大内家の野望   作:一ノ一

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その八十六

 十河一存が病に倒れたところで、これ幸いと畠山高政が兵を挙げた。

 一存という三好家の屋台骨の一つが揺らぎかけている中での迅速な挙兵と、岸和田城攻めは、一存を大事に思う長慶の心胆を寒からしめた。

 常に姉を心配してくれる弟の存在は、長慶にとってなくてはならない存在だ。

 京に兵を進めて以来、長慶は内憂外患を抱える事となった。将軍家と管領家を抑えれば、必然的に様々な恨みと疑心を買うのは目に見えていたが、畿内に勢力を伸ばすのであれば、いずれはぶつかる問題でもあった。長慶はうまく状況をコントロールしていたというべきだろう。

 父の仇であった細川晴元はすでにその力を失い、再起の目はほぼない。同族の三好政長もすでにこの世にはない。

 長慶が挙兵したのは、もともとは父の仇討ちと自身を正当な父の後継者とするためだった。それは、父の役職所領立場を長子である長慶が相続するのは至極当然の流れである。それを、断ち切ったのが晴元と結んだ政長だった。

 これを誅する力を持たなかった長慶は、晴元政権下で忸怩たる思いを抱えながらも少しずつ力を溜め込んで、晴元に対する反発心を抱く国人たちに呼びかけて叛旗を翻した。

 武力で晴元を追い落とした長慶だったが、正直に言って想定外な事が多く起こりすぎた。

 何せ、長年の仇敵どもが、あまりにも脆かったのだ。その脆弱さは罠かと思うほどで、長慶はあっという間に京に入ってしまえたのだ。

 こうなると、長慶は京に留まらざるを得なくなる。

 京の公家や天皇家からは治安維持を期待されるようになり、京に残る幕臣たちからも御機嫌伺いをされて、あれよあれよという間に京の実質的な権力者になってしまった。

 家臣たちは喜んでいる。

 自分の行いの結果だ。そこには責任が生じるし、急速な権力拡大により権益を冒された者たちの恨みも多々買っている。

 晴元派の者たちを処分して、領地を取り上げ、自分の家臣に褒美として与えた。晴元派の復権を防ぐと同時に三好家の惣領として立場を明確にするためだった。

 そうして、幕府内、そして畿内に自らの影響力を浸透させるにつれて、やはり将軍との対立も激化した。争いたくはなかったが、だからといって将軍の命に服することもできなかった。義輝と表面上の和解した後も、水面下での政治的対立は継続している。

 義輝が望むのは将軍親政。彼女自身が政治の舵取りを行い、日本全国津々浦々に足利将軍家の威光を満遍なく行き届かせる事こそが望みだ。

 そうなれば、これだけ義輝と対立してきた三好家の立場はなくなる。

 討伐されることになる可能性は高かった。長慶は、自分と家臣の身を守るために何としてでも義輝の政治力を奪わなければならなくなった。

 将軍家との対立の日々は今も続いている。

 長慶は、畿内を支配下に置く権力者でありながら、幕臣の一人である。将軍を補佐する立場でありながら、これを蔑ろにし、朝廷に媚を売って自らの権勢維持のために政争に明け暮れている。

 今日、唐突に義輝から呼び出された。幕臣としての立場もある長慶は、その圧倒的な兵力に物を言わせて幕府内にも確固たる立場を築きつつある。すでに義輝の権威は、長慶の権力に押し包まれている。

「殿下、この度は如何なる用向きでしょう」

 と、長慶は義輝の前に平伏する。

 御所の奥座敷で、義輝は双眸を妖しく光らせている。長慶を見た義輝は、その顔に強い憤りの念を浮かべた。

「長慶、貴様、わらわに隠している事があるだろう」

「は……?」

 義輝の問いは、回答するには難解であった。

 というのも、長慶が義輝にしている隠し事はごまんとある。彼女に余計な情報が入らないように、周囲を固めているので、義輝は世の流れを知らないのだ。

 幕府の重鎮ですら、もはや義輝と直接顔を合わせることはできない。それほど、長慶は徹底して義輝を隔離しなければならなくなっていた。

 それというのも義輝と上杉景虎の一件以降、義輝と諸大名との交流は、危険なものと三好家の中で判断されたのである。

 松永久秀の発案で、義輝は御所の奥座敷に半ば押し込まれてしまっている。

 皮肉なもので、彼女ほど優秀な将軍がいなくなったとしても、政務が滞るような事態は起こらなかった。幕府の行政機能はきちんと機能しており、長慶たちが将軍に代わって決済する事で政務は問題なく回っている。

 幕府の仕事そのものがほとんどないということもあるが、将軍という立場がどれほどに有名無実であるかを物語っていた。

「わらわに報告すべき事があろうと言っているのだ」

「仰る意味が分かりかねます」

 迂闊な事は言えないと判断した長慶は、それだけ言って口を閉ざした。

 すると、義輝は大きく表情を嫌悪に染めて、

「六角の件だ」

 と、言った。

「……ッ」

 長慶は平伏した姿勢のまま、内心の動揺を押し殺す。

「六角が、尾張の織田信長に攻め滅ぼされたと聞いたぞ。何ゆえにわらわに報告しなかった?」

 値踏みするような義輝の視線を感じながら、長慶は内心で舌打ちをした。

(どうして、義輝様がそれを知っている? 然るべき頃合までは秘しておくはずの案件だぞ)

 義輝と六角家との繋がりは深い。義輝が幼少の頃に、細川晴元から京を追われた彼女は六角家の庇護を受けていた。先代の六角定頼は、幕府の管領代として権勢をほしいままにするだけでなく、義輝の烏帽子親となって彼女の元服を助け、少なからぬ支援をしていた。

 義輝にとっては、六角家は大恩ある家であり、幕府を支える屋台骨そのものであった。

 義輝は静かに激怒していた。彼女の怒気が長慶にははっきりと感じ取れていた。

「報告が遅くなったことにつきましては、申し訳ありませんでした。あまりにも大きな出来事ゆえ、不明瞭な情報を上げるわけにもいかず」

「たわけがッ。貴様、意図してわらわに秘していたのであろうッ」

「決してそのような事はありません」

「嘘を申すなッ」   

 長慶は、只管に報告が遅くなったことを謝罪しながら、翻意はないと繰り返すだけだった。

 六角家に関して、はっきりしたことを長慶は口にしない。

 六角家とは、将軍を巡って敵対していた。一時は友好関係を築きかけたが、長慶が幕府の中枢に食い込んだ頃から急速に関係を冷却化していた。

 晴元や政長を追い落とした今となっては、六角家こそが最大の敵だった。

 しかしながら、六角家の滅亡に長慶は関与していない。六角家は自滅したのだ。お家騒動で君臣の和が乱れたところに、織田家と浅井家がなだれ込んだ。裏切りに次ぐ裏切りで、六角家は壊滅した。最大の原因は内部崩壊であって、三好家は一切関わりがない。

 だが、どれだけそう説明しても義輝は納得しない。

 六角家は義輝が最も頼みとする勢力だ。恩もある。それが、いつの間にか消え去っていた。義輝が遠ざけられている間に、あの強大な守護大名が消えたとなれば、それだけの陰謀があったと考えるほかない。

 義輝には情報収集をする機会も与えられていない。だからこそ、僅かな情報と状況証拠から「三好家」の陰謀であると決め付けていた。

 不味かったのは、義輝が六角家のことを知ってしまったことであり、それを長慶が報告しなかったことだ。

 義輝に知られると、後が面倒だから報告しなかったのだが、知られてしまった以上、報告しなかった事実が義輝への翻意と取られてもしかたがなかった。

 猛る義輝から逃げるように、長慶は御所を出た。今や御所につめている者たちも三好家中の者ばかりとなっている。京は完全に長慶の言う事を聞くものばかりで、義輝の味方は一人もいない。そういう状況が、景虎のような反三好の姿勢に繋がってしまうのだが、長慶は三好家を守るためにそうせざるを得なかった。

(苦しい……)

 不意に、そんな言葉を胸中に浮かんだ。

 どうして、こんなことになってしまったのか。自分はただ父の跡継ぎとしての正当性を示したかっただけなのに、傍から見れば、長慶は幕府を牛耳り、将軍を意のままにして、権益を(ほしいまま)にする業突く張りだ。

(これでは、晴元と何も変わらないではないか)

 権力欲のために父を利用し、使い捨て、長慶とその一家を不遇な目に遭わせた前管領。その権勢を憎み、正すために兵を挙げたはずだったのに、振り返れば、長慶自身が同じ事をしている。

 義輝の憤りは、間違いではない。長慶はそれだけのことをしている。しかし、だからといって義輝に政権を返すわけにはいかない。このまま、行き着くところまで行くしかないのだろうか。

 両肩が重く、肺腑が苦しい。胸が締め付けられるように痛かった。生来、善良な性質の長慶だ。本来の望みとは異なる状況に向かっている現状に心が痛まないはずがなかった。

 しかし、だからといって弱みを見せるわけにもいかない。京は、華やかで陰湿な貴族文化の極みだ。政敵の多い長慶は、迂闊に弱った姿を曝すわけにはいかず、いつでも自信を持って事に当たらなければならないのだ。

「長慶様!」

 と、自邸に戻ってきた長慶に呼びかけてきたのは三好政康であった。

 すらりとした長身の美女で、長い髪と蠱惑的な表情が魅力の女性だ。

 頭を使うより、戦場で刃を振るうほうが得意という性格だが、父親譲りの智謀も負けてはいない。

「政康、何かあったか?」

「はい……かなり、不味いことになりました。急ぎ、お人払いを」

 周囲の目と耳を気にする政康の様子に、事態の深刻さを感じ取った長慶は頷いて奥座敷に向かう。

「それで、一体何があった?」

 と、長慶は尋ねる。

「……心して、お聞きくださいませ。一存殿と実休殿が、お亡くなりになりました」

「……な、に……?」

 長慶は耳を疑った。どくん、と心臓が跳ねる。

「何を言っている? まさか、そんなはずがあるわけないだろう?」

「……残念ながら、事実でございます。早馬による報せがございました。今朝、一存殿が兼ねてよりの病にてお亡くなりに。それにより士気の下がった岸和田城が陥落した後、救援に赴いていた実休殿も畠山軍との交戦の末……」

「死んだ、と……何を、馬鹿な」

 長慶は、薄らと笑みを浮かべた。冷や汗が額に滲み出る。身体中の血の気が引いていき、眩暈を感じた。

「急ぎ対応を検討しなければなりません。畠山の軍勢が、京に上らないとも限りませんので」

「……いや、待て。一存と実休が死んだ等と、まずはその真偽を確かめるのが先だろう。あの二人が、こんなところで死ぬはずがないッ。何かの間違いだッ」

「長慶様、信じたくないというお気持ちは分かります。情報の真偽というのも確かです。しかし、このような情報が入った以上は、最悪を想定して動かなければ取り返しの付かない事態になり得ます。真偽の確認はするとしても、ここは京に敵を踏み込ませないようにするのが先決ではありませんか?」

「……ならば、任せる。河内から和泉にかけての情勢を具に調べ、より確実な情報を持ってきてくれ」

 ぐっと、長慶は感情を押し殺した。

 畠山家の狙いは概ね分かる。一気呵成に京に攻め上ろうとはしないだろうという推測が、長慶の脳内で組みあがった。彼女の冷徹な武将の勘だった。畠山家には、とにかく拠点が必要だ。長慶によって所領を追われていた彼等は恐らく――――報告が事実だとして――――次に狙うのは本拠地となる高屋城であろう。

 政康を部屋から帰して、長慶は一人で頭を抱えて蹲った。胸がズキズキと痛んで、息ができなくなった。涙が次々に溢れて、声を押し殺して泣いた。

 長慶には分かっていたのだ。政康が持ってきた情報が、誤りではないということを。彼女の能力を、長慶はよく理解している。真偽不明の情報であれば、初めにそう前置きをする。少なくとも、政康は一存と実休の死を事実であると確認した上で長慶に報告していた。

(弟たちまで先に逝ってしまって……わたしは、ここで何をしているんだ……こんな)

 

 

 

 ■

 

 

 

 さすがに、一存と実休の死はすぐには受け入れられなかったか、と政康は冷静に主を観察していた。

 一存については、覚悟していた。彼の病は、軽くはなかったからまだ若いが近い将来、その時が来るのは分かっていた。長慶は、一存を深く信頼していたから、その死で受けた衝撃はかなりのものだろう。

「まさか、実休殿までとは思いませんでした」

「そうね。こればかりは、本当に」

 政康の目の前で、書状に目を通していた久秀が同意を示す。

「長慶の様子は?」

「京の警備と情報収集は任せると。感情を押し殺しているようではありましたが、頭は冷静だったように見えました」

「……ふぅん、意外ね。少しは取り乱すと思っていたのだけど」

「ええ、本当に」

 ここは久秀の邸宅だ。実のところ、政康に一存と実休の死を知らせたのは久秀だった。

 政康の目から見ても、長慶は思っていたほどに取り乱さなかった。

 取り乱しているように見えて、きらりとした怜悧な知恵の光を見た。長慶は、感情的になりそうな自分を抑えて、状況を瞬時に理解していたのだろう。

 ある意味では嘆かわしいことだった。

 最も親しい親族の死を、悲しみながら冷静に情勢を判断してしまうという二律背反な情動を長慶は可能としていたのだ。もともとの才覚もあるだろうが、京での政争の日々が、彼女をそのように育ててしまった。いっそ、町娘のように惑乱してしまったほうが楽だろうに。

「ま、長慶の言うとおりにするのが一番ね。この一件は、かなり重いわ。畠山は勢い付くし、他の反対派も息を吹き返すでしょうね」

「ええ」

「そうなると、長慶はますます忙しくなるわ。当然、わたしたちも慌しく動き回らなくちゃいけなくなるわね」

「そうね」

「京でお茶、なんてしばらくできないかも」

「今のうちに、楽しんでおけばいいんじゃない? 多少なら、茶会の時間も作れるでしょう?」

「いいわね、それも。でも、さすがに遠慮しましょう。重鎮が二人も鬼籍に入ったんですもの。彼等の菩提を弔うのが先。その後は、周りと長慶の動き次第ね」

 扇を開いたり閉じたりしながら、久秀は言う。

 政康には彼女が分からない。

 その才覚を長慶に気に入られて取り立てられ、あっという間に立身出世を果たした傑物ではあるが、何かと黒い噂の絶えない人物だ。長慶も一存も、それを気にしてはいたのだが。

 だが、政康は特にそれを気にしない。

 彼女が長慶にとって薬になろうと毒になろうと興味はなかった。

「あなたはどうなの、政康」

「どう?」

 問い返しても、久秀は何も答えなかった。

 ただ艶然と微笑んでいるだけだ。 

 政康は何もしない。

 一存が死んだからといって思う事はないし、実休が死んだからといって、悲嘆することもない。どこまでいっても、彼等は他人でしかなかった。むしろ、大きな視点で見れば政敵とも言えた。政康にとっては、上席に二つも空きができたという程度でしかないのだ。

 かといって、自分から欲を出しても、政康に利益はない。

 長慶は、弟の死に悲嘆しているだろう。表面上はそうでなくとも、内心では悲しみに暮れている。人一倍家族愛の強い女性だ。

 そんな時期に、これ幸いと出世欲を見せればどのような仕打ちが待っているか分かったものではない。

 政康は長慶にとってとても厄介な存在だ。

 何せ、政康の父は三好政長だ。そう、長慶の父を晴元と共に自刃に追いやり、三好家総領の座を奪った張本人だ。長慶は人がいいので、今はまだ信頼を得ているが、人間はどこでどう変わるか分からない。下手を踏めば首が飛ぶ。

 久秀が何を考えているのかも、いまいち分からない。京は混沌とした街だとよく言われるが、何のことはない。三好家の内部ですら、この有様だ。一存と実休の二人が消えた今、外患だけに気を取られていれば、どこでどんな事故が起こるか分からないだろう。

 

 

 

 ■

 

 

 

 堺での暮らしもここまでだ。

 三好実休討ち死に。三好軍、壊乱の情報は瞬く間に堺にまで届いた。敗残兵が堺を目指して撤退しているという話もあって、晴持も即座に堺を出なければならなくなった。

 堺が戦火に巻き込まれるほどではないだろうが、三好家の敗残兵が阿波国へ逃れるために堺の船着場にやってくる可能性もある。その時に、大内家の船が接収されたのでは堪ったものではない。本格的に、三好家と大内家が激突してしまう。

 幸い、もともと帰国する日が近付いていて、畿内の情勢不安定ということもあって船の準備はできていた。

 さっさと荷物を纏めて船に乗り込んだ晴持たちは、惜別の念を抱く間もなく出航した。

 ちょこちょこと晴持の傍近くで動き回っている者がいる。背負った風呂敷の中には、油紙で包んだ書籍が入っているらしい。

 黒田官兵衛。

 播磨国小寺家に仕える黒田家出身で、堺で晴持に接見し、仕えることになったのだという。兵の間では、いったいどれほどの者なのかとすでに噂になっている。

 というのも、晴持が京で雇った光秀が、飛ぶ鳥を落とす勢いで成果を挙げているという前例があるからだった。

 京と堺という違いはあるが、唐突に晴持が雇ったという事実は共通している。そこで、黒田官兵衛という年端もいかないような少女の実力に関心が向けられたのである。

 興味を抱いたのは、そこらの雑兵ばかりではない。立場のある者も、将来の競合相手になり得るため当然に注目する。

「機嫌が悪そうですねー、姉さん」

「急に何です、秀満」

「いや、あの黒田殿が来てからというもの、姉さんがどうも落ち着いていないように見えまして」

「勘違いです」

 と、言いながら光秀はムッとする。

「わたしはとても冷静です。常日頃からそうです」

「もう言葉遣いから違いません? ……まあ、新入りの黒田殿の動向、みんな注目してますもんね」

「晴持様からはいたく期待されているようです。あのお身体ですし、主に文官としての仕事になるようですが」

 官兵衛は戦場で槍働きをするタイプではない。

 身体は小さく、筋肉もあまり付いていないようだ。元服は済ませているというが、未成熟な身体であることに変わりはなく、戦場に出て敵将の首を取る働きは期待できない。

 しかし、その反面頭の切れはそうとうのものがあるようだ。晴持はその一点を評価して、彼女を取り立てた。

 光秀は晴持に近い立場にいる。直接、晴持と言葉を交わせる側近の扱いだ。それだけの実績を積んできたし、晴持の期待に応えられるよう努力も欠かしていない。

 光秀自身がぽっと出の外様だから、周囲から何を言われても堂々とできるように居住まいを正していたから、今の評価がある。

(黒田殿は、少々気安すぎるのではないですか……)

 晴持以外に知り合いがいないからであろう。大内家に仕えることになってから、官兵衛は基本的に晴持の傍にいた。今ではかなり打ち解けていて、まるで拾われた小猫のように晴持の後ろをくっ付いて歩いている。これでは、官兵衛が側近であるかのようではないか。

(もともと晴持様は誰に対しても分け隔てなく接される方。だからこそ、わたしも取り立てていただけたわけですけど、あのようにお近くをちょろちょろと)

 宗運や義陽といった名門出の実績がある相手ではない。

 本当に突然やって来て、何故か晴持の傍にいる官兵衛に対して、光秀はどうにもいい感情を抱けていなかった。だからこそ、今になっても官兵衛ときちんと話ができていないのだった。

 立場というか晴持に仕える経緯が似ているからか、意識しないではいられなかった。

「まあ、晴持様が黒田殿に期待しているのは、明らかですし、黒田殿も拾われた恩を仇で返しはしないでしょう」

「もちろんです。晴持様からのご恩を仇で返すような者は、わたしが撃ちます」

「見目もいいですし」

「はい……んんッ!」

 光秀は頬を紅くしながら、咳払いをする。にやりと笑う秀満を光秀はぎろりと睨んだ。急に変な事を言い出すんじゃない、と目が言外に伝えてくる。

 古くから姉と慕う主人のいじらしい態度は微笑ましいものがあって、ついついからかってしまうが、この調子ではいつまで経っても状況が好転することはないだろう。

 光秀は明智家を背負って立つ身だ。いつまでも独り身というわけにはいかない。このことは折りに触れて何度もそれとなく光秀に伝えているが、まったく前に進んでいないのだった。

 秀満もまた明智家の一員だ。光秀が今のまま何もしないのならば、秀満が行動を起こしてもいいとすら思っている。

 とにかく重要なのは跡取りだ。

 戦乱の中で一家離散の憂き目にあった明智家は、光秀という後継者がいたからこそ長らえた。しかし、次がどうなるかは不透明だ。

 今は光秀が支えているが、一家安泰のためにはきちんとした跡取りを産んで、養育し、次代に繋いでいく必要がある。それが、家長の務めなのだ。せっかく、大内一門に明智家が加わる好機があるというのに、これを活かさない手があるだろうか。

 晴持のお手つきになりたいと思っている女性は、光秀が思っているよりもずっと多い。見た目がよく、性格も悪くない大内家の御曹司だ。その胤には、とほうもない価値がある。女好きなどと噂されてはいるが、彼が抱いた女性は実のところそう多くない。はっきりしているのは冷泉隆豊と河野通直くらいのものだ。陶隆房も怪しいが、あれはあれで光秀と似たような感じだろう。しかし、だからといって安心していいわけではない。大内家の次期当主が正室をいつまでも定めないわけにはいかないし、相手によっては側室を認めない場合もあり得る。すでに妾としての立場を確立した通直くらい内外にはっきりと示していれば話は別だろうが。

「強情なのか意気地がないのか……」

 これは、いよいよ真剣に話をする必要がありそうだ、と秀満は思った。

 すべては明智家の将来のためだ。

 晴持がダメなら別の男性で手を打たなければならない。光秀が他の男性は嫌だと言うのなら、自分が子を授かって次代に繋ぐ他ない。

 またしても悶々とした表情で官兵衛と晴持を見つめている光秀の横で、秀満はため息をついて覚悟を決めたのだった。


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