大内家の野望   作:一ノ一

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その八十四

 たった一つの戦で状況が大きく変わった。

 それも、自分達とは関わりのない戦によってだ。

 龍造寺信周は、南郷谷の戦いの顛末を、愛鷹の世話をしている時に聞いた。大内家と島津家の初めての激突。本格的な二大勢力の大会戦だったという。

 結果は痛み分け。大掛かりな戦ではあったが、睨み合いの期間に比べて、刃を直接交えたのは一度だけだった。その上で畿内の三好家が間に入り、肥後国の領地分配を行って手打ちにしたと聞く。

 その時点では、そんなものかという程度の認識だった。

 島津家と結んだ信周からすれば、島津家が負けていなければいい。彼女達の戦の強さは、急速な領土拡張速度からして明白だ。

 島津家は強く、龍造寺家ならば真っ先に敵視すべき大内家と敵対する立場にある。同盟者としてこの上ない相手であり、龍造寺家の家督を継ぐ者は、島津家を味方としなければならない。何故ならば、いずれは大内家と激突するからだ。肥前国から領地を拡大するのならば、東に行くしかない。南に向かう利がない以上はそうなる。必然的に大内家を敵とするのだから、島津家以外に結ぶ相手がいないわけだ。

 島津家が大内家と引き分けたからといって、それで信周の立場が揺らぐということはない。

 大内家は龍造寺家が凋落する原因となった家である。家中に大内憎しという者は少なくない。これと長信が同盟したのは意外だったが、それ以外に手がないというのも事実。隆信の仇に擦り寄り、形振り構わず当主の座を狙おうとする浅ましさには反吐が出る思いだ。

 信周は血筋の正統性を示せない。

 血筋で見れば、隆信と母を同じくする長信が優位だ。

 だからこそ、信周は旧来の龍造寺家の体制そのものを見直し、抑えられてきた弱小国人達にも目を向けて味方を増やす策を取らなければならなかった。味方を増やし、血筋の正統性を超えた道理によって当主の座を得る必要があった。

 島津家と結び大内家を敵視するのも、その一環だ。

 分かりやすい味方と分かりやすい敵を作り、自分が有利な状況を演出する。

 大内家と結んだ長信に対しては、姉の仇に尻尾を振った卑怯者という、これまた分かりやすい悪評をばら撒けた。

 信周は、この時代では珍しい「世論を意識する政治家」だった。

 幼少期から常に人の視線と評価を気にしていた。低い立場に生まれたから、そういう世渡りを身につけざるを得なかった。

 龍造寺家の家臣の間での評判。

 人質に出された大友家の中での評判。

 敵対する大内家の中での評判。

 同盟した島津家の中での評判。

 そして、肥前国内での領民の中での評判。

 これらを、信周は意識している。

 だからこそ、真っ先に彼は兵を挙げて、本城を乗っ取り、慶誾尼の身柄を押さえようとした。今にして思えば、あの時慶誾尼の命を奪ってしまったのは失策だった。あれで、敵側にも自分と対立する大義名分を与えてしまったからだ。

 とはいえ、全体的に世論は信周よりだ。

 隆信の政道に対する不満があったのは知っている。それを変革しようとする、「もともと低い立場だった」信周というのは民からも期待されているのだ。

 判官びいきは、どの立場にも存在する。信周は、奇しくも人の同情と期待を誘える立場にあり、姉の敵討ちという大義名分まで背負えている分だけ、信周には有利だった。実際、集まった兵数は長信よりも上であった。

 後は、大内家との戦を終えた島津家が、約束どおりに兵を動かしてくれれば、長信を一息に揉み潰してしまえる。そこまで、天秤は信周に傾いていた。

 躓いたのは、南郷谷の戦いの状況が詳しく広まってからであった。

 大内家も島津家も互いに勝利したのは自分達であると喧伝していたので、確実な情報がなかなか入ってこなかった。

 決着から五日。

 情報収集の結果、南郷谷の戦いでは確かに両者は引き分けたが、損害は島津家の方が多いらしいということが分かった。

 島津義弘は重傷を負い、精鋭の多くが南郷谷に骸を曝したとか。

 一時は大内晴持の本陣を踏み荒らすまでに至ったものの、討ち取るには至らず多大な損失を出してしまった。島津家は、戦力の多くを失った。

「馬鹿な……ッ」

 ぎり、と信周は奥歯を噛んだ。

 何が想定外かといえば、島津家の損害の大きさだ。

 これでは、同盟を結んでいたとしても島津家が実際に兵を動かせるかどうか分からないではないか。あそこで、大内家を島津家が破ってくれていれば、信周の勝利は確定だった。しかし、これでは――――。

「島津家と大内家が引き分けた事実に変わりはありません。島津の損害は大きいものですが、大内も同様です。ならば、両者ともに動けなくなったと考えることもできるのではありませんか?」

 と、家臣の一人が声を挙げる。

「ああ、確かに、そういった考え方もできる。大内もすぐには手出ししてこないだろう。むしろ、これは好機だ」

 搾り出すように、信周は言った。

 内心では好機なものか、と愚痴っている。

 大内家には余力があるはずだ。今回の戦で崩壊した戦列の多くは九国の国人衆だ。有力な大内家の戦力には、ほとんど被害らしい被害が出ていない。

 しかし、その現実を彼等に告げたところで士気を落とすだけだ。見渡す家臣の中には気付いている者もいる。冷静になれば、下々までその事実に気付くだろう。

 大内家は力を残しているが、島津家は怪しい――――そんな世論の動きがあれば、勝ち馬に乗ろうとしていた信周派の国人衆から離反者が出るのは時間の問題だ。

 つまり、信周は追い込まれている。

 優勢が一転して劣勢になりつつある。

 南郷谷というここから遠く離れた場所で、龍造寺家とは直接関わりのない戦の結果で、信周は窮地に立たされつつあった。

「殿、如何なさいますか?」

「決まっている」

 選択肢は一つだけだ。

「梶峰城を落とし、長信を討ち果たす。島津の援軍を待つまでもない。今の我々の戦力であれば、直接戦っても負けはない」

 それは、味方というよりも自分を鼓舞するために搾り出した言葉だった。

 下々の者たちは信周の味方をしてくれるだろう。善政が期待されているからだ。しかし、国人領主以上の者たちは、よほどの信念や利害関係がなければ勝ち馬に乗る。

 幸い、まだ南郷谷の戦いの後の大内家と島津家に目立った動きはない。明確に勝敗がついたわけではないから、いくらでも誤魔化せる。

 島津家が、島原以北に進軍できなくなったとしても、それはそれで都合がいいと解釈しよう。信周の軍だけで長信を倒せたのなら、肥前国支配に他国の指図を受けなくていいからだ。

「島津の援軍は期待できぬ。だが、同時に今ならば大内が敵方に援軍を出すこともないだろう。今、この時が最後の好機だ」

 島津家の援軍は望めない。島津家がこれまで行ってきた加速度的な領土拡張は、大内家との戦の影響で停止した。当然、その反発をもろに食らうことになるだろう。下手をすれば内部分裂もあり得る状況だと信周は睨んだ。

 そして、大内家も連戦に次ぐ連戦だ。兵を休ませなければならないから、肥前国内にまで兵を入れることは考えないだろう。――――これは希望的観測ではあるが、とにかく現状では、それに縋るしかない。

 いつか、大内家が長信救援を口実に兵を入れてくる。あの家が安芸国から四国の半分、そして九国にまで領国を広げてきた手口と酷似している。助けを求められたことを口実に軍を起こし、そのまま支配者にすげ代わるのだ。長宗我部家も大友家もそれでやられた。次の標的は龍造寺家だ。長信は、勝利したとしても大内家の支配からは逃れられまい。

 長信が勝利すれば、九国内に大内家に対抗する勢力は島津家のみとなる。島津家の現状を考えれば、到底大内家に抵抗はできないだろうから、龍造寺家が独立勢力として復権する見込みは立たない。

 龍造寺家の隆盛を取り戻すのならば、大内家と島津家を睨み合わせ、その間隙を突いて勢力を広げるしかないのだ。そのためには、何としてでも三国鼎立の状態にまで戻さなければならない。それができるのは、信周派だけであった。

 

 

 

 ■

 

 

 

 信周が近く攻め寄せてくるに違いない、という見立ては長信派の中でも確かなものとして受け入れられていた。

 長信は南郷谷の戦いの結果を、信周よりも一日早く入手していた。大内家の使者が早馬を飛ばして梶峰城にやって来たからだ。そこで、使者は南郷谷の状況を仔細に説明していたから、長信は状況をしっかりと把握できていた。その上で、まずは肥前国と筑後国、筑前国の国境近くの国人土豪を味方に取り込むべく工作を始めていた。

 彼等は龍造寺家の直接の家臣ではない。いわば外様である。いつでも、隣接する大勢力に擦り寄らなければ存在することすらできない者たちだ。しかし、その一方で戦国の世に於いて、国境に所領を持つ弱小勢力はある意味で最強の存在だ。

 大勢力に挟まれながら、その両者のどちらにも同時に与することが暗黙了解として認められている。有名所は信濃国の真田家だろうか。真田家は、武田家と上杉家の両方に媚を売って自分の存在感を高めていた。そうすることで、弱小領主の価値を高め、迂闊に攻撃されないように身を守るのだ。武田家に攻撃されそうになれば上杉家に助けを求め、上杉家に攻撃されそうになれば武田家に助けを求める。尻軽ではあるが、見捨てれば敵が自国に侵攻する際の足がかりになるので助けなければならない。国境沿いの国人を弱小と侮っていると、いいように振り回されてしまうのである。そして、肥前国の国人たちも国境沿いに生きる者は当然ながら大内家とも繋がりを持っていて、いつだって龍造寺家と天秤にかけている。

 南郷谷の戦いの顛末を聞けば、島津家がすぐに北上しないという事は分かるから、彼等は自然と大内よりの姿勢を取るだろう。

 大内家と同盟を結んでいる長信は、彼等を取り込みやすい立場になった。

「大内家が龍造寺の仇敵というのは、龍造寺の中だけの都合だ」

 と、長信は苦渋を舐める気分で呟く。

 龍造寺隆信は、長信にとってもそして家臣たちにとっても絶対者だった。恐怖の対象であると同時に太陽のような存在だった。 

 しかし、国人たちからすれば、絶対的ではあったが死後も忠誠を誓う相手ではない。ころころと立場を変える彼等にとって隆信の仇討ちという義戦のために大内家を敵に回すのは不合理極まりない話だ。大内家と戦うとなれば、真っ先に自分達が攻撃対象になる。それでは割に合わないから、大内家と敵対しない長信に味方をしたほうが、生き延びる機会は増える。こう考えるのが彼等の常だ。

 大内家は勝利する必要はなかった。島津家の北上を止めてくれさえすればよかった。それが、長信の立場であった。大内家を倒してもらわなければ困る信周との違いであった。

 結局のところ、龍造寺家は大内家の動向に左右される程度の存在でしかなかった。それが無念でたまらないが、信周には負けられないという強い思いが長信にはある。

 負ければ死ぬ他ない。しかし、命長らえるために戦うのではなく、自分の期待をしてくれた母の遺志に応えるために立つのである。

 大内家と結ぶのを卑怯であると敵は言う。ならば、母を殺し、一方的に城を武力で乗っ取るのは卑怯ではないのか。都合のいいことばかりを言って、自分達の行いを正当化しようとしているのはまったく以て不愉快であった。

 

 

 

 そうして、戦いの時は刻一刻と近付いていった。

 戦力では未だに長信が不利ではあったが、南郷谷の戦い以降こちらに好を通じてくれた者が多数いて、戦力差は大きく縮まった。

 また、島津北上の心配がなくなったことで、藤津衆を束ねる鍋島信房の支援が受けやすくなったことも大きかった。

「久しぶり、みんな」

 と、朗らかな笑みを浮かべてやって来たのが信房だった。直茂の私室をふらりと訪れた信房は、最後に会った五年前と大して変わった様子がなかった。

「お変わりないようですね、姉上」

「直茂はちょっと痩せたかしら? 康房ちゃんは、背、伸びた?」

 直茂と康房。この二人にとって彼女は一番上の姉だ。鍋島家の跡継ぎで、藤津郡を領有する一軍の将であった。直茂の陰に隠れてしまっているが、彼女自身の将としての力量は高い。

「信俊はダメだったわ」

 と、不意に口調を落として信房は言った。

「そうですか。仕方がありません」

 敵方に就いた弟を思って直茂は目を伏せる。

 鍋島家の中で唯一、小河信俊のみが信周派であった。これは龍造寺家の家督相続争いだ。当然、家臣も敵味方に分かれてしまったし、その中には親族が分裂したという者も珍しくはなかった。

「まあ、どっちが勝っても鍋島の血は残ると思えばね」

「信俊兄さんも覚悟してる事ですし……」

 と、戦国の世に生きる切なさを噛み締めながらも、悲観的になりすぎないようにする。

 覚悟は初めからしていたことだ。内部工作も兼ねて声をかけてはいたが、こちらと好を通じるつもりはないようだった。

 できることならば、死なないで欲しい。

 しかし、一度敵対を選んだのならば、その望みを口にすることはできなかった。

「ところで、本城に新たに兵が集ってるって話は本当なの?」

「はい、それはもう間違いないようです。信周は、近くここに向けて進軍してくる事でしょう」

「あらあら、そうなの……よほど焦っているのね」

 信周の攻撃を、焦っていると評している。これは、信周が状況に押されて止むに止まれず戦を仕掛けてくる羽目になったのだと理解しているからこその台詞だ。

「信周からすれば、島津家の支援がなければ立ち行かないから、どの道、戦しかないんだよね。後は、わたし達がこれを退けられるかどうか」

「退けるしかありません」

 末の妹である康房に、直茂はきっぱりと言った。

 康房は深刻な表情で頷いた。

 龍造寺家の家督相続争いだ。他の国への侵攻とは問題の大きさが違う。負ければ、長信は刑死する事だろうし、長信派に就いた者たちは冷や飯を食わされることになる。それどころか、重臣格は首を断たれる可能性もあった。

 これは、己と一族の存亡を賭けた戦いなのだ。

 戦の準備は着々と進められていた。

 長信が篭る梶峰城は、梶峰山の頂に建つためにそのように呼ばれるが、別名を多久城ともいった。多久は、地名であり、この地を鎌倉時代から治めてきた多久家の名でもある。

 かつては少弐家に仕えていた同僚でもあった多久家を、龍造寺隆信が攻め、奪った梶峰城を長信に与えた事で、長信は多久の地を治める立場を手に入れた。

 多久は、四方を山に囲まれた盆地だ。盆地の中を牛津川が流れ、川を囲んで田が広がっている。山で囲まれてはいるが、東部は佐賀平野と接続しており、交通の便は悪くない。これを利用し、長信は隆信政権下では木材の調達、搬送を担い、その戦を支えていた。

 この地形は、攻めるに難く、守るに易き地形と言える。

 その地形を利用し、信周との戦に備えて、盆地を囲む山々には砦を築いていた。

 信周が身を寄せる本城――――村中城との距離は、直線でおおよそ六里程度だろうか。一度兵を発せば、その日のうちに山麓まで敵軍はやってくる。

 幸いなことに、村中城は佐賀平野の真ん中にあり、彼等の動きは丸見えだ。不意を突かれるということはそうそうない。

 

 

 

 

 苦しいにらみ合いは両陣営の予想以上に長引いた。

 防備を増強しつつ味方を増やそうとする長信派に対し、兵を増員し、味方を引きとめようとする信周派という構図が、ぴんと張った糸のような緊張感を維持したまま、季節が巡っていく。

 早急に軍を起こしたかった信周だったが、時期が悪かった。田植えの時期の進軍は、ただでさえ求心力が衰えつつある中で強行するには無理があったのだ。所詮は彼の軍は寄り合い集団でしかない。国人衆の機嫌を損ねては戦力を維持できない。 

 そして、それは長信派も同様であった。

 農民に負担のならない時期を見て、開戦する。必然的にそれは、田植えを終えた頃を見据える事となった。

 時間をかけてしまった信周には悪い流れであった。

 青々と新緑が日を反射する季節になると、南郷谷の戦いは広く肥前国内に広まっていた。どちらが新しい御屋形様になるのかと日和見していた勢力が、少しずつ長信と好を通じ始めていた。

 ここで決定的な何かが起これば、一気に流れは長信に傾くだろう。そういう危機感が信周にあった。さすがに、これ以上座して見ているわけにはいかなかった。

「出陣するぞ!」

 気勢を発した信周が動員できた兵力は、四〇〇〇ほどだ。敵方も同じくらいの兵力だ。五分五分の戦力差で、こちらは城攻めとなると不利に見えるかもしれないが、信周には秘策がある。

御屋形様(・・・・)、有馬の兵が杵島郡に至った模様」

「そうかそうか。さすがは有馬殿だ」

 信周はすでに家臣たちに自分のことを御屋形様と呼ばせていた。内外に自分が龍造寺家の家督を継いだのだと宣言しているのである。

 そして、家臣が口にした有馬の兵。これは、有馬晴信の兵である。有馬家は島津家と結び、肥前国内に攻め寄せていた。南郷谷の戦いで島津家が兵を退いてからは、彼等も撤退していたが、信周の救援要請を受けて兵を進めたのである。

 有馬軍は長信派だった藤津を陥落させ、有明海沿いに兵を進めた。総数三〇〇〇程度か。信周と同程度の兵数で、単純に戦力が二倍になった。

 信周が正面から梶峰城を攻め、有馬軍が梶峰山の背後を突く。そういう手はずになっている。多久は山に囲まれた地ではあるが峠道がいくつもあるのだ。有馬軍に梶峰山の背後に伸びる鬼の鼻山を通り抜けて、梶峰城を攻めてもらえば、信周はより優勢に立てる。

 有馬軍と信周軍は、二方向から梶峰城を目指した。

 信周軍の先鋒は、多久館を襲撃し、ここを奪った。この館は盆地の内部の開けた場所にあり、小高い丘を背負う場所にある。城館だけあって堀があり、すぐに前線基地として利用できたのだった。

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 信周軍が多久館を奪った事はすぐに直茂に伝わった。

 彼我の距離は半里も離れていない。

 そこに四〇〇〇もの敵兵が集結している。

 おまけに、山の向こうからは有馬軍が迫っているという。

「信周は、平戸をキリシタンに献上するとまで言っているようですね」

 犬塚鎮家が不満げに言った。

「彼も形振り構っていられないということでしょう」

 同意はしないが気持ちは分かる。

 慌しく人が行き交う城内の廊下を歩きながら、直茂が呟く。

「現実味のない空約束ですよ。平戸をキリシタンに、なんてできるわけないのに」

「まずは目の前の問題を解決したいということですよ。信周が政治的に追い込まれていたことは事実です」

 ただ、惜しむらくはこちらにも一手が足りなかったということか。

 信周を完全に瓦解させる前に、有馬軍との連携が成立してしまった。もう少し藤津郡で足止めできていればよかったのだが、そうはいかなかった。

 さすがに有馬軍は強い。小城だけではいくらも足止めはできないのだ。

 有馬軍がすぐそこまで来ているという情報は、城内を自然と悲観的な空気にしてしまう。信周だけならばまだしも、有馬家まで同時に相手をするとなると厳しい戦となるのは火を見るよりも明らかだったからだ。

「仮に大内に援軍を要請したとしても、一日二日では来れまい。敵はすぐそこ迫っており、あるいは……」

 と、呟く者もいる。

 大内家の動きも、この戦の鍵ではある。しかし、自分たちの未来なのだ。他人任せにせず、自分たちで切り開いていかなければ意味がない。

「直茂、どうなっている?」

 と、軍議の場に入るや否や長信に尋ねられた。

「信周は、想定の通りに多久のお屋敷に入られた模様です」

「そうか……」

 直茂は、信周が攻めてくるとなれば、多久館が利用されると踏んでいた。ゆえに、それ自体に驚きはなく、むしろ予定通りという感覚すらあった。

 問題があるとすれば、有馬軍の動きだけだ。

「有馬は……?」

「先ほど、福母城を攻め落としたようです。城兵は少なく、彼等は城を焼いて落ちたようです」

 福母城は鬼の鼻山の南部に設けられた小城である。有馬軍が迫ると聞いて監視のために人を入れていただけなので、落ちたところで痛みはない。

「後は西郷純堯、深堀純賢兄弟が、どこまで有馬を抑えられるか……そこに掛かっていますね」

 純堯、純賢兄弟は肥前国の名家の出であり、どちらも反キリシタンの急先鋒だ。南蛮被れの大村家と敵対し、その流れで昔馴染みの有馬家とも敵対した。

 二人は藤津郡を守っていたが、有馬家の攻勢に曝されて、手勢と共に杵島郡まで撤退していたのだった。

 直茂は、彼等に追加で五〇〇の兵を与えて久津具城を守らせていた。この城は、杵島郡から梶峰城に至る峠道を守る要衝の一つであった。

 まるで捨石のような扱いで、心が痛む。しかしながら、今は彼等に死地を守ってもらう以外に手がないのも事実だった。

 後は、彼等が有馬軍を食い止めている間に、信周軍との雌雄を決するだけだ。

 どたどたと床板を踏み鳴らす音がした。何事かと思う間もなく軍議の間に伝令兵が飛び込んできた。

「敵軍に動きあり。山麓に向けて進軍を開始した模様!」

 ざわ、と軍議の間に緊張が走った。

「いよいよ、ですね」

 直茂は長信に視線を送る。

「各自持ち場に就け。敵を一歩も城内に入れるな!」

「ハッ」

 長信の言葉を機に、一部の家老格を除いて将兵が持ち場に向かっていく。

 城を守るのに必要なのは和だ。誰がどこを守り、どのように敵を退けるのかという意識が共有されていなければならない。

 城内に篭る農民等も含めて、それぞれに役割があるのだ。

「信周さえ退ければ、有馬にも対処のしようはある」

 直茂はそう考える。

 有馬軍も数で見れば、そう多勢というわけではない。怖いのは信周軍と有馬軍が協力したときであって、今はまだ分断されているから個別に対処が可能だった。


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