新年の授業が、そして年度末までの短い期間が始まる。
去年からやっていた放課後の勉強会は不定期ではあるものの、なぜか続けられるようになっていた。まあいいことなのだろうけどね、もっと君たち青春というものを過ごしなよ、とか考えてしまう。
「というかこれ、難しいな?」
プロジェクターで映し出されているのと同じものが表示されている画面を見ながら、教卓の前に立って悩む。訳はできる。でもそれが正しいとすると前後の文脈が食い違ってしまう。なんでだろうな。
「部分否定じゃないの?」
生徒役の人のおかげで気がつくことができた。そうか、これって全体の全てがないんじゃなくて、全部ではないけど一部はあったって表現か。というかこれに気がつくのが遅れるのっていうのはちゃんと文章を意識して読んでいないってことかもな。インプットも意識してやらないと。
「あー、そっか。だから訳に選ばれたのか」
私だったら自分の英文法の知識を信頼してないから意訳してしまっただろうけど、それだと出題者が聞きたい何を理解して何を理解していないのかをちゃんと判別できないよな。よくない。まあ本番ではどういう方法であってもそれっぽいこと書けば得点がもらえるのだけれどもね。
「えっとじゃあ、全体の訳は……」
そう言いながら単語同士の関係をやっていく。ふと左手の腕時計を確認するといい感じの時間だった。このぐらいで終わりにしよう。
「じゃあ来週は、っと」
と言うと担当の男子が静かに手を挙げてくれる。普段は無口というかちょっと話す時に引っかかるところがあるけど、ちゃんと原稿を読んでいる時はそこまでではない人。担当は地理総合と歴史総合。
「ではよろしく!鍵は今日は私が閉めておくよ」
そうそう、今日は私がやってるけど少しづつ他の人もやってくれるようになってきた。なんだかんだで、私の周りの人間関係とかは良くなってきている。
たぶんそれらの原因の一つは真山くんだろうけどね。そんな事を考えながら浮かれた足取りで職員室まで鍵を返しに戻って、昇降口を出るといきなり人影が現れた。
小さな悲鳴。声を出しながらそれが真山くんだと気がつく。
「私を待ってくれているのは嬉しいけど、暗いところに立たれるとかなりびっくりする」
あらためて呼吸を落ち着ける。冷たい空気が肺に流れ込む。まだ身体の緊張は抜けない。
「ごめん」
心臓が高鳴っているのは純粋に驚いたからだ。普段はこういうふうにはならない。
「いいけどね、手でも繋ぐ?」
脳に酸素が回ってないからか、私はぱっとそういう事を言ってしまう。自制心なのか羞恥心なのか、そういうのを司るところがうまい具合に機能してくれなかった。
「……うん」
真山くんは私の隣を歩きながら、ゆっくりと手を出して近づけてくる。
私も寒いけど外套のポケットから手を出す。指先に触れる暖かさ。とはいえ寒いので私の方のポケットに突っ込んでしまおう。
「指先が冷えてるね」
「和乃さんだって」
特に意味のない会話。私に弄ばれる真山くんの手のひら。
歩く時の距離は自然と短くなる。腕もくっつけているような感じ。外から見たら寄り添っている二人ぐらいには見えるだろう。まあそもそもこの時間帯にはあまり人がいないのだが。
「……そろそろ、一ヶ月ぐらい?」
「そうだね、ループに備えておかないと」
「……そっちじゃなくて」
「ん?」
頭の中でカレンダーを戻す。去年の十二月末になにかあったっけ。
「……わからない?」
「ああ待って、これはええっと、あれだ、告白から一ヶ月ってこと?」
しどろもどろになっている。こういう記念日を覚えている人はよくそんな記憶力があるなと思っていたが、クリスマス・イブというある種意味のある日付ならまあ忘れにくいのはあるか。
でもこの言い方はなかったな。真山くんを失望させたりしていないだろうか。価値観の差とかが許容範囲外にならないといいのだけれども。
「……和乃さんって、けっこう考えていることが表情に出るよね」
「そう?」
「うん」
「……何を考えていたか、当ててみて」
「僕がそういう日付を覚えているのに、自分は忘れているのが……なんていうか、合わないんじゃないかって考えてた?」
「まあそういうこと」
それ以外に考えることがあるか、という気もするがこういうのをちゃんと確認を通してすり合わせるのって大事だな。こういうところで価値観の調整をしていく必要があるのかもしれないが、そういえば私からはあまり行動できていない。
「……ごめん」
口にしなくちゃな。謝罪の形になってしまうけど。
「何が?」
驚いたような真山くんの声。ええと、ちゃんと言葉にしないと。
「もう少し、恋人らしいことに気を配るべきだった」
「……和乃さんらしくないよ」
「それじゃあ真山くんの恋人らしくないのでは?」
「僕はもとの和乃さんが好きだよ、変わりたいっていうなら背中を押すけど」
そう言って、真山くんは俯いて私の手をぎゅっと握った。私も耐えられなくなって、握り返すように指を絡めた。