絶望というのは、そこに住む人にとっては日常だ。過ぎ去っていく人々から隠れつつ、ごみの中から値打ちのあるものを拾う、物乞いだってそれは同じ。
辺境の街、彼女自身街の名前を知らないが、少なくとも物心ついた時には既に、彼女は地獄の只中にあった。
ただ、彼女自身はそれを不幸とは思わなかった。確かに知人は死ぬ。それこそ、昨日笑いあった友が、今日犬に腐肉を漁られているのを見るのも、一度や二度ではない。
あるいは食べられるものも、それほど上等ではない。飢えに負けて腐臭漂うものを口にして、嘔吐と下痢の果てに力尽きる者だって少なくない環境だ。
だが、それでも、それは彼女にとっての日常だった。理不尽と嘆くこともある。不条理を恨むこともあった。
だが、結局のところ、それをいくら喚いたところで、何も変わらない。なら、その時間で次を探すべきなのだ。もちろん彼女も、そうでない人がいることは知っていた……。イヤ、おそらく、彼女は自分を人にカテゴリーしていない。
家を持ち、調理をし、語らう。そんな普通の生活を、彼女はただ遠くから見ていた。
時たま、彼らの中からあぶれるように彼女のような生活に落ちる者もいた。だが、彼ら、あるいは彼女らは、数日もせずに衰弱し、死ぬ。
だから、彼女は自分を人でないと判断していた。人の姿をして、言葉をかろうじて理解する獣。
それは、言うなればただそれだけの認識で、そして、彼女自身も別に特段それを苦痛だと感じていなかったのだ。
そんな彼女の元に、一人の男が来るまでは。
・・・・・・
「ねぇ、ナナチ、わたし、頑張って耐えるから、安心して?だから、もし私が人じゃなくなったら、魂が、アビスに帰れるように……」
「ミーティ!ミーティ!?」
そんな静寂、大量の人でない者がこちらを見つめる状況で、語られる、そんな言葉。そして、その一瞬は、本当に最後の時間で。ギチギチとロープが巻き取られる恐ろしい音が響き渡る。
そんな中、オイラは……。
「……チ、ナナチ」
「はっ!?」
目が覚めた時、オイラの目の前には、表情を伺えない黒い仮面があった。
「!?ん、んなっ」
ズザザザと慌てて飛び退るオイラに黒い仮面の男はこちらに手を向けてくる。
「おやおや、驚かせてしまいましたか。申し訳ありません。レディの部屋に入り込むのは問題だとは思ったのですが、ひどくうなされていたようでしたので」
「……。すまねぇ……ボンドルド、様」
オイラは顔を背けながらそう頭を下げた。仮面の男、ボンドルドは本当にいい男だ。勿論、何か裏はあるんだろう。そうでなければ、こんな何も持たない孤児を大量にこの地下に連れてくることもないんだから。だけど、それが悪いことだとは思わない。少なくとも、オイラみたいな浮浪者をまともな人間として扱ってくれるところなんて、ここぐらいしかないからだ。
だけど、オイラはどうしても思ってしまう。ボンドルドは、本当はオイラ達を、タダの実験動物程度にしか見ていないんじゃないかって。ボンドルドについて行ったあの日から毎日見る、あのオイラが人間でなくなる日の夢が、実は本当のことなんじゃないかって。
だから、オイラはボンドルドに感謝しつつも、決して心を許せなくなっていた。
少しにらみ合うオイラとボンドルド。何かを察したのか、それとも逆にこれ以上の進展がないと感じたのか、ボンドルドはオイラに背を向けて歩き出した。
「謝ることは有りません。そうですね、ココアを用意しましょう。少し落ち着けば、きっとよくなります」
そう言う背中に、オイラは思わず声をかける。
「ボ、ボンドルド、様。一つ聞きたいことがあん……あり、ます。オイラ達は、実験動物として連れてこられたわけじゃねーんだよな?」
「……なぜ、そう思われるのですか?」
そう言うボンドルドは、オイラの様子をうかがっている気がした。
「あ、あの、本当にそう思ってるわけじゃねぇん……ないんだ、けど。オイラ、夢で、ボンドルド、様、の実験で、オイラとミーティを実験台にしてるのを見ちまっ……みてしまって」
「ほう、それでは、先ほどもその夢を?」
それを聞いて、オイラが頷くと、ボンドルドはオイラの頭を優しくなでてくる。
「ご安心ください。私は研究のためにあなた達をこのイドフロントへ呼んだのです。実験と称して無駄死にさせるなど、そんなことはしませんよ」
その言葉にオイラは安心しかけて、気づく。その回答は、オイラの質問に全く答えてなんかないことを。
「どうしました、ナナチ」
「いや、何でもねえ、ボンドルド様」
オイラははやる鼓動を押し殺しながらそう答えたんだ。
・・・・・
「旦那、ナナチは、どうでやしたか?」
「あれは、かなり警戒していますね。どうやら、私たちが彼女たちを実験動物にすると言う夢を見ているようです」
「……いや、何で寝てる子どもの悲鳴聞きつけてそんな話になるんっすか?……しかし、それは厄介っすね」
グェイラの言葉に私は頷きます。たまたま、ナナチの部屋の前を二人で歩いていた時に悲鳴が聞こえてきて、飛び込んだと思えばこれです。これで、もし私たちが子どもを実験に使っていると他の子どもたちが認識すれば、一気に実験の難易度が上がってしまうでしょう。
「いえ、放置しましょう」
私は、ココアを飲んでまた眠りについたナナチを見やります。
「まだ、あれも完全にこちらを疑っているわけではありません。おそらく、彼女の過去のトラウマか、あるいは想像か。それがアビスの雰囲気と混じって、夢となってしまったのでしょう。それに……」
私の口は、知らず笑みの形に歪んでいました。
「もし本当にそれが予知夢だとすれば、実に興味深い」
「それは確かに」
肯定するグェイラを尻目に、そう言えば、彼女は過去、研究者としての素質を見出した子どもだった事を思い出します。つまり、あの時の警戒は、ただ単に自身の夢に踊らされたが故の反応だった、と言うこと。
「それは、少し、つまらない結果ですね」
「?旦那?何がつまらないので?」
「いえ、何でもありませんよグェイラ」
少し失言だったかもしれないと思いながら、私はその場を後にしたのでした。
お気に入りがちょっと入ったので気分が乗りました。
原作では性別不明ですが、この世界のナナチは女設定です。
あと、多分グェイラさんの出番めっちゃある気がする。
プル姉も絡めたいけど、絡めると死にそうなんよなぁ。