「化学基礎で移動教室だから、そろそろ準備して」
「うぅ……」
上体を起こす。教室を見渡す。真山くんと私だけ。聞き取った内容を頭の中で形にする。
「大丈夫?」
「なんとか、ね」
私は立ち上がり、ぼんやりとした頭でタブレット端末を机の中から出す。
「ああ、鍵閉めなきゃ」
「もう前の方の扉は閉めてあるよ」
「……どうも」
そこまでしなくちゃいけないって思われるぐらい、体調が悪いのかな。体育祭でほとんどど動いていないのにここまで体調が崩れるとか、そうとう虚弱じゃないか?
「あと、今は五十三周目」
「……そういうのはもっと早く、いや別にいいや、ごめん」
自分の調子悪さを認めたくないな。こういう応答一つとっても、まずは負の感情が先に出てきてしまう。本当はここで言うべきは感謝とかねぎらいとかだろうって理解していても、口が上手く動かない。
「……不機嫌?」
「いや、だるくて色々と許容値が減っているだけ」
わざわざそう聞いてくるってことは、今まではそこまで不機嫌っぽい言動をしていなかったのか。あるいは数周前に私が神経質っぽい行動をしたとか。
「後ろのほうは私が閉めるよ」
「わかった」
真山くんは素直に鍵を渡してくれた。教室を出る前にちらっと見た時計によれば授業開始まであと五分ぐらい。
「ループが終わるのは十分後ぐらい」
「一周は?」
「三十六分四十七秒」
「覚えた?」
私は聞きながら鍵を回して抜く。
「何回か言ったから」
「ということは、そろそろ終わり?」
「のはず」
そんな会話をしながら、私たちは理科室に上がる階段ではなく別の階段に行く。自動販売機か。なるほど。
「自動販売機、今周はりんごジュース」
「ああ、あのちっちゃいペットボトルのやつね」
よく見るブランドのジュースだ。というわけで迷わず私は購入ボタンを押すことができた。
「開けるね」
「……ありがと」
そう言って私は真山くんが開けたペットボトルを受け取って、自分の手の中にあった未開封のやつとを交換するように渡す。
「予想だと何周ぐらいで終わるの?」
「五十とか六十とか。でもここまで短いループをちゃんと数えたのは下手したら小学生以来だから……」
「でもまあ、これでちゃんと数字が出せたら計算できるかもしれないね」
「そういうものなの?」
「少なくとも、一次関数なのか二次関数なのかぐらいは見当がつくでしょ」
そう言ってペットボトルを私は逆さまにして最後まで飲み切る。同じぐらいのタイミングでチャイムが鳴った。
「……おいしかった?」
「まあね」
たまに飲むのだ。嗜好品としてだけれども。
「……今の和乃さんを見なくちゃいけないのにさ、終わったあとのことを考えてしまうんだよ」
「いきなり……いや、ごめん。聞かせて?」
たぶんループ関連の話だろう。ここは素直に聞くべきだ。
「少し前に、和乃さんから忘れないでって言われて」
「……無視していいよ」
「そういうわけにはいかなくて」
「だろうね、ごめん」
これは私の嫉妬だし、たぶん忘れないでって言った私も他の私に嫉妬していたんだろうな。まったく、なんでよりにもよってこんな心が不安定なタイミングでループになってしまったんだ。
「でも、忘れてもいいのかなって思い始めていて」
「そうなんだ」
「……全部を受け入れれば、どの周の和乃さんも特別扱いせずにすむのかなって」
「そういう考え方ね」
いやループの度に相手が増えるので実質ハーレムものでは、とか考えていた自分が恥ずかしいな。真山くんは真面目なやつである。
「でもさ、和乃さんだけを特別扱いしていいのかなって……」
「私は、少なくとも今周は真山くんのことを特別扱いしているよ。他の同級生には奢らないし、そもそも授業をサボろうだなんて誘惑されてもまず乗らない」
それは信頼とか、一緒に過ごした時間とか、真山くんが私と一緒に過ごしたであろう時間とか、そういうものに依存してはいるけどね。
「……それは、感じている」
「でも、それに見合ったものを返そうとしたら無理だと思うよ?」
「……うん」
「そもそもループ中は私は見返りを求めてないから。ループ後にちょっと仲良くしてくれれば、私たちは満足だよ」
「そういうことで、いいのかな」
「いいんじゃないかな」
というか、調子の悪い私に気を使ってループ時間の半分以上、私に話しかけるタイミングを待っていてくれているのだ。十分私は色々なものを受け取っているよ。口に出すのは恥ずかしいけど、どこかで言わないといけないな。
「……うん」
真山くんはペットボトルを投げる。綺麗に入った。
「じゃあ私も」
そう言って私が投げたペットボトルは宙を舞い、
うまく入らずに跳ね返された。空っぽな音が響く。
「……ところで、あとどれぐらい?」
「ええとね」
真山くんは時計を見て、嬉しさと焦りとあと読み取れなかった感情が混ざったなんとも言えないような表情をした。その意味ぐらいは、私でもわかる。
しばらく顔を見合わせた後に、理科室に行くべく私たちは駆け出した。空っぽのペットボトルは握りっぱなしだった。