大内家の野望   作:一ノ一

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その五十六

 破竹の勢いで勢力を拡大していた龍造寺家が一敗地に塗れることで瞬く間に斜陽を迎えつつある。

 龍造寺家の急速な拡大は希代の姫武将隆信のカリスマ性に依存しており、強引とも思える拡大政策が機能していたのも、隆信に対する恐れと期待が肥前国内の勢力の共通意識となっていたからである。

 その隆信が、戦の中で倒れた。当主を戦で失うという大惨敗を喫したこと自体が領国を不安定化させる要因ではあったが、隆信という頂点に依拠した領国経営をしてきた龍造寺家にとって、隆信の死は極めて甚大な問題をいくつも露呈させるものであった。

 龍造寺家の弱体化と大内家と島津家の拡大は火を見るよりも明らかであり、肥前国がこの二つの大勢力に蚕食される未来はそう遠くない――――国境沿いの国人達の多くはもともと隆信に対して不信を抱いていたこともあって、すでに離反の動きを進めている。

 龍造寺隆信を失ってから、そう日は経っていないにも関わらず、龍造寺家の屋台骨はすでに崩れかかっている。

 この状況を改善するには、新たな当主を擁立し、新当主の指導力の下で龍造寺家を一丸とするほかない。

 候補者は二人。

 龍造寺周家の次男にして隆信の弟である龍造寺信周(のぶちか)とその異母弟の長信である。まさかの敗戦と当主討ち死にという非常事態に際し、この二人の出方次第では国をさらに二分する戦乱が繰り広げられる事も考えられた。

 それは、大内家と島津家に挟まれた今の龍造寺家では考え得る限り最悪の展開だ。仮に当主に成り上がれても、国が荒廃し大勢力に攻め込まれれば滅亡する以外にない。

 次期当主候補も家臣もそれは分かっていた。分かっていて、争いがやめられないのが戦国の常であり、それによって滅亡した家は枚挙に暇がない。まして、龍造寺家は急進的な勢力だった。多くの恨みを買ってきたが故に、早期安定を図らなければ敵に攻め込まれる前に内部崩壊する可能性も否定できない。

 そこで誰よりも早く動いたのが鍋島直茂であった。

 重臣の中でも隆信の義理の妹という特殊な立場にあった彼女は、実質的な軍の指導者として敗軍を纏めて肥前国まで撤退した。多くの犠牲者を出したが、大内軍の追撃から軍の中核を為す者達を逃がしきったのは、彼女の差配に拠るところが大きい。無論、軍師として作戦立案を担当していた直茂に、敗戦の責がないはずもない。

 ただ、四天王すら壊乱したあの敗戦の影響が凄まじく、責任を追及できるほど家中が落ち着いていないのだ。

 そういった自分の立場も責任もすべて理解した上で、今できる最善手を打った。

 直茂が頼ったのは、義理の母にして隆信の実母に当たる慶誾尼(けいぎんに)であった。

 龍造寺家の興りは、藤原秀郷八代孫の藤原季善が肥前国龍造寺村を領有したことに始まる。後にいくつかの家に分かれて集合離散を繰り返していたが、本家として長く中心にあったのは、村中龍造寺家であった。慶誾尼はこの村中龍造寺家の生まれである。彼女は、龍造寺家十六代当主胤和の娘であり、分家筋に当たる水ヶ江龍造寺家に嫁いで隆信を産んだ。その時は、まさか夫が龍造寺家の本家に成り上がるとは思ってもいなかったであろう。

 ともあれ、運命の悪戯で本家の娘から本家の嫁になった慶誾尼は、その生まれからか最も強く『龍造寺』という家柄を表す人物となった。

 姫武将としてではなく、姫として育てられながら政治的な能力に秀で、戦場に出たことがないにも関わらず誰よりも強い心を持つ女であった。

 隆信の好戦的で前向きな性格は、母親譲りであったか。

 隆信が当主となった後も、彼女は度々重要な政治的決定を下してきた。

 そんな龍造寺そのものと言っても過言ではない彼女が、まさか自分の父の後妻になるとは夢にも思っていなかった直茂は、実に気まずい思いをしながら実家の門を潜った。

 例え、自分が腹を斬ることになろうとも叱責は甘んじて受け止める覚悟であった。

「義母上、この度の敗戦並びに御屋形様御討ち死にの責は……」

「よいのです」

 還俗し再び妻となった慶誾尼は、老境に入ろうかという年齢にも関わらずしっかりとした声で直茂の言葉を遮った。

「そのような口上、母娘の間には不要。ここはあなたの家であり、わたくしの私室です。楽になさい」

「は……はは」

 優しく甘い声音。実の母以上の慈愛すら感じてしまう不思議な魅力のある女性だ。このカリスマ性もまた、慶誾尼の力の形ではあるのだろう。

 それでも、直茂はついつい肩に力を入れてしまう。

「まだ固いですね。わたしを母とするのは、まだ慣れませんか?」

「いえ、そのようなことは。しかし、此度の件……御屋形様の、ことは」

「ええ、未だに信じられません。武士たるもの戦場にてその生を終えることは本望であるかもしれません。謀殺された先代よりは、武士らしく逝けたのでしょう。とはいえ、やはり我が娘。胸にぽっかりと穴が開いてしまったような気持ちです」

 そっと自分の胸を摩る慶誾尼。

「ただただ無念。しかし、このまま無為に時を過ごすわけにも参りません。国内を治めねば、あの娘の菩提を弔うこともできません」

「はい」

「あなたがここに来た理由も分かっています。新たな当主に、我が子を立てるつもりですね」

「ご慧眼、感服します」

 慶誾尼の子――――即ち龍造寺長信である。姉ほどではないが、武功を挙げており、かつての主君少弐家の再興を画策した多久宗利を打ち破り、その居城、梶峰城を我が物とした。

 大内家との戦には参加していなかったが、逃げ帰ってくる龍造寺軍の惨状を目の当たりにして、敗残兵の収容にすばやく動いた判断の早さは、評価に値する。

「それでうまく治まるとよいのですが」

「治めるほかありません。当主にどちらを立てても、争いは必至ならば……」

 この時代、正室の子と側室の子では立場が明確に異なっている。当主を継ぐのは正室の子が第一である。ゆえに、慶誾尼の第二子である長信が指名されるのは自然な流れではあった。

 とはいえ、納得するしないは別問題だ。

 特にもう一人の候補である信周は、長信の異母兄である。弟が自分を差し置いて当主に就任するという判断に、大人しく従うかどうか。

「いざとなれば武を以て征すほかにありません」

 慶誾尼の言葉に直茂も賛意を示した。

 戦国の世の倣いを否定することはない。むしろ、後顧の憂いは断っておくべきであろう。争いが拡大しないように、時期を見計らう必要はあるし国内の状況を考えれば敵と味方を判別することも難しいのだ。

 新当主の擁立は間違いなく波風を立てる。新たな指導者とその家臣は、その波風を最小限に抑えることが求められるのだ。

 

 

 ■

 

 

 兼ねてより、自分の立場は空気で察していた。

 低い身分から身を起こし、ついには一国を治めるまでに成長した龍造寺家に生まれながら、正妻の子ではないという一点だけで弟よりも低く見られる日々。明言こそされなかったものの、明らかに周囲の人間は自分を軽んじていた。

 それが、事実か否かはもはや信周には分からない。しかし、慣例的にも母の身分がその後の人生を左右するというのは明白であった。

 生まれは人には選べない。

 龍造寺の家に生まれるのであれば、側室の子ではなく正室の子として生まれたかった。

 努力に努力を重ねても、どうしても側室の子という立場から抜け出すことはできない。信周は常に劣等感を抱いて生きてきた。

 それでも、姉が――――龍造寺隆信が当主であるのならば何の文句もなかった。生まれた順番も母の位もそして才覚もすべてが彼女が当主であるべきだと告げているし、隆信であれば命を惜しんで戦働きをするのも悪くない。彼女がもたらす熱狂は、信周にとっても心地よいものだったのだ。

 隆信がいる限り、龍造寺家は隆信のものだ。その後も、彼女の血筋が家を纏めていくのだろう。

 それならば、それでよい。むしろ、それが正しい在り方だと納得もした。姉が当主となり龍造寺家を発展させていくのは天命であり、理に適っている。

 その隆信が、大内家との戦いに敗れて首を取られた。

 敗報を聞いた信周にしてみれば、青天の霹靂であった。足元の大地が崩れ落ち、奈落の底に落ちてしまったかのような衝撃に眩暈を覚えて、膝を突いたほどであった。

 これからどうすればよいのか。

 姉を支えに生きてきた信周にしてみれば、将来の見通しがまったく立たなくなったも同然の事態である。

 家督相続争いが勃発するのは火を見るよりも明らかであった。隆信は後継者を指名していなかったので、母の身分で自分が不利ではあるが相続権が信周にないとも言い切れない。

 これは端的に言って命の危機である。

 立場が低いにも関わらず家督の継承権はあるのだ。まともに弟と戦えば負けることは必至であり、戦わなければみすみす殺されるだけ。後顧の憂いを取り去るのならば、対立候補は消してしまうのが常道である。

 ならば、やはり軍を興すほかにはない。

 完全なる奇襲。完全なる不意打ちによって、『敵』を討ち果たし龍造寺城を占拠する以外に生き残る道はない。

 懊悩しながらも、信周の行動は早かった。

 家が二つに別れ、後先が見えなくなったときは、往々にして勢いが勝敗を決することもあると信周は知っている。

 信周は弟のように戦場で功績を挙げることはあまりなかった。その代わり、外交で力を発揮した男である。大友家に人質として預けられ、和議の成立に奔走した経験はこの時大きな力となって信周を助けた。

「これより、本城を乗っ取る」

 未だ、当主が明確になっていない段階で、信周は集めた少数の家臣にそう打ち明けた。

「我にとって、姉はかけがえのない存在であった。龍造寺の未来を照らす偉大な将であった。いずれ、大内、島津を打ち払い九国を征すものと信じていた。それが、あのような惨い姿で帰ってきたことは真に無念である。――――今、龍造寺家はまさしく存亡の危機を迎えている。大内、島津といった外患に加えて、内憂を抱えている。言わずもがな当主不在の混乱である。我はこの混乱を鎮め、今再び龍造寺に活力をもたらすため、心を鬼にして弟を討つ。もし、事ならず敗れたとなれば潔く腹を斬って果てる所存ゆえ、各々方もそのように覚悟されよ」

 一度そうと決めれば、信周は迷うことなく行動を起こす。

 作戦は複数を同時に完遂することが求められる。もとより立場の低い信周は、力のある重臣達が自分よりも弟のほうに靡きやすいことを肌で理解している。

 その一方で、混迷した国内事情や龍造寺家がそもそも烏合の衆、とは言わないまでも決して一枚岩でないことを考えれば、先に政策方針を表明したほうが有利になることも理解していた。

 今、家臣達は闇夜の海を進む小船のようなものである。

 明かりを灯せば、それを道しるべにして進路を変えるだろう。

「我、姉の如き太陽には成れねども、月の如く御家の先を照らさん」

 本城――――即ち、龍造寺城を乗っ取ることで、一門を率いるに足る存在であると内外に見せ付けるのが第一。

 弟の母であり、家中に強い発言力のある慶誾尼の身柄を押さえることが第二。

 そして、最大の敵である弟長信を討ち取ることが第三。

「信周様。軍師殿が慶誾尼様の下に向かわれたとの由」

 そのような報告にも、信周は表情を変えずに頷くだけである。

 初めから分かっていたことなのだ。鍋島直茂は、弟を立てるのは確定事項であった。何せ、慶誾尼の義理の娘だ。

「我が当主となった暁には、あの奸臣めの首を落としてくれよう」

 その日の夜、信周は兵を挙げた。

 龍造寺城を強襲して占拠し、登城していた慶誾尼と直茂がつけた護衛を惨殺して龍造寺家の当主となったことを宣言したのであった。

 

 

 

 

 同日、屋敷に近付く物々しい空気を感じ取ったのは、長信の第一の家臣、龍造寺康房であった。長信に従い転戦し、多久女山城主となって統治者としても力を発揮する姫武将は、騒乱の兆しを感じて主君を叩き起こした。

「な、何事だ」

「申し訳ありません。長信様、今すぐに脱出を」

「何?」

「何者かが兵を挙げたようです。夜闇に紛れて身をお隠しください」

「何だと!? それはどういう……」

「お急ぎ下さい! この時期に兵を挙げるとなれば、その狙いは長信様である可能性が高いのです! ぐずぐずしていたら、屋敷を囲まれてしまいます! わたしの手勢に道を塞がせましたが、長くは持ちません!」

「……分かった」

 暗がりでよく見えないが、長く共に過ごした家臣の必死の呼びかけを無視することはできない。

 長信は頷くや立ち上がり、枕元に置いていた太刀だけを荷物として落ち延びることを決意した。

 長信は康房の家臣が命を賭けて作ってくれた時間を活かして、一命を取りとめ、自らの居城である梶峰城まで逃れたのであった。

 

 いつの世でも骨肉の争いは痛ましく、そして武将であれば避けては通れない道でもあった。多くの家が、その歴史の中で親子、あるいは兄弟姉妹、またあるいは同族間で相争ってきた。

 大内家、大友家、島津家……龍造寺家を悩ませてきた家々も、そうした血生臭い歴史とは無縁ではいられない。

 兄弟による相続権争いは、骨肉の争いの中ではありふれたものと言ってもよい。戦国の倣いであると放言するものも少なくないだろう。

 そうした、いわば常識に対し立場が上と胡坐をかいていた龍造寺長信はいささか危機感に欠けていたと言うほかない。

「おのれ……ッ。おのれ、信周!」

 長信は苛立たしげに自分の膝を叩く。

 龍造寺家の跡目を継ぐために兄が兵を差し向け、龍造寺城を乗っ取ったのみならず母の首を獲ったというのだから、その怒りは相当のものであった。

「不当にも力で以て城を奪い、我が母を殺したと……! このような無道、許してなるものか! 直茂、お主は母上に目通りしていたのであろう。いったい、何をしていたのだ!」

「真に申し訳ございませんでした」

 申し開きもないとばかりに直茂は頭を下げる。

 長信を擁立する動きを見せることで、信周を牽制する構えであったが、それが仇となった。まさか、信周がここまで大それた行動をするとは思っていなかったのだ。当主不在という未曾有の事態に当たり、可能な限り重臣達が納得する流れで長信を当主に据えるために慎重に行動した結果、信周の速攻に対応できなかったのである。

 家中の意見が、長信に傾く中で無理をするのは避けたいというのは合理的ではあった。

「長信様、鍋島殿を責めても仕方がありません。これからのことを考えなければ」

「左様です。すでに本城には兄君を推す者どもが集まっているとのこと。長信様も急ぎ立場を明確になさらなければ、お味方が集まりませぬ」

「分かっている!」

 長信にしてみれば、龍造寺家の当主は自分以外にはない。

 確かに長幼の序に従うのであれば、兄である信周が当主に就任するという論法も成立するだろう。だが、信周は慶誾尼の子ではない。龍造寺本家の血を引く慶誾尼の子こそが、真の意味で龍造寺なのだ。

 本城を乗っ取った信周は、すぐに宣伝工作を始めている。

 彼は自分に従う者に恩賞を早々に約束して取り込みを進めつつ、長信への非難を大々的に行っているのだ。

 さらに信周は自分が正室の子ではなく、龍造寺本家の筋ではないと明言した上で、だからこそこれまでとは異なる政治ができるのだと脱龍造寺宣言をしたのである。

 大内家との戦いで信周を低く評価していた主流派が打撃を受けた今、中々中枢に入れなかった反主流派は信周に出世の希望を見出した。

 信周得意の外交戦略が、時と共に勢力拡大に寄与しているのである。

 家臣が言うように、これから何を為すのか不明確なままでは、信周には勝てない。今や、正室の子などというのはただの飾りと成り果てたのだ。

「無論、龍造寺の当主は私が継ぐのが道理だ。信周には決して渡さぬ。母の弔い合戦だ」

 座して死を待つほど長信は愚かではない。

 正統性は我に有りとする根拠は長信にもあるのだ。

 

 

 

 

 


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