大内家の野望 作:一ノ一
杉重矩は、備後国での戦を終えて山口に帰着した。兵の間にも、戦の疲れが見えている。大森銀山から山口を経由して備後国の端にまで向かい、それから山口まで蜻蛉返りしてきたのである。また、さらにこれから大森銀山に向かうことを考えると身体よりも先に心が疲弊困憊するのも無理からぬ話と言えた。
そこで、重矩は山口で態勢を整えるために一時的な休息を決めた。
義隆に報告に向かう道すがら、重矩は賑わう街並に目を細めた。
もともと山口は発展した文化都市であったが、ここ数年の賑わいは過去に例がない。大内家が戦で方々から圧力を受ける中でも、多くの人々が普段通りの日常を送っている。
戦から最も遠い地にある戦国の楽園とも言えるのだろう。
「流民の問題も出てくるか」
戦場から遠い地であるが故に、逃げ込んでくる者もいる。路地にはそうした働く場所も金もなく、物乞いをして慎ましく暮らしている者もいる。
放置すれば、治安の悪化に繋がる。こうした流民問題も、為政者が頭を悩ませるものであった。
金は無尽蔵にはない。彼等は故郷に帰るか、新しい土地で自立する術を与える必要がある。
そのためにも、農民が土地を失う原因である戦を早期に終結させなければならないのであった。
義隆の屋敷を訪れた重矩は、義隆自ら点てた熱い茶で喉を潤した。
「結構なお点前で」
恭しく丁寧な所作で重矩は茶碗を置いた。
無骨な武人のようでいて、文化人でもある。大内家の譜代の臣として、和歌を嗜む一面もある男であった。
「まずは備後での戦勝、お見事。さすがは、歴戦の猛者ね」
「何の。御屋形様の判断が功をなしたまでのこと。時節も味方をしてくれました」
出雲国からの増援が見込めない冬季に、大内家から想定外の大増員がされたことで敵は浮き足立ったのだ。冬でなければ、尼子家がさらに兵を増やすか、あるいは決戦に及ばす態勢を立て直す余裕も作れただろう。
「きちんと結果を出したことが、重要でしょう。重矩のおかげで、備後が静謐に向かうのだから」
「後は毛利のご息女等が対立する者どもをどう手懐けるかですな。平賀殿もおられるので、そうそう不味いことにはならないでしょう」
「あちらは安定すると見ていいわね」
ほっと義隆は胸を撫で下ろす。
三方から攻められて、危機的状況であるという情報が立て続けに飛び込んでくる情勢である。
ただ報告を聞くだけで有効な手立てをほとんど取れないでいた義隆にしてみれば、杉重矩を大森銀山から呼び戻して備後国に配置換えをするという大胆な決断は勇気が必要だった。
「大森にはいつ発つ予定?」
「先発隊は明日の朝に発たせます。以降はそれぞれ準備が整った部隊から順に出立することにしております。纏って行軍するには、狭い道でありますので」
「そうね。冬だし、道もよくないでしょうし……」
義隆の本心としては、今すぐにでも山口を発ち、大森銀山を巡る戦に終止符を打ってほしいところであった。
それを命じれば、重矩は二の句なく兵を率いて石見国に出立するだろう。しかし、士気の上がらない軍に春が近付いているとはいえまだまだ寒く雪の積もった道を行かせても途中で瓦解しかねない。
軍事が不得手な義隆であっても、それくらいは当たり前のように分かる。きちんと予定を立てて行軍するのだから、嘴を差し挟むべきではない。
「わしとしては九国が気がかりですが。島津が遂に阿蘇を降したとか。大友領と直接島津の領国が接する事態となりましたな」
「もう島津を南の小豪族と侮っていられないわよね。晴持が危惧していた通りだったわ」
「確かに。晴持様は以前から、島津を妙に気にしておられた。相変わらず、奇抜な事と言いますか、先見の明と言いますか。何とも表現し難いところがありますな」
重矩は義隆を教育した重臣であり、当然ながら晴持を幼少期から知っている。晴持が大内家にやって来たその時を知る臣であった。
「いいのよ。晴持はちょっと人と物の見方が違うだけで、それ以外は普通でしょ」
「確かに」
重矩は頷いた。
晴持を普通と評価する者はそう多くはない。その人となりを知る身近な者たちばかりで、それ以外の者は高評価を下す場合が多い。
実際、晴持の実績は軍事と内政の双方に影響を与えている。彼が為した結果だけを見れば、確かに異質ではあって、麒麟児などと評されるのも納得ではあるが、義隆や重矩からすれば、晴持の人格は普通と断言できるものであった。
「晴持がきちんと皆を纏めてくれるから、後は安泰だわ」
「よい後継者と?」
「ええ」
義隆は頷き、重矩は小さくため息をつく。
「それでよろしいのですか?」
「何が言いたいの?」
「御屋形様のご本心をお聞きしたいと思っております。お家の今後のためにです」
義隆の視線が鋭く重矩を貫いた。重矩は退かず視線もそらさずに、じっと義隆を見つめている。
「古来、為政者は自らの血筋を後継者に指名したがるものです。跡継ぎがいない場合はやむを得ないとして養子を取ったり、親族を後継者に指名したりします。しかし、御屋形様の場合は毛色が異なります。まだお若く、婿を取れば十二分に子を成せるお身体です。現実に、婚儀の話も出ているではありませぬか」
「尼子の名が挙がったときは、本当に提案してきたヤツをぶった切ってやろうかと思ったわ」
義隆と晴持の関係は、非常に異質であった。
大内義興の子である義隆は、大内家の正統な跡取りである。それが健在なうちに、義隆の養子という形で一条家から引き取られたのが晴持であった。伯母と甥の関係だが、歳の近さから義理の姉と弟として振舞っているほどだ。外から見れば――――内から見ても大いに頭を捻る判断である。
西国の太守であり、一流の政治家であった大内義興が、何故そのような家中を割るような政治判断を降したのか。
それには義興なりの理由があって、それを知るのは今となっては重臣たちばかりとなった。
「ともあれ、これから先大内家が拡大していけば自然と問題になることではあります」
「晴持がそのまま継げば、何の問題もないでしょう」
「そう簡単ではないということは、お分かりのはず」
義隆はむっと唇を引き結ぶ。
晴持にスムーズに権力が移譲できればいいという話でもない。大内家が大きくなり、数多くの外様を抱えるようになれば、自然と血縁関係を持ちたいと申し出る勢力が増える。義隆に婿を送り込もうとする者もいれば、晴持に嫁を差し出そうとする者もいるだろう。さらには、義隆がもしも、それまでの方針を覆してしまえばどうなるか。家中は外様を巻き込んで真っ二つに割れることになる。
後継者問題は国を滅ぼす一因となる。大内家は義隆こそ順当に当主に就任したものの、それ以前は毎回のように内乱を繰り返していた。
「若いうちから後継者を指名したものの、後に跡取りとなる子が生まれて騒乱の種となった例もございます」
「幕府がまさにそれよね」
「然り。御屋形様にそのつもりがなくとも、周囲が不安に思うこともあります」
義隆は答えず不機嫌そうに視線をそらした。
重矩の言葉の意味が分からない義隆ではない。
彼が言うとおり、義隆はまだ若く健康を害していない。自分でも気付いていない病を抱えていない限りは、子どもを作ることは可能だ。そして、多くの先例が示す通り、人の上に立つ者の多くは自分の血筋を跡継ぎに指名したいという欲を持つ。義隆が例外であるとするには、彼女自身が身を持ってその証を立て、公に示し続けなければならない。女として、母としての幸福を捨て去る必要があった。
選択肢としては出家して尼になるか、早々に晴持に当主の座を明け渡して隠居するかであろう。
「重矩はわたしが当主であることに不満があるの?」
「まさか。御屋形様は大変よくお家を切り盛りしておられる。領国の経営については先代を上回っておられるとも感じている次第」
「なら、晴持を廃してわたしに婿を取れって言いたいの?」
晴持は土佐一条家からの養子だ。晴持の母が義隆の姉なので大内家の血縁者ではあるが、他家からやって来た人物だけの「大内家」という共同体の中で当主を決めたいという気持ちが重臣たちの中にあってもおかしくはない。とりわけ、譜代の家臣は長く大内家という看板を掲げてきただけに、排他的な面もある。
しかし、重矩はそれも首を振った。
「晴持様を失うのは、お家の損失です。それは断じてなりません」
加えて、今の大内家は晴持を中心とする派閥が強い。筆頭家老の陶隆房を初め重臣格で晴持に好意を抱く者もいるし、多くの国と勢力を切り従えてきた実績は抜きん出ている。晴持を失えば、大きな打撃となるのは目に見えている。
「なら、何? 何が言いたいの?」
「晴持様と当初の関係に戻られるのがよろしい」
「……ッ」
義隆は息を詰まらせたように絶句した。
「ちょ、ちょっといきなり何を言っているのよ!」
「理に適っているかと考えます。晴持様を失わずに、御屋形様の血を残すにはこれが最適。元より、御屋形様は晴持様に嫁ぐ予定だったではありませぬか」
「いつの話をしてるのよ。わたしが当主になる予定がなかった頃の話でしょ! 今更過ぎる! 何年前の話よ!」
「ざっと十数年前の話になりますか。最近ですな」
「年寄りの最近は最近じゃないのよ。分かりなさいよ、時間感覚の違いを!」
顔を赤らめて義隆は抗弁する。
重矩にとっては最近の話でも、義隆にとっては幼少期の思い出の一つである。
義隆の父義興は文武に秀でた武将であった。応仁の乱で上洛し、西軍の主力として十年もの歳月を畿内で戦った大内政弘の後継者として、自らも細川家の内訌に与力して上洛し多くの戦功を挙げ、大内家の勢力を拡大させた人物である。
また、義興は戦以外の手段でも影響力を増大させている。
その政策の一つが婚姻政策で、義興は自分の娘を有力な西国武将に嫁がせて同盟を結んでいたのである。周囲の大名が男性で、六人もの娘がいたことがこの政策を後押しした。
長女は一条家に嫁いで晴持を産んだ。そして次女は大友家に嫁いで宗麟と晴英を産んだ。また、石見国への影響力を確保し、迫る尼子家に対抗するべく石見国人の吉見家にも娘を嫁がせ、広頼が誕生した。また、義隆を後継者に指名した後で義隆の妹を阿波国の足利義維や細川持隆にも嫁がせている。
こうした婚姻政策の中で、土佐一条家との繋がりを深めるべく義興はさらに自分の娘が産んだ子――――つまり自分の孫に、自分の娘を宛がうという突飛な政策を秘密裏に進めたのである。これには、大内家の権威を盾に長宗我部家などの台頭に対抗しようという土佐一条家からの申し出もあったという。一条家を介した朝廷との繋がりを強めたい義興の狙いもあり、この話はとんとん拍子で進んでいた。
「わたしが当主になったのは偶然。父上は、わたしを当主に指名したくはなかったでしょ」
義隆は気持ちを落ち着けるために深呼吸をしてから、ふてくされたような表情を作った。
「事故みたいなものだわ。あの子がいなくなったから」
「弘興様のことを忘れよとは申しませぬが、晴持様に重ねるのは無理がありましょう」
「分かってるわよ、それくらい」
義隆には弟がいた。
名を弘興と言って、義興にとっては待望の男子だった。義興は男子の誕生を大いに喜び、当然のようにすぐに後継者に指名した。弘興には、史実に於いては義隆に与えられるはずだった亀童丸の幼名が与えられ、名実共に大内家を継ぐことを期待されていた。
復古主義的な性格の義興は、台頭する姫武将を表立って非難しなかったものの、自分の後継者は男子にしたいと強く思っていた。
そのため、亀童丸の誕生と同時に女子である義隆は後継者候補から脱落した。
だが、それを義隆は気にしなかった。もとより、父が自分を武将ではなく姫として扱っていたから、当主になるとは夢にも思わなかったのだ。
義隆もいつか偉大な父の跡を継ぐ弟を可愛がり、よく抱いて面倒を見ていた。
その後継者が、ある日突然に死んだ。
流行病を拗らせて、医師が処置する間もなく息を引き取った。
義興は悲嘆に暮れ、幼少の義隆も心に傷を負った。
そして、一時は安泰であるかに思われた後継者問題が再燃した。
男子がいなくなり、女子のみが残った大内家で、跡取りを男子にするには他家から養子を取るしかない。義興の血縁で都合のいい男子は、晴持しかいなかった。義隆との縁談が進んでいた晴持が一躍大内家の後継者候補に持ち上げられたのは、こうした事情があってのことであった。
それでも、大内家としての直系を望む声もあった。家中を割る恐れを孕みながら、男子を後継者に据えるために、一時的な当主として「やむを得ず」指名されたのが義隆であった。
よって義隆は自分が父に認められて当主になったとは思っていない。情勢に対応するための苦渋の決断であって、直系の男子を後継者にできなかったことから、次善の策として義隆から晴持への権力移譲を期待していたということを知っている。
義隆が自分の子を作らないというのは、義興の理想に適っているのだ。
「やれやれですな。晴持様は晴持様で御屋形様を支える立場を厳守しておりますし、困ったものです」
「だから、今までずっとそうして来たじゃないの」
「すべてが今まで通りならば、何の問題もありませぬよ。しかし、今は外様が増えております。晴持様の周りにも、事情を知らぬ姫たちが侍っている状況。陶殿や冷泉殿ばかりではないわけです。英雄色を好むと申しますし、それ自体は悪いものではありませぬが、義隆様に置かれましては何卒、後悔されぬような振る舞いをなさいませ」
義興の意向を曲げてまで、義隆が当主になれたのは、彼女を推す重臣たちが義興でも無視できない勢力となっていたからである。義隆は立場上、そんな重臣たちを無視できない。
義隆が当主の座を晴持にすぐに渡せない事情も、そこにあった。
重矩の忠告は、重臣内でも義隆の直系を望む者がいることを示している。つまりは、その勢力が晴持が当主となった場合にどう動くのか不透明であるということだ。
晴持が活躍して派閥が強まれば、自然とそこから漏れた者たちは義隆を担ぐだろう。
義隆は将来は安泰だと言っていたが、実際には危うい綱渡りをしているような状況であった。
重矩は言うだけ言って帰っていった。
残された義隆は、複雑そうな何とも言えない表情でため息をつく。
重矩の忠告は、ありがたいとは思う。とはいえ、義隆と晴持の関係は様々な事情や感情が複雑に絡み合ったものだ。子どもの頃ならばまだしも、今になってから過去の話を持ち出すのは義隆が言うとおり今更である。
それでも、確かに義隆が瀬戸内海を隔てた先にいる許婚を恒持様(晴持と名乗る前の名)と慕った時代はあったのだ。
最近の戦極姫は知らないけれど、個人的には島津家はPSPの2で個別ルートが選択できたのがよかった(うろ覚え)。
個人的な戦極姫に於ける島津家の印象
貴久・・・高水準万能系、いつのか忘れたが強力なユニークだったので序盤に多くの兵を持たせて失敗した思い出有り。
義久・・・戦場には出さないで石高を増やす方向で活躍。
義弘・・・童子切や天下三名槍とか持たせて突撃する簡単な仕事。相手は死ぬ。
歳久・・・戦場に出すより石高増やす方向で活躍。攻城戦にも強かったので編成に入れることも多かった。
家久・・・兵全員に鉄砲を持たせて発砲するだけの簡単な仕事。毎ターン鉄砲が使えたときは雨天射撃スキルもあって敵軍が軒並み蒸発した思い出。