大内家の野望   作:一ノ一

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その五十八

 ゴロゴロと雷が鳴り響き、猛烈な雨が大地を濡らしている。大きな雫が無数に降り注ぎ、視界に数え切れない直線を刻み付けている。いつもは五月蝿い蝉の声も、この日ばかりは元気がない。

「はあ、まったく……」

 東西の戦で雲行きが怪しいというのに、天気までこれでは気分も乗らない。

 大戦が続き出費が重なり、これからさらに出費が嵩むことが予想されている中で、川が氾濫などしてしまったら一大事だ。それだけはないようにしてほしいと思いながらも、こればかりは天の気分に任せるしかない。

 大内家至上最大の繁栄を手にした義隆は流麗な顔を曇らせる。

「将軍殿下も大変なご時勢か……」

 在京させている家臣からの報告を取りまとめ、ため息をつく。

 今、京を支配しているのは三好長慶とその一派だ。将軍義輝と管領細川晴元を京の外に放逐し、新たな管領に細川氏綱を立てて実質的な支配者として君臨している。

 三好軍は入京の際に、各地で乱暴狼藉を働き、大いに公家衆を困らせたと報告にはあった。大内家とも昵懇の山科言継が方々に掛け合い、横領された公家領や天皇領の一部を返還させたようだ。

 この騒動そのものは、長慶の意に反することではあったようだ。直接、義隆と長慶は面識があるわけでも、文を交わしたことがあるわけでもなかったが、人づてに聞くところでは教養人であり仁のある姫武将であると評判だ。

 それが、このような形で幕府と敵対するというのは、かなり根深い問題を抱えていたのだと推察される。

 あるいは、幕府との敵対関係すらも彼女の意に反するものでなし崩し的に将軍に弓を引いた形になってしまっただけなのかもしれない。

「しっかし、殿下を追い落として五体満足ってのもねえ」

 すでに権力を失って久しい室町将軍の化けの皮が剥がれたと言うべきか。

「ま、そういえば今まで幕府に逆らっても何だかんだで生き残ってる(とこ)も多いもんね」

「そもそも大内の御家もその類ではないですか?」

 義隆の言葉に頷いて答えたのは相良武任だ。

「ははは、まあそうだねー」

 書状を畳んで文箱に入れた義隆が、臆面もなく認める。

 大内家は平安時代に始まる古い家柄で、周防国から勢力を伸ばし南北朝期に南朝について長門国を攻略した。その後、足利尊氏との外交交渉の末に防長二国の守護として北朝に帰順した。山口を本拠地としたのはこのころである。

 足利義満と対立して当時の当主が敗死し、和泉国と紀伊国の守護職を剥奪されるなどしたが、今に至るまで存続している。

「将軍の首を挙げた赤松家が未だに残ってる時点でお察しっていうかね……」

「今や将軍家も威光のみ。義輝様はそれを十全に活かしておいでですが」

「八方美人過ぎてどうにもね。殿下に尼子方に肩入れされると困るし、かといって今は三好が中央を握ってるし、さてどうするかねぇ」

 今後、義輝と長慶の対立が激化するとそれに付け入って外交上の立場を上げようとする勢力が現れる。義隆もそれを狙っているし、当然敵対する尼子家もそうだろう。

 例えば、将軍家に戦の仲介に入ってもらい自分に有利な条件で和睦できるようにし、和睦に応じなければ幕命に背いたとして攻撃する根拠とするなどやりようはいくらでもある。

 幕府には未だに利用価値がある。

 問題は、今の「幕府」を将軍とするのか長慶とするのかである。

 長慶と交流を深めれば、将軍と管領を敵に回すことになるが、実利を得ることもできる。実際に行使できる兵力という圧は、将軍も管領も黙らせることができるだろう。

 その一方で幕府の敵だと明言されれば、これまで幕府と上手く付き合って築いてきた大内家の信用に響く。

 幕府を利用するということは、その権威の下に就くということでもある。幕府に取り入ってきた大内家はそれだけ幕府に借りがあるわけで、幕府の要請を断りにくい立場にあった。

「幕府の権威ね。何と言うか、今となっては空しいものね」

「そのようなことを仰って、よろしいのですか?」

「ここにはあなたしかいないじゃない。他言する?」

「まさか」

 武任は怜悧な視線のまま、めがねを直す。

「ボクも同感です。権威は朝廷、権力は幕府。そうやって今まで朝廷と武家は上手くやってきましたから、武威を失った幕府の威光は果たしてどこまで実利を伴うのか……」

「権威だけなら朝廷でいいものね。まあ、わたし達も散々幕府に献金してきたし、今後も続けるけど……そろそろ、卒業も考えないといけないんじゃないかな」

「そうですね。現実的に考えて、幕府の権威に依存した政治体制は危険です。三好家の行動が、その証拠です。あまり幕府に近付きすぎては、幕府を傀儡にした者が現れたときに対応が難しくなりますからね」

「だよね。今までは大内の内輪で片付ければよかったけど、長宗我部とか大友とか入ってくるとそうも言ってられないもんね」

 外様が増えるということは、大内家の家風に合わない勢力が増えるということでもある。今後、そのような勢力を纏めていくには、幕府に頼らない『大内』という独立した傘を用意しなければならない。

 幕府のルールではなく大内のルールに諸勢力を組み込まなければ、大内家以上に幕府との繋がりを持つ勢力の付け入る隙を作ってしまう。

 今後、大内家に求められるのは、身内を大切にしながらも、外様と上手く付き合っていくことである。

「若様もきっとそう仰るでしょう」

「あら、あなたに晴持の気持ちが分かるのかしら?」

「そこまでは。しかし、若様のこれまでの言動から考えれば、幕府権威から距離を取ることを考えておられてもおかしくはないかと。あの方、権威を利用しても、崇拝はしておりませんから」

「そういえば、そうね」

 晴持は戦略上幕府や朝廷の権威が必要だと感じれば、それを利用することに抵抗はないが、無条件で権威を崇めるようなことはなかった。

 一条家所縁のものであるという自分の血縁すらも利用して大内家の勢力拡大に努めた男である。

「あら、もしかして晴持ってば結構な腹黒さんなのでは?」

「今更ですか?」

 武任は呆れたように顔を顰める。

「ともあれ、今後の課題……『御屋形様』の権力を強めるために、多少強引にでも事を運ばなければならないこともあるでしょう」

「政治改革ね。分かってるわ。尼子の問題を解決したら、それ、取り掛かりましょう」

「はい。旧来の守護大名からの脱却を。……すでに果たした大名も多々おります。これまで通りでは御家は纏め切れません」

 従来の当主と家臣の関係は比較的平坦な繋がりだ。大内家旧臣ならばまだしも、外様が増えると見込まれる今後を見据えるのならば危険な構造だ。

 大内家にとっても大名権力の強化が喫緊の課題であり、古くから続く守護大名家であるが故に、政治改革は相当の困難を伴う可能性があった。

 一から成り上がった者ならば、自分の家臣を自分で編成することができるが、大内家の場合はそうではない。

 小大名級の力を持つ古参の家臣が領内に散在し、それぞれの在所で特権的に振る舞えるのだ。

 場合によってはこれは脅威でもある。それぞれの家臣は独立した戦闘集団である。中央集権が果たされない限り、彼等は大内家の軍事力を支える強力な味方であると同時に潜在的な脅威としてあり続ける。

 奇しくも室町幕府と同じである。

 複数の守護大名に支えられる形で力を発揮する構造になっていた室町幕府は足利家独自の軍事力の低さが仇となって、独立していく守護大名や守護代を抑えられないまま戦国の世の到来を許した。

 大内家は幕府の失敗と守護大名からの脱却に成功した諸大名の政治に学ばなければならないのである。

「うん、ともかく尼子を何とかしないとダメね」

「銀山方面は芳しくありません。数は揃っていますが、起伏の多い山並みの地形のために睨み合いが続いています」

「やっぱ、難しいか。いっそ晴持もこっちに呼んでみるっていうのは」

「そうなると九州の情勢が不安です。良くも悪くも若の武名は効果があります。迂闊に若を呼び戻せば、あちらの国人の中に不安を覚える者も現れるでしょう。それに、若は少々功績を挙げすぎています」

「ダメ?」

「そろそろ他の者に功績を挙げてもらわなければ、家中で均衡が取れません。瀬戸内方面軍の毛利が功績を挙げるのも、あまりいいとは言えませんが」

「あっちは毛利に任せるしかないでしょう。安芸の国人に対する影響力も含めれば、毛利は大名級なんだし」

 武任は表情を変えず、義隆を見据える。

「分かってるわ。毛利の立場は微妙よね」

 もともと安芸国の国人だった毛利家はその領土の立地から大内家と尼子家に挟まれて生きてきた。そのため強きに靡きながら両勢力を行き来してきたのである。特に毛利元就の先見の明は図抜けている。頭が切れすぎて不気味とも思えるほどだ。

 本来の大名ではなく、大内家の武威に屈したわけでもない。大内家の傘下にいる国人でありながら、大内家と尼子家を天秤にかけてきた歴史があるだけに、力を持たせすぎるのも不安なのだ。

「でも毛利の力はこれから先も必要よ。なんで……もういっそ晴持とくっ付けちゃうか」

「は?」

「それが一番手っ取り早いかなって。隆元だっけ? 年頃のいい娘もいるじゃん」

「え、ああ、はい。それでよろしいのであれば、そのように取り計らいます」

 困惑気味の武任ではあったが、毛利家をより深く大内家に取り込むために婚姻政策を選択するというのも一つの手ではある。

 現時点で、隆元を人質として手元に置き、元春も大内家の戦力として活動しているのでそう簡単に大内家を毛利家が離れることはできないので杞憂だろうとは思うが、相手が相手だけにさらにもう一つ釘を打っておきたいというのは為政者として当然の判断であろう。

 武任が退出した後で、義隆は盛大にため息をついた。

「あ゛~~~~いい訳ないじゃん、もーほんと」

 

 

 

 ■

 

 

 

 戦に於いて第一に必要なモノは何か。

 ある者は兵と答え、またある者は武具と答えるだろう。兵がなくては戦にならず、武具がなくては戦えない。

 その意見を否定はしないが、それでもそれらは第二、第三であるというのが毛利元就の考え方である。

 元就にとっての第一は兵糧。

 どれほどの大軍であっても、食うに困れば全滅もあり得る。兵は人間であり、人間である以上は食を欠けば生きてはいけず、空腹は冷静な判断力を奪い人に人であること忘れさせる。

 ゆえに自軍にあっては兵糧を失わないように最大限の配慮をし、敵軍にあっては兵糧を枯渇させるように仕向けるのが戦の常套手段なのである。

 兵糧はすべての戦でまず問題になる課題であり、兵糧を安定供給できるか否かで兵の指揮は大きく変わる。

 指揮官が頭ならば兵糧は心臓だ。戦闘能力はまったくないが、戦場には不可欠で、そして守るために兵を割く必要がある。言い換えればお荷物とも表現できるだろうか。そのため、あの手この手を使って大名は兵糧の確保や輸送に心を配った。

 貨幣経済に強い大内家であれば、可能な限りの現地調達。

 この時代の戦は商人にとっての稼ぎ時だ。兵糧も、彼等の売り物の一つであり尼子軍が攻めてきた今回の戦に於いても元就は兵糧ではなく、まずは銀を送って現地での兵糧確保を命じている。

 主戦場が大内領であり、顔見知りの商人達が多いことに加えて、もともと商業活動に強い影響力を持つ大内家は、商人を味方につけやすい家風でもあった。

 元就の下に届いた一通の書状。

 そこには兵糧の備蓄が少なく、今にも陥落してしまいそうであるとの苦境が記されていた。

 送り主は山名理興(まさおき)。備後国安那郡神辺城に篭城し、多勢の尼子軍に対抗している大内方の武将である。

 今、備後国の攻略に動いた尼子軍は備後国の半分ほどを攻略し、備中国との境にある瀬戸内沿いの安那郡へと食指を伸ばした。驚異的な速度での進軍であるが、これは事前に備後国の国人衆を懐柔していたからであろう。

 大内家と尼子家の国力そのものは大内家が勝っているが、絶対的な差ではない。大軍を以て一気呵成に攻め込めば、どっちつかずの国人はすぐに旗色を変えてしまう。備後国には特定の国主がいないので、そうやって国人衆は身を立てている。

 特に大きな激突もなく尼子軍は海沿いにまで顔を出した。

 安那郡は山の多い備後国の中でも開けた土地だ。海に面して良港がある。ここを攻略されると瀬戸内交通にも影響が出る。

 尼子軍の狙いはまさにここにある。

 大内家の西と東の通商路の遮断。商業活動に陰りが生じれば、大内家の動きは鈍くなる。大森銀山と瀬戸内の通商路が落ちれば、大内家の損失は計り知れない。もちろん、毛利家にとっても見過ごせないものであり、安那郡の争奪は当然に行われるものであった。

 出陣を命じられたのは元就の三女、小早川隆景であった。

 商人達と会談し、財務と文化に強い長女とも戦場で槍を振るう次姉とも異なる静かで才知に満ちた智謀の人だ。

 「隆」の字がついていることから分かる通り、その才は義隆も知るところであった。

 あるいは、知将で知られた元就の才覚を最も強く受け継いだのが彼女なのかもしれない。

「尼子の軍勢一〇〇〇〇に包囲された神辺城の救援が、第一目標ですか」

 尼子家の瀬戸内方面軍とも言うべき軍の主力部隊である。このほか総勢五〇〇〇名になる軍が攻略した各所に陣を設けて備後国の制圧を進めている。

 隆景に任されたのは、そんな備後国から尼子軍を追い払う重大な役目だ。

 大内家の力を背景に安芸国中から掻き集めた兵は三〇〇〇ほど。これ以上は、大森銀山の戦況にも影響するので、すぐには集められない。後日、大内家からの増援を待たなければならなかった。

「大内からの増援はいつ来ますか?」

「明後日には守護代様が五〇〇〇の兵を率いて御着陣される模様です」

 つい先ほど戻ってきた家臣の答えに、隆景はこれといって表情を変えることなく頷いた。

「五〇〇〇ですか。少ないとは言いませんが、十分ではありませんね」

 頤に手を当てて、敵との戦力差を考える。

 備後国内にのさばる敵の総数はおよそ一五〇〇〇以上。二〇〇〇〇には届かない程度だろう。毛利家が掻き集めた兵と大内家の増援を合わせても八〇〇〇ほどであり、神辺城の敵の中核軍に対しても少数である。

 大森銀山に九国と三方面に軍を展開しなければならない状況だ。どこかが手薄になるのは仕方のないことではある。

「まあ、敵は分散していますから、各個撃破もできるでしょうが……」

 それでは時間がかかりすぎる。

 何にしても神辺城の救援は第一義である。備後国はもともと大内家の勢力外で、大内家と尼子家との暗闘が繰り広げられている土地だ。大内家が頼りにならないとなれば、雪崩を打って尼子家に国人衆が流れてしまう。

 大将は安芸守護代の弘中隆包。

 隆景とも面識があり、彼女ならば致命的な失態は冒さないだろうという信頼感はあった。掴み所のない変わり者なので、そこだけは苦手ではあるが。

「河野と掛け合って、少しでも兵を貸してもらうしかないか」

 単純に尼子家を追い散らすだけでいいのなら、やりようはある。しかし、神辺城の救援をするとなると、尼子瀬戸内方面軍の本隊と睨み合いにならなければならない。助けるために軍を出したというパフォーマンスが必要になるからであり、そのためには相応の数をそろえなければならないのだ。

 そこで、隆景が目を付けたのが瀬戸内海をはさんで対岸に根を張る河野家。

 大内家の力を借りて、史上初の伊予完全制覇を果たした河野家は、外様ながらに大内家への忠誠心が厚いことで知られる。

 今のところはどこの戦にも本格的に参戦することなく、河野水軍を運用して各地に物資を届ける後方支援に専念している。

 瀬戸内のみならず、豊後水道まで征したことで、大内家の兵站はかなり強固になった。

 水軍を持つ河野家は九国でも備後国にでもすぐに兵を送り込める遊軍でもあるのだ。

 隆包を通して河野水軍に兵糧を神辺城に移送するように働きかけてもらう。その上で、隆景たち陸路をゆく部隊は神辺城を囲む尼子軍と対峙し、包囲を取り払う。

 河野家が協力してくれれば、兵力差はほとんどなくなるだろう。


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