大内家の野望 作:一ノ一
戦というのは、何も戦場で殺し合いをする事だけではない。その前段階の軍略を練るところからすでに戦は始まっていると言っても過言ではなく、むしろこの点こそが戦の勝敗を別つ最も重要な部分であると島津家の三女、島津歳久は考えていた。
戦場で武勲を立てるというのが、武士の誉れである以上、従来その前段階にはさほど注目はされてこなかった。もともと、戦場で個人が活躍する事が求められ、またそれが可能だった時代が長かった。国では戦術を軽視する向きすらあって、戦を遂行するための「軍」としての動きが研究されるようになったのは比較的最近の事なのである。
古の戦は、日時と場所を相手と打ち合わせて、大将同士の簡単に一騎打ちや矢合戦から会戦した。戦の中にも暗黙の了解があって、武士はその中で命のやり取りをしたのだ。言ってみればそれは殺し合いではあったが名誉を賭した試合でもあったのだ。
だが、合理性よりも名誉が重んじられた古き良き時代の戦は、今は通じない。政治体制も、戦に傘下する兵卒の意識も、武器も何もかもが変わってしまった。
如何にして効率よく敵を打ち倒すのか。武士の集団を一個の軍として的確に運用する戦略と戦術が求められる時代へ突入したのである。
そうなると、歳久のような頭で戦に当たる武士も日の目を浴びるようになる。大陸では軍師、この国では軍配者などと呼ばれる立場にある者の重要性は日増しに高まっている。
戦は高度に政治的な問題を孕む行いだ。敵を討ち、領土を広げ、また新たな敵を討つ。時には手を取り合い、互いの背中を守りあう事もある。
島津家にとっての不幸中の幸いは、背面を脅かす勢力が存在しない事であろうか。九国の最南端に位置する島津家の敵は常に同じ方向からしかやってこないし、進路もまた限定されている。中央から遠いというのは、政治的には不利だが、歳久を初めとした姉妹は天下への野望等というものはない。
彼女達の目的は第一に「三州統一」即ち、薩摩国、大隅国、日向国という源頼朝より任された土地を奪い返す事にあり、次に九国制覇を果たし西国の大勢力としての地盤を固める事になった。
とにかく御家の存続と領土の保全を確かなものとするためには、島津家は他家に付け込まれる余地のない実力を内外に示す必要がある。
長年の親族内での対立により疲弊した島津家がここまで大きく勇躍する事ができたのは奇跡にも等しいが、今のまま安穏としていても安泰とは言い難い。
世の情勢は流動的だ。
室町幕府の権威も失墜し、今や諸国が好き勝手に領土を貪りあっている状況である。弱い勢力はすぐさま強い勢力に取り込まれてしまう。
島津家にとって当面の敵は大内家。
九国北部に長年、根を張っていた大大名だが、この数年で急激に力を増して勢力を拡大する戦国の雄である。
九国の大勢力であった大友家を取り込み、肥前国からのし上がってきた龍造寺家を叩きのめした事で、大内家の力はすでに九国北部から南へ浸透してきている。内部工作も進めているようで、国境付近の豪族達は大内家に利があると見て鞍替えを始めている。
歳久は自室で黙然と爪を噛む。
島津家と大内家とでは国力が大きく異なっている。大内家が全力を傾ければ、島津家の全兵力を揃えても数の暴力に押される展開となる事は目に見えている。
それでも大内家が島津家に本気にならないのは、大内義隆の目的はあくまでも東にあるからだ。降りかかる火の粉は払っても、本腰を入れて島津家を潰す意図はあまり感じられない。
しかし、その一方で義隆の義理の子である大内晴持は島津家を当初から危険視していたらしく、対島津家のための水面下の工作活動に余念がない。情報収集の結果からしても、彼は東よりも西、とりわけ島津家をどういうわけか初めから注視していた事が分かっている。
「気持ちの悪いヤツ」
情報を集めれば集めるだけ、歳久は晴持が気に食わなくなる。
農耕技術の発展、養蚕業の勧奨、戦場での差配。新しい事を貪欲に進め、それが的を射るというのは、別に問題ではない。あの男は名門の生まれであり、大内家に幼少のうちから引き取られているのだ。国外からの渡来の技術に触れる機会もあるだろうし、島津家のような辺境の国人にとっては未知の知識であっても習得できただろう。それを的確に運用する能力については、評価せざるを得ないが、その力を最大限に発揮できたのは結局のところ大内家という後ろ盾があったからこそである。
歳久にとっても島津家にとっても、晴持の活躍そのものは脅威ではない。
彼女が脅威を感じるのは、奇妙な先見性であった。
そもそも晴持は何故、島津家を脅威であると判断したのか。
彼と大内家の動きを見れば、非常に素早く大友家と島津家の間に割って入っている。これは、初めから大友家が島津家に敗れると予期していなければできない動きだ。その後の大友家の当主交代についても、島津家の勝利と大友家の没落を念頭に置いて準備を進めていた事が窺える。
あの時点で、島津家が大友家に勝てる要素は――――対外的にではあるが――――存在しなかったはずだ。誰もが、大友家の勝利を信じて疑わなかったし、島津家中にあっても死力を尽くした決戦を挑んだのが耳川での戦いであった。
「いったい、何時から……」
晴持は、何時から島津家を危険視していたのだろうか。
耳川以前の島津家は確かに勢いのある家ではあった。伊東家を倒し、その余勢を駆って北上する見込みもあった。
歳久にとっての想定外は、まさしく大内家の介入であり、それまで島津家が大内家に目を付けられている事すら意識していなかったのである。いつかぶつかる可能性は頭に入れていても、まさかあの時点で介入するなど予想外にもほどがある。
それとも、単なる偶然か。考えすぎなのか。大友家を取り込むために九国の戦に介入した事が、偶然島津家を敵視する結果に繋がったのか。
考えても詮のない事ではあるが、晴持が九国で本格的な戦いを始める前から島津家を敵視ないし危険視していたのであれば、これまでの晴持の戦い方からして入念な対島津戦の準備が進められているのは間違いない。
あの男の戦い方は、勝てる状況を作り出してから戦いを始める新しい戦の形である。晴持の土俵に上がった時点で、ほぼ勝敗が決してしまうのだから、大内家との戦いは戦略的な視点が求められる。
「天地人」を味方につけた状態での開戦が望ましい。
しかし、現実にはそのような都合のいい展開は存在しないし、そのような状況を作り出す事も困難を極める。
強いて言えば、今がその時ではあった。
連戦に次ぐ連戦で晴持率いる九国遠征軍は疲弊している。東からは尼子家が攻め寄せ大内家の本国を狙い、島津家からしても大内家以外に敵がいない状況が生まれている。島津家は全力を対大内家につぎ込めるが、大内家は東西から敵に挟まれた状況なのでそれは難しい。
そして、当主を討ち取られて反大内の声が高まる龍造寺家の残党勢力を糾合し、肥前国から火の手を上げる。
とにかく、敵が島津家だけに集中できない状況を生み出せるのは今しかない。
本来であれば、龍造寺家と大内家の戦いはもっと長引くはずであったし、龍造寺隆信が討ち死にするはずもなかったのだが、こればかりは運がなかったとしか言えない。
「歳久様」
と、部屋の外から声をかける者がいた。
「何でしょうか」
「至急、ご報告が」
この忙しい時に、と思ってしまったが、それは皆分かっている事だ。となれば、わざわざ歳久に報告を上げてきたという事は、それなりの大事であるという事でもあった。
部屋に家臣を上げて、その報告を聞くや、歳久は眉根を寄せた。
「それは本当ですか? 何かの間違いではなく?」
「はい。間違いない事です」
「まさか、こんな馬鹿馬鹿しい手を打ってくるんですか……」
「歳久様?」
「いえ。十中八九、大内の手の者による仕業でしょう。大友かもしれませんが、どちらも同じですね。それにしても、米価を吊り上げてくるとは……」
金で勝利を買うかのような方法だが、米が高くなるほど商家は潤う。もともと島津領は米の不作が続き、米価がただでさえ高く、兵糧米を備蓄するのも大変だというのに。
「外貨を稼げても、食べる物がなくなるのは問題です」
「はい。しかし、一部の村では備蓄米を手放してまで金に換える者も出ているようです」
「でしょうね。異様に米価が上がっているのは国境付近ですから、その地域の者にしてみれば高く米を売って安い地域から米を買えばいいとなります。問題は、大量の米が島津領から運び出されていくことにあるわけですが、彼等にそこまでの問題意識はないでしょう」
国境付近の村というのは、そもそも島津家に対する忠義等期待できない。大内家と島津家の間で揺れ動いている者達だ。
「しかし、放置もできないのでは? このままでは米価が跳ね上がり、領民の生活にも支障を来たします」
「そうですね。まさか、このような経済で攻撃を仕掛けてくるとは思っていませんでした」
本当に何を仕出かすか分からない男だ。
米の買占め等、常識はずれにも程がある。しかし、同時に兵糧米に不安のある島津家に対してはこの上ない嫌がらせとなる。
単純に銭が増えるというだけの話ではない。
どれだけ高価な財宝も、ただ貯蓄するだけでは意味がない。金は使うからこそ意味があり、経済はそうやって回っていくのだ。今の島津家は西への通商路を封じられた立場にあるため、そもそも経済が回らない――――わけではない。
歳久は小さく笑みを漏らした。こればかりは、晴持も読みきれなかったと見える。
「いかがなさいましたか?」
四姉妹の中では珍しく表情の変化がない歳久が零した笑みに、不吉さすら覚えてしまう家臣はおずおずと尋ねた。
「何でもありません」
と、歳久は言う。
「米価の高騰は防がなければなりませんので、元凶となっている商人を摘発してください。おそらく、大内側の商人と結託している者がいるはずです。ですが、命は取らないように」
「では、どのように?」
「正しい商売をしてもらえれば結構。多少、高値で売っても構いませんが市場への影響を抑えるように言い聞かせてください。ただし、高騰が続くようであれば厳罰も辞さないと付け加えるように。商売で発生した問題ですから、商人に解決してもらいましょう」
「はい」
「それと、儲けた分には税をかけます。これは、姉と協議しますが、せっかく大内が金を落としてくれるのですから活用しないといけませんね」
「一時的な課税ですか」
「そうですね。もとより、黒い取引をしている方たちです。見逃してあげる見返りくらいは求めてもいいでしょう」
大内方との取引を即座に禁止はしない。
利潤を島津家に入れるようにして、取引そのものに島津家を直接介入させる事で利益を掠め取る算段であった。
島津本家が潤っても、金の使いどころが制限されては意味がない。大内家としては、米を買い占める事で広範囲に渡る兵糧攻めを狙ったのだろうが、稚拙な策ではあった。放置すれば致命的な毒ともなったが、こればかりは抜け道を用意していた歳久に軍配が上がったと言える。
確かに、島津家は今、京への道を閉ざされている。経済圏の外に放り出されて、商売が上がったりという状況に追い込まれた。四国の外海を渡る技術は未だにないため、どうあっても瀬戸内を通らなければならないのだが、それができないというのは商業面で致命的である。
しかし、南方のはずれであるからこそ築ける通商路も存在しているのだ。
未だ、大内家が手をつけていない通商路――――琉球王国を介した諸外国との繋がりを島津家は整えつつあったのだ。
「琉球とうちが交流を深めたとなれば、大内からの経済攻撃も止むでしょう。それまでは、精々稼がせてもらうとしましょうか」
せっかく永楽銭を持ってきてくれるのだ。有効活用するに限るではないか。
この日、ほんの少しだけ歳久の機嫌は回復した。側近でも分からない程度の、微々たるものではあったが。