大内家の野望   作:一ノ一

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その八十二

 筑前国福崎。博多のすぐ傍でありながら、未だに人の手が入っていない土地である。原野と言ってもよく、一から開墾する必要がある難儀な場所だが、博多湾を利用することができるため物資の調達に困ることはなく、人の手を借りることも難しくない。博多商人の協力も得られているため、開拓は重労働が必須という点を除けば比較的容易に勧められそうであった。

 ともかく、街の建設と生活基盤の確立。これが必要だ。晴持に与えられたこの領地を、山口にいる晴持が直接運営することはできない。それだけの能力のある人材を代官として送り込む必要があり、白羽の矢が立ったのは、相良義陽であった。

 肥後国で勢力を伸ばしていた相良家の当主が、異国の将の下で働かされることに涙するものもいたという。往時の隆盛はすでになく、着の身着のままで所領を追われた義陽には、もはや大した権力も権威もないのだということをまざまざと実感させられる。

 だが、義陽はこの命を二つ返事で引き受けた。

 かつて大名だったというだけで、今は何の肩書きもない流人も同然だ。拠るべき領地はなく、支えてくれる家臣を養うだけの財力もないという有様である。おまけに大内家には、島津家に攻め滅ぼされる寸前だった相良家を拾い上げてくれた恩がある。加えて仕事までくれるというのだから、断わる理由は何もなかった。大名としての誇りは捨てないとごねる輩も世の中にはいるだろうが、義陽はそうではない。真面目で人を優先する嫌いのある彼女は、とにかく自分の代で相良家を絶やすわけにはいかない。自分を慕ってついてきてくれた僅かな家臣たちを路頭に迷わせるわけにはいかないという思いで、どんな仕事でも引き受ける所存であった。

 たとえ、今は晴持の一家臣として扱われようとも、何れは勲功を上げて大身に至ろうと、槍を鍬に持ち替えてでも大内家に貢献するつもりだったのだ。

「うーん、何もない」

 と、義陽は脇息に肘を乗せて呟いた。

 そこは、福崎に設けた義陽の新たな城の自室である。城といっても、土壁と空堀で四方を囲んでいるだけの武家屋敷だ。ここを自邸としつつ政務を執っている義陽であったが、ここ数年間の激動の日々とは比較にならないほどの穏やかな日常に、物足りなさすら感じてきていた。

 すぐにしなければならない仕事は朝のうちに片付けてしまった。大名だったときに比べて仕事量が激減している。開墾を進めると言えば厳しそうだが、実働部隊に義陽が含まれることはなく、結局、義陽は小山の大将よろしく座っているだけになってしまう。

 屋敷はしっかりしているし、生活に不足はない。必要なものはすぐそこの博多で仕入れられるし、人手も十分だった。戦火で住む場所を失った人の一部をここに移住させる計画だったようで、彼等を指揮監督し、計画通りに街づくりをして、農地を広げるのが義陽の仕事だ。そして、その費用も義陽が晴持の家臣扱いということで基本的に上が持ってくれる。

 晴持の所領を義陽のなけなしの金で開墾するなど無理のある話だったが、費用負担の多くを上がしてくれるのだから、義陽は本当に書類仕事だけで一日が終わってしまう。

 久しぶりに感じる退屈という感情は、どうにも義陽の心身を腐らせてしまうようで性質が悪い。働いていないと落ち着かないのだ。

「殿、お客様がお見えです」

「どなた?」

「甲斐宗運様でございます」

「すぐに通して」

 義陽は即答した。

 親友の登場は、暇を持て余して腐っていた義陽にはこの上ない清涼剤だった。

「宗運、久しぶり」

 やって来た宗運に喜悦の表情で声をかける義陽。

「久しぶり、というほどでもないように思うけど」

 と、宗運も笑みを浮かべる。

「今日はどうしたの、急に」

「驚かせてごめん。博多に来る用事があったから、寄り道させてもらったの」

「真面目な宗運らしくないわ。いいのかしら、そんなことをして」

「少しくらいなら大丈夫よ。ところで、庭園が完成したって聞いたわ」

「ええ、一応ね。見ていく?」

「もちろん」

 屋敷そのものがさほど大きなものではないので、庭もこじんまりとしたものだ。これは、晴持の意向が反映されている。庭の広さも歩いて散策するようなものではなく、縁側で眺めれば十分という程度だ。

「簡単に作れるようにという注文ではあったけれど、さすがに庭もないのでは貧乏性が過ぎるというもの。ここは晴持様の領地なのですから、それ相応の趣向は凝らさないとね」

 と、義陽と晴持のやり取りで池の設置が決まった。

「うん、まあ、あの方らしいといえばらしい」

 やり取りの一部始終を聞かされた宗運は、苦笑する。すぐ傍に侍り仕事をしている宗運は、義陽と晴持の会談の場を何度も設けている。この屋敷の建設にも宗運は関わっているのだ。晴持の性格を理解しているので、立場に似合わない申し出を何度も聞いてきた。それを思えば、屋敷を最小限に留めようとするのは十分に考えられる。義陽はそれを貧乏性と表現したが、当たらずとも遠からずといったところだろうと宗運は考える。晴持の普段の言動からは、できる限り無駄な出費はしたくないという意思を感じる。

「まだ、何も入れてないんでしょ。この池には」

「うん、まだ」

「じゃあ、ちょうどいい。これ、持って来たよ。晴持様からは許可を貰ってる」

「ん?」

 宗運が持ってきた木箱の中には陶製の入れ物があり、それを開けると一匹の亀が入っていた。

「あら、可愛い」

 手の平大のイシガメが甲羅に頭を隠している。

 亀は古来、縁起物として扱われている。その甲羅は、亀甲占いに用いられ、その結果は国家の大事を決するほどの影響力を有した。中国文化の影響を多分に受けた日本でも、亀には特別な力があると信じられていた。

「縁起がいいわね」

「それに、大内といえば亀だからね。晴持様の領地には相応しいと思って」

「亀? そうなの?」

「そうなんだって。大内家の氏神は、代々妙見神なんだけど、知ってる?」

「それは、当然。有名な話よね」

 大内家は古くから妙見信仰に厚い家柄だというのは有名な話で、大内家に取り込まれた義陽は、当然のものとしてその情報を掴んでいる。

 とはいえ、その歴史にまで踏み込んではいない。武士としては毘沙門天や八幡神の信仰が一般的な中で、妙見神を長年信仰し続けているというのが、物珍しいと思った程度だ。

 大内家及びその前身となる多々良氏の妙見信仰の歴史は、はっきりしないところが多い。鎌倉時代まで遡るのは確実とされるが、詳しいことは大内家でも把握していないだろう。

 大内家の氏寺は山口近くにある大内村の氷上山になる興隆寺である。そして、ここには氷上山妙見社があり、妙見信仰の聖地として崇められている。それのみならず、大内家の重臣たちが参加する重要な年中行事も多数開かれている信仰の拠点でもあった。

 とにかく、大内家は自らの氏族神話に妙見神を取り込んで語り伝えている。伝説によれば、推古十七年に鷲頭荘青柳浦の松の上に七日七晩輝き続ける大星があった。人々はこれを奇妙に思っていたところ、ある巫女が「異邦の太子が来朝する。そのため、妙見神が降臨してこれを守る云々」という信託を受け、その三年後に多々良氏が祖と主張する琳聖太子が上陸したという。妙見神が松に降ったことから、地名を下松浦と改め、その名は下松市として、遥か未来にも残ることになる。

 在庁官人時代からの妙見信仰に琳聖太子祖神伝説を複合した神話である。これが、現在の大内家が語り伝える氏族神話の中核である。

 ゆえに、妙見信仰は大内家の信仰の要となり、妙見神に関わる聖獣は大切にされる。その代表格が亀であった。

「義隆様まで三代に渡り、幼名は亀童丸だと聞くし、先々代の頃には亀、すっぽん、蛇を鷹のエサにすると所領没収、追放の処分が下されたこともあるらしいよ」

「そこまで……?」

 義陽は内心で亀を受け取ることのリスクを思ったが、晴持に許可を得て宗運が持ってきてくれた亀を無碍にすることもできない。

 それに、亀を大切にする姿勢を見せれば、大内家から睨まれなくてすむかもしれない。

 晴持も義隆も悪い人ではない。その人柄は善良な部類であり、義理人情を大切にしているように見える。しかし、義陽は結局のところ外様であり、かつてのように島津家への防波堤としての役割を演じることはできなくなった。「大内家」としてみれば、その他大勢に格下げしてもいい身分である。

 ゆえに、義陽は宗運と同じく実力と忠誠心を見せなければならない立場となった。

 少しばかりあざとい気もするが、庭の池で亀を飼うくらいはしてもいいかと思った。どの道、ここは晴持の領地である。それらしく飾るのは悪く思われないだろう。これは、宗運からの気遣いでもあったのだ。

 亀を受け取り、庭の池に放してやる。気持ち良さそうにぷかぷかと浮かんだり、岩に這い上がって甲羅を干したりしている。思いのほか元気で、運動量の多い亀だった。

「亀って意外と動きが速いのね」

「鈍重の象徴みたいな扱いだけど、本気で走ると速いのよね。わたしも、亀を飼うってことは今までしたことがなかったから驚いたけどね」

 感心する義陽の隣で、同じ気持ちを数日前に味わった宗運が言った。

 亀一匹でも話の種にはなった。

 退屈で死にそうだった義陽にとってはいい贈り物だったかもしれない。生き物は動く。動くので、眺めているだけでも楽しいのだ。

「それにしても、元気にしててよかったよ義陽。キツイお役目だと思ってたけど、ここのところはどう?」

「それが、時間に空きが多くて困っていたの。ほら、いくら開墾だなんだと言っても、わたしが肉体労働するわけじゃないでしょ?」

「贅沢な悩みだねー。まあ、それもそうなんだけど」

「宗運のほうこそ、山口での暮らしには慣れた?」

「うん、そうだね。いろいろと大変だけど、楽しくやってる。明智さんと一緒に当たる機会が多くてね」

「気が合いそうね、二人とも」

 義陽が思い浮かべる光秀は、いつでも真面目で、晴持の事務官僚のような立場で東奔西走しているという印象だった。ちょうど、宗運もそういったことが得意な性格である。一緒に仕事をしていれば、自然と仲良くもなるだろう。

「宗運は、ずいぶんと楽しそうな顔をするようになったわね」

「そう?」

「ええ、そう」

 阿蘇家に仕えていた頃の宗運は、当主の右腕として政治に軍事にと慌しく駆け回り、大国に挟まれて立場のない主家を守るために死力を尽くしていた。命懸けの仕事ばかりをしていたので、気持ちの面でもかなり追い込まれていた。主家から裏切られた直後の宗運など、見ていられないほど気落ちしていたので、今のように肩の荷が下りたかのように明るく振る舞う宗運を見るのは初めてかもしれない。

 かつては互いに立場があった。義陽は相良家の当主であり大名。宗運は阿蘇家の重臣。お互いに異なる立場であり、それを超えて親友にまでなったが、共に背負うものがあった。今は、それも大分変わってしまった。一家の主としてすべきことはあるが、かつてほどに重いものではなかった。

「晴持様は、今どうされているの?」

「今頃は、堺に着いた頃だと思う」

「堺?」

「そう。堺に視察に向かわれたの。明智さんと冷泉さんが同行してる」

「そうなの。また、急ね」

「京でも気になる動きがあるみたい。ちょっと、不穏だから視察は堺までにして様子を窺うとのことよ」

「何も晴持様が行かれなくても、と思うのだけど」

「堺に懇意にしてる商人がいるんですって。その人と話をすることもあるみたい。まあ、晴持様が行かれなくてもというのは、確かだけど……堺は大内相手に喧嘩を売ったりはしないでしょう」

「……まあ、そうね」

 堺は博多と並ぶ商業都市だ。日本国内の流通拠点とも言うべき堺は、大内家が瀬戸内交通を支配したことで南蛮とも明とも交流を結べず、苦労しているという話もある。その一方で、やはり東国から京にかけての物資の集積地の一つでもあるので、商業の重要拠点の一つという見方は依然として根強い。

 大内家ともめて流通を止められれば、堺の一大事だ。火薬も陶磁器も手に入らなくなる。彼等が他の大名家から尊重されるのは偏にその経済力を交易能力によるもので、その核というべき商品の流れが滞れば、遠からず立ち枯れてしまう。

 大内家の恐ろしいのは、堺がなくなっても問題ないと断言できるところであり、それは他の大名家と決定的に異なるところであった。

 博多と堺を結ぶ交易路の確保が、堺商人にとっての最重要事項である以上、むしろ大内家には好意的に接するだろう。

「ところで、龍造寺に動きはあったか、なんて分かる?」

 雑談の後に、宗運が口火を切った。

 問われた義陽は思わず笑ってしまう。

「何、宗運。やっぱり、今日は仕事で来たの?」

「いいえ、そうではなけれど、ここまで来たら手ぶらでは帰れないもの。龍造寺に近い場所にいる義陽なら、いろいろと動いてるんじゃないかと思うけど?」

「そうね。ええ、できる範囲で、だけどね」

 晴持が、何故この地に所領を求めたのか。

 博多の管理監督、防衛、それもあるが未だ動きがはっきりしない龍造寺家に対応するための拠点作りも兼ねている、と義陽は読んだ。 

 故に、彼女は手勢を肥前国内に潜ませて情報収集に当たっていた。

「南郷谷の戦いで島津の北上が抑えられたから、肥前の島津派は梯子を外されたような状態になってるみたい。島津はすぐに兵を興せる状態ではないと見られてるのね」

 肥前国の龍造寺家は今も二つに割れて対立している。龍造寺長信は大内家と同盟し、その異母兄である龍造寺信周は島津家を恃みにしている。

 ところが、龍造寺家と関わりのないところで両者のパトロンが激突した。南郷谷の戦いである。ここで、大内家と島津家は激しく戦い、決着がつかないまま痛みわけとなった――――あくまでもその戦場では。

「損害は島津のほうが大きかったのは言うに及ばず。彼女たちの影響力は格段に下がったわ。各地で反乱の芽が出てるし、それに対応するために肥前への支援は難しくなってる。だから、肥前国内は少しずつ長信派に揺れてるわね」

「大内家が失ったのは、九国の諸国人衆。言ってみれば外様ばかりだから、島津とは事情が違うよね」

 その国人衆の中に相良家も甲斐家も入ってはいる。ただし、彼女たちはすでに敗れた身だ。全体の戦況を変えうるほどの勢力があったわけではない。南郷谷で悪名を轟かせた伊東家は大内家に萎縮しつつも島津家に尻尾を振るわけにもいかず、首が回らない状況だ。独立勢力を維持するのは、もう難しいだろう。宗運たちと同じく、大内家の家臣団に組み込まれるのは時間の問題と言えた。

「龍造寺のほうは、遠からず動きがあると思う。島津の支援に頼ってた信周にとっては、決着を急がないと不利になるばかりだもの」

「時間をかければかけるほど、離反者が出る可能性が高い、か。確かに、島津家の勢いが止まった以上、後は単純な物量の問題になる。大内家には及ばない。どうあっても」

 島津家の勢いは凄まじかった。小勢力を束にしたところでまったく歯が立たない怪物たちで、それが南の果てから迫ってくる恐怖は、九国の誰もが知るところだ。

 しかし、それも大内家という強力な防壁に阻まれた。仮に島津家が大内家を破ったとしても、大内家にはまだ余力がある。全力で走り続けなければならない島津家に対して、大内家は交代しながら休み休み走ることができる。その違いはあまりにも大きかった。

「御屋形様の準備が整えば、それだけで肥前の事は決すると思うのだけど」

「戦ばかりしてられないというのもあるから、すぐにとは言えないわ。ちょっと聞いてみた範囲でも厭戦気分は高まってる。もうちょっと、準備期間が要るかもね」

 戦には金がかかる。人命も消費する。如何に大内家が大大名と雖も、大規模な遠征をするには時間も経費もかかるのだ。

 その負担は最終的に民に向かうことになる。搾取してばかりではいずれ愛想を尽かされることになるのは明白だ。

 山口は勝利に湧いている。それは事実だが、同時に戦続きで消耗している者もいる。そこから目を背けるわけにはいかなかった。

 しばらくは、南郷谷の戦いのような大規模な合戦は控えたいというのが大内家の考えだった。

「そろそろ帰るよ。長居してごめんね」

 宗運はそう言って立ち上がった。うっかり話し込みすぎてしまった。日が暮れる前に博多に戻らなければならなかった。

「泊まっていかないの?」

「明日、朝から仕事があるから。また、時間を貰えたら来るよ」

「そう。だったら、仕方ないわね。気をつけて」

「うん」

 宗運は屋敷を出て博多に向かった。任されている仕事をきちんとやり遂げて、晴持に認めてもらわなければ。そういう決意を新たにした表情だった。

 

 

 

 ■

 

 

 

 夏の暑い盛りに、晴持は堺に入っていた。商船に乗り込み、村上水軍の護衛によって堂々と堺入りを果たした形になる。

 付き添うのは自らの右腕とも言うべき存在になった光秀と大内家の重臣隆豊である。

 堺は相変わらず発展し、人の往来も激しい。

 どこの大名権力にも属さない自治都市として発展した堺は、文字通りの商人の都市である。ここには日本中から富と共に情報が集約する。商人は耳が早い。東国の情勢も、比較的早く堺に届けられる。昨今の畿内から東国にかけての情勢が、著しく変わっていると聞く。そのため、懇意にしている商人宅を訪れて、話を聞いてみることにしたのだ。

「冷泉殿は、畿内での仕事がお得意ですよね」

 と、光秀が言った。

 光秀と京で出会ったときにも、隆豊が随行していた。

「はい。わたし、こちらには色々と伝手があるのです。といってもわたし個人のものではなくて、祖父以来のものなのですが」

「冷泉殿のお爺様ですか。そういえば、冷泉殿のご親族については、わたしはあまり……」

「ああ、そうですね。あえて、説明することでもないので口に出すことがありませんでしたが、もともとは畿内の出なのです、我が家は」

「え? そうなのですか?」

「はい。意外でしたか?」

「そ、それは……はい。てっきり、先祖代々大内家にお仕えのものとばかり」

「先祖代々というと、そうですね。間違ってはいないと思いますが、大内の一族も様々な土地に根を張りましたからね。例えば、古くは加賀に所領を貰った者もいたはずです。我が家の場合は摂津に所領がありまして、以前は幕府の奉公衆も勤めていました」

「奉公衆!? しかも、摂津ですか!?」

 驚いた光秀は思わず声を挙げてしまう。

「父の代から周防に戻ったのです。冷泉と号したのはその頃で、それ以前は大内姓でした」

 人に歴史ありだ。隆豊を見ていると、古くからずっと山口にいて大内家を支えてきた名家であるように見える。しかし、実際は山口の大内家に仕えながらも本拠地を摂津に置き、畿内で活動しており、山口に戻った際には、その間だけ臨時の所領が与えられていたという。

 明智家もまた古くは奉公衆に名を連ねていた。もしかしたら、先祖が知り合いかもしれない。

「そういうわけで、畿内にはまだそこそこ当時の伝手が残っているのです」

 と、隆豊は簡単に説明してくれる。

 その他、文武両道で気配りができるので畿内を連れ歩くのに適した人材であるというのもある。

 喧嘩っ早い家臣を連れて自分の勢力外に足を伸ばして、余計な揉め事に巻き込まれるのは御免だという晴持の感覚もあったし、何だかんだで隆豊への信頼感は強い。

 さらに、ここに加えて光秀だ。これまで、大内家にはいなかった畿内以北出身者である。おまけに京で就活していて、藤孝のような地位のある知り合いがいる。大内家に仕えて名を挙げた光秀にとっては、畿内への凱旋と言えなくもない。

 一向の目的地は、堺のど真ん中であった。

 数年前から大内家に接近し、積極的に関わりを持とうとしていた商家の一つである。

「お久しゅうございます。晴持様の九国でのご活躍、遠く堺にも響いております」

 慇懃に晴持を出迎えたのは、大変美しい女性だった。深い黒の長髪が、彼女の白い肌を際立たせているようにも思える。

 手を握れば折れてしまいそうな華奢な身体付きをしているが、これでも納屋業で荒稼ぎしている堺の豪商だ。父から受け継いだ魚屋(ととや)を切り盛りし、より多くの稼ぎを生み出している商才確かな女性だった。

「人に助けられてばかりで、俺の活躍ではないけどな。それはそうと、与四郎のほうはきっちり商売繁盛させているようじゃないか。店先の賑わいを見たぞ」

「ふふ、おかげさまでたんまり稼がせてもらっとります」

「それなら結構。当家としても堺のお得意さんには、元気でいてもらわないと困る」

 博多と堺を繋ぐ交通路を確保しても、堺から先の流通に商品を乗せなければ売れない。堺商人の協力は大内家にとっても必要だった。

「堺には三好の手が入っていないのだな」

「堺は商人の街どす。如何に三好様と雖もそう簡単に手を出させたりはしません。まあ、懇意にはさせてもろてますけども」

「まあ、この辺は三好の勢力圏でもあるからな」

 三好家は阿波国から勢力を伸ばし、長慶の代で天下の中枢を治めるに至った。長慶は政治にも軍事にも明るく、四国では領土を接しているので要注意人物でもあった。

 京を三好家が抑えている以上、迂闊に三好家に睨まれることはできない。将軍かあるいは天皇から睨まれることに繋がるからだ。

 どれだけ、大内家が幕府や天皇家のご機嫌取りをしようとも、実際の軍事を司る三好家に彼等は逆らえないのが現実だ。管領細川家も頑張っているが、もう風前の灯だろう。

 堺には、そんな三好家に所縁のある南宗寺がある。長慶が父を弔うために創建したもので、つい最近できたばかりの寺だが、天下人の財力が投じられたので、その規模はかなりのものだ。

「南宗寺はええとこどすよ。うちも、時間を見つけて通っとります」

「そうか。じゃあ、俺も時間があれば見てみようか」

 あまり関心を示さず晴持は流した。

 三好家の寺だ。何があるか分からないので、近付かないのが吉だろう。

「東では動きがあったらしいな」

「単刀直入どすなぁ」

「君と腹の探り合いをしてどうする」

「それもそうどすね。大きな動きというと……南近江の守護様が、いよいよみたいどすなぁ」

「六角義賢、だったかな。それで、相手は織田信長か」

「なんや、やっぱり知っとったんどすか」

「山口で聞くのと堺で聞くのとでは情報の精度が違う。織田の動きは、以前から気になってはいた」

「さすがは晴持様のご慧眼どすなぁ。飛ぶ鳥を落とす勢いというと大内家もそうなんどすけど、あっちはあっちで大したさかいどす」

 ジャイアントキリングは、いつの世も人々を驚かせ、愉しませる。織田信長が桶狭間で今川義元を破った戦いは、驚愕と共に山口にまで語り伝えられている。

 その後、斉藤家を破って美濃国を攻略し、そして今、南近江国の名門六角家を滅ぼそうとしている。

「六角に再起の可能性があると思うか?」

「まず無理どすなぁ。織田家は北近江の浅井と同盟してますし、さらに三好様とも仲良うしとる。完全に挟まれとる上に内部分裂してどうにもならへんくなってるわけで、こら、もうせんないやろうな」

 織田家が南近江国に侵攻する前から、六角家は一枚岩ではなくなっていた。家臣団と当主の間で溝ができて、結束力を失っていた。浅井家から北近江国を取り戻すことができず、それどころか三好家とも敵対してしまい、東から織田家が攻め寄せてきた。踏んだり蹴ったりのまま滅亡の縁に追い込まれている。

「あの六角がな」

 織田信長という時代の寵児に攻め滅ぼされるのは、ほぼ確定していたことではあった。しかし、六角家の歴史を知れば、あの大大名がいとも簡単に消えてしまうのが不思議でならなかった。

「それを言えば、大友も似たようなもの。さらに言えば、幕府がこんな体たらくでは……。むしろ、『あの大大名』ほど、もろく崩れとるように見えますなぁ」

「肝に銘じないといけないな」

 守護家の多くが守護代に取って代わられている下克上の時代だ。大内家も他人事ではない。

 問題なのは織田家と三好家が仲良くしているということだ。

「織田と三好はどこまで繋がってるんだ?」

「六角は織田様と三好様の共通の敵。その後はどう出るか分かりまへん。まあ、長くは続かんやろう」

 信長はいつかは京を狙うだろう。そうなれば、京を押さえている三好家との衝突は避けられない。

 敵の敵が味方だっただけというのならば、まだ安心できる。しかし、織田家が北上、三好家が西上するというのならば話は別だ。あるいは尼子家と手を結び、対大内戦線を形成する恐れもある。

「少なくとも今の三好様は大内様に手出しするつもりはなさそうどす」

「そうなのか?」

「はい。どうも、ご当主の長慶様は、あまり戦を好まれへん方のようで、畿内から領土を広げよう言う気概は感じられまへん」

「現状維持が政策方針か。それならそれで助かるからいいか」

 京を治めるにしても、三好家も一枚岩ではないところがある。六角家が滅び、織田家がどうでるか分からないから、西に兵を進めるのも不安があるといったところだろうか。

 長慶自身に領土欲が少なければ、進んで大内家と敵対することはないだろう。となれば、大内家は九国と尼子家への対処に時間を費やせる。

「うん、ありがとう。これは、土産だ」

 晴持は小さな茶器を与四郎の前に置く。与四郎の目がきらりと光った。

「こ、これは……肩衝?」

「ああ。飾ってるだけではかわいそうだから、使う人が持ってたほうがいい。まだ名もない品だが、それなりにいいもんだぞ」

「そりゃ、見れば分かりますが……これ、戴いてええんどすか?」

「いいよ。まあ、今後ともよろしくということで、挨拶の品と思ってもらえれば」

「こんなええもん戴けるんなら、情報の一つや二つ、安いもんや。こちらこそ、今後ともよろしゅうお願いします」

 はあはあと妙に興奮した様子で茶器を眺めている与四郎。以前から、闇が深そうな気配はあったが、ここまでとは。これがマニアの真髄か。今にも涎を垂らさんばかりだ。それも美人だから問題ないのだが。

「なら、もう一点相談があるんだが」

「なんですか?」

「博多で取り扱う商品を堺で売るときの、本格的な拠点が欲しい。商業に力を入れるにしても、色々な商人の手を介していけば値が上がる。堺で我々の商品を取り扱う専門業者が必要だと感じている」

「まさか、うちにそれを?」

「ああ、そういうことになる」

 晴持は頷いた。

 特産品を堺で販売するときの拠点となる店が必要だった。商品を売買するにしても、その他の取引をするにしても信用できる商人を名代としたほうが効率がいい。

「なるほど、確かにそうすれば大内様の領内から優先的にうちの蔵に商品を運び込めるし、ほして楽に商いができますな。その話、乗らせてもらいます」

 魚屋は大内家御用達のお抱え商人となることでさらなる増収が見込める。大内家としては確実に商品を売り捌いてくれる実績と実力のある商人と契約を結べればいい。どちらにとっても悪い話ではなかった。これまでの付き合いもあって、与四郎は二つ返事で引き受けてくれた。

「そろそろ夕餉の時間どすなぁ。待たせてる人もいてはるし、今日のところはお開きにしまひょか」

 とりあえず、話したい事は話した。

 東の情勢の変化も、与四郎が御用商人となってくれたことでより早く山口に伝えられるだろう。堺商人の情報収集能力は、極めて高度だ。

 今後の大内家にとって、注視すべきは東だ。島津家や龍造寺家も脅威といえば脅威だが、東からの動乱は彼女たちを遥かに凌ぐものになる可能性が高い。

 待たせてしまった隆豊と光秀と共に、与四郎の屋敷で一泊した。

 

 

 

 ■

 

 

 

 堺の街は多様な人々が訪れる。商人は元より武士から南蛮人まで様々だ。取り扱う品数では日本一と言ってもいいだろう。経済の集積地は、そのまま情報の集積地となり、情報収集のためにさらに遠方から人が来る。常に人と者が循環する都市の発展振りは、その他の地域から来た者たちの度肝を抜く。

「京とは全然違うなぁ」

 と、一人ごちたのは軽い茶髪の少女だった。背の低さから年齢よりも若く見られてしまうのが悩みの種ではあったが、それはそれとして快活そうな表情には人を惹き付ける魅力があった。

 二日ほど前に訪れた京は、政治的には日本の中心ではあるが、活気がなかった。長い戦乱でくたびれた王城は、三好家の支配下ではあったが、まだまだ往時の輝きを取り戻すには時間がかかるだろう。それどころか、さらに荒廃する可能性もあった。

 未だ、将軍義輝が三好家排除のためにあれこれと不穏な動きをしているという噂があるからだ。近いうちに戦が始まるかもしれない。

 そう聞いて長居するほど、少女は能天気ではない。京の情勢は理解した。ならば、堺はどうだろうかとやって来た次第だ。

 想像以上に人が多い。あまりに発展しすぎていて、どうしたものかと悩んでしまうほどだった。

 そんな折、聞こえてきたのは、

「大内家の方が魚屋に来ている」

 という話だった。

 それも、何と大内晴持であるらしい。

 魚屋は豪商田中家が切り盛りする店の屋号だ。貸倉庫業で財をなし、会合衆の一員でもあるという。そして、大内家のお得意様で、しばしば大内家の家臣が出入りしているというのだ。

 話を聞かせてもらったおじさんは、その田中家と商売上付き合いがあるというので、偶然にもその情報を掴んだのだという。

「あんた、お武家さんか?」

「あたし? 違う違う。ただの目薬屋。堺で一旗挙げようと思ってきたんだけど、ちょっと考え直さなきゃなった思ってたとこ」

「ほう、もったいない。商機があれば、一か八かでもやってみればよいぞ。薬売りとなれば、あるいは武家に雇ってもらえるかもしれんだろう。ここにはそういう出会いもあるはずだぞ」

「うーん、そうなんだ。ちなみに、最近だとどこがおすすめ?」

「うぅむ、そうだな。この辺りで旗揚げするんなら三好だろう。当然にな。だが、ちょっと足を伸ばそうってんなら大内だろうな。織田の殿様も悪くない。今後、どう出るか見物ってとこか。ああ、松永はやめとけ」

「どうして?」

「あそこの兵の評判はあまりよくない。松永様はお優しくて、美しいんだがなぁ。俺も一度見たことがあるだけだが、黒い噂もあるっちゃあるからな」

 渋い顔をしておじさんが声を潜める。

 松永久秀は、三好家の家老だ。身分定かならない身から長慶に取り立てられて、出世魚のように成り上がっていった。その過程で、様々な噂が流れている。

 それを、周囲の僻みと受け取ることもできるだろうが、関係のない商人たちの間で実しやかに囁かれるとなると、いくらかは信憑性はありそうだ。

 そして、有望株として上がった大内の若殿様が近くに来ているらしい。

 なるほど、これは面白くなってきたと彼女は思った。どうせ、堺に来たのなら、何かしらの収穫は欲しいところだったのだ。大内晴持の様子を窺えるのなら、成果としては十分だ。そこで、彼女は魚屋の場所をおじさんから聞きだして、軽やかな歩みで魚屋に向かっていったのだった。

 




京言葉が難しい……

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