大内家の野望   作:一ノ一

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その五十七

 大内家が置かれた状況は危機的とは言わないまでも、決して良いとはいえないことになっている。

 目下の敵は西の島津家と東の尼子家であり、尼子家は二方面作戦を展開して大内家に対して攻勢をかけている。

 そして、島津家も九国で蠢いており肥後国で睨み合いを続けている。未だ、北九州での小競り合い程度であり、それも地元の大内派の国人との戦いに終始しているが、このまま行けば本格的に会戦する可能性が高い。

 その上、龍造寺家が真っ二つに割れて内訌を始めた。

 大内家としては龍造寺隆信の仇討ちのために戦を仕掛けられるのが嫌だったわけであり、内輪揉めをしている間は龍造寺家からの干渉はあまりないだろう。それどころか、こちらから調略の手を伸ばしたり、内政に力を入れたりする好機でもあった。

 龍造寺家から取り戻した筑後国の支配体制を整える必要もある。尼子家にも対処しなければならない現状では、龍造寺家の内訌にまで手が回らないので、戦ではなく外交での干渉を進めることになってしまう。

「島津の動きも特になし。静観しているというわけじゃないんだろうが……」

 忍を放って情報収集しているが、晴持が驚くようなセンセーショナルな情報はまったくない。

 「肥前大乱」が勃発して一ヶ月余り。

 西国の情勢は、ほぼ全域にわたって膠着状態に陥り、戦時とは思えないくらいに兵の動きがなくなった。

 これもまた嵐の前の静けさというものだろうか。できれば、このまま過ぎ去ってもらいたい嵐ではあった。

「兄上としてはどうみる?」

 黄金色の妹分が唐物の茶器を手の中で玩びながら尋ねてきた。

「どうとも。話を聞く限りでは、優勢なのは信周の勢力だが、島原に入った島津とどう折り合いをつけるかという問題もある」

「確かにな。島津が兵を引くか、あるいは肥前大乱にどのように関わるか……ああ、うちも兵力があれば肥前に軍を進めるんだがな!」

 笑みを浮かべて晴英が嘆く。

 大友軍は耳川の戦い以降兵力を大きく損耗していて独自に軍を興すのは難しい状況であった。その援護に入っている大内家も、度重なる連戦で兵を休ませる必要が出ている。厭戦気分の高揚もあって、一部の将と兵を帰らせて予備兵力と入れ替えなければならなかった。

 大内軍は調整期間に入ったのだ。東の戦いもあるので、無理に軍を動かすこともできない。戦線の不用意な拡大は慎まなければならなかった。

 晴持は府内の館に篭り、各方面からの報告書と睨み合う日々に若干の苛立ちを覚える。

 まったく以て無為に時間を過ごしている。

 戦など早々に終わらせて、山口に戻り富国に努めたい。そういう思いも、晴持にはあった。

「島津が肥後を狙っているのは変わりない。肥前に兵を進めれば、間違いなく島津家は肥後での活動を活発化するだろう。せめて、尼子との戦が落ち着いてくれればいいんだが……」

 尼子家との戦いが落ち着けば、兵力を九州に向けることができる。義隆も当面の危機が去ったものとして、山口の予備兵力をより多くこちらに回してくれるかもしれない。

 とにかく、島津家と龍造寺家。この二家は今に至っても晴持の頭を悩ませている。事実上の九州方面軍司令官と言ってもよい立場の晴持にしてみれば、大友家を初めとする大内家以外の面々に兵力の大部分を頼っている現状をまず何とかしたいのだが、ない袖は触れないのであった。

 そうした状況なので、筑後国が完全に大内家の傘下に入ったのは実に大きな収穫ではあった。

 筑後国内の国人領主も半分近くが龍造寺家に従ったために没落した。吹き荒れた戦乱の嵐の後に晴持は大内家の家臣から選んだ功労者達に筑後国内の所領を任せることで大内家の影響力を大きくした。

 ここまで強引な政策を進められたのは、偏に大内家の威光と戦果があってこそである。

 晴持が府内に在陣しているのも、島津家や龍造寺家の変事に備えてということもあるが、筑後国内の統治を安定させるための後詰の意味もあってのことであった。

 大内晴持という武将の名は、今や九国内外に響いている。気恥ずかしいとも思うが、自分の存在が敵に対して脅威を、そして味方に対して安堵を与えるのであれば、存分に活かすべきであろう。

「義姉上に手紙でも書くか」

 尼子家との戦の詳細について尋ねてみるとしよう。風聞では大内家不利とも聞く。大森銀山の重要性の前には九国の情勢も霞んでしまうだろう。

 こういうときこそ連絡を取り合うべきだ。たとえ特に連絡を取る必要を感じなくとも、何と言うことのない日常会話が助けになることもあり得るのだから。

 

 

 

 ■

 

 

 

 柔らかな日差しが降り注ぐある日の午後、明智光秀は新たに宛がわれた所領に設けた屋敷で政務に当たっていた。

 龍造寺隆信との大会戦。後の世に黒木郷の戦いとして名を残す戦で、光秀は龍造寺四天王の一人、円城寺信胤を鉄砲で撃ち取るという大功を挙げた、

 これまでの仕事ぶりも評価され、豊前国門司に二千石の領地を与えられたのだ。これは、光秀が何の後ろ盾もない一兵卒から大内家での生活を始めたことを思えば、中々の大出世である。

 京で牢人していた頃には、いずれは千石取りの士となるのだと夢物語をしていたものだが、今やその二倍の石高だ。

 零落した明智家の再興にまた一歩、確かに近付いた。屋敷地を与えられ、そこで筆を取っていると、夢に近付いている実感がひしひしと湧いてくる。

 本来ならば、ある程度領地の経営を軌道に乗せたら後は代官に任せればよい。しかし、光秀にはもともと直参の家臣がいない。

 光秀にとっての悩みどころは、大きく広がった土地を運営するための家臣を召抱えることから始めなければならないということであり、同時にそれは懐かしい顔との再会が叶うということでもあった。

 光秀は論功行賞での大幅加増を受けてから、京や美濃国などで流浪している親類縁者に使いを送って門司まで呼び寄せ家臣化し、山口で知り合った同僚にも声をかけて召抱えた。

 そうしてやっとのことで数を揃えて落ち着いて政務に取り掛かれるだけの準備を整えたのである。

 領地の経営となると、村民からの訴状を受け付け対応しなければならないなど雑務も増える。幸いにして、光秀はもともと城持ちの家系でありその親族もまた領地経営の経験を有しているので、美濃国と豊前国の違いはあってもさほど苦労なく政務を進めることができていた。

 光秀は、さらさらと紙面を走らせていた筆を置き、一息ついた。目を外に向けると開け放った戸板の向こうに穏やかな光に包まれた小さな庭がある。

 今日は風も微弱で爽やかだ。雲ひとつない晴天ではあるが、暑いわけでもなく過ごしやすい。

 光秀は、ふと傍らに置いた文箱の蓋を撫でた。

 螺鈿と黒漆で装飾された高級な文箱は、隆豊から貰ったものだ。光秀が持つ刀よりも金銭的な価値があると後で知って顔を蒼くしたものだ。

 光秀は外様の武将だ。領地を失い流浪の日々を送ってきた底辺の牢人であった。それが、晴持にたまたま見出されて一廉の武士になることができたのだが、保守的な大内家に比較的受け入れられているのは光秀自身の教養だけでなく晴持や隆豊、隆房といった重臣達から目をかけてもらっているからだろう。

 文箱の蓋を開けると、中には書状が入っている。黒木郷の戦いでの戦功に対して発給された感状である。

 破らないように丁寧に書状を開き、文面に目を通す。知行地を宛がう旨と光秀の武功を賞賛する言葉が並ぶ。

 仕事に疲れたときや就寝前に、こうして感状に目を通す。玩具を貰った子どものように、何度も読み返している。

「あれ、またそれですか、姉さん」

 部屋の中をのぞきこんできた姫武将が呆れたように口開く。

 光秀によく似た顔立ちで、肩にかかるくらいの髪を後頭部で纏めている。

「それとは何ですか、それとは」

「書状を読み返してニヤニヤしてるヤツのことです」

「ニヤニヤなんてしていません」

 そう言いながら、光秀は感状を文箱に仕舞った。

「いーや、してます。ちょっとどうなのっていうくらい顔に出てます」

「え、うそ」

 光秀は自分の口元を咄嗟に手で隠した。今更、そんなことをしても遅いのだが、反射的に手が動いた。

「それで、今回は何の書状です? 恋文ですか?」

 光秀が読んでいた書状に興味を抱いた妹分の明智秀満が手を文箱に伸ばすと、光秀は秀満の手を叩いて文箱から遠ざけた。

「そんなわけありません。わたしなどにそのような物を送る酔狂な方がいるはずないでしょう」

「そうですか」

 特に何の恥じらいもなく答えた光秀に、妹分の明智秀満は白けた視線を送る。

「何ですか?」

「いいえ、何でも。ただ、このままだと姉さんが行き遅れてしまうのではないかと若輩ながら心配したまでです」

「よ、余計なお世話です」

「いいえ、余計ではありません。姉さんが明智家の大黒柱。跡継ぎのことを考えてもらわないと、わたし達が路頭に迷います」

「……分かってますよ」

 光秀はばつが悪そうに視線をそらした。

 大内家に来る前は流浪の旅、大内家に来てからは仕事一筋でやってきた光秀には、浮いた話がまったくない。

「大内家に仕えると聞いたときには驚いたものです。それもあの晴持様直々にお雇いになったとか。なのに、傍仕えをしていながら夜のお相手もなさっていないとは、いったい何のために女に生まれてきたのです?」

「夜のお相手をするために女に生まれたわけではありません! それにわたしは外様ですし、晴持様のお相手などとても……冷泉殿も陶殿もおられるわけですし」

「外様なら河野様も外様では?」

「あの方は一国の主です。わたしとは身分も違います」 

 光秀には光秀なりの理屈があるのだが、それがどれも自分に対する低評価から始まるので話が先に進まない。

 秀満にしてみれば、光秀に言ったとおり光秀の将来は御家の将来でもあるので、だらだらと先延ばしにしていい問題ではないだけにとても心配なのだ。

 龍造寺家がそうであったように当主が唐突に戦死するということもありえる。明智家全体が一度明智城を焼け出されて散り散りになっているのだ。

 晴持は大内家の跡取りと目される人物で、都合のよいことに男でもある。上手く取り入れば、一気に家運を高められる。光秀は見目も性格も悪くないのに、生真面目過ぎて機を逸しているのが残念でならない。

「じゃあ、もし晴持様からお相手せよと命じられたらどうするのです?」

「え……いや、そんなことはないと思いますが」

「もしですよ、もし」

「それは……まあ、わたしにできる限りのことは、ええ、うん……」

 言葉少なく、ぶつぶつと要領を得ない回答をする光秀。

 こんなところかと秀満は内心でため息をつく。

 光秀は外様であるが故に縛りが少ないという強みもある。晴持から胤をもらってくるくらいは迫れば容易くできそうだが、と思わなくもない。

「ところで、斉藤から書状が届きました」

「本当ですか? どうして、それを先に言わないのです」

 思い出したように書状を取り出した秀満を軽く叱責して、光秀は書状を受け取った。

 書状の送り主は光秀の故郷の友人斉藤利三であった。

「うん、利三もこっちに来てくれるようです」

「久しぶりに三人揃えますね」

「ええ、楽しみです」

 御家再興は懐かしい面々との再会も意味している。

 秀満がそうであったように、利三もまた光秀の成功を我がことのように嬉しく思ってくれているのが文面から読み取れた。

 よい家族、友人、そして主君に恵まれたことに感謝しながら光秀は仕事を再開するのだった。 


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