになる。隊を整え次第、筑紫平野に進軍する」

 心臓が高鳴っている。

 勝利の余韻に浸っていたい。戦は終わったのだから、腰を落ち着けて府中にでも帰りたい。望郷の念が押し寄せてくるのを堪えて、晴持は努めて冷静に言った。

 勝利に浮かれた頭に冷や水を浴びせかける言葉ではあっただろう。だが、あまりに浮かれて騒いでは、どこかしらで躓いてしまう事もあるだろう。思わぬ反撃を受ける事も考えられるし、隆信の死を知った直茂の撤退をみすみす見逃すのも不味い。

「は、はッ」

 伝令が四方に走る。

 法螺貝を吹き鳴らし、狂乱に溺れる兵卒達を我に返らせる。勝利した事で命の危険から解放され、気分が昂ぶっている。今の大内・大友連合軍の兵卒は、目の前にいる敵を殺すだけの機械のようなものだ。法螺貝の音は、そんな彼等の頭にぶちまけられる冷や水の役割を果たしている。

 もちろん、不満もあるだろう。首を取らなければ収入にならない。末端の兵にとっては、ここが稼ぎ時である。

 だが、勝手自由は許さない。

「手柄首はこの先にも転がっていよう。功名を得んとする者こそ続け。雑兵の首に目を奪われている場合ではないぞ!」

 叫び、晴持は手勢を率いて自ら戦場に割って入った。本隊が動いた事でいよいよ全体が引き締められた。鬨の声はお預けである。

 自分の仕事を終えた光秀が配下と共に晴持の傍まで戻ってくる。もとより晴持の警護は光秀の役割の一つである。四天王の一人を撃ち取るという大手柄を上げたのだから、これ以上の高望みはしない。光秀は野心もあれば我欲もあるが、現実主義的な物の考え方をする。今、何をすべきなのかを適切に判断する能力は極めて高い。

「晴持様、ただいま戻りました」

「ああ、光秀。いい活躍だった」

 彼女の銃が敵前衛の総崩れを引き起こしたのは事実である。総大将と一騎打ちをして首を獲った道雪には見劣りするが、光秀の手柄もかなり大きいものだ。大幅加増は間違いない。

「さっそくだが、これから兵を平野にまで進める。気を抜くなよ」

「承知しております」

 さっと光秀は馬首を巡らせた。

 やはり光秀は聡い。すぐさま気持ちを切り替えて次の戦に備えている。

 本陣が前に進むのにあわせて、前線の兵達も次第に隊伍を整えていく。晴持の命を受けた伝令達が前線の将に事情を伝え、将達が自分の手勢に声を荒げて指示を飛ばしている。彼等も手柄が欲しい。これから龍造寺軍の別働隊と戦うとなれば、そこでさらに活躍しなければ数多の好敵手に遅れを取る事になってしまう。

「晴持様。お気をつけください」

「ん?」

 馬を並べる光秀が呟くように晴持に言った。

「上はともかく、下の者達の間には気の緩みが感じられます。このまま鍋島殿と当たって、負けるとは思いませんが……」

「手痛い反撃を受ける可能性は無きにしも非ず、か」

「はい」

 晴持の周りを固めるのは生粋の武士達だ。農兵達の姿は晴持からは遠いものでしかない。しかし、その気持ちは分からなくもないと思う。

 龍造寺隆信を討ち取ったので、この戦そのものは消化試合と化している。隆信を討ち取った時は農兵にとっても特別だった。長陣が続き、その間過酷な戦場に留め置かれた彼等が、ついに生きて故郷に帰る事ができると実感した瞬間でもあったのだ。

 ほっと気持ちが緩んだだろう。勝機に浮かれて武具を振り回していた彼等は我に返った途端に命が惜しくなったに違いない。この上さらに鍋島直茂率いる龍造寺軍と対峙するというのは、厭戦気分を高める一因となるだろう。

 散々この場で戦い抜いたのだ。体力も大きく減っている。駆け足で次の戦場に向かっていても、着いたころには疲労困憊して動けなくなっているのが目に見えている。

 光秀が警告したとおり、功に逸って突出すれば疲労が蓄積した身体が思うように動かず直茂の反撃に会う可能性を否定できない。

 もしも、敵が我が身を省みない仇討ちを決行すれば、こちらは正面から敵を受け止めなければならない立場である。

 だが、そのような事態にはならないだろうとも考えている。

 鍋島直茂は合理的な武将であると聞いている。突撃を好まず、慎重に戦を進めるので隆信の戦い方と彼女のやり方が合致しなかった。今回、隆信が直茂を後方に残したのも、戦の進め方が根本的に異なっていたからだろう。即断即決を旨とする隆信と慎重な用兵を得意とする直茂では要所要所の対処法が正反対だろう。重要な局面にあって指揮系統が二分されるのは具の骨頂であり、その点では隆信の判断は正しかった。ただ、結果がついてこなかっただけだった。

 逃げる龍造寺兵を追い立てるように大内・大友連合軍は平野に分け入った。

 味方の大勝利と隆信討ち死にを叫びながらの進軍である。隆房と睨み合う龍造寺軍の動向に注視しながら、晴持達が前に進んでいった。

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 劇的な展開を迎えた黒木郷の戦いとはうって変わって、筑紫平野での大内軍と龍造寺軍の睨み合いは小規模な小競り合いを繰り返すばかりで大きな変化がないまま時間が経過していた。

 互いに戦の主役は自分達の主人であると考えている。よって、両者共に相手をこの場に釘付けにしておく事が何よりも重要な役回りであると理解していた。兵力は拮抗しており、将の才覚も同格。となれば、迂闊な攻勢は自軍に多大な犠牲を強いるものとなるのは明白であった。戦の趨勢を握る大将同士の戦いが行われているのは音で分かるが、その内実までは見えない。兵を動かすべきか否か、情報がまったくない状態では判断のしようがなく、結果的に戦は止まったままであった。それは、隆房と直茂の思惑が一致した結果であるとも言えるだろう。申し合わせたわけではないが、自然と相手と自分が同じところに落ち着こうとしているのが分かったのだ。

 隆房も直茂も、今は軍を動かさない。それは、睨み合いの中で両者が行き着いた共通理解であった。

 大内軍の本陣で、隆房は一言も発する事なく座っている。眼前に広げられた絵地図を見るでもなく、武具の手入れをするでもなく、書を読むでもない。ただ、床机に腰を落ち着けているだけだった。

 見るものが見れば、隆房の意識が今、この場にない事がすぐに分かるだろう。幽体離脱のような超常現象を自在にするわけではなく、聴覚を頼りに遠方の戦の趨勢を探っているのだ。

 心配がないわけではない。晴持が決して強い武将ではないという事くらい幼少期より仕えてきた隆房はよく理解しているし、これまで勝利を積み重ねてきたからといって、今回も勝てるとはいえない。勝負は時の運とも言う。運を引き寄せるために幾重にも準備を重ねてきたが、最後にものを言うのは、どちらに勝負の神が味方するかという事であろう。

 そういう勝負強さに関しては晴持は天才を持っているが、相手は肥前の熊。果たしてこれまで通りに上手くいくだろうか。

 心配事はそれだけではない。

 今、大内家出身者の多くは隆房の陣営にいる。それはつまり、晴持の陣営は大内家が中心になっているわけではないという事である。多くはこの土地に縁のある者。大友家や在地国人達からなる烏合の衆だ。晴持をよく知らない者どもが晴持の指示通りに動くであろうか。龍造寺憎しで団結していたとしても、どこかで手の平を返してしまうのではないか。

 大内家は所詮は外様なのだ。戦の趨勢が明らかにならない限り、どこまで行っても他国衆は信用ならない。

 戦が始まってから丸一日。大友家が南蛮から購入したという国崩しの砲音は、晴持が健在であるという事を遠方の隆房達に伝えてくれていた。

 戦の流れが変わったと直感したのは、黄昏時の事であった。砲撃の音が止み、微かながら戦場から聞こえる声の質に変化があった。狼煙が上がり、山を迂回した味方の軍が盆地の中へ突入していく。晴持が勝負に出た証であった。敵を引き付けて側面、あるいは後方から別働隊で切り崩すのは晴持の十八番の一つである。敵よりも多くの兵を用意する事のできる大内家が、効率的に戦を終わらせるために取る野戦に於ける必殺の戦術であった。

 ――――ここで動くのは勇み足か……。

 一武将として、決戦から外されたのは口惜しい限りであった。

 あの場に自分がいれば、我こそはと隆信に挑みかかり、その首を挙げていただろうに。

 だが、隆房に求められているのは、隆信の首を取る事ではない。隆房一個人の手柄ではなく、大内家全体の利益のために行動すべき立場にいる。隆房は今の自分をそのように定義づけした。戦国武将としては稀有な考え方ではあるのだろう。かつての隆房からは想像もできない正反対の考え方だ。

 自分の部隊が戦場で功績を作らなければ評価される事はない。それが、戦国の一般的な考え方だ。

 だが、晴持は違う。

 直接敵と切り結ぶ事も大事だが、そこに至る過程も大切にしている。確実に勝てる準備を怠らず、そのために力を尽くす者もまた彼は正当に評価するだろう。

 隆房はもはや武勇を誇る立場にない。

 軍団の長として、戦の管理と運営を司る立場になった。彼女が戦場で槍を振るうとなれば、それは陶隆房の武名が戦を有利に導くと判断できた時になるだろう。

「陶殿!」

 鎧を高らかに鳴らして陣幕の中に入ってきたのは、冷泉隆豊であった。

「隆豊……」

 隆豊は息を切らせている。よほど急いできたのだろう。表情を見る限りは悪い報告ではない。

「黒木郷から龍造寺兵が逃げ散っています。恐らく若様の策が当たったのではないかと」

「うん」

 やはり、そうか。

 隆房は気付かれないようにしつつ、内心で安堵の吐息を漏らした。

「敵の様子、鍋島勢の様子を探って。敗報を聞けば、撤退するしかない。夜陰に紛れて兵を退くはずだから、一兵でも多く討ち取るよ」

 睨み合いもここまでだ。本隊が敗れたと知れば、直茂がここに留まる理由はなくなる。むしろ、龍造寺家に無理矢理従えられていた筑後国人達が隆房方に鞍替えする可能性が高くなる。

 

 

 

 ほぼ同時刻、直茂の下にも黒木郷の戦いに決着が付いたのではないかという疑義が上がった。

 戦場は直茂のいるところから見通す事はできないが、黒木郷の向こうから自軍の兵が走ってくるのは確認できる。隊列も何もない走り方を見れば、それが凱旋でない事くらいは分かる。

 直茂は報を受けて即座に動いた。

「事実確認を急いでください。それと、情報統制を。敗報が伝わるのは避けたいところです」

 手短に指示を飛ばす。 

 敗北が確実でなくとも、噂だけで士気はくじける。とはいえ、人の口に戸は立てられない。直茂達上層部が必死になって敗報が伝わるのを防ごうにも、下の者達に情報が伝わるのは時間の問題であろう。

 こちらは士気が挫け、敵は士気が上がる。

 隆信やあちらに就いた四天王の安否も気になるところだ。

「鍋島殿。どうなっている?」

 直茂が最初の指示を終えたところにやって来たのは、四天王の一人成松信勝であり、遅れて四天王入りを目指す木下昌直が駆け込んできた。

「目下、状況を確認しているところです」

「鍋島殿の見立てでは?」

「類推でしかありませんが……」

「構わん」

「状況からして、黒木郷での戦がこちらの敗北となったのは、ほぼ確実かと。隆信様や他の四天王の安否は不明ですが……」

 信勝は言葉を発せず、目を瞑って天井を仰ぐ。一方の昌直はカッと目を怒らせて、床を踏み鳴らした。

「だったら、こんなとこで暢気に話なんてしてる場合じゃねえだろ! 御屋形様をお助けしないと!」

「その気持ちは分かりますが、わたし達が動けば大内軍の挟撃に会います。すでに日が没し素早い行動は困難、この上大人数の渡河は大きな隙を生む事になります」

「な……お、お前」

 昌直は絶句して、わなわなと震えだした。

「そ、それでも御屋形様の義妹なのかッ! 真っ先にお前が助けに行かなくちゃならないところだろうがよッ!」

「わたしは隆信様より、この戦場と兵を預かった身です。木下殿の仰る事は分かりますが、考えなしの行動は我が身を、引いては龍造寺軍全体を危険に曝す行いとなります」

「この――――」

 直茂の毅然とした態度が気に触ったのだろう。昌直はさらに顔を紅くして言い募ろうとした。

「そこまでにしろ木下。全軍の指揮を任されているのは鍋島殿だ。頭を冷やせ。御屋形様がお討ち死にされたと決まったわけでもない。軍規を乱して御屋形様の不興を買う事もあるかもしれんぞ」

「ぐ、ぬぅ……オレは、兵のところに戻る。いつでも出られるようにしておくからなッ」

 そう言い残して、昌直はズンズンと足音を立てて去っていく。

 昌直の背中を見送って、直茂はため息をついた。

「大変だな、鍋島殿」

「あ、申し訳ありません」

「俺も気が立っていた。昌直がああ言わなければ、俺が言っていただろう」

「それは……」

「いや、鍋島殿が正しい。感情的に動けば我が軍は全滅する。今こそ冷静に対処するべき時だ」

 信勝の落ち着いた声に、直茂は助けられる思いがした。

「御屋形様の生死如何を問わず、この戦は俺達の負けだ。となれば、いつどのように撤退するかが鍵だ」

「退くのならば今夜中に。ですが、御屋形様の安否が分からぬ以上は兵を完全に退く訳にもいきませんが」

 隆信が無事ならば、どうにか戦場を逃れてくれているのならば、昌直が行ったとおりすぐにでも軍を差し向けて救出しなければならない。龍造寺家は隆信がいるからこそ纏っていられるのだ。隆信を失った龍造寺家は、もはや龍造寺家の枠組みを維持できない。

 一方で、もしも討ち取られているのであれば、すぐにでも兵を退くべきだ。一兵でも多く肥前国に帰し、隆信の親類を探し出して龍造寺家を守り立てなければならない。再出発には、それだけ多くの兵力が必要になる。

「ご注進!」

 軍師と四天王の一画。龍造寺家に於ける頂点の二人が思い詰めた表情を浮かべるところに、息を切らせてやってきたのは、物見の一人であった。戦場を観察し、隆信と連絡を取るために、直茂が放っていた者である。背中に矢を受けながらも、ここまで辿り着いたようだ。

「はあ、はあ……ぐ、鍋島様に、至急お報せせねばと」

「分かった。聞こう」

 落ち着けとも、座れとも言わない。この男はすでに死に体だ。

「御屋形様……お討ち死に……立花道雪との一騎打ちにて、首を取られましてございます!」

「――――ッ」

 直茂は絶句し、信勝は目を見開いて物見に迫った。

「真か? 嘘をついているのではあるまいなッ!? 冗談ではすまされんぞッ!?」

 ぐいと信勝が物見の襟を掴む。

 物見は小さく咳き込んで、膝から崩れた。瞳孔が開いていた。背中の矢が致命傷となっていたのだ。信勝が手を離すと、音を立てて物見の男は倒れて二度と動かなかった。

 痛い沈黙が室内に満ちた。

「撤退です」

「鍋島殿」

 直茂は唇を噛み、拳を握り締めた。

「彼が命懸けでもたらしてくれた報を無駄にするわけにはいきません。大内軍は嵩にかかって攻めてくるでしょう。夜陰に紛れて、少しでも多くの兵を肥前に連れ帰らなければなりません」

「……仕方あるまい」

 信勝が踵を返した。

「どちらに?」

「玉薬のところだ。妙なところで激発されても困るだろう」

 疲れたように笑みを浮かべた信勝は、そう言って直茂の下を去った。

 外に出る。

 信勝自身、どうしたものかと思っているところではあった。隆信が死んだというのが、信じられないというのが本音である。悪い冗談だといわれたほうが納得できる。あれほど生命力に富んだ女が、屍を曝すとはどういう事だと。

「世の無情を感じずにはいられんな」

 と、そんな事を呟いた直後である。前方から先ほど見た顔がやって来るではないか。

「木下か。ちょうど良かった。お前に話がある」

「成松殿、オレはまず軍師殿に話がある。申し訳ないが、後にしてくれ」

「恐らく、お前の話と関わりがあると思うがな。鍋島殿から伝言だ。お前には先に伝えておかねばと思ってな」

「伝言?」

「撤退だ」

 ガツン、と派手な音がした。

 昌直が壁を殴りつけ、壁板に穴が開いたのだ。

「隆信様が討たれたってのは、本当なのか?」

「物見が命懸けで情報を持ち帰ってきた。お前が出て行ったすぐ後の事だ」

「だったら、だったら何で撤退なんだ!? 仇討ちが先だろッ!? こっちには一〇〇〇〇の兵がいる。陶の抑えにいくらか残したって、まだ戦えるだろ!」

「木下。気持ちは分かる。だが、それは将の考えではない。今、俺達がするべき事は仇討ちではなく、敵の追撃を躱して撤退する事だ。そうしなければ、仇討ちの機会も訪れん」

「……ッ」

 ギリリ、と音が鳴るほどに昌直は奥歯を噛み締めた。何を言っても信勝は動かないだろうし、昌直を通す事もないだろう。

「御屋形様の事はこれ以上他言するな。士気に関わる。この上筑後衆が離反されては、撤退どころではなくなる」

「ッ……分かりました」

 昌直は納得したわけではなかったが、かといって問答を続けても意味がない事くらいは感じている。信勝が立ちはだかったおかげか、多少は頭も冷えた。

 敵に気づかれずに撤退するのは困難を極めるが、出来る限りの時間稼ぎをしたいところである。ならば、昌直が仇討ちを叫べば叫ぶほど、隆信が討たれたという情報が広まってしまい、時間稼ぎも何もなくなる。

 こうなっては仕方ない。昌直は悔しさに自刎しそうになりながら、頬を叩いて気持ちを切り替えた。

 

 

 

 太陽はすでにほとんど沈んでしまった。黄昏時は終わりと告げて、月明かりが支配する夜がやって来た。

 幸いにして雲ひとつない快晴だった。夜になってからもそれは変わらない。心もとない月明かりではあるが、正真正銘の真っ暗闇よりは遙かにマシというものだ。

 筑紫平野を流れる川の向こう側から、敗残兵達が逃げてくる。それを追いかける大内・大友連合の足音も徐々に大きくなってきた。

 龍造寺軍はここに来て己の敗北を悟った。上層部が隠そうとした情報も、目視で確認できるまでになれば隠しようがない。 

 直茂は、味方の大半に敗報が伝わりきる前に指揮官級の武将達には撤退を伝えていた。とにかく、これは敗走である。暗くて視界の悪い中、真っ直ぐに肥前国まで逃げ帰る。侵略するための戦から、生きるための戦へと形は大きく転換した。

 撤退を開始してすぐに、背後から怒号が上がった。陶隆房が追撃を命じたのは明らかだった。勝利に勢いに乗った大内軍が、龍造寺軍の末尾に食らいついた事で久方ぶりに両軍は衝突する事となった。

「とにかく走れ!」

「もうダメじゃ! 龍造寺はもうダメじゃ!」

「足を止めるな! 追いつかれたら、殺されちまうぞ! 逃げろ逃げろ!」

「助けてくれッ! 死にたくないッ!」

 部隊の後方では攻め寄せる大内軍の追撃隊と龍造寺軍の殿との間で激しい銃撃戦が起こっている。逃げる方も追う方も必死だった。龍造寺軍は隊伍を整える事もできず、我先にと逃げる。鎧を着ていては走る事も儘ならぬと道々に脱ぎ捨て、刀を捨て、兜を捨てて身軽になって走っていく。大内軍の矢弾がそんな無防備な龍造寺兵を背中から貫き、足を負傷して動けなくなった者は例外なく無情の刃に斬り刻まれた。

 平野部での戦だった事も災いして大内軍に追い回される龍造寺軍は多大な戦死者を出して肥前国まで逃げる事になった。筑紫平野に横たわる屍の九割近くが龍造寺兵だとされ、隆信がこの戦に動員した約二〇〇〇〇人の内、七〇〇〇人もの人命が無為に散ってしまった。何よりも龍造寺隆信という絶対的支柱を失ったのはあまりにも大きな痛手であり、龍造寺家を頂点とした肥前国の支配体制そのものが揺らぐ結果となってしまったのであった。

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 戦国時代の戦というのは単なる殺し合いの場ではない。武士同士が互いに将来を賭けた戦いをしている傍らで、商人達は先を挙って武具や薬、兵糧を売り歩き、白拍子は将士の下を尋ねては春を売る。数こそ少ないが男娼が姫武将の相手をする事もあるという。とにもかくにも、戦場というのは多くの人と金が動くため、戦そのものとは無縁であってもそこにやって来る人を目当てに商売をする者がたくさんいるのである。

 また、倒れた兵の屍から鎧や刀を奪い商人達に売り飛ばす事で生活費を稼ぐ者もいる。戦利品である。軍律の厳しい大内家でも、こうした行為を咎める事はないし、末端の領地を持たない兵卒は、これこそが収入源である。禁止すれば、兵が集まらなくなるし戦場に屍や武器をいつまでも打ち捨てるわけにもいかないので、むしろ助かるという側面もあった。

 そうした戦場を渡り歩く商人の中には、人身売買を生業とする商人もいる。家を焼け出されて帰る場所を失った農民や、敗残兵を捕らえて売り飛ばすのである。戦国時代は各地で戦が行われている事もあって、どこも人手不足だ。大きな戦があれば、それだけ多くの商品が手に入る可能性が高まる。

 そうした理由で、戦場の周辺で手頃な商品を探し回っていたある人買いが見つけたのは、槍が折れ、剣を失い、鎧兜も泥に塗れて気を失っていた姫武将であった。

 恐らくは龍造寺家の姫武将であろう。まかり間違って大内方の姫武将を捕らえてしまえば、後でどのような罰を受けるか分かったものではないので、人買いは姫武将の持ち物から龍造寺家のそれなりの身分の将である事を確認した上で下郎を使って荷駄に乗せた。

 身分ある姫武将というのは、商品の中では特上である。男女で比較すれば、女の方が高価なのは言うまでもないが、その上で姫武将という身分があれば極めて高価な値がつく。が、しかし扱いに注意しなければならない存在である事も事実だ。本人が異常なまでに強く、人買いが打ち殺された例は枚挙に暇がなく、また姫武将の首に多額の賞金がかけられている場合もある。その反対に、姫武将が所属していた大名が、金銀と引き換えに引き取ろうとする場合もあるので、どこに売り飛ばすのかという点でも頭を悩ませた。

 何にしても生かしておくべきではあるが、龍造寺家に連れて行くのか大内家に連れて行くのかで扱いは変わるだろうし、彼女の身分がそれほど高くないのならば、そこそこの身分の武将に金銀と引き換えに引き渡してしまうのも有りだろう。下手な扱いをしてあらぬところから恨みを買うべきでもない。

 首を取るのか、身体を取るのか、それは大内方の買主に任せるとして、人買いは懇意にしている武将のところまで龍造寺の姫武将を連れていく事にした。

 

 

 

 信常エリが目を覚ました時、そこは暗く寒い土の上だった。身動きを取ろうとしたが、後ろ手に縛られていて動けない。どうやら、敵に捕縛されてしまったらしいという事はすぐに分かった。

 戦が終わってどれくらい経ったのかまったく分からない。

「お、なんだ目が覚めたのか」

 ぼう、と辺りが赤くなった。

 火を持った男がやって来たのだ。そのおかげで、ここが放棄されたあばら屋の中だという事が分かった。

「あんた、誰だ?」

「口の利き方に気をつけるんだな。今日からあんたの主人になるんだからな」

「は? 何言ってんだ。いいからこの縄を解き、ぐ……!」

 男はエリの口を手の平で塞いだ。

「あんまり騒ぐんじゃないよ。俺はあんたを匿ってやってんだぜ、信常殿」

「……んぐ、ぐ」

「まさか、あんたが人買いに連れられてくるとは思わなかったがよ、いい買い物だったぜ。あの人買いはあんたがそこまで身分の高い女だとは思ってなかったみたいだが、戦場であんたを見てた俺はすぐにピンと来たんだわな」

「……ならばすぐに討てばいいだろう。手柄首だぞ」

「だろうなぁ。今からでもあんたを連れて上に出向けば、加増も間違いないんだろうが、かといって上玉をむざむざ殺しちまうのももったいない。まあ、あんたら龍造寺に滅ぼされた連中だって、同じ目に会ってきたんだろうし、因果応報だと思っておけよ」

 男の発言は大いにエリを怒らせるものではあったが、一方で事実でもあった。戦国の常で、勝者が敗者を辱めるというのは珍しい事ではなかったし、高貴な身分の者が下女下郎に貶められて使役されるのも下克上が罷り通るこの時代では当たり前の事であった。

 かつて姫武将であった者、貴族の血を引くという美しい姫、そうした者達が身分卑しい立場になったのをエリも目の当たりにしているし、男の言うとおり龍造寺軍に蹂躙された土地の娘が売り買いされる事もあったわけで、その順番がエリに回ってきたに過ぎない。

「龍造寺が終わっちまったんだ。龍造寺の四天王なんぞ、金にはなるがそれ以上の価値はないし、この戦で俺も大分稼がせてもらったからな。特上の上玉を金に換えるようなもったいない使い方はしないのさ」

「龍造寺が、終わっただと……馬鹿を言うな、ふざけた事を」

「ん? ああ、あんた戦が終わる前に気絶しちまったのか? そうかい、そりゃ残念だったな。あんたの大将、龍造寺隆信は道雪様が討ち取ったぞ。龍造寺軍は崩壊、這々の体で肥前まで逃げ帰ったって話だ」

「嘘だ。嘘だ、そんな……隆信様が、討たれたなんて……」

「これから首実検だってよ。まあ、あんたには関係ないんだけどな」

 男はエリの髪を掴む。

「離せ……!」

「騒ぐなっていっただろ。声を聞いて来たヤツがいても、ソイツは俺の味方だ。末代までの恥を曝していいっていうのなら、声を出しても構わんけどな」

 エリは憎悪を交えた表情で唇を噛み締める。

 これから行われる事は戦場に出ていれば覚悟すべき事ではあったが、だからといって受け入れる事ができるはずもない。彼女にも龍造寺四天王としての矜持がある。

 このような結末を断じて受け入れる事などできるはずもなかった。

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 晴持にとって、最も嫌な仕事の一つが首実検であった。今回は乱戦になり、敵が大敗北したために高い身分の首も多く、晴持の仕事が増えたのであった。

 度重なる戦で大分慣れたとはいえ、人の生首を見るのは耐え難い。戦の最中であれば、興奮しているし、晴持も死にたくはないのでそれほど気にならないが、すべて終わって平静を取り戻した後で改めて首を見るというのは、精神衛生上良くない。

 しかし、首実検は平等な論功行賞に欠かせないものであり、戦の終わりを告げる大切な儀式でもある。

 このために命を賭けて敵と戦っているのだから、総大将が浮き足立っていてはいい笑いものとなってしまうだろう。

 これは正式な戦で敵を討ち取ったのだと証明する場であり、敵将に敬意を示す場でもある。大内家の者として、疎かにするわけにはいかない。

 首実検に持ち込まれる首は、基本的に騎馬武者以上の手柄首。黒木郷の合戦の時の首だけで数十個だ。百武賢兼の首や円城寺信胤の首等他国に轟く者達の首が並び、そして龍造寺当主、龍造寺隆信の首は大きなどよめきと共に迎えられた。

 晴持は首実検の後で懇ろに弔うのはもちろんの事、隆信の首を肥前国に帰すために首桶に入れさせて、まずは近くの寺まで運ばせた。

 首実検が終わって、晴持は深くため息をついた。

 十人ばかりの傍仕えの者と共に天幕から出て、星を見上げた。

 煌々と焚かれる篝火の灯りが夜空を照らす。夜闇でよく見えないが黒木郷には、数え切れない死体が転がっている。

 敵と味方、合わせてどれくらいになったのだろうか。隆房の追撃によって、筑紫平野に死体の道が築かれた事もある。龍造寺家が動員した兵力の内、どれくらいを削り取れたのか気になるところである。

「若様!」 

 やってきたのは隆豊であった。鎧を着てはいるが、その身のこなしは平時とさほど変わりはない。見た目とは裏腹に、彼女もまた武士として数多の戦場を渡り歩いてきた猛者なのだ。

「隆豊、何か久しぶりだな」

「はい、お久しぶりです。この度の大勝利、おめでとうございます」

「ああ、ありがとう」

 屈託なく笑う隆豊に癒される思いである。

「若様」

「どうした?」

「いえ、お顔色が優れないご様子でしたので。どこか、お怪我を? それとも、体調が優れないとか?」

「大丈夫だよ。ただ、ちょっとだけ疲れただけだ。まあ、俺の疲れなんて、必死に戦った皆にしてみれば大した事はないのだろうけどな」

 大将は後ろに座っていただけだ。最後の最後に全軍を動かすために多少を前に出たがそれだけだ。人によっては十キロ以上の道を敵を追いまわして走りぬいたりもしている。肉体的な疲労も精神的な疲労も、今日はかなり溜め込んでしまっただろう。

「隆房は?」

「西島城にて、周囲の警戒に当たっております」

「そうか。働き者だ」

 もう夜も遅いというのに。いや、だからこそか。戦いに勝利した後の気が緩んだ隙を狙ってくる敵もいる。今回は敵軍を徹底的に痛めつけたので、反撃の余地は残っていないはずだが、古来の戦を紐解けば、勝利の後に反撃を食らって甚大な被害を受けた例もある。

 今、陣営内は二つに別れている。

 一つは疲れて昏々と眠りに落ちている者。もう一つは戦勝を祝い、興奮して眠りにつけぬ者。晴持はそろそろ前者に続きたいところだったが、今眠ってしまうと生首が夢に出そうで寝るに寝れないのであった。

「御大将であらせられますか」

 静かな声が晴持に届いた。

 その声は聞き覚えのない女のものだった。兜を深く被り跪いた兵が、晴持に声をかけたのである。血塗れの鎧兜はところどころ欠けていて、激戦を潜り抜けてきたのだと分かる。彼女の傍らには、一つの首級が置いてある。

「誰だ? 実検の続きは明日行う事になっているぞ」

「は、しかしそれは困ります」

「何故だ?」

「わたしに明日はありませぬゆえ」

 ぬぅ、と女から何かが伸びてきたような気がした。

 それは、彼女の傍に置いてあった一本の槍だった。その先端が、恐ろしく滑らかに晴持の顔面に吸い込まれる。その僅か前、晴持は咄嗟に顔を背けて一撃を避けた。

「ッ……」

 驚くべき動きだった。跪いた状態から、一瞬にして槍を携えて晴持に飛び掛ってきたのである。彼女が跪いていなければ、もっと速く動いていただろう。

「若様ッ!」

 隆豊が悲鳴を上げる。

 晴持の近衛が刀を抜き放ち、斬りかかった。

「邪魔ッ」

 憤怒の叫びだった。

 女は槍を振り回して近衛の胴を叩き、乱暴な足技で蹴り飛ばす。ほんの僅かな交錯で三人が弾き飛ばされ、晴持にさらに槍を突き出した。晴持は刀を抜いて応戦し、穂先を反らす。耳障りな金属音が響き、晴持と入れ替わるように隆豊が女を斬り付けた。

「んああッ」

 隆豊の斬撃を、女は兜で受けた。兜の装飾に隆豊の刃が引っかかって、兜が飛んだ。露になったのは、金糸の美しい髪と怒りに打ち震える美女の面貌である。

「邪魔だってのッ」

 隆豊が斬り返す前に、女は隆豊の腕を掴み振り回して投げた。小さな悲鳴を上げて地面を転がる隆豊と隆豊を投げた勢いを利用して晴持に槍を突き込む女武将。

 とてつもない槍の名手である。隆房に稽古をつけてもらっていなければ、三合と持たずに討ち取られていただろう。

 彼女はきっと龍造寺家の誰かだろう。顔も知らない相手に狙われる理由に心当たりがありすぎて困る。

「大内晴持、覚悟!」

 必死に晴持が女の槍を防ぐ。五合目を凌いだ時、彼女の顔に苦悶の色が浮かんだ。隆豊が後ろから女を刺したのである。

「ご、ぐ……!」

「ッ」

 口から血を漏らす女の首を、晴持は一刀の下に斬り落とした。鮮血が吹き上がり、生暖かい血が雨のように降り注いで晴持の身体を濡らす。

「若様……若様、お怪我はッ!」

「大丈夫、掠り傷があるくらいだ。はあ……死ぬかと思った」

 ほっとした。

 人の命を奪って、自分が生きている事に安堵する。そんな自分がいる事に、内心で驚くと同時に納得する。

 騒ぎを聞きつけて人が集まってきた。

「あ、この者は……龍造寺四天王の信常エリでございます。間違いございません」

 ある者が首を見ていった。

 戦場で彼女と見えた事があるという。

 戦が終わった後で、じっと身を潜めて機会を窺っていたのだろう。どこに潜んでいたのかは分からないが、他人の鎧兜と首を調達し、首実検に託けて晴持に近付いたのだ。

「素晴らしい剛の者だった。懇ろに弔ってやりたい」

 晴持は命じてエリの遺体を無碍に扱わないようにさせ、隆信の首と同じく寺に運ばせるようにした。

 命を狙った敵とはいえ、こうなっては仏である。恨みや憎しみを感じるほどの付き合いもない。晴持にとってエリはほんの一瞬、雷のように現れて消えた脅威の一つでしかなかった。だが、それでも胸に刻まれる事はある。敵にも家族がいて、家臣がいる。戦というのは、どこまで言っても大内家と大内家に味方をする者達が繁栄するために、他者を貶める行為に他ならないのだ。

 初めから分かっていた事だったし、これから先も続いていく事でもあった。晴持の仕事は、味方を一人でも多くこのような目に合わせない事である。そう、実感した。

 

 

 

 

 

 

 轟々と燃え盛る高森城は肥後国の東に位置する城である。

 現在、島津家の肥後攻略戦に於ける主戦場は駒返城だが、そこからそう距離は離れていない。どちらも阿蘇山の南東部に位置している

 この城は、城主である高森惟直によって固く守られていたのだが、義弘が率いる駒返城攻略部隊の後方を突くために兵を繰り出したところを、密かに忍び寄っていた歳久の手勢一五〇〇に攻め寄せられて陥落した。

 義弘の部隊が駒返城からの反撃により、大いに乱れて壊乱したという誤情報を掴まされ、まんまと外に引きずり出されたのが運の尽きであった。

 高森軍は最後の最後まで頑強に抵抗したが、結局、当主諸共力尽きて、城を枕に討ち死にした。

 別に戦略的に大きな意味を持つ城ではなかったので、ここを落としたからといって歳久に然したる感慨があるわけでもない。

「歳久様、火急の報告が」

「何事ですか」

 巨大な松明を眺めながら、歳久が尋ねる。

「昨日、龍造寺軍が大内軍に敗北。龍造寺隆信が討ち死にしたとの由」

「……それは本当ですか?」

「は、ははッ。間違いございません。陶隆房と対峙していた鍋島直茂等も昨夜の内に肥前国まで撤退。筑紫平野には、龍造寺兵の屍が幾重にも折り重なっている模様です」

「そうですか。その話、もっと詳しく聞かせてください」

 聞けば聞くほど耳を疑う話ではあった。

 戦場に誤報は付き物で、総大将が討ち取られた等という話は十中八九嘘である。とはいえ、黒木郷に引き込んだ上で後方から別働隊を突撃させる戦法は、大内家、特に晴持が好んで使うものであり、その威力は極めて大きい。似たような戦術――――釣り野伏せを操る島津家は、晴持の戦い方の恐ろしさを知っている。聴き取った黒木郷の地形に敵の大軍を招き寄せれば、確かに逃げ道を塞いで敵軍を徹底的に叩きのめす事ができる。かなりの賭けではあるが、その賭けに成功したのだとすれば、隆信の討ち死にも強ち間違いとは言い切れない。

「なるほど、大内晴持ですか」

 何となく、気に食わない相手だ。島津家のお家芸を真似て結果を出している辺りが何とも小癪。

 龍造寺家が大内家に負けただけならば島津家には大きな損はない。しかし、隆信まで死んだとなれば、今後の方針も含めて考える余地はある。

 このまま肥後国の攻略を進め、来るべき時に大内家との決戦に及ぶのか。それとも、肥後国の攻略を棚上げして大内家と和議を結び、支柱を失ってぐらつく肥前国に兵を送り込むのか。

 島津家がどこまで戦い続けるのかという根本的な問いにも関わる重大な問題である。大内家と戦うのであれば、島津家は際限なく戦いを突き詰めていく事になるだろう。一方で大内家と和議を結べば、島津家の拡大政策には歯止めがかかる。以後は内政に力を注ぎ、勢力を維持する方向に舵を取る事になるだろう。

 どちらが島津家にとってうま味があるのか。

 その答えを近く出さなければならない。少なくとも、大内家がこちらに矛先を向ける前に。

 

 




なおエリを買った男は後日首をへし折られた姿で発見されたのだとか

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