大内家の野望   作:一ノ一

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その六十

 口惜しいことではあるが、大内軍は各地で苦戦を続けている。もとより、大内家は大勢力とはいえ、新たに増えた領土、家臣共に完全に統率が取れているとは言いがたく、大兵力を催すことは不可能ではないにしても、戦域があまりに広く、局地戦での兵力が五分五分になってしまうのは避けられないことであった。

 大森銀山と備後国、そして九国。どれも失うには惜しい。大森銀山は大内家にとって巨大な収入源である。失えば、大内家の経済強国というアイデンティティに傷が付く上、経済だけでなく軍事力にも悪影響が出る。かといって備後国を疎かにすれば瀬戸内交通が絶たれることになり、これもまた巨額の損失を被ることになる。九国にも博多があり、動乱は商業活動を翳らせる。商売による巨利が大内家を潤してきただけに、商売を滞らせるわけにはいかない。優先順位は大森銀山、備後国よりも下ではあるが、一つ間違えば九国を飲み込んだ巨大な敵対国が誕生する可能性も否定できないだけに捨て置けない。

 どこも捨てるわけにはいかず、すべてを守らなければならないためにどの軍も決定的な仕事ができない。九国に至っては、敵地に侵攻することができず、現状維持を貫く以外に手がない状況だ。

 はっきり言って、兵が足りない。山口からやってきた大内軍は、龍造寺軍との正面衝突で大いに疲弊している。厭戦気分も高まっているため、一部を国許に返す必要もあったくらいだ。長宗我部家のように、領土を九国内に持っている大内家の勢力や、大友家を筆頭とする在来の九国国人衆の連合による防波堤によって島津家の台頭に抗っているのが現状だ。大内家の兵力を島津家との戦に全力投入できれば、この拮抗した九国情勢を一気に塗り替えることも不可能ではないというのに、尼子家の侵攻に対応するためにそれができないのが大変にもどかしい。

 自分の事は自分でするというのが、この時代の基本的な規則とはいえ、せっかく大内家に臣従を表明してくれた勢力に丸投げするのは信義に関わる案件だ。下手を打てば、今後の九国経営にも悪影響が出てくるだろう。

 九国の特に肥後国や日向国といった地域は、石見国や備後国とは大内家との付き合い方がまったく異なっている。

 これまでも大内家と尼子家が度々戦闘を繰り返し、その都度優位な方に鞍替えを繰り返してきた石見国や備後国の国人とは違い、九国の国人達のほとんどは大内家との直接的な繋がりが薄いのだ。

 どのように自分達と関わっていくのかということを見定めようとしている節がある。島津家の猛威から庇護してくれることを念頭に於いているが、完全に支配下に入ろうとは思っていないだろう。

 そもそも独立気運の高い地域なのだから、反感を買えば瞬く間に敵に流れてしまう危険性を内包している。

 肥後国の国人領主達を統率する難しさは、この世界ではない晴持の知る『正史』に於いても語られるところである。

 天下泰平の世になって、到底軍事力で敵うはずがないにも関わらず、大規模な国人一揆を引き起こすような気質なのだ。それは、この世界でも同じであろう。長らく肥後一国を治める大名が出現しなかったことや、島津家の侵攻に未だ持ち堪え続けていることからも、肥後統治の困難さの片鱗がうかがえる。

 このような状態で、晴持ができることは九国を時勢を維持するために後ろで圧力をかける程度であった。

 豊後国府内にあって大友家と連携し、兵を整えて変事に備える。受身の対応ではあるが、混沌とした状況にさらに石を投げ込むわけにもいかない。

 そのようにして、後手に回らざるを得ない状況に追い込まれた大内家に、さらに追い討ちをかける事態が発生した。

 空気が涼み、稲穂が黄金色に染まり始めた秋口のことであった。

 肥後国最後の雄、阿蘇家当主惟将(これまさ)が倒れ、そのまま帰らぬ人となったのである。夏風邪をこじらせたとも、食に中ったとも言うが、実際のところは分からない。しかし、本来秘匿すべき当主が死去したという情報が、瞬く間に拡散していることからも、阿蘇家の屋台骨が大きく揺らいでいることが伺えた。

 

 

 

 

 阿蘇惟将の死は、三日と経たず島津家にも伝えられた。折りしも龍造寺信周と好を通じた直後だけに、島津家にとっては朗報続きとなった。

 大内家は大森銀山と備後国神辺城への対応に兵を割いており九国に注力できない。

 遠交近攻の大原則が、大いに威力を発揮している。

 肥前国も概ね島津家に都合のよい形で動いている。島津家の後援を受けた信周軍はじわじわと対抗馬への圧力を強めている。 

 もちろん、どこかの段階で龍造寺家とは手切れになるだろう。信周も一時的に島津家の力を利用しているだけなので、お互い様だ。とりあえず大内家の動きを阻害してくれればそれでいい。信周が龍造寺家を統一したとしても、決してそれ以前のような強大な勢力には成長しない。島津家に対する脅威にはならず、政治的にこちらが優位に立っていればいい――――。

「まさしく好機到来と言うべきかと」

 野太い声が響いた。 

 島津家が築いた肥後国攻略拠点、花の山城の軍議の間に集った重臣の一人新納忠元である。これは肥後国攻略のため、島津義弘が呼びかけた軍議である。島津四姉妹中、義弘、歳久が出席し、忠元以下十二名の家臣が集結していた。

「阿蘇を固めていたのは実質的には甲斐宗運。そして、同盟者である相良義陽を中心とした勢力です。これは健在。果たして、そこまでの動揺があるか否か」

「当主が代わろうと、宗運を中心とした政には変わりあるまい。新たな当主は誰になるか」

「弟の阿蘇惟種が継ぐのが最有力ですな。龍造寺のような対抗馬もおりませぬ。これといって、波乱もなく就任されるかと思われます」

 口々に意見が飛び交う。

 阿蘇家は肥後国での最大勢力であり、国人達の心のよりどころ。いわば盟主である。大和朝廷以前の神代より続く、九国はおろか日本全体で見ても最古の名家。およそ家格という観点では到底太刀打ちできない別格の家柄である。

 だが、それも今は昔。家格や信仰だけで世が治まる時代はとうに過ぎ去ったのだ。戦国の世は武と政が物を言う。

 阿蘇家そのものが持つ武力は、もはや風前の灯である。

「新たに当主を継ぐであろう惟種殿は、身体を壊しているとの話もあります」

「これといって戦場で槍働きをしたという話も聞かぬ。大宮司は務まるかもしれませぬが、武家の長は難しいでしょうな」

 龍造寺家のように内輪揉めに発展する見込みはない。もしも、内部分裂をしてくれるのであれば、そこに付けこんで一息に肥後国を制圧できたのだが、そこまでは望めないだろう。

 阿蘇家にとって、新当主の対抗馬が存在しないというのは幸いなことであっただろうが、その一方で、新当主に就任すると目される阿蘇惟種が生来の病弱という難点も抱えている。

「惟種殿が当主の任に耐えないとなれば、ますます甲斐殿を中心とした体制を強くするでしょう。ですが、この場合当主の権力との摩擦が生じやすい。甲斐殿が如何に当主を立てる姿勢を示そうと、そうは受け取れないのが人の性です」

 歳久が淡々とした口調で言う。

「時間をかければ、甲斐家と阿蘇家の間に楔を打ち込むことも可能でしょう。しかし、相手は阿蘇家だけではありません。わたし達には時間がない」

「大内が尼子に手を焼いている間に、九国内での島津家の領土を拡大、安定させる。肥前を味方とすれば、大内そのものにも対抗できる力となります」

 たとえ、九国北部を手に入れられなくとも、肥後国、日向国を手中に治め肥前国の龍造寺家を屈服させれば、数万からの軍勢を整えることも難しくない。そうなれば、飛ぶ鳥を落とす勢いで成長する大内家と拮抗する軍備を整えられる。

 敵が巨大であるほど倒したときに得られる利益も大きなものとなる。大内家が転べば、その領土が一気に島津家の手に落ちることもあり得る。

「逆に言えば、大内家が全力をわたし達に傾けられない今が最後の好機ということよね」

 義弘は神妙な面持ちで歳久に確認する。

 およそ考え得る限り、これ以上の好機は存在しない。如何に島津家が勢いのある勢力といっても、現時点での大内家との兵力差は歴然である。それを否定するほど義弘は自分達の実力に酔ってはいない。

 九国制覇。その大願を成就させるために、最大の敵となる大内家が最も困難に直面しているこの時に兵を進める以外にない。

「あ、そういえば調略の方はどうなってるの?」

「隈本の城親賢から人質を差し出す旨の返答がありました。宇土の名和顕孝(なわあきたか)からも接触があります。川尻方面の制圧に兵を貸すことで、名和家を引き入れることは可能かと」

「いいわ。後ろ盾になってあげて」

「はい。では、そのように」

 川尻は、古くから甲斐家と名和家との間で領土争いが繰り広げられてきた地である。城家もまた同じ。共に甲斐家を共通の敵とした勢力であり、甲斐家とその主家である阿蘇家が大内家から信任を得ている以上、領土争いに勝利するためには大内家に対立する島津家に助けを請うのは自然の流れであった。

 これまでは、大内家のほか、大友家、龍造寺家、島津家と九国を大勢力が四つに分割しているような状態であった。これが、大友家が大内家に吸収され、龍造寺家が内乱状態に陥ったことで、九国の盟主は大内家と島津家に二極化された。当然ながら、大内家に就いた某かに不満がある者は、島津家に好を通じることになる。

 皮肉な話ではあるが、大内家の活躍が結果的に島津家の肥後進出を容易なものとしていた。

 歳久はその場で家臣を呼び、一軍を率いて城家を後援するよう命じ、隈本城へ援兵を差し向けた。

「さすが、行動が早い」

「もとより、準備を進めていただけです」

「大内家からの嫌がらせも止んだんだっけ?」

「商人達への統制を強めましたから。兵糧の流出は押さえ込めているはずです」

「そう。ならいいわ」

 島津領内から持ち出された多数の兵糧は、そのまま山口を経て東部の戦場に送られていたようだ。ただでさえ兵糧の欠乏が問題視される島津家にとっては致命的とは行かないまでも神経を逆なでする嫌がらせであった。

 肥後国人衆が二つに割れ、島津家に従う者が現れた。さらに、大内家は東に目を向け、龍造寺家は内政すらまともにできない始末。実質的に、倒すべき敵は阿蘇家ただ一つだ。

「さあて、北上の足がかりはできたみたいだし、一つ、派手にやりますか」

「応ッ」

 義弘は自らの手を打って、好戦的な笑みを浮かべた。薩摩隼人たちも同様であった。

 

 

 

 その夜、義弘は歳久を誘い、館の庭を歩いていた。

 今となっては義弘も歳久も互いに領土を与えられている身である。戦がなくとも、家族水入らずで話ができる機会はあまりない。まして、このように二人だけで話をすることなど、何年振りになるだろうか。

 顔を合わせることはあるが、私的に会うことは、思い返してみれば久しぶりなのだった。

 雲の切れ間に月が顔を出し、青い光が山の影を映し出している。

「ちょうど月が出てくれたね」

 満月には届かないまでも、月の光は薄く世界を照らしている。松明の明かりがなくとも、隣に佇む義弘の顔がはっきりと見えるほどの明るさだ。

「今年はみんなでお月見できなかったなぁ」

「また来年すればいいのです。そのころには、肥後、もしかした豊前まで島津の旗が立っているかもしれません」

「そうだね。うん、理想的な展開だ、それ」

 三州統一を掲げて兵を興した島津家。日向国は残念ながら手中に収まってはいないが、肥後国、肥前国と兵を進め、島津家勃興以来最大の版図を獲得するに至っている。

 収穫期を終えれば、冬が来る。北国と異なり、肥後国は積雪に行軍を邪魔される可能性が低いので、冬でも合戦は起こり得る。十分な兵糧を確保し、軍兵を整えて発つとすれば今年の冬になるだろう。

 順調ならば、その一戦で阿蘇家は崩壊し、肥後国は島津家の手に落ちる。然る後に日向国を攻略し、豊後国へ刃を付ける。雪崩のように九国の国人達が崩れれば、歳久の言うとおりに一年と待たずに島津軍は九国の最北に到達する――――ほんの僅かの可能性。文字通りの夢物語ではあるが、夢だからこそ燃えるのだ。

「十月十夜まであと三日。その頃には米の収穫も概ね終わっているでしょう。軍備の準備を急がせます」

「そうね。うーん、戦、もうちょっとか」

「やはり、気が逸りますか?」

「もちろん。あたしはほら、前に出て戦うのが仕事だからね」

 鬼島津と渾名された義弘は、どの戦でも前線に立ち、自ら槍を振るって戦ってきた。乗り越えた修羅場の数は、姉妹の中では最多であり、その分だけ挙げた功も多い。血気盛んな島津家にあって、義弘の存在は非常に大きいのだ。言ってみれば、島津という家のあり方を象徴する人物であると言ってもいいだろう。

「ここまで島津が大きくなるなんて、お爺ちゃんは想像してたかな?」

 不意に、義弘が呟いた。

 二人の祖父は島津忠良。日新斎の号で知られる伊作島津家中興の祖であり、現島津家を打ち立てた人物である。分家が乱立し、守護の座を巡る内乱に明け暮れた薩摩国を平定し、伊作家を島津家の本家としたのは義弘や歳久の祖父忠良と父貴久である。姉妹は、祖父と父が命懸けで生き抜いた島津家の歴史の上に立っているのだ。

「さて、あの人が何を考えていたのかいまいちわたしは分かりません。ですが、夢には見ていたのではないですか?」

「夢かー。確かにお爺ちゃんは夢見がちなとこはあったよね」

「三州統一。昔はそれこそ、夢物語でしたが……」

「もうすぐ、手の届くところに来た」

 秋風が義弘の髪を掻き揚げる。

 柔和な表情が引き締まったものへと変わった。

 島津家の未来を憂うのは簡単だ。誰でもできることである。だが、未来を掴むためには、憂えているだけではダメなのだ。実際に行動し、時に博打を打つ覚悟も必要になる。

 歳久も義弘も、そして島津家のすべての将兵は大内家を牙にかける可能性を見てしまった。尼子家の大攻勢と龍造寺家との戦で疲弊した大内家の将兵達。勝負に出れば、勝利することができるのではないかと感じてしまった。

 勝てるかもしれないと感じた時点で、血の気の多い輩は止まらない。薩摩隼人の血が騒ぐのだ。

 冷静沈着を旨とする歳久ですら、「勝てるかもしれない」という誘惑には抗い難かった。

 戦わずして負けるというのは、選択肢には入らない。島津家が今後生き残っていくためにも、大内家との戦いは避けては通れないのだ。ならば、最も勝負になる時期を見計らうのは当然であり、その時が刻一刻と近付いている。

 阿蘇攻略は、その試金石となる戦いだ。島津家と大内家の戦いの前哨戦。必ず勝利しなければならない大一番であった。

 

 

 

 ■

 

 

 

 大森銀山を西に眺める交通の要衝石見城を占拠した尼子軍の総大将亀井秀綱は、頑強な抵抗を続ける山吹城を思い、深くため息をついた。

 戦が始まる前から、そう容易く崩せない頑強な城であることは分かりきっていた。長期戦も覚悟していたが、やはり戦は早く終わるのならばそれに越したことはない。

 何せ、戦が長引けばそれだけ兵の中に厭戦気分が広まり士気が低下してしまう。そろそろ冬を迎える季節である。尼子家としては収穫期にまで戦をしただけに、手ぶらで帰るわけにもいかない。

 冬が深まれば、雪になる。山陰の冬は寒い。毛利攻めの敗北で、多くの凍死者を出した尼子軍は、寒さに備えて相応の装備を準備させている。それでも、やはり冬前に戦いを決してしまいたいところであり、度々降服の書状を送りつけている。もちろん、その回答はまったく果々しくないのだが。

「やむを得ぬ。あまり戦火を広げたくはないが、大内軍の本隊と一戦に及ぼう」

 と、秀綱は言った。

「本隊というと温泉城に篭る内藤軍のことですか?」

 家臣に問われた秀綱は大きく頷いた。

「左様」

「しかし、敵は二〇〇〇〇に達する大軍。野戦となれば、こちらも被害は免れませぬ。例え退けられても、山吹城の奪取は困難なものになるのでは?」

「内藤の軍は、山吹城を救援するために矢筈城を攻略しなければならない。故に、山間の銀山街道にはどうあっても踏み込まなければならぬ。二〇〇〇〇もの大軍も、街道にあっては烏合の衆。山中隊のみで退けられたのもそれが理由よ」

「矢筈城との連携で、内藤軍に打撃を加えると?」

「矢筈城を攻めるため、内藤軍は兵を小分けにして進軍している。温泉城に篭る本隊は、一部に過ぎぬはず」

 内藤興盛は、悠々と大軍で乗り込んできたはいいが、数の差を活かせないでいる。少数ながらよく守る矢筈城と援軍の山中隊が内藤軍を追い返しているからだ。地の利を得た尼子軍は、防戦だけならば、内藤軍が率いる大軍とも渡り合える状況を作り出した。拮抗した状態にさらに一手を加えて、内藤軍に大打撃を与えることで、山吹城を大いに動揺させる。それが、秀綱の立てた策であった。

「援軍が退いたとあれば、如何に頑強な城であっても士気を下げざるを得ぬ。ともすれば、落城の期待もできようぞ」

 秀綱は諸将に通達を出し、山吹城への押さえを残して軍を山陰道に進ませた。

 石見城から温泉城までは一里弱しか離れていないが、その間に高山や城上山が横たわっており、物見にさえ気をつければ兵の動きを悟られることはない。夜陰に乗じて兵を進め朝日と共に砦を抜き、一息に温泉城の城下に達する。

 そのように軍議を決し、軍議が終わるや否や、諸将は戦の準備に追われた。

 

 

 

 ■

 

 

 

 庭の池を赤く色づいた紅葉が染めている。

 木々を揺らす風の冷たさに季節の変わり目を感じた義隆は、思わず小さく身震いをしてしまった。

「そろそろ一年が終わるかぁ」

 近いうちに、吐息が白くなり、この庭もまた白色に染まることだろう。その頃には、各戦線でも大きな動きがあるに違いない。

 山口にあって、義隆は各地の情報を集めさせている。こう見えて、彼女は情報通なのだ。前線から送られてくる報告だけでなく、商人や僧侶との交流を通して様々な情報を仕入れている。

 どこの戦況も膠着状態である。一進一退といえば、聞こえはいいがこれまで多くの戦で勝利してきた大内家にしてみれば、この状況は好ましくない。足踏みを余儀なくされているという事実。もしも負ければ、御家が瓦解しかねないという現実。それらの責務を一身に背負っている義隆は、彼女なりのやり方でこの未曾有の事態に対処しようとしている。好ましい情報がこないものかと一日一日首を長くして待ち、兵糧や援軍の要請に応えるために、各方面に書状を飛ばして調整に努めているのだ。

 義隆は戦場の人ではない。姫武将であり、戦の経験もあるが彼女の真価はそこにはないし、それは彼女も理解している。だからこそ、余計な口を挟まず、状況を好転させるために後方から活動しているのだ。

 それでも、いや、だからこそ不安は募る。

 戦場が目に見えないということは、そこで何が起こっているのか分からないということでもない。 

 尼子家と島津家。どちらにどう対処するべきか。

「幕府を頼る。いや、ないな」

 将軍家の威光を利用し、仲裁に入ってもらう。それも選択肢の一つではあったが、今の将軍義輝は三好長慶との戦いを優位に運ぶために各地の大名に書状を送っている。助けて欲しいのは将軍家も同じだ。そのような体たらくの将軍家の仲裁に期待できるものなどない。

 まして、義隆は将軍家から距離を置くことを決めたばかりだ。幕府の仲裁は、極力頼りたくない一手である。かといって、三好家を頼れば、それこそ将軍家から目を付けられる。前述の通り威光も権力もない将軍家でも、尼子家の支援に回られれば厄介極まりないことになる。義隆は気にしなくても、地方の国人には未だ強い影響力を持つのが将軍家である。よって、就かず離れずの距離を維持しながらも、適当に尻尾を振るそぶりだけは見せておかなければならないのだった。

「義隆様、内藤殿が尼子軍と一戦に及んだ模様です」

 と、情報を持ってきたのは相良武任であった。

「それで」

「……はい。内藤殿らが拠点とする温泉城に、尼子軍が朝駆けを敢行したようです。矢筈城に行軍していた部隊は刺賀の部隊に強襲されて算を乱し、温泉城も敵に囲まれ一時は危うかったようですが、内藤殿の奮戦もあって、追い払うことに成功したとのこと」

「損害は?」

「具体的にはまだ。篭城戦だったこともあり、大局には影響はなさそうです」

「そう。なら、よかった」

 義隆はほっとした。内藤興盛を総大将とする兵は大内軍の主力とも言うべき大人数である。それが敗北したとなれば、他の戦場への影響も計り知れないものとなる。

「備後も気になるし、肥後も……うーん、毛利はどう出るつもりなのかしら」

 知将と名高い毛利元就ならば、この状況で如何なる手を使うのか。もしかしたら、すでに戦の絵図はできあがっているのではないか。そんな期待もしてしまう。それほどまでに、頼りがいのある武将ではあった。

 そんな義隆に、武任は声を潜めて言った。

「お言葉ながら、義隆様。あまり毛利に深入りされないほうがよろしいかと」

「うん?」

「昨今、外様の方々の力が強まるにつれて、譜代のお歴々の間に不安が広がっております。河野殿も毛利殿も力あるお方ですが、あまりそちらの顔ばかり立てられるのも問題かと」

「あー、それねぇ」

 これもまた義隆が頭を悩ませる問題であった。

 晴持を中心とした遠征軍が各地で戦功を挙げた結果、大内家の領土は膨れ上がり、膝下に下った勢力も多々存在している。代表的なのが伊予国の河野家と安芸国の毛利家、豊後国の大友家である。また、土佐国と日向国の一部を持ち、実質的に大名級の石高を有するに至った長宗我部家も台頭している。これらの勢力に対して大内家譜代の内藤家や杉家は、目ぼしい戦功を挙げておらず、石高も横這いだ。もちろん、そもそも大内家と肩を並べる大家である河野家や大友家と比較するのがおかしいのだが、家臣という立場になった場合、兵力も財力も外様が勝るという状況が面白いはずもない。

 おまけにこれら新興勢力は、晴持の軍事行動を機に現れた存在であり、言ってみれば晴持派である。家中には義隆よりも晴持を重視する見方も増えてきており、由々しき事態であるとも言えた。

「義隆様にも若にも、互いが互いを害するお気持ちがないのは分かっておりますが、すでに若が兵を挙げて山口に向かう、などという妄言を広めようとする動きがあります」

「どこの馬鹿よ、それ」

「恐らくは尼子の手の者かと」

 義隆は苛立たしげに舌打ちをした。

「一条殿のときとは状況がまた異なります。現状を思えば、流言飛語の影響も無視できません」

「で、わたしはどうすればいい?」

「ともあれ、譜代の臣を蔑ろにしないという姿勢を示していただく他ありません」

 譜代の家臣は、大名がとりわけ大切にしなければならない友である。主君を見限って別の主君を探し歩く者も珍しくない戦国の世で、代々仕えてくれる譜代は特に信頼の置ける家臣である。

 譜代の家臣は主家が危急のときにあった防波堤の役割も果たす。これらに背かれることがあれば、それこそ御家存亡の危機であろう。

「なら、内藤には励むように伝えて。どの道、成果を挙げてもらわないといけないのは変わらないんだから」

「御意」

 武任は一礼して、義隆の前から姿を消した。

 やれやれだと義隆は肩を落とした。

「さて、と……次は誰に書状を送ろうか」

 ぐるぐると右肩を回した。昨日は日がな一日書状を書き続けて筋肉が悲鳴を挙げているが、戦場にいる者の苦労を思えばそれくらいは大したことはない。

 内藤家の次は杉家、それから問田家も気にかける必要はあるだろう。九国に出張っている陶隆房や冷泉隆豊あたりは心配ないだろうが、一応雑談を兼ねて書状を送ることにする。それこそ、あの二人なら義隆よりも晴持からの書状のほうが嬉しいかもしれないが。そんなことを考えながら、義隆は自室に戻ったのだった。


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