“魔法少女“のバイト事情、ワケアリにつき。 作:流星の民(恒南茜)
『……プラムさんは、ここが好きなんですか?』
初めて、紗と出会った日のこと。
別れ際にかけられた言葉を今でも杏は覚えている。
──お待ちどおさまっ! 今日の浄化はあたし、ヴィエルジュプラムが担当させていただきますっ!
ふるふると震えていた制服の女の子。
それも、真昼から──明らかに学校のある時間から訪れた彼女はワケアリに見えた。
どうして声をかけたのか。
放っておくのは忍びなかったから? 彼女が居心地悪そうにしていたから?
……いや。少し考えて杏は首を振る。自分はそんなに気の利いた人間じゃない。
『うん。あたしはここが──『ヴィエルジュ』が好き。だって……』
──あたしにとって唯一の居場所だから。
そんな言葉は飲み下した。
きっと、今の彼女が……紗が求めているのはそんな弱々しいものなんかじゃなかったから。
それが痛いぐらいにわかってしまう立場に──杏はいた。
『”好き”を一緒に分かち合える……とびっきりの居場所だからっ!』
『……本当ですか。それなら……っ』
その時、紗がこちらに向けた瞳。
それまで伏せられていたのに、僅かな輝きを湛えたそれを見て、杏は思ってしまった。
彼女はきっと、またここに来るのだろう──と。
『わたしの──いえ。わたくしの、”魔法少女”としての名前です、わ』
そして、実際にその予想は当たった。
バイトとして来るとまでは思っていなかったけれど、頻繁に通うようになって、ここの一員になって。
『あたし、紗ちゃんと”魔法少女”するのが楽しみっ!』
あの日、紗に声をかけた。この場所に引き込んだワケ。
それが、もしも現状の紗を形作ってしまっているのだとしたら。
『ようこそ──ヴィエルジュピリオドへっ!』
これが紗に対して、杏
杏には口にすべき言葉があった。
「……お節介と、それから……伝えなきゃいけなかったんだ。……”ごめんなさい”って」
「……どうしてっ」
困惑したように紗は声を漏らす。
「リアクションありがと、やっぱり紗ちゃんは素直だね。だから……あたしもって思ったんだ」
紗のいいところを挙げるとすれば、それは素直さにあった。
最初は少し意地っ張りだったけれど、次第に打ち解けていって、そのうちにあるのが恐れだと知って。初めて”先輩と後輩”として関係性を築けた時から、紗は自分の内をさらけ出してくれた。
素直ないい子だったのだ。
だからこそ、
それは、杏が紗に見せられる精一杯の誠意だった。
「初めて会った日、思ったの。紗ちゃんはあたしと同じなんだって」
「あなたと、わたしが……同じ……?」
「……うん。縮こまって、馴染めなさそうにここで震えてて……それって、学校にいた時のあたしと同じだったから──同じ、ワケアリな子なんだって思ってた」
居場所がない。
長く入院生活が続いて──ようやく登校できるようになった学校では、既に形成されたコミュニティーがあった。
話すら通じない、趣味が違えば、考えていることだって……ともすれば、外の世界で生きてきたあの子達は経験してきたことだって、ずっと……ずっと、杏よりも多くて。
そんな中で疎外感を感じていた。
一人、震えていた杏と──『ヴィエルジュ』に初めて来た時の紗は重なっていた。
「……ずっとね、欲しかったの。仲間……みたいな。あたしと同じ子が」
「……それが、わたしだったんですか?」
「ううん。違う」
「……え」
「……今ならはっきりわかるよ。それはね、あたしの押し付けでしかなかったこと。ここに──『ヴィエルジュ』に、あなたを閉じ込めたかった。一番のワガママは……あたしだよ」
あなたは、あたしと同じだから。
逃げてきた、きっとここにしか居場所がない子だから。
だから、一緒にここにいれば傷つくことはない。
わかり合える仲間で──いて欲しかったって。
そうやって押し付けたのは、杏自身のエゴでしかなかったこと。
それを真っ向から口にできたのは、紗の素直さのおかげだ。
「最初に話しかけた時、ここに紗ちゃんを引き込んだ時──あたしと、先輩後輩の関係になった時からずっと……ね? だから、最後って言ったの。この関係を終わらせようって」
掴んだ紗の手は、まだ震えている。
初めてここに連れ込んだ時と同じ。冷たくて、膝の上できゅっと握られていた手のひら。
本当なら、いつまでだって掴んでいたい。誰かの体温を感じていられるのは──杏自身も安心するから。一緒なんだって、そう思えるから。
だけれど、それは今日で終わりにすると……決めたことだ。
「ここから先は……紗ちゃんが決めていっていいんだよ」
ぱっと、その手を離す。
迷うように揺らめく瞳が、杏を映した。
◆ ◆ ◆
「わたしが……決めていく?」
「そう、何でもね。ここだけを居場所にしたっていい。新しく見つけに行ったっていい。何でも、紗ちゃんが決めていいんだ。もう、あたしは止めたりしないから」
いつもあっけらかんと笑ってみせる杏。今だって、紗の前で変わらず笑っていた。
その瞳を逸らして、申し訳なさを取り繕うように……嘘だらけの笑顔で。
彼女がどんな想いでその言葉を口にしたのかなんて、わかりきったことだった。
「それは……あなたが非を感じているから……?」
「……うん。だから……せめて、紗ちゃんに伝えることでしか、償えない。……”ごめんなさい”って」
──ごめんなさい。
だからこそ──その言葉が引っかかった。
杏のその言葉が、その表情が、一度は飲み込もうとしたものがつかえて、膨れ上がっていく。
次第に込み上げていく、それが脳裏に届いた瞬間にパチパチと無数の光彩が散った。
『私は、あなたを……”魔法少女”として、認めます』
『……勝ちましょう。僕たちの意地を見せてやりましょう!』
──『ヴィエルジュ』で巡っていった日々の連続。
彩っていくのは無数の出会いと交流。衝突した時だってあった。泣きじゃくった日だってあった。それでも──ここでの日々は、間違いなく……
『……わかった、いいよ。友達、なってあげる』
──そうやって前に進んでこられたから。今は苦い思い出になってしまったけれど……。
ようやく『ヴィエルジュ』の外にも踏み出そうという気になって、紫菜の手を取れて。
けれど、全ての元を辿っていくのならば──。
『すずちゃん、たのしんで!』
──初めて出会った時、辿々しい手つきでオムライスに文字を書いてくれた。
一瞬一瞬を楽しんでいるかのように紗の前で微笑んでみせた姿が”憧れ”になった瞬間。
”魔法少女”が手を差し伸べてくれた、まさにその時だった。
「──”ごめんなさい”なんて、言わないで……ッ!」
乾ききって張り付いていた喉、喉奥がジンジンと痛む。
張り裂けそうに膨れ上がった肺の痛みに、思わず視界が滲んだ。
その中で杏は──先程まで伏せていた目を見開いていた。
「紗ちゃ……っ」
「わたしは……全部あなたから貰ってきたんですっ!」
一度口にしたらもう、堰を切ったように言葉は止まらなかった。
「初めて自分を受け入れてくれる場所も、友達も、一緒に過ごす時間も……こうして”分かち合える場所”をあなたがくれたから……っ!」
『ようこそ』と手を差し伸べてくれた、行く先すら見つからなかった紗の手を引いてくれた、眩しいその姿──憧れ。
そんな”魔法少女”が──杏が瞳を伏せて、謝って、涙を浮かべて。
そうなってしまったことが……そうさせてしまった紗自身が、何よりも許せなかった。
それならば、今の紗にできることはなんだったか。
あの日、衿華と揉めた紗は『ヴィエルジュ』から出ていこうとした。
それでも、伸ばされた手はひしと紗の腕を抱きとめた。
自分は”魔法少女”になれないからと、首を振ろうとした紗を止めたのだ。
──あたしは、もう否定しないし──否定させないから。
「私の幸せだった時間をくれた……あなたをっ!」
その言葉に救われて、わたしは今も”魔法少女”でいられているのだから。
「──あなた自身が……否定しないでくださいっ!」
だからこそ、紗にとっては杏が救われてはいけない道理なんか存在しなかった。
杏自身が紗をここに──『ヴィエルジュ』に引き込んだことを負い目にして、ここで過ごした時間を否定する──そんなことはあってほしくなかった。
「……そっかぁ」
ぽつりと、杏が溢す。
薄い微笑みを紗に向けて──その目尻に溜まった雫を拭うのも今度は紗の番だった。
「……紗ちゃんは、立派になったねぇ……」
「……わたしの先輩が──杏
そうして、紗が見つめ返したのは杏のもつピンク色の光彩。
揺らいだ瞳の奥底で、ついぞ否定させなかったもの──ここで過ごした時間の数々を映してきた瞳だ。初めて出会った時からずっと、ずっと、紗を見つめてくれていた。
「……あの、杏……
「なあに?」
「やっぱり……わたし……」
杏の瞳を見ていると見透かされたような気持ちになる。
口でどれだけ上辺を固めたところで、まるで通用せず、ぽろりと言葉が漏れてしまうような。
杏との問答の末で、ようやく答えを見つけたような──。
「……一緒がいいです。ここのみんなとも──」
紗にとっては、そんな気がしていた。
たった今、杏が紗にとってみんなで過ごしてきた時間を否定しようとしたから。
一度否定されようとして……ようやく、その大切さがふと脳裏に蘇ったのだ。
そして、そのみんなの中には含まれていたのだ。
「……紫菜さん、とも」
──紫菜と過ごした時間も。
『……間違ってたの……?』
『……うん。アタシも、蒼井も……お互いに、ね』
きっと、ここで過ごした時間と同じぐらい……彼女と過ごした時間だって大切なものだった。
笑い方を教えてくれた。隣でいつも話し相手になってくれた。一つの教科書を並べ合って、たまには愚痴を口にして、一緒に料理を作って、”好き”を分かち合って──。
「……やっぱり、このままじゃ嫌だ」
──その時間まで、否定しないで欲しい!
「……それって、紗ちゃんのお友達のこと?」
「……はい。やっぱり、一人で何とかしなきゃだなんて……わたしには、無理で……だから、その……」
言葉は思っていたよりもずっと遠回りした。
素直になるまでにかかる時間、自分と向き合うまでの時間──それを、杏はただ待ってくれていた。
「……諦められませんっ」
そうだ。
一度結わえた紫菜との関係を、そのまま終わらせるなんてできるわけがない。
たとえ、彼女が過去に紗のいじめを知っていたとしても……それでも、一緒に過ごしてきた
「じゃあ、行くんだ。紗ちゃんは……その子のところに」
「……はい。それでも、またここには絶対に帰ってきますから。……だから、その時はまた一緒に、魔法少女、してくれますかっ?」
「……うん。もちろん、ね」
そうして、意を決して紗が背を向けようとした時、不意に杏がその手を取った。
「紗ちゃん、まだ手が震えてる」
紗の胸中で渦巻いていた、たった一つの不安。
意を決してもなお、拭い去れないもの。
「……まだ、怖いもの……あるでしょ?」
自分を鼓舞するための言葉の数々で取り繕ったところで……杏には、お見通しのようだった。
だからこそ、こくりと頷くことしか紗にはしようがなかった。
「……彼女は──紫菜さんは、いじめの主犯格だったバスケ部の一員でしたから……だから、その……」
「……本当は今もそっち側なんじゃないかって……?」
「……はい。それでも、信じたくてっ」
紫菜との交流の中で彼女のことは十分に知ってきた──つもりだった。
だけれど、もしも彼女が考えていることが紗と違ったら……もしも、彼女が向こう側だったらだなんて、思わなかったかと聞かれたら嘘になる。
「……だったらさ、一つだけ作戦があるんだ」
「作戦……ですか?」
それでも、手を差し伸べてくれる人がいた。
くいっと掴んだ手を引くと、杏は口にする。
「そ、相手を信じられるかどうか……証明するための、ね?」
◇ ◇ ◇
◇ ◇
◇
「これで準備は大丈夫そうだね?」
けれど、手が震えた。
出口に立って、初めてその指先が震えていることに紗は気づいた。
杏の声が普段よりもぐわんと大きく反響する。
「……っ」
大丈夫に決まっている。
杏からは何度も勇気づけてもらった。
作戦だって彼女に授けてもらった。だから、何も心配することなんかなかったはずなのに──。
──あなたは手を出した。違う?
思い出せば身はこわばる。
味方しかいない
すくめた手のひらがきゅっと握られる。細かに震えたそれは初めてここに来た時と同じ──居場所を求めて弄った、行き場のないもので……。
──トン。
不意に、背が押された。
そのままバランスが崩れるようにして足が前に出る。
気づけば、片足が外に出ていた。
一歩、踏み出していた。
「紗ちゃんは……行けるよ?」
その手の主は杏だった。
初めて出会った時と同じように微笑んで。
──あたし、紗ちゃんと”魔法少女”するのが楽しみっ!
初めて、紗といることを喜んでくれた彼女が。
存在を肯定してくれた"魔法少女"が──
──ようこそ──ヴィエルジュピリオドへっ!
あの日、引き込んでくれた両の手で。
「わかって、います……っ!」
もう止まる意味は見えなかった。
見えたとしても、杏がくれたものが──勇気が、紗の胸の中で熱を増していたから──。
階段を駆け下りて、そのまま道路に飛び出す。
ヒールを履いた両足がカツカツと忙しなく音を立て、だけれど、転ぶことはなく。
まるで魔法にでもかかったように身体は前に進んでいく。
角を曲がって、最後にもう一度振り返った時──。
「──あ」
もう杏の姿は見えなかった。
それでも、腕を振った。足を前に出し続けた。
きっと、紗には行くほかなかったから。
◆ ◆ ◆
◆ ◆
◆
「お疲れ様です、杏先輩」
「お疲れ、遥くん」
紗が去ってから、着々と開店準備は進みつつあった。
後はホールに"魔法少女"が揃うこと。それが、最後の開店準備だった……けれど。
「……ごめんね、遥くん。ちょっとメイクが落ちちゃって……」
「……それなら、先に僕が出ておきます。準備ができるまで……慌てなくても、良いですから」
きっと、そうしてロッカールームを出ていった遥は察してくれていた。
杏の……今の状態を、普段通りの笑顔の下にあったものを。
「……あたし、もう……」
一人ぼっち。がらんとしたロッカールームに声が響く。
「……先輩じゃないんだ」
それは、初めて杏に与えられた役割だった。
誰にも必要とされてこなかった自分にもできることがある──そう思えた瞬間がどれだけあったか。
紗に頼られた時、遥に助言をした時……みんな、みんなワケアリだった。
そんな子たちに手を貸して、それでも、みんなが結局先に行ってしまった。
「……っ」
ただ、目尻が熱かった。
散々泣きじゃくれたら、どれだけ楽だったか……なんて、思って。
それでも、杏先輩と。胸に残ったその肩書きが、唯一今の杏を押さえつけていた。
……そうだ。行かねばならない、もう開店時間なのだから──。
震える足で立ち上がる。ロッカールームの出口に向かって、歩き出そうとした時だった。
「……遅いわよ、杏……って、どうしたの……?」
部屋に入ってきたマキが、驚いたような顔で即座に駆け寄ってくる。
じゃあよっぽどひどい顔をしていたんだ……なんて、そう思えてしまったけれど。
「……ねぇ、マキさん。紗ちゃんも、遥くんも……みんな、立派になったよね」
マキの前ならばと、次々に言葉が溢れ出していった。
どんな弱音も、彼女ならば受け入れてくれる気がしたから。
唯一、
「……あたしがいなくても大丈夫なぐらいに……さ」
言葉にすれば余計はっきりと、渦巻く孤独感。
しかし、それに首を振ったのはマキだった。
「……本当ね。みんな、一人でも”魔法少女”をやっていけるぐらい立派になって……それでも、そうなるまでには必要な人がいた。最初に手を引いて、背中を押してくれる人がいた」
きっと、心のどこかでは自分を慕ってくれる後輩たちの気持ちには気づいていた。
だからといって、直接確認したわけではない。常に不安とは隣合わせで。
だけれど──その
『私の幸せだった時間をくれた……あなたをっ!』
『──あなた自身が……否定しないでくださいっ!』
「──杏。……ありがとうね」
だからこそ、自分自身が肯定してあげなければダメなんだ。
「……どういたしまして」
今、こうして……”ありがとう”と。
杏を必要としてくれた