大内家の野望   作:一ノ一

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連休がキングクリムゾンされたみたいだ。


その八十

 島津家との戦から戻っても、思いのほか休みが取れないのが、ここ数日の晴持の悩みであった。

 戦勝を祝う宴が晴英を発起人として執り行われ、連日連夜の大騒ぎだ。

 山海の幸が並ぶ豪勢な食事や無礼講の酒盛りがあったかと思えば、能楽や雅楽などで目と耳を楽しませることもあった。

 いつ死ぬか分からない戦場から帰ってきた将兵にとって、こうした宴は最大の楽しみであり、疲れた心身を癒す最良の薬ともなるが、往々にして数日間休みなく宴を続けることもあった。

 今回は島津家という大友家にとって最も忌諱すべき敵との戦を終えた直後ということもあってか、事の外、羽目を外して騒ぐ将が多いように思えた。

 余り酒を好まない晴持は、例の如く宴もたけなわのところで抜け出し、火照った身体を冷やしてから、再び会場に戻るという落ち着きのない動きを繰り返すこととなった。

 長く続いた宴によって、余計に体力と気力を消耗したような気がする。当然、寝起きは最悪で、二日酔いの気分の悪さで頭に鈍痛が走っている。

 日が昇ってからそれなり経っていて、すでに正午に近い。

 晴持にしては珍しく、ずいぶんと遅い起床となった。

 今すぐにこなさなければならない仕事があるわけでもなく、久方ぶりの休暇と思えば、昼頃まで寝ていたとしても問題にはならないだろう。

 手早く身だしなみだけ整えて、晴持は部屋を出た。

「おはようございます、晴持様」

 真っ先に挨拶をしてきたのは光秀だった。

 すでに仕事を始めているのか、彼女は巻物の束を抱えている。

「おはよう、光秀。今日も早くから仕事を始めていたのか?」

「いえ、そうでもありません。いつも通りです」

「光秀のいつも通りは、相当早いからな。日の出前から、仕事を始めていることもあるんだろ?」

「それは、本当に急がしいときだけですよ」

 そう光秀は謙遜するが、彼女の場合は大抵日の出前から仕事に取り掛かっている。

 どこも人手不足な時代で、彼女のように裏方の仕事ができるものはさらに限られる。識字率の低さや計算能力を身につける機会の少なさは、事務仕事を任せられる人材の登用を難しくしている。

 人命がそこかしこで失われる現状で、知識人階級が重宝される理由が分かる。

 肉体労働は極端な話であるが、誰でもできる。五体満足ならば、性別も年齢も問わないからだ。しかし、事務となると文字が読めるかどうか、計算ができるかどうか、先を見通して計画を立てられるかどうかといった教養が必要になってくる。

 幼少期から学業に専念できた平成とは、根本的に異なる戦国時代では、読み書きすらも大変貴重な能力と言えたし、大内家や大友家といった規模の大きな家を回していくには、求められる能力の質も段違いであった。

「もう少し、人材を増やせれば光秀の負担も減らせるんだが……すまない」

「そんな、謝らないでください、晴持様! 宗運殿もいらしたこともあって、非常に効率が上がっているのですし」

 光秀と共に働く宗運も、様々なところに目端の利くよい武将だ。

 指揮官としても優れているが、彼女の能力は何よりも政治に秀でたものがある。 

 厳しい立場に立たされていた阿蘇家を、彼女一人で背負っていた時期もある。そうした実践に裏打ちされた政治力が、晴持の下で大いに活かされているし、彼女を慕って集まってくる者たちも助けになっている。

 宗運がいるのなら、自分も一緒に働きたいというのである。

 改めて九国での彼女の仁徳を思わせる例で、宗運を味方にできたのは、この九国遠征で最も大きな成果ではないだろうか。

「ああ、すまなかった。引き止めてしまって」

「大丈夫です。実のところ、これは仕事というよりもただの確認で、急ぎの用事ではありませんから」

「確認?」

「はい。届けられた戦勝祝いの目録と実際の贈答品の確認です。ここで消費するものもあれば、山口に持ち帰るべきものもありますし、仕分け作業が必要ですから、その準備ですね」

「あぁ、そうか。かなりの量になるみたいだからな」

 晴持には、贈答品の全貌はまだ伝えられていない。

 続々と運び込まれているようで、多種多様な宝物や食べ物が蔵に溢れている。

「何があるか、興味あるな。ちょっと、見に行ってみたいんだが、行けるか?」

「はい、問題ありません。何れ、晴持様にご報告するべきものですから」

 

 

 

 大きな蔵の中には、運び込まれた戦勝祝いの品がそこかしこに置かれていた。 

 誰が送ってきたのか分かるように、送り主の名が書かれた紙が貼り付けてある。

 ちょうど、蔵の前には宗運と道雪がいて、なにやら立ち話をしているところであった。

「あら、晴持様。お加減は如何ですか?」

 一目で晴持が二日酔いに悩まされていることを見抜いたのか、道雪はそのように尋ねてくる。

「それなりに。道雪殿は、特に悪酔いもされていない様子だな」

「もともとお酒には強い性質ですが、必要がなければ舐める程度にしております。この世の中、何が起こるか分かりませんからね」

「ごもっともで、耳が痛い」

 有事に動けるように、道雪は酒を少量で済ませたという。有事の際に、有力な将が酔って動けないなどと言うことがないようにという彼女なりの心配りであった。

「晴持様は主賓となる方、むしろ大いに飲み食いしていただいたほうが、宴席が盛り上がるのですけれど」

「大いに楽しみましたとも。そうでなければ、二日酔いになるほど飲みませんよ」

「そうですか。それは、重畳です」

 晴持の答えに満足したのか、道雪は笑みを浮かべた。

「ところで、道雪殿はどうしてここに? 宗運は、光秀と同じだと推測できるが」

「偶々通りかかっただけですよ。こんな身体ですからね。日々、動かしていないと、すぐに鈍ってしまうのです」

 道雪は自らの膝を叩く。

 何でも落雷の影響で下半身不随になってしまったと聞いているが、足が動かないにも拘らず戦場に出て、それまで以上の猛威を振るっている。曰く、足が動かなくなってからのほうが調子がいいのだとか。晴持からすれば、まったく意味が分からないが、道雪ならそれもアリだろう。

 足が動かないという大きな障害を、彼女はまったく物ともしていない。これを一つの経験として、新たに自分にできることを模索し、実行し続けている心身ともに頑健な人物である。

「晴持様、見て行かれますか?」

 そう尋ねてきたのは、宗運だった。

 彼女の手にも巻物が握られている。献上品の目録の一つである。

 頷いた晴持は、数段の階段を飛び上がって蔵の中に入った。蔵の中は広く、導線がきちんと設けられていて整理が行き届いている。

「詰め込んでも、運び出すのが大変なので、入りきらないものは屋敷の空き部屋に回しております。また、食べ物で、長持ちしないものは昨日の宴で使うようにしました」

「ここだけじゃ、ないんだな」

 予想以上の贈答品の数に、晴持は驚いた。

 手近な葛篭を開けると、薄絹の帯が入っていた。

 このほか、刀や槍、鎧のような武具から、唐物の茶碗や皿、蒔絵や螺鈿で彩られた文箱等のお宝が眠っている。

「今回の品だけじゃないな」

「もともと大友家の蔵の一つですから」

 と、光秀が答える。

 それでも、相当数の贈り物があって、蔵を圧迫している。

 国人だけでなく、商人達からもかなりの良質な品が献上されていると見える。

「道雪殿は、ご覧になりますか?」

 晴持が道雪に尋ねると、道雪は困ったような表情を浮かべた。

「そうですね。興味はありますが、お気になさらず。わたしの足では、その階段も昇れませんし」

「それこそ、気にしなくていいのでは?」

 そう言いながら、晴持は蔵から出た。

 車椅子で階段を乗り越えるのは至難の技だ。バリアフリーの概念自体がこの時代には存在しないので、道雪は日常生活に困難を抱えている。人の手が必要な場面が増えたのは、道雪にとってもため息をつきたくなる問題の一つであったが、そういう女性に手を貸さない晴持ではない。

「道雪殿を抱えて階段を昇るくらい、わけないですよ」

「え、ええ……?」

 珍しく困惑した道雪だったが、晴持の意図をすぐに察した。

「よろしいのですか? 大内の若殿が、そのような肉体労働をして」

「この程度、肉体労働に入りません」

 晴持は道雪を抱き上げる。所謂、お姫様抱っこというものだ。道雪は思いのほか軽く、内心で晴持は驚いてしまった。

「光秀、車椅子を頼む」

「え、あ、はい……」

 晴持に言われて、光秀が慌てて道雪が座っていた車椅子を持ち上げる。

 蔵の中に車椅子を運び込み、道雪を座らせる。一息ついたのは、晴持ではなく、道雪のほうだった。

「何と言いますか、大変気恥ずかしいものですね」

「そうですか?」

「そうです。乙女を抱き上げておいて、ろくな感想もないとは、何と嘆かわしい御仁」

 怒っているのか呆れているのか、道雪はぷうと頬を膨らませてみせる。

 晴持が道雪に何かすると、こうして彼女は晴持の反応を楽しむかのように、あえて弱弱しい言動をすることがある。

 いつものこと、と晴持は受け流した。

「む、何と言うか、慣れてきましたね」

「何だかんだで道雪殿との付き合いも長くなりましたから。初対面のときは殺されかけましたが、こんな風に話ができるようになるとは思っていませんでした」

「ああ、そんなこともありましたね」

 晴持にとっては過去最悪の悪夢の一つではあるが、道雪にとっては大した思い出ではないのかもしれない。

「それは、もしや、四国で晴持様と道雪殿が戦われたときのことですか?」

 興味を示したのは宗運だ。

 晴持と道雪が戦ったのは、大内家が河野通直と結んで四国の伊予国の平定を目指していた頃で、光秀すらまだ加入していない段階だ。

 大内家の急激な勢力拡大の端緒となった四国遠征で立ちはだかったのが道雪だった。

「知っているのか、宗運?」

「それは、もう。当時から晴持様と道雪殿は共に注目を集める御仁でしたから、お二人が戦でしかも一騎打ちをされたという……その話を伺ったときは、非常に驚いたものです。大将格の一騎打ち自体、珍しいことですし、晴持様は亡くなったという風聞も流れましたから、わたしたちも大騒ぎでした」

「阿蘇家まで騒いでたのか」

「晴持様がお亡くなりになれば、大内家が揺れます。そうなれば、阿蘇家にも影響を及ぼすでしょう。結果的に、それは虚報で、晴持様は見事に伊予の制圧を成されたわけですが」

 晴持と道雪の激突が、まったく関係のない第三者にも注目されていたとは驚きだ。しかし、確かに宗運の言うとおり大内家が揺れれば、その周辺各国の動きにも変化をもたらす。

 大友家と龍造寺家の間に挟まれていた当時の阿蘇家にとっては、大友家と龍造寺家を牽制し得る大内家のゴタゴタは他人事ではなかったのだろう。

 万が一にも大内家が対外的な影響力を失えば、大内家を気にする必要がなくなった大友家が間違いなく九国の覇権を握ったであろう。

 もともと大友家の影響下にあった阿蘇家にとっては、将来を左右する重大事であった。

 小さな国人達は自分達の戦の正否以上に、周辺各国の情勢の影響を受け易いのだ。

「……道雪殿との一騎打ちなんて、したくないもんだ」

「あら、再戦のご希望はないのですか? 決着を付けずともよいと?」

「決着も何も俺の負けでしょう。生きてるだけ儲けモノですし、一撃貰って死にかけたのは事実ですからね」

 道雪と対峙したとき、晴持は彼女の槍を肩に受けて怪我をした。その怪我が原因で、高熱を出し、一時は本当に危ないところまで行ってしまったのだ。

 現状、晴持が本当の意味で死にかけたのは道雪と対峙したあの時だけだ。

「あなたが油断ならないのは、ご自身の不調を逆手にとって、死亡説を実しやかに流したところでしょうね。怪我のことも、敵味方を問わず多くの人が知っていることですから、信憑性が高まっておりました」

「といっても道雪殿を騙せたわけではないでしょう」

 道雪は曖昧に笑むだけだった。

 実際、当時の道雪は晴持死亡説を支持しなかった。道雪の援軍を得ていながら河野・宇都宮連合軍が壊滅したのは、道雪の諫言を受け入れなかったからであって、彼等が道雪の言葉を信用していれば、今頃は大きく結果が変わっていたかもしれない。

 晴持が道雪から生き延びたことと、河野・宇都宮連合軍が道雪を信用しなかったことの二点は、歴史の転換点と言ってもいいだろう。

「それにしても、大内家と大友家がここまで親密な関係になるとは思っておりませんでした。晴持様と道雪殿も、かつては戦場で対峙した仲ですのに……」

 と、光秀は感慨深そうに言った。

 その当時、光秀はまだ大内家と関わりを持っていなかったが、西国を代表する大内家と大友家のことは度々京にも情報が届いていた。

 宗運がそうであるように、大内家と大友家が四国でぶつかったという話は、京でもちょっとした噂になっていたのだ。

「まあ、大友家と大内家は互いに姻戚関係も結んでいましたから、言うほど仲が悪いということもないのです。今だって、その縁で助けていただいているわけですからね」

 道雪が言うように、大友家の現当主である晴英は大内家の血を引いている。

 先代の大内家当主が婚姻政策を推し進めた結果であり、大内家と大友家はいがみ合いながらも必要に迫られれば和睦することも珍しくなかった。領土を接する大勢力同士という事もあって、常に意識する相手であったが、優先的に排除する相手でもなかった。

 大内家は東の京に目を向けていたし、大友家は九国での勢力拡大を目的にしていた。両者の進行方向が正反対である以上、同格の相手を敢て戦う意味は薄い。大内家が大友家と戦うのは、大抵が九国内にある領土を巡って争う場合であった。

「今となっては昔の事です。過去を蒸し返して争ったところで、大友にもうま味がありません」

 道雪にとって、大内家との対立は過ぎ去った過去の出来事でしかない。

 そこに拘っていても、大友家の状況が好転する事はないのだ。すでに、大友家の栄光は失われ、大内家の傘下で活動するしかないのだから。

「おや、これは……?」

 道雪は色々と蔵の中の荷を検めていたが、とある品を目にして手を止めた。

 手近な葛篭を開いて中を覗き込み、珍しく興味を引かれたらしい。

「何か、気になる物でもありましたか?」

 宗運が道雪に尋ねた。

「見たことのない物が収まっておりましたので」

「これですか?」

 宗運が道雪の指差した葛篭の蓋を取って、中にあるものを取り出した。

 それは黒いワンピースと白いエプロンがワンセットになった衣服であった。もちろん、日本の和装とはまったく異なる物だ。

「服、ですか?」

「見慣れない着物ですね。南蛮の……服ですか。どこがこのような物を?」

 道雪にも宗運にも縁のない変わった服だ。

 女性用の衣服だというのは見れば何となく分かるし、晴持に献上しても仕方のない物である。

「宗運殿、何があったのですか?」

 道雪と宗運が見つけた品に興味を持った光秀が、二人に歩み寄る。

「ああ、明智殿。このような物がありまして、南蛮の衣服のようです」

 宗運が光秀にそれを見せる。

 折りたたまれていた衣服を広げると、ロングスカートの飾り気のないメイド服である事が晴持には分かった。

「きゃッ、可愛い!」

 メイド服を見た光秀が発した声は蔵の中に響き渡った。

 自分の声の大きさに驚いた光秀はすぐに萎縮したように縮こまり、次いで顔を真っ赤にした。

「あ、いえ、その……今のは……」

「明智殿、分かりますよ。わたしも、愛らしい衣服だとは思っていたのです」

 道雪が水を得た魚のように表情を輝かせた。

 道雪は非常に整った顔立ちの美女であるが、晴持には今の彼女の表情がどうしても愛らしいとは思えなかった。むしろ、光秀には同情する他ない。

「道雪殿……その、わたしは別に」

「愛らしい衣服を愛らしいと言うのは、間違ったことではないでしょう。ですよね、宗運殿」

「はい、それは、もちろん。そういった感性も時には重要でしょう」

 道雪の問いに宗運はいたって真面目に答えた。

「明智殿、どうでしょう。一つ、これを着てみては」

「え? え?」

「服は人が来て初めて価値を持つものです。可愛らしい服は可愛らしい方が着るに越した事はありません。明智殿は適任かと」

 道雪がにこやかに光秀にメイド服を着るように迫る。メイド服を持つ宗運は、何も言わずに首を小さく振った。光秀に諦めろと促しているようである。

 もちろん、後ろで一連の会話を聞いている晴持が助け舟を出すこともない。この時点で晴持は「道雪殿が珍しくいい事を言っている」と道雪を内心で応援していたからだ。

 晴持としても、光秀のメイド服は見てみたい。彼女の性格や雰囲気からも、けっこう似合うと思うのだ。

「う、えぇ……」

 困惑した光秀は助けを求めるように晴持を見る。

「……着てもいいんじゃないか」

「晴持様まで、そのようなことを」

「光秀が可愛いって言うくらいだし、せっかくだから着てみたら?」

「ほら、晴持様もこのように仰っております。南蛮服などそうは着れませんよ。女は度胸です、明智殿。ここは思い切って」

 道雪に迫られて光秀は言葉を失う。

 可愛いと一言、うっかり漏らしてしまった事で追い詰められてしまった。

「晴持様も明智殿がこれを着ているところを見たいと思われますか?」

「ああ、見たい」

「このように主君が見たいと仰せです。明智殿。晴持様のご期待に、どうか応えてください」

 道雪の意図を看破した晴持は、即答し、道雪はさらに光秀を追い詰める。

「く……う……」

 視線を彷徨わせた光秀は、観念したように肩を落とした。

 生真面目な彼女には、道雪の百の言葉よりも晴持の一の言葉のほうが重いのだ。

 光秀はメイド服を着ることに同意して、宗運と共に蔵の奥に消えた。

「道雪殿も人が悪い」

「そうですか? 明智殿は真面目すぎる嫌いがありますから、多少の息抜きは必要でしょう。わたしは、そのお手伝いをしただけです」

「趣味が八割くらいでしょう。まあ、確かに光秀は少し肩の力を抜く機会が必要かもしれませんがね」

 光秀の性格上、必要以上にストレスを溜め込みやすいところはあるし、なかなか好き嫌いをはっきりさせないという問題もある。基本的には真面目で勤勉でいい娘なのだが、それが祟って自分の感情を表に出さないという欠点も出てくるのである。

 今日のように「可愛い」などという言葉を光秀が使うのは滅多にないのだ。

「まあ、人が悪いのは晴持様も同じです。本当に悪いと思っておられるのならば、止めればよいだけのことですから」

「共犯というのは、否定しない……」

 光秀には悪いと思うが、彼女のメイド服を見たいという欲求には勝てなかったのだ。

 蔵の奥からはひそひそと光秀と宗運の声が聞こえてくる。

 衣擦れの音が止まり、宗運が先に出てきた。

「とりあえず、終わりました」

 宗運は物陰に隠れた光秀に視線を向ける。

「明智殿、隠れていても終わりませんよ?」

「わ、分かっています。でも、待ってください。心の準備があります、ので!」

「大丈夫ですよ。とても、可愛らしいです。ほら」

 そう言って、宗運は光秀に手を伸ばした。

 物陰の光秀の手を取った宗運が、光秀を引っ張り出す。

「あ、待って、ください! もうちょっと、ひゃあッ!」

 現れた光秀は、日頃の彼女とはまったくの別人になっていた。

 顔貌はそのままだが、衣服一つでここまで印象が変わるのかと驚いてしまう。

「あ、うあ……う、晴持様……あの、あまり、見ないでください」

 光秀は赤面した顔を俯かせ、エプロンをぎゅっと握り締めている。

 見事なメイド服姿に、拍手を送りたい。

 もともと落ち着いた印象の光秀だ。メイド服が似合わないわけがないのだ。

「はあー、これは、いいな。すごいよく似合ってるぞ、光秀」

「そ、そんな……世辞はよしてください、晴持様」

「いや、お世辞じゃなくて、心底本気なんだが……なあ道雪殿」

「ええ。本当……驚きました。衣服は着る人の魅力を引き出す物ですが、着る人によっては衣服の魅力もまた引き出される……まさしく相乗効果というものですね。明智殿、お見事です」

 感服したというように道雪が感嘆の言葉を漏らした。

「う……うぅ」

「まあ、明智殿。そう恥ずかしがらずとも、似合っておられるのは事実です。それに、南蛮の方が日頃着ている衣服でしょうから、そうおかしなものでもないでしょう」

 宗運が光秀に助け舟を出す。

 宗運の言うとおり、日本では珍しい衣服だが、南蛮ではその限りではないのだ。

「そもそも、これは南蛮の普段着なのですか? わたしは、見た覚えがありませんが」

 と、光秀は言う。

「南蛮のメイド……女中が着る服だからな。俺たちが普段相手にする宣教師だったり商人だったりが着る服とは違うな」

「晴持様はご存知だったのですね。なるほど、女中服ですか。南蛮の女中は、このような愛らしい服を着ているのですね」

 宗運が興味深そうに光秀が着ているメイド服を眺める。

 思えば、白と黒の配色の女中服が日本では珍しいかもしれない。メイド服は単純な色彩の割りに濃淡がはっきりしているので、印象に残りやすい気がする。

「女中服だから、光秀が着るのは確かに違うかもしれんが……異国の衣装だしな」

 そういえば、隆豊も女中服をよく来ている。動きやすいとかそういった理由で。今度、メイド服を着せてみようと思う晴持であった。

「あの、ところでわたしはこれをいつまで着ていればいいのでしょうか?」

「うーん、今日一日?」

「え?」

「いや、冗談冗談。着替えるのはいつでもいいぞ。ちょっと、もったいない気もするけど」

 恥らう光秀を見ているのもいいが、さすがにこれ以上は彼女も限界だ。あまり慣れないことを強いて機嫌を損ねるのもよくない。

「ところで、葛篭の中にもう一着、メイド服が入ってたぞ」

 晴持は宗運がメイド服を取り出した葛篭から、さらにもう一着のメイド服を取り出した。光秀が着ているのとまったく同じデザインのメイド服である。

「どうして二着も……?」

「さあ。それはばかりは送ってきた人に聞かないと分からんが……何だ宗像の宮司さんかよ」

 送り主はなんと宗像家の当主であった。

 確かに、古代から交易で栄えた名門であり、博多に近く交易品を手に入れやすいが、よりにもよってメイド服を二着も送って寄越すとは、何を考えているのだか。

「さて……これは、やっぱり言いだしっぺの法則を適用すべきか」

 晴持はメイド服を道雪の前にぶら下げる。

「……晴持様。これはどういうことですか?」

「私の聞き間違いでなければ、確か道雪殿もメイド服を愛らしい服だと思ったとか」

「それは、言葉の綾と申しますか……!」

「可愛らしい服は可愛らしい方が着るに越した事はありませんとも仰っておいででした。真に仰るとおりかと」

「いえいえ、わたしなど明智殿の足元にも及びません。第一、このような足ですし、あの服に着替えるのは厳しいかと」

「問題ないでしょう。ちょうど、そこに女中がおりますし」

 と、晴持は光秀に視線を向ける。

 光秀は頷いた、道雪に歩み寄る。

「明智殿? もう着替えてよろしいのでは?」

「いえ、せっかく南蛮の可愛らしい女中服を着たのですから、一度くらいはそれらしい事をしてみようと思いまして。お着替えを手伝わせていただきます、道雪殿」

 反撃の好機到来とばかりに光秀は、車椅子に乗せた道雪を蔵の奥に連れて行く。道雪はなにやら反論していたが、それもやがて聞こえなくなる。

「宗運、手伝ってあげて」

「……分かりました」

 光秀一人では、道雪の着替えは大変だ。苦笑いを浮かべた宗運が二人の後を追った。

 しばらく後で、メイド服に着せ替えられた道雪をお披露目されたが、その姿は非常に珍しい羞恥と意地が綯い交ぜになった表情と共に晴持の脳内に永遠に残る事となった。




宗運「実はわたしも着たかった」

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