大内家の野望   作:一ノ一

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その八十一

 例年よりも聊か早い桜前線が山口の門を叩く。

 雪解けの季節を迎え、眠っていた動植物が動き出す頃、晴持は久方ぶりに山口に凱旋した。この街から各地の戦場を転戦し、四国、九国を大内家の威光を広げてきた。豊後府内を拠点としたことで、山口に戻る必要性が低下したこともあって、しばらく足が遠のいていたが、九国での騒乱に一定の区切りがついたことで帰国の途につく理由ができた。

 何となく、何かと理由をつけて帰省を遅らせる学生のような気分だった。命のやり取りから離れ、眠気を誘う穏やかな春の陽気に包まれていると、本当に戦国乱世なのか疑問すら湧き上がってくる。

 実際、山口を擁する周防国はこの十数年戦乱を経験していない。義父義興以来、大内政権が安定しており、外敵の周防国侵入を許さなかったからだ。

 大内家の最盛期は、一般に大内義弘の頃とされ、百数十年も前になるが、近年の大内家の躍進を目を見張るものがあり、そろそろ義隆の時代こそが大内家の最盛期とされてもいいのではないだろうか。

「せっかく、山口にお戻りになるのです。服装を整え、見栄えのよい凱旋としなければなりません」

 そう言ったのは光秀であったか。

 義隆とも連絡を取り、晴持を総大将とする九国遠征軍に煌びやかな衣服を着せ、長槍や鉄砲を揃えて整列させて軍事パレード――――馬揃えを行うこととしたのである。

 山口の人々は、大内軍を常勝不敗と信じている。自分の領主が強大であればあるほど、安心した生活ができる。税負担や徴兵の負担はあるものの、戦で田畑や家を失い、一家離散の悲劇に見舞われることはない。守られているという安心感を、より鮮明に民に焼き付けるための政治工作の意味もあった。

「あまり、こういう目立つことは好きじゃないんだがなぁ」

 と、晴持はぼやく。

 仕事を終えて故郷に帰ってきたのだから、久しぶりの屋敷に手早く戻り、ゆっくりとした時間を過ごしたいものである。

「義姉上の命とあらば、仕方がない」

 精強な大内軍が大きな仕事をして帰ってきた。尼子家と島津家による二方面からの攻撃を跳ね除け、領国を守った強兵たちの姿は、山口の人々に大きな衝撃を与えることだろう。

「公家の皆様もご覧になるとのこと。朝廷への工作にも、利用されるお考えでしょうか」

「それもあるし、周辺諸国への圧力も兼ねて、だろう。俺たちには、これだけの兵があるから戦をしても勝ち目はないぞってな」

「尼子ですか」

「ああ」

 光秀が晴持に太刀を渡す。鞘に煌びやかな螺鈿細工を施したものだ。武器としてもいいものだが、こうした儀礼で用いるために特別に作らせた代物である。

 とりあえずは市中を行進するだけだが、様々な身分の人々の目が集中するので、細かいところに気を使う必要がある。

 馬揃えの情報は、大内家の動きを注視している尼子家に伝わるだろう。大内家の軍事力を見せ付けるこの行動に、彼等がどのような反応を示すか。

 二度の遠征を失敗し、多くの兵と信望を失った尼子家は、しばらく大規模な軍事遠征はできないはずだが、兵を起こせなければ、外交で対抗するという手もある。将軍家や朝廷を使って、大内家より優位に立とうとする可能性は否定できないし、大内家が大きくなりすぎたが故に、中央から睨まれるということもありえる。とりわけ、今の将軍家は三好家の傀儡だ。三好家が大内家を敵視する危険性はかなり高く、三好家が尼子家と同盟を結んだ場合は、再び大内家は危険な状況に追い込まれることとなろう。

「始まる前から疲れてきたな……」

「残念ながら、まだまだお休みになられるには早すぎます。これが終わった後は、御屋形様への挨拶がありますし、公家の皆様との顔合わせも予定されております」

「義姉上は当然だけどなぁ。公家との繋がりも大事だが……」

 大内家の繁栄を下支えするのは旧来の権威である。とりわけ公家文化と結び付くことで、大内文化は花開いた。朝廷との繋がりを考えると、山口に逃れてきた公家の保護と生活支援は必要不可欠で、彼等を雑に扱うのは大内家の顔に泥を塗ることになる。

 馬揃えに関しては晴持に拒否権があるわけではない。見世物にされたような気分になってしまうが、仕事だからと割り切るほかにない。

「晴持様、お時間です」

 肩で息をしながらやってきた宗運が晴持に声をかけた。

 武任等の文官と共にこの馬揃えのために奔走した彼女は、自分自身も晴持の傍仕えとして馬揃えに参加する。神代から阿蘇の神を祀ってきた阿蘇家の栄華を支えた甲斐宗運の名は、山口の文化人たちにも知られているのだ。

 晴持は頬を叩いて背筋を伸ばし、引かれてきた馬に跨った。

 戦場を共にした仲間たちととも、左右から群集の視線を浴びながら山口の街を練り歩く。何ともいえない気恥ずかしさと昂揚感に胸を高鳴らせながら、晴持はもはや懐かしい街並に踏み出していく。

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 人が集まるところには、物が集まる。

 晴持の馬揃えは事前に義隆が通達していたこともあって、見物人が大勢訪れ、その見物人を標的とした商売人もまたこの波に乗り遅れまいと集まる。もとより重商主義の山口は、稼ぎ時にここぞとばかりに働く者も多く、馬揃えは同時に門前市のような賑わいを呈することとなった。

 馬揃えの結果は大成功であったが、人の多さもあってすべて予定通りとはいかず、公家たちとの顔合わせも、何件かは翌日以降に繰り越さなければならず、それでも義隆の下に戻れたのは日が傾いてからであった。

 晴持の眼前には数ヶ月ぶりに再会した義姉がいる。

 大内家当主としての義隆への報告は、さきほど広間で済ませている。今は、義隆の私室に招かれて、茶を一服したところであった。

「結構なお点前で」

 熱い茶が喉から滑り落ちて、胃の辺りに熱を届ける。

「よかった」

 と、義隆は微笑む。

「こうして茶を点てるのは、実は久しぶりなのよ」

「意外ですね」

 茶の湯は畿内を中心に発展した武士の文化の一つであり、武士が習得すべき学問の一つといってもいいものだ。交渉事で力を発揮するだけでなく、それ自体が娯楽としても側面も持つ。晴持の感覚では「ゴルフ接待」に近いものがあり、義隆は外交的な役割とは別に個人で茶の湯を愛好していた。

「とりあえず、おかえり、晴持」

「はい。ただいま、戻りました。義姉上」

 晴持は、深々と頭を垂れた。

 今更ながら、一番大切な挨拶を忘れていたことを思い出した。形式的な挨拶をしたものの、家族としての挨拶を済ませていなかった。公を離れた私の場であるという義隆の意図を感じて、晴持は気持ちを落ち着かせた。

「九国の戦、本当に大変だったわね。龍造寺から島津から」

「はい。しかし、多くの味方に助けられ、戻ってくることができました。大将一人で戦果は挙げられないものだと、痛感することが多々あります」

「そうね。一騎当千の武者だって、万の凡夫に打ち勝てるはずもないわけで、有能な家臣は国の宝よ。そう考えると、大友を傘下に加えたのは大きかったわね」

「間違いなく、九国支配を支える要となります」

 勢力を減衰させたとはいえ、もともと九国最大級の大名だったのだ。大友家の影響力を考えれば、九国支配に於ける外交・軍事の前線基地として十分に機能するだろう。

「一度、会いたいわね、晴英に」

「そのように取り計らいます。大友領については、有能な家臣も多く国主が多少不在にしても、今更問題を起こすことはないでしょう」

 道雪や紹運が睨みを利かせているということもあるし、大内家がなければ立ち行かないのは今も変わらない。大友家の家臣たちが親大内の立場で晴英を擁立した以上、彼女が義隆に謁見するのを妨げるとは考えにくい。

 大友家が大内家に従ったことを内外に示すには、晴英が山口にやって来るのが最も効果的である。九国への影響力を格段に高めた今、それを行えば、九国の国人たちに動揺を広げることができるだろう。

「後は龍造寺と島津の問題だけど、ま、そっちはそっちで何とかなるでしょう」

「正直、両者共に大内に敵対する余力があるとは思えないというのは同感ですが、世の中どう動くか分かりませんから……」

「そうね。でも、龍造寺については、半分はこっち寄りでしょ。しばらく、相手方は島津の支援を受けられそうにないし」

「島津は島津で、我々に対処しなければならなくなりましたからね。勢いに乗っていた頃は昇り調子でしたが……」

 島津家は大逆転勝利を繰り返し、伊東家や大友家を散々に打ち破り領土を急速に拡大してきた。島津の将兵の中には、敗北の二文字を想像もしてない者たちもいただろう。それくらい、彼女たちは順調だったのだ。島津領は空前の好景気だった。

「南郷谷の戦いで、島津の勢いは止まったものと思います。すると、それまで勢いのままに島津に従っていた者たちは、冷静さを取り戻すでしょう」

「冷静になれば、数字を直視できるようになる。領土も動員兵力も簡単に比較できるものね。確かに島津は強いみたいだけど、精鋭の多くを死なせてしまった事実も隠せない。となれば、特に国境周辺の国人衆は、今まで通りにはいかないと思い始める……って、ところかな」

 今日の馬揃えも、そんな国人衆を心理的に揺さぶる効果もある。

 大内家はまだ戦えるぞ、とアピールすることで内部から敵対者に揺さぶりをかけるのである。

 今後、島津家がぶつかる相手は大内家しかない。今回は痛みわけに終わったわけだが、次に戦った時にどのような結末が待っているか。

 未来がどうなるかなどということは誰にも分からないし、大内家と島津家が再戦したらどちらが勝つかは断言できない。しかし、今、参照できる情報を基に考えるのならば、大内家が優勢に事を運ぶと考える者が多いのは自然であろう。

「わたしが思うのに、奇跡でも起きない限り島津には負けない気がする」

「数を揃え、確実に勝てる状況を作りながら敗北を喫した今川の例もあるので、油断は禁物かと。俺も、今回は危うかったわけですし」

「そう、それよ!」

 義隆は膝を叩き、閉じた扇を晴持に突きつける。

「危なかったで済む話じゃないわ。何、敵将に切り込まれてるのよ!」

「鬼島津が本陣に踏み入った件であれば、正直、相手が想像を越えた動きをした結果としかいいようがないといいますか……通常ならば、その前に退けられるはずだったのですが」

「報告を受けた時は、もう、何をどう言ったらいいのか分からなかったわ。四国から戻ってきたときに、心配したって言ったでしょうが」

「申し訳ありません」

「もう、まったく、ほんとにもう……!」

 義隆は、極めて複雑そうな表情を浮かべて唇を尖らせる。

 多くの戦を繰り返すことで発展した大内家だ。戦そのものを否定はできないし、戦に出ることは必ず死の危険を背負うことになる。

 晴持を最も安全な状況に置くのならば、初めから戦に出さないようにすればいい。

 以前の大内家であれば、晴持が戦に出ることで士気を上げるとともに晴持自身に武士としての功績を立てさせ、次代に繋ぐという意図もあった。しかし、晴持の大内家での立場も、ほぼ確立したようなものだ。武勲はもう十分であろう。当主が戦場を離れて政務中心の生活をするのは、どの勢力も同じだ。大名が戦場に出ること自体が希。世の中には敵中に突撃をする俄には信じ難い戦い方をする大名もいるというが、晴持はそういう戦い方をする武将ではない。適材適所と考えるのならば、後方にいたほうが活躍するだろう。

 それこそ、使える将兵が増えてきたのだから死なれて困る人材を戦地に送る必要性はない。

「うん、晴持。あなた、しばらく戦から離れなさい」

「……はあ」

「で、あなたには領地をあげるから、その運営に力を注ぐのよ」

「加増ですか。俺に?」

「功にはきちんとした形で報いるものでしょ。まあ、大人しく受け取っておきなさい」

 義隆は晴持の額を扇で小突く。

 晴持に領地を与えるということは、巡り巡って大内家の直轄地を増やすということにも繋がる。幕府や大友家の失敗は、直轄地の少なさから軍事力の大半を守護大名や家臣に頼らざるを得なかった点にある。外様の勢力が増えてきたので、地域の連合盟主という立場は維持できないとなれば、大内家自身が立場に相応しい直轄領と直轄軍を所有する必要が出てきた。

 晴持に所領を与えるという口実によって、義隆は「大内家」という家そのものの軍事力強化を狙っていたのである。

「場所は……そうね、筑前のどこかにしましょうか。希望はある? 今回、国人衆の顔ぶれも大分変わりそうだし、ある程度融通も利きそうだけれど」

 島津家との戦いで一部の国人衆の力が低下した。命を賭して大内家のために働いた彼等には、相応の恩賞が下されるべきではあったが、当主の討ち死になどでそもそも勢力を維持できないくらいの打撃を被った者たちも少数ながらいたのである。

「筑前となれば、そうですね。福崎の辺りは、まだ手付かずの土地も多く、開墾のし甲斐もありそうです」

「福崎? ああ、博多のすぐ西側ね」

 大内家の庇護の下で空前の発展を遂げた博多は商人の町だ。その西側に福崎という地があった。博多を睨むと同時に西からくる外敵に備えるための防衛拠点としても利用できるようにしてはどうだろうかという算段であった。

 博多に圧力をかける城であれば、立花山城などすでにいくつか存在している。それ以外に新たな拠点とするのであれば、未だ手付かずの原野が残る福崎以西を開墾していくのがよい。

「わかった。じゃ、とりあえず、そこね」

「ありがとうございます」

「それと、今度小林をあなたに譲ることにしたから。後で、みんなには伝えるけれどね」

「小林? 小林と言うとあの小林ですか?」

「ええ。あなたが想像している通りの小林よ」

「あ、えぁ……家宝じゃないですか」

「いいのよ。いずれはあなたの物になるんだし」

 小林とは、大内家に代々伝わる薙刀の号である。三代将軍義満の時代に活躍した大内義弘が振るった薙刀だ。当時十一カ国を保有し、六分の一殿とも称され絶大な力を誇っていた山名家の勢力を削ぐために、幕府は山名家の分裂工作や挑発で激発を誘導、これを成敗した。後世、明徳の乱と呼ばれる戦いである。この際、大内家の当主であった義弘は幕府方として奮戦。山名氏清配下の小林義繁と一騎打ちの末、これを討ち取る目覚しい活躍をした。大内家は、この武功もあって加増を許され、最盛期を迎えるに至る。

 小林義繁を討ち取った薙刀を、小林と号して現在まで代々の家宝として大切に保管してきたのである。

 家宝の薙刀を晴持に譲るということは、即ち、晴持の立場をより明確にする行為でもあった。

「小林だけじゃないわ。これから、晴持に譲っていく物がどんどん増えていくわ」

「それは、はい。覚悟します」

「うん」

 晴持にとっても、義隆にとっても重たい話題である。

 義隆が晴持に家宝を譲っていくということは、いよいよ義隆が大内家の当主の座を退く準備を始めるということでもあった。

「ねえ」

「はい」

 義隆は晴持に声をかけ、押し黙った。言いたいことがあるが、口には出せない。そんな複雑な心境を表情が物語っていた。

 少しの逡巡の後で、義隆は小さく吐息を漏らす。

「……晴持さ。この後は、予定あるの?」

「予定ですか? もう、遅いですし特には」

「ない? 隆豊のとことか行く用事もないの?」

「そうですね。隆豊も今は非常に忙しくしていますから」

 晴持と共に九国に遠征していた将兵は、帰国してからも大変だ。隆豊自身、安芸佐東銀山城を任されるなど軍事以外の面でも幅広く仕事をしている重臣である。派閥は武断的中道派といったところか。文武に秀でた彼女は、武を重視する家臣と文を重視する家臣に別れやすい大内家の中で、家中の調整役という一面も持っているが、それゆえに山口に戻ってからも仕事が多い。

 まして、帰国したばかりで馬揃えを終えた直後である。多種多様な仕事に奔走するのも、当然であろう。

 数多くいる家臣の中から、あえて義隆が隆豊の名を出したのは、隆豊が大内家の重臣で義隆にとっても気安く話をすることのできる親友のような存在であるからなのだが、同時に晴持と関係を持つ女性の一人であって、夜に会いに行く可能性があったからだ。もしも、これから晴持が隆豊のところに行くというのであれば、さてどうするのがいいのだろうか。

 以前の義隆ならば、苦笑いをしながら軽口を叩いてからかって、隆豊の下に送り出していたかもしれない。今でも、そうしようという思いもあるが、しかし同時になにやら心中には言葉にならない感情の澱みが揺蕩っている。だからなのか、隆豊と会う用事はないと聞いて、ほっとした。

「じゃあ、用事ないんなら、もうちょっとここにいなさいよ」

「……しかし、もう夜も更けてきましたが」

「いいの。いいから、時間とか気にしないで。久しぶりなんだし」

 子どもが駄駄を捏ねるように、義隆は晴持の袖を引っ張る。

「九国の話を聞かせてよ。戦以外にも、面白い話もあるんでしょう?」

「分かりました。面白いかどうかは分かりませんが」

 義隆が喜びそうな話は何があるか。大した話はできそうもないが、あちらでも文化人との交流はあったわけだし、その辺りから話をしていくことにしようか。

 土産話としては長くなりそうだが、義隆がそれでよいのなら構わない。晴持としても、義隆が喜ぶのならばそれに越したことはないからだ。




大内義弘は大内氏の中でもバリバリの武闘派で文系のイメージが強い大内氏の中だと浮いている感じがする。


いもかみさまって新刊でないんかな

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