大内家の野望   作:一ノ一

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その六十八

 長智の眼前には、ひしめき合う敵の軍旗。黒々とした鎧兜がずらりと並ぶ姿は、凄まじい迫力で、心理的な圧迫感が日に日に強くなる。

 阿蘇軍の侵攻を口八丁とだまし討ちで大いに遅らせ、敵の兵を減らすことに成功した長智であるが、残念ながら隈庄守昌は手傷を負わせたものの仕損じてしまった。

 初戦で挙げた首級は七十を数え、城内での激戦でこちらにも多数の死傷者が出た。安心しきった敵を自分の城内に引き込み不意をついて挟撃するという悪辣な手を使ったため、もう交渉の余地は一切ないだろう。

 もともと、駒返城の防御力は高いとは言えない。山の頂に本丸を設けてはいるが、空堀すら設けていない。防衛のための城というよりも、駒返峠を往来する人たちを監視するための城と考えたほうがいいだろう。

 そんな城なので、そう何日も篭城できるものではない。

 開戦から十日が経過している。

 すでに府内にも早馬が届いていると見ていいだろう。

「そろそろですか」

 西に太陽が沈む。遠く東の空から夜が押し寄せてくる。今日も天気が良さそうで、月を隠す雲はほとんどない。

 長智は、軍議の間に指揮官級の五人の将を呼び出した。共に篭城している仲間の生き残りである。その中には甲斐親房や甲斐重当もいる。

「えー、簡単に言うともう城門も限界が近くなっているので、今宵後方に退こうと思います」

 緊張感のないのほほんとした言葉遣いで長智は言った。

「敵の第一陣を足止めするという役割は十分に果たしたと思いますので」

「待ってください。まだわたしは戦えます」

 真っ先に身を乗り出したのは、親房だった。

 額に血が滲んだ包帯を巻いている。服に隠れて見えないが、二の腕にも切り傷を抱えていた。それでも、彼女の顔に恐怖はなく、ただ滾々と湧き上がる戦意だけがあった。

「まあ、待て親房」

 と、血気に逸る親房を止めたのは重当であった。

「まだ深水殿の話が終わっていない」

「ありがとうございます、重当殿」

「戦えるというのならば、俺も戦える。だが、それは深水殿も承知の上だろう」

「もちろんです。そして、まだ戦えるからこそ、この辺りで退くべきなのです」

 長智は微笑を浮かべて言った。

「なぜですか?」

「ここで玉砕するよりも、背後の南郷城を拠点に敵を迎撃するほうが、より長く敵を足止めできると考えるからです」

 長智たちが篭る駒返城は駒返峠の入口を守る拠点だ。昔の阿蘇家当主が、矢部から南郷へ移動しようとした際に、険しい峠道で馬が引き返してしまったという故実からその名がついた。この近辺でも特に足腰に来る峠道である。

 この駒返城を抜けると山道の先に南郷城があり、そこを越えると南郷の平野部に出る。

 このままで城下にまで敵の陣が迫る状況を座して見ているよりも、背後に城を背負い山道を駆使して敵の足止めに専念するほうが効果的ではないか、というのが長智の意見であった。

「我々は敵を散々に虚仮にしましたからね。そろそろ、痺れを切らせて総攻めにかかってもおかしくありません。現状、この駒返城では耐えられないでしょう。無為に落城すれば、南郷城まで敵を遮るものはありません。城に篭っているだけでは、足止め役としては不十分。南郷へ至る山道の途上に逆茂木のように人員を配し、只管足止めに徹することで時間を稼ぎます」

「地の利を活かすと言えば響きはいいが、それは……」

 まだ戦えると口にした重当ですら、絶句する。

 少数精鋭を山道に配置して、攻め寄せる敵を受け止める。あくまでも少数なので突破はされるが、それを何度も何度も繰り返すことで敵全体の足を止める。

 それは背後の味方のために、兵を使い捨てる狂気の策であった。

「まだ戦える。そして、この城に集った皆は最初から命を捨てている者ばかり。だからこそ、その命を最大限に使い潰させてもらいます。すべては義陽様の恩ために。そして、あなた方のお仕えする主人のためにです」

 物静かな言葉遣いに宿る信念に一同は総身が震える思いがした。

 誰かが生唾を飲んだのは確かだが、自分の喉は渇くばかり。皆、そのような感覚に囚われている。

「さて、それで撤退の件ですが、委細は重当殿にお任せします」

「深水殿は、如何される?」

「この策を言い出した者として、まず第一の逆茂木となります。即ち、私と相良の手勢はこの城と運命を共にします」

 長智の言葉を聞いて、親房が勢いよく立ち上がった。

「待ってください! それでは、話が違います! この城では戦えないから、後方に退くはずではないのですか!?」

「その通りです。ですが、それでも城というのは敵を惹き付けます。落城すれば、この城内の者は皆死にますし、それももう時間の問題となりました。ならば、無為に死者を増やす意義はありませんし、城も有効活用すべきなのです。先ほど申しましたように、皆さんには命を使い潰していただきます。その先陣を、この深水長智が務めさせていただくのです」

 どうあっても城は落ちる。ならば、落ちる城に大人数を込めておく必要はない。その背後に伸びる少人数でも時間稼ぎが可能な山道に配置したほうが効率的だ。その上で、自分は落城までこの城に残るというのだ。

 命懸けの作戦になる。

 あくまでも、後方の本隊が来るまでの時間を稼ぐ殿のような仕事だ。そして、本当に大内家や大友家が増援を送ってくれる保証まではされていない。見捨てられる可能性すらある中で、迫り来る敵の大軍を引き受けるのは、とてつもない胆力が必要だ。

 そのために、長智は城に残るのだ。

 命を賭けることが前提となる策を提案した将として、その最も分かりやすい例を示そうとしているのである。

「死ぬ気だな、深水殿」

「死ぬつもりはありませんが、そうなる可能性は高いでしょうね」

 死への恐怖をおくびにも出さず、長智は言った。

 重当の鋭い眼光にも、長智は怯まない。

「そんな。深水殿が残るのであれば、わたしも残ります。おめおめと引き下がるわけには行きません!」

「却下です」

「どうしてですか!?」

「あなたには、後ろをしっかりと支えてもらわなければなりません。勢いのある人でなければ、危険な任はこなせませんからね」

 危険極まりない殿の仕事ができるのは、高い統率力と前向きな心を持つ者だけだ。

 猪突猛進なところはあるが、前線で槍を振るえる指揮官ならば、配下もしっかりついてくるだろう。長智はそう考えていた。

「でも……!」

「もういいだろう、親房」

 なおも食い下がろうとする親房を、重当が制した。

「確かに、この城はもう持たないだろう。落ちれば、一足飛びに南郷城までの道が開ける。それだったら、道沿いの関を増強して、敵の足止めに利用したほうがずっといい。深水殿の案に、俺は賛成する」

 重当が明確に賛同したことで、ほかの諸将も渋い顔で同意する。

 長智を見捨てる形になる申し訳なさと、敵に城を渡すことになる不甲斐なさがあった。

「待って、わたしはまだ……」

「親房、時間がない。決まったことに文句を垂れる前に、自分の仕事を始めろ」

 厳しい口調で、重当が親房に言った。

 反対したい気持ちは全員が共有しているのだ。納得だってしていないだろう。その上での決定だ。多数決で決まったことに、軽々に反意を唱えることはできない。

 親房は唇を噛み締めて俯くしかなかった。

 その後、日が沈む前にと一押ししにきた敵兵を何とか退けてから、親房は自分の手勢を纏めて静々と城を出た。

 独立峰に築かれた山城や平野部の丘城と違い、この駒返城は東西一繋がりの外輪山の峠道沿いに建てられた城だ。完全に包囲するなど、どれだけ人手を掻き集めても不可能である。よって、抜け道を通れば敵勢の目を盗んで城を脱することもできた。

 空には三日月。

 光量は少ないが、皆無ではないという程度。身を潜めて行動するには都合がいい。

 落ちていった親房たちを見送った長智は、安心したとばかりに吐息を漏らした。

「まずは親房を逃がしたかったというところか、深水殿」

「宗運殿には、ずいぶんとお世話になりましたからね」

 長智の主君である相良義陽が宗運と竹馬の友であることなど、九国にいる武将ならば誰でも知っている常識である。

 その縁を頼り、相良家が阿蘇家に逃れ、そして宗運と共に大内家に去ったことも周知の事実である。

 長智にとって、宗運は主君の親友であり相良家の命脈を繋いでくれた恩人なのだ。まして、宗運の妹の親房が、自分と共に討ち死にしようとしてくれている。それだけで、十分であった。

「まだ若い身空で討ち死にする必要もありません。後のことはよろしく頼みます」

 と、長智は親房と同じ甲斐一族の重当に頼んだ。

「ああ、まあ、仕方ない」

 ひゅん、と空気を切る音がする。

 そうと分からないうちに、長智は膝から崩れ落ちた。倒れた長智が頭を打たないように、重当は襟を掴んで乱暴に身体を支えた。

 重当が長智の顎先を拳で弾くように打ったのだ。仲間からの不意打ちには、長智も対応できなかった。もともと突出した武勇の人というわけでもない。咄嗟の回避は叶わなかった。

「し、重当殿、突然何を!?」

 長智の家臣が色めきたった。当然である。自分の主が、突然意識を断たれたのだから。

「騒ぐな。申し合わせた上のことだ」

 そう言うと、ぞろぞろと重当の家臣たちがやって来る。それだけでなく、先ほどの会合に出席していた将も混じっている。

「敵は島津とはいえ、攻めてくるのは阿蘇の者どもだ。言うなれば、これは阿蘇家の内訌であり、相良家の者があえて先頭に立つ必要はない」

 そう言って、気絶した長智を彼の家臣に受け渡す。

「親房が辿った道を使えば、問題なく外に出られるだろう。深水殿の智慧は窮地にこそ必要だ。何より、あの猪娘の手綱を握るのは御免だ」

 城に残るのは重当と名乗り出た者を合わせた僅かに一〇〇余名。これで、城門を固く閉ざし、できる限りの徹底抗戦を図るつもりなのだ。

「さっさと行け。主人が目を覚ましたときには、引き返せない場所まで行っててもらわないと俺も困る」

「重当殿……忝い」

「礼は不要。今しがた言ったとおり、まだ相良の出番ではないというだけのことだ」

 そもそも、この城自体が阿蘇家の物だった。長智が城代を務めたのはその能力が買われてのことだが、だからといって最後まで共にする必要はない。阿蘇家の不始末は、できる限り阿蘇家所縁の者で対応したい。

 阿蘇家の者に相良家累代の名将が討たれたとなったら、宗運がどれだけの衝撃を受けることか。

 重当と宗運は特別親しいわけでもないが、その能力は高く評価している。そして、二心なく阿蘇家に仕えていたからこそ、宗運に対する仕打ちに義憤を燃やしてここにいる。

 長智が倒れた今、城内の発言力は重当に一極集中している。

 暴力的に権力を手に入れた重当だったが、反発の声は上がらなかった。

 長智がそれだけ慕われる将であったということでもあった。

 家臣に背負われて城を退去する長智を、寂しげに重当は見送った。

「すまんな、深水殿」

 強く決死の覚悟をしていたであろう長智の思いを無碍にしたことを小声で詫びた。

 この後、さらに三日間駒返城は篭城を続け、最後の一人になるまで抗い続けた。

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 大内家が尼子家と島津家を相手に苦慮している時、京では大きな動きがあった。

 長らく対立していた三好家と将軍家が和睦したのである。

 三好家は阿波国に発した名族で、もともとは細川家に仕える家柄だ。現当主の長慶の父元長が、管領の座を巡る細川家の内訌で駆り出されたことで畿内への足がかりを得た。

 元長は、細川晴元の勝利に大きく貢献したものの、後に危険視され一向一揆と手を組んだ晴元により攻め滅ぼされてしまっている。

 この争いには、細川家の権力争いだけでなく、三好家総領の座を巡る争いも関わっていたとされ、晴元と蜜月の関係にあった三好政長が首謀者であったともされている。

 ともあれ、長慶は父の仇である晴元の下でじわじわと頭角を現し、政長と政治的な暗闘を続けながら勢力を拡大して、ついに武装蜂起、晴元と政長を追い落とし自らが政権の中心に立った。

 この事件の際に将軍家とも対立してしまったのが、今に至るまで続いていた京における権力争いの根である。

 長慶としては、敵はあくまでも晴元と政長。政長はすでに討ち果たしたので、晴元さえどうにかできれば、将軍家と敵対する理由はなかった。

 管領は細川氏綱が就任している。長慶が晴元に代わるものとして担ぎ上げた。そして、傀儡でもある。実権は一切与えられず、ただそこにいるだけの存在だ。

 将軍と和睦して、氏綱の管領継承を正式に認めさせれば、晴元の影響力をほぼ排除できる。将軍を朽木から京に帰還させるというのは、長慶にとって重要な政治工作であった。

「此度の和睦、祝着至極に存じます」

 艶やかな着物を身に纏う妖艶な美女だった。

 長慶の腹心松永久秀である。

 出自ははっきりとはしないが、それなりの財を成した家の出であろう。噂では摂津国の土豪出身ともされるが、この乱れた時代では出自を脚色する者も多数いる。明確に遡れるだけの名族であっても、意図的に自分の系図に手を加えることもあるくらいだ。久秀のような、身分の低い者の出自は当てにならないし、能力を重視する長慶の下ではさほど重要なことでもない。

 祐筆として長慶に近侍し、軍事に政治に力を発揮し、今では大和一国を任されるまでになった出世頭の筆頭である。

 ――――黒い噂も聞こえてくるが、それが事実なのか嫉妬による讒言なのかは分からない。

「久秀が骨を折ってくれたおかげだ」

「わたしは自分にできることを最大限に行ったまでです。皆、戦に疲れ飽いていた頃合でしたので、運よく実現しました」

「謙遜を。あの難しいお方を説得できたのは、何にも勝る功績だ」

「六角家が仲介してくださったことも、大きいのです」

 近江国の大名である六角家は、幕政に強い影響力を持っている。三好家の台頭で、その力が大きく減じているとはいえ、それでも強力な大名だ。義輝が逃れた朽木も、六角家の勢力圏内で、将軍家にとって六角家は切っても切れない重要な存在だ。

 そこで長慶は久秀を通して六角義賢と連絡を取り、和睦した。幾度か鋒を交えた間柄であった、義賢としても強大化した三好家と敵対し続けても意義がないと判断したようだ。彼女には浅井長政という宿敵がいる。これと長慶が結ぶくらいならば、長慶を味方にして背後を固め、江北に対抗するほうが得策だった。

 義賢が長慶と和睦したことで、義輝は梯子を外された形になった。

 義輝は個人としては、高い戦闘能力を持っている。剣豪将軍などと渾名されるほどだ。しかし、軍事力という観点では脆弱に過ぎる。彼女を担ぎ上げる大名の軍事力に頼らなければ、戦も満足にできない。中央を三好家が押さえ、六角家が三好家と結んだ以上義輝の軍事力は皆無と言っても過言ではないだろう。

 それが分からないほど、義輝は凡愚ではない。

「殿下は、まだ諦めてはいませんよ」

 と、久秀は言った。

「分かっている。あの方は、気骨に溢れる方だ。自分で動かせる軍をお持ちならば、畿内のみならず、日ノ本すべてに号令を掛けるくらいはしてのけるだろう」

「そうでしょうね。もっとも、それを実現するだけの力をお持ちではありませんが」

「武力はないが、将軍の権威は厄介だ。そうだろう?」

 久秀は微笑を浮かべて頷く。

 現実の武力は三好家が将軍家を圧倒している。義輝など、長慶が攻めろと命じればそこまでの儚い存在でしかない。

 その一方で、将軍であるというだけで立場は長慶よりも上になる。長慶はあくまでも細川家の家臣であり、義輝は主君のさらに主君なのだ。

 通常の大名家であれば、下克上として上の者を追い落とすものだが、将軍ともなるとそうもいかない。結果、長慶は畿内全域を支配下に収めながら、将軍の下に甘んじている。

「殿下と和睦したものの、このまま殿下が静かにしてくださるとは思えません。恐らくは、今後、長慶様のご政道にも、いろいろと嘴を挟んでくることでしょう」

 三好家の政治はそのまま幕政に関わる。長慶は将軍を軽んじるつもりはないが、かといって手に入れた領地を寄進するようなこともできない。そのようなことをすれば、三好家が瓦解してしまうからだ。

 京に服した義輝は間違いなく将軍親政を目指すことだろう。必然的に幕政に対する長慶たちの影響力をそぎ落としにかかるはずだ。

 事実上の支配者と名目上の支配者が異なっている。それが、日ノ本の中心でのことなのだから当事者も含めて皆が頭を痛めている。

 義輝が大人しく傀儡に甘んじてくれればいいが、自己主張が強いだけでなく、政治的な感性も優れている義輝が黙っているはずがない。

 そうなると、今後も義輝との対立は継続していくことになる。やむを得ないとはいえ、長慶は巨大な爆弾を内部に抱え込むことになってしまったのだ。

「これから、どうなさいますか?」

「さて、どうするかな。一先ずのところは、殿下が京に無事戻られたことを喜ぶとしよう。いずれそのときが来るかもしれないが、今ということでもないから」

 明確な決定を長慶はしなかった。

 ここで余計な発言をするもの問題だと思ったからだ。内々のこととはいえ、長慶の発言は三好家総領の発言となる。明確に義輝に敵対するわけにもいかないし、かといって義輝に完全に従属する発言をして、付け入る隙を与えるわけにもいかない。

 どこに義輝方の耳目があるとも限らないのだ。高度に政治的な話題は、時と場所を選ぶ必要があった。

 長慶の言葉を受けて、久秀は表情を変えることなく微笑を浮かべるばかりだった。

 長慶の置かれた難しい立場も悩みも、久秀は承知している。畿内を統べるということは、将軍権力との激突を避けられないということでもある。

 長慶は今後、どうあっても義輝と今まで以上にぶつからなければならないし、今後三好家を発展させていくために、強硬な手段を取る必要も出てくる。

 後は、長慶が決断を下せるかどうかという、ただその一点にかかっているのであった。


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