「次の授業は化学基礎だよ」
真山くんの声で重い頭を上げると、教室はふたりきりであった。
「ああ、そうか……」
体調不良。体育祭の後の疲れとかそういうのではないと思いたい。もしそうだとしたら私はどれだけ虚弱なんだ。
「鍵は閉めてあるよ」
「手際がいいことで」
そう言って、私は多少回る頭で理科室に持ち込むためのタブレットを手探りで鞄から出す。
「それと、今は四十三周目」
なんとか回り始めた頭で、やっとその意味を飲み込めた。
「……かなり短い?」
「三十分ぐらい。最初に和乃さんと話した時よりは長いよ」
「ってことは回数はそれ以下。そろそろ終わり?」
「だといいけど……」
「そっか」
ループには飽きてきた感じか。まあ、この調子だと私の面倒をずっと見ているわけだからな。それも丸一日に渡って。
そこまでしてくれるというか、そこまでしてくる真山くんの正気をちょっと疑い始めている。恋愛とかみたいなもので説明されたら怒るぞ。恋が冷めるには一日あれば十分なのだ。
奪うように取った鍵で教室に鍵をかけて理科室に向かおうとしたところで、思ってたのと違う方向に真山くんが進む。
「……どうしたの?」
「ああいや、わかった。大丈夫だよ」
自動販売機、か。余計なことを考えていたせいでワンテンポ行動が遅れてしまった。階段を降りて、自動販売機の前に立つ。
「ええと、四十三だから」
一番上の段、左から七番目。スポーツドリンクのエリアだ。何種類かある。
「これね」
ボタンを押す。ガトンと落ちる音。
「開けるよ」
「……ありがとうね」
一瞬だけ、その意図を読み違えてしまった。ただの親切というか、経験に基づく私への配慮だよな。お前には開けられないだろうとかいう決めつけではない。開けれないのはただの事実だ。
そうか、もう私と何十本と飲み物を共有してきたんだ。飲み物の趣味も、何回ぐらいで飲みきるかも、ペットボトルのキャップを開ける腕力がないのも、全部知られているのか。
「どういたしまして」
「それにしても、不公平だよね」
私はそう言って一口分喉を鳴らす。染み渡る甘酸っぱさ。
「なにが?」
「真山くんはさ、私が何をしても大体はその意図を知っているわけでしょ?」
「……そんなこと、ないけど」
「少なくとも私が真山くんのことを理解している以上には、真山くんは私のことを理解しているはずだよ」
まあ、だからと言って同じ立場になりたいかと言われれば違うのだが。私はきっと、真山くんみたいにちゃんと根気よく関わり続けるなんてできない。そもそも自動販売機を使うって発想は私には無理だってなって真山くんならどうにか、みたいな想定だったし。
「……ある程度は、そうかもしれない」
「だよね」
もう一口。案外喉が渇いているな。脱水とかかもしれない。そしてチャイムが鳴った。授業開始の時間だ。
「それでも、僕はぜんぜん和乃さんをわかってないよ」
「例えば、この中で私が好きな飲み物は?」
「……これ」
真山くんが指差すのは今周飲んでいるのとは別のスポーツドリンク。
「おいしかったって言ってた」
「じゃあ、私は真山くんの好きな飲み物を知っていると思う?」
「……当ててみて」
「うーん、そもそも真山くんと一緒に何かを飲んだ経験は……」
頭の中で記憶を整理する。ああ、喫茶店があったな。ブラックコーヒーが苦手なのにかっこつけて飲んでいたって話を本人にさせたんだった。
「これ、かな」
私が指すのは最下段にあるあったかいペットボトルのカフェオレ。
「……結構おいしかった」
「本当?」
「うん」
よかった、外さずにすんだ。いや別に外したほうが私の言葉に説得力は出たかもしれないけどさ。
「和乃さんは、僕より頭がいいから」
「頭の良さとかいう恣意的な指標で人を測るの、私はあまり好きじゃない」
「……なんて言えばいい?」
「頭がいいから何なのか、ってストレートに言ってくれればいいよ」
「……僕よりもきっと、色々なことに慣れているし、ちゃんと色々なことを考えているんだろうなって」
「んなことないよ、私はいつもいい加減で、真山くんに追いつこうとして一歩踏み出して落とし穴に落ちたりするような人だよ」
そう言って、私はからっぽになったペットボトルを雑にゴミ箱に向けて投げる。案の定というかなんというか、穴から少しズレた場所に当たってから地面で跳ね返ったペットボトルは乾いた音を鳴らしていた。
「それでも追い越せてるよね」
「言葉の綾だよ」
私の言葉に、真山くんは無言でペットボトルを投げる。こっちのほうはさすがと言うべきか、綺麗に正面から軌道を描いてゴミ箱に入った。
「上手だね」
「今まで何十回も練習したからね」
「……馬鹿なの?」
「ループが始まって最初に投げたのは和乃さんだからね」
「……馬鹿なんだ」
うん、さっきも私は何も言われなくても投げたし、たぶん性格としてそういうことをしがちなのだろう。
ちょっとこれだと悔しいので、私はまた拾ってペットボトルを投げた。残念ながら、次も入ることはなかった。