デジタル教材が浸透した今日このごろであっても、黒板というものはやはり素晴らしい。もちろん事前に作ってきたスライドをもとに授業をやる人も若い先生を中心にいるが、それでも大半は黒板だ。
まあそれでも長文とかを黒板に書いていくのは正直面倒なのでデジタル化された教育に万歳、と言っておこう。昔の授業って現国の長文とか、地総の地図とか、情報のソースコードとかをどうやって出していたのだろう。手書きソースコードとか馬鹿らしくならなかったのだろうか。
「というわけで、元の文からしてもわかりにくいよね。小説の翻訳とかならここはまとめてしまうんだけれども、あいにくこういう試験で聞かれているのはこのthatがどういう役割を持っているかをちゃんと見抜けるかってこと」
黒板の前に下げたスクリーンをぺしぺしと叩いて、画面を共有している手元のタブレットで重要な部分に丸をつけて言う。改めて言葉にすると、案外私は感覚で英語を理解していたのだなとなってしまう。
「……ところで、そろそろ時間?」
私はタイムキーパーをやっている真山くんに聞く。なお真山くんの担当は現国と公共。数IA、物理基礎、化学基礎については別の人達がやってくれている。まあ放課後に二教科づつ、たぶんクラスで一番か二番に得意な人が教えていくスタイルだ。
「まだ大丈夫。あと一、二個ぐらいはできると思う」
ちなみにちょくちょく廊下の方から見慣れた顔の先生が覗いている。定時でしょ早くかえんなさい。残業代あんまり出ないんだから。
そう考えると学生の私達って労働基準法とかないんだよな。一日に六時間勉強したらいい大学とかその先とかに行けるようになって欲しい。まあそうすると進学のメリットがどんどん減っていくのだが。まあ努力ができるならそれをしておけ、ということなのだろう。
「今のところペースは大丈夫そう?引っかかったところとかあったらできるだけ気軽に言って。勉強会ってそれができるからいいってところもあるからね」
他の人に迷惑をかけてでも自分の中の疑問を解決できるほど図太い人間はなかなかいない。大抵の人はそういうものなのだからと自分の中で押し殺してしまう。
まあたぶんそのほうが生きやすいですよ。私みたいに親に聞いたら一緒に英字文献を見てくれたり専門家にいきなりメールを書き始めたりするよりよっぽどいいと思います。さすがにこれは極端な事例だけどさ。
「……大丈夫ならいいけど。じゃあ、次に行こうね」
長文の問題から切り出した一段落。テーマは人口減少。まあそれは重要じゃないんだよ。しばらく待って、大体の人の手が止まるタイミングを見極める。
「ええと、total fertility rateっていうのは日本語では合計特殊出生率。falls belowっていうのは下回る、って意味。ここのwhenと合わせたら下回ったら、ってなるわけ。declineは減少。ちょっと難しい単語が多いね」
正直、どの単語が高校の範囲だとかは知らない。漢字とかも一応書くのはともかく読む分にはあまり問題ないからな。昔から色々読んできたのでここらへんは強い。変な読み方とか用例とかで覚えてしまっていることもあるけれども。
「さて、今回問題となるのはここ。thatが三回も出てくるかなり長めの文章。もし英作文をやる時はできるだけ短く区切ったほうが読みやすいんだけれども」
そう言って私は指を鳴らしてスライドを切り替える。文字が並び替わって、全体の構成がわかりやすくなる。
「こうするとわかりやすいね。複雑な部分ではthatが指す部分をかっこでくくってしまってもいいかも」
そんな感じで説明しておしまい。一応、まもなくやってくる試験の範囲なのでみんなの点数が良くなればいいな。実際のところは英語の小説を読む時にいつの間にか身につけていたスキルの説明になるのだが。
外は暗くなったので、勉強会が終わったらみんなそそくさと帰ってしまう。ああまったく、誰かに鍵を押し付けようかと思ったのだが。
「後ろの方、鍵を閉めてもらえる?」
「はいはい」
まあ少なくない割合で真山くんにこの役を取られてしまう。昔は押し付ける人を恨んでいたのに今では奪ってくる真山くんを理不尽に恨んでしまうあたり、私は相当面倒な性格なのだ。
「いつもありがとうね」
だからまあ、お返しみたいなだ。お礼を言っておく。受け取ってばかりは性にあわない。差し出すだけよりはマシかもしれないが、一方的なのはあまり健全な関係とは言えないだろう。
「いいよ、いつも和乃さんがやってくれているし」
ほら、こうやって返してくるんだ。これを素直に感謝できない私はやっぱり面倒なやつだな。
「まだ最終下校までは時間があるけど疲れたね」
「……そうだね、早く帰らないと」
別にそれが社交辞令みたいなものだってのはわかっているけどさ。でもややこしいことに、真山くんは私のことが相当好きなんですよね。ここはちゃんと切り分けておかないと、後で善意と好意を勘違いして悶え苦しむことになるのです。