大内家の野望   作:一ノ一

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その六十九

 島津家の肥後国攻略の動きが俄に激しさを増したことで、九国全域が痺れるように震えていた。

 北部は迫る敵に恐怖し、南部は更なる発展に期待感を高め、そして北部と南部の思惑が入り乱れる肥前国にあっては、島津家も大内家も直接介入はしていないにも関わらず、受ける影響は極めて大きかった。

 島津家と大内家という二大勢力が睨み合っている肥後国以外では、肥前国が最も混迷を極めている。

 龍造寺家の分裂に端を発する戦火は各地で小競り合いを繰り返しながら、肥前国内全域に広がっていた。

 この事態を収拾するには、どちらか一方が倒れるか和議を結ぶかの二択だ。後者を勧める者もいたが、龍造寺信周も龍造寺長信も互いに譲れないものがあり、さらに和議が履行されるかどうかも怪しい状況である。和議の話は立ち上がった直後に消えてなくなった。

 最早、決着がつくまで戦うしかない。

 そういった緊迫した状況下で、阿蘇家の陥落からの島津軍の北上により、島津家と結びついた信周派の勢いが強まった。

 島津家という猛毒を背景に肥前国の南部からの支持を取り付けた信周は、足元を固めるために藤津郡に進軍した。

 藤津郡は有明海に面した肥前国の南側の地域である。

 南部では数少ない長信派の地域で、鍋島直茂の姉である鍋島信房の指揮下にある。

 信周はここを攻略するために、肥前国南部へ調略を仕掛けており、隆信の時代に冷え切った南蛮との関係改善を標榜してキリシタン大名たちとの連携を実現していた。

 その急先鋒が島津家と結んだ有馬晴信であり、その影響下にある大村純忠、大村家に属する長崎純景もまた好機到来とばかりに信周に与する形で出陣した。

 大村純忠は有馬晴信の叔父に当たり長崎純景もまた祖父が有馬家からの養子である。つまりは有馬家の血縁者だ。さらに、彼等はキリシタンという共通項を有していた。

 血縁者であると同時に宗教的同朋でもある彼等は、もともと反南蛮神教の立場であった隆信との折り合いが悪く度々攻撃を受けていた。晴信が島津家と結んだのも、龍造寺家からの圧迫を跳ね返すためであった。

 そして、今、困難に直面した信周はそれまでの方針を捨ててキリシタン大名を容認する方向に舵を切った。さらには、信周自身の改宗もちらつかせている。それを、真に受ける晴信ではなかったが、都合がいいのは確かだ。信仰の道は万民に開かれているものだし、信仰に目覚める動機は人それぞれだ。その芽を摘むよりも、手を携えてより多くの人々に信仰を伝える下地を整えるほうが建設的であった。

 さらに、彼等が信周派を応援する理由は長信派の構成員にもあった。

 今、進軍している先にある藤津郡には、長信派の武将が集結している。その中には、反南蛮神教を掲げて度々純忠や純景を攻撃していた西郷純堯、深堀純賢兄弟がいる。この二者が長信派にいるというだけで、南蛮神教を信奉する南肥前国の諸将は手を取り合うというものだ。

 このような理由もあって、有馬晴信を筆頭とする軍勢が、信周に味方をして藤津郡を踏み荒らさんと意気も高らかに進んでいたのであった。

 

 

 肥前国の南部が龍造寺家の内訌を理由にした宗教戦争の様相を呈していたころ、島津家の動きに応じた信周は、自ら三〇〇〇の兵を集めて長信への圧力を強めた。

 往時には万を越える軍勢を擁した龍造寺軍だが、分裂と内訌によって動員能力が大幅に減じてしまった。肥前国内各地で、長信と信周を主として小競り合いが続いている。多くは主人の名の下に領土争いをしていた敵対者を倒して権益の拡大を図る者たちだ。忠誠心には期待できない。

 それでもそういった者たちの盟主が龍造寺家なのだ。

 龍造寺家の本城たる龍造寺城を奪ったことで、肥前国の政治の中枢を確保した信周は、島津家と結びつつそれまで敵対的だったキリシタン大名を取り込むことに成功した。軍事面でも政治面でも優位に事を運んでいる。

 この情勢下で三〇〇〇人もの兵を動員したこともまた、彼の力を誇示するものでもあった。

 信周出陣の報に接した長信派は、動揺した。

 藤津郡からの援軍は、信周派の武将たちからなる軍勢の相手をしなければならないために期待できない。

 大内家と何とか和睦したものの、そちらからの援軍も島津家の北上に対応するために難しい。

「篭城以外にない」

 というのが、自然な流れであった。

 とはいえ、篭城策というのは援軍が期待できる状況下で効果を発揮するのが常である。敵と野戦するだけの兵力がないために、援軍が来るまで耐え凌ぐ時間稼ぎの戦術だ。

 援軍の見込みがまったく立たない現状では、死期を先延ばしにすることしかできない。落ち延びるという手もあるが、どこに逃げるのかという問題に直面する。

 長信が篭る梶峰城は、龍造寺城の西に位置する。大内家の領土に行くためには、信周派の地をすり抜けるという危険を冒さなければならない。

 何よりも、ここでの逃亡は肥前国を完全に信周に明け渡すことになる。意地を見せない統治者に下の者は就いてこない。長信派が一瞬で瓦解してしまう。

 梶峰城を恃みとして、一戦に及ぶ以外の選択肢がない。

 長信は頭を抱えた。

 集まったのは信周の半数に届くくらいだ。

「大内家が島津家に勝利すれば、流れは変わります。しかし、いつ彼等の決着が付くかは不透明です」

 意見を求められた直茂が、率直に言い切った。

 大内家と島津家。この二つの家の権勢を背景にした内訌だ。肥後国での戦いに目処がつけば自ずと肥前国での旗色にも変化は出る。

 大内家との和睦は、はっきり言って毒であった。何せ、隆信を討ち取ったのは大内家だ。龍造寺家の家督争いに勝利するために、龍造寺家の当主を討った相手と結ぶなど形振り構わないやり方には批判も出ているし、信周にとっても格好の批判材料であった。姉の仇討ちを標榜する信周からすれば、姉の仇と手を結んだ不忠者を成敗するという論法が出来上がった時点で勝利が確定したものと思ったであろう。

 その一方で、信周は隆信と長信の母である慶誾尼を討ったという事実も抱えている。長信にしてみれば、直接的な母の仇である。信周と対立する名分はすでに得ている。

 どちらにも譲れない主張があるからには、勝敗を明らかにするしかない。長信が生き残る道は、この戦を乗り切ることでしか開けないのだ。

「他力本願しかないのか」

「大まかな流れとしては、大内家と島津家の動向に左右されます。低い可能性ではありますが、敵の大将を討ち取れれば単独での勝利もありえます。言うまでもないことですが」

 長信と信周の争いだ。敵の大将――――信周の首を挙げることができれば、この戦いは終わる。

 寡兵で大軍の中に潜む大将首を挙げるなど、理想論だ。そういった戦いが過去にないわけではないが、多種多様な運が味方をしてくれた結果でしかない。

 かつて、大友家が龍造寺家に対して六〇〇〇〇もの大軍で攻撃を仕掛けてきたことがあった。味方の兵は僅かに五〇〇〇人に届くくらいの絶体絶命な状況であった。

 それを、直茂は五〇〇人前後の夜襲部隊で打ち破った。大将首を挙げて、大友軍を蹴散らしたのだ。

 その記憶は龍造寺家の諸将には色濃く残っている。

 直茂の存在は、長信たちにとっても最後の支えであった。

「敵はおそらく明日には到達するでしょう。篭城するにしても、一方的に攻撃を受けるだけでは、耐えられるものも耐えられません」

「どうするんだ?」

「兵力差はそう大きくありません。今後、敵の数が増えるでしょうが、そうなる前に一撃を当てる必要があります」

 篭城だけではない。敵が三〇〇〇人ばかりであるのならば、外に出て一戦に及ぶことも不可能ではない。さすがに二倍の敵を蹴散らすのは困難な作業ではあるが、戦いにならないというわけではない。

「篭るだけでは意味がないか」

「何もしなければ、敵に同調する者が集結してしまいます。こちらに、戦う意思があることを明示するのは重要です。不利なままを享受していては、兵の集まりにも影響しましょう」

「信周を追い返すことはできないのか?」

「可能です。ですが、そのためにも長信様には冷静でいていただかなくては」

「分かっている」

 兵力差を考えれば、信周を追い返せる可能性はある。不可能でないだけ、まだ希望はあるのだ。

 それに、大内家の手を借りずに信周に勝利できれば、長信の名声は広く知れ渡るだろう。大内家と結びはしたが、その副作用として内政干渉に悩まされることも覚悟しなければならない。であれば、できる限り大内家の力に頼らない形で優位に事を運ぶのが、将来のためであった。

 

 

 

 ■

 

 

 

 駒返城の落城は、すぐさま南郷地域全体に知れ渡った。城山の頂上付近に設けられた城塞は、建物全体に撒かれた油と火薬によって火達磨と化し、城兵共々灰燼に帰した。炎と煙は狼煙となって、島津軍の接近を知らせる事となったのだ。

 城を攻め落とした勢いに乗じて、阿蘇家は峠道を下っていく。城山を下れば南郷の平地に出る。阿蘇家の領地とはいえ、今は事実上大内家に占拠されている。それを取り戻すという大義名分を掲げての進軍である。

 狭い峠道を駆け下りる阿蘇軍。

 城を落としたことで勢いに乗る彼等は、そのままに次の標的となった南郷城を目指した。

 南郷城は、阿蘇家が今の領地に城を構える前に拠点としていた城。阿蘇家の先祖が築き、日々を過ごした場所だけに、その奪還は彼等の沽券にも関わる重大事だ。

 どっと押し寄せる阿蘇軍の兵の足が不意に地面を踏み損ねた。

 足元にあった枯葉が舞い上がり、天地が逆さまになる。

「あああああああああああああああ!?」

 峠道に仕掛けられていたのは深い落とし穴だった。落下した数名は、穴の底に埋め込まれた杭に貫かれて絶命する。何とか杭を避けられた者も、重傷は免れなかったし、止まれなかった後続が足を踏み外して落下したことで、その下敷きになってしまった。

「今! 撃て!」

 パンパンパンと銃声が響く。木々に隠れていた兵が、足を止めた阿蘇兵に銃撃を加えたのである。

 バタバタと倒れていく阿蘇兵。狭い峠道だ。銃撃は十分以上に効果を発揮してくれる。

「退けッ、退けッ!」

 浴びせかけられる銃火に勢いを殺された阿蘇兵は、一目散に逃げていく。

 そこに、

「掛かれッ!」

 の号令と共に側面の山肌を無理矢理に滑り降りてきた甲斐兵が飛び掛る。

 身軽にするために、胸元を守る古臭い皮の鎧だけという格好の十五、六人の兵が横槍をつけたのだ。

 大軍で押し通ることのできない山道だ。しかも降り坂である。攻めれば勢いが付き過ぎ、逃げれば駆け上らなければならない。

 味方同士で押し問答をしている間の強襲で、阿蘇兵は壊乱した。

「深追い禁物。持ち場に戻ってください」

 指揮を執っていたのは、深水長智だった。

 駒返城で命を断つつもりが、思いがけず延命してしまった。それを口惜しいと思いながらも、為すべきことを為さなければならないと即座に切り替えた。

 戦友の死を悼むのは、この戦を終えてからでも遅くはない。もしも、力及ばず首を獲られても、それはそれ。重当の下に逝き、頭を下げることができる。

「ここはもうしばらく持ちそうですね」

「まだまだ行けます」

「ええ、この穴を再利用します。しっかり隠してください」

「また引っかかるでしょうか?」

 落とし穴がそう何度も通用するだろうか。落とし穴があると知られれば、対策もされるだろう。

「この穴の所在を正しく把握しているのは我々だけです。敵からすれば、穴があると分かっていても、どこにあるのかは具体的には分かりません。穴が見えなければ、相手は足元を警戒して進軍速度を緩めるでしょう」

 なるほど、と家臣は頷いた。

 敵の足が止まれば、矢弾の的だ。落とし穴が仕掛けられている可能性を捨て去れないのならば、敵は峠道を駆け下ることができない。道の安全を確かめながらの行軍は、ただでさえ時間のかかる山道で、さらに時間をかけることになるのだ。

「戦はまだ始まったばかりです。心して仕事に取り組んでください」

 穏やかな語り口に厳しい表情を織り交ぜて、長智は家臣に話しかけた。ともすれば、これが最後の会話になるかもしれないという状況にも関わらず長智は冷静であった。

 南郷へ至る山道には、彼等を初めとする決死隊が、幾重にも関を設けている。さらに、落とし穴のような罠も張り巡らせているので、ちょっとやそっとでは突破できない。

 決死隊ながら戦意も高い。まだまだ戦いは続けられそうであった。

 

 

 

 ■

 

 

 

 阿蘇家の不甲斐なさに嘆息したのは、作戦立案を担当した歳久であった。もともと、宗運のいない阿蘇家にはさほど期待していなかったのだが、それでも肥後国最大勢力として名を馳せていただけあって、個々の力はそれなりに高い。

 しかし、個としての質が高くても、それを運用する側の質はいいとはいえない。阿蘇家は阿蘇惟将と甲斐宗運という二本の柱を失った時点で、張子の虎となったのだ。

 期待した阿蘇家の名も、あまり効果がない。大内家に靡いた南郷谷の勢力にとっては、阿蘇家とはその程度のものだったのだろう。

 阿蘇家が駒返峠の攻略に苦慮している頃、島津家は新たな行動を起こしていた。

 奮闘する阿蘇家の背後をすり抜けてまったく別の道から南郷へと至ろうとしていたのである。送り込まれた新納忠元は、主君の容赦のない人使いに苦笑しつつ、二の句なく命令を受け入れた。

 標的としたのは慈水城。久木野備前守が城主として篭っている外輪山に築かれた山城の一つだ。

 山道の険しさは駒返峠に勝るとも劣らない。冷たい冬の風が吹き抜ける山道を音を立てないように細心の注意を払って行軍する。戦時でなければ、山腹からの景色を題材に一句詠みたいところだ。

 山道が険しいということは、敵には忠元たちの姿が見えないということでもある。何も悪いことだけではないのだ。

 早朝に動き出し、山頂付近の慈水城に至ったのは正午を回ってからであった。それでも暗くなる前に、これといった妨害もなく到達できたのは僥倖であろう。城方もぎょっとした様子で、新納軍の到来に対応しようとしている。

「敵は寡兵。おまけに駒返峠の攻防に意識を割いていたためか、今更に俺たちに気付いたらしい。このまま一気呵成に攻め立てて、一息に慈水城を抜いてしまうのだ」

 登山の疲労もあるだろうが、休む余裕はない。万が一にも増援が現れれば、厄介だ。迅速な行軍のために、忠元たちもまた寡兵であったからだ。この山道を撤退のために下るのは命懸けとなる。とにかく、決死の覚悟で慈水城を攻略するしかない。

「まずは降服勧告の使者を出して様子を見よ。ただし油断はするな。駒返城を攻めた阿蘇家のようなことになっては新納家の面目に関わる」

 使者として遣わされたのは家老は、固く閉ざされた城門より撃ちかけられた威嚇射撃によって引き返さざるを得なかった。

 それを以て、忠元は総攻めを決断する。

「流れる血は少ないに越したことはないにせよ、こうなっては仕方がない。者ども、命を惜しむな!! 死力を尽くして城を獲れ!!」

 忠元の下知が発せられるや否や、新納軍は色めきたった。目の色が変わったのだ。怒号を発して城門に襲い掛かる新納軍は撃ち掛けられる銃弾に怯みもしない。倒れた味方を踏み越えて、城を奪わんと強襲する。

 大きな黒い瞳を爛々と輝かせた少女が大身の槍を掲げて突貫した。並み居る将兵よりも背は低いが、鎧を着ていながらもその動きは野鼠のように素早い。

「新納忠元が長女、新納忠堯! 一番槍をいただく!」

 叫んでから、忠堯は槍を投じた。唸りを上げた投槍が、城門上で鉄砲を構えていた敵兵の喉を突く。悲鳴を上げることもできずに敵兵が門下に落ちる。

「姫、危のうございますぞ!」

 忠堯の傍に侍る将が叫ぶが、忠堯は城門に攻めかかる新納軍の兵に混じって姿が見えなくなった。背が低いので、男の兵が複数いるとすぐに隠れてしまうのだ。そのため、彼女の槍は居場所がすぐに分かるように真紅に染め上げられていたのだが、その槍を事もあろうに真っ先に投げてしまったので、どこにいるのかが分からない。

 そのおかげで、鉄砲から狙われないで済んでいた。城門に取り付いた忠堯は、一緒に駆けて来た友人の川上忠堅と目配せする。

「忠堅、投げろ!」

「気をつけろよ!」

 忠堅は忠堯とは対照的に背が高い。がっしりとした体格の男である。この男が両手の平を重ねて姿勢を低くすると、忠堯はその手に飛び乗った。いつの間に回収したのか、真紅の槍もその手に戻っている。

「うらあッ!」

 全身をバネのように使って、忠堅は忠堯を投げ上げた。矢弾で門の上の敵兵の多くが倒されているが、それでも根気強く守っている者もいる。そうした敵兵の真っ只中に、忠堯は飛び込んだのだ。

 城といっても土塀に門を設けた程度のものだ。乗り越えること自体も然程難しくはない。

「何だとッ」

「小娘、貴様ッ」

 門を死守しようとしていた敵兵に忠堯が槍を入れる。振り回した槍で胴を払い、思いっきり蹴飛ばして敵を門から落とす。忠堯の活躍で混乱し手薄になった門の上に、追撃の新納軍がよじ登る。門を抉じ開けるよりも先に、門を乗り越えてしまったのだ。そして、城内に飛び込んだ新納軍は城門周辺の敵を蹴散らし、門を開け、味方を引き入れた。

 城主久木野備前守も、城門が破られたとなれば持ちこたえることは不可能と、慌しく城を捨てて逃げて行った。

 

 


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