大内家の野望   作:一ノ一

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その六十五

 義隆の密使が温泉城の内藤興盛の下にやって来たのは、宗運が義隆と会談してから七日後のことであった。

 広がった領土を管理するために、武任主導で要請された文官たちが寝る間を惜しんで馬車馬の如く働いたおかげで素早く命令を下せたのである。

 とはいえ大森銀山を担当する興盛にとっては、快い話ではない。

 自分を総大将とする軍から半数を九国の変事(・・・・・)のために後退させる。こちらは残る兵で守りを固め、山吹城の救援に当たる……兵力の半減は、現地の指揮官としては頭が痛い。そして、それ以上に二〇〇〇〇もの兵を与えられていながら、明確な戦果を出せていないことが屈辱であった。確かに、守りを固めれば敵を退かせるくらいはできるだろう。

「ぬぅ、矢筈城を奪還した矢先にこれとは」

 唸るように興盛は呟いた。

 銀山街道を押さえる矢筈城は、敵に寝返った刺賀長信によって奪われていた。それを、流血を強いながら奪還したのは、つい先日のことである。これで、山吹城に至る道は確保できた。兵糧の運び込みの目処も立ち、いざこれからという時であった。

「御屋形様の命であれば、仕方ないでしょう」

 と声をかけたのは石見国人の吉見正頼であった。正頼は、吉見家の五男。もとは僧籍であって家を継ぐ立場でなかったが、兄が山賊に襲われて落命したため家督を相続した。その際、兄に嫁いでいた義隆の姉、大宮姫を娶ったため今は大内家の親族衆の一人となった。

 いつも余裕のある態度を崩さない冷静な男である。大内家の親族となったことで、家中での立場も上がっている。

「お気持ちはお察ししますが、迅速な動きが肝要かと」

「承知しておる」

 半数とはいえ兵馬の権を取り上げられるのは、将としては得心がいかない。今の大内家が置かれた立場も分かっているが、理屈と感情は別のところにあるのだ。

 何より必要なのは戦果だ。功を挙げなければ武将としての花がない。しかし、まずは守りに徹し、尼子家を銀山に引き付けろというのは、如何なものか。

「矢筈城を取り戻し、山吹城の兵站を確保したことは大きな戦果だと思いますが?」

「攻め寄せる尼子を追い散らしてこそ、戦の勝利だ。勝利に貢献することこそが誉れではないか」

「それも分かりますが、何はともあれ大内家全体を俯瞰すべきときが来たということでしょう」

「ぬう」

 渋面を作る興盛に声をかけたのは、正頼ではなかった。

「内藤殿ならば、半数の兵でも立ち回れるという御屋形様のご信頼の証ではないかね」

「重矩殿。来られたか。話はすでに聞いておられるとおり」

「聊か、戸惑っておるところだが、九国は我が所領でもある。わしが大将に選ばれたのは、そういう事情もあってのことだろう」

 杉重矩は豊前国の守護代である。九国がいよいよ危ういとなれば、そちらに派遣されるのも分かる。

「今日は雲がない。月の光で道はよう見えるだろう。夜のうちに、わしが担当する大方の兵を退かせる。後は、興盛殿にお任せする。貴殿ならば、万に一つも問題はなかろう」

「夜のうちに動くと?」

「敵に見つからぬほうがよかろう」

「危険では?」

「勝手知ったる一本道が危険なものか」

「……承知した。ならば、今宵のうちに密やかに兵を退かれよ。この時節、海風は強く冷たい。ゆめゆめお身体には注意されよ」

 義隆の命が下ったのならば、拒否することはできない。重矩を指揮官とする一〇〇〇〇人が、この夜、戦線を離脱する。

 大きな戦力低下となるのは明白であるが、興盛にできることはこれまで通りの戦を続けることである。

 そして、重矩は自分の家臣に命じて部隊を小分けにして日の出ているうちから兵を退かせていた。大きな部隊が一気に動けば、それだけで大きな音や振動が発生するし目立つ。一〇〇〇〇人を二列にして動かしても、およそ一里にもなる長い渋滞が発生することになる。先頭が目的地に到達してから最後尾が追いつくまでに、半刻はかかる。少しでも一度に動かせる兵を減らすのも、素早い行軍のためには必要だと判断したのだ。

 義隆からはとにかく早く移動せよ、と厳命されている。それほどまでに九国の情勢は危ういのかと、重矩自身も不安に駆られているのであった。

 

 そして静々と石見国は離れた重矩は、まず萩に入った。

 そこで、待っていたのは相良武任であった。

 湯漬けをさらさらと腹に収めながら、武任に手短に話を聞く。

「此度の備改めは、九国の事変のためではないと?」

「はい」

「どういうことか説明してもらいたい。わしは九国の事変と聞き、興盛殿の下から一〇〇〇〇もの兵を預かって参ったのだ」

「もちろん、これから説明させていただきます。まず、此度、重矩殿に向かっていただきたいのは、九国ではなく備後です」

 怪訝そうな顔を重矩はする。それから、すぐに理解の色が浮かんだ。

「敵を騙すにはまず味方からということかね」

「真に申し訳ありません。戦地にあっては、どこに敵の目と耳があるか分かりませんので、九国に兵を差し向けるということにしていただいたのです」

「兵法の常道ゆえ、謝罪の必要はない。それに、今ので大方の事情も見えた。備後に中入りし、神辺城を囲む尼子軍の補給を絶てばよろしいのだな?」

「ご推察の通りです」

 さすがに歴戦の将だけあって、状況がよく見えている。

 大森銀山だけでなく、備後国の情勢にも関心を向け、情報を得ている。

「安芸の毛利殿は如何にしておられるか?」

「すでに動いておられますが、別行動となります。毛利殿は、調略に専念していただいているところです」

「わしの一〇〇〇〇が、その助けとなるか。戦わずに国を取れるのならば、それに越したことはない」

 権威だけでなく確かな力を見せ付ける。大軍が新たに備後国に押し入れば、大内家に靡きかけている国人であれば、好を通じてくるかもしれない。

 いずれにしても急がなければ、尼子家が大勢を整えて増援を送ってくる可能性も無きにしも非ずだが、今は真冬だ。峠道は雪に閉ざされ、出雲国からの援軍を送るのは難しい。

「雪を避けて平地の多い道を選ばねばならぬ。少々遠回りになるが、可能な限り急いで山口に向かうとする」

「よろしくお願いします」

 話の分かる将は、文官としてもありがたい。時に気に食わないであろう命を伝えなければならない立場にあるからだ。

 萩から山口に向かう道はいくつかあるが、どれも山道を進む箇所がある。最短ならば十里ほどの距離で、夏場ならば二日もあれば山口に辿り着けるが、冬場ということもあって道を選ばなければならない。

 そうした悪条件も重なって、杉軍が山口に到着したのは萩を出てから五日後のことであった。

 さらに重矩は、軍容を整えて山口を発し、村上水軍の力を借りて備後松浜湾から上陸した。

 松浜湾から東に進めば、小早川隆景がいる蔵王山の背後に出るが、重矩はこの道を選ばず日本海方面へ進み、高増山と大谷山の間を抜ける道を選択した。

 この道を進めば、神辺平野の西部に出る。平野部に集中する敵の城や砦からは大内軍が突然現れたように見えるだろう。

 この行軍を支えたのが、国竹城主有地清元であった。

 彼女は兄である宮元信との不和が原因で袂を別ち、国竹城を築いて独立していた。備後国内でも最大勢力に数えられる宮家との対立は単独では不可能なので、毛利元就を頼り大内家に好を通じた。

 そんな清元の所領である国竹城は、運のよいことに大谷山の北麓にあり、隣接する高増山の利鎌山城に拠る福田久重を攻め滅ぼし勢力を拡大している最中であった。

 清元が味方になったことで、大谷山と高増山の間を通る道の安全が確保され、また、大内軍の接近を平野部に出るまで隠匿することができたのである。

 極寒の風が骨身に染みる真冬の神辺平野で、ついに重矩率いる一〇〇〇〇の大軍は尼子家の後方に躍り出た。

「敵は我等の進出で浮き足立っているはずだ。この時を逃さず、一気呵成に城を攻め落とし、交通を遮断する!」

 第一の目的はすでに定めてある。

 平野を真横に横断する芦田川を渡ってすぐの丘陵に建つ法光寺山城である。川を挟んで隣接する掛平山城は、事前に義隆の命を受けた光成隆正という武将が清元と共に落城させ、乗っ取っている。背後を突かれる心配もなく、渡河した重矩は、休むことなく軍を進ませ攻城を開始した。小さな城は大軍の猛攻に対抗する術を持たずに忽ちに陥落してしまった。

 これにより、大内家は芦田川の両岸を押さえた形となり、神辺平野を東西に二分することに成功したのであった。

 その夜、法光寺山城を訪れる者がいた。

 小早川隆景である。

 老境に差し掛かった杉重矩とは、孫ほど歳が離れている。簡単な戦勝祝いと助力の感謝を伝えに来たのである。

「これほどの大軍で駆けつけて来られるとは、思いもよりませんでした」

「わしとて、まさか備後に派遣されるとは思ってはおらんかった。戦略の大転換というヤツよ。一先ずは備後の戦を早々に終わらせて、然る後に大森銀山を攻める尼子を撃滅するというのが新たな構想だ」

「その後には九国、ですね」

「左様。わしも豊前に所領がある身。どちらかと言えば、九国の情勢が気がかりなのでな。次の九国遠征には是が非でも参加させてもらわねばならん」

 好々爺然とした口調ながら、苛烈な武士としての信念を窺わせる響きが重矩にはあった。

「小早川殿は酒は、まだ飲めぬか」

「いえ、いただきます」

 重矩が引っ込めようとした瓶子に土器(かわらけ)の小皿を差し出す。

 やや逡巡した後、頑固そうな少女と争っても意味がないと重矩は土器に酒を注ぐ。それを、隆景は一口で飲み干した。

「見事」

 隆景の快い飲みっぷりに相好を崩した重矩は、自らも酒を口に運ぶ。戦時である。酔いつぶれるほどに飲みはしないが、寒さを忘れる程度には酒精を取り込んでおきたいところであった。

 酒を軽く飲み交わしたところで、隆景が口火を切った。

「尼子方は重矩殿のご活躍に肝を冷やし右往左往しております。この隙を突き、明朝、神辺城救援のために宇治山城への総攻撃を開始します」

「うむ」

「ついては、重矩殿には天神山城の牽制をお願いしたく」

 備後国には実は三つの天神山城が存在している。隆景が口に出したのは、神辺城近くで尼子軍が陣を張る天神山城であった。

「無論、そのつもりだ。が、そのためには邪魔をする城塞を突破せねばならん」

「正戸山城ですね」

「如何にも。件の天神山城まではちょうど一里ばかり。目の前の石崎城からはすでにわしらに就くという旨の使者が来ておるからな。立ちはだかるのは宮一門の篭る正戸山城のみよ」

 石崎城を守るのは、宮家と長年領土争いを繰り返してきた石崎信実である。石崎城があるのは服部谷の出口付近で、南北に流れ芦田川に注ぐ服部川沿いに建てられている。この服部谷を上流に向けて進んでいくと、尼子家に就いた宮一族の宮信清の泉山(せんざん)城が現れる。

「泉山城を石崎殿にお任せする。わしらは、正戸山城を明後日の日の出と共に攻撃する。それでよろしいか?」

「はい」

 大内家の大軍が現れたことで、神辺平野での情勢が急激に変わったのを隆景は実感していた。これまで日和見をしていた国人たちの中からも、態度を改めて大内家に靡く者が続出し始めたのである。

 尼子家の援軍が頼みがたい冬季に、平野の中央を奪い取った大内家には孤立感を深めた国人たち単独での勝利は覚束ない。意地を貫き尼子家に味方するという気骨ある者でもなければ、戦わずして大内家に靡くのは当然と言えた。

 

 

 ■

 

 

 

 大内家の備後国強襲に震え上がったのは、反大内家の急先鋒である宮一族であり、中でも目と鼻の先に大軍が現れた宮正味であった。

 彼女が任されている正戸山城は、平地にポツンと浮き出た独立丘陵に築かれた丘城で三方を沼地に囲まれた要害である。

 容易く攻め取られはしないだろうが、かといって大軍に対抗できる戦力があるわけでもない。頼みとなるのは尼子家の軍勢だけである。

「至急、牛尾殿に早馬を出せ! 大内が平野に進出している。そう遠からず、この城に攻め寄せるのは間違いない!」

 神辺平野で行われているのは神辺城の奪い合いだ。そのために尼子軍は天神山城に在陣し、神辺城を攻囲しているし、正味はその背後を守るように正戸山城に入ったのである。

 となれば、互いの位置関係上真っ先に正戸山城が狙われるのは目に見えている。

「いったい、どこから湧いて出てきたというのだ、あれは……!」

 大内家もまた兵力に余裕はなかったはずである。

 だからこそ、だらだらと長い睨み合いを続けてきたのではなかったのか。

 とにかく、援軍が来るにしても一〇〇〇〇人もの大軍を用意してくるとは想像もしていなかった。おかげで、大内家に靡く者も出て数を増やしている。

 正味にできることは、とにかく尼子家からの後詰を待つことだけであった。

 

 

 同日、天神山城の尼子家にも大内強襲の報が飛び込んでいた。

 神辺平野に押し入った大内軍の動きは手に取るように分かる。天神山城もまた、平野部にある丘陵に築かれた城だ。見晴らしがよく神辺平野全体を見ることができる。

 よって、宮家からの使者が来る前に、尼子家の諸将はこの緊急事態を把握していた。

「まずいところを獲られましたな」

「平野西部の国人衆との連絡が絶たれてしまいました。それだけならばまだしも、このままでは我等の補給路も……」

 尼子家は、言わずもがな侵略者という立場である。宮家のように受け入れている勢力もあるが、それは尼子家の力を頼みにして大内家に敵対するためであり、尼子家を助けるためではない。

 そして、尼子家の本拠は出雲国――――中国山地という険しい山を隔てた向こう側である。尼子家が援軍にしても兵糧にしても本国から補給を受けるためには、山を越えて救援を請い、大量の物資を山を越えて運び込まなければならない。

 兵糧は荷物になるので、できる限り現地調達を行う。だが、敵味方が入り混じったこの状況で、大内家が数的優位に立った今、兵糧の現地調達は難しい。

「敵はまずは正戸山城を攻める。援軍を出さねばなるまいが」

 と、発言したのは牛尾幸清である。尼子家でも有力な家臣であり、この遠征軍の総大将でもあった。

「援軍を送れば、宇治山を攻められてしまいますぞ」

「敵もそれが狙いであろう。しかし、このままでは時をおかず挟まれよう。今、この時点では我々の兵数が圧倒的に不利」

 蔵王山城に陣を張る弘中軍と拮抗している今、弘中軍と挟む形でほぼ同数の敵が現れたのでは、太刀打ちできるはずもない。

 もともと少勢で辛うじて持ち堪えている宇治山城は、あっという間に攻め落とされる。

 そして、一〇〇〇〇近い兵を抱えていながら、孤立無援は尼子軍も同じであった。大内家の兵が実質二倍に膨らんだが、こちらは国人衆の離反もあって減るばかりだ。

「事ここに至ってはやむを得ぬ。兵を退くよりほかになし」

「……しかし、それでは」

 幸清の言葉に一同が息を呑んだ。

「今のまま戦わば、敗北は必至。雪に覆われた長き山道を、敵に追われながら出雲まで逃れられる者がどれだけいようか」

「お言葉の意味は、分かります。されど、一戦に及ばずして兵を退くは、武門の名折れ。晴久様もお許しになりますまい」

「今は一兵でも多く出雲に帰還させる道を選ぶべきではないか」

 諭すように、幸清は諸将に語りかけた。

 天神山城だけで、大内家を返り討ちにするのは困難である。戦うのならば野戦しかないが、ここは伏せ兵を置く場所すらない平野部である。こうなれば、数の差が如実に戦力に影響する。

 二倍の戦力差が生まれた野戦で勝利する術があるものか。

「なれど、私は戦いたい。まだ、負けたわけではありませぬ!」

 と、発言したのは立原久綱であった。

「我等はかつての毛利攻めに際し、大敗北を喫し申した。二度目の戦でも、同じく逃げ帰ることができようか!」

「そ、そうじゃ。そのとおりじゃ。武門の意地を見せるときではないか」

 血気に逸る久綱の発言が軍議全体に波及し、各々が熱に浮かされたように唾を飛ばして決戦を叫んだ。

「おぬしら……」

 振り上げた拳の落とし所がない。まして、以前痛い目を見た相手に二度も負けるわけにはいかない。

 彼等の考えも幸清には理解できる。

 ここで尼子軍が退けば、備後国人は尼子家に見捨てられたものと思い雪崩を打って大内家に靡くことになるだろう。

 何よりも尼子家の誇りが退却を許さないのである。

「牛尾殿、まだ勝機がないわけでもありませぬ」

 久綱が拳を握り締めて言った。

「平野に現れた敵は物見によれば一〇〇〇〇余名。我等と睨み合う弘中軍もまたほぼ同数。対する我等もまたほぼ同数。ならば、弘中軍を宇治山の米原殿らと連携して押しとめている間に、残る兵で決戦を挑めば如何に? 二つの敵を同時に相手すれば、兵力差は二倍。されど、足止めの兵のみを宇治山に向かわせれば、ほぼ同数での決戦が可能。正戸山城の兵と合わせれば、押し返すことも適いましょうぞ!」

「その通りじゃ!」

「宇治山からこちらの平野に至る道を塞げばできるかもしれぬ」

 まるで坂道を転がる岩のように、勢いのついた議論は決戦の二文字へと急速に傾いていく。

 もはや、幸清の言葉が通じる段階ではなくなった。この危機的状況にあって、狂乱にも似た連帯意識が彼等を突き動かしている。

 冷静に現状を認識できているのは、幸清と他数名といったところか。ならば――――、

「相分かった。諸君等の思い、この幸清十二分に理解した」

「ならば!」

「久綱殿の策で以て、大内を叩くべし」

「応!」

 内心のため息を覆い隠し、幸清は決断した。

 今となっては彼等と運命を共にするしかない。

「弘中軍を押さえ込む者は誰ぞあるか?」

「私が」

 手を挙げたのは久綱であった。

「決死隊となろうぞ」

「無責任に策をぶちまけたわけではありませぬ故」

 久綱に続いてさらに複数の将が手を挙げた。幸清は頷いて、

「その意気やよし。米原と協調しようとも、小勢では無意味。最低でも三〇〇〇は必要であろう」

 と言って決死隊を結成した。

 内心、この心意気を持った者たちこそ尼子家の未来に必要な人材であると感じながら、手放さざるを得ないことを悲しく思った。

 

 

 

 ■

 

 

 

 久綱は与えられた三〇〇〇の兵と共に天神山城を出て、宇治山城の眼前にある丘に陣取った。

 瀬戸内へ向かう道の中央にある丘で、この丘の上からならば左右どちらの道を敵が選んでも攻撃を加えることができる。宇治山城を狙うのならば、そちらを挟み撃ちにしてしまうことも可能であった。

 とにかく、久綱ら将士はここで玉砕する覚悟を決めていた。少しでも長く敵の足を止めて、本隊が勝利する時間を稼ぐための捨石となる部隊であった。

 それに、何も死ぬと決まったわけではない。

 幸清らが大内軍に勝利して返す刀で救援に来てくれれば形勢は逆転する。一時的にでも兵力差一対二が、七対十になるのだ後者のほうが勝ちの目があるのは言うまでもない。

 敵は時間をかけずに攻めてくるだろう。

 今日、神辺平野に押し入ってきた敵軍は、そのままの勢いで攻め寄せる。早ければ明朝には戦闘が始まるはずであった。

 篝火を焚き、丘の木を切り倒して見通しをよくして、さらに柵や堀を作る。一昼夜でこれをするのは並大抵のことではなかったが、弘中軍が手を出してくることもなく、何とかそれらしい物は出来上がった。久綱も斧を手に取り、身分の大小関係なく全員一丸となって作業に当たった結果であった。

 そして、久綱は眠れぬ夜を過ごした。

 いつ敵が攻めてくるとも分からない。

 朝を向かえても決して安心はできなかった。指呼の間にある蔵王山は、山城のみならず麓の陣からも朝から炊飯の煙が上がっている。

 敵方の旗が風に棚引き、人々が慌しく行き交っている。さては戦の準備をしているのではあるまいか、とこちらも臨戦態勢を整えなければならなかった。

 

 

 対する蔵王山城では、日の出と共に法光寺山城を辞した隆景が杉重矩との会談の結果を報告していた。

 彼女は重矩が神辺平野に押し込んできた道を逆に辿り、蔵王山城の裏手から戻ってきたのである。

 朝から馬を飛ばしてきたので全身に疲労が溜まっているが、早急に動かなければならないので休んでいる暇はなかった。

「小早川殿、首尾は?」

「上々です。案の定、重矩殿に尼子、というよりも宮家に反抗的な勢力が集いつつあります」

 平賀隆宗の問いに、息を整えながら隆景は答えた。

「こちらの様子は?」

「眼前の丘陵に、尼子の一手が陣を構えている様子」

 昨日の大内家の動きを見て、さっそく尼子家が動いたのであろう。

「わたしたちの足を止めるつもりですね」

「恐らくは」

「すると、尼子の本隊は、決戦を挑むつもりですか」

 こちらの軍勢が神辺城を救援し、尼子の遠征軍本隊に攻撃を加えるのを阻止するために身体を張って足止めに徹するつもりであろう。

「意地なのか、それとも尼子に就いた国人たちへの義理なのか……いずれにしても明日で決着です」

 隆景は断言し、弘中隆兼がその理由を問う。

「明朝、日の出と共に重矩殿らが正戸山城に総攻撃を敢行します。恐らくは尼子家はこの救援に兵力を傾けるのでしょう。文字通りの決戦です」

「あー、つまりはあそこに陣を敷いている方々は、わたしたちを決戦の場に近付かせないためにいるのですねー」

「だったらよ、今のうちにアイツ等を片付けちまったほうがいいんじゃねえの?」

 と、村上通康が言う。

 陣を構える前の相手ならば、こちらから攻めて守りを固める前に潰すべきではないかというのである。

「しかし、それでは手順が狂う。何より、尼子の本隊が押し出てくるでしょう。正戸山城を抜かない限りは重矩殿の軍勢はこちらに来れません。これまでの焼き直しになるだけだと思います」

 もっとも、正戸山城を手早く重矩が奪ってしまえば、尼子軍を上下に挟むこともできるのだが、それはどうなるか分からないので棚上げだ。敢て、重矩と話し合って決めた計略を変える必要性はないだろう。

「何より、彼等があそこに陣を構えるというのであれば、そこから動けなくなるということでもありますし、わたしたちはその隙を突く」

「ふむ、何か考えがあるのですか?」

 隆宗が興味深そうに隆景に尋ねた。

 

 

 そして、夜が来た。煌々と城と山麓の陣には篝火が焚かれている。敵が築いた簡素な砦も明るく燃え立っているようであった。

 空から見れば、地上に星が瞬いているようにも見えたかもしれない。

 それでも、この時代の夜は暗い。一寸先を見通すことすらできない暗闇となることも珍しくはない。

 松明を持たなければ、僅かな月明かりや星明りを頼りに、動くしかないのがこの時代である。

 蔵王山の裏手から出た隆景は、一軍を引き連れて密かに神辺城を擁する黄葉山の背後に進んだ。位置関係から敵の盲点になる箇所である。朧な月明かりのみを頼りに、移動し、敵の目が届かなくなった当たりで松明を付けた。

 隆景が向かったのは、黄葉山の西麓にある春日村である。ここでは兵糧を神辺城に運び込もうとする村上軍とそれを阻止しようとする尼子軍が小競り合いを起こし、村が火に包まれるという事件があった。

 村人は戦火を逃れて逃げ散ってしまった。戻ってきても家を建て直すところから始めなければならない。

 すでに放棄された村であることや、敵の目が杉重矩に向いていることを勘案して、隆景は夜のうちに手勢を春日村に潜ませることにしたのだ。

 目的地に辿り着いてしまえば、明かりは不要だ。すべて消させて、息を潜めて夜明けを待つ。

 作戦については、出発前に聞かされていた。今更、何も話すことはない。隆景だけでなく、誰一人として口を開く者はいなかった。

 月がゆっくりと空を流れて、消えていく。それに合わせて、太陽が顔を出す。東の空が白く染まり、夜の帳が晴れていく。

「今日は見事な冬晴れですね」

「戦をするには、少しばかり爽やか過ぎる嫌いがありますが」

「何、新たな門出を思えばよいのですよ」

 渡辺通と軽口を叩き、笑顔を浮かべた後で、すぐに引き締めた。

 気合を入れるようなことは言わない。

 ただ全員が腰から下げた瓢箪や竹筒を取り出して、一口だけ酒を含んだ。寒空の下で戦うために、身体を酒気で暖めたのだ。

 そして、遠くから陣太鼓の音が響いてきた。

「始まりましたね」

 音の方向や大きさからして、間違いなく正戸山城への攻撃を開始した音であろう。

 遠くから大軍を動かす音がする。万単位の人間が鎧を着て動けば、それはもう大きな音がする。

 そして、それを合図に蔵王山城も動いた。

 界が吹き鳴らされて、わっと喊声が上がる。

「遅れてはなりませんよ。全員、駆け足!」

 隆景の声に合わせて、彼女の手勢が一斉に動き出したのだった。

 

 

 案の定、神辺城下の警備はほとんどあってないようなものであった。

 尼子軍の多くが決戦のために兵を引き上げた。そのため、ここに残ったのは神辺城の、餓えて打って出るのも困難になってしまった城兵を見張るための僅かな手勢だけだ。

 数にしても隆景の手勢と互角。

 ならば、不意をついた今ならばいける。

 隆景は手勢を二つに分けて一つに、

「突撃!」

 の命令を下した。

 神辺城下にある左右を木々で囲まれた僅かな平地に一〇〇の兵が飛び出した。敵も声を挙げて突っ込んでくる小早川軍にぎょっとしたようであったが、すぐに迎撃の用意をした。

 これに向かって鉄砲と弓矢を打ち掛け、槍を合わせた。

 敵の先手が小早川軍の先手とぶつかった頃合を見計らって、隆景は迂回して森を突っ切り敵勢の横腹に向けて矢弾を浴びせかけた。

 神辺城下の僅かに開けた細長い地形は、隆景にとって実に都合のよい形状をしていた。奥に敵を誘い込めれば、簡単に横槍を入れられるのである。

「崩れたぞ、行け! 追い散らせ!」

 側面からの攻撃で敵の陣形が崩れた。それを見て取った隆景が突撃の合図を再度送った。

 ここから先は無我夢中である。

 戦場の熱狂のままに誰も彼もが槍を振るい、時に拳で殴りあった。

 虚を突かれた尼子軍は、抵抗を早々に諦めて背中を見せて逃げていく。

「隆景様、追い首は?」

「不要です。通、すぐに神辺城に兵糧の搬入を!」

「はい」

「動ける者は次に行きます。敵の背後を脅かしますよ」

 隆景が言うのは、神辺城下から宇治山城の方面へこのまま兵を進めるということであった。

 二〇〇人程度の寡兵である。神辺城の軍は長い兵糧攻めでまともには戦えないだろう。

「神辺城の解放には成功しました。逃げていった者たちが、すぐにそれを伝えるでしょう。多少は敵の士気も下がるはずです」

 神辺城の救援という本来の目的をこれで果たした。敵にしてみれば、今までの攻囲が水泡に帰したのだから精神的打撃は大きい。それに、これで小早川軍は宇治山城や即製の砦を設けた尼子軍の背後を押さえた。

「背後を脅かすと言われましても、この兵力では……」

 小早川軍は僅かに二〇〇。敵が少なく、不意打ちが決まったから何とかなっただけで、敵城に与える影響はさほど大きくはない。

「直接攻撃することだけが、攻城ではありません。敵から辛うじて見える山中に旗を立て、麓に陣幕を張ってください。準備ができたら太鼓を叩いてわたしたちの存在を知らせてあげるのです」

 彼我の戦力差は歴然である。三〇〇〇の兵が決死の覚悟で丘に駐屯しているが、あれがきちんとした砦ならばまだしも即席の砦では防御力に期待はできない。

 陥落は時間の問題だった。

 

 

 神辺城の解放と背後に小早川軍が現れたことで、立原久綱の陣にも動揺が走った。

 もとより戦後のことなど考えても仕方のない決死隊だ。自分たちの陣が全滅するかもしれないという程度で動揺はしない。

 彼等にとっては、背後――――即ち、牛尾幸清らの本隊への道が開けてしまったことが問題であった。

 小早川軍にはどれくらいの戦力がある?

 それすらもこの混迷を極めた状況では把握できない。ただ、旗と陣太鼓のみが敵の存在を伝えてくる。

 矢弾が飛んで来る。頭に何かが当たって前立が弾け跳んだ。

「久綱ッ!」

「問題ない、掠めただけだ! 攻撃の手を緩めるなッ!」

 持ち込んだ鉄砲の引き金を必死になって引く。丘の下に向かってとにかく矢を放ち、攻め上ってくる敵に槍で押し戻した。

 身体が疲れて動かなくなるよりも前に声が枯れた。声をかけるべき味方は誰もいなかった。逃げ散ったのか、討ち死にしたのか分からない。気がつけば仰向けに倒れている。弘中軍が取り揃えた大量の火縄銃が即製の砦の柵を壊し、鎧を射抜き、将士の命を薙ぎ払っていた。久綱もまた、無慈悲な鉛の雨に打たれて余命幾許もない。

 いざ自らの死期を自覚して、痛みはなくいっそ清清しい気分ですらあった。

 一人また一人と味方が消えていく中で、丘の頂上に仁王立ちした久綱は槍を携えて坂を下った。

 追い散らされる味方の波を掻き分ける。

「立原久綱……ここに死に花を咲かせん」

 坂を上ってくる弘中軍の兵に槍を突き入れる。体重をかけた刺突はあっさりと敵の最上胴を貫いた。

 もはや、足の力も入らない久綱は、衝突の衝撃を支えられずに膝から崩れて斜面を転がる。槍は真ん中から折れて使い物にならなくなったので放り捨て、刀を抜いた。

「あの武者、剛の者ぞ! 討ち取って名を挙げい!」

 騎馬武者がそう叫ぶや、手柄欲しさに足軽たちが襲い掛かってくる。一人二人斬り捨てたが、多勢に無勢は否めない。奮戦も空しく組み伏せられて首を取られた。

 久綱の死で、決死隊は瓦解した。

 二五〇人余りの戦死者を出し、這う這うの体で逃げ出すほかなかったのだ。そして、ここが崩れたことで向かい合う宇治山城も陥落した。米原綱寛は、自害しようとするところを家臣に押さえつけられ、裏手から連れ出されて落命を免れたようだ。

 弘中軍は、逃げ去った敵には目もくれずに軍容を立て直し、尼子本隊への攻撃に移ったため追撃を躱し切ることができたのだ。

 

 

 

 

 久綱が命を賭して稼いだ時間は二刻にもなった。

 即席の砦と寡兵でよく凌いだと言えるだろう。

 牛尾幸清は、明朝に案の定仕掛けてきた杉重矩と正戸山城下でぶつかった。城に攻めかかる重矩の軍に対して城方と連携して猛攻を加えた。

 尼子家は一丸となっていた。負ければ死ぬほかないと分かっていたからだ。

 戦に際しては死に臨む兵――――死兵が最も恐ろしい。命を投げ捨てて死ぬまで戦うために強い。城を攻めるときには逃げ道を用意して死兵になるのを防ぐのが常道であった。また、一向一揆のように死後の安楽が約束されていると信じる者たちは、常に死兵も同然であった。よって、彼等を相手にした場合、大勢力であっても多大な犠牲を覚悟しなければならなかった。 

 大内軍に挑みかかる尼子軍は、まさに死兵と化していた。七〇〇〇人の死兵である。そこに城方が加わった。

 僅かな兵数の不利は、士気で覆せる。

 細かな策の通じない平野での会戦である。兵数と士気で勝るほうが勝つ。勝利を確信していた重矩軍には油断もあっただろう。まさか、総攻撃を仕掛けてくるとは思いもしなかったからだ。

 背後を弘中軍に突かれる恐れはないのか。あるいは、弘中軍を抑える何かがあったのだろうか。だとすれば、完全に想定外である。そういった困惑も、大内軍には漂っていた。

 だが、受けて立つ重矩も歴戦の猛者である。

 尼子軍が如何にして大軍を纏め上げ、こちらに送って寄越したのか。そのからくりを見抜き、当初の予定通りに事を運ぶ方向で決定した。

 この時点で、大内軍と尼子軍の戦闘方針は正反対のものとなった。

 大内軍は尼子軍の背後に弘中軍が現れるまでの間時間を稼ぐ。尼子軍は久綱が道を封鎖している間に決死の覚悟で大内軍を蹴散らす。どちらに勝機があるかは言うまでもないが、尼子軍にはそもそもこれ以外の活路がない。

 このようにして激突した両軍であったが、当初は尼子軍が士気に勝り、大内軍を押し込んだ。負けない戦いをすればよいという消極的な大内軍に対して勝たなければ命がない尼子軍の士気は高く、多少の兵力差を物ともしない戦いぶりを見せたのだ。

 勇戦甚だしい尼子家に押されて、大内家は軍を押し戻された。だが、その勢いも長くは続かない。次第に戦の流れは大内家に傾き始め、互角の様相を呈するようになると焦り始めたのは尼子家であった。

 時間がないというのが如実に彼等を苦しめている。

 そして、運命の時がやってきた。

 日の出からおよそ二刻。

 尼子家の決死隊を打ち破った弘中軍が、神辺平野に姿を見せたのである。

「お味方、大勝利! そのまま、こちらに進み、尼子軍の背後を脅かさんとする勢い!」

 と、重矩に報告に来た家臣は歓喜の色を湛えて言った。

 ほぼ同時に、

「後方に大内軍が出現! このままでは挟まれます!」

 と、牛尾幸清にも報告が届いた。

 幸清は、嘆息して床机に深く腰を沈めた。

「牛尾様……」

「うむ、ここまでだ。退き太鼓を鳴らせ」

 長い長い太鼓の音が鳴り響いた。

 狂乱の熱が冷めたように尼子軍は沈黙する。それは、この戦の敗北を決定付ける太鼓の音だった。

 

 

 正戸山城に尼子軍はすべて収容できない。かといって天神山城に戻ることも難しい。正戸山城の周辺に陣を敷いた尼子軍はそこを固く守ることで、大内軍と睨み合う形となった。

 その上で、幸清は大内家との間に和睦交渉を持ちかけた。

「やっとですか」

 と、その話を聞いた隆景は、尼子家の対応の遅さに呆れていた。このような状況に追い込まれる前に、停戦交渉から始めるべきだったのだ。

「あの牛尾が、この状況を分かっていなかったとは思えねえ。大方、血気に逸った連中を抑えられなかったんだろうよ」

 と村上通康は言った。

 大将として備後国に乗り込んできた牛尾幸清は名の知れた武将である。このような致命的な戦をするとは思いがたい。

「もしかしたら、初めから負けると分かっていたのかもしれませんねー」

 相変わらずのほほんとした表情の隆兼は、頬に手を当てて勝利の酒に酔っていた。

「振り上げた拳の降ろしところを探っていたと考えれば、迅速な撤退も分かります。周りは死兵になっても牛尾殿だけは理性的に戦場を見ていたのかもしれません」

 大内家と尼子家の関係が悪いのは言うまでもない。

 好敵手と呼べるような関係でもなく、隙あらば喉元を食いちぎってしまいたいという不倶戴天の敵であった。

 そんな相手に戦わずして和睦などできるはずがない、と尼子家の将兵は思ったのかもしれない。

 和睦を無理矢理進めれば、間違いなく不満分子は暴発する。

 よって、そういった者たちでも納得できるようにやむを得ず戦をしたのではないか。負けたのだから和睦もやむなしと味方を諭しつつ、大内家に対しては不当な要求には武力で応える意地があると見せ付けた。

 総大将として部下の統率ができていないと言えばそれまでだが、幸清と他の武将は君臣の関係ではない。危機的状況下にあって、統率することの難しさというのはある。もしも、尼子晴久がこの場にいれば、また違った結果があったのかもしれない。

 こちらの大将である杉重矩と尼子家の使いで交渉が行われている。

 互いに落とし所を探るというよりも、大内家側の要求を相手に飲ませるための話し合いである。

 これ以上の戦は無意味というのは、大内家も尼子家も承知していた。その上で、尼子家は大内家の軍勢に包囲されている状況であり、こちらに意見できる立場ではない。

 しかし、目の前にいるのは尼子晴久ではない。国主でもない相手とこの場でできる取引は限られており、徒に反感を買って、今度こそ死兵になられても面倒が増えるだけであるという思いも重矩にはあった。何よりも彼にはこれから大森銀山に取って返して、再び尼子家と戦わなければならないのであって、兵の損失は可能な限り抑えたいところであった。

 そういった事情が重なった結果、尼子家の備後国からの完全撤退という寛大な内容でこの場での和睦が成立した。

 尼子軍は和睦成立から二日後、朝日と共に神辺平野から去っていった。その背中を見送りながら、隆景は重矩に尋ねた。

「本当に、寛大なご決断。幸清殿に腹を召させることもできたのではありませんか?」

 牛尾幸清は尼子家の中でも頂点に近い力を持つ重臣である。ここで切腹に追い込めば、尼子家の戦力低下も期待できた。

「あの御仁ならば、確かに切腹を否とは言わなかったであろう」

 と、重矩は言った。

「だが、ならぬ」

「ならぬ、とは?」

「ここであれに腹を切らせれば、いよいよ尼子は手がつけられなくなる。これより、険しい山を越えるのだ。統率力のある将がおらねば、忽ち尼子の軍勢は逃散し、山野に潜み後の害となろう。だが、幸清殿は一兵でも多くの兵を出雲に連れて帰らねばならぬ立場。極力乱暴狼藉はさせぬであろう」

「それで、腹を切らせなかったのですか?」

「左様。それに、寛大な対応をすれば、それだけ民の心も安らぐというもの。これから小早川殿らには備後国内の尼子家に心を寄せた国人らを屈服させる必要があるのだからな」

 この和睦はあくまでも大内家と尼子家との間に結ばれたものだ。尼子家に心を寄せた備後国の国人は対象に入っていない。

 これから、隆景たちは備後国内の反対勢力の鎮圧を行う必要があるが、敵対勢力に対して交渉の余地があると思わせれば、戦わずして投降してくる者も現れるであろう。

 これは、そのための下地作りの和睦でもあった。

「わしは明朝には備後を発ち、御屋形様に戦勝報告をせねばならぬ。後のことは、そちらにお任せする」

「承知しました。重矩殿は、このまま石見へ?」

「うむ。準備が整い次第、大森銀山の尼子軍を成敗せねばならぬからな」

 そう言った老将は、深い皺を刻んだ顔を朗らかに緩ませた。

 彼にとっては隆景は孫ほど歳が離れている。

 会話をするだけでも、活力をもらえるような気になるのであった。

 

 

 

 ■

 

 

 

 備後国に於ける闘争は、尼子家の敗北で決着した。本隊が敗れて撤退することになったため、他の地域に駐屯していた尼子軍も我先にと撤退を開始した。

 中には睨み合っていた備後国人の勢力に追い散らされて多大な打撃を被った部隊もいたというが、それは大内家との和睦とは関係のない話である。

 この和睦について、全体的に評価しつつも残念に思っていたのは安芸国で情勢を見守っていた毛利元就であった。

「隆景様の勝利にございますぞ?」

「ええ、それはもう。あの娘も上手く立ち回ったようですし、ほっとしています」

 母として、将として隆景が無事であったことと、それなりの活躍をしたことを嬉しく思っている。

 それに毛利家として大内家に御家の存亡を賭けることにしたばかりだ。備後国の戦で敗れていたら、その目論見がすべて泡沫と消えるところであった。

「それでは、何ゆえ残念などと?」

「それはもちろん、せっかく尼子軍を退治するために進めていた準備が日の目を見なかったからですよ。和睦せずに、尼子が逃げ出していたら、牛尾殿も含めて全滅させることもできたでしょうから」

 と、元就は瞳に怪しい光を湛えて微笑んだ。

「もしや、三村殿のことでしょうか?」

 と家臣は尋ねる。

「ええ。そして、馬屋原家。この二つはすでにわたしを介して義隆様に誓紙を出すと連絡を寄越しました。三村殿と馬屋原殿の領地は隣接しており、その間の峠道は神辺平野から出雲へ至る最短の道。追撃戦となり尼子軍がここを通れば、呼応した両家が左右より尼子家を挟み殲滅する手はずでしたのに、和睦したのでは戦はそこで終わりです。だから、残念と申したのです」

 智謀と人脈が元就の武器だ。安芸国にいながら遠方の知人と連絡を取り、尼子家の退路を密かに塞いでいた。

 確かに、逃げ戻る途上であれば如何なる大軍であっても統制は取れておらず三村家と馬屋原家の攻撃に為す術もなかったであろう。

 元就としては自分が描いた絵図の通りに事が運ばなかったことが悔しかったのである。

 とはいえ、余り彼女自身が目立つのもよくない。今回の件は、隆景が武名を上げ、備後国の騒乱が終結に近付いたと分かっただけで良しとしよう。

 

 


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