巫女よ―――
巫女よ―――
制服姿の女子高生が、しずしずと歩く。よく磨かれた飴色の廊下を迷いなく歩く。
茶道か日舞か、そんな手習で慣れているのか。まだ若いのに堂に入った様子であった。
巫女よ―――
我が声が聞こえますか―――
やがて辿り着く、渡り廊下の先の道場の扉の前で一礼してから、かしこまった仕草でゆっくりと開く。
「掛けまくも畏こき
小さくも掃き清められた道場の真ん中で、少女が一人、正座で瞑目していた。
大樹の如き一分の隙もない座姿は、さながら深く突き立ち斬れ味変わらぬ剣である。漏れ射す朝日に照らされて、上品に結い上げられた髪が輝く様は見慣れた巫女をして金糸に見紛うほど美しかった。
道場の正面に向かっていた少女はゆっくりと目を開き、僅かに巫女に首を向け、その口から鈴鳴のような美声を零した。
「
「もうすぐ朝ご飯だから。そんなことで呼ばないでよね、セイバー」
巫女はやれやれと溜息を吐き、道場の窓を開けて換気を始める。ぐぅ、と少女の腹から大きな音が鳴った。まだまだ日が昇ってすぐの時間だというのに、本日も旺盛な食欲である。
「コイト、そんなこととは聞き捨てならない。朝ご飯は一日の活力の源です。しっかり栄養をとらなければ、その日のパフォーマンスに影響します。つまり一日で最も大事な時間なのです。疎かにしてはなりません。」
「前に寝坊したとき、すっごい怒られてからは一度も忘れたことないでしょ。こまちゃんなんか忙しいときはコンビニで菓子パン買ってるのに。私もスタバで朝ごはんとかしてみたいなぁ」
「スタバが何かは知りませんが、とにかく朝はしっかりと食べなければいけません。さぁ参りましょう」
この御神体、どこからどう見ても金髪外人美少女といった神様は400年以上もずっと、声も姿も変わらず江戸の街を守り続けている‥‥らしい。真っ直ぐ綺麗に歩く御神体を眺めながら、改めて彼女の巫女―――小糸はこの世の不思議に思いを巡らせた。
「セイバー、あの神通力? テレパシーみたいなのやめてほしいんだけど。声出せば届く距離なんだからさ、朝から驚かせないでよ」
「あれは神通力ではありませんよ。貴女と私を繋ぐレイラインによる念話です。だからサーヴァントである私と、
「それも変な話なんだよね。神様がサーヴァント? 従者で、巫女の私がマスターなんてね」
「説明は何度もしたでしょう。いえ、サヨコもなかなか理解してくれませんでしたが‥‥」
離れのようになっている道場から、廊下を伝って本殿へ。一応拝殿と本殿は分かれていて、本殿は文字通り祭神である
畳敷きの本殿には巫女である小糸の分と、2人分の朝ごはんが用意されていた。白飯になめこのお味噌汁、豊洲市場直送の鯵の干物に、おひたしと、佃煮。日本の原風景のような朝食。セイバーは綺麗に正座し、小糸と二人で「いただきます」のあと、見事に箸を使いこなし行儀よく食事に手をつけていく。
「ほんと、セイバーは箸づかいが上手だよねぇ。見た目も名前も外人さんなのに」
「400年も現界していますからね。それ以前に、召喚された場所についての一般的な知識は聖杯から与えられているので、ある程度は最初から使えましたよ」
「その聖杯って、結局なんなの? 前にも説明してもらったけど、あれだよね、
「キクジロウでしょう変な例え方をしたのは。聖杯は私を召喚した大元の存在です。英霊という死者を、現世の理を曲げて無理矢理“現界”させる魔力も供給しています。一方で私を現世に留める楔であり、私が活動するための魔力を供給しているのがコイトですね。小金井の家は代々私のマスターになるというだけの、そういう特殊な魔術師の家です。だから通常の魔術師と同じような修行はしていないはずですよ」
「魔術も使えないしね。あーあ、私も何かこう、かっこいい魔術が使えたらよかったのに」
「あまりいいものではありませんよ、
「そんなものかなぁ」
話をしながら、その合間に綺麗にご飯を食べるセイバーは既におかわりを2回もしている。セイバーと食べるときは彼女のご飯をよそう役目を担うため、小糸の食事はどうにも進みづらい。しかし小糸はセイバーとの食事は嫌いではなかった。
やがて2人の食事も終わり、小糸が一抱えするほどのおひつも見事に空になった。
既に通りには通勤通学の人混みが増え、洗い物をしてから出れば小糸の通学の時間にも丁度いい頃合いだろう。何某かの用事があるときはセイバーが洗い物をする時もあるが、気安い関係とはいえ氏神と巫女の関係にあるため、基本的に雑事は小糸がするようにしている。
「じゃあお昼ご飯は冷蔵庫に入ってるから、いつも通りチンして食べてね!」
「はい、コイトも気をつけていってらっしゃい」
小糸が登校した午前中は、セイバーの最も自由な時間である。
掃除などは巫女の仕事であると小糸に止められているため、概ね居間でテレビを見たりして過ごすことが多い。もしくは道場で竹刀を素振りしたりなど。
江戸鎮守の神様であるはずだが、彼女はそもそも魔術も使えなければ神事にも疎く、それらしいことはほとんどできない。巫女が祝詞を唱えるのを真面目な顔をして見守るのは英霊となる前の経験から慣れたものではあったが。
「今日は天気もいいし、散歩なども気持ちよさそうですが‥‥」
まだ外国人の珍しかった明治ぐらいまでは目立つ容姿ですぐに正体がバレて恭しく扱われてしまい、存在が気安くなった昭和から平成にかけては逆に氏子から食料品を中心に随時奉納を受けすぎて‥‥。どちらにしても気が引けてしまうので今では軽々な散歩は控えるようにしている。なおそんな感じの最中に諸々あって、彼女が相当の食いしん坊であることは既に氏子衆には文字通り周知されてしまっているのであった。
「さて今日の昼食は‥‥、おおギン坊の魚屋の鯖の塩焼きですか。それにこれは、お出汁ですね。海苔とワサビ、白胡麻、これは薬味。なるほど分かりましたよ私のやるべきことが」
セイバーの直感(偽)Aは伊達ではない。特に食事に関してのそれは抜群の精度を誇るのだ。
まず年代物のトースターにフライパン用のホイルを敷き、焼き鯖を温め直す。炊飯器から炊き立てのご飯をよそい、香ばしく焼き上がった鯖をオンザライス。
「さて、少しはしたないですが、これをシャモジで」
セイバー用の特大丼の炊き立てライスと、脂たっぷりのトロ鯖をほぐし、混ぜていく。丁寧に、しかし米や鯖が潰れないように。よく混ぜ終わったら、真剣に手を合わせて、いただきます。
「前にテレビ番組で放送していた鯖飯のこと、コユズは覚えてくれていたんですね。とても、えぇとても美味です」
小糸の妹、小柚子は
小金井家の台所を一手に担う彼女は、当然セイバーの食事も作る。その腕前には「私が知る中で三番目ぐらい」とセイバーも大興奮で、本殿へ上がることを特別に許したのである。
スマホなど文明の利器の操作が苦手なセイバーの娯楽は、体を動かすこととテレビを見ることぐらいしかない。特にグルメ番組は大のお気に入りで、三人で休日の食卓を囲んでいる時に流れた鯖飯に、思わず美味しそうだと溢したのでわざわざ用意してくれたのだろう。
「ならば、この温めた出汁と、薬味を使って‥‥やはりこれですね、焼き鯖の出汁茶漬け。丼一つで二度美味しい、素晴らしい仕事です、コユズ」
丁寧に手を合わせ、ごちそうさまでした。軽く濯いだ食器を食洗機に入れる。家事をさせたくない小金井家とあまり世話をかけたくないセイバーの話し合いにおける互いの譲歩点がこれだった。
午後は食休めのお茶セットを盆に乗せ、拝殿から外を眺めながらお茶を嗜む。学校が終わる時間になれば近所の子ども達や中高生が剣道具を持って道場にやってくるはずだが、それまでは再び穏やかな時間である。
「生前よりはるかに長い時間、ここでこうして過ごしてきてしまいましたが‥‥。まぁ、穏やかな時間はいくら過ごしてもいいものです。私も変わったものですね」
都心の喧騒から、ほんの少しだけ離れた、賑やかだけれど穏やかな街。
これは東京は月島の小さな神社で、なぜか400年も氏神をやることになってしまった、とある騎士王の毎日のお話である。