店内には静かなジャズが流れていた。ジャズでいいんだよなこれ。音楽についての知識はあまりない。
「前と同じのでいいよ」
私はメニューを私に向けようとする真山くんに言う。今日はもう化粧で体力を全部使い果たしました。というのは流石に冗談としても、それなりに疲れている。
「それじゃあ、フレンチトースト二つとカプチーノ二つで」
というわけで真山くんも選ぶのをサボったらしい。
「あのコードって、他に何が入っているの?」
カプチーノが来たタイミングで真山くんが口を開いた。
「ええとね」
30ビットのうちガイガーカウンターに7ビット、競馬に5ビット、天気に15ビット、隠しメッセージに3ビット。
「前に伝えた量子力学のやつと競馬の結果、あとは気象衛星だけだね」
仕様の詳しい説明はしないし、説明しても理解できるとは思えない。これは彼の理解力の問題ではなく、私の説明力の問題だ。それに隠しメッセージについては言っちゃダメなやつだしね。
「競馬って、あの馬が走る?」
「そう。木曜日にあったやつ」
「……結果は?」
「前の周と同じ馬が勝った。その日のやつを全部合わせれば数十万円ならそう難しいことせず手に入るよ。もちろん疑われないように色々工夫する必要はあるけど」
とはいえここらへんは少し調子に乗ると面倒なことになるだろうから、コストとかを考えるとあまりしないほうがいいな。
「あまりしたくない」
「理由はあるの?」
私がやらないのは制御できそうにないから。でも真山くんならなんとかなるんじゃないか?今までもほとんど失敗とかやらかしなしにループを乗り越えられたわけだし。
「……なんていうか、それで他の人の運をかすめ取るのって良くない気がして」
「なるほどね、自分の努力の増幅に使う分にはいいけどループで得た知識を主体にして何かを得たくはないと」
「……たぶん、そう」
なんとなく見当はつくよ。とはいえ、こういう素直な感情というのは極限の思考実験をさせるとバグることがある。まあ、そんな事はまず起こらないからいいのだが。
「だったら、これはまあ保留で。お金に困ったら気軽に使いなよ?」
「……そういうのができるってわかったから、大丈夫」
「ならいいけど。あ、天気の方の説明もする?」
「お願い。まずできるだけ簡単に」
また難しいことを。あらゆる部分を省略するか。
「ネットから衛星写真取って、それをコードにして送る」
もう少し短くできたかな。国語の要約問題みたいだ。
「もうちょっと詳しく」
「赤道上空の静止衛星から撮影された可視バンドの昼の画像をAPIで取得、三つのサイズで切り出して画像データを文字列に変換してピクセルごとの色をcsvに書き出して総和を取って5ビットずつ取ってる」
相当にゴリ押しみたいな方法だ。丁寧に1ピクセルずつfor文で回していくのは効率という面では良くないのだろうが、どうせ一瞬で終わるからいいのだ。
「できれば僕の知ってる言葉で」
「はーい」
当然である。というかどこから説明すればいいかな。
「まず一つ。人工衛星ってわかる?」
「ロケットで打ち上げて、地球の周りをぐるぐるするやつ」
「そう。で、うまい具合にぐるぐるのタイミングと地球のぐるぐるのタイミングを合わせると真下が常に同じ場所の人工衛星が作れる」
「……つまり、アンテナが同じ方向で動かさなくていいってこと?」
「いやそうなんだけど。何か見たことある?」
「衛星放送のアンテナ」
「だいたいそう」
あれ、前の私が話したかな?まあそれならそれでいいか。
「衛星側から見れば、定期的に写真を取れば雲の動きがわかるわけ」
そういうわけでスマホを見せる。二十分ほど前に撮影された地球の写真だ。
「……拡大していい?」
「どうぞ」
履歴とか開いたら7を送ってやろうかとも思ったが、素直に私たちがいるあたりを拡大して戻してくれた。うむ。信用ポイントが上がった。
「で、この画像の全体とちょうどこの画面に写っているあたり、そして南半球の部分の三つの画像に違いが生まれるかどうかを確認する」
頷く真山くんを見て、ちょっと自分の中の落ち着きを取り戻す。
「……ごめん、難しいことを話しちゃって」
「いいよ、和乃さんが話しているのを聞くのが楽しいから」
そう言われて悪い気はしないが、それはそれとして理解してほしいんだよな。まあ改めて自分の思考を整理できると考えればいいか。それならこのプログラム組んでる時に真山くんに電話してればよかったな?
「あ、一つ確認」
「なに?」
「今度電話していい?」
「……いいけど?」
「じゃあ終わったら私に伝えておいて。コード書いているときの聞き役になってもいいって伝えてくれればわかるから」
「……うん。よくわからないけど」
ちょっとかわいそうな事してるかな?純情な少年を弄んでいるという批判は甘んじて受け入れる。
「まあこうすれば天気に影響が出るかどうかわかる。これはちょっと出てほしいな……」
「どうして?」
「もしこれも同じだと、次の周に持って行ってもらうコードがなくなるから」
周が始まったときの私の初期知識は変わらないわけだから、新しいことをするのも難しい。そして必要なのは何も変わらなかったという事実か、あるいは何が変わったかという情報だけだ。
「それは……まあ、辛いね」
「ま、余計なことを考えないで今は美味しいものを食べよう」
そう言って私は運ばれてきていたフレンチトーストを前にナイフとフォークを構えた。