深呼吸を一つ。夜の冷たい空気を肺いっぱいに吸い込んだおかげで、少しだけ頭が冷えた。それ以上に身体も冷えているけど。帰ったらお風呂沸かそう。
問題ない。もらった冷凍ご飯を小脇に抱えたプラ容器に入れて帰るだけ。うん、大丈夫だ。頭の中でちゃんと練習はした。何もなければすぐ終わる。
「……表札よーし」
一応指差し確認。いや何度も前通っているし一回行ったことはあるけどね。
チャイムを鳴らすべきか、と考えてメッセージで呼び出せばいいなと気がつく。なんか脳がまだ空回りしている感じがあるな。
『ついたよ』
そう言ってしばらくすると、家の中からどたばたと足音がして扉が開く。
「ごめんね、待たせて」
「いいよ」
扉の向こうをちろっと覗くと、なんか二人ぐらいいますね。一人は背が高めの男性。もう一人は私と同じぐらいの背だと思われる女性。たぶん二人とも部屋着だ。
「ええと、これがご飯」
そう言って真山くんはラップに包まれた塊をくれる。ちょっと多い気がするので今日はいっぱい食べてしまおう。育ち盛りなので大丈夫。
「……後ろの人は?」
「……両親」
「……挨拶したほうがいいやつかな?」
「個人的にはあまり……」
うん、確かにそういうふうに親に紹介する必要があるの嫌ですよね。うるせえこちとら父にお前を紹介しとるんだぞ観念しろ。
「こんばんは、夜遅くにすみません」
ちょっと説明し難い不満な感じの表情をした真山くんを横目に私は後ろの方の人に挨拶をする。
「ええと、
そう言う女性に私は頷く。見た感じ、私たちの世代の親世代って感じだ。人懐っこそうな笑顔である。
「そうです、和乃
慇懃無礼にはなってないよな?丁寧の範囲にするならもう少し柔らかい表現にするべきだったか?
「……父さんと母さん」
真山くんが、というかたぶん全員同じ名字なので翔太くんって呼んだほうがいい同級生の男子が言ってくれる。ありがたいね。いやその、別に一緒に住んでいる大人が両親でないことも、両親と呼ばれたくないこともあるじゃないですか、今どきは。
「いつも翔太が話しているからどんな子かと思っていたのよ」
そう言って翔太くんのお母様は一歩前に出る。なるほど、父親の方は後ろで見ているだけなのね。
「勉強を教えてもらったり、それ以外にも学校生活などで色々助けられています」
私も翔太くんが開けてくれた扉から入って頭を下げる。
「和乃ちゃんが教えてくれている、って翔太は言ってたけど……」
「……教えあっているんだよ」
後ろからふてくされたような翔太くんの声。なんていうか、思春期の男の子って感じがしていい。ちゃんとした家庭って感じがする。私の家はちょっとそういう機能がうまく働いていませんからね。
というかそういう事をちゃんと親と話せているんだ。私はあまり機会がないのと正直恥ずかしいのとでそこまで喋れていない。
「そうなの。まあいつもありがとうね、今日は晩ごはん一人なの?」
「両親が家を空けがちなので。いつもは大丈夫なのですが、今日はご飯炊き忘れてしまったんですよ」
あまり上手いとも思えない笑顔を浮かべる。いや別に翔太くんのお母様が話しにくい相手ってわけじゃないのですよ。いまさら思い出しましたが、私ってコミュニケーションが得意な方ではないのですよね。
「あらそうなの。もし何かあったら言ってね、翔太が友達の話することなんて中学の頃はなかったんだから」
「ありがとうございます」
ああ、翔太くんの表情にばつが悪い感じのものが混じっている。かわいいなこいつ。まあそういうのを楽しめるほど私に余裕があるってわけではないのだけれども。
「あとあの後ろに隠れているのが夫。翔太と似て恥ずかしがり屋なのよ」
「……確かに似ていますね」
ちょっと翔太くんには聞こえないように小声で言う。聞かれているかもしれない。まあ別にいいんだけれども。あとでメッセージを送ってリカバリしよう。
よく見ると顔立ちは整っているよな。私はそこまで趣味ではないが、昔のネットの知り合いに見せたら社会人同士のあれこれとか色々とか、そういう話がされそうな感じの顔。
「翔太のこと、よろしくね」
「わかりました。すみませんが、あまりいるとご飯が溶けかねないので……」
できるだけ申し訳無さそうに。あまり話しすぎると体力が持っていかれる。いっぱい食べたとしてもちゃんと回復できるかは不明。
「ごめんなさいね、引き留めてしまって」
「いえいえ、こちらこそ無理を翔太さんとお二人に聞いていただきました。このお返しはいつか」
「いいのよ気にしないで。子供はいっぱい食べなきゃダメよ?」
「はい、ありがとうございます」
そういう感じで、なんとか退散することができた。かなり緊張した。ちゃんと会話できていたかな。脳が面倒そうな事を考え始めた気配があったので、私はちょっと足に力を入れて家までの夜道を急いだ。