大内家の野望   作:一ノ一

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その五十

 龍造寺隆信の戦死。

 その衝撃的な報せは、瞬く間に九州中を巡り巡った。圧倒的な力で敵を討ち、従属させてきた肥前の雄は、その存在そのものが龍造寺家を安定させる重しであった。その重しがなくなれば、燻っていた不満の火が燃え上がるのは必然とすら言える。 

 筑後国人は龍造寺家に送った人質と大内家への臣従のどちらかを迫られる事となった。

 筑後国での戦いから五日。晴持は筑後国の仕置きを家臣に任せて府内に戻った。

 大友家の本拠地である府内は、おそらくは九州で最も栄えた貿易都市である。そのため、複数の街道が方々に向かって伸びており、交通の要衝としても重要な位置付けがされるのだ。

 龍造寺家との戦は、大内・大友連合軍にも相応の被害を出したものの快勝というに相応しい結果であった。

 府中での戦勝祝いは大きく華やかに行われ、龍造寺退治の話は多分に誇張されて市井の間に飛び交った。

「此度の戦で筑後を制したはいいが。さて、どうなる事か」

 戦は勝ってからの後始末が大変なのだ。論功行賞は人心掌握の基本であるし、筑後国は石高が高い割りに領土そのものは大きくない。大内方に就いた国人の所領を安堵しつつ、功のある味方に領土を分割するのは、中々に骨のいる作業である。もっとも、大内家の当主はあくまでも義隆である。晴持は義隆に諸々の状況と活躍した者の名を公正に報告する仕事があった。ここで手落ちがあると後々まで引き摺る面倒事が起きる事もあるし、刃傷沙汰を誘発する事もある。皆、手柄のために命を賭けているのだから、当然と言えば当然である。

「おや、そちらにおわすは兄上様ではありませんか」

「人を食ったような口調でなければなあ、と思ったりもするよ」

 やたら丁寧な言葉でありながら、口の端が小さくあがっていたり目元が笑っていたりと小憎たらしい表情を隠そうともしない義理の妹分に晴持は毒気を抜かれた。

 さらに言えば、晴持に与えられた館の中である。大友家の当主がここに自由に出入りしているのは、前からではあるがやはり事前に一言欲しいところである。廊下に出てみたら、何故か金髪のツインテール娘が立っているのだから、顔には出さずとも驚いてしまう。

「晴英殿もお元気そうで何よりです」

「殿はヤメロ殿は。うぅむ、寒気がするじゃあないか」

 心底いやそうに。気持ち悪そうに晴英は顔を歪めた。晴持と彼女は義理の兄と妹。正確には晴持の義理の母の従妹であるが、年齢が近く、大内家と大友家の関係から晴英は晴持を「兄」と呼んでいる。

 彼女が何を思っているのかは、正直晴持も掴めない。出会ってからそう時が経ったわけではなく、晴英の性格が妙に捻れているように思えるからだ。

「で、晴英はどうしてここに?」

「理由がなければ会いに来てはならんのか? わたしは親族だぞ?」

「戦が終わった直後。そっちだって慌しい頃だろう」

「といっても、大まかな仕事はわたしがしなくてもいいからな。人に任せて問題ないところは、とりあえず人に任せている。わたしのためなら馬車馬のようにこき使われたいと申し出る輩は、存外多いのだ」

「大友もそれでいいのかって感じだな。まったく……」

 とはいえ大友ブランドを捨てるに捨てられないのが、大友家の重臣達の本音でもある。前当主を追い落としてまで晴英を担ぎ上げたのだから、今更前言を撤回する事などできはしないし、状況が好転しているのも事実ではある。大内家の下に就いたといっても九州での影響力は最低限保持している。今の大友家は、大内家への窓口として方々の国人から頼られるという新しい在り方を確立しつつあるのだ。それに大友家はもともと貿易国家でもある。大内家と結び付く事は経済を回す上でも大きな意義がある。大内家の後ろ盾を持つ晴英は、今の大友家にはなくてはならない存在だ。晴英の人格や政治手腕を度外視したとしても、ただそこにいるだけで価値がある。

「龍造寺が討たれた事で、我が大友を苛む厄介事の一つが消えたのだ。もとより、龍造寺とうちは犬猿の仲だったからな。喜ぶ者はかなりいる。戦勝の宴も盛大に催されるぞ」

「そうか。じゃあ、楽しみにしている」

「乗り気でないな……大将がそんなんでは士気に関わるぞ?」

「分かってるよ。ただ、厄介事の中でも最大の厄介事が消えていないからなぁ」

 晴持が素直に筑後平定を喜べないのも、まだ戦そのものが終わっていないからである。九州で最強の戦闘能力を持つといっても過言ではない島津家の存在がある限り、晴持は気が抜けない。龍造寺家も脅威には違いなかったが、付け入る隙があっただけ島津家よりはマシな相手だったように思う。

 晴持は晴英を自室に招き、とりあえず白湯を出してやった。晴英も、丁寧なもてなしを希望したわけではないので、舐める程度に白湯を口に含んでからは茶器には手をつけなかった。

「で、そんな兄上に朗報と悲報があるのだが、どっちから聞きたい?」

「朗報」

「島津が各城の攻囲を解いて軍を下げたようだ。隆信が討たれて戦略を見直したのかもしれん」

「へえ、それはいい話だ」

 島津家が兵を退いた真意が分からなければ何とも言えないところではあるが、島津家の北上に備える猶予がいくらか出来たのは嬉しい事だ。

 島津家の中でどのような話し合いが持たれたのかは不明。しかし、こちらとの戦を避けたいという思いがあるのならば、交渉の余地はあるだろう。

「それで、悲報は?」

「撤退する島津に追撃を仕掛けた馬鹿共が挟撃を受けて手ひどくやられた。挙句に城まで乗り込まれて破却された。突貫工事をしても、元の防衛機能を取り戻すのはしばらく先になりそうだな」

「何で尻尾を踏むような事するかな……」

 やられたのは肥後国人らしいが、非難しようにも討ち取られてしまってはどうにもならない。晴持も死者に鞭打つようなまねはしたくないのだ。

 そこに至るまでの経緯は想像できる。

 攻撃側にも防衛側にも龍造寺隆信討ち死にの報は届いたのだろう。島津家はそれを受けて撤退したように見せて、勢い付いた防衛側の国人をつり出して殲滅し城を破壊したのだろう。確かに島津家と繋がっていた龍造寺家の凋落は、島津家が撤退する口実になる。撤退して当たり前だと思わせる事も簡単だったはずだ。彼等はまんまとつり出されて、ボコボコに叩きのめされてしまったわけだ。

「それでも、島津は退いたんだよな?」

「退いたといっても城攻めを止めただけだがな。龍造寺がいなくなれば仕切りなおす必要はあるだろうからな。城を破却したのは、また来るぞという意思表示かもしれんが」

「次に攻め寄せた時の防御力を低下させておく狙いか。まあ、そうだろうなぁ」

 あの島津家がそう簡単に頭を垂れるとは思わない。

 前世の知識によるところも大きく断言はできないが、秀吉の大軍を相手に喧嘩を売った連中である。単純な国力で見れば大内家が圧倒的に上だが、それですべてを諦めるわけでもあるまい。

「島津の動向が気になるな」

「一応、探らせてはいるが、目下調査中としか言えんな」

「軍備の再編は急務だな」

「わたし達は島津の次の侵攻に備える。龍造寺がああなった以上、島津に腰を据えて当たりたいところだが、かといって肥前を放置するのももったいない気がするというのが正直なところだな」

 晴英は悩ましいとばかりにため息をついた。

 晴持の気持ちを代弁するかのような意見であった。何れ軍議で諮る必要がある話題でもあった。龍造寺家の混乱がどの程度なのかはっきりさせなければならないが、しばらく龍造寺家からの侵攻はないだろう。

 柱を失った肥前国に軍を進めるか、それとも懐柔していくか。島津家とどのように対峙するか。悩みどころはまだまだ尽きない。

「島津との決戦は、もう少し先延ばししたいところだな」

 晴持が言うと晴英も頷いた。

「確かにそうだ。戦は立て続けに行うようなものではないからな」

 龍造寺家は先の一戦で手ひどい打撃を受けた。そう易々とは立ち直れない。しかし、島津家は損耗らしい損耗がない。龍造寺家がどうなろうと島津家にとっては大した傷にはならないのだ。

 もちろん、都合は悪いだろう。龍造寺家には、大内家と大友家をもっと痛めつけておいてほしかったはずだ。島津家が軍を下げたのも、本格的に大内家と事を構えるべきか否かを判断するためではないのか。

 あるいは、大内家よりも先に肥前国を攻め取ってしまおうと考えているかもしれない。

「どの道、しばらく軍を発するのは難しい。一区切りついてしまったからな」

 晴持は小さく吐息を漏らした。

 戦を継続するために必要なものの一つに士気がある。これが崩れてしまうと、どんな大軍であっても瞬く間に崩壊する。そして、士気の維持は軍を統制する上で必要不可欠であった。大内軍も大友軍も、龍造寺隆信を討ち取った事で士気が下がった。武士はそうでもないが、末端の農兵にとっては大戦が終わったのだから故郷に帰るのが筋であった。

「軍制改革をしなければならないな。少なくとも、農兵の負担を軽減しなければとても持たない」

「ああ、確かに。農民だと季節に質が左右されるからな」

 晴持の呟きを晴英が拾った。

 農民を徴兵して軍を補強するのは、常套手段である。しかし、農民がいなくなれば田畑を管理する者もいなくなり、税収が落ち込んでしまう。そのため、戦は農閑期に行われる事が多いのが戦国時代の常であった。

 この問題を解消するためには、常に領主が戦をできるだけの兵力を保持するしかない。農民ではなく完全な武士を主体とした部隊構成を整える必要があり、大胆な改革を断行しなければならない。

 といっても改革というのは難しいものだ。それが秩序だった組織はそれが顕著になる。新しい風というのは、時に毒ともなるからである。

 光秀のような新参者を側近に取り立てる事自体も、晴持でなければ考えもしなかっただろう。そういった点は大内家も大友家も似たようなもので、良い部分もあるが拡大政策を取ろうとすると足枷になる面もあった。

 が、しかし、晴持と同じように晴英もまた大友の気風から離れて暮らした少女である。彼女自身が新しい風となって、虫食いだらけの大友家に吹き込んだ。それが毒となるか薬となるかは分からないが、それでも何かしらの変化が期待できるものではあった。晴持と晴英は、家風に染まっていないという点で似た者同士なのであった。

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 龍造寺隆信の討ち死にの報を受けて島津義久が命じたのは、退却。ただし、あくまでも一時的なものであり、勢いに乗った大内家や大友家が攻めかかってくるのを警戒してのものであった。

 決して、肥後国の攻略を諦めたわけではない。肥前国がこれからどのように変わるのか、大内家や大友家の動向はどうなるのか。激変した九州国人の力関係を把握し対応する時間が必要だったからこその撤退であった。

 とりあえず島津家が借りの宿としたのは駒返城であった。かつては阿蘇家の家臣の城であり、義弘の活躍で先日落としたばかりの城であった。このまま北上を続け、南郷、吉田、下田、長野と城を抜いて阿蘇家に止めを刺したいところであったが、長曾我部元親の援軍を受けた阿蘇家の立ち回りによって、うまく時間を稼がれた形となっていた。

 肥後国の三分の二ほどまで北上してきたが、思わぬところで石に躓いた。

 いい勢いだったのだが残念だ、というのが島津家の次女、島津義弘の率直な感想であった。

 艶やかな黒髪の快活な少女は、身だしなみに気を遣えば相当な美人になるのだろう。特に気を遣わずともかなりの美少女であるのは誰の目から見ても明らかだが、何しろ戦場での猛烈な働きから鬼義弘などと呼ばれるような少女である。色恋よりも武芸を尊ぶ在り方は、男が異性と認識する機会を致命的なまでに奪っていた。

 軍を発してから今まで、ずっと最前線で戦い続けていた義弘が姉妹の前にやって来たのは実に久しぶりの事であった。まさにこれから軍議が開かれようというところであり、義弘は他の将に若干遅れて軍議の間にやってきたのであった。

「弘ねえ、遅いよー」

「ごめんごめん。もう始まってた?」

 四女家久に謝りながら、義弘は自分の席に座った。

 義弘はすばやく軍議の間全体に視線を走らせた。この場にいる将の顔を即座に把握し、肥後国に攻め入った将の中でも特に島津家の中心を支えている者達が集っている事を確認した。

 総大将にして当主の島津義久、参謀とも言うべき立ち回りをする三女歳久。文武に秀でた四女家久。それに加えて武勇の誉れ高い次女義弘と、島津家を代表する四姉妹が他国の中で勢ぞろいするというのは珍しい。さらに、新納忠元、北郷時久、伊集院忠棟、川上忠智、鎌田政近等々今後の島津家を支える面々が顔を揃えている。

 当面、睨み合いが続きそうなこの状況で、だからこそ彼等のような戦場で共に戦う者達と情報を共有し、今後の方針を定めておくべきなのだ。

「はいはーい。じゃあ、だいたい集まったみたいだし始めましょうか」

 緊張感のない声で義久が言った。

 およそ戦とは縁がなさそうな、美しい顔立ちの女である。立ち居振る舞いは貴族の姫のようであって、無骨者が集まる島津家を治める者として、これほど不釣合いな者はいない。

 しかし、誰も彼女が場を制す事に異を唱えない。島津義久には逆らわない。当主の言は絶対であるというのが島津家の掟ではある。そして、義久は無能ではない。当主として何をなすべきかをしっかりと理解している。彼女は島津四姉妹の長女である。見た目だけの姫武将ではないのだ。

 この軍議も義久が発起人であった。

「みんなも知ってる通り、龍造寺隆信さんが討ち取られてしまいました。龍造寺軍は壊乱し、肥前の居城まで逃げ戻っています。今後、大内家と大友家に島津家がどう振る舞うのか。それを話し合いたいと思います」

 笑みを消し、義久は真剣な面持ちで言った。

 義久が話した後で、すぐに発言する者はいなかった。無理もない。すぐに、どうこうと言える状況ではない。肥後国の統一を目前にしているとはいえ、その先を考えると迂闊な発言はできないのだ。

 そんな中で最初に口を開いたのは歳久だった。

「まず、この軍議の最終的な着地点は、大内家と事を構えるか構えないかという二択です。そのために、諸々の条件を精査しなければなりません」

 事を構える。つまり、大内家と戦うという事。事を構えない。つまり、大内家と和平交渉を行う、あるいは臣従するという事。どちらに島津家の未来を託すのか。それが、この軍議で出すべき答えである。

「戦わずして降服など、できるものではありませんな」

 重苦しい声で呟いたのは、時久であった。常在戦場を心がける、荒々しい武者である。口髭の下で不愉快そうに口を曲げている。

「大内家は強大。我等との国力差は明白です。正面からぶつかるのは避けるべきだと思います」

 対して、慎重論を唱えたのは忠棟であった。

「臆病風に吹かれたか、伊集院殿」

「戦わぬと申したわけではありません。ただ、正面から戦うのは愚策であると申したまでです」

 挑発的な時久の言葉にも忠棟は対して心を動かされなかったらしい。「敵の数が多くとも一人で十人倒せばいい」と叫ぶのが島津家の将兵であるが、忠棟は血気に逸りやすい島津兵の中では比較的冷静な人間性の持ち主であると言えよう。

「戦うんなら勝機はあるのかって話になるし、戦わないのならどうやって戦を回避するかって事にもなるよね。わたしは戦って負けるとは思わないけど、かといって無事で済むとも思えないしなぁ」

 家久の無邪気さを感じる声が、場を和ませる。緊迫した雰囲気も、家久の存在がやわらげてくれるのだ。

 相手が大内家であろうとも、戦える自負が島津家全体には漂っている。大友家という九州の雄を圧倒した実績を見るまでもなく、彼女達もその家臣もすべてが強い。生産能力の低い土地で生まれ育ち、同族同士での骨肉の争いを制してここまでのし上がってきたのが今の島津家である。厳しい環境で切磋琢磨してきた島津兵は頂点から末端に至るまでが血で血を洗う戦いを経験しているのだ。

 そのため、相手がどれだけ強大でも負けると思って戦をした事はないし、するつもりもない。

「戦を回避するのであれば、こちらから大内家に出向く必要がありましょう。そうなっては臣従に等しい……」

「ここまで来て臣従などできるものか。大内侍が何するものぞ」

「しかし、現実的に大内家の兵力を考えれば、仮に一戦に勝利したとして先が続きませぬ」

 各々が声を荒げて言葉を尽くす。それぞれの意見があるのを十分に見て取った義久は、あからさまに大きく頷いて見せた。

「うん、じゃあ、みんなの今の意見はあらかた聞いたので、具体的な話に進みたいと思います。歳ちゃん、改めて状況の確認お願いできる?」

「……分かりました」

 歳久は小さく頷いて、

「大内・大友連合と龍造寺軍の激突までは、わたし達の予定通りでした。竜虎が相争っている間に、肥後を攻め取るというのがこれまでの方針でしたので、此度の結果で方針を見直す必要が出てきたというのは、皆様ご理解いただいているかと思います」

 何を今更、とは誰も言わない。

 分かってはいるが、こうして改めて口に出されると忸怩たる思いがある。予定通りに事が運ばないなど日常茶飯事ではある。肥後国の三分の二を攻略した事実もある。しかし、大内家が内外に賞賛される結果を出しているのに、こちらは肥後国を切り取るまでに至らなかった。競争に出遅れたという感覚は島津家の将兵が共有するところであった。

「今分かっている情報から、龍造寺家は万に届く死傷者を出しています。当主だけでなく、四天王にも欠員が出たとあっては、混乱は不可避。もともと、力で肥前を押さえていたわけですから、鍋島殿の立ち回り次第ではありますが肥前の分裂は避けられないでしょう。龍造寺家は当面、わたし達の脅威にはなりませんし、今なら肥前に攻め込む事も可能でしょう」

「ふむ、確かに肥前の熊亡き今、かの国を纏める者は鍋島殿くらいのもの。しかし、鍋島殿とて、国を纏めきる事ができるかどうか」

 事の成り行き次第では、龍造寺家の後釜を狙った反乱が生じる可能性は高い。鍋島直茂という稀有な政治力を持った武将がいるのが不幸中の幸いではあるが、かといって彼女一人の力で乗り越えられる難局とも思えない。何よりも後継者の選定からもめるに違いない。肥前国が分裂すればそれでよし。纏ったとしても、島津家の脅威となる国力まで回復する事はまずないだろう。

「今ならば肥前を攻め落とす事も難しくはない……場合によっては戦わずして領土を拡大する事も可能という事ですか」

「しかし、そのためには大内家と和平を模索しなければなりません。肥前に攻め込んでいる最中に大内家に背後を狙われては堪りません。つまり、肥前に攻め込み、龍造寺家を滅ぼすという事は、大内家と手を結ばなければならないという事です」

 和平と肥前侵攻。どちらを先に選んでも行き着くところは同じである。大内家は北九州を押さえた。そんな大内家と結べば、島津家の領土拡大策は肥前国方面に手を伸ばすしかなくなる。そして、それも肥前国を落としきってしまえば終わりである。

「大内家と同盟ないし不戦の約を結べば、島津家の成長限界が見えちゃうわけだ」

 義弘が腕を組んで言った。

「短期的に見れば、大内家との同盟は利があります。兵力をわたし達は温存していますし、このまま肥前を叩く事ができるのですから。ですが、長期的に見るとわたし達が侵攻できる土地は肥前しか残っていないわけですから、そこ止まりです。一方の大内家は九州を相手にする必要がないので、東に軍を差し向けて京を伺うでしょう」

「国力差が開いていくわけだ」

「その通りです」

 歳久は頷いた。

 九州で止まらざるを得ない島津家と京を越え、さらに東まで進める大内家では今後の可能性が大きく異なっている。島津家が足を止めている間に、大内家はどんどんと拡大していくだろう。

「しかし、同盟も和平も永遠不変ではありませぬぞ」

 時久が唸るような声で言った。

「時久殿のお言葉の通り。うむ、確かに。和平で我等が拾えるのは多くても肥前一つ。……九国を越えて勢力を広げようとするのならば、大内とぶつかるのが必然とはいえ……」

 難しい判断を迫られた政近は、ため息をついた。武勇でも智謀でもどうにもならない地域格差にやるせない思いだ。

 どこかで、大内家に対する手立てを考えなければならない場面がくるのは初めから分かりきっていた事ではあった。

「和平交渉をするにしても、何しないで話を持って行っても足元を見られるだけだよね。基本的な国力は向こうが上なんだし」

 若年の家久であっても、単純な国力比が大内家に傾いているのは理解している。地図を広げてみれば、大内家の版図の広大さが分かるというもの。対して、島津家が支配しているのは南九州と肥後国を半分ほどである。局地戦では勝てるが、その後に続くかどうかは不透明、というのが家久の見立てであった。

 自然と皆の言葉が止まったところを狙い定めて歳久が口を開いた。

「和平を取った時の利点は、肥前国を攻め取りやすくなるという事でしょう。大内家は恐らく、九州にはさほど興味がないはずです。あちらの目は常に東を向いています。今回戦場に出た理由も、後背を突かれる可能性を排除するためだと思われます。ですので、わたし達が大内に味方をすれば、後は屋台骨が揺らいだ龍造寺家だけしか九州には敵が残らないので、大内家はいよいよ東征に入れるわけです。わたし達が肥前に兵を進める事は、容易でしょうし大内家は容認するしかないかと思います」

 肥前一国ならば、わざわざ大内家が本隊を動かす必要はない。大友家や筑後国人らに任せても十分に戦えるし、島津家が天草あたりから北上すれば瞬く間に平らげる事ができるだろう。東に進みたい大内家は、早急に九州のゴタゴタを治めてしまいたいはずであり、島津家に不利益がないように交渉を進めるのも不可能ではないだろう。

「交渉するのならば、大内義隆殿がいいでしょう。最終的な命令権は、結局のところ当主が持っているのです。おそらく、晴持よりは義隆殿の方が京への思いも強いはずです」

 歳久は集めた情報から義隆ならば、晴持よりも島津家が優位に立った交渉ができると踏んだ。なぜならば義隆は晴持と異なり、島津家を地方の一領主としてしか認識していない。地方の地方でいくら島津家が暴れたところで、彼女はさほど気にはしないと考えたのだ。義隆が政治能力に劣っているわけではなく、優先順位の付け方の問題だ。

「ですが、危険もあります。北郷殿がおっしゃるように和平は永劫には続きません。どこかで破綻する可能性があり、島津家の成長は肥前一国で頭打ち、対して大内家は順当に行けばさらに勢力を拡大するでしょう。そうなれば、もはやわたし達に太刀打ちはできません」

「んー、まあ確かに幕府に攻められた六角さんみたいな例もあるわよねー。わたし達、大内さんと和平交渉するには、ちょっと大きくなりすぎたのかしら」

 義久が困ったように頬に手を当てた。

 歳久は頷いた。まさしく、そこが大きな問題だったからだ。

「仮に和平を結んだとしても、わたし達には大内家の背後を脅かせる兵力がありますし、わたし達を脅かす勢力もありません。島津は地理的に、大内以外の攻撃対象がなくなってしまいます。東に兵力を集中したい大内家にとって、これは困った状況です」

「わたし達、目の上の瘤になるわけね」

 義弘が苦笑するのも無理もない。島津家に戦意がなくても、大内家は常に島津家の動向に気を配らなければならないのだ。これが三国同盟のように島津家を牽制する勢力が別にあればいいのだが、周りは海と大内だらけだ。さらには無害だと無視するには島津家の兵力は大きくなりすぎてしまった。必ずどこかで和平は破綻し、島津家が一方的に領土を削減される未来がある。

「となると、やはり戦しかありませんが……」

 忠元は緊張感のある声で言った。

「さて、勝算となると如何なものか。局地戦では負ける事はないでしょうが……」

 大内家は戦場を取り巻く環境を支配できるだけの経済力を持っている。兵力も馬鹿にならない。一兵の強さは島津家が勝っても、数と経済の暴力は戦う前から勝敗を別ってしまう。

「何も大内家の単純国力で比較しなくてもいいかと思います。確かに、大内家は領土も経済力も島津を上回っています。兵力でもそうでしょう。しかし、それは平時の話です。今は戦時。大内家は龍造寺家という大敵を討ち取った直後なのですから、相応に疲弊しています」

「でも、歳ねえ。龍造寺さんを倒した勢いで乗りに乗っちゃうって事もあるんじゃない?」

「その可能性もありますが、島津との戦は彼等にとっては他人事です。上の人間は別として、下の一兵卒にとっては、もう戦は終わったものという認識であってもおかしくありません。一度下がった士気を上げるのは、骨が折れる作業です」

「うーん、それもそうかもしれないけど、大内さんって龍造寺さんとまともに戦わなかったから、兵力消耗してないんだよね」

「そうですね。龍造寺隆信率いる本隊と戦ったのは、総大将大内晴持が率いる大友軍と筑後国人衆の混成部隊。大内勢は比率としては少ないはずです」

 これは、かなり大きな戦略を孕んでいる部隊構成だ。大内軍は鍋島軍の足止めを行っていたが、戦局は膠着状態が続いたために死傷者が少なかった。対して、大友軍と筑後国人衆は龍造寺家の本隊と激しく戦ったためにかなり消耗した。大内家にとっては龍造寺家も大友家も筑後国人衆も同時に消耗させた上で自軍を温存できたのだから一人勝ちの状態である。

「わたし達が狙うのは、あくまでも大友。大内に引っ込んでいてもらうのがいいでしょう」

 歳久は静かに宣言した。

 戦う、というのであれば九州制覇が大前提である。敗れれば滅亡するかもしれないという大きな危険を孕んだ賭けではあるが、戦わなければ真綿で首を絞められるようにしてじわじわと衰退していくしかない。

 ならば、薩摩武士の本懐を遂げるに越した事はない。

「歳ちゃん、もしかして話進んでた?」

「何とか。久ねえには報告していましたが、あまり口外するべきではないと思い黙っていました」

 ざわ、と場の雰囲気がにわかに変わった。歳久の言葉が真実であれば、確かに島津家に光明が見出せる。

「上手くいけば、先鋒に隆信敗死の報せが届いている頃でしょう。わたしは戦うにしろ、和平をするにしろ、向こうの出方を見てから動いても遅くはないと思っています。――――ああ、個人的な意見ではありますが、戦わずして頭を垂れるのは正直嫌です」

 

 

 

 

 

 龍造寺隆信の死後、一ヶ月。島津家に大きな動きはなく、大内家は島津家の北上を警戒しながらも比較的穏やかな生活を続けていた。

 そんな弛緩しかけた空気を激変させる報せは、東からもたらされた。

 尼子軍一二〇〇〇が不戦の約定を一方的に違え、石見国に侵攻を開始したのだ。


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