「和乃さん、そろそろ次の授業だよ」
真山くんの声に私はだるさをねじ伏せて顔を上げる。
「ああ、もうそんな時間……」
人がいない教室。時計が示すは次の授業開始まであと十分を切っているという事実。
「化学基礎。教室の鍵は閉めておいたよ」
「手際が、いいねっと」
なんとか立ち上がって、机の中からタブレット端末を引っ張り出す。
「あと、四十九周目」
「……いつまで?」
「授業が始まってしばらくしたら」
「はいはい」
つまりは今周の私はあと十五分かそこら、というわけだ。ちょっと悲しいね。まあでもそろそろ終わるかもしれないし。可能性を信じよう。
「あと、自動販売機に行くよ」
「……わかった」
五十周近くも経験しているのだ。私がわざわざ確認しなくとも誤解を招くような表現なら修正されているはずだし、補足も入ってこないということは私の予想通りなのだろう。
「疲れた?」
「そろそろ終わりだから、大丈夫」
「ならいいけど」
ある種の荒療治になっていないかが心配になる。真山くんは私を殺してしまうことに対して罪悪感を持ってしまうようなタイプだ。確かにそこで悩める人は信頼に足るんだけれども、問題はそうではなくて。
慣れるための方法の一つは、それをちゃんと繰り返して、正面から見れるか、あるいは一瞬で無視できるようになるまで訓練すること。期せずして、そういう状況になっている可能性はある。
そんな事を考えながら、私は自動販売機の前に立つ。一段が十二個。合計で三十六。四十九周目ってことは、今周は上から二段目の一番右。サイダーだ。
「これでいい?」
「うん」
ボタンを少し間を開けて二回押すと、時間差でペットボトルが落ちてくる。炭酸飲料はあまり飲んだことがないんだよな。
「三十六周前のことって覚えてる?」
「……うん」
「本当?」
これがどんな味だったのか聞きたいだけだったのだが、真山くんの記憶力を確認するみたいな聞き方になってしまった。
「その時はたまたま、ちょっと忘れにくいことがあったから」
「そうなんだ」
いいなぁ、その私は。たぶん今の私は最終的にはその私のおまけ扱いされそうだ。いやだからと言って今から真山くんの舌を噛んでやろうとか、そういうことを想像はしても実行はしませんから。
「蓋、開けるよ」
「……ありがと」
自分で開けることができるかどうか怪しかったし、たぶん開けられなかったのだろう。こういう好意は素直に受け取りたいものだ。
一口飲む。焼けるような感じは慣れない。
「それで、何があったのさ」
「……ハグしてもらった」
「なるほど」
その周の私をちょっと許せなくなってきたな。いやこの妬んでいる私もすぐ消えるから口にさえ出さなければ別にいいか。
「……その時はちょっと、疲れてて」
「私の看病でもしようとしていたの?」
「……そう」
当ててしまう私ってすごいな。別にそこまで心理とかに詳しいわけでもなければ、真山くんの行動原理がわかりやすいってわけじゃないけど。
でも今周も普通に私のこと気を使ってくれていたような。起こすタイミングとか、事前に閉めておいた鍵とか。たぶん会話内容もある程度洗練させているのだろう。
「それで、それ以降行動って変わった?それとも私のハグは一時しのぎに過ぎなかった?」
「……わからない」
「そう。まあでも詳しく考えるのは後でもいいと思うよ」
私はまた一口甘めの液体を口に入れる。振って炭酸を抜くとかもできるけど、それは炭酸に対して失礼な気がする。何の戦いだよ。
「終わったら、色々話すよ」
「今じゃダメなの?」
言ってから、これが自分の嫉妬から来ていることに気がついた。他の人の話をするなよ。今ここにいるのは私だけじゃないか。
私を見ろ。私を抱きしめろ。私を忘れるな。ああ、感情がなんか暴走しつつある。大丈夫かな。どこかの周ではこの想いが溢れてしまった私とかがいたんじゃないだろうか。
「……あまり時間もないし、言い切れなかったら辛いから」
「……うん。割り切れていて何より」
「割り切っても、辛いものは辛いからね」
「だから定期的にハグでもしなよ」
私はそう言って、からっぽになったペットボトルを手に真山くんに近づく。
「こんなふうに、さ」
真山くんのペットボトルも空になったことは確認済みだ。だからこぼす心配とかはしなくていい。
腕を広げて、逃さないようにして、少し地面を蹴るようにして、思いっきり抱きしめる。
「……和乃さんから来るんだ」
「……私はあまり、こういうことしてこなかった?」
「……うん」
「そっか」
体重をかける。腕に込める力をまた一段強くする。まあそもそもそこまで力が入らないから最初の時より弱くなっているかもしれないけれども。
「三十六周前の私と同じぐらい、今周の私を覚えておいて」
ああ、口に出してしまった。かなり私は弱いよな。まあでもいいや。今はこの腕の中の熱を感じておこう。真山くんも軽くだけれども、私の背に手を当ててくれている。
少し上を向くと、真山くんが何かを言おうとして口を動か