東京都中央区月島。
江戸時代より400年以上の歴史を刻む
(今日は私、小金井小糸の巫女継承の儀をとり行います―――なんてね)
年の瀬、12月も末の、もはやクリスマスにほど近い日の真夜中。
本来ならば世間一般の商店街はクリスマス商戦真っ只中。例え灯が消えていようと飾り付けやイルミネーションで華やかな装いのはずが、ここ月島の商店街岳は提灯や注連縄で厳かな雰囲気だった。
月島の氏神たる
お披露目と言っても、氏子衆は家の窓や商店街の軒先から練り歩く巫女と氏神を眺めるだけ。特に声をかけたり、道の脇で囃し立てたりということはしない。
「最初は日中、そのようにしていたのですがね。年々どうにも熱狂してしまって、しまいには怪我人まで出てしまう有様で。特に最近は月島も昼間は観光客も多いですから。町内会の話し合いに私も参加して、何代か前からはこのような形に落ち着いたのですよ」
「確かに。昼間に観光客がいる中で巫女継承の儀なんてやったら、お披露目じゃなくて見せ物になっちゃうもんね。それは私もちょっと嫌かな」
「灯りも消して、静かにしてもらわなければいけないので氏子には面倒をかけさせますが、少なくともサヨコの時は穏やかに終わりましたよ。コイトも緊張しないように」
「べ、別に緊張なんてしてないし! ただご町内を歩くだけじゃん! ほら行くよセイバー!」
完全に灯りが消えた商店街の、車道の脇にはずらりと提灯が並べられていた。セイバーの家紋と言うべき、花のような若草のような松明のような美しい模様と、呪文のような聖句のような外国の文字でデザインされている。
横を見れば、今日のセイバーは儀式のための正装だ。紺碧のドレスと、提灯と同じデザインの白銀の鎧。その上から僅かに青みがかった氏神用の羽織を着て、額飾りと沈丁花を模った簪を差している。
「足元に気をつけるのですよコイト。今夜は曇りで月明かりもない。山の中のような暗闇です」
「セイバーはスイスイって歩くよね。いつも早寝早起きだけど、意外と夜目が利くの?」
「まぁ私の生きていた時代は夜討ち朝駆け、奇襲騙し討ち裏切りアリアリでしたからね。夜だからといって足元も覚束ないようでは戦いもままならなかったというものです」
「うわぁサツバツ」
道路に出てこないとはいえ、家の2階の窓や飲み屋の引き戸の隙間から楽しそうに氏子が手を振るので、それに応える小糸も忙しい。
流石に寂しいのか、特におっさん連中は飲み屋に集まって蝋燭のわずかな灯を頼りに飲み会だ。暗い店内でも楽しそうな赤ら顔は目立つ。飲みすぎてはいけませんよ、とセイバーも苦笑いだった。お母さんの時もこうだったの? いえいえ、サヨコは自分も少し飲んでました。未成年じゃん! まだ何かと緩い時代だったのですよ。コイトは真似してはいけませんよ。
「お疲れ様です! せんせ、
「ご苦労様です。風邪にはお気をつけて」
飲まないよ! と応えながらもこればかりは見回りのために立っていた婦警さんに挨拶を。セイバーの剣道場のお弟子さんだ。月島の中高生はインターミドル、インターハイの常連ばかり腕自慢揃い。そして月島の交番には月島出身の警察官が立つ。江戸時代の与力同心に遡ってからの伝統であった。
実在する神様だってのに、そういえば月島はもんじゃ目当ての観光客で賑わう以外は不思議なほどに静かで穏やかな町であるが、やはり行政にまで浸透したセイバーへの信仰がいろんな配慮を生んでいるのだろう。そう考えると自分の巫女としての仕事も、通り一遍の神事やセイバーの世話以外だけでなく、いろんな人の手助けで成り立っているんだ。町内を巡りながら、そんなことにも思いを巡らせた。
『ハァー、キシオー様よキシオー様よ。我らは今際の際に夢見る。栄光を。悲しい、尊きユメを。その奇跡の真名を唱え、振り翳しておくれ。ハァー、キシオー様よ。常勝の王ヨ』
静かに、厳かに歌が響く。不思議な歌だった。お囃子なのに、教会で歌う聖歌のような響きだった。
どちらかといえば神道の信仰は現世利益に係るものが多い。こんな儚い歌詞はそれこそキリスト教的な尊い何かを讃えるもの。普段からこんな調子では氏子も盛り上がらないのか、こんな雰囲気の中で年に一度、あるいは巫女継承の儀のために一生に一度か二度だけ、それでも確かに語り継がれる歌だった。
(そういえば、キシオー様ってなんなんだろ。
真っ暗なご町内を周りながら、緊張しつつも寝不足で若干フラフラする頭で小糸はのんびり、そんなことを思った。
セイバーから言い渡された課題。かつて生き、偉業を為して死に、神霊とまで言われるほどの高名な英雄だった彼女の正体、本当の名前。勉強の苦手な小糸もなんだかんだ大好きな氏神のために、昼休みを潰してまで図書室に通って調べ続けた。朝早い日課にも関わらず、睡眠時間を削ってまでスマホで調べ続けた彼女の真名。
『八重の桜も咲いては散り、貴方は束ねる
最も有名な女騎士、ジャンヌダルクではないと彼女は言った。
女性ばかり探していたけど、そういえば織田信長は女性だったなんて与太話も教えてくれたっけ。もしかしたら女性じゃない? 男性だと思ってた人が、一千年後には男性と伝わっていただけの男だった? サーヴァントは常識には縛られてはいけないんですね、なんて巫女らしからぬ謎の格好をした現人神の少女が意気込む謎の幻覚が脳裏を過ぎる。流石に睡眠不足も限界であった。
「さぁコイト、もうすぐゴールですよ」
いやいやそんなこと言ってたら、それこそキリがないじゃないか。もうすぐタイムリミットなのに、全然分かりませんでしたじゃ巫女失格だ。生まれた時から一緒なのに、自分はセイバーに相応しい巫女じゃないのかもしれない。ほんの数歩歩くだけでも、小糸は気を焦らせた。
もう境内へと向かう僅かな段差を登ったセイバーが小糸を見下ろす。彼女の方が身長が低いから、そんな段差に立ったところで見下ろされるわけがないのに。
ふわりと夜風が頬を撫でた。それは冬至の夜にしては暖かく、草の匂いがした.
(あれ、今、なんだろ)
睡眠不足の脳みそに変な光景がよぎった。
起伏に富んだ、見渡すばかりの草原にセイバーは立っていた。羽織と額飾り、簪こそないが、今日と同じ紺碧のドレスと白銀の鎧、美しい黄金の剣を手に。
多くの兵士が彼女に従っていた。聖剣を持った騎士も。豪奢な弓を携えた騎士も。太陽のごとき輝きを纏った騎士も。狼の魂を宿した少女騎士、獣のような笑みを浮かべた若武者も。
数多の兵士を、騎士の中の騎士たちを従え、聖剣と呼ぶに相応しい剣を構えたセイバーの姿が確かに脳裏によぎったのだ。
小糸はふと、クラスメイトの後藤くんに借りた英雄史大戦の攻略本を思い出した。彼が自慢していたラウンズデッキと呼ばれるレアカードを。
まるで自分が、あの兵士たちの中にいるかのように、夢見心地の中で小糸は小さくつぶやいた。
「アーサー王‥‥?」
セイバーは静かに微笑んだ。悲しい記憶を思い出すように、正解を見つけた
「いかにも」
いつの間にかセイバーは何かを手に持っていた。何か、と言ったのは、小糸にはそれが見えないからだ。空気の揺らぎこそあれ、透明なのだ。
「サーヴァント、
優しく、真面目で、時に厳しいセイバー。一瞬彼女から完全に人ならざるモノの気配が発せられていた。神様の名前をつけられてるだけの幽霊、だなんてものでは断じてなかった。一国の長にして、歴史上の英雄、精霊に等しい高みにまで引き上げられた霊魂のもつ圧倒的な存在感を感じた。
だがそれも一瞬のことで、気がつけば普段のセイバーの顔に戻っていた。
(これが、英霊。これが本当のセイバー)
何もわからずに巫女の仕事をやっていた。でも今、確かに小糸は
セイバーとの距離が開いたわけではない。断じてない。何か付き合い方とか、普段の言動が変わるようなこともないだろう。それは、はっきりと言える。でも知らずに巫女をやるのと、知って巫女をやるのとでは大いに違うということを言葉ではなく心で理解した。
「さて、私の課題を成功させたコイトにご褒美をあげなければいけませんね」
「あっそういえば! 私あんまり悩みすぎて、正解しないと巫女失格になるんだって思い込んじゃってた」
「まさか。歴代の巫女も、ほとんどの人は正解しませんでしたよ。そんなひどいことはしません」
サヨコと、あとは何人いたかどうか。何せ遠い異国の英霊ですからね私は。
言われてみればアーサー王がどれほど有名な英雄であっても、ドラマやアニメ、漫画小説が当たり前のように出回るまでは一介の庶民では知るはずもない人物だろう。それでも当ててみせた何人かというのは、たいそう勉強家だったんだろう。
「何くれるの? お小遣い? 売るとお金になるもの? それとも大人っぽいドレスとか‥‥?!」
「そんなお金持ってませんよ」
セイバーはお賽銭をお小遣いのように使っているが、ほとんど無趣味のくせに妙に金使いが荒かった。買い食いとか、剣道場の経費のようなものとか、あと何かに使っているらしいが。
大丈夫、ちゃんとご褒美になりますよとセイバーは夜空を見上げた。今日は雨でも降り出しそうなくらいの分厚い曇り空で、灯の消えた月島の町は真っ暗。当然見上げたって星なんて見えはしない。
「私の生きた時代は千年以上も前ですが、今よりも断然星が多かった。小糸は満天の星空を見たことがありますか?」
「まさか、ここ東京だよ? 中学の修学旅行も京都奈良だったし。あっちも空明るくて、あんまり星見えなかった気がする」
「そうですか。ではちゃんとご褒美になりそうですね」
刃を下に構えていた(おそらく)剣を胸の前で、本当の騎士のように、いや鎧を着ているから本当に騎士なのだが、構え直す。
「風よ、舞い上がれ。―――
その切先を突き上げると、飛行機でも通ったのかと思うほどの凄まじい突風が空を切り裂いた。
思わずつむった目を開ければ、そこには月島の町の上だけぽっかりと雲が吹き飛び、写真でだって見たこともない、どこまでも奥の深い星空が広がっていた。
セイバーの放った風が吹き飛ばしたのだ。雲も、塵も、星空に至るまでの全ての邪魔なものを。小糸が星を見るためだけに、おそらくは地上で最も尊い神風となったのだ。
「セイバー、その剣」
これまでの人生も、これからの一生も眼にすることもできないだろう星空に目を見開いて、しかしすぐに小糸は地上の星に釘付けになった。
どんな人工の光もこれほど眩くないだろう。どれほどの芸術家の、絵画も、彫刻も、これほど美しくないだろう。どんな音楽家だって、その鋭い刃が静止しながらも、そよ風すら切り裂く音より綺麗な音は奏でられないだろう。
まさしく地上に降りた星だった。思わず涙を流してしまうほどの尊い美しさがそこにあった。
「はい、『
こんなに美しい、貴い聖剣の名前は誰だって口にできるに違いない。見れば理解る、故に
成層圏まで全てのものを吹き飛ばす強力な、
そのように見つめなくても、これは別にご褒美ではありませんよ星空の方を見てください。苦笑するセイバーの言葉に、巫女の意地で何とか目線を逸らす。見つめ続けるのも失礼な、目を逸らすのも憚れる、そんな矛盾した気持ちだった。
「セイバーって、本当に、すごい英雄なんだね」
「所詮は亡国の王です。すごいなんてことは、ありませんよ」
「ううん、すごいよ。だってこんなに」
綺麗なんだから。それは言葉にできなかった。何を言ったって野暮な気がした。
余人では目を逸らせぬ耀きを、否定しないまま小糸はセイバーの目をまっすぐに見た。聖剣はすごいけど、その担い手であるセイバーの方がもっとすごい。持っていいですよと言われたって持つなんてとんでもない、そんな畏れ多い神秘を両手でしっかりと握りしめる彼女こそが1番美しいのかもしれない。
本人は神様らしいことなんて、と言っているが、この破邪剣征の輝きこそが江戸を、東京を、月島の町を守護していたに違いない。巫女としての誇らしさが、おそらくは自分を変えてしまったものの一つなのだろう。
やがて風の鞘に収まった聖剣は仕舞われて、2人はずっと星空を眺めていた。
ちなみに痺れを切らした小柚子が夜食が覚めると迎えに来て、
ここで飯テロすると流石に温度差で風をひきかねないので。
今日はここまでとさせていただきます。
星空のくだり、どこかでこういう話を読んだことがあるんですよね。思い出せないので分った人いたら教えてください。
あと多分もうシリアスないです。