高校一年生 第十幕間 一
「ただいま」
真山くんと玄関前で別れて扉を開けると、起きている人の気配があった。足元を見ると私の雑に脱がれたスニーカーの隣に、磨かれてた女性の靴がある。
「おかえり」
キッチンの方からは、久しぶりに聞く声がする。
「……うん」
母だ。ちょっと苦手な人である。まあ向こうもそれをある程度理解しているからいいのだけれども。それでもまあ、私の愛する母である。
「冬休みでも学校で勉強、頑張ってるんだって?」
「まあね」
「……行きたい大学でもあるの?」
「何も考えてないよ、まだ二年もあるし」
「あったら言ってね、どの大学でもお金の心配はしなくていいぐらい稼ぐから」
「……そこまでのところには行かないよ」
母のことだ、文字通りに私立の医学部の費用だろうが稼いでくるだろう。まあ医者にはなるつもりはないが。
まあ着替える前に顔を合わせておくとしよう。声のする台所に入ると、母は肉の塊を焼いていた。にんにくの匂いときれいな狐色の焼き目。
「……何作ってるの?」
「焼き豚を作っておけば年末の料理減らせないかな、って」
「……なるほど」
母がこちらを見る。まあ綺麗な人なのだろう。化粧も上手だ。それを相手を騙すためにしていると言って少なくとも家の中では憚らない性格をしている。
「……左手」
「……ああ、これ?」
すっかり忘れるぐらいに馴染んでいた左手首に巻かれていたメタルバンドの腕時計を見る。よくこんなところに気がつくな。
「見せて」
ずいと寄ってきて、母は私の手をとるようにしてじっとそれを観察する。母は怒るときとかにこの目をしてくるのだ。なので、あまりいい思い出はない。
「……あの」
「ベルト、交換してるの?」
そっか、多分時計屋さんで注文したときに金属製のベルトにしてもらっていたんだ。真山くんのとおそろいだと思ってそこまで気が回る余裕がなかった。
「……たぶん」
「誰から?」
「……知り合いだよ」
素直に言う事ができずに、どうにか話をそらそうと頭を回してしまう。嘘をつく意味なんてないってことに頭が回りきらない。
「ネットの?」
「違う違う、現実の」
「誰?」
「……同級生。今日も勉強してきた相手」
「ああ、サナヤマくん?」
「……そう。父さんから聞いたの?」
「うん。そっか……」
ちょっと嬉しそうな母。嫌なんだよな。あまりこういう話題に踏み込ませたくない人だ。これでスイッチが入ればかなりカリスマがあるらしいというから困る。家族の前ではスイッチを切っているが。
「……着替えてきていい?」
「うん、あとその相手は大切にね」
「……どうして?」
「それ、いい時計よ。価格帯って意味じゃなくて、使い勝手という意味で」
「そうだと思う。同じのを彼も使ってる」
「そう。なるほど……」
何がなるほどなんだか。ちなみに推理力というか考える力もかなりすごいものだ。たぶんそれは私にも譲られている。両親から変なところを受け継いだ結果、父の人見知りと母の面倒くささをあわせてしまったのかもしれない。
というわけで部屋着に替えて、改めてパソコンの前に座る。真山くん用の色々作業をするために使っている仮想マシンのパスワードを変えておこう。別に誰かが見るとは思えないが、改めて隠しておきたくなったので。
乱数をもとに、本棚の中から一冊を選ぶ。その著者の名前を英語で逆から入れる。まあパスワードを入力した記録は消しにくいファイルになっているから、だれかが不正にアクセスしたところでわかるからいいのだけれども。
なんていうか、私にとって一番大きな秘密が真山くんのタイムリープになっているな。いいことなのかもしれない。
腕時計を外して、机にしまう。たぶん今後、これが習慣になっていくんだろうな。そう思うと自分の行動が真山くんの影響を受けていることを実感しているようで、あまりよろしくないタイプの悦びがある。
「……ネットの、か」
そういえば、もう長らくあのSNSには触っていない。唐突に身を引いたので、昔のIDで検索したときに心配されていたのを覚えている。
まだ再開するつもりにはなれないな。真山くんというストッパーはできたのでキャラクターにのめり込むことは少なくなったのかもしれないけど、まだ私は演じると我を忘れる癖が消えていない。
そうでなければ、真山くんに対してここまで適切なデートプランを紹介するだろうか。ああもう思い出してしまった。ベッドに潜り込み、枕を思いっきり抱きしめて、声にならない声をぶつけて身体をごろごろと転がす。
できるだけ物音を立てないようにしてしばらく暴れていたら、少しだけ落ち着いた。
今のところ、私の二番目の秘密は真山くんと恋人になったことになりつつある。いや別に隠すほどでもないといえばそうだが、かといって他人からとやかく言われたくないじゃないですか。
たぶん私も真山くんも、普通の高校生とは違う。私達の関係は普通の恋愛とはたぶん違うものになる。
いや普通の恋愛でも他人にとやかく言われるのは嫌だな。そう考えると、言うほど変わったものではないのかもしれない。別によくあるような恋だって、たぶん真山くんとであれば悪いものではないのだろう。