「次の授業、化学基礎だよ」
真山くんの声で重い頭をなんとか持ち上げる。騒がしい教室。ゆっくりと整理されていく思考。
「……そうだね、準備しなきゃ」
なんとか立ち上がって、私は周囲を見渡す。ざわざわとした教室。この喧騒が耳に入っていなかったので、意識が落ちていたのかもしれないな。
「あと、保健室行ったほうがいいと思うよ」
「そこまでかなぁ」
「五周目。あと十五分ぐらい」
「……はいはい」
そう言われたら素直に行くしかないだろう。一応授業用に教科書とタブレットを持って一緒に廊下に出る。鍵閉めはいいや、今周は誰かがやってくれるでしょ。みんな忘れているかもしれないけど、毎回私か真山くんが閉めているんだよ?
「あと、奢って」
「……いいよ」
なるほどね、自動販売機戦略か。実用的なのかなと思いついた時は考えていたが、実際使いやすいようで。
「それで、五周目だと……なんだろ」
「スポーツドリンクのはず。レモン味の」
「あれかぁ」
飲んだことはほとんどない。実際どんな感じなんだろう。
「……そろそろ、変なものが出てくる時期で」
「まだまだだよ、残暑の中であったかい飲み物はそれはそれで辛いのでは?」
ちゃんと自販機を見たことがないが、真山くんの前途は多難である。話をしながら廊下を進んでいくが、まだ視線とか足とかがふらつくな。
「……どう?そろそろ疲れてくるころじゃない?」
「一時間……だけど、まだ始まったばかりだから」
「慣れてる?」
「最悪、インターネットがあるから」
「そっか、本に比べて分量が多いものね」
私が鞄に入れている本は今日は少なめの三冊。一冊読むのに三時間かかるとして、全部で九時間。となると三十周ぐらいは保つのか。
「全部で何周?」
「五十とか六十とか。わからない」
「そっか。じゃあ四十を超えたら終わる準備をしないとね」
そう言いながら私は硬貨を入れてボタンを押す。ガタコンと落ちてくるペットボトル。
「飲んだこと、ある?」
私は手渡しながら言う。
「ない」
ぺきりと開けながら言うのは真山くん。
「はい」
「……どうも」
そして開けようと試みて失敗した私に、まだ口をつけていないペットボトルを真山くんが渡してくれる。うーん、これたぶん他の周でも私が開けれていないな。
「すっぱい……」
真山くんが頭を抑えていた。なんか気分がいいな。いや別に真山くんが苦しんでいるのを見て嗜虐心がうずうずしたとかではないです。そういうのって自分の中にあるのを認めた上で否定しなくちゃいけないやつだからね。
「そこまで?」
「うん」
「……私も試さないと」
毎周やらなくちゃいけない真山くんに比べて、私は一回だけでいいのだ。一応この作戦は一周前に何を飲んだか覚えておくっていうのが重要なので真山くんに飲んでもらう必要はあるんだけれども。
「すっぱ!」
「でしょう?」
真山くんがちょっと自慢げだ。まあいいけど。
「眠気が吹き飛んだよ……」
一口でなんか脳のスイッチが入ったみたいないなった。大丈夫かこれ。ビタミンがいっぱい入っているとかあるけどちゃんとビタミンだよな?
「……次もこれ飲むのか」
真山くんは自販機を見て言う。大きめのペットボトルのやつは同じやつが二本あったりするのよね。
「やっぱり注文する人が多いのかな」
「どういうこと?」
「一つのボタンに割り振られたスペースに入れられるペットボトルとか缶の数には限りがあるから、って言えばいい?」
「なるほど、複数個分使えばそれだけ多く入れられるのか」
そう言って真山くんが投げたペットボトルはゴミ箱の穴に途中まで入って引っかかった。
「ダメじゃん」
「一発でここまで行ったのは初めてなのに……」
「今回の間にこれ極めるとかするの?」
「ひとまず狙う」
「……頑張れ」
まあ、なにか目標があるのはいいことだよな。前に見た映画でもトランプ投げの腕をループの間に磨いていたとかあったし。
もっと有意義なものに使うべきかもしれないが、真山くんにとっては私の隣でペットボトルを投げる時間が大切なのかもしれない。いや本当にその可能性が高いな。
「私も入れられるようになるかなぁ」
「もし安定して入れられるようになったら教えるよ」
まあそんな話をしながら真山くんも再挑戦。何回かの失敗の後に成功させていた。一方私はダメダメである。
「そういえば、休み時間にもここには人があまり来ないんだよね」
「場所の問題もあるかも。あとお昼休みだと来るんじゃない?」
ランチにドリンクをつけている生徒はちょくちょく見かける。そんなアホなことをしているとチャイムが鳴った。
「……保健室、もう行っても遅いかな」
「でも寝ている和乃さんは幸せそうだったよ」
「そんな寝付きよかったの?」
ループ一回の時間と移動にかかる分数とかから考えると、十分もしないうちに寝息を立てていることになる。
「……うん」
「ほっぺぐらいなら触ってもいいからね」
「……起こさないかな」
「起きるかも」
まあそんな話をしながら、私たちは化学の授業をサボったのである。そして私のペットボトルは入らなかった。