「和乃さん」
得点板をめくる私の隣にすっと入ってきた真山くんが声をかけてくる。
「なに?」
「二十九周目、これで最後のはず」
「……ひとまずこれが終わるまで待てる?」
「うん」
頭の中でちょっと計算を回す。私の知っている前のループの回では十七周で三時間だった。二倍弱ってことは二時間ぐらいかな?うーん平方根混じりの計算は難しいな。
そんなことをやっていたら一試合が終わった。ぱたぱたと数字を
「次やるんでしょ?代わりに来たよ」
「……ありがと」
次にやるなんて私は一言も言っていないが、その文句はラケットを渡してくる真山くんの前では言わないでおこう。
「……逃げられない?」
「逃さない」
「そっか」
「打ちやすい場所に送るから、まずはシャトルから目を離さないことに気をつけてやってみて」
「……そういうことね」
つまりこの私の同級生は、私にバドミントンを教えるというアホなことをこのループの重要事項としたわけだ。下手すれば今回のループの大半の周をこれに費やしたんじゃないか?
まあ、とはいえそれだけ信頼できるということだ。私は足に力を入れる。
真山くんからサーブが飛んでくる。減速して、ちゃんと狙えるぐらいのところになった。目をそらなさいようにして、腕を使ってラケットを振る。
いい音がして、シャトルはネットの向こう側に飛んでいく。少し右斜め後ろに下がって、落ち着いてバックハンドでレシーブを返してくる。
「その調子!腕だけじゃなくて身体全体で打ち返せる?」
「やってみるよ!」
そんな会話をする余裕があるぐらいには綺麗な場所に帰ってくる。明らかに狙って送っているよな。試合なら私が取りにくい場所に送ればいいのに、と考えたがそういう範囲よりも私にとって打ちやすいエリアのほうがどう考えても狭いな。
というわけで、これは明らかに私の練習のためのものだ。試合ではない。なるほど。そういうことが目的か。なら乗ってやろう。
アドバイスの通りに、腰を撚るようにして打ち返す。ああでも力みすぎたな。思ったよりも左奥に飛んでしまっている。ただ、それでもやっぱり今まで少しやった試合と比べて格段に楽しい。
ちょっと無茶な軌道だったのにもかかわらず、真山くんはなんとか返してくる。ただし、それは私にとっては結構難しいやつだ。腕を振り上げてから後ろに下がったほうがよかったかな、と思ってしまう。
判断ミスか、それとも迷いがラケットに伝わったのか、結局飛んだシャトルは想定よりも下向きの軌道を通って私側のネットに当たって落ちる。
「……どう?」
「悪くない」
楽しいな。こういうのなら私はあまりバドミントンを嫌いにならなかったんじゃないだろうか。まあ明らかに楽しませてもらっているのですけど。
何回か繰り返していると、少しづつ当てやすくなっていった。もちろん外さなくなったわけではない。うまく打てなかったり返せなかったりで着実に真山くんとの点差が開いてはいるが、それでも自分の無力さとか相手が楽しんでいないんじゃないかとか余計なことを考えないでいいのは楽でいい。
なにせ最終周にこういうことをしてくるぐらいなのだ。私がバドミントン下手だから試合をしたくないと思っていればしなければいいのである。つまりいくらでもやっていいのだな。
とはいえ、そういきなり上手になるわけではない。もちろん何もやらないよりかは真山くんのアドバイスもあってマシな状態にはなっているだろうが、それでもいきなり試合ができるほどにはならない。
接待を重ねてもらって、打ちやすい場所に返してもらって、それでも結果としては負けになった。
「……お疲れさま」
「……うん」
息が切れている。悔しくないわけじゃない。でも、それ以上に真山くんにたいして感謝しなくちゃいけないんだよなという理性で面倒な感情をねじ伏せておく。
「あとあまり動きすぎるとご飯食べれなくなるから、しっかり休憩しな」
「そだね……」
ああそうか、今日のお昼どうしようかな。真山くんは自分のお弁当食べるだろうし、いつもの日替わり定食かな。となると教室の外套を回収する必要があって、ああでも男子が着替えているか。面倒。
「……どうだった?」
「よかったよ、とても」
私は今のところ、バドミントンを悪くないものだなと思い始めている。恐ろしいものだ。ちょっと前にはなんでこんなものを、と思っていた競技なのに。
「……頑張ってよかった」
「お疲れさま。たぶん目的は達成されたよ」
心臓がまだ少し強めの拍動を持っている。身体の中の酸素が足りない感じがある。でも気持ちのいい汗をかいたと言えばいいのだろうか。
「……それだと、いいな」
「まあもう終わりとはいえ、ループがなかった時よりは良くなるだろうから気軽に行きなよ」
「そうだね」
まあ今の私が終わらずにすむと知ったところで、特別な感慨とかは湧いてこないな。ほかの終わってしまった私達にとってはちょっと恨まれるようなことかもしれないけど、私にとって日常はまだ日常のままなのだ。