大内家の野望   作:一ノ一

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その八十三

 堺は日本で最も重要な商業都市として諸大名に知られている。和泉国内にありながら、大名権力にすら公然と歯向かえるほどの経済力を有する堺は、極めて特殊な都市と言える。

 上からの圧力を物ともせず、時に軍事力を行使してでも異を唱えることもある。溜め込んだ財と伝手は、敵対者に戦争ではなく話し合いを選択させるだけの力となる。

 堺とは「銭」が形作った一つの世界なのだ。

 大坂本願寺のような宗教施設ではない。その正反対の世俗の垢に塗れた背徳の都でありながら、そのあり方は同じく世俗の権力に立ち向かえる寺社勢力に似たものがあった。

 畿内一円は三好家が支配している。幕府もほぼ三好家の手の平に納まっている。そんな中でも、堺は三好家に対しても臆することなく対応しているという。

 三好家も、堺の重要性を認識しているし、堺と争う愚を理解している。権力者としては目の上の瘤ではあるが、それでも利用価値のほうが高い。

 堺の価値は商業力とそれを営む人にある。戦を仕掛けて土地を手に入れることができたとしても、商業がだめになればその価値は灰燼に帰すこととなる。

 堺は商業という盾により、大名権力に戦を仕掛けているのである。

 そんな堺を相手にして、正面から戦いを仕掛けられるのが大内家だ。領内に博多を擁し、強大な軍事力と海上交通を我が物とする大内家は、堺にとって最も難しい相手であった。

 商いには商いで対抗する。

 それが可能な大内家は、堺の風下に立つことはない。そして、同時に大内家と繋がりを持った堺商人は日本の東西に自らの商業圏を広げることが可能となる。敵対よりも協同で事に当たったほうが得であるというのは、堺側から見ても明らかだった。

 堺に逗留して三日が経ったが、特に大きな問題が起きることもなく晴持の旅は小旅行となっていた。仕事らしい仕事はすでにない。晴持がこなすべき案件は終わったも同然だったからだ。

 晴持護衛のために堺入りした明智、冷泉の配下も時に外出して堺漫遊を楽しんでいるようだ。このところ戦続きだったので羽を伸ばすにはいい機会だ。風紀の乱れ、乱暴狼藉を厳に慎むことを条件に、彼等家臣にも交代で休みを与えている。

 以前、堺を訪れた時には上京し、公権力との繋がりを深める目的があったが、今回はそうではない。あくまでも、堺で商いの拠点を形成しつつ、東国の様子を窺うのが目的だ。晴持は逗留期間中、堺から出る予定はない。ここならば、何かあってもすぐに船で帰国することができるという理由もあった。

 魚屋の女主人、田中与四郎は、自治都市を取り纏める評定衆の一員である。それゆえに交友関係が広く、彼女を通して晴持と友誼を結ぼうとする者は少なくなかった。

 晴持はそういった堺商人らと言葉を交わし、文物を交換して交友関係と見聞を広めた。山口では手に入らない貴重な情報も多々あった。

 つい先ほども、与四郎の知人という僧侶を相手に囲碁を打っていた。晴持は、囲碁が得意というわけではないが、嗜みとして幼少期から触れてきたので、多少はできる。その僧侶も、出家前は武家の次男だったということで囲碁ができると言う話になり、一局、相手をしてもらったのだった。結果は晴持の負けであった。普段から囲碁に触れている彼と時々手並み草に碁石に触れる程度の晴持では、勝負にすらならなかったのだ。

「若様、若様」

 と、隆豊が声をかけてきた。

 愛らしい顔に柔和な笑みを浮かべている。

 辻ヶ花の小袖は、晴持が隆豊に贈ったものだった。

「如何でしょう」

 と、隆豊は晴持に尋ねてくる。

 辻ヶ花の小袖を着た隆豊は、大人しく愛らしい少女にしか見えない。姫武将として各地を転戦し、血と硝煙に塗れることも一度や二度ではなかった。見た目からは想像ができないだろう。普段の彼女と戦場の彼女は別人だと言われたほうが納得できる。

 新たに入手した着物を着て、その姿を真っ先に晴持に見せにきた健気さにこそ晴持は心を打たれる。

「あの、若様?」

 返事をしない晴持に不安になったのか、隆豊が心配そうに聞いてくる。慌てて晴持は言葉を探した。

「ああ、見惚れていた。よく似合ってる」

「本当ですか?」

「もちろん。似合っていたから、驚いて言葉に窮してしまった」

「そんな……もったいないお言葉です」

 そう言いながら、恥ずかしげに目を伏せる隆豊。頬を朱に染めて嬉しそうにしている。今が夜でないことが惜しい。この愛らしい姫を抱き寄せてしまいたいという思いがむくむくと鎌首を擡げてくるのだ。しかし、そうするとせっかく隆豊が着てくれた小袖を脱がすことになるので、それはダメだなと自制する。

 そんな晴持の内心の葛藤には気付かず、隆豊は晴持に身を寄せる。

「碁を打たれていたのですか?」

「さっきまで。例の坊さんだよ」

「ああ、昨日いらした」

 隆豊は、昨日やってきた妙国寺の僧侶を思い出す。

 三好氏に所縁ある寺の一つであり、警戒もしていたが、だからといって警戒してばかりでは得られる情報も得られない。

 大内家と三好家は、共に不用意な軍事衝突が起こらないように注意している。三好家は三好家で、大内家は大内家で別の敵がすでにいるのだ。あえて敵を増やす必要性はないだろうと、共に理解している。

 もちろん、まったく遺恨がないわけでもない。阿波細川家に対する三好家の対応は、義隆も大いに不満を抱いている。 

 前阿波守護細川持隆を、三好実休が殺害したのだ。持隆の正室は、義隆の姉妹だった。三好家と良好な関係を形成していた持隆がなぜ殺され、その子が守護に擁立されたのかは未だに不明だ。しかし、大内家としては、相手が将軍家を戴いていなければ、四国統一の口実に利用できる事件ではあった。それを、今は棚上げしている状況だ。両家に遺恨はない。ただしそれは、直接戦に発展したことがないというだけの薄氷の上に成り立っている。

 状況が許せば、大内家と三好家は戦争状態に移行するだろう。

 それが、戦国の世の倣いでもある。

「……それで、その方はなんと」

「世間話しかしなかったよ。それでも、面白い話は聞けた」

「面白い話?」

「先日、長慶殿は、岸和田城の救援に実休殿を送ったそうだ。直に戦端が開かれるかもしれない」

「岸和田城というと、近いですね」

 隆豊が深刻そうな顔をする。 

 岸和田城は、堺から見て南西部に位置する城だ。

 建武元年。和田氏が岸と呼ばれていた地域に城を作ったことが、岸和田の由来である。この時建てられた岸和田古城が、信濃泰義という人物によって現在地に移築され、今の岸和田城の原型が出来上がる。

 岸の名を冠したとおり、この城の二の丸は海に面しており、守りに適している。堺の南西にあって、紀伊国との交通を遮る位置であり、三好家にとっては反三好勢力への防衛線となっているのだ。

 その岸和田城は、今、畠山高政を首魁とする反三好連合軍に包囲されている。

 岸和田城主であり、長慶の弟であった十河一存が病を得たことを好機と見たのだろう。実に一〇〇〇〇もの兵で攻囲された岸和田城は、すでに落城寸前であると言う。鬼十河も病に勝てぬと堺では専らの噂となっていた。

「三好家としては、十河殿も岸和田城も失えませんからね。しかし、如何しましょうか。岸和田城で戦となれば、堺にも戦火が及ぶかもしれません」

「そうだな。今日明日、戦端が開かれるということもないだろうが、きな臭くなってきたし、ここらで切り上げてもいいかもな」

 万が一ということもある。堺は土塁と堀で囲まれた城郭都市でもある。攻撃されたとしても、これを跳ね返すことは可能だが、戦乱に巻き込まれるのも不本意だ。 

「どこへ行こうと、戦ばかりだな」

「仕方がありません。そういう時代ですから」

 日本全国どこでも戦は起こっている。大なり小なり小競り合いは日常茶飯事だ。とはいえ、岸和田城での戦は、想像以上に大きくなりそうだった。

 万を越える兵を擁する軍勢同士の激突となると、その被害は周辺にも及びかねない。しかし、同時に大軍は動きが遅くなるものだ。数ヶ月は睨み合いになる事も珍しいことではない。堺まで戦火が飛び火することがあっても、今すぐという話にはならないだろうし、だからこそ堺の町民たちは面白おかしく三好対畠山の戦を語っている。 

 彼等は商人だ。

 近郊で大きな戦があれば、商機とばかりに情報収集に躍起になる。戦場は、大量の銭が動くのだ。兵糧から武器、奴隷等多種多様な商品が取引される。

 堺は、むしろ大戦の予感に熱を帯びている。今こそ稼ぎ時とばかりに、武器の仕入れに走る商人たちの慌しい声が飛び交っているのが聞こえる。

 戦も彼等にとっては重要な収入源なのだ。それを考えると、難しい世の中だと思わずにはいられない。

「晴持様、よろしいどすか?」

 鈴のような雅やかな声で語りかけられる。

 相手は与四郎だ。

「何か?」

「晴持様に是非目通りしたいと仰る方がおいでどす」

 正直、またかという思いではあった。しかし、同時に不自然でもある。事前に予定を組んで顔を合わせるのが常であり常識だ。晴持の立場を考えれば、飛び込みで顔合わせができるなどありえないのだ。

「若様は、そのように気軽にお会いできる方ではありません。どこのどなたか分かりませんが、お退きとりいただきたい」

 と、不快感を露にしたのは隆豊だった。彼女からすれば、相手の行動は不誠実極まりなかったし、何の準備もしていない状況での顔合わせとなれば警備上の問題も出てくる。当然の反応であった。

「まあ、待て隆豊。名も聞かずに追い払うのは、大内の沽券に関わる。相手が名のある御仁かもしれん。与四郎、尋ねてきたのは誰だ?」

「播磨の黒田官兵衛と言うてますが、どうしまひょか」

「黒田官兵衛? 本物か?」

「さて、それはうちには何とも」

 それもそうだが、さすがにその名を聞いては無碍に追い払うこともできない。

「播磨の黒田というと、小寺家にそのような家臣がいたような」

「ああ、その黒田で間違いないはず」

 まだ、この時代では名を挙げていないのか、あまり表舞台には出ていない。諸国の情報を集める際に、播磨国のことも当然に調べているので、官兵衛の存在そのものは把握していた。まさか、ここで名前が出てくるとは思ってもいなかったが。

「分かった、会おう」

「若様、よろしいのですか!?」

「黒田の者の目的もそうだが、播磨の情勢も気になるからな」

 播磨国には、統一政権がない。播磨守護の赤松家は零落し、その権威は失墜している。一応、今でも播磨国内では力があるほうではあるが、それは国人の中ではという程度のはずだ。大名としては下から数えたほうが早い。

 赤松一色山名京極。かつて栄華を極めた四職の守護大名たちは、そのどれもが力を失い没落していた。とりわけ、赤松家は浮き沈みの激しい家柄だ。一度は取り潰しになりながらも、復活した生命力の強さには感服するところである。

 血で血を洗う騒乱の最中にある播磨国からやって来た黒田官兵衛。非常に有名な知恵者だが、果たして晴持に何のようがあるのだろうか。

 

 

 

 ■

 

 

 

 やって来たのは年端もない少女だった。茶色みがかった髪が目に鮮やかで、まだ悪戯好きから卒業できていないような雰囲気すら感じる。歳若い晴持から見ても、まだ若いと思わざるを得なかった。これが、後の世に名軍師と呼び称えられる黒田官兵衛なのだろうか。

「お初にお目にかかります。黒田官兵衛と申します。突然押しかけたにも関わらず、ご挨拶の栄を賜り、真に忝く存じます」

 と、畏まった様子で頭を下げる少女。

 その姿勢からは確かな教養を感じた。見よう見まねではなく、幼少期からきちんとした薫陶を受けているのは確実だった。

「黒田殿、まずは要件を伺いたい。黒田官兵衛といえば、播磨は小寺の家老黒田家の者のはず。それが何ゆえに堺にいて、わざわざこちらに参られた?」

 晴持にもともと用があって堺に来たということはないだろう。大々的に堺に来ることを宣伝していたわけではない。それに、晴持が堺に来たと言う情報を掴んだとしても、播磨国からここまでやって来るには早すぎると思われる。

「はい。まずは堺にいた理由を申しますと、小寺に変わる新たな仕官先を探しておりました。京と堺、そのいずれかで良縁を待つのが得策であろうと」

「新たなる仕官先? すると、小寺を出奔されたか?」

「はい、左様です」

 官兵衛は頷いた。

 顔には出さなかったが、これには驚かされた。黒田官兵衛と言えば、小寺家から秀吉に鞍替えした武将ではあるが、積極的に小寺家を飛び出したという印象はなかった。

 しかしながら、この時代は主を見限り次の仕官先を探すのは一般的でもある。主家への忠義を果たそうと奮闘する武将がいる一方で、何度も仕官先を変えて、時代を渡り歩く者もいる。

「小寺を出られた、その理由を聞きたい」

「自分の力を発揮できる場をずっと求めておりました。尼子が播磨に侵攻してきた際、当家は赤松と事を構えておりました。あた、私は赤松、別所と結び尼子に対抗するべきと献策したものの、入れられず、危うく尼子に播磨を席巻されるところまで追い込まれました」

 尼子家が大内家と不可侵条約を結んでいたときの話である。西からの脅威を取り払った尼子家は、畿内を目指して東征をしていた。美作国を陥れ、播磨国に兵を進めた尼子家に、播磨国の国人たちは浮き足立った。

 当時、そして今も播磨国は三大国人が勢力を持っている。赤松家、別所家、小寺家である。しかし、それも絶対的なものではない。赤松家は歴史的にみれば三つに分裂しており、その勢力は言わずもがな。別所家、小寺家もそれぞれの影響力を発揮できる土地は限られており、それ以外の地には三木家や明石家、櫛橋家等が乱立している状況だ。さらにそれらが婚姻政策で繋がってきたので親戚関係にあり、しかしながら互いに互いを信の置けない相手として敵視しているのだ。複雑な関係がさらに入り混じり、混迷としているのが播磨国の現状である。尼子家の侵攻に対しても辛うじて一時の同盟を結んだ彼等だったが、足並みがそろうはずもなく赤松家は膝を屈し、その小寺家内部でも降服が検討されていたという。

 しかし、結果的に小寺家は独立を維持した。大内家との戦を優先した尼子家が播磨国から兵を退いたからだ。

「播磨は尼子出兵以前の状態に服しました。赤松は尼子からすぐに離れて、小寺との戦を始め、その他勢力も小競り合いを繰り返しております」

「それで、黒田殿はその後どうしたのだ?」

「はい、私はその後、軍議等への参加する事ができず、姫路の守りを固めるようにと、ただそれだけでした」

「遠ざけられたと?」

「恐らくは」

 官兵衛は若い。そして、実年齢よりもさらに若く見える。幼いとも言えるだろう。そんな少女に、ずけずけ物を言われたら、年寄りたちは腹を立てるだろう。

 播磨国はある意味で時が止まっている。これまでどおりの旧態依然とした関係性を維持する方を選んだのだ。それが時代にそぐわないものであっても、彼等はその殻から飛び出せない。尼子家という未曾有の敵が現れて、その安定が壊れそうになったものの、尼子家撤退により小寺家も周辺の国人たちも変化せずに済んだわけだ。

「きっと次はないものと思います」

「次というと……」

「尼子、あるいは三好が播磨に兵を進めるのは火を見るよりも明らか。あるいは、尼子を征した大内様かもしれませんが、いずれにしても播磨の全兵力を結集してもこれを退けることは困難です。しかし、彼等はそれが可能であると信じております」

「播磨の兵を結集してどの程度だ?」

「多く見積もって一五〇〇〇程度でしょう」

「播磨は肥沃な地のはずだが……」

「土地そのものは肥沃でも、そこに生きる者たちはそうではありません。老若男女の区別なく掻き集めれば、さらに数は増えますが、戦力には数えられません。ですので、よくて一五〇〇〇と。さらに言えば、統率には欠きますので、実際に使える戦力としては半数程度にしかならないでしょう。井の中の蛙が徒党を組んだとて、烏合の衆にしかならないのは目に見えております」

 泥舟に乗るつもりはないということだった。どれだけ才気があろうとも、中央から遠ざけられてはそれを発揮する機会は訪れない。播磨国の現状を憂慮しつつ、打開策を実行に移せない歯がゆさに官兵衛は耐え切れなくなったのだった。

 内側から播磨国を変えることは不可能だ。ならば、外から無理矢理変わるのを待つしかない。放っておいても、三好家や尼子家に攻め込まれるだけだし、それを越えても大内家が東進するのは確実だった。すでに、時勢は播磨国人の独立独歩を許さないところまで来ていた。

 彼女の主はそれが分からなかった。だからこそ、官兵衛は小寺家を見限ったのだ。

「では、三好が最も近いはずだが、何故大内を選んだんだ?」

「三好は内部に敵が多すぎます。将軍、管領、朝廷と権威からは尽く覚えが悪いのです。また、すでに畿内を掌握しているために、却って守りに入ってしまっております。東に織田、西に大内を抱えながら余計な政争までしなければならない三好家の将来性を考えると、聊か……今でこそ旭日の勢いがありますが、ここから先ののびしろには疑問があります」

 三好家が内部に敵を抱えているというのは、大内家でも疑う者はいない。管領とも将軍とも仲が悪いのだ。畿内一円を支配して政治の実権を握るというのは、それだけ難しい舵取りが必要になる。長慶としては、管領はともかく将軍を切り捨てることはできないが、口出ししてほしくもないだろう。かといって、義輝のあの性格だ。大人しく傀儡になってくれるはずもない。長慶の民への対応そのものは、善良だ。しかし、それを維持するためにお上に対して不敬を重ねていて、それが反三好勢力の格好の口実となっている。まさしく、泥仕合だった。長慶が政治を行えば行うほど、将軍との対立は激化する一方なのだ。

「しかし、三好家は織田家と同盟を結び、六角家を滅ぼそうとしていると聞く。六角が潰えれば、東の敵はいなくなる。岸和田城を取り囲む畠山家に対しても大軍を動員できるだろう」

「これまで三好家の軍事力の要であった十河一存殿が病床に伏されており、これに代わる将がおりません。また、織田の真意は京にあり、今は六角家という共通の敵がありますが、それが済めば三好家とは近く敵対するのは確実かと思われます。いずれにしても、将軍を抱え込んでいるという事実そのものが、三好家を攻撃する理由となります。先年、長尾――――すでに上杉と名を改めましたが、越後の上杉景虎が三好家の将軍殿下への対応に憤り、あわや京で戦かと騒ぎになった例もあります」

 上杉景虎。

 戦国時代を代表する人物だ。甲斐国の武田信玄との五度に渡る川中島の合戦を初め、関東北陸で名を上げている。彼女――――案の定女性――――は、この時代でもとりわけ伝統とか旧来の権威とかを大切にしている事で有名だった。

 ゆくゆくは幕府からの卒業も必要であると考えている晴持にとっては、苦手な思想を持っているのであった。

「尼子は言うに及ばず。大内様との戦に二度敗れた尼子家は、今後も播磨へと足を伸ばすでしょう。しかし、その勢いは往時のそれには遠く及びません。播磨国内にあっても、尼子家の評判は下がる一方です。そして、大内様は九国平定の後には東征をなさるでしょう。当然、その過程で播磨の攻略は必須。その際には、私の伝手が使えます」

 官兵衛の言葉は理路整然としていた。自分の考えをきちんと咀嚼し、整理して吐き出しているのが分かる。また、彼女が口にした通り、いずれは播磨国への対応が必要になるだろう。そして、それは遠い未来の話ではない。

「黒田殿の伝手は出奔しても使えるものか?」

「出奔したのはあくまでも私個人です。故郷には未だ一族がおりますし、播磨の国人は皆同族のようなもの」

「なるほど……興味深い話だった」

 黒田官兵衛というネームバリューを除いても、使えると思った。播磨国への対処もそうだし、その弁舌もいい。

「では、当家にとって必要な人材はなんであると思うか?」

「大内様に必要な人材、ですか」

 と、官兵衛は少し考えてから答える。

「それは、算勘の才を持つ者だと考えます」

「理由は?」

「はい、例を挙げれば、大内様の領土が近年まれに見る速度で拡大している事が挙げられます。治める土地が増えれば、治める人も増え、それを管理するためにさらに人材を登用する必要が出てきます。すなわち、人件費の膨張は避けられません。そして、国境が広がる事で生じる防衛線の維持、管理費用も以前の比ではないはず。街を作るにも人を呼ぶにも戦をするにも、とにかく金がかかります。多くの軍勢を動員するとなれば、それだけ準備期間を要しますが、だらだらと準備に時間をかけられないのも実状でしょう。ならば、算勘の才を持つ者とそれを取り纏める者、これは必須となります」

 まさしく、その通りだった。

 大内家が直面する課題の一つだ。

 小競り合いならばまだしも、大きな戦となると何かと金がかかる。そして、その金を計算して正しく運用するには、それだけの計算能力を持つ家臣を揃えなければならない。

 しかし、武家の厄介なところで算術を見下している者が少なくないのだ。武士の習い事は武術が第一で、次いで兵法と儒教、その次に詩歌などの公家文化である。算術は商人や僧侶の習い事なので、そもそも手を出さない武士も多かった。

 大内家ではそういった事務方は、相良武任を中心に回していたが、正直手が足りていない。ただでさえ人手不足が深刻な戦国期に、高度な算術を修めた者は多くない。

 大名家でも算盤勘定で立身出世する者がいるが、これには需要と供給が見合ってないという理由があるからだった。

「黒田殿は、それが可能か?」

「もちろんです」

 と、官兵衛は断言する。

「黒田の家は、もともと目薬売りから立身したものですので、算勘は武経七書と共に幼少より学びます」

 これまでの問答から、官兵衛の能力の高さは理解できた。何よりも商業への偏見がないのがいい。武家は銭勘定を嫌う性質がある。大内家は、その歴史から商業に力を入れている重商主義路線を取っているが、個々の武将を見ていくと銭を不潔なものとして嫌う者もいるのだ。特に中国の思想を学んだ者には、その傾向が強くなる。学問の基礎が儒教であるだけに、これは頭の痛い問題であった。

 官兵衛にはそれがない。商業で身を立てた家門だけに、銭の重要性をしっかりと理解している。彼女の能力の使い道は、いろいろとありそうだ。

 隆豊と目配せすると、彼女は諦めたように頷いた。隆豊の中には様々な葛藤があったのだろうが、ここまで正論を並べられては、反論の余地がなかった。軍事的に見ても、播磨国人との繋がりは重要だ。

「分かった。黒田殿さえよければ、君を雇う」

「本当ですかっ!?」

 嬉しそうな顔で晴持を見る官兵衛。少し素が出たのか、子どもっぽさが現れていた。

「ただし、君が求める立場に辿り着けるかは努力と結果次第だ。一先ずは、俺が領地として賜った福崎で様子を見る。これに納得できれば、晴れて大内の一員だ」

「福崎……博多の近くですね。晴持様が、先の戦で賜ったっていう」

「博識だね」

「有名な話です。大内様の動きに目を光らせない者は、西国にはいません」

「それもそうか」

 誰がどこを領有するかというのは、勢力争いにも関わる重大事だ。まして、大内晴持の動向ともなれば、あらゆる勢力が気にかけているだろう。

「それで、どうする?」

「もちろん、全力を尽くします。よろしくお願いします」

 勢いよく頭を下げる官兵衛。

 重要人物が仕官してくれたことは素直に嬉しい。彼女の能力が本物であれば、大内家の飛躍をさらに高めてくれるだろう。

 


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