授業が始まる。先生がスライドを映して説明をしている。
生憎だが、今はそんなことに集中できるような状態ではない。まだ私を真山くんが抱きしめていた時の熱が残っている。
さっきの休み時間に呼び出されて、ぎゅっとハグをされて。実際は数分ぐらいのはずだけど、もっと長かったような気もするし一瞬みたいな感じもあるし。わかんない。
真山くんはあまり説明してくれなかった。私だって何言われたか良く覚えてない。
でも、ある程度察することはできる。あれは私のための行為だ。
もちろんそれは真山くんが楽しんでいないとか、一方的な不均衡に基づく関係が私と真山くんの間にあるとか、そういう意味ではないです。
一旦情報を整理しよう。今はループ中だ。期間は長くて放課後まで、短いとこの授業中ってところ。今が何周か把握していないということは、そういうことにリソースを割かなかったってこと。
鞄の中に二冊ほど入っているが、それは読み切られたのかな。頭の中で数字を動かしていく。時間からしてループは三十周から四十周の間。のべ時間はざっくり二日間。
メモ代わりにタブレット端末に書いていた数字を消す。さすがに授業中にスマホを出すことはしませんよ。
少し考えを止めると、またあの時の感覚がフラッシュバックする。上手だったよな、と感じてしまう。
他人を抱くのが上手、とか言うと他の意味になってしまいそうだが。とはいえ何度も私を抱きしめていたのはわかる。始めるように言った私がどこかの周にいたのだろうか。
真山くんにとって、私とのスキンシップがそこまで重い意味を持たなくなっただろうというのはいいことだ。ただ、それが自分がしたいからじゃなくて私が喜ぶからっていう理由でやってそうなのは真山くんらしいと言えばらしい。
視線を斜め前の真山くんの背中に移す。真面目に勉強……していないな。視線がかなり下の方を向いている。この距離だと画面は見えないが、何かを読んでいるらしい。
指の動きを確認する。下から上へ、しばらくしたらその繰り返し。ウェブサイトとかかな。接続制限とかあるから見れるものは限られるけど、真面目な私たちにとってはあまり関係ない。
真面目というか、少なくとも私は学術的な記事とかを娯楽として楽しめるので。論文とかはそもそも読み方がわからないけどわかりやすいやつは見たりしますよ。
でも今はそういう気分じゃないかな。なんていうか、追い越された気がする。
今まで私のほうが真山くんとの関係で主導権を握ってきたつもりだ。キスも私からだった。いや、去年のクリスマスの頃からかもしれないな。今ではすっかり馴染んだ左手首の腕時計を見る。
少し重めの目蓋を閉じる。腕を枕に、息を吐く。あの熱を思い出す。
振りほどくのは難しそうだな、と思ってしまう。信頼はしますよ、それだけの関係をたぶん真山くんのほうは私と持っている。私が真山くんと過ごした時間はそれに比べて少ないけど。
別に委ねること自体は、ちょっとだけ自尊心みたいなものが引っかかるけど、まあ問題はない。むしろ問題なのはそれでずるずると私が依存しないかどうかで。
真山くんが私に向けている好意は、それがそこまで劣情混じりでないことを加味しなくとも相当なものだ。加味したらもっとすごいことになる。だってその、そういう下心みたいなものなしに私に色々してくれているっていうことじゃないですか。
もちろん彼は好青年ですし、困っている人がいたら率先して手を差し伸べるってことぐらいは把握していますよ。私以外にもそれなりに友人関係があって、私を優先してくれることが多いけどそうでないときもありますし。
でも、私が依存したいって言ったら抱きしめて任せられてくれるぐらいだとは思うんです。
それは良くないってわかりますけどね。むしろ個人的な趣味としては真山くんのほうが依存してきて欲しいんですけど。実際のところ、彼にとって私はどれぐらい頼れる存在なんだか。
チャイムの音がする。目を開ける。今まで意識がなかった事に気がつく。さっきまでの思考が次第に薄れていく。断片をかき集めるようにしても、プールから出た時に肌から滑っていく水のようになくなっていく。
そうか、夏とかにプールに行けばよかったのか。冬でもいいけど。どうせ温水だから関係ないね。身体を動かすって意味でもいいかも。そんな事を思っているとすっかり目を閉じていた時の考えと眠気はどこかに行ってしまっていた。
椅子を立つ。まだタブレットを見ている真山くんの背中を叩く。
「……どうしたの?」
「いつ終わりそう?」
もう少しあるなら、時間をもらおう。すぐに終わるなら、終わるまでちょっと付き合ってもらおう。
「ホームルームが始まらないぐらい」
「なんだ、あまりないか」
今から廊下を通って、人気がない場所まで行って、とすると時間がかかりすぎる。さすがに教室の中でするほど私も常識を捨ててはいない。少ない確率とはいえ、今周で終わりかもしれないし。
「……嫌だった?」
「慣れている人に抱きしめられるのは、ちょっと妬く」
「……そう」
真山くんは申し訳無さそうに言う。そこはもう少し悪い笑顔を浮かべてほしいな。
扉が開く音がした。担任の先生が帰りのホームルームのためにやってきたのだ。