“魔法少女“のバイト事情、ワケアリにつき。 作:流星の民(恒南茜)
「……紗ちゃん? 今日は随分早いんだね」
カランとベルが鳴る。開店前の『ヴィエルジュ』にて、ジャージ姿で両手でぎゅっとモップを握りしめ、着々と準備を進める杏の前に現れた紗は──普段よりも、ずっと早い到着だった。
「……今日は学校が早く終わったので。杏先輩、お仕事あったらわたしにもやらせてください」
「そうなの? お手伝いしてくれるのは助かるけど、こんなに早く来なくたって……」
「お願いです。他に……何もやることないですし」
その口調はどこか投げやりで、少なくとも最近の紗からすれば遠いもの──まるで以前の、打ち解ける前にも似たものだった。
「紗ちゃん……何かあった? あたしには何でも言ってくれていいからって、前に言ったよね。遠慮なんかしなくたって……」
「……大丈夫です。もう過ぎた話ですから」
「……そう」
杏の言葉を遮るようにして、紗は言う。
そうやってピシャリと跳ね除けられてしまえば、黙り込んでしまうことしかできなくて。
過干渉は良くない。触れられたくないことはある──だから、今はそっとしておく。
「……じゃあ、テーブルの方お願いしてもいい?」
「……わかりました」
止まった手でモップを握りしめたまま、視線を送る。
「お願い」と、そう言った時にだけ薄く微笑んだ紗へ。
今はもう背中を向けてしまった
◆ ◆ ◆
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「マキさん、そんなに顔しかめて……どうしたんですか……?」
特別なイベントが無い限り、大体一番遅くまで『ヴィエルジュ』に残るのは杏だ。
だからこそ、パソコンと向き合って顔をしかめているマキを一番よく見ているのも杏だという自負はあったものの、今日ばかりはそんな風に収支計算をしている時とはまた違う困り顔だった。
「……お疲れ様、杏。ちょっと、シフトのことで、ね……?」
「シフト……? それだったら、あたしも入ってますし、基本は大丈夫なはずじゃ……」
「……人手が足りないとか、そういうわけじゃないのよ」
何と言うか、どう対応すればいいのかわからないとでも言うように、眉根を寄せて。
マキが見つめているパソコン画面を杏も覗き込む。
「──紗、ちゃん……?」
「……ええ。『総選挙・予選』最終日まではフルタイムで入り続けるからって」
「そんな……学校、あるんじゃ」
思わず閉口してしまった杏の視線の先にあったもの。それは、ビッシリと埋められたシフト表。杏と共に並ぶ紗の名前だった。
「どうして……通しちゃったんですか!?」
「……わたしも言ったわよ。『確かに最近のあなたはすごい』って。中間発表では杏にも票数で勝ってたじゃない? だから、焦ることはないって」
数日前に行われた『総選挙・予選』の中間発表。
その場においては確かに紗が食らいついてきていたはずだ。
「……なのに、意固地なんだもの。大丈夫だから、入れてくれって。わたしも止めたかったわよ。それでも、ここで突き放したら余計悪化する可能性もある……だって、明らかに紗さんは……」
『大丈夫だ』と、そう言って杏を突き放した紗。
杏自身もそれ以上は踏み込めなくて、結局は黙り込む羽目になってしまった。
それでも、今のマキの話を聞く限りでは──。
「……大丈夫じゃないじゃん。そんなの……」
大丈夫なわけがなかった。
放っておいて、前回はどうなったか……それは記憶に新しい。
「頭を悩ませる時は一緒に……って、そう約束したのにっ……!」
次の日にするべきことはすぐに決まった。
「紗ちゃん、学校はどうしたのっ……!?」
次の日も、開店前から。前回と同じ時間に紗は現れた。
マキに示した通りの、無理のあるシフトで。
「……だから、早く終わって……」
「それ……嘘でしょ……!? だって、紗ちゃん……あたしの目、真っ直ぐ見てくれてないっ!」
バツが悪そうに紗は俯く。
彼女は正直で、感情が出やすい子で。
そんなことは杏にしてみればわかりきっていたことだ。
だからこそ、今こうして紗が向き合ってくれないことの意味は──考えるまでもなかった。
「……わかっています。それでも、わたしはこの『総選挙』に……全てを、懸けて……懸けなければなりません」
「そこまでしなくたって……困ってることがあるなら相談してよ! あたしたちの間には約束が……」
「……ありましたね。先輩と、後輩として。……それでも、今のわたしたちは違います!」
どこまでも紗が意固地だったから。
『一緒に頭を悩まそう』と、あの時に交わした約束を振りかざしたというのに。
「あたしたちが……違う……?」
声を荒げ、紗はそれを否と断じた。
「……ええ。この『総選挙』が始まるときに宣戦布告をしたはずです」
ひどく冷めた声。
突き放すような、声。
「わたしとあなたは……敵同士、でしょう?」
言い切ると紗は背を向ける。
まさかそんな風に紗が捉えていただなんて思わなかった。
ライバル同士でこの『総選挙』に挑もう、と。それぐらいの感覚だったのに──絶対に、今までの関係を壊してまで挑むものであるはずがなくて……。
「でも、あたしと紗ちゃんの関係は変わらな……」
「──変わらなければならないのですっ!」
激情とともに遮られた声。
それすらも、たった今否定されたのだ。目眩のあまり杏はたじろぐ。
だって、そんなのあり得ない。紗がそう言うなんて、あり得ない──。
「どう、して……?」
「……一人でも平気なわたしに……ならなければ。……杏先輩、お願いですから……っ」
痛々しいぐらいの、泣き笑い。
強がったように張ったままの頬で。
「……どうか、放っておいてくれませんか……?」
まるで心の奥底から懇願するように。
「そんなの……放っておけるわけ……っ」
「……わたしを、これ以上傷つけないでいただけませんか……?」
弱りきった声だった。
もうどうしようもないとでも言うように、紗はその顔を歪めた。
踏み込まなければ相手とわかり合うことはできない──そのはずだった。
それでも、そこまで言われてしまえば……
──あたしにだって、あるもの。
杏にもあるもの──触れられたくない、自身の弱み。
それを追求されたら……拒絶されてもなお踏み込まれれば。
もう癒えない傷を負う。そんなことは自分自身がとうに証明していたことだった。
「……ごめんなさい、杏
来客を示すベルがカランと鳴る。
それに引かれるようにして、紗は部屋を後にする。
閉じたロッカールームのドア。
以前のようにそれを開けて、紗を追うことすらできない。
その先ではもう開店してしまっているから。
客の前に出てまで”魔法少女のお茶会”を壊すことは……許されないから。
ただ、座り込む。
杏にできたことは──せめて、外に出るまでに、真っ赤になった目元を治すぐらいしかなかった。
「……あ、えっと……こんにちは……紗ちゃん」
「こんにちは。床の方を掃除されてるなら、わたしは机の方をやっちゃいますね」
それからの日々は平穏に流れていった。
まるで声を荒げた日が嘘だったかのように、紗はそれからも変わった様子なく、バイトに勤しんでいて。
「……あの、杏先輩」
「お疲れ様、遥くん。どうしたの?」
「……いえ。最近、その……紗さんがちっとも相談してくれなくて。前までは、『総選挙』のことで色々話してくれてたんですけど……」
それでも、遥も──紗の近くにいた人々は確実に違和感に気づいているようだった。
やはり、何とかするべきだ……と、そう思いたかったのに。
「……今はさ、触れないであげてよ。きっと、何とかするから」
紗が口にした通り、触れないで欲しい、と。
その言葉がずっと脳裏にこびりついたまま、杏自身もまた取り繕う側の立場にならざるを得なかった。
そして、紗の出勤時間は相変わらず異常だった。
朝は早くて帰りは遅い。そんな日が、何日も続く。
それは杏にだってわかる、学校に通いながらでは無理な働き方というものだ。
「……あのさ、紗ちゃん」
「すみません。マキさんから食材の買い出しを頼まれていて。また後ででよろしいでしょうか」
だからといって、声をかけようとすればすぐにその場から紗は離れてしまう。
そうして、のらりくらりと躱され続ける日々が続いていた。
杏の危惧していたことが目の前で起き続けているのに、止めることすらできぬまま。
「そういえば……今日が『総選挙予選』最終日でしたね。負ける気はありませんから──
変わった様子なく表向きの平穏さを保つ中で、ただ一つ──その呼び名が。
「……勝ちとか負けとか……関係ない、のにっ」
──もう、
◇ ◇ ◇
◇ ◇
◇
「……おめでとう、ございます。流石……でした」
ただ、彼女は必死だった。
必死な──
だからこそ、心の何処かでそんな結果にはなるだろうな、なんて、杏の魔法少女としての勘はずっと告げていたのに……。
「……っ」
いざ、ロッカールームで一人佇む紗を前にして、杏は言葉を失ってしまった。
「……最後に、教えていただけませんか? 杏先輩が『総選挙予選』を一位で突破できた……理由を」
それは、今日のバイト後に結果が出てしまったから。
『総選挙予選』を──杏が一位で通過したこと。
意気込みもろとも、紗が打ちのめされる結果になってしまった……こと。
「……だって、紗ちゃんは──」
こうして面と向かって言葉を交わしたのですら、随分と久しぶりだった気がする。
だからこそ、ずっと伝えてこられなかったその事実が……杏の唇からこぼれ出た。
「紗ちゃんは……笑えなくなってたもの」
『総選挙予選』が始まってすぐの頃はぎこちなく。
少しずつ、遥や衿華たち──紗自身が紡いでいった人脈の中で力を借りていって。
ほんの少しだけ……杏も手を貸したけれど。
紗が笑えるようになったこと。
誰かにその笑顔を見せられるようになったこと──そんな、彼女自身が得た新たな武器ですらも。
「……そう、ですか。……それじゃあ、負けますよね」
それすらも、失われてしまったこと。
そんな事実すらどこか他人事のようにして、紗は呟いた。
「……仕方ないことだったのかもしれません。もう、
「……きっかけ?」
「……はい。わたしに笑顔を教えてくれた友達──もう、この際だから言っちゃってもいいかな」
その口調は一見どこか投げやりに思えた。
それでも、わざとそうしているような……固執していないとアピールするかのような。
そんな無気力さが紗の言葉からは滲み出ていた。
「……学校にも満足に来てくれない。散々、仲良くなったのに……やっと、気を許せるお友達が……わたしにも、一人で作れるようになったんだって……そう思ったのに……」
「……遠く、なっちゃったんだ」
途切れる紗の声。その続きをきっと彼女は口にできなかったから。
だから、杏がした答え合わせに紗は否定をすることもなく、言葉を継いだ。
「……こうなるってわかってたら……こんなに胸を突き刺すんだったら……楽しかったのも、じゃあ何でって……わけわかんなくなって……っ!」
次第に語調は荒くなっていく。
むき出しになった感情──拘泥。
「……だったら、一人がいいっ! 一人で大丈夫になれば……こんなに苦しくなることだってない……違いますかっ!?」
慟哭が絶え間なく杏の胸を突き刺す。
後輩の悩みだ。何よりも可愛い、大切な後輩が……杏の目の前でひたすらに声を荒げて。
苦しさを吐露して、むき出しになった感情をぶつけてきていた。
一人でも平気なわたしにならなければ──以前、紗が口にしていた言葉が脳裏をよぎる。
失って、傷ついて。だから、自分一人で大丈夫なようにって。
『総選挙予選』の残りの期間は、ずっと一人でいたようだった。他の誰にも頼らず、一人で最後まで走り切ろうとして、紗は有言実行しようとしたまで。だから、杏との関わりも絶とうとした。
けれど、茨のように。
その言葉が、その自分への
「……あたしにだってわかんないことばっかり。それを紗ちゃんはいっぱい、いっぱい知ろうとしてきた……だから、その分痛いんだ……辛いんだよ」
──ほかでもない、紗自身だ。
『ヴィエルジュ』に閉じこもっていては感じることのない痛み。
それら全てを一身に外の世界で……紗は、浴びてきたのだ。
──わたしを、これ以上傷つけないでいただけませんか……?
紗にそう言われて、確かに杏は距離を取った。
触れられたくないことは確かにあるから、と。
それでも、紗は今一人になろうとしている。
誰にも縋らない自分に──今、傷ついたままで。
「ねえ、これで最後にするって約束する。だから……お願い」
いつかは紗を送り出す日が来る。それは、わかっていた。
後輩は皆旅立っていく。そういうものだから。
だけれど、拒絶は……こんな形では、望んでいないことだ。
手を取り、見つめ合った先。
背を向けずに潤んだ瞳と真正面から向かい合って──杏は微笑んでみせた。
少しは頼りがいのある
最後の一度ぐらいは、と。
「お節介、焼かせてよ。……杏